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2018年 07月 13日

「図書新聞」にメニングハウス『生のなかば』の書評

図書新聞」(2018年7月21日付)に弊社1月刊、ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば――ヘルダーリン詩学にまつわる試論』(竹峰義和訳)の書評「すぐれた教師による「精読」の集中講義――ヘルダーリン詩学全体、そして同時代の思想へと開かれた一書」が掲載されました。評者は大谷大学文学部准教授の廣川智貴さんです。

「わずか14行の詩におよそ200頁の紙幅が費やされる。〔…〕メニングハウスは、韻律分析というきわめてオーソドックスな手法でテクストを分析し、隠された構造をあきらかにしようとする。さながら推理小説のような分析から見えてくるのは、ヘルダーリンの意外な一面である。〔…〕博識な著者に手引きされる読者は、きっと創作の現場に居合わせるような興奮を覚えるにちがいない」と評していただきました。

同書は「叢書・エクリチュールの冒険」の第10弾ですが、第11弾は8月刊、ステファヌ・マラルメ『詩集』柏倉康夫訳、となります。まもなく当ブログにて近刊告知を開始します。

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# by urag | 2018-07-13 16:12 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 11日

フェア棚「じんぶんや 川越」が紀伊國屋書店川越店に誕生

2004年9月に紀伊國屋書店新宿本店で始まった「じんぶんや」というフェア棚の第1回に私も参加させていただいたことがありましたが、今般、堂書店の川越店人文書棚のリニューアルに伴い「じんぶんや 川越」が誕生したとのことです。その記念すべき第1回が開催中。弊社の本はフェアではおいていませんが、ご紹介します。


期間:2018年7月4日(水)~9月30日(日)
場所:紀伊國屋書店川越店2階人文書コーナー

概要:本フェアでは、T.V.O.D.のお二人に1970年代から2010年代(現代)までのサブカルチャーの変遷を解説していただきます。現在語られる「サブカル」は一体、どういう文脈を持つのか? そして、サブカルチャーの未来とは? T.V.O.D.による、約70冊の選書を通したサブカル戦後史入門講義の開講! 1万字におよぶ解説冊子も配布中。

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー):コメカ+パンスのテキストユニット。2017年、政治とサブカルチャーをごちゃまぜに語る場を作ろうと結成、ブログ「T.V.O.D.」 を開設する。現在は、北尾修一氏主宰の出版社「百万年書房」サイト内で「ポスト・サブカル焼け跡派」連載中。ほか、タブロイド・ジン「Making-Love Club」にも寄稿。5月にWWW/GALLERY X BY PARCOで開催された「THE M/ALL」では精神科医・香山リカさんと鼎談を行う。

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# by urag | 2018-07-11 15:35 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 09日

「週刊金曜日」に荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評

週刊金曜日」2018年7月6日号(1191号)の「きんようぶんか」欄に、弊社5月刊、荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評「偶然のもたらす妙なる僥倖」が掲載されました。評者は批評家の高原到さんです。「一見雑多な〈触れ‐合い〉のさなかに著者が見出すのは、外部へと開かれた境界的な場所において、断片化された接触にときめく感性の、はかないが確かな煌めきだ。〔…〕寺田〔寅彦〕の称揚する「偶然」が、日本の風土というナショナリスティックな観念によって制御されていると論証する第九章では、テクストの「必然」を見透かす批評家の眼力に思わずうならされてしまう」と評していただきました。

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先週土曜日は、下北沢の本屋B&Bで荒木さんと吉川浩満さんによるトークセッション「クリナメンズ作戦会議」でした。皆様のご来場、ありがとうございました。お二人によって以下のような議論が提示されました。「偶然の出来事を運命だと認識させる装置として、古くは宗教があり、現代ではベネディクト・アンダーソンが指摘するようにナショナリズムがあるが、ジョン・ロールズは「愛」を強調する。しかし果たして愛は偶然を偶然のままにしておけるのだろうか(『仮説的偶然文学論』では中河与一の恋愛至上主義に論及)。偶然と運命を縫合してしまうのではなく、切開してその間に様々なグラデーションとスペクトルがあることを注意深く観察すべきではないか」(趣意)。会場からの質問では多宇宙論との関係性について問う声もあり、非常に興味深い一時でした。

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なお、来週の金曜日には代官山蔦屋書店で荒木さんと来場者が自由に語らうことのできる「人文カフェ」が開催されます。

◎第4回代官山人文カフェ:荒木優太「人生を左右しない偶然について考えよう

日時:2018年7月20日(金)19:00~
場所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
問い合わせ先:電話03-3770-2525
料金:コーヒー1杯付イベント参加券(1,000円/税込)をご予約頂いた先着50名様に参加券をお渡しいたします。

内容:「代官山人文カフェ」人文書の様々なテーマについてコーヒーを片手に語り合い、いっしょに考える。話を聴いて新たな視点を得たり、思考を深める。第4回テーマは「人生を左右しない偶然について考えよう」。偶然の出会いや事故によって人生は劇的に変わる...のですが、それ以上に私たちの日常は何気ない偶然の連続でできあがってもいます。今朝の電車が少し遅れたのも偶然、昼間訪れたコンビニのバイトがいつもと違う青年に変わっていたのも偶然、いまあなたがこの文章を読んでいるのもきっと偶然。偶然偶然、偶然ばっかり。それになのに私たちは、ある偶然を「運命だ!」「奇跡だ!」と騒ぎ立てる一方で、そうではない偶然はまるで当たり前のことのように無視してすごします。この区別のメカニズムを、荒木優太さんは最新著『仮説的偶然文学論』のなかで「偶然のフィルタリング」と呼んでいます。そもそも偶然を表象するということはどういうことなのでしょう? ちょっと印象に残ってる偶然エピソードを胸に、ぜひお立ち寄りください。

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# by urag | 2018-07-09 23:10 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 08日

注目新刊:ぷねうま舎版『死海文書』全12巻刊行開始、ほか

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死海文書 Ⅷ 詩篇』勝村弘也/上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、本体3,600円、A5判上製30+245+4頁、ISBN978-4-906791-82-8
訳注 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』松長有慶著、春秋社、2018年7月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-393-11346-2
処女崇拝の系譜』アラン・コルバン著、山田登世子/小倉孝誠訳、藤原書店、2018年6月、本体2,200円、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-177-9
菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』栗原康著、瀬々敬久・相澤虎之助原作、タバブックス、本体2,200円、四六判並製432頁、ISBN978-4-907053-25-3
NO BOOK NO LIFE Editor's Selection――編集者22人が本気で選んだ166冊の本』雷鳥社、2018年6月、本体1,500円、四六判並製256頁、ISBN978-4-8441-3737-5
文藝 2018年秋季号』河出書房新社、2018年7月、本体1,300円、A5判上製662頁、ISBN978-4-309-97949-6

★『死海文書 Ⅷ 詩篇』は全12巻中の第1回配本。「感謝の詩篇」勝村弘也訳、「バルキ・ナフシ」上村静訳、「外典詩篇」勝村弘也訳、「外典哀歌」勝村弘也訳、「神の諸々の業と共同の告白」上村静訳、を収録。帯文に曰く「最新の校訂・解読を踏まえた、原典からの初めての日本語訳」と。『死海文書』は1940年代後半から1950年代かけて死海北西岸の11の洞窟から発見された羊皮紙およびパピルスの文書群で、ユダヤ教の一派「エッセネ派」と見なされるクムラン教団が伝え、書写したという説が広く支持されています。昨年(2017年)には文書が盗掘されたらしい痕跡を残す12番目の洞穴が発見されたといいます。

★写本は大まかに分類して、ヘブライ語聖書関連、外典・偽典の原語版および未知の古代ユダヤ文献、クムラン教団独自の文書などがあり、古代ユダヤ教のみならず原始キリスト教との関連においても第一級の史料であり、最古の聖書写本を含んでいることは周知の通りです(ただし、初代キリスト教会とクムラン教団との間に直接的な接触があった形跡はないというのが定説)。800余りの文書のうち200本強が聖書写本と同定されており、ぷねうま舎版『死海文書』では「聖書写本以外の約600文書のうち、或る程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する。また、『ダマスコ文書』についてはカイロ・ゲニザから発見されたものを、さらにクムラン文書と関連のあるいくつかのマサダ出土の写本についても必要に応じて訳出した」、と巻頭の「序にかえて 死海文書とは何か」に記されています。

★『死海文書』は今なお執拗に再生産され続ける陰謀論系の言説やフィクションの影響で学術研究外からの関心も高いため、興味本位で購入される読者もいるかもしれませんが、それはそれで構わないと思います。失われてしまった宗教遺産の異形性もさることながら、ところどころ読解不能な文書の数々に、読む者の想像力を掻き立てる側面があるのは否定しようがなく、教文館版『聖書外典偽典』シリーズや岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』シリーズ、さらには『マリアの福音書』『ユダの福音書』『グノーシスの神話』『ヘルメス文書』などとともに、今後も様々な分野のクリエイターにとって霊感の源泉となることが予想できます。

