2014年 05月 02日
岩波書店さんの月刊誌「思想」2014年第5号(1081号)に、2013年6月弊社刊の『原子の光(影の光学)』の書評「観ることの倫理性――リピット水田堯『原子の光(影の光学)』」が掲載されました(90-100頁)。評者はさいきん『制御と社会』を人文書院さんから上梓されたばかりの北野圭介さん(きたの・けいすけ:1963年生、立命館大学映像学部教授)です。「そのはじめの数頁、いや数行に目を通しただけでも、濃密な志向がうねり、飛び跳ね、旋回するさまに出逢うこととなる。〔・・・〕類をみない高密度のエクリチュールのうねりに我が身を任せるしかない、そう吐露したとしても毫も可笑しくはない。そして、そうした読解がなかば適切な所作のようにさえ思われる。多方向に開いたままで語彙が折り合わされることが戦略上選びとられているからだ」。「彼が観た映画をめぐって言葉を書き付けるとき、そこにはある種の倫理性が作動している。デリダが口にしたメシア主義なきメシア性に近いような。けれども、東洋と西洋の界面でその倫理性は立ち上がる。戦慄する倫理性をもつ書だといっていい」、と評していただきました。北野先生、ありがとうございました。 また「思想」同号では「来るべきカルチュラル・スタディーズのために」という特集が組まれており、北野圭介さんと吉見俊哉さんの表題対談のほか、「スチュアート・ホール追悼」と題した寄稿が並んでいます。『原子の光(影の光学)』の書評もこの特集の一部です。弊社より著訳書を刊行されている先生方も寄稿されています。毛利嘉孝さんは「スチュアート・ホールの〈声〉――ある有機的知識人の実践」(66-70頁)、本橋哲也さんは「問いと愛情――カルチュラル・スタディーズの道行」(82-89頁)と題したテクストを寄稿されています。毛利さんはこう書いておられます。「スチュアート・ホールのことを考える時に最初に思い出すのは、その〈声〉である。いくぶん低めのしゃがれた声は、話をしているうちに次第に熱を帯び、そのトーンとリズムにいつの間にか引き込まれていく」(66頁)。また、こうも書かれています。「カルチュラル・スタディーズは体系的な理論ではない。むしろ理論の体系性を疑う理論、あるいは理論化の過程を考える理論である。私たちがホールから学んだことがあるとすれば、それは世界を解明する理論ではない(そんなものは歴史上存在した試しがない!)。現実の世界は、どんな理論よりも複雑だ。重要なのは、、その地理的・歴史的特殊性、重層的情況を理解し、過度な単純化に陥らずに、理論化を進めることだとホールは繰り返し言う。/ホールから学ぶべきことがあるとすれば、それは世界を問題化する正しい問題の立て方であり、その問題を解決するための理論化の方法である」(69頁)。さらに本橋さんによればこうです、「カルチュラル・スタディーズは究極的に、答えや行動へのマニフェストではなく、問いの継続なのである」(86頁)。 追悼文の中では、平野克弥さんの「「カルチュラル・スタディーズの汚らしさ」――スチュアート・ホールの政治」にある次の言葉が印象的でした。「スチュアート・ホールはカルチュラル・スタディーズの「汚らしさ」あるいは「卑俗さ」という表現を好んで使った。しかしそれは、ポピュリストとしての発言ではなく(実際、ポピュラー・カルチャーを民衆的抵抗の場としてではなく矛盾する諸力が折衝する場と考えていたホールは、厳密な意味でポピュリストではなかった)、1980年代から90年代のアメリカでカルチュラル・スタディーズが急速に普及し、安全な「学問」に成り代わってしまったことへの抗議と苛立ちを表す言葉だった。当時、アメリカの主な研究分野――文学、歴史学、人類学、社会学、地理学、メディア研究、ジェンダースタディーズ――に「最先端」の学問として浸透していったカルチュラル・スタディーズは、「テクスト論」、「言説論」、「表象論」、「パフォーマンス論」のような一連の分析と語りのモジュールを作り上げていった。カルチュラル・スタディーズの名の下に新しい教授職、学部、センター、学術誌がつくられ、それは瞬く間に覇権的地位を築いていったのである。ホールは、1990年代初頭にイリノイ大学で行われた国際会議で、カルチュラル・スタディーズから「学問」的「純粋さと正当性を払拭」し、それをもう一度「地べたを這いずり回るような不愉快な」状態に引き戻さなければならないと語っている」(56頁)。青土社さんの「現代思想」臨時増刊号でも増補版のスチュアート・ホール特集号が出たばかりですから、この機会に書店さんの「カルチュラル・スタディーズ」棚が見直され、いっそう充実すると良いなと思います。 #
