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2018年 06月 20日

リレー講義「世界と出版文化」@東京外国語大学

本日(2018年6月20日)は、東京外国語大学府中キャンパスにお邪魔し、同大学出版会さんご企画のリレー講義「世界と出版文化」にて、「越境を企画する――汎編集論的転回と出版界の現在」と題して発表させていただきました。出版社の仕事や業界三者(出版社・取次・書店)の現状と最新動向、さらに、モノとしての書物の肉体性に私がこだわりたい理由や、私自身の就活・転職・独立の体験談などもお話しいたしました。熱心な御清聴、まことにありがとうございました。聴講生の皆さんのレスポンスシートはすべて拝読させていただきました。多数ご質問をいただいたので、ただいま回答を準備中です。近日中にお渡しできるようにしたいと思います。またどこかで皆さんとお目に掛かれることを楽しみにしております。

2010年7月07日「出版社のつくりかた――月曜社の10年」
2011年6月15日「人文書出版における編集の役割」
2012年6月06日「人文書出版における編集の役割」
2013年5月15日「知の編集――現代の思想空間をめぐって」
2014年7月09日「編集とは何か」
2015年6月06日「編集とは何か――その一時代の終わりと始まり」
2016年5月25日「編集と独立」
2017年4月19日「人文系零細出版社の理想と現実」
2018年6月20日「越境を企画する――汎編集論的転回と出版界の現在」

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# by urag | 2018-06-20 18:15 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 18日

リレー講義「文化を職業にする」@明星大学

先週土曜日(2018年6月16日)は、明星大学日野キャンパスにお邪魔し、人文学部共通科目「自己と社会Ⅱ:文化を職業にする」というリレー講義で発表させていただきました。今年はテーマを「出版社とは:仕事、現在、未来」と題し、出版社の編集の仕事、営業の仕事、さらに出版界の変化(出版社・取次・書店)についてお話ししました。ご清聴いただきありがとうございました。担当教官の小林一岳先生に深謝申し上げます。受講された皆さんから頂戴したご質問に対し、ひとつひとつ回答を書きましたので、いずれ皆さんのお手元に配付されることと思います。また皆さんとお目に掛かってお話をする機会があれば幸いです。

◎「文化を職業にする」@明星大学
2012年6月16日「文化を職業にする」
2013年6月15日「独立系出版社の仕事」
2014年6月07日「変貌する出版界と独立系出版社の仕事」
2015年6月13日「独立系出版社の挑戦」
2016年6月11日「出版界の現在と独立系出版社」
2017年6月17日「出版社の仕事と出版界の現在」
2018年6月16日「出版社とは:仕事、現在、未来」

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なお、同大学では資料図書館の貴重書コレクション展「コペルニクスとガリレオ ―近代天文学の夜明け」が9月29日まで開催中で、じっくり見学してきました。事前予約制で学外でも入場無料。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンなどの典籍が公開されています。動画資料「ガリレオ裁判」も必見でした。お土産に、コペルニクスとガリレオの肖像と名言が印刷されている紙製のブックカバーや、ガリレオの栞などが配布されています。これはなかなか素敵でした。

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# by urag | 2018-06-18 18:15 | ご挨拶 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 17日

注目新刊:戦慄のオニール『数学破壊兵器』の訳書がインターシフトより、ほか

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『自然―HAPAX9』夜光社、2018年6月、本体1,100円、四六判変形156頁、ISBN978-4-906944-14-9
『サラム ひと』崔真碩著、民衆詩叢書1:夜光社、2018年6月、1,100円、四六判変形122頁、ISBN978-4-906944-15-6
子午線:原理・形態・批評6』書肆子午線、2018年6月、本体2,400円、B5変形判324頁、ISBN978-4-908568-13-8
チビクロ――松本圭二セレクション第9巻(エッセイ&批評)』松本圭二著、航思社、2018年6月、本体3,400円、四六判上製368頁、ISBN978-4-906738-33-5
今宵はなんという夢見る夜――金子光晴と森三千代』柏倉康夫著、左右社、2018年6月、本体4,200円、四六判並製416頁、ISBN978-4-86528-201-6
あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール著、久保尚子訳、インターシフト発行、合同出版発売、本体1,850円、四六判並製336頁、ISBN978-4-7726-9560-2
哲学者190人の死にかた』サイモン・クリッチリー著、杉本隆久/國領佳樹訳、河出書房新社、2018年6月、本体2,400円、46判奈美氏江376頁、ISBN978-4-309-24870-7
周作人読書雑記3』周作人著、中島長文訳注、東洋文庫889:平凡社、2018年6月、本体3,300円、B6変判上製函入442頁、ISBN978-4-582-80889-6
近世金沢の銀座商人――魚問屋、のこぎり商い、薬種業、そして銀座役』中野節子著、平凡社選書234:平凡社、2018年6月、本体2,800円、4-6判上製240頁、ISBN978-4-582-84234-0
有職装束大全』八條忠基著、平凡社、2018年6月、本体6,800円、B5判上製320頁、ISBN978-4-582-12432-3

★夜光社さんの6月新刊2点。『HAPAX6』は「自然」がテーマ。高祖岩三郎さん、白石嘉治さん、森元斎さんらによる10篇のテクストを掲載。収録作の一覧は版元ウェブサイトでご覧いただけます。HAPAX bisによる「二月某日の疲れをもよおさせる議論」はあたかも同誌の編集会議や勉強会を覗くような印象があって非常に興味深いです。ダニエル・コルソン(Daniel Colson, 1944-)による『アナキズム哲学小辞典――プルードンからドゥルーズまで』(Petit lexique philosophique de l'anarchisme. De Proudhon à Deleuze, Le Livre de Poche / Librairie Générale Française, 2001)から、「外の力能」という項目が全訳されていますが、同辞典はいずれ夜光社さんから全訳が出るとのことです。

★『サラム ひと』は、夜光社さんの新シリーズ「民衆詩叢書」の第一弾。広島大学大学院総合科学研究科の准教授にして文学者の崔真碩(ちぇ・じんそく:1973-)さんが2015年から2016年にかけて各誌で発表してきた詩と散文9篇に加筆修正を施し、3篇の新作とともに一冊としたもの。行友太郎さんによる解説「崔真碩同志の思想」が巻末に付されています。書名にもなっている「サラム ひと」の「サラム」とは「朝鮮語で人の意」(18頁)。崔さんは「私がこの名前に込めているのは、朝鮮人と日本人の共生だ。朝鮮と日本は共に在る、運命共同体。共生のための名前。祈りとしての〈サラム ひと〉」(80頁)と書いています。

★なお、夜光社さんでは今月、『共犯者たち』上映シンポ実行委員会発行の『政治権力VSメディア――映画『共犯者たち』の世界』と、アジア女性資料センター発行の『女たちの21世紀 no.94 特集 生活から問う改憲と天皇制』も発売されるとのことです。どちらの概要も、ツバメ出版流通さんのウェブサイトで公開されているPDFにて確認することができます。

★『子午線:原理・形態・批評6』は、前号より約1年半ぶりの最新号。究極Q太郎さんへのロング・インタヴュー「政治性と主観性/運動することと詩を書くこと」、稲川方人さん、松本圭二さん、森本孝徳さんの三氏による連続討議「現代詩の「墓標」」の第一回となる「60年代詩」、さらに詩人にして校正者の安里미겔(あさと・ミゲル:1969-)さんによる作品三作、大杉重男さんら4氏による批評4篇、藤本哲明さんら3氏による詩3篇などが掲載されています。究極さんと安里さんの二人の磁場が強烈です。書店員の皆さんはご存知かと思いますが、『子午線』はツバメ出版流通さんで扱われています。

★『チビクロ』は航思社さんの「松本圭二セレクション」の最終回配本となる第9巻。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「詩/文学」「詩/映画」「映画/フィルム」の三章立てで、帯文に曰く「大岡信、稲川方人、岡田隆彦、絓秀実、渡部直己、イーストウッド、ヴェンダース、ゴダールを相手に、何をどのように論じたのか。著者30歳から書きつづってきたエッセイ&批評の集大成」と。付属する栞には、山本均「資本主義とオルタナティヴ」、坂口一直「松本圭二の思い出」、そして著者解題が掲載されています。どの巻もそうでしたが、栞の妙味には抗いがたいものがあります。