★松長有慶『訳注 秘蔵宝鑰』は凡例によれば「内容について広く江湖の理解を得るために、もとになる漢文を、まず「現代的な表現」に改めて提示し、ついで「読み下し文」を加え、さらに原文中の難解な用語を解説する「用語釈」を付す三段の構成からなる。ただし必要に応じて、「要旨」、「解説」などを付け加えた」と。本書における「現代的な表現」での再提示というのは単純な現代語訳に留まるものではなく、たとえば序の13句中の有名な「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終りに冥し」と読み下されている箇所(「生生生生暗生始 死死死死冥死終」)は、「生から死へと幾度か、輪廻転生を繰り返し、見極めつかぬ漆黒の、始終なき旅を続ける」という風に記述されています。その解釈の根拠については直後の解説に詳しいですが、まさに「現代人が抵抗なく読み得る現代表現」(あとがき)となっていると感じます。「画期的な現代語訳」と帯文が謳っている通りです。

★コルバン『処女崇拝の系譜』は『Les filles de rêve』(Fayard, 2014)の全訳。原題は「夢の乙女たち」とでも訳せそうですが、『処女崇拝の系譜』というのは一昨年お亡くなりになった訳者の山田さんのご発案とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序でコルバンはおおよそこう述べています。見かけたりすれ違ったりしただけの魅惑的な乙女たちが男たちの「感傷的な追憶のうちに刻みこまれ」、現実の恋人や妻の印象を凌駕するようなイメージまで膨らむことがある、と。「このような夢の乙女の姿は、読書したり、絵画や彫刻を見たり、演劇やオペラに通ったりして培われたモデルからきている。これらのモデルへの憧れは、心身ともにステレオタイプ化した肖像となって表れ、またその感受性のありかたにも表れており、それ以上に、床を共にする女たちのところでは決して見出せないような決定的な美質に表れている。本書の目的はまさにここにあるのだ。すなわり、直接に性欲にうったえることなく恋心をかきたてるように導いた一連の紙上の乙女たちを選び出して、その姿を描き出すことである。/精神に占めるその存在感の大きさの順に、こうして選ばれた乙女たちを検討してゆきたい」(12頁)。

★またこうも書いています。「今日、彼女たちのおよぼした影響力を良く理解するのは難しいと思うので、夢の乙女たちの本質的な特性について詳述しなければならない。つまり私が語りたいのは、処女性のことである。残念ながら、かくも長い世紀にわたって重大であったこの概念について書かれた、新しい決定的な歴史は存在しない。そもそもからして、男たちの精神にあって、夢の乙女は処女であり、無傷で、護られているのだ。「すべての時代、すべての国の人びとは、処女性について素晴らしいという思いを抱いている」。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは1802年に書いている」(13~14頁)。小倉さんによる訳者解説によえば「コルバンのいう「夢の女」とは、美、慎ましさ、やさしさ、美徳、純潔をすべて備えた女であり、男たち、とりわけ青年たちが理想化し、時として天使のような相貌を付与してしまう女のことである。彼女にはしばしば男を寄せつけないような凛とした佇まいが漂い、その身体は男の欲望から隔離されているかのように守られている。聖母マリアがそうだったと言われるように、永遠の処女性を保持している女――それが「夢の女」ということになる。/西洋の歴史において、そのような女はいつ頃、どこにいたのか? 現実には、生身の人間としてはどこにも存在しなかったが、男たちの想像力――あるいは妄想――のなかでは古代から常に存在してきた」(193頁)。

★「古代神話に登場する月の女神アルテミス(ディアーナ)から、中世イタリアのダンテとペトラルカ、17世紀のシェイクスピア、18世紀のリチャードソンとゲーテ、19世紀のシャトーブリアンとネルヴァルを経て、20世紀のアラン=フルニエまで、時代と国(したがって言語)の多様性に配慮しながら、19人の「夢の女」たちの姿を描き出す」(194頁)。なお、同解説によれば、本書の原稿が版元に手渡されたのは、山田さんの逝去のわずか二日前だったそうです。小倉さんが「校正刷りに目を通し、若干の加筆修正を施し、訳注を追加した」とのこと。女性の性の商品化がしばしば問われるこんにちですが、コルバンが辿った崇拝の系譜は単純に商品化の歴史と同一視するわけにはいかないと思われます。異性の理想像を神聖化することにおいては、女性にとっての男性像というものも一方であるわけで、人文書だけでなく文学、コミック、アニメ、映画、写真集まで話題を広げると、男女の理想像をめぐる興味深いコーナーやフェアができそうです。

★なお、藤原書店さんの直近の注目情報が二つあります。ひとつは藤原良雄社長が今般、アカデミー・フランセーズより「2018年フランス語フランス文学顕揚賞(Prix du Rayonnement de la langue et de la littérature françaises)」を授与されるということ。もうひとつは9月に新雑誌『兜太 TOTA』が創刊されることです。新雑誌第1号の特集名は「金子兜太とは何者か」。筑紫磐井さんが編集長で、編集委員は、井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子の各氏。黒田さんが(編集主幹)をおつとめになるとのことです。菊大判並製240頁、定価1,944円。寄稿予定者は誌名のリンク先でご確認いただけます。『環』(第Ⅰ期:2000年4月~2015年5月)の後に創刊される新雑誌であるだけに、どんな誌面になるのか、注目したいです。

★栗原康『菊とギロチン』はまもなく発売(7月11日頃)。瀬々敬久監督の映画作品「菊とギロチン」(7月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開中)を、気鋭の政治学者・栗原康さんが評伝的小説として書き上げたもの。「菊とギロチン」の内容は同映画の公式サイトの解説によれば「物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――」というもの。


★栗原さんの本はその小説化ですが、版元ウェブサイトに掲載された原作者の瀬々監督のコメントが本書の輝きをもっとも端的に表現していると思います。曰く「脚本の書き直しをやっている時、栗原康さんの著作の数々を心震わせて読んだ。現代をアナキズム的生き方で切り拓こうとする彼の態度に勇気づけられたのだ。そして幸運にも遊撃的著作を書いてもらえることとなる。今回も栗原さんの文章は独特のいわば講談調とも呼ぶべき檄文で、映画『菊とギロチン』が見事なほどに栗原流の血沸き肉躍る菊ギロに読み替えられている。ノベライズとかそんな生易しいものではない。化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説なのだ。それに感化されてか、自分も思わず戦後史総ざらいの「その後の菊とギロチン」を書いてしまった。乞うご期待!」と。目次詳細や栗原さん自身のコメントは書名のリンク先をご覧ください。

★栗原さんの『菊とギロチン』の出だしはこうです。「人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう」(13頁)。予告編にもある東出昌大さんが演じるギロチン社の中濱鐵が語る熱い言葉のくだりは小説ではこうです。「十勝川が腰をゆらしながら、中浜のまわりをまわりはじめた。ウヒョオ、エロいね! 気分上々の中浜は、十勝川にむかって自分の夢をかたりはじめた。「オレの夢はな、満州にいって自分たちだけの国をつくる。そこじゃなにもかも平等で、食うのも平等、はたらくのも平等、貧乏人もカネもちもいない。共存共栄の理想郷だ。」それをきいた十勝川は、わらいながらこういった。「ホントにできるのかい、そんな国。」そんなふたりを古田がジッとみつめている」(229頁)。

★また、予告編につながる別の場面。「花菊がちかづいてきて、こういった。「たいへんなんだよ・・・、十勝川が兵隊みたいな男たちにつれていかれて!」「ナニぃー!」中浜がおどろきの声をあげた。「しばられて、たたかれて・・・、血だらけで・・・。」そういって、花菊は涙をながした。それをきいて、中浜はもういてもたってもいられない。「どこだ! 花菊、つれていけ!」花菊がはしりだす。中浜がついていくが、古田がピクリともうごかない。それに気づいて、花菊が心配そうにたちどまった。てめえ、なにやってんだよと、中浜が檄をとばす。「大さん、いくぞぉ!」それでも古田は微動だにしない。「ダメだよ。オレみたいな男は、なにをやったってダメなんだ!」それをきいて、マジギレした中浜。きょうはじめて、本気でどなった。「バッカヤロォォー! 女ひとり、たすけられねえで、なにが革命だァ!」(267~268頁)。

★なお、映画公開と本書の刊行を記念して、以下の通りイベントが開催されます。

◎栗原康×瀬々敬久×小木戸利光「女相撲とアナキスト――社会に風穴を!