by urag
| 2014-05-02 16:09
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2014年 04月 27日
◎水声社さんの4月新刊より 『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』ロレンツォ・ヴァッラ著、高橋薫訳、水声社、2014年4月、本体3,000円、ISBN978-4-8010-0008-7 『哲学とナショナリズム――ハイデガー結審』中田光雄著、水声社、2014年4月、本体4,000円、ISBN978-4-8010-0011-7 『現代思想と〈幾何学の起源〉――超越論的主観から超越論的客観へ』中田光雄著、水声社、2014年4月、本体4,000円、ISBN978-4-8010-0012-4 『差異と協成――B・スティグレールと新ヨーロッパ構想』中田光雄著、水声社、本体5,000円、2014年4月、ISBN978-4-8010-0013-1 『シャルル・クロ――詩人にして科学者:詩・蓄音機・色彩写真』福田裕大著、水声社、2014年3月、本体4,500円、ISBN978-4-8010-0034-6 『言語と狂気――シュレーバーと世紀転換期ドイツ』熊谷哲哉著、水声社、2014年3月、本体4,500円、ISBN978-4-8010-0037-7 『風刺画家グランヴィル――テクストとイメージの19世紀』野村正人著、水声社、2014年5月、本体6,000円、ISBN978-4-8010-0029-2 『山高帽と黒いオーバーの背』近藤耕人著、水声社、2014年4月、本体2,500円、ISBN978-4-8010-0025-4 『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』は帯文に曰く「イタリア・ルネサンス期の思想家が徹底的な〈文献学的考証〉〈歴史的考証〉によって、かつてローマ皇帝コンスタンティヌスが教皇シルウェステルに教皇領を寄進した証拠とされた「コンスタンティヌスの寄進状」を駁論し、その真性を否定する論争の書」。15世紀ローマの高名なウマニスタ(人文主義者)であるヴァッラ(Lorenzo Valla, 1407-1457)の著作の翻訳にはこれまで「自由意志について」(佐藤三夫訳、『ルネサンスの人間論――原典翻訳集』所収、有信堂高文社、1984年、109-143頁)や「快楽論」第1巻(近藤恒一訳、『原典イタリア・ルネサンス人文主義』所収、名古屋大学出版会、2010年、385-448頁) がありますが、アンソロジーではなく単独本としては本邦初になります。1440年の著作『間違って帰せられ、偽ものである「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』と、当の批判対象である「コンスタンティヌスの寄進状」(『偽イシドルス教令集』所収)が訳出されています。この寄進状が偽書であると最終的に判定されたのは18世紀になってからだそうで、ヴァッラの鋭い分析力に後世の私たちが学ぶところは今なお多いと思われます。 『哲学とナショナリズム』『現代思想と〈幾何学の起源〉』『差異と協成』はいずれも筑波大学名誉教授の中田光雄さんによる著書です。かつて中田さんは『政治と哲学――〈ハイデガーとナチズム〉論争史の一決算』(上下巻、岩波書店、2002年)という大著を上梓されており、『哲学とナショナリズム』はそれ以後の論争史の新たな山場のひとつとしてエマニュエル・ファユ(Emmanuel Faye, 1956-:日本ではファイユと音写されることもあります)の2005年の大著『ハイデガー、哲学へのナチズムの導入――未刊行1933~35年ゼミによる』(中田さんが参照しておられるのは2009年のマイケル・B・スミスによる英訳版)によるハイデガー弾劾を受け止めつつ、ハイデガー哲学をBewegung(活動、運動)という術語から大胆に読み解き、その過去から未来へと渡る問いの所在を解明しようとするものです。『現代思想と〈幾何学の起源〉』は故・滝浦静雄さんに捧げられており、フッサールの高名な論考『幾何学の起源』と、それを読み解くメルロ=ポンティ、デリダ、セールらによる再主題化を論じたものです。