★柏倉康夫『今宵はなんという夢見る夜』は、詩人の金子光晴(1895-1975)さんと作家の森三千代(1901-1977)さんのそれぞれの作品を読み解くとともに、約4年間の海外放浪を含む、二人が過ごした日々を鮮やかに描いた評伝です。書名は森さんの『インドシナ詩集』所収の作品「星座」からの引用。著者の柏倉さんは「まえがき」でこう書いておられます。「彼ら二人の心のうちで繰り広げられた愛と嫉妬の劇は、金子光晴という希有の詩人の形成を解く鍵でもある」。「〔森の作品を〕合わせ鏡として参照することにより、金子の「自伝」が含む虚構の部分を照らしだすことができる」。

★オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』はまもなく発売。『Weapons of Math Destruction: How Big Data Increases Inequality and Threatens Democracy』(Crown, 2016)の訳書です。数々の海外メディアで年間ベストブックに選ばれており、新井紀子さん(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』)や、ユヴァル・ノア・ハラリさん(『サピエンス全史』)も絶賛されている問題作。版元ウェブサイトで目次と「はじめに」「解説」のPDFが公開されています。「はじめに」で著者は次のように述べています。少し長いですが、重要なので引用してご紹介します。

★「そう、ビックデータ経済の到来である。これにより、目覚ましい経済発展が見込まれた。コンピュータープログラムを使えば、ほんの1、2秒のあいだに数千件もの履歴書やローン申込書を処理し、分類し、有望な順に並べた候補者リストを作成することができる。時間の節約になるだけでなく、公正で客観的な資料としてリストを売ることもできる。偏見をもつ人間が大量の書類に目を通すのではなく、ただの機械が血の通わない数字を淡々と処理するのだから。2010年ごろには、人事部門での数学の存在感はこれまでになく高まり、大きな期待をもって迎え入れられた。/でも、私には弱点が見えていた。数学の力で動くアプリケーションがデータ経済を動かすといっても、そのアプリケーションは、人間の選択のうえに築き上げられている。そして人間は過ちを犯す生き物だ。モデルを作成する際、作り手は、最善の意図を込め、良かれと思って選択を重ねたかもしれない。それでもやはり、作り手の先入観、誤解、バイアス(偏見)はソフトウェアのコードに入り込むものだ。そうやって作られたソフトウェアシステムで、私たちの生活は管理されつつある。神々と同じで、こうした数理モデルは実体が見えにくい。どのような仕組みで動いているのかは、この分野の最高指導者に相当する人々――数学者やコンピューターサイエンティスト――にしかわからない。モデルによって審判が下されれば、たとえそれが誤りであろうと有害であろうと、私たちは抵抗することも抗議することもできない。しかも、そのような審判には、貧しい者や社会で虐げられている者を罰し、豊かな者をより豊かにするような傾向がある。/私は、そのような有害なモデルを「数学破壊兵器(Weapons of Math Destruction:WMD)」と呼ぶことにした」(8~9頁)。

★「本書で論じる数学破壊兵器の多くは〔…〕フィードバックがないまま〔誤りから学習することなく〕有害な分析を続けている。自分勝手に「事実」を規定し、その事実を利用して、自分の出した結果を正当化する。このようなたぐいのモデルは自己永続的であり、きわめて破壊的だ。そして、そのようなモデルが世間にはあふれている」(14~15頁)。「スコアによって現実が作られていくのだ」(15頁)。「AI・ビッグデータには、大勢の熱烈な支持者がいる。だが、私は違う。本書では、世間の流れに逆らい、数学破壊兵器によって生じた損害や数学破壊兵器によって延々と生み出される不正行為に注目し、鋭く切り込んでいく。大学への進学、お金の借り入れ、刑務所行きの判決、職探しや昇進など、人生の重要な瞬間に有害な影響を受けた人々の事例を数多く見ていくことになる。あらゆる生活領域で、独裁的に罰を振りかざす「秘密のモデル」による支配が進みつつあることに、あなたも気づくだろう。/それでは、AI・ビッグデータの暗黒面を覗いてみよう」(24~25頁)。怖いです。


★クリッチリー『哲学者190人の死にかた』は、2009年に河出書房新社さんが刊行した『哲学者たちの死に方』を一部改訂し、改題新装したもの。原書は『The Book of Dead Philosophers』(Granta Books, 2008)すなわち『死せる哲学者たちの書』。ギリシア・ローマの古典時代から、中世、ルネサンス、近世、近代、20世紀に至るまで数多くの哲学者や、中国古典、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そして科学者や文学者を含む思想家を数多く取り上げており、ユニークな列伝となっています。

★平凡社さんの今月新刊より3点。『周作人読書雑記3』は全5巻のうちの第3巻。性・女性、子ども・童話、日本文学、西洋文学、言語、の分類で84篇を収録。童話では『アンデルセン童話集』『ワイルド童話集』『不思議の国のアリス』など、日本文学では小林一茶『おらが春』、中勘助『銀の匙』など、西洋文学では『イソップ寓話』や『クォ・ヴァディス』など。

★中野節子『近世金沢の銀座商人』は近世前期の金沢城下の商人・福久屋(石黒氏)について、90年代に発見された石黒家伝来の覚書や日記といった文書群を読み解き、商売やその成長、奉公人、交友関係、銀座役(銀の秤量・封包〔ふうづつみ〕・両替・為替を監督する町役人)としての立場、藩権力との関係、などを丹念に描出したもの。「藩が権力を維持したのは結局は経済の根幹を握っていた商人たちがいたからであった。〔…〕福久屋はいわばそれら商人の代表であった。しかし、商人たちは藩権力に近寄りすぎるとまま危機を招くことになる。その一つの例を福久屋の事例が物語っているのである」(234頁)。

★八條忠基『有職装束大全』は、奈良・平安時代以降、朝廷や公家社会、武家の儀式などで用いられ、こんにちでも皇室行事や神社の祭式などで着用されている衣装「有職装束(ゆうそくしょうぞく)」の数々を、カラー写真で着用例を紹介し、史料にもとづいて装束の歴史と種類、構成具、色彩と文様を解説したもの。特に、位階に応じた当色(とうじき)や、禁色(きんじき)と忌色(いみじき)、季節に応じた重ね色目(いろめ)や女房装束の襲色目(かさねいろめ)、織色目や文様などの美しい資料は、デザインの参考になり、興味深いです。

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# by urag | 2018-06-17 23:44 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 12日

荒木優太『仮説的偶然文学論』出版記念イベント情報2本

先月発売いたしました、荒木優太『仮説的偶然文学論』の出版記念イベントの情報をまとめます。話をじっくり聞きたい方は吉川さんとのB&Bでの対談を、荒木さんご本人とお話をしたい方は代官山蔦屋での人文カフェをお薦めします。

◎荒木優太×吉川浩満「クリナメンズ作戦会議

日時:2018年7月7日(土)19:00~21:00 (18:30開場)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F)
料金:前売1,500yen + 1 drink order / 当日店頭2,000yen + 1 drink order

内容:古代ギリシャの原子論者は、物体をつくる最小単位の原子(アトム)が雨みたいに上から下へと同じ速度で垂直落下していたはずだ、と考えた。けれども、それじゃ原子は他の原子と出会えずに物体になれない。そこで、エピクロスという人は、落下する原子自体のなかに必然のコースから外れて傾く力、すなわちクリナメンがあるといって古い仮説を修正した。正規ルートから逸脱するからこそ偶然の出会いがある。人生だって同じ。博打上等。レールに乗った将来なんて糞くらえ、盗んだバイクで走り出せ。が、とはいえ、道を踏み外すのは恐ろしい。できればみんな傾奇者クリナメンズになんかなりたくない。魅惑的でありながら恐ろしくもある偶然の傾きを的確にウェルカムするにはどうしたらいいのか?『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』(朝日出版社)にて進化を司る「偶発性」の容赦なさと、それに避けがたくくっついている人間の形而上学的感覚をえぐりだし、Twitterアカウントその名も@clnmnをもつ稀代の論客・吉川浩満さん。そんな吉川さんに、学界の傾奇者こと荒木優太さんが新刊『仮説的偶然文学論』(月曜社)を片手に立ち向かいます! 傾いて偏ってるヤツも傾いて偏ってないヤツも、乞うご期待。

