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2005年 06月 20日

生活水準と本の値段

マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングが本日発表した「2005年世界生計費調査」の結果を見ていろいろ思うところがありました。とにかくはっきりしているのは、東京は生きていくのに世界で一番お金がかかるということ。もちろんそうはいっても、同じ東京でも都心と郊外では水準は異なるでしょうし、お金持ちでなくても東京には住めます。しかし、東京では貧乏でも、ほかの国での暮らしに比べれば総体的には断然リッチと言えるわけで。ちなみにこの調査の基準になっているのは、ニューヨークです。ようするに、ニューヨークより高いか安いか、ということですね。

★生活するのにお金がかかる都市、上位50位まで。2005年3月現在。

( )は昨年度の順位。

1 (1) 東京、日本。
2 (4) 大阪、日本。
3 (2) ロンドン、イギリス。
4 (3) モスクワ、ロシア。
5 (7) ソウル、韓国。
6 (6) ジュネーヴ、スイス。
7 (9) チューリッヒ、スイス。
8 (8) コペンハーゲン、デンマーク。
9 (5) 香港、中国。
10 (15) オスロ、ノルウェイ。
11 (13) ミラノ、イタリア。
12 (17) パリ、フランス。
13 (12) ニューヨーク、アメリカ。
13 (14) ダブリン、アイルランド。
15 (10) サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)、ロシア。
16 (19) ウィーン、オーストリア。
17 (21) ローマ、イタリア。
18 (22) ストックホルム、スウェーデン。
19 (11) 北京、中国。
20 (20) シドニー、オーストラリア。
20 (23) ヘルシンキ、フィンランド。
22 (25) ドゥアラ、カメルーン。
22 (18) イスタンブール、トルコ。
24 (26) アムステルダム、オランダ。
24 (34) ブダペスト、ハンガリー。
26 (24) アビジャン、コートジボワール。
27 (76) ワルシャワ、ポーランド。
28 (49) プラハ、チェコ。
29 (31) 台北、台湾。
30 (16) 上海、中国。
31 (44) ブラチスラバ、スロバキア。
32 (40) デュッセルドルフ、ドイツ。
33 (39) ルクセンブルグ、ルクセンブルグ。
34 (46) シンガポール、シンガポール。
34 (42) フランクフルト、ドイツ。
36 (47) ダカール、セネガル。
37 (43) ミュンヘン、ドイツ。
38 (28) ベルリン、ドイツ。
39 (33) テルアビブ、イスラエル。
40 (41) グラスゴー、イギリス。
41 (50) アテネ、ギリシア。
41 (53) ブリュッセル、ベルギー。
43 (56) バルセロナ、スペイン。
44 (27) ロサンゼルス、アメリカ。
45 (52) ホワイトプレーンズ、アメリカ。
46 (61) マドリード、スペイン。
47 (51) バーミンガム、イギリス。
48 (59) ザグレブ、クロアチア。
49 (58) ハンブルグ、ドイツ。
50 (29) ハノイ、ベトナム。
50 (38) サンフランシスコ、アメリカ。

ランク外ですが、最も物価が安いのは、南米パラグアイのアスンシオンであるとのこと。ちなみに、世界の主要18都市で家賃がダントツに高いのは東京、乗車賃はダントツでロンドン、ハンバーガーやコーヒー代はダントツでアテネが高いらしい。むろんこれも相対的な話。

さて、興味深いのが新聞と音楽CD。新聞はプラハと東京がいい勝負で高い。物価が高いとされるロンドンでは東京よりかなり安い。日本の大手新聞の発行部数が他の先進国とくらべて異常に多いのは有名ですが、意地悪く言えば、独裁的企業の高価な情報を買わされているのが日本人なのですね。これはミニメディアが発達していないということでもあります。

音楽CDはブリュッセルやパリが高く、ロンドンや東京はその下、さらにそのまた下がニューヨークやシドニーです。

本はどうなんでしょうか。統計には出ていませんが、私の感覚では、日本はフランスやドイツ、イギリスと同じくらいで、アメリカはもっと安いです。あくまでも私的印象ですが、日本は学術書については欧米より平均的に安く、娯楽系は欧米より多少高いのではなでしょうか。つまり、欧米では、値段にメリハリがあって何が文化的に高価で何が安いかが日本よりはっきりしている気がします。日本では総じて廉価にしようという努力があるのではないかと思う。ただ、一般読者にはそう思われていないでしょう。