日時:2018年7月15日(日)19:00~21:00 (18:30開場)
会場:本屋B&B(下北沢)
内容:著者の栗原康さん、瀬々敬久監督、大杉栄役の小木戸利光さんが激論!『菊とギロチン』を自主企画として三十年温め続け、ようやく公開まで漕ぎつけた瀬々敬久監督。本作を元にいまだかつていない破壊的評伝小説をかきあげた栗原康さん。映画の中で大杉栄を演じ観客に鮮烈なイメージを与えた小木戸利光さん。それぞれの立場から“菊ギロ”への思いを語っていただきます。震災、国粋主義、貧困、格差など、現代との共通性も感じられる『菊とギロチン』。観るならいましかねえ、読むならいましかねえ。トークイベント、来るならいましかねえ!

★『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection』は、2014年に刊行された全国の書店員さんによるブックガイド『NO BOOK NO LIFE――全国の本屋さんが選んだ!僕たちに幸せをくれた307冊の本』の姉妹編で、今度は20社22名(フリーランス含む)の編集者が15のテーマごとに合計166冊を選んで紹介してくれます。さらに「編集者へのQ&A」として15本のコラムも散りばめられています。15のテーマとQ&Aの詳細については、書名のリンク先の「立ち読み」からご確認いただけます。選書テーマは、本の企画性やタイトル、装丁、取材力、独自性、刊行のタイミングなど様々な切り口があって、おそらく書店さんや読者にとって興味深いだけでなく、同業者もしくは出版社を目指す方にとっても参考になる一冊です。

★版元さんのウェブサイトには寄稿者22名の詳細がないようなので、以下に列記しておきます。敬称略にて失礼します。滑川弘樹(多聞堂)、奥川健太郎(三省堂)、三上丈晴(学研プラス)、小林みずほ(KADOKAWA)、天野潤平(ポプラ社)、小塩孝之(洋泉社)、川﨑優子(廣済堂出版)、石毛力哉(原書房)、宮崎博之(淡交社)、木瀬貴吉(ころから)、北島彩(地球丸)、小林えみ(堀之内出版)、古川聡彦(猿江商會)、出口富士子(ビーンズワークス)、安永則子(小さい書房)、鈴木収春(クラーケン)、中岡祐介(三輪舎)、成田希(星羊社)、㓛刀匠(立東舎)、中村徹(雷鳥社)、望月竜馬(雷鳥社)、谷口香織(フリーランス)。

★ブックガイドといえば、角川ソフィア文庫で5月に発売された松岡正剛さんの『千夜千冊エディション 本から本へ』『千夜千冊エディション デザイン知』が6月にははやばやと再版されています。取り上げられている本の書目は書名のリンク先に掲出されていますが、一部正確ではないので、「試し読みをする」の方をご確認いただいた方がいいです。個人的にツボだったのは、『本から本へ』では小川道明『棚の思想』(影書房、1990年)、『デザイン知』ではルネ・ユイグ『かたちと力』(潮出版社、1988年)です。

★松岡さんはリブロ黄金期の社長・小川道明さんの『棚の思想』をめぐって、こうコメントされています。「おもしろい書店というものは、さまざまな棚組みやフェアや組み替えに躍起になってとりくんでいるものだ。もしも、行きつけの書店にそういう雰囲気がないようなら、そういう書店にはいかない方がいい。〔…しかし…〕、ネット書店に頼っていたのでは感覚に磨きはかからない。ぜひとも本屋遊びをし、「棚の思想」を嗅ぎ分けたい」(217頁)。『棚の思想』は出版業界をめぐる小川さんのエッセイをまとめたもので、松岡さんの著書のように本の情報に満ちた編集哲学が開陳されているわけではありませんが、リブロの歴史を知る上では、田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007年)、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社、2010年)、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(論創社、2011年)、辻山良雄『本屋、はじめました』(苦楽堂、2017年)などとともに必読文献と言えます。

★ユイグ『かたちと力』については松岡さんは「それにしても、こういう本、やっぱりぼくとスタッフで作ってみたかった」(51頁)と嘆息されています。テーマもヴィジュアルもすぐれているこの名著は古書価がさがりようがない素晴らしい本で、大げさに言えば本書が書斎にあるかどうかで蔵書世界が変容してしまう類の本です。長い間品切になっているのは出版文化にとって損失ですらあります。なお「千夜千冊エディション」は帯表4の情報によれば、今後、『文明の奥と底』『情報生命』『少年の憂鬱』『面影の日本』などが刊行予定となっています。

★『文藝 2018年秋季号』ではやはり、山本貴光さんの文芸時評「季評 文態百版」(第2回:2018年3月~5月)に注目。「膨大なデータを分類・整理して、活用できる状態にすること。とりわけ、文芸の歴史のなかに現在の状況を定期的に測定し、位置づけるという作業が必要だ〔…〕。まずは事実としてどのような作品がどこにあるか、それはどのようなものかということを見てとりやすくするのがよいだろう。肝心なことは、そうした膨大な材料を、人間の身の丈で把握しやすく表現し、操作しやすくすることだ。/いま私は無理を言っているかもしれない。だが、できる範囲でいいから、この場で観測を続け、少しずつ足場を広げながら、誰もが使える文芸のマップをつくりたいと念じている」(494頁)。こうした構想は研究者のみならず、出版社や書店、図書館にとっても有益なはずで、やめようにもやめられない重大な作業領域に山本さんは足を踏み入れられたのではないかという印象があります。

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★まもなく発売(7月9日)となる、ちくま学芸文庫の7月新刊に注目。

『20世紀の歴史――両極端の時代(下)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,900円、672頁、ISBN978-4-480-09867-2
『古代の鉄と神々』真弓常忠著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、272頁、ISBN978-4-480-09870-2
『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、288頁、ISBN978-4-480-09875-7
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ著、青柳正規訳、ちくま学芸文庫、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09878-8

★ホブズボーム『20世紀の歴史(下)』は文庫オリジナルの新訳版の完結篇。下巻は第Ⅱ部「黄金時代」の続きで第10章「社会革命――1945-90年」からはじまり、最終章となる第Ⅲ部「地滑り」第19章「新しいミレニアムに向けて」まで。巻末に読書案内、参考文献、索引など。ホブズボームは本書の最終章で私たちが生きる21世紀についてこう書いています。「新しい千年紀、人類の運命は公的な権能が復活できるか否かにかかっている」(576頁)。「歴史とは、他の多くの重要なことにもまして、人類の罪と愚行の記録である」(588頁)。「われわれが生きている世界は、著しい影響力をここ二、三世紀奮ってきた資本主義の発展というきわめて大きな経済的・科学技術的変化によって捕らえられ、根を奪われ、形が変わった世界である。それが永遠に続かないことはわかっている。少なくとも、そう思うのが合理的である。〔…〕いま、科学技術を用いる経済が生み出す力はあまりにも大きく、環境、つまり人間の生活を物質的に支えている基盤を破壊している。人間が住む社会の構造そのものが、資本主義経済を支える社会的基盤も含め、人類が過去から継承したものが蝕まれていくなかで、壊されようとしている。〔…〕そのような世界は、変わらねばならない」(589~590頁)。「もし人類に未来が与えられるとすれば、それは過去や現在を延長して可能になるのではない。そのつもりで第三千年紀を築こうとすれば、失敗するほかない。そしてその失敗の代償は、つまり、社会を変えることができなかった時に残るのは、暗闇である」(590頁)。

★真弓常忠『古代の鉄と神々』は、同名の親本(学生社、1985年;増補第三版、2012年)の文庫化。「『片葉の葦に生まれる鉄』の発見」は削除され、文庫版あとがきと上垣外憲一さんによる解説が付されています。上垣外さんは本書の論点の核心について次のように書いておられます。「日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである」。「本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年:2001年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである」。著者は宮司であると同時に大学教授も務めた研究者。初版に付された「はしがき」で著者はこう書いていました。「21世紀に向かって新しい文化の形成のために発想の転換が求められているとき、もっとも古く、もっとも保守的とみなされている神道の学問にたずさわるものよりする、新たな問題の提起であり、古代史研究における従来の方法とは異なったあらたな視点の提供である。いうならば闇に閉ざされた古代の謎を解くため、ここに一灯を掲げて博雅の万灯を待とうとするにほかならない」(7~8頁)。

★藤原彰『餓死した英霊たち』は2001年に青木書店より刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「文庫化に際しては、明らかな誤記を訂正した。そのほか、文脈を明らかにするために編集部による補注を施した箇所がある」とのことです。本書の目的については著者が巻頭の「はじめに」でこう述べています。「この戦争〔第二次世界大戦〕で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。〔…〕戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦争の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である」(9~10頁)。一ノ瀬俊也さんは解説で次のように述べておられます。本書が明らかにしたのは「1937年に始まった日中戦争、41年に始まって45年まで続いた太平洋戦争の日本側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったこと」であり、「2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく引用されている」と。軍人だった著者が敗戦後に研究者となり、晩年に執筆したのが本書でした。「本書を読む者は、戦争に対する著者の深い疑問と怒りが、いっけん淡々とした叙述の背後から立ち上ってくるのを感じ取るだろう」と一ノ瀬さんは評しておられます。また一ノ瀬さんは、かの戦争における飢えと病死の苦しみについての理解を深めるために、著者自身の遺著『中国戦線従軍記』(大月書店、2002年)の併読を薦められています。