◎第4回代官山人文カフェ:荒木優太「人生を左右しない偶然について考えよう

日時:2018年7月20日(金)19:00~
場所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
問い合わせ先:電話03-3770-2525
料金:コーヒー1杯付イベント参加券(1,000円/税込)をご予約頂いた先着50名様に参加券をお渡しいたします。

内容:「代官山人文カフェ」人文書の様々なテーマについてコーヒーを片手に語り合い、いっしょに考える。話を聴いて新たな視点を得たり、思考を深める。第4回テーマは「人生を左右しない偶然について考えよう」。偶然の出会いや事故によって人生は劇的に変わる...のですが、それ以上に私たちの日常は何気ない偶然の連続でできあがってもいます。今朝の電車が少し遅れたのも偶然、昼間訪れたコンビニのバイトがいつもと違う青年に変わっていたのも偶然、いまあなたがこの文章を読んでいるのもきっと偶然。偶然偶然、偶然ばっかり。それになのに私たちは、ある偶然を「運命だ!」「奇跡だ!」と騒ぎ立てる一方で、そうではない偶然はまるで当たり前のことのように無視してすごします。この区別のメカニズムを、荒木優太さんは最新著『仮説的偶然文学論』のなかで「偶然のフィルタリング」と呼んでいます。そもそも偶然を表象するということはどういうことなのでしょう? ちょっと印象に残ってる偶然エピソードを胸に、ぜひお立ち寄りください。

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# by urag | 2018-06-12 08:41 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 10日

注目新刊:ジェノスコのガタリ論、クリステヴァのボーヴォワール論、ほか

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フェリックス・ガタリ――危機の世紀を予見した思想家』ギャリー・ジェノスコ著、杉村昌昭/松田正貴訳、法政大学出版局、2018年6月、本体3,500円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01080-4
ボーヴォワール』ジュリア・クリステヴァ著、栗脇永翔/中村彩訳、法政大学出版局、2018年5月、本体2,700円、四六判上製286頁、ISBN978-4-588-01079-8
ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』奥野克巳著、亜紀書房、2018年5月、本体1,800円、四六判並製352頁、ISBN978-4-7505-1532-8
ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』レーン・ウィラースレフ著、奥野克巳/近藤祉秋/古川不可知訳、亜紀書房、2018年3月、本体3,200円、四六判上製384頁、ISBN978-4-7505-1541-0

★ジェノスコ『フェリックス・ガタリ』は『Félix Guattari: A Critical Introduction』(Pluto Press, 2009)の全訳。カナダのコミュニケーション理論・文化理論家ジェノスコ(Gary Genosko, 1959-)さんの著書が翻訳されるのは初めてのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。英語圏におけるガタリ(およびドゥルーズ/ガタリ)の研究者としても著名で、本書に遡る7年前には『Félix Guattari: An Aberrant Introduction』(Continuum Press, 2002)という著書も上梓されています。今回訳された著書についてジェノスコさん自身はこう述べています。「本書は批評的入門書であり、それぞれの章においてガタリの人生や思想のおもな特徴を中心に論じながら、彼の主要な政治-社会概念および実践について解説するものである。関係資料を数多く示しつつ、諸概念の解説を試みながら、それがいかに今日的意義を持つかを示す」(25頁)。

★また、ガタリを再読する意義については端的に次のように言明されています。「なぜいまガタリを読まなければならないのか。批判的な受容という文脈からは、次のような二重の理由があげられる。それは、共同で書いた著作のなかでガタリが寄与している部分を黙殺するような傾向を是正するためであり、藁人形論によってガタリの寄与をただ追い払おうとするような意見に与せず、ガタリ自身が書いたテクストを実際に読むためである。/この行き詰った状況を乗り越えることができれば、社会理論や政治理論のなかでいま行われている議論に対してガタリが何を提案しようとしていたのか、さらによく理解できるようになるだろう」(22頁)。

★本書の「結び」における、雑誌編集者としてのガタリの姿の描出は感動的です。「〔ガタリは〕異質混淆的な要素をひとつに集め、それを統一的な全体としてまとめることなく、それぞれまったく性質の異なった部分と部分のあいだに横断的な線を刻みこむ。/雑誌は、選択的でミクロ制度的なものであり、編集作業の動的編成によって生みだされる。それは、自らの計画を集団で実現し、新しい参照世界を創出し、芸術家のようなやり方で情動を生みだし、来たるべき読者や参加者に呼びかけるものである」(252~253頁)。ガタリ再評価の機運をもたらしてくれる実に啓発的な一書です。

★なお、ジェノスコさんは今月来日を果たされ、「カルチュラル・タイフーン2018」の以下のイベントに登壇されます。参加費は学生1,000円/一般3,000円とのことです。カルチュラル・スタディーズ学会およびカルチュラル・タイフーン2018大会委員会主催、龍谷大学国際社会文化研究所共催。

◎メインシンポジウム「情動化する社会の政治・経済・文化――グローバル資本主義に未来はあるか?」
日時:2018年6月23日(土)13時~15時30分
場所:龍谷大学大宮学舎・東黌101
パネリスト:ギャリー・ジェノスコ、ジョディ・ディーン、村澤真保呂、伊藤守
司会:杉村昌昭

◎ワークショップ「資本主義、メディア、ポピュリズム:フェリックス・ガタリ思想の現代性」
日時:2018年6月24日(日)17時15分~18時45分
場所:龍谷大学大宮学舎・東黌303
講演者:ギャリー・ジェノスコ

★クリステヴァ『ボーヴォワール』は『Beauvoir présente』(Fayard, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「人類学的=人間学的革命」で著者ご本人は次のように本書を紹介しています。「本書に収められたテクストは、恒常的に危機に見舞われるグローバル化した世界という文脈のなかで、ボーヴォワールの著作と彼女が女性の闘いに与えた多大な影響にささげられた様々な催しの際に発表されたものである。ここで私が提示するのはこの哲学者の複雑な仕事の網羅的な研究ではないし、また私は実存主義の潮流における彼女に位置づけにこれまで非常に関心をもってきたとはいえ、ここで示すのはその位置づけの評価でもない。〔…〕ここにあるのは、ひとつの基礎的な体験=実験が私の中に呼び起こす個人的な読解や称賛あるいは批判のコメントである。その体験=実験の機微とそこに含まれる現代性は、私たちに呼びかけ私たちを不意にとらえることをまだやめてはいない。/〔本書は〕この作家の書いたものを、(いま一度)読むように誘うものである」(8頁)。

★また、こうも書いています。「シモーヌ・ド・ボーヴォワールというあまりに頻繁に不要に批判されあるいは過小評価されている先駆者に対して私が恩義を表明し、『女の天才』三部作を彼女に捧げているということ」(25頁)。『女の天才』三部作というのは『ハンナ・アーレント』(松葉祥一ほか訳、作品社、2006年)と『メラニー・クライン』(松葉祥一ほか訳、作品社、2012年)、そして未訳のコレット論(2002年)のことです。さらに、2008年に設立された「女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞」に関わったことについては、本書に収められているインタヴュー「ヒトは女に生まれる、しかし私は女になる」でこう答えています。「ボーヴォワールの生誕100周年の際に、フェミニストたちのあいだで意見が一致せず、私が頼まれてパリでの国際シンポジウムを引き受けることになりました。私はそれを記念した後にも何か残るものを作りたいと思ったのです。彼女が促進したこの真の人類学的=人間学的革命が人びとを扇動し続けるために。特に、人間=男性〔homme〕における主体に対して無関心であり、また女性における主体に対してはさらに無関心であると思われる他の文化において、それを続けるためです」(136頁)。