洋書をオンライン書店で取寄せる場合、当然ながら、費用がかさむのは送料です。私はかつてアマゾン・コムのヘビーユーザーだったけれども、アマゾン・ジャパンが洋書を扱い始めてからはもっぱら洋書はジャパンで買っています。送料がかからないから。

本の物価統計を取った調査がこれまでにあったかどうか知りませんが、あったら見てみたいです。おそらく上記の調査結果と似たようなものになるのでしょうけれど。(H)

# by urag | 2005-06-20 23:06 | 雑談 | Comments(0)
2005年 06月 19日

今週の注目新刊(第9回:05年6月19日)

今週の注目新刊(第9回:05年6月19日)_a0018105_5445086.jpg他社版元さんの新刊で、要チェックだなと感じた本を、毎週末、リストアップします。このほかにもたくさん素晴らしい本はありますが、自分がぜひ購読してみたいと思った書目に絞ります。

書誌情報の見方と配列は次のようになっています。

書名――副題
著者、訳者など
版元、本体価格、判型サイズ、頁数(本文, 本文とは別立ての巻末索引や巻頭口絵など)
ISBN、発行年月
■は、図書館流通センターさんや版元さんのデータを引用&活用した内容紹介。
●は、私のコメントです。

***

★今週の注目文庫

幸福について――人生論
ショーペンハウアー著 橋本文夫訳
新潮文庫(新潮社) 本体514円 タテ16cm 365p
4-10-203301-7 / 2005.06.
●かつてこんなにも清々しいカバーが、ショーペンハウアーの文庫本にあったでしょうか(冒頭の書影をご参照)? ありえません、以前はあんなにも地味だったのに。これでは中学生まで買いそうな気がします(褒めているんです)。でもショーペンハウアーって毒舌だし、ちょいと危険なところもあるのに。ま、いいのかな、若人がたまに「毒書」するのも。さて本書はご存知の通り、ショーペンハウアーの『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余禄と補遺)』第一巻に収録された「処世術のための箴言集」を訳したものです。同名の文庫がかつて角川文庫でもありましたが、角川文庫版の『幸福について』は石井正+石井立訳。これまで岩波文庫やその他で出ていた『知性について』『自殺について』『読書について』『女について』『自然について』『藝術について』『みずから考えること』といった本はすべて『パレルガ』から抽出したもの。『幸福について』はそうした中でも一番厚い本です。ちなみに『パレルガ』の全容を知るためには、白水社版の全集を買わねばなりません。

★今週の注目単行本

エステティカ――イタリアの美学クローチェ&パレイゾン
クローチェ+パレイゾン著 山田忠彰編訳 山田忠彰+訳
ナカニシヤ出版 本体2400円 タテ20cm 224p
4-88848-922-X / 2005.05.
■イタリアの美学・哲学界を代表する思想家の美学論考の対比。20世紀イタリア美学の展開を鮮やかに描写し、美学的・芸術的思索の核心に触れる。クローチェの「美学入門」と論文、パレイゾンの2つの論文を合わせて編訳。
●これは大注目というか、思わず拍手ですね。ルイジ・パレイゾン(1918-1991)の日本語訳で読めるのは、晃洋書房の「現代哲学の根本問題」シリーズの第4巻『藝術哲学の根本問題』(1978年)に収録された一論文「美の観想と形式の算出」くらいでしょうか。これは1955年の『国際哲学雑誌』第31号にフランス語で発表された"Contemplation du beau et production de formes"の、佐々木健一氏による日本語訳です。パレイゾンはイタリア美学界の大御所で、弟子筋には、かのウンベルト・エーコやジャンニ・ヴァッティモらがいます。佐々木さんの紹介によれば、パレイゾンの主著の一つ『美学――形成の理論』(1954年刊、未訳)に対して、ヴァッティモは「イタリア美学のクローチェ以後の時代とも呼びうるものを拓き、この時代の欧米の美学思想の中で最も生き生きとした流れとの対話へと、我々の文化を導いていった」と大きく評価しているそうです。

