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2019年 09月 03日

2019年10月新刊:ジョルジョ・アガンベン『書斎の自画像』

書斎の自画像
ジョルジョ・アガンベン著 岡田温司訳
月曜社 2019年10月 本体:2,700円 46判並製226頁 ISBN: 978-4-86503-080-8 C0010

★アマゾン・ジャパンで予約受付中

内容:根本的に未完成なものとしての書斎。人々との出会い、書物との出会いの数々を明かしつつ、異なる時間と場所を宿すユートピアとしての書斎に託して、写真とともに綴られる、イタリア現代思想の重鎮による初めての自伝的エッセイ。【シリーズ〈哲学への扉〉第5回配本】

原書:AUTORITRATTO NELLO STUDIO, Milano: nottetempo, 2017.

ジョルジョ・アガンベン(Giorgio AGAMBEN)1942年ローマ生まれ。イタリアの哲学者。著書に、1970年『中味のない人間』(人文書院、2002年)、1977年『スタンツェ』(ありな書房、1998年;ちくま学芸文庫、2008年)、1979年『幼児期と歴史』(岩波書店、2007年)、1982年『言語と死』(筑摩書房、2009年)、1990年/2001年『到来する共同体』(月曜社、2012年/2015年)、1993年『バートルビー』(月曜社、2005年、本書)、1995年『ホモ・サケル』( 以文社、2003年)、1996年『人権の彼方に』(以文社、2000年)、1996年/2010年『イタリア的カテゴリー』(みすず書房、2010年)、1998年『アウシュヴィッツの残りのもの』(月曜社、2001年)、2000年『残りの時』(岩波書店、2005年)、2002年『開かれ』(人文書院、2004年;平凡社ライブラリー、2011年)、2003年『例外状態』(未來社、2007年)、2005年『?神』(月曜社、2005年/2014年)、2005年『思考の潜勢力』(月曜社、2009年)、2007年『ニンファ その他のイメージ論』(慶應義塾大学出版会、2015年)、2007年/2009年『王国と栄光』(青土社、2010年)、2008年『事物のしるし』(筑摩書房、2011年)、2009年『裸性』(平凡社、2012年)、2011年『いと高き貧しさ』(みすず書房、2014年)、2012年『オプス・デイ』(以文社、2019年)、2014年『身体の使用』(みすず書房、2016年)、2015年『スタシス』(青土社、2016年)、2016年『哲学とはなにか』(みすず書房、2017年)、2016年『実在とは何か』(講談社選書メチエ、2018年)などがある。

岡田温司(おかだ・あつし)1954年生まれ。京都大学大学院教授。専門は西洋美術史。近年の著書に『アガンベン読解』(平凡社、2011年)、『イタリアン・セオリー』(中公叢書、2014年)、『イメージの根源へ――思考のイメージ論的転回』(人文書院、2014年)、『映画は絵画のように――静止・運動・時間』(岩波書店、2015年)、『天使とは何か――キューピッド、キリスト、悪魔』(中公新書、2016年)、『映画とキリスト』(みすず書房、2017年)、『アガンベンの身振り』(月曜社、2018年)、『映画と芸術と生と』(筑摩書房、2018年)などがある。

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# by urag | 2019-09-03 23:38 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 03日

2019年10月新刊:水野浩二『倫理と歴史』

倫理と歴史:1960年代のサルトルの倫理学
水野浩二著
月曜社 2019年10月 本体:2,200円 B6変判並製360頁 ISBN: 978-4-86503-085-3 C0010

内容:人間の無条件的未来へと向かう思考。規範(倫理)と歴史の矛盾・対立をとおして生きる人間の姿を描こうとしたサルトルの弁証法的倫理学を、1960年代の草稿などの読解を通じて分析する。【シリーズ〈哲学への扉〉第4回配本】

★アマゾン・ジャパンにて予約受付中

目次:
第一部
第一章 神・本来性・全体的人間
 はじめに 
 一 不純な反省と純粋な反省
 二 神の観念の二重性 
 三 本来性 
 四 全体的人間 
 おわりに 
第二章 サルトル哲学と神の観念
 はじめに 
 一 〈神になろうとする企て〉と本来性
 二 存在論的学説としての神
 三 倫理学的学説としての神 
 四 本来性の倫理学と相互承認 
 五 内面化された神=〈人間〉 
 おわりに 
第三章 サルトルにおける倫理と政治
 はじめに 
 一 命令の空虚性と客観的事実 
 二 規範の二側面 
 三 規範としての〈全体的人間〉 
 四 無条件的未来の暫定性 
 おわりに 
第二部
第四章 倫理的規範と人間的実践(1)遺稿《倫理と歴史》(コーネル大学講演)についての研究
 はじめに 
 一 日常生活における命令的構造 
 二 倫理的命令と歴史的決定 
 三 倫理的規範と人間的実践 
 おわりに 
第五章 倫理的規範と人間的実践(2)遺稿《倫理と歴史》(コーネル大学講演)についての研究(続)
 はじめに
 一 規範の無条件的可能性:〈無条件的なもの〉と〈条件づけられたもの〉との弁証法 
 二 倫理的急進主義と内面性の主体
 三 倫理的逆説 
 おわりに
第六章 命令と価値:「弁証法的倫理」のための論考をめぐって
 はじめに
 一 無条件的規範にたいする能動的態度
 二 無条件的規範にたいする受動的態度 
 三 命令の三つの構成要素と惰性の内面化 
 四 倫理的急進主義 
 五 普遍的自由と価値 
 六 命令と価値との違い
 おわりに
第三部
第七章 〈非‐知(non-savoir)〉と〈なるべきである(avoir à être)〉:『主体性とは何か?』をめぐって
 はじめに
 一 〈非‐知〉から主体性‐対象へ
 二 心身統一体としての主体性
 三 〈なるべきである〉と統合・全体化・実践
 四 〈非‐知〉と無意識
 五 マルクス主義と弁証法的観念論
 六 全体的人間と欲求・労働・享受 
 おわりに
第八章 「全体化するものなき全体化」について
 はじめに
 一 作者なき人間的作品
 二 全体分解的全体化
 三 直接的全体化:受肉
 四 媒介的全体化:特異化
 五 共同的諸個人と統一性
 六 通時的総合
 おわりに 
第九章 倫理と歴史の弁証法
 はじめに
 一 「具体的倫理学」の構想
 二 主体性と歴史的実践 
 三 倫理的案出と無条件的未来 
 四 「歴史の倫理学」の構想 
 おわりに 
注 
あとがき
人名索引