『差異と協成』は故・今道友信さんに捧げられており、スティグレールの技術哲学などに学びつつ「現代デジタル情報文明」の行く末を論じておられます。 『シャルル・クロ』『言語と狂気』はいずれも博士論文を加筆修正したもので、お二人(福田さんと熊谷さん)それぞれの単独著デビュー作になります。前者は19世紀フランスの詩人であり、蓄音機の考案者、色彩写真の先駆者でもあるユニークな人物を取り上げたとても貴重な研究書です。後者はシュレーバーの『回想録』を読み解くものでこちらも類書が少ない研究書になります。『風刺画家グランヴィル』は「あとがき」の言葉を借りれば「19世紀のフランスを生きた風刺画家J・J・グランヴィルの代表的な作品をとりあげ、彼の創造的世界を描き出そうとする試み」です。これまでに発表済の諸論考に書き下ろしを加えたもの。業界人にとっては特に第一章「フランスの出版文化とその背景」は必読かと思われます。『山高帽と黒いオーバーの背』はソンタグやジョイスの訳書や数々の写真論・映像論で知られる英文学者による小説集。2007年の『石の中から聞こえる声』に続く第二弾になります。 なお、水声社さんの来月(2014年5月)の新刊には、ランシエール『マラルメ――セイレーンの政治学』やプランセス・サッフォーによる19世紀末パリの小説『チュチュ』などの訳書が予定されているそうです。 ◎平凡社さんの4月新刊より 『往生写集』荒木経惟写真、平凡社、2014年4月、本体2,800円、ISBN978-4-582-27811-8 『親子でたのしむ日本の行事』平凡社編、平凡社、2014年4月、本体1,400円、ISBN978-4-582-83655-4 『往生写集』は版元紹介文によれば、「荒木経惟往生写集展(2014年4月22日~6月29日@豊田市美術館、8月9日~10月5日@新潟市美術館、10月22日~12月25日@資生堂ギャラリー)にあわせて刊行された写真集。第1回太陽賞受賞作「さっちん」や「センチメンタルな旅・冬の旅」「チロ愛死」などの名高い作品から、最新作「8月」「去年の戦後」「道路」まで、荒木が50年にわたって見つめてきた生と死のすべてを収録。写真点数=300点(モノクロ/カラー)」とのこと。60年代からこんにちに至るまでの作品群から再構成された写真集です。巻末に、4篇のテクストを収録しています。浜田優「メランコリックな旅」、マリオ・ペルニオーラ「荒木の地獄」鯖江秀樹訳、藤野可織「Aと私たちみんなの秘密」。写真展の特設サイトではたくさんのサンプル写真を見ることができます。 『親子でたのしむ日本の行事』は帯文を引くと、「おうちでできる季節の遊びがもりだくさん!! お正月をはじめとした伝統的な日本の年中行事から、クリスマスやバレンタインデーなどの外国由来のイベントまで。現代版・家族のための「歳時記」」とのこと。誰でもできる1月から12月までの様々な行事を紹介し、由来や作法を愛らしい四色のイラストで解説してくれます。月日の流れを漫然とやりすごしがちな父親にとっては、家族と一緒に過ごすためのひとつのヒントとして月々のイベントを教えてもらえて嬉しい限りです。 ◎注目の4月新刊人文書より 『博物誌――世界を写すイメージの歴史』S・ピーター・ダンス著、奥本大三郎訳、東洋書林、2014年4月、本体4,500円、ISBN978-4-88721-817-8 『美味しさの脳科学――においが味わいを決めている』ゴードン・M・シェファード著、小松淳子訳、インターシフト発行、合同出版発売、本体2,450円、ISBN978-4-7726-9540-4 『天皇制の隠語〔ジャーゴン〕』絓秀実著、航思社、2014年4月、本体3,500円、ISBN978-4-906738-07-6 『博物誌』の原書はThe Art of Natural History(Country Life Books, 1978)です。帯文に曰く「ゲスナー、ビュフォン、リンネ、オーデュボン、ヴォルフ・・・・暗い洞窟にしつらえられた太古の画廊から書物の華たるヴィクトリア朝の石版プレートまでを鳥瞰し、幾人もの観察者がとらえ続けた生物相の〈象(かたち)の系譜〉を、描法や出版事情を交えて通説する、写実と綺想がせめぎあう〈自然画〉の大パノラマ」。巻頭は西洋の古い図鑑から動植物や昆虫の美麗なフルカラー図版を配した圧巻の「資料篇」で、そのあとに2部10章立ての「解説篇」が続きます。この解説篇にも300点以上のモノクロ図版を収録。巻末には、博物学者や挿絵画家・彫版師たち209組の略伝が付録として掲載されています。