イタリアの美学思想の現在と言えば、エーコやアガンベンが日本では有名なわけですが、その前にパレイゾンがいて、さらにその前にベネデット・クローチェ(1866-1952)がいることを忘れるわけにはいきません。いきませんが、パレイゾンは翻訳がほとんど皆無だったし、クローチェの大著『美学』も翻訳本はもう半世紀以上前の話で古書店か大きな図書館でしか手に取れません(1921年に鵜沼直訳で中央出版社から『美の哲学』、1930年に長谷川誠也+大槻憲二 訳で春秋社の「世界大思想全集」第1期第46巻として刊行、後者はゆまに書房が1998年に「世界言語学名著選集」の第1巻として復刊していますが、一般読者向けと言うよりは、図書館や研究室向けです。本体15,000円、ISBN4-89714-407-8)。
ちなみにクローチェの『美学』はいずれ新訳(しかも完訳)が出ると耳にしたことがあります。

日本とちがってイタリアの場合、美学というのは伝統ある一大分野であると言えるのではないかと思います。ある意味、個別の哲学科目よりもずっと包摂的で、大きく諸学を横断する根本的で革新的な分野として、存在し続けているように見えます。先のエーコやアガンベンだけでなく、哲学者のヴァッティモやカッチャーリ、建築学者のタフーリ(1935-1994)もやはり横断的な美学的教養を当たり前のように持っています。イタリアでは美学が「生きている」のだと思います。

さて、長いコメントになってしまいましたが、最後に肝心の本書『エステティカ』の収録論文について。版元のナカニシヤ出版による紹介ページで公開されている本書の目次は以下の通りです。

I ベネデット・クローチェ

美学入門
第一章 「芸術とは何か」
第二章 芸術に関する偏見
第三章 精神と人間社会における芸術の位置
第四章 芸術批評と芸術史

創造としての芸術と形成としての創造

II ルイージ・パレイゾン

クローチェ美学における解釈の概念
一 クローチェ美学の際だった点
二 翻訳としての演劇的上演
三 追想としての音楽的演奏
四 「演奏」を芸術全体へと広げる必然性
五 ドラマ上演の必然性の基礎としてのその完全性
六 演劇的上演における忠実さと自由さ
七 音楽的演奏の多様性と相違
八 作品の唯一性と演奏の多様性
九 演奏される作品への必然的関連というクローチェの概念
十 作品の無限な解釈可能性というクローチェの新しい概念

人格の哲学
一 人格の理論としての哲学
二 哲学の歴史性と人格性
三 解釈の認識論
四 形成性の理論

訳者解説
あとがき
事項索引
人名索引

G8――G8ってナンですか?
ノーム・チョムスキー+スーザン・ジョージほか著 氷上春奈訳
ブーマー発行 トランスワールドジャパン発売 本体1400円 タテ19cm 238p
4-925112-48-1 / 2005.07.
■G8が世界を支配していいのだろうか? ノーム・チョムスキー、スーザン・ジョージといった時代をリードする作家や学者たちが、G8のネオリベラリズムを指摘し、世界が抱える様々な問題に対するG8の姿勢を議論する。
●人文社会系の本を愛読している読者にはあまりなじみのない発行・発売元かもしれませんが、トランスワールドジャパンと言えば、雑誌版元として名が通っています。スノボやスケボ関係のものや、ストリートカルチャー雑誌「WARP」など、色々と刊行しています。最近では読み聞かせ用の絵本の分野にも進出。ユニークですよね。

チョムスキーの名前はさいきんこうした人文社会系とはいままであまり関係がなかった版元から刊行された本で見かけるようになってきました。たとえばFOILが刊行した『「映画 日本国憲法」読本』とか。FOILはリトルモアの創業社長さんが「独立」して始められた出版社です。この読本では、ジョン・ダワー、ノーム・チョムスキー、ベアテ・シロタ・ゴードン、チャルマーズ・ジョンソン、日高六郎、ハン・ホングのインタビューが読めます。リトルモアでは3年前にドキュメンタリー映画「チョムスキー 9.11」と連動した書籍『ノーム・チョムスキー』ISBN4-89815-081-0が発売されていますから、FOILでチョムスキー関連書が出るのはふしぎではないのですが。