水野浩二(みずの・こうじ):1952年生。札幌国際大学人文学部教授。著訳書に『サルトルの倫理思想』(法政大学出版局、2004年)、ジャン・ヴァール『具体的なものへ』(月曜社、2010年)、ジャン=ポール・サルトル『主体性とは何か?』(澤田直との共訳、白水社、2015年)など。

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# by urag | 2019-09-03 23:29 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 01日

藤原書店さんの2019年8月新刊3点『気候と人間の歴史(I)』『資本主義の政治経済学』『国難来』

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★藤原書店さんの2019年8月の新刊3点をご紹介します。

気候と人間の歴史(Ⅰ)猛暑と氷河 一三世紀から一八世紀』エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ著、稲垣文雄訳、藤原書店、2019年8月、本体8,800円、A5判上製736頁、ISBN978-4-86578-237-0
資本主義の政治経済学――調整と危機の理論』ロベール・ボワイエ著、山田鋭夫監修、原田裕治訳、藤原書店、2019年8月、本体5,500円、A5判上製440頁、ISBN978-4-86578-238-7
国難来』後藤新平著、鈴木一策=編・解説、藤原書店、2019年8月、本体1,800円、B5変上製192頁、ISBN978-4-86578-239-4

★『気候と人間の歴史(Ⅰ)』は『Histoire humaine et comparée du climat, t. 1 Canicules et glaciers XIIIe-XVIIIe siècles』(Fayard, 2004)の全訳。以後、2006年に第2巻『食糧不足と革命 1740年から1860年まで』(t. 2, Disettes et révolutions)、2009年に第3巻『1860年から今日までの再温暖化』(t. 3, Le réchauffement de 1860 à nos jours)が原著では刊行されており、訳書も続刊予定となっています。ル=ロワ=ラデュリ(Emmanuel Le Roy Ladurie, 1929-)は、ジョルジュ・デュビー(Georges Duby, 1919-1996)や、ジャック・ル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924-2014)らと並ぶアナール学派第3世代の代表的な歴史学者。彼はすでに今から半世紀以上前のデビュー当時に『気候の歴史』(Histoire du climat depuis l'an mil, Paris, Flammarion, 1967;稲垣文雄訳、藤原書店、2000年)を上梓しており、訳者は「研究活動のスタートとその締めくくりの時期に気候に正面から取り組んだ著書を出版したことは、著者にとって気候は終生の重要テーマであったことをうかがわせる」と指摘しています。『気候の歴史』から『気候と人間の歴史』の間には実に37年が経過しています。

★フランスを中心にヨーロッパの気候を扱う本書では「人間にとっての気候の歴史が問題となるであろう。気候と気象の変動がわれわれの社会に与えた影響、特に食糧不足と、ある場合には疫病をも媒介とした影響も扱うことになろう」(まえがき、13頁)。温暖化と寒冷化の繰り返しがもたらす影響には現代人が想像しえないものがあります。例えば第3章「クワットロチェント――夏の気温低下、引き続いて冷涼化」に引かれている当時のパリの一市民による記録では、1439年の冬の終わりから春にかけての飢饉の風景が伝えられています。曰く「この時期はルーアンでも値段が高い時期であり、粗末な小麦1スティエが10フランするし、食料は皆値段が高い。そして、毎日、路に小さな子供たちが死んでいて、それを犬や豚が食べているのを目にする」(139頁)。第Ⅰ巻はこのあと、17世紀半ばから18世紀初頭まで続いたマウンダー極小期やその始まりの頃に数年間続いた「フロンドの乱」について論究しています。間違いなく新聞書評に取り上げられるであろう大作です。

★なお、先立つこと10年前に同訳者によって上梓された『気候と人間の歴史・入門――中世から現代まで』(稲垣文雄訳、藤原書店、2009年)は『Abrégé d'histoire du climat du Moyen Âge à nos jours. Entretiens avec Anouchka Vasak』(Fayard, 2007)の訳書です。ル=ロワ=ラデュリと文学研究者アヌーチカ・ヴァサックとの対談本で、『気候と人間の歴史』の第Ⅱ巻と第Ⅲ巻との間に上梓されており、基本的には今回から訳書全三巻の刊行開始となった『気候と人間の歴史』とは別物です。