★そしてその直前には「『第二の性』は刊行から60年が経ち、もう時代遅れであると考える女性もいます」という質問に対し、「彼女たちは誤っています。『第二の性』を読んでいないのです。まずは読まねばなりません。そして次に各人が自分の体験を探らねばなりません」(同)と答えています。ボーヴォワール『第二の性』(〈1〉「事実と神話」、〈2〉「体験」上下巻)は新潮文庫で訳書が出ていますが、残念ながら現在品切。再刊が待たれていると思われます。

★奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』は、ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」に密着し、そこでの見聞から考えたことを綴ったもの。マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成るボルネオ島のうち、著者が訪れたのはマレーシアのサラワク州のブラガ川上流の居住地で、2006年から2017年までに通算600日を過ごしたそうです。帯文には探検家の関野吉晴さんの推薦文が記されています。曰く「この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った」と。すでに本書は様々な反響を呼び起こしているようで、おそらくは2018年上半期を代表する話題書のひとつに数え挙げられるのではないかと思われます。

★たとえばこんな一節があります。「プナン語には、「貸す/借りる」という言葉がそもそもなかった〔…〕。プナンは肉であれ果物であれ帽子であれ時計であれ、何かものを欲する時には「ちょうだい」という言い回しを用いる。その時、そのものは、それを持たない相手に対して、惜しみなく分け与えられなければならない。寛大さはプナンにとって最大の美徳である」(191頁)。「そのようにして、ものは共同体内でぐるぐると循環し、場合によっては共同体の外部に流れていく。〔…〕プナンは、独占しようとする欲望を集合的に認めない。分け与えられたものは独り占めするのではなく、周囲にも分配するように方向づける。そうしたやり方が、プナンの共同体の中に広く浸透している。このような贈与交換の仕組みを、プナンはみなでつくり上げている。個人で独占所有するのではなく、みなで所有するという考え方とやり方こそが、プナンの共同体の中で取られなければならない個人の態度なのである」(192頁)。

★「共同体の中で最もみすぼらしいなりをした男こそが、そのグループのアド・ホックな(一時的な)リーダーなのである。なぜなら、彼は自らに贈与された財やお金を次から次へと周囲の人物に分け与えるため、自らは何も持たなくなってしまうからである。彼が人々から尊敬の的とされるのは、自らが贈与交換の通過点となり、ほとんど何も持たないからである。彼は、贈与されたものを、惜しみなく周囲にいる人々に与える。そして、尊敬を集めることによって、財やお金がますます彼のことに集まってくる。すると、彼は以前にもまして、ますます周囲に分け与えるのである。/プナン社会では、財やお金を蓄積し、私腹を肥やしたり、それらを自らのためだけに用立てたりしようとしない精神こそが尊ばれる。逆に言えば、財を独り占めしようとする精神性は蔑まれ、疎んじられる」(194~195頁)。「プナンはみな誰かの奴隷になることを嫌っている。アナキストのように」(195頁)。

★本書の土台となったのは、亜紀書房のウェブマガジン「あき地」の連載「熱帯のニーチェ」(2016年5月~2017年8月)で、全16回の記事を14章に圧縮し、書き下ろしの2章を加えて改稿したそうです。ニーチェと何が関係しているのかは本書の「おわりに――熱帯のニーチェたち」に記されています。なお、本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。

◎奥野克巳×宮台真司 対談「人間を超えて、社会学を超えて

日時:2018年07月12日(木) 19:00~21:00
会場:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
定員:70名
問い合わせ:電話03-3770-2525

内容:森の中で暮らしを立てる狩猟採集民とまじわって、「人間を超えた人類学」を模索する奥野さん。かたや、宮台さんは「社会学の終わり」を構想されています。閉塞感たれ込める今の社会に風穴をあけるには、どうすればいいのか。多自然主義やパースペクティヴィズムをめぐって、興味深い話が展開されること必至です。終了後はお二人のサイン会も行います。奮ってご参加ください。

★なお、奥野さんは同じく亜紀書房から3月に、国立デンマーク博物館館長で人類学者のレーン・ウィラースレフ(Rane Willerslev, 1971-)さんの2007年の著書『ソウル・ハンターズ』の共訳書を上梓されています。訳者解説では本書に対する評価を次のようにまとめておられます。

★「本書は、2000年代になって、ヴィヴェイロス・デ・カストロやフィリップ・デスコーラらによってはじめられた、いわゆる人類学の「存在論的転回」における重要著作のひとつに位置づけられる。存在論的転回とは、文化的存在としての人間を取り上げて、異文化の中にその多様なあり方を探ってきた文化相対主義/多文化主義を突破して、人間を取り巻く存在を人間同様の存在者と捉える(非西洋の人々の)「存在」をめぐる思考と実践を人類学の主題として切り拓いてきた知の運動である。ウィラースレフは「パースペクティヴィズム」という、ヴィヴェイロス・デ・カストロによって提唱された課題に挑み、それを抽象的な次元ではなく、自らも狩猟者として参与した経験と具体的な民族誌事例を用いながら、狩猟活動における獲物との実践的な関わりの中で、より精緻なものとして鍛え上げていった」(359頁)。このほかにも2点の評価が説明されていますが、どちらも人文書における書棚づくりのヒントになるはずです。

★奥野さんの著書の巻末広告には、近刊として共訳書が2点予告されています。モーテン・アクセル・ペデルセン『シャーマンくずれ――モンゴル北部の霊的世界と政治』と、ティム・インゴルド『なぜいま人類学か』です。非常に楽しみですね。

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★ちくま学芸文庫の6月8日発売の新刊は6点。

20世紀の歴史――両極端の時代(上)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,700円、576頁、ISBN978-4-480-09866-5
古代ローマ旅行ガイド――一日5デナリで行く』フィリップ・マティザック著、安原和見訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09871-9
ナショナリズムとは何か』アントニー・D・スミス著、庄司信訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09873-3
バルトーク音楽論選』ベーラ・バルトーク著、伊東信宏/太田峰夫訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09839-9
フランシス・ベイコン・インタヴュー』デイヴィッド・シルヴェスター著、小林等訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、320頁、ISBN978-4-480-09854-2
博徒の幕末維新』高橋敏著、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,000円、256頁、ISBN978-4-480-09874-0

★ホブズボーム『20世紀の歴史――両極端の時代(上)』は、『The Age of Extremes』(Michael Joseph/Vintage Books, 1994)の新訳です。上巻には「序文と謝辞」、「20世紀を俯瞰する」、第Ⅰ部「破滅の時代」第1~7章と第Ⅱ部「黄金時代」第8~9章を収録。下巻は来月9日に発売予定です。同書は『20世紀の歴史――極端な時代』上下巻として、河合秀和さんによる訳書が三省堂から1996年に刊行されていましたが現在絶版。「自身の生涯と重ねながら著した20世紀史の傑作」(文庫版カヴァー紹介文より)であるだけに文庫で新訳が読めるようになるのは実に素晴らしいことです。なお、本書の類書でみすず書房さんより1981~1982年に刊行された『資本の時代 1848-1875』全2巻の新装版が同版元より7月9日に発売予定であるとのことです。

★マティザック『古代ローマ旅行ガイド』は『Ancient Rome on 5 Denarii a Day』(Thames & Hudson, 2007)の訳書。西暦200年頃(2000年ではありません)のローマをめぐる旅行ガイドで、交通から宿泊、食事、買物、観光名所まで、図版を多数掲載しつつ丁寧に紹介してくれます。巻末の「役に立つラテン語会話」では、ラテン語原文、訳文、カタカナによるラテン語文の音写がテーマごとに(酒場で、デートで、市場で、等々)収められていて、洒落が効いています。帯文に「驚愕のタイム・トラベル!」とあるようにこの一冊で空想旅行を堪能できる、親しみやすい歴史書となっています。