国家とはなにか
萱野稔人(1970-)著
以文社 本体2600円 タテ20cm 283p
4-7531-0242-4 / 2005.06.
■国家が存在し、活動する固有の原理とは何か。「国家は暴力に関わる一つの運動である」。この明解な視点から現代思想の蓄積をフルに動員し、国家概念に果敢に挑む。次世代を担う国家論の展開。著者は1970年生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究拠点形成特任研究員等。
●担当編集者は、「批評空間」誌第三期の編集部から、同誌の廃刊後に青土社「現代思想」誌に移られて2004年8月号「いまなぜ国家か」などを担当し、その後、以文社に移籍されたMさん。Mさんのキャリアで初めての担当単行本になるわけだろうと推察します。同じく本書『国家とはなにか』が処女単行本となる萱野さんは、上記の「いまなぜ国家か」特集号のメインである柄谷行人さんのインタビュー「資本・国家・宗教・ネーション」の聞き手を務められており、冒頭の写真に写っている、坊主頭に細い眼鏡、胸元のボタンを大胆にはだけた白いシャツ姿がまず私の目に焼きついたのでした。

今回の本は「現代思想」誌に発表された論文を全面的に大幅加筆して成ったもので、ほぼ書き下ろしといってもいいようです。書名はイカメシイですが、けっこう読みやすく、面倒な議論に聞こえがちな「国家論」の位相を何とか読者に伝えようという苦心のあとが伺えます。たとえば酒井隆史さんや渋谷望さん、道場親信さんらの著書を読んできた方なら、本書はまず購入されていることでしょう。ネグリ+ハートの『〈帝国〉』(以文社)を購入された方にもお奨めです。

萱野さんを「現代思想」誌編集長の池上善彦さんに紹介したのは酒井さんだそうで、萱野さんは「あとがき」で酒井さんの『自由論』(青土社)や『暴力の哲学』(河出書房新社)と本書『国家とはなにか』は「おおくの点で議論を共有して」いるので、併読を、と記しています。帯文に「次世代を担う国家論の展開」とありますが、まさにその第一歩が記されたのでしょう。萱野さんの今後、そして担当編集者のMさんの今後の活躍に注目です。

自然との和解への道(上)
クラウス・マイヤー=アービッヒ(1930-)著 山内広隆訳
みすず書房 本体2800円 タテ20cm 285,13p
4-622-08163-6 / 2005.06.
■環境先進国ドイツの環境哲学とは何か。人間がその駆動力である「自然的共世界」の実現へ向けて、自然科学・哲学・政治を根本から見直す記念碑的労作。実践的(=政治的)自然哲学を提唱する。著者は1936年ハンブルグ生まれ。哲学博士。現在、エッセン大学名誉教授。著書に「未来のための学問-生態学的かつ社会的責任における全体論的思惟」などがある。
●みすず書房のシリーズ「エコロジーの思想」第二弾。第一弾は昨秋刊行された『環境の思想家たち(上)古代‐近代編』ジョイ・A・パルマー編、須藤自由児訳、ISBN4-622-08161-X。一見地味なシリーズですが、中味はなかなかのもの。今後も注目したいですね。出版社による第二弾の本の紹介文は以下の通り。

「この著作の根本思想は、ひとつの命題、《人間の外にある自然は、われわれの自然的共世界(Mitwelt)である》に要約できる」(「日本語版への序文」より) 。環境先進国ドイツにおける、本格的な環境哲学を紹介するはじめての本である。著者マイヤー=アービッヒは、エッセン大学で教鞭を執ってきた哲学者であるのみならず、マックス・プランク研究所で量子力学を研究した物理学者でもあり、ドイツ連邦議会のエネルギー政策審議会の一員として、またハンブルク市の大臣として、環境政策の政治決定にもたずさわってきた。本書においてはじめて、「実践的(=政治的)自然哲学」が提唱される。適切な自然理解と環境政策を統合する人間の行為を問うのが、実践的自然哲学である。そのためにアービッヒはまず、従来の受け身的な環境政策を批判し、自然を自然自身のために配慮する新たな環境保護立法を提案する。そして、真理への問いに開かれたプラトン以来の討議的政治と、理性的行為のうちに自然の意図をみるカントの倫理を継承し、自然の秩序に適った産業経済を可能にする科学技術を模索する。 人間もまた自然的共世界の一部である自然中心主義的世界像へ向けて、自然科学・哲学・政治を根本から問いなおす記念碑的労作の完訳、上巻。シリーズ《エコロジーの思想》第二弾。

ル・コルビュジエのインド
彰国社編 北田英治写真
彰国社 本体2381円 タテ24cm 160p
4-395-24102-6 / 2005.06.
■ル・コルビュジエはインドを23回訪れた。撮り下ろし写真と現地座談会を核に、彼の残した庁舎、議事堂、住宅などの建築を紹介する、ル・コルビュジエ再発見の旅の記録。