★『資本主義の政治経済学』は『Économie politique des capitalismes. Théorie de la régulation et des crises』(La découverte, 2015)の全訳。第Ⅰ部「基礎編」は2004年に原著が刊行されていた『レギュラシオン理論――その基礎』の再録であり、レギュラシオン理論の基本概念を解説するもの。第Ⅱ部「展開編」では、同理論の新たな展開が示されています。帯文に曰く「「レギュラシオン」の基本教科書、ついに誕生!」「「レギュラシオン派」の旗手による最高かつ最後の教科書である」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ボワイエ(Robert Boyer, 1943-)はフランスの経済学者。訳書の多くは藤原書店さんから刊行されています。

★「複雑で変わりゆく政治と経済の関係を分析することはまさに、レギュラシオン理論の目的のひとつである。それは本書の今後の諸章で十分に展開される」(日本の読者へ、11頁)。「政治的過程と経済的過程は本来的に組み重なっているのであり、しかもその階層性は時期によって変化するのである」(同、15頁)。「新たなレギュラシオン(調整)はどのように出現するのか、そしてひとつの資本主義形態が別の形態へと移行するのを保証する過程はどのようなものであるか。変化は本質的に内生的なものである。つまり、ひとつの発展様式が成功し、普及し、ついで成熟する間に、それを不安定化させ、大危機に陥らせていくような諸力が働く。こうした過程は、諸制度が局地的であるか、部門レベルのものであるか、あるいは反対にグローバルなものであるかに応じて、大いに異なる。大危機は、社会的対立に対して政治的なものが介在することによってしか乗り越えられない」(序論、45~46頁)。

★『国難来(こくなんきたる)』は、政治家・後藤新平(ごとう・しんぺい:1857-1829)の講演要旨『国難来』(内観社、1924年、非売品)に、翌1925年に巷間で印刷に附された論考「普選に備えよ」を一部中略して併録し(全文は例えば、軽井沢町立図書館デジタルアーカイブの「軽井澤町報」1925年8月20日発行にて閲覧可能)、巻末に編者の鈴木一策さんによる解説「『国難来』を読む――後藤新平の「東西文化融合」の哲学」と、「世界比較史年表(1914–1926)」を配したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者による巻頭の「はじめに」によれば「1923年9月1日に首都東京、横浜を襲った関東大震災から半年後の1924年3月5日、東北帝国大学に招かれて学生たちに講演したものに、後藤新平が手を入れ、翌月私家版の小冊子として出版したもの」とのこと。

★「私は、因縁・情実・利害の縄で十重二十重に縛られている今日の人びとが何と思おうとも、政府ないし政党・政派を超越した見地から、国家の憂うべき現状を赤裸々に述べて、純真な青年諸君に訴え、その囚われない判断を乞おうとすることは、明日の国家と国民の命運に対する私の義務であると信ずる。すなわち、過日、東北帝国大学の学生諸君の求めに応じて試みた講演の要旨を抄録して、真理探究の忠実なる使徒である生年・学生諸君の厳正なる批評を仰ぎたいと思う」(18頁)。

★「最大級の国難として挙げざるをえないのは、政治の腐敗・堕落」である」(34頁)と指摘する後藤は次のように政党政治を批判します。「極言すれば、政党はすべて利権獲得株式会社である。とっくに利権獲得を目的とする集団になっている。だからこそ、いったん政権を手に入れれば、早速に国家の金蔵から盗み、公有の山林をこっそり奪い取り、あらゆる罪悪的な利益の独占に溺れ浸りきって、少しも恥じないばかりでなく、わが会社の株主に、これこれの利益配当を与えると偉そうに言いふらし、全国に株主を募り、多くの株主を背景にもっと大掛かりな盗み略奪の輪を拡大して、止まるところを知らぬに至っているではないか」(41~42頁)。「はたしてまさに、言葉は心の象徴である。彼らが日常の口癖としている「我党内閣」という言葉は、国家を私有財産視する徒党の本領を、切実に見事に表現した名文句である」(42頁)。

★「国民、特に純真な青年諸君がこのような大国難を招いた罪の一切を政党に押しつけ、今日の政毒にわれわれは無関係だ、われわれだけは清潔だと自認でもしようものなら、政毒の洗徐〔ママ〕など実にいつまでたっても不可能だと言わなければならない。確かに、青年諸君および選挙権のない大多数の国民は、形式上は政治の門外漢で、功績も罪も無関係で直接の責任はないと言えばそうなのであり、責任逃れの口実はあるに違いないが、私は言いたい、青年諸君よ、そういう口実は捨ててしまえ、と。そういう逃げ口上が今の国家の病である、と」(44頁)。

★「古来、聖人・賢人は、天災地変に対してさえ、自己の不徳を責めたのだ。われらは凡俗の徒であるとしても、わが父、わが兄、わが隣人の罪を分ちあって、自らを責めるくらいの、天を敬し人を愛する至情がなければ、造物主にたいしてまことに相すまぬ次第である。青年諸君、諸君は責任を他に転嫁して、政界の堕落を嘆き、社会の罪悪に腹を立てる無責任をやめよ。政治の改革も、社会の改造も、結局は、自己改造に行き着いて初めて真実の意義を帯びてくるのだ。既成政党と自分とを切り離して、既成政党の罪悪を責めるだけでは、決して政界の汚濁を洗浄することなどできっこない。諸君が、その罪を憎むとともに、その人を赦し、悪い政党員よどうか善心に立ち還って善い政党員となりますようにと祈っても祈っても足りないくらい、自ら務め自ら責める気持ちになった時、初めてわが政界は堕落の淵から救い出されるのである」(45~46頁)。