★ロストフツェフ『隊商都市』は、1978年に新潮選書の一冊として刊行されたものの文庫化。1931年に刊行されたロシア語版から英訳された1932年の『Caravan Cities』の全訳ですが、底本となる英訳版は、著者自身による部分的書き直しや加筆を反映しているとのことです。文庫版訳者あとがきと、前田耕作さんによる文庫版解説「『隊商都市』多声と深さの復権」が新たに付されています。著者は「序」で「本書は1928年に書いた一連の紀行文を纏めたものである」と書いています。目次を列記しておくと、第一章「隊商貿易とその歴史」、第二章「ペトラ」、第三章「ジェラシュ」、第四章「パルミュラとドゥラ」、第五章「パルミュラの遺跡」、第六章「ドゥラの遺跡」。巻頭には訳者の青柳正規さんによる「隊商都市随想」が置かれています。「メソポタミア、エジプト、ギリシア、地中海、文明揺籃の地に囲まれキャラバン交易で反映した古代オリエント都市の遺跡に立ち、往時の繁栄に思いを馳せた紀行」(カバー表4紹介文)。

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# by urag | 2018-07-08 23:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 05日

ブックフェア「『エコラリアス』刊行記念フェア」@東京堂書店神田神保町店

ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(関口涼子訳、みすず書房、2018年6月)の刊行記念ブックフェアが東京堂書店神田神保町店の3F哲学思想書コーナーで来月(2018年8月)末まで開催中です。弊社本ではアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』、同『思考の潜勢力』、星野太『崇高の修辞学』、岡田温司『アガンベンの身振り』が並んでいます。店頭ではみすず書房さんが制作された冊子「ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?――『エコラリアス』読書案内&ブックリスト」が無料配布されています。同冊子には、星野太さんが「新たな文献学――アガンベンとヘラー=ローゼン」という文章を寄稿しておられます。星野太さんは同フェアの選書協力にも尽力されたと伺っています。


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# by urag | 2018-07-05 15:04 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 02日

「週刊読書人」にナンシー『ミューズたち』の書評

「週刊読書人」2018年6月29日号に、弊社4月刊、J-L・ナンシー『ミューズたち』の書評「「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性――複数の読者に開かれた書 新たなナンシー像を伝える」が掲載されました。評者は渡名喜庸哲さんです。渡名喜さん、ありがとうございます!

「本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。/ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。〔…〕本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。〔…〕とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。/ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう」。

なお同日号の1面と2面には、マルクス・ガブリエル来日インタビュー「入門マルクス・ガブリエル」(聞き手・解説=浅沼光樹)が掲載されており、必読かと思います。

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# by urag | 2018-07-02 12:06 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 01日

注目新刊:メイヤスー『亡霊のジレンマ』、マラブー『明日の前に』、ほか

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亡霊のジレンマ――思弁的唯物論の展開』カンタン・メイヤスー著、千葉雅也序、岡嶋隆佑/熊谷謙介/黒木萬代/神保夏子訳、青土社、2018年6月、本体2,200円、四六判並製265頁、ISBN978-4-7917-7084-7
明日の前に――後成説と合理性』カトリーヌ・マラブー著、平野徹訳、人文書院、2018年6月、本体3,800円、4-6判並製370頁、ISBN978-4-409-03098-1
未来を読む――AIと格差は世界を滅ぼすか』大野和基編、PHP新書、2018年6月、本体880円、264頁、ISBN978-4-569-84106-9

★メイヤスー『亡霊のジレンマ』は、『有限性の後で』(千葉雅也ほか訳、人文書院、2016年)に続くメイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967-)の訳書第2弾。「現代思想」誌に訳載されてきたインタヴューと論文の計4本に、2本の講演録を加え、千葉雅也さんによる序文「メイヤスーの方法――存在と倫理と文学をまたいで」を配した、日本語版独自編集となる一冊です。千葉さんは本書を「『有限性の後で』の理解を補うと共に、『有限性の後で』には表れていないメイヤスー哲学のさらなる広がり――存在論、倫理、文学にまたがる――に触れることができる論集である」と説明されています。帯文はこうです。「来たるべき神と全人類の復活を謳う表題作から、議論を呼んだマラルメ論、SF論まで。『有限性の後で』では表れなかった、メイヤスー哲学のもう一つの相貌」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★またメイヤスーの思想を千葉さんは次のように端的に紹介されています。「メイヤスーの仕事は、ひとつの新たなる「差異の哲学」、ポスト・ポスト構造主義の「差異の哲学」である。その新しさの核をなすのが、偶然性概念なのだ。ポスト構造主義においても重要であった偶然性概念を、改めてラディカライズするところにメイヤスーの独自性がある。この世界の(法則系の)、純然たる偶然性――いかなる人間的な意味とも無関係な「ただこのようである」こと。そこから、「差異の哲学」の別面である「変化の哲学」――とくにドゥルーズ(&ガタリ)に見られたような――に、大胆な刷新が引き起こされる。すなわち、この世界全体の、まったく偶然的な変化可能性、および変化しない可能性である。このように、メイヤスーの哲学は、ポスト構造主義から引き継がれたテーマ、キーワードを、人間的意味を徹底的に無化する方向へとラディカライズしているのである」(9頁)。

★表題作となる「亡霊のジレンマ」は、「クリティーク」誌の2006年704-705号に掲載された「来るべき喪、来るべき神」の翻訳。思い切って簡潔な言葉に言い換えると、死者を弔う際に、人が神を信じるかそれとも信じないかによって、異なる挫折や絶望が生じる問題を、メイヤスーは「亡霊のジレンマ」と呼んでいます。そしてそのジレンマの解消を「神はまだ存在しない」という言明のうちに形式化しようと試みています。「無神論と宗教という二重の行き詰まりから抜け出すような生者と死者のつながりを、いかに思考すべきか」(82頁)とメイヤスーは問い、「ジレンマを解消することは、死者の復活可能性――解消のための宗教的条件――と、神が現実存在しないこと――解消のための無神論的条件――とを結びつける言明を思考可能なものとすることに帰着する」(83頁)と述べます。

★そして、宗教的な神は存在しないものの、潜在的状態に留まっている「来るべき神の可能性」があり、「現世の惨事と無縁のこの来るべき神であれば、死とは別のものを亡霊たちにもたらしうる」(84頁)というのです。こうした「無神論とも神学とも手を切った、思考の本源的体制」(92頁)へと向かうメイヤスーの挑戦は、彼自身の著書『数とセイレーン――『賽の一振り』解読』(2011年、未訳)を解説した講演録「『賽の一振り』あるいは仮定の唯物論的神格化」でも明白に表れています。「実際、マラルメはある種のやり方で、現代性の勝利を確かなものにすることができた人物でした。〔…〕『賽の一振り』によって、詩の神格化が起こり、新しい信仰が誕生したのです」(208頁)。「それは大仰なものも超越的なものもない、神的なものの再発明であり、〔…〕このような唯物論的な身ぶりを反復し、エピクロスとマラルメとは別のしかたで二次的な神々を再発明する最も有効な方法――、ここに、自らの内在的な力能に返された哲学の務めがあるのだと、私は思います」(209頁)。

★『有限性の後で』の難解さに挫折した読者も、『亡霊のジレンマ』のうちには何かしら、読解の手掛かりを得ることができるのではないかと思います。千葉さんは「本書のいずれの章においても、メイヤスーの真剣なる遊び心が炸裂している」と評しておられます。青土社さんでは今月下旬、千葉さんの対談集『思弁的実在論と現代について』を発売予定なので、そこでもさらに理解を深めることができるようになるでしょう。思弁的実在論やその周辺をめぐる参考文献として以下も掲出しておきます。

『現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014――ポスト・ポスト構造主義へ』青土社、2013年12月
『現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015――思弁的実在論と新しい唯物論』青土社、2014年12月
『現代思想 2015年6月号 特集=新しい唯物論』青土社、2015年5月
『現代思想 2015年9月号 特集=絶滅――人間不在の世界』青土社、2015年9月
『現代思想 2016年1月号 特集=ポスト現代思想』青土社、2015年12月
『現代思想 2017年12月号 人新世――地質年代が示す人類と地球の未来』青土社、2017年11月
『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』青土社、2017年12月
『モノたちの宇宙――思弁的実在論とは何か』スティーヴン・シャヴィロ著、上野俊哉訳、河出書房新社、2016年6月
『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』グレアム・ハーマン著、岡嶋隆佑ほか訳、人文書院、2017年9月
『複数性のエコロジー――人間ならざるものの環境哲学』篠原雅武著、以文社、2016年12月
『現代思想の転換2017――知のエッジをめぐる五つの対話』篠原雅武編、人文書院、2017年1月
『人新世の哲学――思弁的実在論以後の「人間の条件」』篠原雅武著、人文書院、2018年1月