★スミス『ナショナリズムとは何か』は『Nationalism: Theory, Ideology, History』(Polity Press, 2001, 2nd edition, 2010)の全訳。概念、イデオロギー、パラダイム、理論、歴史、将来展望の全6章。序論で著者自身が述べている通り本書は「ナショナリズムの問題に馴染みの薄い読者や学生のみなさんに、ナショナリズムという概念についての入門書を提供する」もの。巻末には参考文献だけでなく、章ごとに纏められた読書案内も付されています。アントニー・D・スミス(Anthony David Stephen Smith, 1939-2016)はイギリスの歴史社会学者で、ナショナリズム研究の第一人者として著名。既訳書には『20世紀のナショナリズム』(巣山靖司監訳、法律文化社、1995年)、『ナショナリズムの生命力』(高柳先男訳、晶文社、1998年)、『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』(巣山靖司ほか訳、名古屋大学出版会、1999年)、『選ばれた民――ナショナル・アイデンティティ、宗教、歴史』(一条都子訳、青木書店、2007年)があります。

★ちなみに今月のちくま新書の新刊では、原田実さんによる『オカルト化する日本の教育――江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』という本が発売されているので、併読するのもいいかもしれません。

★『バルトーク音楽論選』は訳者解題に曰く「バルトークが書いたさまざまな文章を集め、代表的なものを訳出したもの」で、文庫オリジナル編集により、15篇を収録。類書には岩城肇編訳『バルトークの世界:自伝・民俗音楽・現代音楽論』(講談社、1976年)とその改題改訂版『バルトーク音楽論集』御茶の水書房、1988年)があり、これらはハンガリー語で1967年に出版された論集を底本としているとのことですが、今回の新たな選集ではバルトーク自身が書いた原文が独仏英などの言語である場合はそれぞれの言語から翻訳したとのことです。

★シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』は、『肉への慈悲――フランシス・ベイコン・インタヴュー』(筑摩書房、1996年)の改訳改題文庫化です。ベイコンの絵画を多数掲載。再刊にあたり、「文庫版訳者あとがき」と、保坂健二朗さんによる解説が新たに付されています。インタヴュワーのデイヴィッド・シルヴェスター(David Sylvester, 1924-2001)はイギリス出身の美術評論家でありキュレーター。彼はベイコンの死後に『回想フランシス・ベイコン』(五十嵐賢一訳、書肆半日閑発行、三元社発売、2010年)という著書を上梓しています。今月22日にはみすず書房から著書『ジャコメッティ 彫刻と絵画』(武田昭彦訳)が発売予定となっています。

★高橋敏『博徒の幕末維新』は2004年にちくま新書として刊行されたものの文庫化。文庫化にあたり最小限の補正が加えられ、巻末に文庫版あとがきと鹿島茂さんによる解説「アウトローから見た全く別の歴史」が新たに収められています。「正史の檜舞台から抹殺排除されたアウトローの稗史の明治維新に光があてられても良いのではないのか。本書がその一助となればと思う」と文庫版あとがきで高橋さんはお書きになっておられます。鹿島さんは本書を「次郎長の最大のライバルだった黒駒勝蔵を最終的な射程におさめながら、竹居安五郎、勢力富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治らの「活躍」を歴史学のふるいにかけようとする試み」と紹介しておられます。

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★このほかここしばらくの新刊では以下の書目に注目しました。

ジークムント・フロイト伝――同時代のフロイト、現代のフロイト』エリザベト・ルディネスコ著、藤野邦夫訳、講談社、2018年5月、本体6,800円、A5判上製600頁、ISBN978-4-06-219988-9
ロラン・バルトによるロラン・バルト』ロラン・バルト著、石川美子訳、みすず書房、2018年5月、本体4,800円、四六判上製344頁、ISBN978-4-622-08691-8
絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ――文豪の名言対決』頭木弘樹編、草思社文庫、2018年6月、本体800円、304頁、ISBN978-4-7942-2336-4

★ルディネスコ『ジークムント・フロイト伝』は、同著者による『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、2001年)をお訳しになった藤野邦夫(ふじの・くにお:1935-)さんによる労作で、『Sigmund Freud en son temps et dans le nôtre』(Seuil, 2014;『同時代と現代のジークムント・フロイト』)の全訳です。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「フロイトは無意識のなかで発見したことが、現実に人間たちにおこることをつねに先どりすると考えた。わたしはこの命題を逆転させ、フロイトが発見したと考えたことは、じっさいにはある社会、ある家庭環境、ある政治的状況の結果にほかならなかったことを示す方を選んだ」(10~11頁)。帯文には「(フロイトの生涯の)脱神話化を実現した」と謳われています。品切のラカン伝はそろそろどこかで文庫化されてほしいところです。


★『ロラン・バルトによるロラン・バルト』は『Roland Barthes』(Seuil, 1975)の新訳。初訳は佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルト』(みすず書房、1978年)で、断章と写真による自伝的作品として有名です。こんな言葉があります。「美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をするこをとやめられなかった」(256頁、「悪しき政治的主体」より)。彼というのはもちろん彼自身、バルトのことです。「こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである」(258頁、同)。本書に対するバルト自身による書評「バルトの三乗」は『ロラン・バルト著作集(9)ロマネスクの誘惑』(みすず書房、2006年)で読むことができます。

★『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』は、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を改題し大幅に加筆改訂したもの。互いを意識して書いたのかと思うくらい、対比が鮮やかな二人の文豪の名言の数々は、どちらかが間違っているというものではなく、同じような意見を言っていたり、希望と絶望が立場を逆転させたりすることもあります。15の対話の主題と各57編の言葉という構成は親本と変わりません。それぞれの言葉に頭木さんによるコメントが付されていて、見開きで名言とコメントを読み切れるようになっています。巻末の引用・参考文献も丁寧で、書店さんでのコーナーづくりにも応用できそうです。

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# by urag | 2018-06-10 23:28 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 07日

6月末刊行予定:岡田温司『アガンベンの身振り』、シリーズ〈哲学への扉〉第2弾

2018年6月27日取次搬入予定26日取次搬入 *人文/哲学思想

アガンベンの身振り
岡田温司著
月曜社 2018年6月 本体:1,500円 B6変型判[180mm×114mm×12mm]並製176頁 ISBN 978-4-86503-058-7

アマゾン・ジャパンにて予約受付中

国境を越えて活躍するイタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンとは何者か。20年にわたる〈ホモ・サケル〉計画が完結し――正確に言えば〈放棄〉され――、近年には初の自伝『書斎の自画像』が出版された。これらを機に、〈ホモ・サケル〉全4巻9分冊とはいったい何だったのかをあらためて振り返り、その他の著作も再読することによって、自伝におけるアガンベンの告白「わたしはエピゴーネンである」の真意を探るとともに、ドイツの哲学者(ハイデガー、ベンヤミン)やフランスの哲学者(フーコー、ドゥルーズ、デリダ)たちとの、屈折した特異な関係にも迫る。新シリーズ〈哲学への扉〉第2弾!

目次:
「ホモ・サケル」計画とは何か?
アガンベンはハイデガーをどのように読んでいるのか?
 はじめに
 1.「現存在」と「声」
 2.「芸術作品の根源」と「リズム」
 3.「存在の考古学」あるいは「様態論的存在論」
 4.人間/動物の彼岸へ――「無為」と「放下」
アガンベンの身振り――ハイデガーとベンヤミンのあいだで
 インファンティアと「言語活動の経験/実験」
 言語と政治の閾で――1980年代のアガンベン
 言語、暴力、共同体――ベンヤミンとハイデガーの出会いとすれ違い
 「~でないもののように(ホース・メー)」と「今の時Jetzt-Zeit」
 人類学機械とその停止
アガンベンとフランス現代思想
 はじめに
 「グラマトロジー」批判
 「決定不可能性」をめぐって
 「潜勢力」と「内在性」
 「生政治」と「生権力」
 「統治性」と「オイコノミア」
 おわりに
「人間とは映画を見に行く動物のことである」――アガンベンと映画
跋文
アガンベンの著作