★後藤は「西洋の個人主義文明」に「わが国の皇室を中心とする一大家族主義の文明」を対置し、「同じ立憲政治といっても、あちらの憲法は闘争の血にまみれた簒奪の記録であるが、わが憲法〔大日本帝国憲法〕は君民調和の歓びを永遠に確保する大御心の発露であって、一大倫理主義に出発している」(54頁)と書いています。「普選に備えよ」の本書に収録されなかった箇所では「帝国憲法が、明らかに皇室を中心とする大家族主義の国体美の所産であり、其の参政権はこの国体美を中外に宣揚する。国民の重要なる義務であることに、最早寸毫の疑ひを挟む余地はない。苟〔いやしく〕も有権者が、明治大帝のこのご信頼に感激して起てば、我が憲政の倫理化は期して待つべきのみ。国難何ぞ恐るるに足らん」。こうした認識から現代人は敗戦を経て隔てられており、帝国憲法の時代にもはや立ち戻ることはないとはいえ、それでもなお後藤が現代人に示唆しうる視点はあると思われます。

★『国難来』に戻ると「言うまでもなく、自治教育は立憲政治の基本であって、国民の自治人として行動する訓練が行き届いていなければ、立憲政治の運用がうまくいかないのは当然である。そこで、私は日々、自治教育の標語として以下の三項目を掲げている。/一、人のお世話にならぬよう(自主自治)/一、人のお世話をするように(社会奉仕)/一、而して報いを求めぬよう(皇恩報謝)/幸いにも、有権者がこの奉仕を心がけて選挙に臨めば、政治の争いはおのずと浄化され、政治はおのずから倫理化されるに相違ない。たとえ今度の選挙で一度に変えられなくとも、ついにはそこまでゆくことは明らかである」(52~53頁)。後藤は「選挙権という言葉は日本的ではないと思う」(53頁)。「わが国では、これを選挙義務と呼ぶほうがむしろ妥当なのではなかろうか」(54頁)と述べます。

★皇室や政党政治を最終的な拠り所とすることのない自治が問われているこんにちに『国難来』を読む意義は、けっして小さくないでしょう。なお藤原書店さんでは10月よりピエール・ブルデューの大著『世界の悲惨』全3巻の完訳本の刊行がスタートするとのことです。 

+++


# by urag | 2019-09-01 20:53 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 28日

コレクター

とあるライターさんから聞いた話です。

知り合いのライターのカズ君はスピリチュアル系のネタに強く、お宝の熱心なコレクターでした。彼と一緒に飲んでいたある夜、終電を逃し、自宅に寄らせてもらうことになりました。お互い酔っていなければ、私を招くようなことはなかったかもしれませんし、私も遠慮したかもしれないと思います。彼の自宅は神棚や呪物や祭具などが所狭しとひしめきあっていました。コレクションは御朱印や御札や経典だけでなく、入信しないと手に入れることができなさそうな仏具や神具にまで及んでいました。それぞれ宗旨が異なるであろう仏像や御神体、御本尊を祀った色々な祭壇を、隣り合わせにして並べています。あちこちに蝋燭を灯して、奇妙な匂いの御香を焚き、お茶を出してくれたのですが、口にしたくありません。どうやって帰ろうかそわそわしていると、カズ君は一冊のノートを私に差し出しました。開いてみるとそれは様々な宗教や祭祀について書いてある自作のカタログのようでした。ノートの表紙には「数道」と書いてありました。それは彼の名前ではなく、「スウドウ」と読むのだそうです。スウドウというのは彼の異様な収集癖と関係があるらしく、「興味あるならノートを貸すよ」と言われました。借りる気が起きないので話をはぐらかそうと「これって出版用の原稿?」と聞くと、「いや、どうかな。でも××古書店の店主にはコピーをあげたけど」と答えます。「店主も興味があるっていうから」。この夜の出来事は長らく強烈な印象を残しました。御朱印や御札や特殊な文物を集めている人のことを見聞きしたり、神棚と仏壇が一緒にある家に出会ったりすると、彼の部屋のことを思い出して落ち着きません。


# by urag | 2019-08-28 11:36 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 27日

ブックツリー「哲学読書室」に山下壮起さんと綿野恵太さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、2本のブックツリーが追加されました。『ヒップホップ・レザレクションーーラップ・ミュージックとキリスト教』(新教出版社、2019年7月)の著者、山下壮起さんによるコメント付き選書リスト「アフリカ的霊性からヒップホップを考える」。そして、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、2019年7月)の著者、綿野恵太さんによるコメント付き選書リスト「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊」。以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室
1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊
39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?
40)伊藤嘉高(いとう・ひろたか:1980-)さん選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか
41)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん選書「映画論で見る表象の権力と対抗文化
42)門林岳史(かどばやし・たけし:1974-)さん選書「ポストヒューマンに抗して──状況に置かれた知
43)松山洋平(まつやま・ようへい:1984-)さん選書「イスラムがもっと「わからなく」なる、ナマモノ5選
44)森田裕之(もりた・ひろゆき:1967-)さん選書「ドゥルーズ『差異と反復』へ、そしてその先へ
45)久保田晃弘 (くぼた・あきひろ:1960-)さん選書「新たなる思考のためのメタファーはどこにあるのか?
46)亀井大輔(かめい・だいすけ:1973-)さん選書「「歴史の思考」へと誘う5冊
47)須藤温子(すとう・はるこ:1972-)さん選書「やわらかな思考、奇想の知へようこそ!
48)斎藤幸平(さいとう・こうへい:1987-)さん選書「マルクスと環境危機とエコ社会主義
49)木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さん選書「いまさら〈近代〉について考えるための5冊
50)筧菜奈子(かけい・ななこ:1986-)さん選書「抽象絵画を理解するにうってつけの5冊
51)西山雄二(にしやま・ゆうじ:1971-)さん選書「フランスにおける動物論の展開
52)山下壮起(やました・そうき:1981-)さん選書「アフリカ的霊性からヒップホップを考える
53)綿野恵太(わたの・けいた:1988-)さん選書「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊

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# by urag | 2019-08-27 19:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 27日

ショタレ本

とある書店さんから聞いた話です。

支店が閉店することになり、各店や取次から応援の人員を出してもらって返品作業をしていた時のことです。事務所の片隅に長らく放置されていた小さなダンボールの一つに、すっかり薄汚れた文庫本が十数冊入っているものが見つかりました。買切版元の本でもなく、なんだこれ、と一人が支店長に声を掛けると、ああそれショタレじゃないです、そもそも売り物でもないです、と言います。監視カメラを確認してもよく分からなかったんですけど、店内の一角に古本を置いていくお客さんが時折いたみたいなんです。なに、いったい何の話だよ、と本部社員が文庫本をパラパラめくって、うわっ気持ち悪い、と叫び声を上げました。赤いペンの書き込みがびっしりとあって、支離滅裂な言葉が延々と並んでいたのです。確かにすべてかなり古い文庫本で、お店で扱うようなものでもありませんでした。人だかりができて皆で本部社員の手元を覗き込んでいると、支店長が、あっ、そっちは触らない方が、と鋭く言いました。ダンボールに最後の一冊が残っていました。文庫サイズの手帖のようで、表紙に「D」とレタリングしてあり、他と比べると新しそうでした。それ見ちゃだめなヤツですよ絶対、と真面目な顔をして言います。皆が見たがっているのを察したのか、支店長は畳みかけるように続けました。たぶんその中身、血で書いてます。ページに毛とか皮膚がたくさん挟まってますし、最悪です。すぐに捨てたかったんですけど、お客様の忘れ物だったらどうしようって思って。でももうずっと誰も取りに来ないし、もう閉店だから捨ててもいいですよね、本当に見ない方がいいですよ。支店長はその後、退職しました。送別会の時の笑顔は、今も忘れられません。


# by urag | 2019-08-27 10:17 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 26日

パートワーク

とある書店さんから聞いた話です。

自称「霊感の強い」バイトちゃんがうちの店にいます。よく働いてくれるので、バイトリーダーの私も助かっていますが、時折、挙動不審になることがあります。最初は天然かなと思っていました。「見えちゃう人なのかも」と思ったのは、ある日の出来事がきっかけです。その日の昼下がり、私とバイトちゃんはカウンターに入っていました。お客様が自動ドアから出る際に、店員は「ありがとうございました」と挨拶するわけですが、私の隣りにいたバイトちゃんが「イヤッ」と小さく声をあげ、口を押さえました。ゴキブリかと思い、私は周囲の床を見回しました。けれどバイトちゃんはじっと出入口の方を見ています。「どうした」と聞くと「いえ」とうつむいて言葉少なです。気になったので閉店後の帰り道、改めて話を聞くと「お客様がいた」と。パートワークを定期購読していた高齢のお客様で、つい先日ご家族がご来店になり「亡くなったので定期を中止したい」と聞いたばかりの方のことでした。「お客様と入れ替わりで入ってきて、カウンターの前までいらっしゃったので、思わず見えないふりをしました」と言います。幽霊って真昼間に出るものなの、と驚きました。完結まで買えなかったことを悔やんでおられたのでしょうか。お客様のご自宅に行ってお線香をあげるべきかどうか迷いましたが、結局今も伺えず終いです。バイトちゃんにも例のお客様が今なお来店することがあるのか、聞けずにいます。私の淡い恋心もすっかりしぼんだままです。



# by urag | 2019-08-26 10:49 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日

注目新刊:ビフォ『フューチャビリティ』、アル=カリーリ編『エイリアン』、ほか

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フューチャビリティー ――不能の時代と可能性の地平』フランコ・ベラルディ(ビフォ)著、杉村昌昭訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01101-6
エイリアン――科学者たちが語る地球外生命』ジム・アル=カリーリ著、斉藤隆央訳、紀伊國屋書店、2019年8月、本体2,200円、四六判上製340頁、ISBN978-4-314-01170-9

★『フューチャビリティー』は『Futurability: The Age of Impotence and the Horizon of Possibility』(Verso, 2017)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。イタリア生まれの思想家フランコ・ベラルディ(Franco “Bifo” Berardi, 1949-)の単独著の訳書は、これまでに『プレカリアートの詩――記号資本主義の精神病理学』(櫻田和也訳、河出書房新社、2009年)、『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』(廣瀬純/北川眞也訳、洛北出版、2010年)、『大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』(杉村昌昭訳、作品社、2017年)の3点が刊行されており、今回の新刊はそれらに続く4冊目です。日本語版への序文でビフォはこう書いています。「民主主義はメディア・ポピュリズムと金融貴族主義という恐るべき怪物的権力形態をつくりだした。/政治の無力は人々のあいだに、抽象化のとてつもない力や民主主義に対して復讐したいという欲望を生み出した。そのような状況から民主主義的なやり方で脱出することはできない。/世界の北側諸国の大半は奥深くて不可逆的な分裂の局面に入った。それはレイシズムやナショナリズムの新たな暴力形態を伴った内戦の出現である」(iii頁)。