悟りへの階梯――チベット仏教の原典『菩提道次第論』
ツォンカパ著 ツルティム・ケサン訳 藤仲孝司訳
UNIO発行 星雲社発売 本体2800円 タテ21cm 415p
4-7952-8890-9 / 2005.06.
■チベット最高の仏教者ツォンカパによる、ブッダの心髄を伝えるインド大乗仏教の集大成。チベット仏教最大の原典であり、ダライラマ法王の講話の典拠ともなった大乗の理論と実践の精髄を全訳。

猫神様の散歩道
八岩まどか(1955-)著
青弓社 本体1600円 タテ19cm 204p
4-7872-3244-4 / 2005.06.
■お産や商売繁盛の猫神信仰、身の毛がよだつ化け猫伝説、招き猫に眠り猫…。全国60カ所の神社仏閣や祠を訪ね歩き、猫の神秘の力とそれに魅入られた人々の心性を余すところなく描く。著者は『旅の手帖』などで温泉ライターとして活躍。著書に「温泉と日本人」「混浴宣言」などがある。

乗馬の歴史――起源と馬術論の変遷
エティエンヌ・ソレル著 吉川晶造+鎌田博夫訳
恒星社厚生閣 本体4300円 タテ22cm 474p
4-7699-1020-7 / 2005.06.
■人類がはじめて馬に跨った日から今日までの馬との関係史。化石、絵画、彫刻、年代、地域、種族や部族間の争い、馬術やその達人、流派、獣医学、国家、軍隊、馬術学校、スポーツなど、さまざまな視点を通して論述する。
●こういう基本図書は重要。大著ですが、ぜひ購読したいです。

花田清輝集
花田清輝(1909-1974)著
影書房 本体2200円 タテ20cm 240p
4-87714-331-9 / 2005.06.
■小説・戯曲・記録文学・評論等、幅広いジャンルで仕事をした戦後文学者13名のエッセイを選んで刊行するシリーズ「戦後文学エッセイ選」の第1巻。「花田清輝全集」を底本として、敗戦前に執筆したものまで、全25篇を収録。
●同シリーズの第8巻『木下順二集』4-87714-332-7が同時発売されています。シリーズの全容は版元である影書房のこちらのページをご覧ください。いちおう全巻構成だけ転記しておきますと、以下の通りになります。

1:花田清輝集(既刊)
2:長谷川四郎集
3:埴谷雄高集
4:竹内好集
5:武田泰淳集
6:杉浦明平集
7:富士正晴集
8:木下順二集(既刊)
9:野間宏集
10:島尾敏雄集
11:堀田善衞集
12:上野英信集
13:井上光晴集

昭和初年の『ユリシーズ』
川口喬一(1932-)著
みすず書房 本体3600円 タテ20cm 292p
4-622-07146-0 / 2005.06.
■「ユリシーズ」本邦初の翻訳、出版は一つの事件であった。伊藤整vs小林秀雄、第一書房と岩波文庫の合戦、猥褻と検閲等、文壇の域を超えた本を巡る熾烈なドラマ、文化的・社会的事件を詳細に描く。
●川口喬一先生には『「ユリシーズ」演義』 (1994年、研究社出版)という大著がすでにおありですが今回の本は、また格別に面白そうですね。読んでない内から断言してしまいますが、面白くないわけがありません。各紙の書評にもきっと取り上げられることでしょう。

タンタンとエルジェの秘密
セルジュ・ティスロン(1948-)著 青山勝+中村史子訳
人文書院 本体2800円 タテ22cm 199p
4-409-18001-0 / 2005.06.
■わたしたちの時代の夢想と熱望が凝縮された現代の神話「タンタンの冒険旅行」。謎につつまれた作品の魅力とエルジェの創作力学を、ホームズのように鮮やかに解き明かす。著者は精神科医、精神分析家。さまざまな機関で臨床に携わりつつ、パリ第7大学等で教鞭も取る。著書に「明るい部屋の謎」「恥」など。
●ティスロンと言えば、2001年に二冊の翻訳が続けて刊行され注目を浴びました。『恥―社会関係の精神分析』大谷尚文+津島孝仁訳、法政大学出版局、2001年3月、ISBN: 4588007165。そして、『明るい部屋の謎―写真と無意識』青山勝訳、人文書院、2001年8月、ISBN: 4409030647です。後者はいわずもがなのロラン・バルトの写真論『明るい部屋』(みすず書房)を論じた秀逸な本ですが、今回の新刊はなんとコミック論ですよ。ティスロンの本をまとめて置いている本屋さんは早々ないですね。これで三冊目なのですから、そろそろまとめてもいいはず。心理学書や芸術書の棚よりは、バルトのそばでディディ=ユベルマンとかと一緒にしておくのがいいような気がします。バルトのそばにはジュネットやクリステヴァやルジュンヌらの本があり、トドロフやバフチン、そしてロシアフォルマリズム系の本があるだろうと思いますが、そろそろ再整理する必要があるでしょうね。