岡田温司(おかだ・あつし:1954-)京都大学大学院教授。専門は西洋美術史。近年の著書に『アガンベン読解』(平凡社、2011年)、『イタリアン・セオリー』(中公叢書、2014年)、『イメージの根源へ――思考のイメージ論的転回』(人文書院、2014年)、『映画は絵画のように――静止・運動・時間』(岩波書店、2015年)、『天使とは何か――キューピッド、キリスト、悪魔』(中公新書、2016年)、『映画とキリスト』(みすず書房、2017年)など。

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# by urag | 2018-06-07 09:59 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 06日

保管:2017年3月~6月の既刊情報

◎2017年6月2日発売:荒木経惟『私情写真論』本体1,500円
◎2017年5月30日発売:ソシュール『伝説・神話研究』本体3,400円、シリーズ・古典転生第15回配本。
 千野帽子氏書評「伝承に象徴の意図は存在しない――ストーリーの大筋から逸脱した無意味そうな細部に〈歴史的事実〉の痕跡を見ようとする」(「図書新聞」2017年12月02日号)
◎2017年5月15日発売:金澤忠信『ソシュールの政治的言説』本体3,000円、シリーズ・古典転生第14回配本。
 加賀野井秀一氏書評「〈一般言語学〉から遠く離れて」(「フランス」2017年9月号)
◎2017年5月12日発売:『鉄砲百合の射程距離』内田美紗[句]、森山大道[写真]、大竹昭子[編]、本体2,500円
◎2017年4月17日発売:『表象11:ポスト精神分析的主体の表象』本体2,000円。
◎2017年3月30日発売:上野俊哉『[増補新版]アーバン・トライバル・スタディーズ』本体3,000円。


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# by urag | 2018-06-06 23:57 | 人文書既刊 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 06日

ブックツリー「哲学読書室」に、市田良彦さん、森茂起さん、荒木優太さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の3本が新たに追加されました。


フランソワ・マトゥロン『もはや書けなかった男』(航思社、2018年4月)の訳者、市田良彦さんによるコメント付き選書リスト「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」。

『フェレンツィの時代――精神分析を駆け抜けた生涯』(人文書院、2018年4月)の著者、森茂起さんによるコメント付き選書リスト「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」。

『仮説的偶然文学論』(月曜社、2018年5月)の著者、荒木優太さんによるコメント付き選書リスト「「偶然」にかけられた魔術を解く 」。

以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室

1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く

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# by urag | 2018-06-06 19:25 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 03日

注目新刊:『ゲンロン8』『未明02』『窮理 第9号』ほか


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ゲンロン8 特集:ゲームの時代』ゲンロン、2018年5月、本体2,400円、A5判並製342頁、ISBN978-4-907188-25-2
未明 02』未明編集室編、イニュイック発行、2018年5月、本体2,700円、A5判変型上製500頁、ISBN978-4-9909902-1-3
窮理 第9号』窮理舎、2018年3月、本体650円、A5判並製64頁、ISBN 978-4-908941-06-1
文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』筒井康隆著、河出書房新社、2018年5月、本体1,200円、46変形判上製140頁、ISBN978-4-309-24865-3
東方教会の精髄 人間の神化論攷――聖なるヘシュカストたちのための弁護』G・パラマス著、大森正樹訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年5月、本体6,200円、新書判上製576頁、ISBN978-4-86285-275-5
数と易の中国思想史――術数学とは何か』川原秀城著、勉誠出版、2018年5月、本体7,000円、A5判上製256頁、ISBN978-4-585-21045-0
平等主義基本論文集』ジョン・ロールズ/リチャード・アーネソン/エリザベス・アンダーソン/デレク・パーフィット/ロジャー・クリスプ著、広瀬巌編・監訳、勁草書房、2018年5月、本体3,200円、四六判上製260頁、ISBN978-4-326-15453-1
依存的な理性的動物――ヒトにはなぜ徳が必要か』アラスデア・マッキンタイア著、 高島 和哉訳、法政大学出版局、2018年5月、本体3,300円、四六判上製288頁、ISBN978-4-588-01076-7
アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』ロジェ・カイヨワ著、金井裕訳、法政大学出版局、2018年4月、本体3,400円、四六判上製234頁、ISBN978-4-588-01078-1

★『ゲンロン8 特集:ゲームの時代』は書店での一般発売開始が6月7日(木)からの予定。版元ウェブサイトでの紹介文によれば、「ゲームという新しい技術あるいはメディアは、いかに21世紀を生きるわたしたちの生と認識を規定しているのか。 その連関を探る、ゲンロン史上最大の大型特集!」と。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。東浩紀さんによる巻頭言「二一世紀の『侍女たち』を探して」には次のように書かれています。

★「フーコーが行なったのは〔…〕ベラスケスが『侍女たち』に潜ませたある仕掛けが、画家本人も意識しないままに同時代人の世界観や学問観を反映してしまう、その連動を明らかにすることでヨーロッパの思想史全体に対して新しい視点をもちこむという試みだった。〔…〕このようにしてはじめてフーコーは、芸術と政治を、同じ表象史の表裏として統合する枠組みを手に入れることができたのである。そこでは作品の分析は矛盾なく歴史につながり、テクストの解釈は矛盾なくメディアの研究につながり、批評は矛盾なく社会学につながることになる。/ぼくは20年前、表象文化論からこのような理想を受け取った。その理想はいまもぼくのなかに生きている。/だからぼくは、いつも第二の『侍女たち』を探している。作品を分析することが、そのまま時代を分析することに、とりわけ同時代人の思想や世界観を分析することにつながる特異点を探している」(9頁)。

★「ぼくは批評家や哲学者を名乗ることが多いが〔…〕けっして純粋な批評家や哲学者ではない。あくまでも、表象文化論出身の批評家であり、哲学者である。/ぼくは繰り返し、その原点に立ち戻っている。〔…〕ぼくは哲学と社会学のあいだで引き裂かれている。だからぼくはときおり両者をつなごうと試みている。そしてそのときは必ず表象の問題に取り組んでいる」(10頁)。「ぼくはまだ、ぼくたちの時代の新しい政治と新しい実存をともに可能にするはずの新しいエピステーメーについて、説得力のある議論を提案できていない。/だからぼくは、今号でゲームについて考えることにした。ゲームの分析を通じて、もういちど新しいエピステーメーの分析に挑戦することにした。政治のゲーム化と実存のゲーム化をともに引き起こしている、ぼくたちの時代の新しい記号の条件について考えることにした。〔…〕そのアプローチは、哲学のものでも社会学のものでもない。表象文化論のものである。/けれどその学問の方法はいまだ確立していない。だから理解されない。〔…〕しかし、だからこそ、今号の野望は、いままでの号のなかでもっとも大きく深い」(10~11頁)。

★なおゲンロンさんでは7月以降に単行本シリーズ「ゲンロン叢書」の刊行を開始するとのことです。第1弾は第8号に広告が出ており、いわき市のアクティヴィスト小松理虔(こまつ・りけん:1979-)さんの『新復興論』になるそうです。『ゲンロンβ』での好評連載に大幅加筆を施したもの。広告では同シリーズについて「ゲンロンが送り出す、いまもっともアクチュアルでもっとも反時代的な新時代の人文書シリーズ」と紹介されており、何人かの著者の名前が挙がっています。これは楽しみです。また9月刊行予定の「ゲンロン」誌第9号は第1期最終号として「第1期のあらゆる伏線を回収し、第2紀の飛躍を準備する人文知の本当の再起動」と次号予告に謳われています。

★「ポエジィとアートを連絡する叢書」を謳う『未明』は2017年3月に創刊。先月発売となった02号は、01号にも増して、美しい造本に美しいレイアウト、美しい装画や写真の数々に美しい言葉たちが心地よい、買って損はない一冊。とにかく現物の中身を実見することを強くお薦めします。その意味ではリアル書店にとって実にありがたい存在だと思います。一方、『窮理』は「物理系の科学者が中心になって書いた随筆や評論、歴史譚などを集めた、読み物を主とした雑誌」で2015年7月に創刊。スリムな飾らないたたずまいが手に取りやすい、良質な科学読物です。最新号は今年3月に発売された第9号。電子版もありますが、紙媒体は部数限定のため、取扱書店でぜひご覧になって下さい。