★また、先週発売された『現代思想』2018年7月号「特集:性暴力=セクハラ――フェミニズムとMeToo」はタイムリーで必読。編集後記に次のような特記があるのは異例だと思います。「本特集内には随所で性暴力・セクハラに関する経験等の表現がなされます。無理をせず、ぜひ体調を優先してお読みください」。

★マラブー『明日の前に』はまもなく発売(7月3日以降)。原書は『Avant demain. Épigenèse et rationalité』(P.U.F., 2014)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マラブー(Catherine Malabou, 1959-)の単独著の翻訳は、『わたしたちの脳をどうするか――ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(桑田光平/増田文一朗訳、春秋社、2005年6月、品切)、『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』(西山雄二訳、未來社、2005年7月)、『新たなる傷つきし者――フロイトから神経学へ 現代の心的外傷を考える』(平野徹訳、河出書房新社、2016年7月)に続いて4点目になります。帯文にはこうあります、「カント以降の哲学を相関主義として剔抉し、哲学の〈明日〉へ向かったメイヤスーに対し、現代生物学の知見を参照しつつカント哲学の読み直しを試みた注目作」。

★マラブーは巻頭の「はじめに」でこう書いています。「現在の大陸哲学において、カントと絶縁しようとする動きが進行している。「思弁的実在論」の名のもと、世界や思考、時間に対する新たなアプローチが登場し、『純粋理性批判』以降、不動であると信じられてきた数多の基本的前提が疑問視されるようになっている。すなわち認識の有限性、現実的所与、主体と対象との根源的関係としてのアプリオリな総合、自然や思考の諸法則にあるとされ、必然性と普遍性を保証するとされる構造的道具立てのすべて、一口にいうなら、超越的なものが疑問視されているのである。〈超越的なものの放棄〉が、ポスト批判哲学的な新思想の合言葉となる」(7頁)。

★「超越論的なものを放棄しようとするくわだては、じつはかなり以前からあった。このくわだては、ヘーゲルにはじまり、形而上学の破壊、脱構築まで、連綿とつづけられてきた。ヘーゲルからハイデガーまで、ハイデガーからデリダそしてフーコーまで、その堅牢性、永続性、思考の必須条件と称されるその性格をめぐって、超越論的なものは問題視されてきた。ハイデガーのように時間をもちこむ、あるいはフーコーのように歴史をもちこむといったこころみは、すでに超越的なものを追い払おうとする身ぶりだったのである。だがこれは哲学だけの話ではない。神経生物学は1980年代半ばにめざましい発展を遂げ、その成果が最近ようやく知られるようになってきたのだが、そこでは分析哲学の伝統にのみかかわるとはいいがたい一連の問いの析出・解明がすすめられ、結果として、すべての超越論的理念が目だたぬかたちで崩されつつある。近年の脳機能をめぐる種々の発見から、思考法則の前提とされる普遍性を疑問視する動きが独自のかたちで出てきているのである」(7~8頁)。

★「では、形而上学の脱構築よりも、そして認知論よりも根源的であろうとする思弁的実在論を、どう位置づけるべきなのか。一連の大転換のなかでカント哲学は、そして哲学それ自体は、どうなるのか。/哲学の近年の情景を俯瞰しながら、こうした問いへの答えをつくりあげることは、私には重要だと思われた。この情景を彩ることになる主たるカント読解は、時間、思考と脳の関係、世界の偶然性という三つの問いにかかわっている」(8頁)。マラブーはカントの『純粋理性批判』や生物学が言うところの「後成説」を援用し、最初から完成して存在していたものとして超越論的なものを捉えるのではなく「発生・発展し、変化し、進化する」ものとして再起動させます。「『ヘーゲルの未来』の後で、〈カントの未来〉を書く時がやってきたのである」(9頁)。メイヤスーの『有限性の後で』に対する賛否は、本書の第十一章「〈一致〉はない」と第十二章「袋小路のなかで」に詳しく、本書の見どころの一つになっています。

★『未来を読む』は、ジャレド・ダイアモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、リンダ・グラットン、ダニエル・コーエン、ニック・ボストロム、ウィリアム・J・ペリー、ネル・アーヴィン・ペインター、ジョーン・C・ウィリアムズの8氏への大野和基さんによるインタヴューを一冊にまとめたもの。PHP研究所の月刊誌『Voice』とウェブメディア「NewsPicks」に掲載されたインタヴューの完全版で、ダイアモンドとペリーの両氏については追加取材が行なわれたとのことです。8氏についてはそれぞれ訳書がありいずれも話題となりましたが、大著が多いので、本書はより簡便に世界的な知性に近づける手頃な一冊と言えます。

★8氏のうち、ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』2巻本が河出書房新社より9月に発売予定ということで、充分に時間がありますから、8氏の書籍を集めたコーナーなどを店頭で作りやすいかもしれません。さらに硬めの本を含めてコーナーを拡張したい場合は、思弁的実在論とその対抗者の本、つまりメイヤスーやマラブー、さらに先月来日したマルクス・ガブリエルの以下の関連書を集めると人文書の昨今の成果の一端が見えてくるのではないかと思われます。

神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性』マルクス・ガブリエル/スラヴォイ・ジジェク著、大河内泰樹/斎藤幸平監修、飯泉佑介ほか訳、堀之内出版、2015年11月
なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル著、清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年1月
欲望の資本主義2』丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班著、東洋経済新報社、2018年4月
入門マルクス・ガブリエル――マルクス・ガブリエル来日インタビュー」聞き手・解説=浅沼光樹、『週刊読書人』2018年6月29日号

★例えばメイヤスー、マラブー、ハラリ、ボストロム、ガブリエル、この5氏がそれぞれ〈自然・人間・神〉をどう捉えているのかを見ることは、彼らの影響を受けざるをえない若い世代がいずれ10年後、20年後に「(来たるべき)現代人」としてどのような思想的立場を取るのかを占う上で重要です。5氏の思想もまた、彼らに先行する欧米思想への必然的応答として形成されているからです。人間は自身が思っている以上に時代に縛られるものであり、良かれ悪しかれ時代とともに生き、時代とともに死ぬほかはありません。そうやって時代の制約を被りつつ、未来を切り拓くための礎となり、次代を呪縛する呪いともなるわけです。後に来る世代は祝福とともに呪いをも受け取らざるをえないのです。

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★このほか、最近以下の書目との出会いがありました。

シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』今村純子編訳、河出文庫、2018年7月、本体1,300円、480頁、ISBN978-4-309-46474-9
アメリカ民主主義の衰退とニーチェ思想――ツァラトゥストラの経済的帰結』山田由美子著、人文書院、2018年6月、本体3,800円、4-6判上製454頁、ISBN978-4-409-04110-9
真実について』ハリー・G・フランクファート著、山形浩生訳解説、亜紀書房、2018年6月、本体1,400円、四六判変型上製144頁、ISBN978-4-7505-1551-9
[新版]黙って野たれ死ぬな』船本洲治著、共和国、2018年6月、本体2,800円、四六判並製376頁、ISBN978-4-907986-46-9
戦闘戦史――最前線の戦術と指揮官の決断』樋口隆晴著、作品社、2018年6月、本体2,800円、A5判並製320頁、ISBN978-4-86182-693-1

★『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』はまもなく発売。文庫で読めるシモーヌ・ヴェイユの著作はちくま学芸文庫や岩波文庫から発売されていますが、独自編集の論集というのは今回が初めてです。目次は以下の通り。

まえがき(今村純子)
『グリム童話』における六羽の白鳥の物語
美と善
工場生活の経験
『イーリアス』、あるいは力の詩篇
奴隷的でない労働の第一条件
神への愛と不幸
人格と聖なるもの
解題(今村純子)
あとがき(今村純子)
主要文献一覧
シモーヌ・ヴェイユ略年譜
事項索引
人名・神名索引