★「この本は三つの概念とそのあいだの関係に焦点をあてたものである。すなわち、可能性、潜在力、顕在力(権力)の三つである。私の意図は、現在われわれに問われている難問を解くために、この三つの概念の形成と機能を近代哲学のなかで再構築することであった。集合的知性とオートメーションテクノロジーの発達は可能性を包含しているが、まだ現働化していない。それはなぜかというと、主体的力が欠如しているからであり、ポストモダン社会の生活形態や表現形態をますます特徴づけている不能〔インポテンツ〕のためである。この不能は、社会運動の敗北、労働の不安定化、デジタルコミュニケーション時代の人間の存在的孤独などによってもたらされた。そしてこの不能が、逆説的にも権力が権力として機能する条件をなしているのである」(iv-v頁)。

★「デジタルテクノロジーの潜在力と危険がこの本の中心テーマである。このテクノロジーによってもたらされる加速化を私はこの本のなかで不明瞭な対象として見据えている。加速主義と呼ばれる思想運動は、資本主義のダイナミズムの加速化はそれ自体としてポジティブな現象である、なぜならそれはパースペクティブの転覆をもたらすものだから、と主張している。しかし私はこの思想運動に完全には同調できない。加速化はある種の解放に向かうかもしれないが、われわれが必要とするパースペクティブの転覆をもたらすのは、ポジティブな潜在力の出現としての主体性にかかっているからである。/したがって、主体の力能、知識、連帯、発明精神といったものが、これまで隠され、抑圧され、歪められながらも存在し続けてきたエネルギーを解き放つことができるかどうかに、すべてはかかっているのである」(v-vi頁)。

★本論でビフォはこう書きます。「彼らの問いは、これが生きることか? というものだった。/いや、この意味のない行為の意味のない繰り返しは生きることではなかったし、生きることではないのだ。/労働の拒否はマスプロ教育の時代に成長して労働者になった世代の特殊な状況に基づいた倦怠と悲しみに対する宣戦布告であった。そこにあるのは、彼らの文化的欲求と実存的期待の爆発である」(220頁)。「来たるべき戦いは経済的パラダイムの認識論的・実践的ヘゲモニーから知識の自立をいかにして勝ち取るかということをめぐるものとなるだろう」(262頁)。本書は、ネットワーク化された高度情報化社会における労働者である「認知労働者〔コグニタリアート〕」たちの協働と共闘を呼びかけた熱いメッセージであると受け止めることができます。知識のイノベーション、発明、実行に関わるという「認知労働者〔コグニタリアート〕」には、デザイナーやエンジニアなどが数え上げられていますが、出版人や書店人もまたそうであると言えるでしょう。


★『エイリアン』はまもなく発売。『Aliens. Science Asks: Is There Anyone Out There?』(Profile Books, 2016)の全訳です。帯文より引くと、「天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学・・・各分野の第一線に立つ20人が、地球外生命の定義、存在するための条件と可能性、その形態、探査方法を検討。現実として浮かび上がる新しい「エイリアン」の姿」。目次は下記の通りです。こんなにも盛沢山でたったの税別2,200円。素晴らしいです。

はじめに――みんなどこにいるんだ?|ジム・アル=カリーリ(理論物理学者)
第1章 われわれとエイリアン――ポストヒューマンはこの銀河全体に広まるのか?|マーティン・リース(宇宙論者)
第Ⅰ部 接近遭遇
第2章 招かれ(ざ)る訪問者――エイリアンが地球を訪れるとしたらなぜか|ルイス・ダートネル(宇宙生物学者)
第3章 空飛ぶ円盤――目撃と陰謀論をおおまかにたどる|ダラス・キャンベル(科学番組司会者)
第4章 地球上のエイリアン――タコの知性からエイリアンの意識について何を知りうるか|アニル・セス(認知神経科学者)
第5章 誘拐――地球外生命との接近遭遇の心理学|クリス・フレンチ(心理学者)
第Ⅱ部 どこで地球外生命を探したらいいか
第6章 ホーム・スウィート・ホーム――惑星をハビタブルなものにする条件は?|クリス・マッケイ(惑星科学者)
第7章 隣家の人――火星の生命を探る|モニカ・グレイディ(宇宙科学者)
第8章 もっと遠く――巨大ガス惑星の衛星は生命を育めるか?|ルイーザ・プレストン(宇宙生物学者)
第9章 怪物、獲物、友だち――SF小説のエイリアン|イアン・スチュアート(数学者)
第Ⅲ部 われわれの知る生命
第10章 ランダムさと複雑さ――生命の化学反応|アンドレア・セラ(無機合成化学者)
第11章 深海熱水孔の電気的な起源――生命は地球でどのように生まれたか|ニック・レーン(進化生化学者)
第12章 量子の飛躍――量子力学が(地球外)生命の秘密を握っているのか?|ジョンジョー・マクファデン(分子遺伝学者)
第13章 宇宙の必然――生命の発生はどのぐらい容易なのか?|ポール・C・W・デイヴィス(理論物理学者)
第14章 宇宙のなかの孤独――異星文明はありそうにない|マシュー・コッブ(進化生物学者)
第Ⅳ部 エイリアンを探す
第15章 それは銀幕の向こうからやってきた!――映画に見るエイリアン|アダム・ラザフォード(遺伝学者、著作家)
第16章 われわれは何を探しているのか?――地球外生命探査のあらまし|ナタリー・A・キャブロール(宇宙生物学者)
第17章 宇宙にだれかいるのか?――テクノロジーと、ドレイクの方程式と、地球外生命の探索|サラ・シーガー(惑星科学者、宇宙物理学者)
第18章 大気に期待――遠くの世界に生命のしるしを見つける|ジョヴァンナ・ティネッティ(宇宙物理学者)
第19章 次はどうなる?――地球外知的生命探査の未来|セス・ショスタク(天文学者)
訳者あとがき
インターネット
参考文献
アダム・ラザフォードの必見エイリアン映画リスト
索引
執筆者紹介