まめおやじ――原始式教育入門
友沢ミミヨ著
パロル舎 本体1200円 18×19cm 70p
4-89419-036-2 / 2005.06.
■むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おばあさんがまめをあけると、なかからかわいいまめのようなあかちゃんが産まれました-。抱腹絶倒、うごめくまめ宇宙! 『TV Bros』連載。
●子持ちにとってはもう「あるある」的共感の連続。というか大車輪。笑いをこらえながら読んでいましたが、私の場合、「あにょにょ」の回で思い切り吹き出さずにはいられませんでした。巻末のインタビューも話題の飛び具合が子供らしくていい。友沢さんの育児愛と観察眼に脱帽。

***

以上、今週は全部で1247点の新刊の中から、単行本12点、文庫1点を選びました。(H)

# by urag | 2005-06-19 23:52 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2005年 06月 18日

「ブランショ政治論集」装丁とガリレーの本

主として関西の大学でフランス語を教えている7人のスタッフ・ライターさんが毎日更新しているという、「フランス語とフランス文化のブログ」である「CYBER FRENCH CAFE」さんの、水曜担当の「ワインと読書の日々@PST」さんが、さる6月7日のエントリーでこんなことを指摘されました。

「『ブランショ政治論集 1958-1993』はフランスの出版社 Galilée の本作りを意識しているのではないでしょうか。穏やかなクリーム色のこの本の肌触りを楽しみながら、ブランショの思考の跡を留めたページにまなざしを注ぎながら、ブランショが時代と共に歩んだ透徹した思考を追体験したいと思わせてくれる本に仕上がっています。」

温かいお言葉をありがとうございます。成功したかどうかは別として、ご推察の通り、たしかに私は今回、デザイナーとの打ち合わせにガリレーの本(具体的に言えば、ナンシーの『キリスト教の脱構築』第一巻、帯付)を持参して、イメージを伝えたのです。「ワインと読書の日々@PST」さんの推理で、ドンピシャなわけです。(H)
 

# by urag | 2005-06-18 23:26 | Comments(2)
2005年 06月 17日

ユンガー『追悼の政治』の書評2本

月刊誌「文學界」7月号に掲載された、福田和也さんのエッセイ「不本意な覚醒――ヴィットリーニのファシズム、ユンガーとナチズム」では、小社刊行の『追悼の政治』が、法政大学出版会さんの『ユンガー=シュミット往復書簡』や、岩波文庫のヴィットリーニ著『シチリアでの会話』とともに紹介され、論評されています。特に「総動員」を参照しながら、ユンガーとナチズムの間の距離に鋭い疑義を差し挟んでおられます。

同誌では、内田樹さんの連載「私家版・ユダヤ人文化論」の第7回「ある冒険的反ユダヤ主義者の肖像」(ブランショへの言及あり)や、先ごろ来日したピエール・ギヨタをめぐる宇野邦一さんのエッセイ「試みのギヨタ」なども読めます。また、「私の読書遍歴」のコーナーでは私の敬愛する舞踏家笠井叡さんがインタビューに答えておられます。

さらに、松浦寿輝さん、星野智幸さん、陣野俊史さんによる鼎談「村上龍『半島を出よ』を読み解く」があり、山田詠美さんのインタビュー「短編小説の技術」も掲載されています。そのほか、諸先生方による連載も大小盛りだくさんですが、一読して気分が悪くなるような酷い文章も中にはあって、その書き手さんは近年ものすごいスピードで単行本やら編著やら新書やら訳書を出し続けているたいへん生産的な方ですが、折々の毒舌が読む者をなんともいたたまれなくさせます。