★特筆しておきたいのは最初の2篇です。「『グリム童話』における六羽の白鳥の物語」はシモーヌが16歳のおりにアランに提出したもので、彼女の公刊された論考の中で最初のものだそうです。続く「美と善」は17歳になったばかりの彼女がやはりアランに提出したもの。この2篇の後は中期から晩年(と言ってもシモーヌの生涯はたったの34年間なのですが)に至るテクストが収められています。「本書は、シモーヌ・ヴェイユの「この世界へのひっかき傷」と思われる表現が十全にあらわれ出ている七篇の論考を翻訳・収録している」と今村さんはまえがきで書いておられます。工場労働を経験した彼女が1941年に書いた「奴隷的でない労働の第一条件」は今なお胸に刺さります。彼女はこう記しています。「一日の空間内でぐるぐる回る。そこで労働と休息とのあいだを、いっぽうの壁からもういっぽうの壁へと打ち返されるボールのように、行ったり来たりする。食べる必要のためだけに働く。だが食べるのは働き続けるためである。そしてまた食べるために働く」(203頁)。シモーヌはこのあとマルクス主義の労働観や宗教観、革命観に対する鋭い批判を展開しています。「それぞれの社会的役割が有している超自然的な使命」(224頁)という彼女の観点を掘り下げることは現代人にとっても大きな意味を持っているように感じます。

★なお河出書房新社さんのウェブサイトでは今村さん訳によるヴェイユの『神を待ちのぞむ』が続巻予定であることが確認できます。文庫ではなく単行本のようです。

★山田由美子『アメリカ民主主義の衰退とニーチェ思想』はあとがきの言葉を借りると「アメリカ民主主義衰退の原因を、政治・経済・文化におけるニーチェ思想の観点から究明する」もの。「結論から言うと、ニューライトは、元来非民主的・非理性的なニーチェに論拠を求めて成功し、ニューレフトは、元来非民主的・非理性的なニーチェに論拠を求めたために道を踏み誤った」(436頁)と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書は、アメリカの作家ソール・ベロー(Saul Bellow, 1915-2005)の最晩年作『ラヴェルスタイン』への言及から始まります。ベローは自身が「まえがき」を寄せもした大ベストセラー『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房、1988年;新装版2016年)の著者で保守派のアイコンたるアラン・ブルーム(Allan Bloom, 1930-1992)の同性愛について、『ラヴェルスタイン』で暴露しました。ブルームの親友だったベローにとってこの作品の動機と意義がどこにあったのか、ベローの書簡から読み解くところから始まる本書は、活き活きとした筆致で現代アメリカ史の一側面を描き出しています。ちなみに『ラヴェルスタイン』は今春訳書が刊行されたばかりです(鈴木元子訳、彩流社、2018年4月)。

★フランクファート『真実について』は『On Truth』(Knopf, 2006)の訳書で、原著が前年の2005年に刊行された『ウンコな議論〔On Bullshit〕』(山形浩生訳、筑摩書房、2006年;ちくま学芸文庫、2016年)の続編。著者フランクファート(Harry Gordon Frankfurt, 1929-)はプリンストン大学名誉教授であり道徳哲学が専門。近年の著書『On Inequality』(Princeton University Press, 2015)も山形さんの訳で『不平等論――格差は悪なのか?』(筑摩書房、2016年)として刊行されています。内容の真偽よりも相手の意見や態度に及ぼす「効果」を狙ったウンコな議論が嘘よりも悪質であることついて前著で論証した著者は、『真実について』では「なぜ真実への無関心がいけないことなのか」(9頁)、「真実の価値と重要性」(13頁)について説明しています。「私たちが実行することすべて、したがって人生すべての成功と失敗は、私たちが真実に導かれているか、それとも無知のままや偽情報に基づいて先に進むかで決まる。それはまた、その真実をどう使うかにも決定的に左右される。でも真実なしには、出発する前から命運は尽きている」(30頁)。当局による代替事実やSNSにおけるデマが猛威を振るうポスト真実の時代にひもとくべき一冊です。



★船本洲治『[新版]黙って野たれ死ぬな』は、親本の『黙って野たれ死ぬな――船本洲治遺稿集』(れんが書房新社、1985年)に収録された文章を「現在の視点から再検証・再編集し、新たに発見された論考やエッセイ、写真などを加えたもの」(版元プレスリリースより)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序「船本洲治、解放の思想と実践」を原口剛さんがお書きになり、解説「船本洲治とともに半世紀を生きて」を中山幸雄さんが寄せておられます。上山純二さんによる「編集後記」によれば、新版では遺稿の配列をテーマ別から時系列とし、誤って船本作とされたものなど3篇が削除され、新たに「山谷解放委に反論する」を加え、さたに誤字誤記は訂正したとのことです。時系列というのは中山さんの解説では、船本洲治(ふなもと・しゅうじ:1945-1975)が駆け抜けた次の3期に区分されるとのことです。1)東京・山谷期:1968年9月~72年1月、2)大阪・釜ヶ崎期:1972年2月~73年4月、3)潜行期:1973年4月~75年6月。

★樋口隆晴『戦闘戦史』は「歴史・戦史雑誌である『歴史群像』誌(学習研究社~学研プラス)の2010年10月号より2015年10月号まで、不定期に連載した記事のうち、読者にとって身近であると思われる日本陸軍の戦いを中心にピックアップし、加筆訂正したうえで新たに1章(11章「金井塚大隊の帰還」を書き下ろしたもの」(あとがきより)。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。著者は本書の工夫と意義について次のように述べています。「戦場を追体験できるように、地形や天候、舞台の状況、指揮官の精神状態などを、史・資料に沿い、できうるかぎり、細かくわかりやすく描写した」(5頁)。「現在のようにそれぞれの職業が専門性を増し、そうした専門性に基づく行動が、しばしば状況に合致しないといわれるなかで、瞬時の決断をもとめられる多くの社会人に、なんらかのものごとを考えるきっかけとならないだろうか」(6頁)。

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# by urag | 2018-07-01 23:25 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 28日

ブックフェア&イベント@紀伊國屋書店新宿本店:ファム・コン・ティエン『深淵の沈黙』

弊社刊『ブランショ政治論集』や『間章著作集(Ⅰ)時代の未明から来たるべきものへ』を出品させていただいているブックフェアをご紹介します。

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◎ブックフェア「いまだ夜深き時代、『深淵の沈黙』を読む」野平宗弘選

会期:2018年6月13日(水)~7月上旬
場所:紀伊國屋書店新宿本店【3階人文】I-28棚
内容:戦争時代の反抗者、ファム・コン・ティエンの初邦訳であり、そして年間ベスト級の衝撃作『深淵の沈黙』。訳者の野平宗弘さんによる選書フェアで、野平さん執筆の1万字におよぶ解説冊子も無料配布。

◎トークイベント「「ベトナムのランボオ」ファム・コン・ティエンの破壊思想と叛逆の人生」野平宗弘さん×真島一郞さん

日時:2018年7月5日(木)19:00開演
会場:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース
料金:500円
受付:先着50名様、電話予約受付03-3354-0131(新宿本店代表番号:10:00~21:00)

内容:1960年代のベトナム戦争のさなか、南ベトナムの文壇に現れて以降、過激な言動、ハチャメチャな生き方で話題をさらい、良識ある大人たちからは煙たがられたものの、悩める若者の代弁者として圧倒的な支持を受けていた、詩人にして思想家のファム・コン・ティエン。ヘンリー・ミラーからは早熟のフランス詩人A.ランボオの生まれ変わりとも評された、その生き方、言動、思想は、時代が変わっても、異なる地域においてであっても、鋭敏な若者たちの感性を挑発し続けてやむことはない。本トークイベントでは、社会人類学者の真島一郞さんと、『深淵の沈黙』(1967年刊)の世界初の訳書を上梓した野平宗弘さんの二氏が登壇し、「世界の夜」の時代にあってなお己を貫き生きたティエンの人生と、本書で展開された思想を中心に紹介しながら、今なお失せないその魅力と思想的可能性に迫る。講演終了後、サイン会を行います。書籍は会場で販売いたします。

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# by urag | 2018-06-28 15:02 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 26日

本日取次搬入:岡田温司『アガンベンの身振り』、シリーズ「哲学への扉」第二弾

シリーズ「哲学への扉」第二弾となる、岡田温司さんの『アガンベンの身振り』は、日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに本日6月26日搬入です。書店さんには明日以降、順次配本となります。店頭発売開始は今週後半以降かと思われます。取扱書店については、当ブログコメント欄、Eメール、電話、FAX、ツイッター等でお問い合わせください。地域を限定していただければお答えします。
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# by urag | 2018-06-26 11:58 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 24日