★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

薔薇色のアパリシオン――冨士原清一詩文集成』冨士原清一著、京谷裕彰編、共和国、2019年9月、本体6,000円、菊変型判上製296頁、ISBN978-4-907986-48-3
神の書――イスラーム神秘主義と自分探しの旅』アッタール著、佐々木あや乃訳注、東洋文庫:平凡社、2019年8月、B6変判上製函入552頁、ISBN978-4-582-80896-4
野の花づくし 季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』木原浩著、平凡社、2019年8月、本体3,000円、AB判並製192頁、ISBN978-4-582-54259-2
随筆 万葉集(一)万葉の女性と恋の歌』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-764-8
随筆 万葉集(二)万葉の旅、自然、心』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製272頁、ISBN978-4-86182-765-5
随筆 万葉集(三)大伴家持と永遠なる万葉』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-766-2
現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』青土社、2019年8月、本体1,400円、A5判並製240頁、ISBN978-4-7917-1386-8
ハイデガーと時間性の哲学――根源・派生・媒介』峰尾公也著、渓水社、2019年8月、本体4,200円、A5判上製296頁、ISBN978-4-86327-484-6

★『薔薇色のアパリシオン』は、詩人の冨士原清一(ふじわら・せいいち:1908-1944)さんの初めての全作品集。ピンクの表紙が鮮烈な印象を与える一書。666部限定で、66部がナンバリングありで版元直販、後の600部がナンバリングなしの市販用とのことです。2篇の追悼文(高橋新吉「冨士原清一のこと」、瀧口修造「冨士原清一に――地上のきみの守護天使より」)や、詳細な年譜や底本書誌情報が附録として収められています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。フィリップ・スーポーによるボードレール論より引きます。「適切に批評と言はれるものに関しては、哲学者達は私が次に言はんとすることを理解することを希望する。――正確であるためには、換言すればそのレエゾン・デエトルをもつためには、批判は偏頗的であり、熱情的であり、政治的であらなければならない。即ち排他的見界に於て、だがそれは地平線の極限を開く見界に於て、なされなければならない」(212頁)。

★『神の書』は東洋文庫896番。アッタールの名作『鳥の言葉――ペルシア神秘主義比喩物語詩』(黒柳恒男訳、東洋文庫、2012年5月、品切)の姉妹編(1387年)です。巻末の訳者解説によれば「本書は、イランで出版された最新のシャフィーイー・キャドキャニー教授校訂(テヘラン、2008年)より、冒頭の神・預言者・正統カリフへの称讃のみを除いた全訳である」。巻頭の序章のほか、全23章で260篇の逸話が収められています。父王が6人の王子の質問に答えるという体裁。「官能、名声、富、権力、超絶知などへの欲望を斥け、真理に至る神秘主義の道程へと導く、乞食から王侯まで多彩な人々の多様な物語」(帯文より)。「素寒貧になるというのは一つのしるしであることを知っているのか? 真の王とは素寒貧であることなのだぞ。すべて失うことができる人は誰でも真の王なのだ。なぜならごまかしは、突然訪れる不幸のように人生を台無しにするからだ」(397頁、第十八章第十話「導師アブー・サイードと博打打ちの話」より導師の言葉)。

★これに続けてアッタールはこう記します。「神秘主義の道を歩むすべての獅子は、愛の世界では狐である。心して歩め、注視せよ、賢くあれ。ここでは不幸が雨のように降ってくるのだから、気をつけよ。もし真実に到達するために身を捧げ、我を消して神と合一しようと決めたなら、そして愛しいお方のために命を差し出すために、障害である肉体という幕帳〔とばり〕を取り払い、それを自身から遠ざけようと決めたなら、この道においてあなたがすべて失わなければいけないのは明白である。さもなければ、あなたは不完全で信仰心を持たない者でありつづけるだろう。もしすべてを失うのなら、イーサーがしたように針一本すら取っておいてはいけない、わずか一本の針でも、持っていれば、その針こそがあなたにとっての障害となり、あなたは目標に到達できなくなるのだから」(397~398頁)。ゆっくりと隅々まで注意深く読むべき一書です。

★『野の花づくし――季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』は、今年2月に発売された『野の花づくし――季節の植物図鑑[春・夏編]』に続く第2弾。美麗なカラー写真とエッセイでページをめくる楽しさのある、マイナスイオンに溢れた癒しの図鑑です。個人的に見入ってしまったのは、未草(ヒツジグサ、スイレン科スイレン属)や、下がり花(サガリバナ、サガリバナ科サガリバナ属)。前者は尾瀬ヶ原の、後者は西表島の、それぞれ水辺で撮影。見においでよ、と誘われている気がします。