さて、「文學界」はいいとして、『追悼の政治』については、「電網山賊」さんが6月4日のエントリーで触れてくださっています。戦争を知らない世代にとってユンガーを読むことがどのようなものであるのか、そこに「電網山賊」さんの真摯な問い掛けの根幹があるように拝読しました。「電脳山賊」さん、ご購読ありがとうございました。

ユンガー関連の続報ですが、小社刊行予定のユンガー著『労働者』の翻訳作業は着々と進んでいます。まだしばらく先にはなりますが、必ず皆様のお手元にお届けします。(H)

# by urag | 2005-06-17 18:43 | Comments(0)
2005年 06月 15日

約20年前のブランショの続刊予定

約20年前のブランショの続刊予定_a0018105_0472359.jpg
内田樹さんが、ブログ「内田樹の研究室」6月7日のエントリーで、小社刊の『ブランショ政治論集』ならびに昨今の日本における「ブランショ再評価の動き」について言及してくださっています。内田先生、ありがとうございます!

「翻訳というのはアカデミズムの世界では相対的に評価の低い仕事で、学界的な査定基準では、10年かかって仕上げた1000頁の翻訳よりも一月で書き上げた10頁のペーパーの方が評価ポイントが高い。でも、専門家しか(専門家でさえ)読まないようなペーパーを書いて評価ポイントを稼ぐことよりも、海外のすぐれた作家や思想家の業績を、誰でも読めるかたちで提供する仕事の方が、学問的な「贈り物」としてはずっと上質のものではないのだろうか。残念ながら、そのような「雪かき仕事」に打ち込む学者はほんとうに少ない(柴田先生のような方は例外中の例外である)。それゆえ、私は谷口くんや安原さんたちの労を多とするのである。みなさんも訳書買って、翻訳者の「雪かき」の応援をしてくださいね。ブランショはいいですよ」。

一般読者にはあまり知られていないことかもしれませんが、たしかに「翻訳」は、大学においては、業績として評価されることはほとんどない、と複数の当事者から私もこれまで何度も聞いてきました。かつて、私の尊敬する編集者の大先輩が、「翻訳」は立派な業績であり、論文を執筆する以上に評価されうる、と強調していたことは忘れられません。

内田さんは同時に、こうも書いていらっしゃいます。

「何度も書くけれど、私はブランショの『終わりなき対話』(Entretien infini, 1969)の全訳が20世紀のあいだに出せなかったことを日本の仏文学者の犯した最大の失敗のひとつだと思っている。あの本が1970年代に日本語で読めるようになっていたら、おそらく現代の日本人の知性はコンマ何ポイントが上がっていただろう。それだけの知的なインパクトのある書物というものが存在するのである」。

かれこれ20年位前の話になりますが、筑摩書房さんが、粟津則雄さんによる『踏みはずし』の新訳を1987年8月に刊行し(初訳は神戸仁彦さんの翻訳による村松書館版で1978年刊)、続けて、同氏による『来るべき書物』の改訳新版を1989年5月に刊行した(初版は同氏による現代思潮社版で1968年刊)際に、ブランショの後期4作の続刊予定を確かに公開していました。上記写真がその予告です。

『終わりなき対話』粟津則雄・清水徹・豊崎光一訳
『友愛』粟津則雄・清水徹・豊崎光一訳
『彼方へ一歩も』豊崎光一訳
『堕星のエクリチュール(災厄のエクリチュール)』豊崎光一訳

これは、左が『踏みはずし』の投げ込みリーフレットで、右が『来るべき書物』の投げ込みリーフレットです。前者には清水徹さんによるエッセイ「賛嘆すべき歩み、モーリス・ブランショ」が掲載されており、後者には豊崎光一さんによるエッセイ「来るべきブランショのために」が掲載されていました。

豊崎光一さん(1935-1989)はこの予告が出た直後、89年6月に若くして亡くなりました。もしも豊崎さんが生きておられたら、と想像します。ブランショ翻訳の流れはひょっとするとここから、今日に至るそれへと変わっていったのかもしれません。付言しておきますと、周知の通り、ジャック・デリダの『アポリア』(人文書院)は、豊崎光一さんの思い出に捧げられています。

『終わりなき対話』はその後、翻訳がさらに進捗していると聞いています。いつの日か、手に取れるのでしょう。ブランショ生誕百年である2007年までには読みたいものです。(H)

# by urag | 2005-06-15 23:54 | Comments(0)