★『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』は奥付前の特記によれば、1990年5月14日に池袋西武スタジオ200において行なわれた筒井さんの講演「誰にもわかるハイデガー」を録音した「新潮カセット」(1990年10月刊)の内容をもとにして書籍として再構成したもの。第一講が「なぜハイデガーか」「「現存在」ってどんな存在?」「実存とは人間の可能性のこと」の全三節で、第二講は「死を忘れるための空談(おしゃべり)」「「時間」とは何か?」「現代に生きるハイデガー」の全三節。解説として、大澤真幸さんによる「「誰にもわかるハイデガー」への、わかる人にだけわかる補遺」が付されています。

★この講義のそもそものきっかけであるメタフィクション『文学部唯野教授』(1990年、岩波書店;2000年、岩波現代文庫)は、講義スタイルで印象批評からポスト構造主義までの文学理論を軽妙かつ簡潔に解説しつつ、一方で大学の学内政治と人間模様をユーモアと皮肉たっぷりに描いた問題作で、岩波現代文庫は昨年末で23刷を数えるロングセラーとなっています。その後、『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文藝春秋、1990年;文春文庫、1993年、品切)や、『文学部唯野教授の女性問答』(中央公論社、1992年;中公文庫、1997年、品切)などのスピンオフを生み出したことは周知の通りです。

★『誰にもわかるハイデガー』は筒井さんのパートはかれこれ30年近く前になる講演にもかかわらず、帯文にある通りハイデガーの主著『存在と時間』の「超入門」となっており、その平易さたるや大澤さんをして「これ以上わかりやすく解説することは不可能だ」(95頁)と書かしめています。確かに、大げさな表現になることを承知のうえで言うなら、今なお空前絶後ではあります。作家のセンスをもってすれば、ここまでできるのだと感動するばかりです。『文学部唯野教授のサブ・テキスト』に収録されている大橋洋一さんとの対談で筒井さんはこんなことを発言されていました。「結局、現存在というのは人間のことだし、どんどんやさしく書いていって、終いには童話にしてしまって、たとえば「ハイデガー坊や」なんてタイトルで、「人間はなぜ死ぬのだろう。人間は自分が死ぬことを知っていながら生きているんだなあ」とか、もちろんその調子で書いていったら、膨大なものになってしまうけど、できないことではないと思ったんですね。/これは面白いなと思って、小説を書いた後なんですけれども、小説〔『文学部唯野教授』第五講「解釈学」〕よりももう少しやさしくして、もう少し詳しく、講演でやっているんですよ。〔…〕これは面白いですよ」(82~83頁)。

★ちなみに筒井さん自身は講義の最後でこう発言されています。「しかしながら今日、私がこれをお話ししたことでけっして、何度も申しますけれども、マスターしたとは思われないで、このもとの本をもう一度読んでいただきたい。そしてハイデガーをもっと深く理解していただきたいと思います」(92頁)。近年の『存在と時間』新訳ブームよりはるか昔に発表された講義録が今なお新鮮なのは、ハイデガー哲学が古びないことの証左でもあります。創文社版『ハイデガー全集』は同社が2年後に解散することによって未完結のまま途絶する危機に見舞われていますが、翻訳自体は今後も続いてほしいです。

★『東方教会の精髄 人間の神化論攷』は「知泉学術叢書」の第2弾。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)後期におけるテサロニケの大主教グレゴリオス・パラマス(c.1296-1359)の主著『聖なるヘシュカストたちのための弁護』三部作の全訳です。解説に曰く「パラマスが弁護した「ヘシュカスム」とは、祈りの実践体系ともいうべきもので、一種の霊的運動でもある。〔…〕一心に祈りの中に深く入り込んで、雑念を払って神にのみ心・注意を向けるので、静寂(ヘーシュキア)を重要視するところから、ヘシュカスムという名称がつくことになったとされる」(491~492頁)。西方イタリア出身のバルラアムがこのヘシュカスムを異端視し告訴したことに対する反論が本書の内容です。「看過されてきた東方教会の霊性や神学や哲学的思想の精髄や伝統ともいうべきもの、またそのような領域にかかわる西方的理解と東方的理解の相克の場に出合う」ことにより、読者は「これまで閉ざされてきた世界の開陳に遭遇することになるだろう」と訳者は説明しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★川原秀城『数と易の中国思想史』は、中国の数術である暦算(主に天文学や数学)や占術などの術数学の研究書。巻頭の「前言」に曰く特に注力したのは、「暦算や占術の個々の技法・理論を逐一分析し、暦算と占術の不可分な関係を包括的に論じながら」、邵雍『皇極経世書』など、『四庫全書総目提要』の術数類数学属に注目して重点的に分析したこと、とあります。カヴァー紹介文に曰く「「数」により世界を理解する術数学の諸相を総体的に捉えることで、中国思想史の基底をなす学問の体系を明らかにする」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★『平等主義基本論文集』は、『平等主義の哲学――ロールズから健康の分配まで』(齊藤拓訳、勁草書房、2016年8月)の著者である、カナダ・マギル大学准教授・広瀬巌(ひろせ・いわお:1970-)さんの編・監訳によるアンソロジー集。分配的正義に関する最重要論文を一冊にまとめたもの。格差原理(difference principle;ロールズ)、運平等主義(luck egalitarianism;アーネソン)、民主的平等(democratic equality;アンダーソン)、優先主義(prioritarianism;パーフィット)、十分主義(sufficientarianism;クリスプ)といった「平等」を議論する上で代表的な論文を収録、と。この5つの主張は廣瀬さんの『平等主義の哲学』で概説されていたものです。

★収録先は以下の通り。ジョン・ロールズ「アレクサンダーとマスグレイヴへの返答」(原著1974年;石田京子訳)、リチャード・アーネソン「平等と厚生機会の平等」(原著1989年;米村幸太郎訳)、エリザベス・アンダーソン「平等の要点とは何か(抄訳)」(原著1999年;森悠一郎訳)、デレク・パーフィット「平等か優先か」(原著2000年;堀田義太郎訳)、ロジャー・クリスプ「平等・優先性・同情」(原著2003年;保田幸子訳)。編者あとがきによれば、これらに以下の2篇の併読が進められています。ロナルド・ドゥウォーキン「資源の平等」(『平等とは何か』第2章、木鐸社、2002年)、トマス・ネーゲル「平等」(『コウモリであるとはどのようなことか』第8章、勁草書房、1989年)。

★『依存的な理性的動物』は、『美徳なき時代』(篠崎榮訳、みすず書房、1993年)以来となる、アメリカの哲学者マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-)の著書の、久しぶりの訳書。原書は『Dependent Rational Animals: Why Human Beings Need the Virtues』(Open Court, 1999)です。序文によれば本書は「1997年にアメリカ哲学協会の太平洋部門会議において3回にわたっておこなわれたケーラス講座の内容に加筆修正を施したもの」で、二つの主要な問いをめぐる思索が綴られています。それらの問いとは、「ヒトとヒト以外の知的な動物の種のメンバーが共通に備えている特徴に注意を払い、それらを理解することは私たちにとってなぜ重要なことなのか」。そして「人間の傷つきやすさ〔ヴァルネラビリティ〕と障碍〔ディサビリティ:能力の阻害〕に注目することは、道徳哲学者たちにとってなぜ重要なのか」というものです。「本書は、『美徳なき時代』や『誰の正義? どの合理性?』〔1988年〕や『道徳的探究の競合する三形態』〔1990年〕における私の初期の探究のいくつかの継続であるばかりでなく、それらの修正でもある」(iv頁)。目次詳細は書名のリンク先をご参照ください。