★『随筆 万葉集』3巻本は、「日本の名随筆」第61~63巻(1987~1988年、作品社)の新装復刊。各巻の収録作品は書名のリンク先でご覧いただけます。第1巻22篇、第2巻25篇、第3巻22篇。「万葉集」の副読本として最適ではないかと思います。ちなみにこのエントリーを書いている8月25日現在、次の祝日は数週間後の「敬老の日」ですが、第2巻に収録された市村宏さんの「老いの歌」にはこんなくだりがあります。「敬老の日まであるわが国であるが、敬老とは公民館に老人を招いて万才をみせることではなく、老人の豊かな経験を社会のために役立てさせ、自己の存在価値を彼等自身に認識させることに外ならない。定年制などを作り、人為的な姨捨山を築きながら何が敬老であろう」(78頁)。ちなみに市村さんはこのエッセイにおいて山上憶良と大伴旅人の和歌を取り上げています。「山上憶良は、老境に入ってから貧・病・老と取り組んだ。沈痾自哀文でも貧窮問答歌でも、十分に老年者の鑑賞にたえうるのは、その身を以てした闘いの成果であったからである。〔…〕憶良は悟って退くのではなく、不自由な足を引きずりながら人生の戦いを止めようとしない」(77頁)。

★『現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』は2本の討議(岡本裕一朗+奥田太郎+福永真弓「ボーダーから問いかける倫理学」、池田喬+長門裕介「応用倫理学のメソドロジーを求めて」)のほか、17項目のトピック(環境、宇宙、食農、動物、ロボット、戦争、ビジネス、医療、生政治、生殖、世代間、高齢者、公衆衛生、ジェンダー/セクシュアリティ、美醜、共依存、サイバー・カルチャー)をめぐる諸論考と、3つのテーマ(フィクション、占い、ルポルタージュ)をめぐるエッセイが収められています。次号(10月号)の特集は「コンプライアンス社会(仮)」とのこと。興味深い特集が続きます。

★『ハイデガーと時間性の哲学』は、2018年に早稲田大学大学院文学研究科に提出された博士学位請求論文をもとに、部分的に加筆修正を施したもの。巻頭の序論「時間性の哲学――存在と時間の連関の解明」での説明によれば、「本書の課題は、ハイデガーの哲学を「時間性(Zeitlichkeit)」という主題への一貫した取り組みとして明らかにすることで、この哲学の根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし、その問題の解決の糸口を媒介という概念を用いて提示することにある」(3頁)。第一部「ハイデガーの時間性の哲学」と、第二部「フランスの哲学者たちによる時間性の哲学との対決」の二部構成全六章で、第二部ではレヴィナス、リクール、デリダらのハイデガーとの対峙が論じられています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★「時間性の哲学は、伝統的な時間論がそうするように、時間とは何かを問うことで、その本質を明らかにしようとしているというよりはむしろ、時間はいかに可能になっているのかと問うことで、その根源を明らかにしようとしている。そしてハイデガー以後に展開された時間に関するいくつかの哲学はまさに、彼の時間性の哲学との対決を通じて構築された」(同頁)。「本書では、はじめに、ハイデガーの時間性の哲学の概略を示すことで、そこに含まれた根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし(第一部)、次いで、フランスの哲学者たちによるその問題の解決への取り組みを、特に媒介という概念を用いて明らかにすることを試みる(第二部)」(6頁)。

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# by urag | 2019-08-25 22:24 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日

ドミノ

あるフリーエディターさんから聞いた話です。

当時の勤務先には、「ダメだダメだ、ああッ」とすぐに頭を抱えて落ち込むタイプのスタッフA君がいて、その声を聞くと部員は「また始まったか」と苦笑するのが日常でした。長かった連休明けの初日に、A君はよほど仕事がさばききれないらしく「ダメだダメだ、ああッ」を繰り返していました。しばらくトイレに閉じこもり唸っていましたが、見かねた同僚が「おい、ちょっといったん整理してみようか」と声を掛け、2人で近くの喫茶店へ出て行きました。30分後、同僚君だけ帰ってきて、社内をキョロキョロ見回しています。先輩が「なに、どうした」と聞くと「A君、帰ってきましたか」と言います。A君は喫茶店で同僚君がトイレに立った間に出て行ったらしいのです。その日は会社にとうとう戻らず、机の上に荷物を残したままでした。翌日は無断欠勤。下宿先に様子を見に行こうとした2日目、会社に退職願が速達で届きました。たぶん以前から限界だったのだと思います。ほどなくして、A君の仕事をフォローしていた同僚君と先輩もダウンし、次々に休職。しばらくは結構な修羅場が続きました。こうしたことに感覚が麻痺して慣れていった自分がある意味怖かったです。


# by urag | 2019-08-25 10:08 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 24日

閉店後

こんな話を書店さんから聞いたことがあります。

ある日の閉店後、担当フロアで私は上司と二人で残業していました。棚をいじっていると、背を向けていたバックヤードに上司が入った気配がして、物音がします。しばらくして、上司から私のピッチに在庫の問い合わせが入り、近くにいるのになあ、と思いながらバックヤードに向かいました。誰もいません。「あれ、課長、いまどこにいますか」「えっ、地下だけど」。バックヤードには窓がなく、狭くて薄暗く閉塞感があります。私が仕事をしているフロアでは、バックヤードから明らかに物音がするけど誰もいないということが良くあります。古いビルの店なので、ネズミかもしれないし、あるいは配管の音でしょうか。嫌な感じです。

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# by urag | 2019-08-24 14:11 | 雑談 | Trackback | Comments(0)