注目新刊:ポムゼル『ゲッベルスと私』、『ライプニッツ著作集』第Ⅱ期完結、ほか

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ゲッベルスと私――ナチ宣伝相秘書の独白』ブルンヒルデ・ポムゼル/トーレ・D・ハンゼン著、石田勇治監修、森内薫/赤坂桃子訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体1,900円、B6判上製268頁、ISBN978-4-314-01160-0
腸と脳――体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか』エムラン・メイヤー著、高橋洋訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体2,200円、B6判上製328頁、ISBN978-4-314-01157-0
塗りつぶされた町――ヴィクトリア期英国のスラムに生きる』サラ・ワイズ著、栗原泉訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体2,700円、B6判上製464頁、ISBN978-4-314-01161-7
ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[3]技術・医学・社会システム――豊饒な社会の実現に向けて』G・W・ライプニッツ著、酒井潔/佐々木能章監修、佐々木能章ほか訳、工作舎、2018年6月、本体9,000円、A5判上製528頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-494-1
ミクロログス(音楽小論) 全訳と解説』グイド・ダレッツォ著、中世ルネサンス音楽史研究会訳、春秋社、2018年6月、本体4,800円、A5判上製312頁、ISBN978-4-393-93213-1
寛容についての手紙』ジョン・ロック著、加藤節/李静和訳、岩波文庫、2018年6月、本体660円、192頁、ISBN978-4-00-340078-4
第七の十字架(上)』アンナ・ゼーガース著、山下肇/新村浩訳、岩波文庫、2018年6月、本体920円、336頁、ISBN978-4-00-324731-0
エコラリアス――言語の忘却について』ダニエル・ヘラー=ローゼン著、関口涼子訳、みすず書房、2018年6月、本体4,600円、四六判上製336頁、ISBN978-4-622-08709-0
リヒテンベルクの雑記帳』ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク著、宮田眞治訳、作品社、2018年5月、本体4,800円、四六判上製668頁、ISBN978-4-86182-690-0

★今月の紀伊國屋書店さんの新刊3点はいずれも粒揃い。『ゲッベルスと私』は、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(1897-1945)の秘書を務めた女性、ブルンヒルデ・ポムゼル(Brunhilde Pomsel, 1911-2017)へのインタヴューを収録した『Ein Deutsches Leben : Was uns die Geschichte von Goebbels' Sekretärin für die Gegenwart lehrt mit Brunhilde Pomsel』(Europa-Verlag, 2017)の訳書。インタヴュワーは4人の映画監督で、まえがきと解説を政治学者、社会学者、経済ジャーナリストなどの肩書をもつ専門家ハンゼンが書いています。現在、同名のドキュメンタリー映画が岩波ホールなどで今月津16日より順次公開中。逝去する約3年前の103歳の折、彼女は70年近く前の暗い時代について語りました。帯文には「その発言は、ハンナ・アーレントのいう“悪の凡庸さ”を想起させる」とあります。


★彼女は敗戦になるまでユダヤ人の虐殺を知らず、彼女自身、ユダヤ人に対する嫌悪もなく、交際していたユダヤ人男性との間には子供が生まれるはずでした(悲しい出来事の後、彼女は終生独身を貫きます)。彼女は自分の愚かさを認めつつ、政治に無関心のままナチスのもとで働くことになったこと、ヒトラー就任直後は「ただただ新しい希望に満ちていた」こと、「最初のころはすべてが順調で、みんなのお給料が上がった」こと、「宣伝省はとても良い職場」で「すべてが快適で居心地がよく、身なりの良い人ばかりで、みんな親切だった」こと、「少しだけエリートになった気分」だったこと、ゲッベルスが「卓越した役者」だったこと、彼の自殺後は「すべてが終わった」と思ったこと、それでも自殺しようとはならなかったこと、ソ連兵による抑留後に虐殺の事実を知って愕然としたものの、自分は直接は関与しておらず「私個人の罪では断じてない」と感じたこと、等々が赤裸々に語られます。たちまち付箋だらけになるほど、強く惹き込まれる問題作です。かつてアイヒマン裁判を扱ったブローマン/シヴァンの『不服従を讃えて』(産業図書、2000年)を読んだ時の戦慄が甦りました。アイヒマンもそうでしたが、ポムゼルも勤勉な人物でした。

★「もし仮に私が宣伝省にいなくても、歴史の歯車はおそらく同じように回っていたわ。あれは、私一人が左右できるようなことではまったくなかったのだから」(163頁)。「ナチスが権力を握ったあとでは、国中がまるでガラスのドームに閉じ込められたようだった。私たち自身がみな、巨大な強制収容所の中にいたのよ。ヒトラーが権力を手にしたあとでは、すべてがもう遅かった。そして人々はみな、それぞれ乗り越えなければならないものごとを抱えており、ユダヤ人の迫害だけを考えているわけにはいかなかった。ほかにもたくさんの問題があった。〔…〕だからといってすべてが許されるわけではないけれど」(172頁)。

★彼女が語ったことの中でもっとも説得的であるがゆえに恐ろしい言葉があります。「悪は存在するわ。悪魔は存在する。神は存在しない。だけど悪魔は存在する。正義なんて存在しない。正義なんてものはないわ」(146頁)。これは章ごとの扉に引用されている発言のひとつなのですが、この言葉だけが本文中には見当たりません。しかし映画においては確かに収められているそうで、版元さんの情報によれば本書149頁の第2段落(「私は抑留を解かれたあとで初めて…」)の後に150頁最終行からの段落(「強制収容所が存在することは…」)が続き、その後にガス室の映像が流れて「悪は存在するわ。何と言えばいいのか分からないけれど。神は存在しない。だけど悪魔は…」と続くとのことです。あまりにショッキングな証言のために、書籍版の本文からは削除され、かろうじて扉にのみ残されたのでしょうか。なお、映画と書籍は別々に再構成されており、まったく同一の内容というわけではないとも聞いています。

★正義をめぐってはこんな発言もあります。「正義なんて存在しない〔…〕司法にだって、正義は存在しない。第一に、あらゆるものごとについての意見は変化する。それも、つねに変化するものだわ」(175頁)。百年以上生きたことの重みがここに表れている気がします。ちなみに今月の岩波文庫ではアンナ・ゼーガースの『第七の十字架〔Das siebte Kreuz〕』上巻が発売されています。ナチスの強制収容所から脱走した七人をめぐる物語で、亡命先のフランスで執筆され、1942年にアメリカで縮約版が刊行され、その後ドイツでも刊行されました。親本は1952年、筑摩書房より刊行。巻末の編集付記によれば「文庫収録にあたり、山下肇氏子息の山下萬里氏の協力を得、訳語・訳文・表記の現代化の観点から若干の調整と、注記の追加等を行なった」とのことです。

★紀伊國屋書店さんの今月新刊はほかに2点あります。『腸と脳』はドイツ出身の胃腸病理学者で現在はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授を務める研究者による話題書『The Mind-Gut Connection: How the Hidden Conversation Within Our Bodies Impacts Our Mood, Our Choices, and Our Overall Health』(Harper Wave, 2016)の全訳です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば本書の際立った特徴は、腸と腸内のマイクロバイオータと脳・心・情動の関係に大きな比重が置かれている点で、「過敏性腸症候群(IBS)、うつ病、不安障害、自閉症、さらにはパーキンソン病をはじめとする神経変性疾患などの脳や心の病気に、腸やマイクロバイオータの異常が関連しうることが詳述されており、そこに心身の疾病に対する新たな視点を読み取ることができる」とのことです。福土審『内臓感覚――脳と腸の不思議な関係』(NHKブックス、2007年)をその昔興味深く読んだ方は本書でその知見を新たにされるかと思います。

★もう一点、『塗りつぶされた町』は『The Blackest Streets: The Life and Death of a Victorian Slum』(Vintage Books, 2009)の翻訳。19世紀末のロンドンの一角に存在したスラム街「ニコル」の誕生と消滅をつぶさに描いたユニークな歴史書。東京ドームの1.3倍ほどの地域に集合住宅と作業場と家畜小屋がひしめき、そこに6000人ほどが住んでいたといいます。住民の8割は子供だったそうで、貧しい人々を「救う」ために活動した聖職者や篤志家、革命家、さらには同地区で暮らした犯罪者や在野の統計学者など、様々な人物が登場します。「社会ののけ者の最下層を生みだしたとして、福祉国家を指弾する専門家は多い。だが、ちょっと待って欲しい。19世紀におびただしい数の貧困者が生まれたのは、人びとがなんの手助けも得られず、独力で何とかやっていくしかない状態に置かれたからにほかならない。この歴史的事実に目を向けてほしい。本書がそのきっかけとなってくれれば幸いである」(404頁)と著者は書いています。著者ワイズはカリフォルニア大学ロンドン研究センターで19世紀英国の社会史を講じているそうです。