★訳者解説では著者の主張を次のように端的にまとめています。「私たちヒトが幸福な人生を送るうえで、自立した合理的行為者であることが重要な意義をもつとはいえ、そのような存在へと私たちが成長するうえで、またそういう存在であり続けるうえで、私たちは根源的かつ持続的なしかたで特定の他者たちに依存せざるをえない(つまり、彼らからさまざまな施しを受ける必要がある)。それゆえ、そのような特定の他者たちとの間の互酬的な関係性のネットワークとしてのコミュニティへの参加が、私たちには不可欠であり、翻って、そのようなコミュニティの維持と繁栄のためには、私たち一人ひとりが、自立した合理的行為者としての諸徳と、他者への依存の承認にかかわる諸徳の双方を身につけ発揮することが求められる。また、同じコミュニティのメンバーは――深刻な障碍を抱えているために合理的行為者として自立できないメンバーも含めて――お互いがお互いにとって、彼らの共通善と彼や彼女の個人的な善の双方について大事なことを伝えあい教えあう潜在的な可能性を有する存在であって、そのような存在としてつねに敬意をもって遇される必要がある」(250頁)。

★そして本書を次のように評価されています。「〈どのような思想や哲学にもとづき、どのようなコミュニティを創造すべきか〉という問題〔…〕本書は、この問題をさらに深く掘り下げて考えようとするすべての人々に有益な示唆を与えてくれるであろう」(253頁)。

★カイヨワ『アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』は、金井裕さんによる訳書『旅路の果てに――アルペイオスの流れ』(法政大学出版局、1982年)の、カイヨワ没後40年記念改訳版。原書は『Le Fleuve Alphée』(Gallimard, 1978)です。 カイヨワの思想的自伝(訳者あとがき)であり、プルースト賞やヴェイヨン財団のヨーロッパ・エッセイ賞を受賞しています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。第Ⅰ部第七章「石についての要約」では、ラブラドル長石とモルフォ蝶の翅の偏光による青色に、カイヨワの言う「対角線の科学」の一例を見たくだりが書かれていて、その何たるかが端的に表現されています。「私の考えでは、対角線の科学は、類似してはいるが自然のなかに分散していて、当該の個々の学問からは無視されている現象を組織的に照合することで成り立つはずであった。事実、こういう現象は個々ばらばらに取り上げられれば、学問の内部でわずかな関心しかよばない珍奇なものにすぎない」。「偏光色の現象は私に擬態と仮面に関する〈斜めの〉研究を推し進め、さらに後年には、反対称に関する調査を始めるように促したのである」(136~137頁)。カイヨワ再読・再発見のきっかけとするにふさわしい一冊です。

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# by urag | 2018-06-03 21:32 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2018年 05月 31日

注目新刊:土田知則『ポール・ド・マンの戦争』は若きド・マンによる記事12篇を併録

★ポール・ド・マンさん(著書:『盲目と洞察』)
ベルギー時代のド・マンの反ユダヤ的言説をめぐって考察された土田知則さんの最新著『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社、2018年5月、本体1,800円、四六判並製228頁、ISBN978-4-7791-7103-1)において、ドイツ占領下時代のベルギーで執筆されたド・マン自身の新聞記事12篇が訳出されています。

「現代文学におけるユダヤ人」1941年3月4日「ル・ソワール」紙
「シャルル・ペギー」1941年5月6日「ル・ソワール」紙
「批評の現代性について」1941年12月2日「ル・ソワール」紙
「ドイツ現代文学への手引」1942年3月2日「ル・ソワール」紙
「フランス文学の現代的諸傾向」1942年5月17-18日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「ヨーロッパという概念の内実」1942年5月31日-6月1日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「批評と文学史」1942年6月7-8日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「フランス詩の現代的諸傾向」1942年7月6-7日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「文学と社会学」1942年9月27-28日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「戦争をどう考えるか?」1939年1月4日「ジュディ」紙
「イギリスの現代小説」1940年1月「カイエ・デュ・リーブル・エグザマン」誌
「出版社の仕事」1942年10月「ビブリオグラフィ・ドゥシェンヌ」誌

最後の「出版社の仕事〔Le métier d'éditeur〕」について、土田さんは「編集者ド・マンの姿を生き生きと彷彿させる興味深い一篇である。ド・マンは十代の頃から編集者として豊富な経験を積んでいる。つまり、この道ではプロ中のプロなのだ」と紹介しておられます。ド・マンは出版社の仕事の「おそらく最も重要な部分」として「探索=発掘」だと述べ(186頁)、次のように表明しています。「こうした仕事に当たるには、有り余るほどの見識や機転や批判=批評精神が、そしてまたしても、豊富な直感が要求されるのです」(186~187頁)。

さらにはこう結んでいます。「つまり、出版社・出版者は一種の仲介役に見えますが、真摯な創造的使命を担っています。該博な知識は言うに及ばず、天賦の才能を自然に備えていなければなりません。決して型通りの行動に身を委ねることはできないでしょう。一つ一つの新作、企画された一つ一つの叢書には独創的なアイデアが要求されます。出版に携わる者は刷新・考案・創造の人生を送らなければならないのです。出版社・出版者の仕事が極めて困難である――招かれる者〔競争者〕は多いが、選ばれる者〔成功者〕は少ない〔マタイ福音書22・14〕――のはこうした事情によります。ですが、その可能性やすばらしさをすっかり理解している人にとって、この仕事は抗し難いほど魅力的でもあるのです」(187頁)。当時ド・マンは数え年で23歳。だいぶハードルの高いことを仰っておられますが、あるべき姿としては否定できません。

なお本書は彩流社さんのシリーズ「フィギュール彩」の101番。ひとつ手前の100番は4月刊行、高山宏さんと巽孝之さんの『マニエリスム談義――驚異の大陸をめぐる超英米文学史』でこちらもまためくるめく一冊。先週末25日に東京堂書店神田神保町店で土田さんと巽さんのトークセッション「ポスト・トゥルースの現在を生き抜く批評理論」が行なわれましたが、これは活字化されてほしいなと願うばかりです。ちなみに巽さんの『盗まれた廃墟――ポール・ド・マンのアメリカ』も「フィギュール彩」の一冊であることは周知の通りです。

★清水一浩さん(共訳:デュットマン『友愛と敵対』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」2018年6月号「特集=公文書とリアル」において、マウリツィオ・フェラーリスさんの論文「資本からドキュメディアリティへ」(145-164頁)の翻訳を手掛けられています。訳者附記で清水さんは本稿を次のように紹介しておられます。「著者の提唱するドキュメディアリティ概念をスケッチすべく、資本/工業/労働の時代およびスペクタクル/メディア/コミュニケーションの時代との関係を明快に図式化」と。

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★筑摩書房さんのPR誌「ちくま」2018年6月号(No.567)で絓秀実さんがご自身の著作『増補 革命的な、あまりに革命的な』(ちくま学芸文庫、2015年5月)をめぐって「一九六八年の「狂気」」という文章を寄せておられ、そこで編集者・中野幹隆さんに言及され、弊社刊『多様体』第1号に掲載された檜垣立哉さんの論考「後期資本主義期のなかの哲学【1】中野幹隆とその時代(1)」にも触れて下さっています。そして、中野さんが編集された「パイデイア」のフーコー特集号の編集後記(1972年)について次のように書かれています。「誤解を恐れずに言えば、それは、理解をしりぞける「狂気」のようなものであり、それなくしては、日本に「68年の思想」が導入されることもなかっただろうということだ」。

本稿の締めくくりはこうです。「15年前に出した拙著『革命的な、あまりに革命的な』を読み返しながら、私はそれが、中野幹隆という編集者の仕事に負っているところが少なくないことに気づいて、ふと嘆息することがあった。だが、私は中野の「狂気」を、どのくらい分有していたのだろうか」。別の箇所では絓さんは親しみを込めて、「ややクレイジーな、文脈無視の中野のキャラクター」と回想されています。中野さんの卓抜な編集センスについて「狂気」と端的に分析されておられることに強い感銘を覚えました。

私のような後進の者にとって、中野さんの「文脈無視」はコンテクストを新たに作り直す編集技法の核そのものと映っていたのですが、そうした美しい整理では中野さんの「狂気」までにはたどり着けないのでした。自分の年齢と同じ、半世紀前の「狂気」を理解しようとすることは容易ではありませんが、編集と狂気という主題について――それは「編集狂」の話ではなくむしろ「狂編集」に近い話です――思索を深めていきたいと感じました。

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# by urag | 2018-05-31 14:17 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)