★『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[3]技術・医学・社会システム』は著作集第Ⅱ期の完結編となる第3巻。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。様々な同時代の思想家と交流した知識人であり、広範囲な学問領域を開拓した先進的理論家で、さらに宮廷顧問官として社会貢献にも邁進したライプニッツ(1646-1716)の、実践家としての信念がよく表れている一冊ではないかと思います。個人的には第3部「社会システム」に収められている「図書館改革案」(山根雄一郎訳解説)と「図書館計画」(上野ふき訳解説)に惹かれます。後者はさらに「ヴォルフェンビュッテル公爵殿下への図書館運営の提言」と「ライプニッツの図書館配列案――諸学の分類に従ってより広くより集約的に配置されるべき」から成り、分類の中には「図書館学」もあって、「図書館に関する文書、普遍的な宝庫のために」と特記されています。2期全13巻完結にあたり、巻末の総解説「《実践を伴う理論》の真骨頂」で佐々木能章さんは次のように書かれています。「『ライプニッツ著作集』全13巻はライプニッツの業績を広くカバーするものとなった。もちろんライプニッツが書き残したもののすべてからすれば、これでもまだ一部でしかないのだが、多岐にわたる業績を見渡すことは十分に可能であろう」。このままずっと翻訳が続いていずれ第Ⅲ期が始まることをつい夢見てしまうのは私だけでしょうか。なお第3巻の特別付録として「『ライプニッツ著作集』第Ⅰ期・第Ⅱ期収載全著作・書簡年譜」が付属しています。

★ここ最近、『ライプニッツ著作集』だけでなく古典ものの翻訳が充実しています。ライプニッツの同時代人ロック(1632-1704)の『寛容についての手紙』は、1689年に刊行されたラテン語版テキストをウィリアム・ポップルが英訳して序言を付し同年に出版した『A Letter Concerning Toleration』の全訳。凡例によれば、1689年の初版を底本としつつ、1690年に刊行された第二版での修正を加味したとのことです。訳者お二人によるあとがきには「両名が『手紙』を翻訳した意図のなかには、野沢先生も心を痛めておられた現代世界を覆う不寛容な状況へのささやかな抵抗の意志を示すことも含まれている」と記されています。『ピエール・ベール著作集』の個人全訳で著名な野沢協さんとお二人との交流をきっかけに生まれたのが今回の訳書なのだそうです。『手紙』の既訳には、生松敬三訳(ポップル訳からの翻訳;『世界の名著27』所収、1968年)、平野耿訳(ラテン語版からの翻訳;朝日出版社、1971年)、野沢協訳(フランス語訳からの翻訳、『ピエール・ベール関連資料集 補巻』所収、2015年)があります。

★18世紀ドイツのゲッティンゲン大学実験自然学教授リヒテンベルク(1742-1799)が20代から50代まで35年にわたって書き残してきたノート群から抜粋し翻訳した『リヒテンベルクの雑記帳』が先月刊行されました。底本は1980年と1991年に刊行されたプロミース版2巻本。「リヒテンベルクが取り上げた分野や主題をできるだけ網羅することを目指し」たものとのことで600頁以上ある大冊ですが「これでも全体に比すればわずかなもの」だそうです。「アフォリズム文学の嚆矢」(帯文より)として知られているのは周知の通り。カネッティが「世界文学におけるもっとも豊かな書物」と呼んだように、論及される主題は実に多種多様です。例えば飲酒については、ワインをグラスに5、6杯飲めば「目に力を与え、魂を心地よく満たすにはこれ以上のものはない」(B159、356~357頁)と述べ、人生の憂鬱な隘路に新しい展望を拓いて心を解放する、その効用を記しています。よりコンパクトな抜粋本としては池内紀編訳『リヒテンベルク先生の控え帖』(平凡社ライブラリー、1996年)がありましたが、現在は品切。

★『ミクロログス(音楽小論)』は「ドレミの始祖」として知られる11世紀イタリアのグイド・ダレッツォ(アレッツォのグイド)の主著で中世ヨーロッパの音楽理論書として高名な論考の全訳。関連文書3篇の翻訳(「韻文規則」「アンティフォナリウム序文」「未知の聖歌に関するミカエルへの書簡」)に加え、7本の解説論文を併載しており、充実しています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。少年たちに聖歌を教えることを目的とした『ミクロログス』は難解な理論的説明を避け、「歌い手たちに役立つと信じるいくつかの事柄を可能な限り簡潔に述べ〔…〕歌唱にあまり役立たず、議論されてもいても理解できないような音楽[の問題]については言及しない」(7頁)という立場を取っています。佐野隆さんによる解題では本書を「包括的な音楽実践の手引書としては最初期の著作であり、その実用性、有用性のため後の時代に大きな影響を与えることになる」と説明されています(97頁)。

★『エコラリアス』はアガンベンの英訳者として名高いヘラー=ローゼン(Daniel heller-Roazen, 1974-)の2冊目の著書(2005年)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。伊藤達也さんによる巻末解説「ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?」での説明の文言を借りると、エコラリアスとは「エコー(反響)とラリア(話)」の複数形で「反響言語」を意味し、「本書では喃語反復、他者の言葉の繰り返し、死語の残存など、かなり広い意味で用いられ」ています。伊藤さんはこうも評しておられます。「本書を構成する21の章は、医学、文学、言語学、哲学、宗教学など様々なテキストの読みを通じて、一つの大きな寓話を幾重にも変奏する。その寓話とは、言語を忘却することで人は言語を獲得し、そのようにして獲得された言語は他の言語の痕跡を谺として残存させるというものである。〔…〕哲学者ヘラー=ローゼンは言語学についても極めて正確な知識を持っており〔…〕彼は明らかに新しい時代の哲学者、書き手だ」(261頁)。

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吉本隆明全集16[1977-1979]』晶文社、2018年7月、本体6,500円、A5判変型上製582頁、ISBN978-4-7949-7116-6
市場のことば、本の声』宇田智子著、晶文社、2018年6月、本体1,600円、四六判上製240頁、ISBN978-4-7949-7024-4
これからの本屋読本』内沼晋太郎著、NHK出版、2018年5月、本体1,600円、四六変型判並製320頁、ISBN978-4-14-081741-4

★『吉本隆明全集16[1977-1979]』はまもなく発売(7月3日発売予定)。全38巻別巻1のうちの第17回配本で、帯文に曰く「100名にも及ぶ詩人の分析から“戦後の感性”の源泉を明らかにした『戦後詩史論』。夭逝や自死を余儀なくされた詩人たちに忍び寄る“季節の病像”を捉えた『吉本隆明歳時記』を収録」と。この2作のほかに、単行本未収録2篇を含む、同時期の詩や評論、エッセイなどが併載されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『吉本隆明歳時記』は四季に分かれ、中原中也、梶井基次郎、堀辰雄、立原道造、嘉村礒多、葛西善蔵、正宗白鳥、牧野信一、宮沢賢治、長塚節、などを取り上げます。同時期発表のエッセイでは、昼となく夜となく不躾かつ脅迫的な電話を自宅に掛けてくる見知らぬ男の話「狂人」や、「本を読むことは悪いことをすることとよく似ていた」と書いて少年の頃の記憶をたどる「本を読まなかった」、小学生高学年の折に塾通いを強いられたことによって遊び友達の輪から離れた体験を「現在もわたしを規定している」と明かした「別れ」など、著者の日常生活を垣間見る短文の好篇が興味を惹きます。付属する「月報17」は、長谷川宏「思考の楽しさ」、荒川洋治「詩の時代」、ハルノ宵子「銀河飛行船の夜」を掲載。ハルノさんの寄稿は家族の特異体質について書いたもの。「話半分で読み飛ばしていただいて構わないが、うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった。〔…〕現代的な表現をするなら、一種の“高機能自閉症”だ」。「論理とスピリチュアルは、決して相反するものではない」とも書いておられます。次回配本は9月下旬予定、第17巻とのことです。

★晶文社さんの今月新刊では、宇田智子さんのエッセイ集『市場のことば、本の声』が素晴らしいです。直近の約5年間に各誌で発表されてきたものに加筆修正を施し一冊にまとめたもの。帯文に「気鋭のエッセイスト」とあって、ついにこうした冠がと感慨深くなるのは新刊書店員時代の宇田さんのことを思い出すからですが、彼女の味わい深い文章はまさにエッセイスト、今や作家のそれだと感じます。特に、文章の終わり方、閉じ方(綴じ方)を心得ているという点がそう感じさせる理由なのかもしれないと思います。微妙に開いたままにして、読み手にその後を想像して味わう自由を渡してくれる、そういうやさしさを感じます。宇田さんと同じ1980年生まれの内沼晋太郎さんも今月、『これからの本屋読本』というこれまでの総決算となるような著書を上梓されています。一軒家の本屋の屋根に見えるような斜めに裁断された造本が面白いです。内沼さんの魅力はご自身が蓄積してきたノウハウを広く共有することに何のためらいもないところで、そうした「オープンソース」ぶりがこれから書店を新たに立ち上げようとしている多くの人々への知恵と励ましになってきたのだと思います。このお二人がいるだけで救われているものが確実にある、と感じます。

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# by urag | 2018-06-24 23:55 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)