博物学愛好者は押さえておきたい一冊です。 『美味しさの脳科学』はまもなく発売。原書はNeurogastronomy: How the Brain Creates Flavor and Why It Matters(Columbia University Press, 2012)です。著者のシェファード(Gordon Murray Shepherd, 1933-)はイェール大学医学大学院(Yale School of Medicine)の神経生物学教授。本書は匂いや風味が実は食材やモノが備えているのではなく、脳の産物であることを教え、人間の知覚、情動、記憶、意識、言語、意志決定など広範囲にわたって「風味」が関係していることを科学的に解説してくれます。食の科学の新分野「ニューロガストロノミー」は、人類の進化や、胎児から老年に及ぶ人間の一生と健康をその射程に収めるもので興味は尽きません。人間の嗅覚は実はすごいのだということが分かってきた昨今、「ヒト脳風味系」の探究が果たす役割は大きいに違いありません。 『天皇制の隠語〔ジャーゴン〕』は2004年から2013年にかけて各媒体に発表された諸論考に、書名にもなっている長篇書き下ろしを加え、一冊にまとめたものです。書き下ろし作「天皇制の隠語――日本資本主義論争と文学」だけでも185頁になるため、これでも充分ヴォリュームがあるのですが、さすが航思社さんだけあって全24篇470頁もの大冊を恐れない姿勢をきっちり示して下さっています。本書は「1968年」や「福島原発事故」をめぐる絓さんの言論活動の線上に位置する「アナクロニックに見えるかも知れない」(466頁)試みであり、現代資本主義への批判のための遡及と迂回を厭わず、主に小林秀雄、中村光夫、柄谷行人といった先人たちの文学史観を参照しつつ、今なお私たちの歴史認識を規定する問題に取り組んでおられます。「かつて、天皇制の隠語としてあった封建制は、今や、リベラル・デモクラットを指す隠語とさえ化するのかも知れない」(同)と絓さんは書きます。日本の民主主義の底流にある拭い難い何物かへと迫る好著です。 #
by urag
| 2014-04-27 21:00
| 本のコンシェルジュ
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2014年 04月 20日
◎河出書房新社さんの4月新刊4点 第一ポップ時代――ハミルトン、リクテンスタイン、ウォーホール、リヒター、ルシェー、あるいはポップアートをめぐる五つのイメージ ハル・フォスター著 中野勉訳 河出書房新社 2014年4月 本体2,700円 46変形判368頁 ISBN978-4-309-27488-1 帯文より:ポップ・アートのハードコア! ハミルトン、リクテンスタイン、ウォーホール、リヒター、ルシェー――5人のポップ・アーティスト第一世代の表現の核にあるのは何か? アメリカを代表する批評家が描き出す現代美術の到達点。 目次: イメージ=人間〔ホモ・イマーゴ〕 1 リチャード・ハミルトン、または表的なイメージ 2 ロイ・リクテンスタイン、または紋切型のイメージ 3 アンディ・ウォーホール、または消耗したイメージ 4 ゲアハルト・リヒター、またはフォトジェニックなイメージ 5 エド・ルシェー、または澄まし顔のイメージ ポップというテスト 訳者あとがき 註 ★発売済。原書は、The First Pop Age: Painting and Subjectivity in the Art of Hamilton, Lichtenstein, Warhol, Richter, and Ruscha(Princeton University Press, 2011)です。美術批評の分野では日本でも20年以上前から高名なフォスターですが、単独著の訳書としては『デザインと犯罪』(五十嵐光二訳、平凡社、2011年)に続いてようやく2冊目です。聞くところによると、来月また別の版元からフォスターの訳書が刊行されるようです。『第一ポップ時代』は、著者あとがきに相当する「ポップというテスト」によれば、「ポップアートには政治的な誘発性があるのかどうかを考え抜きたい、とくにポピュラーカルチャーに対してそもそも批判的なのか、あるいはつねにそれとも共犯関係にあるのか尋ねてみたい」(277頁)という問題意識が出発点のひとつだったようです。本書で取り上げる5人のアーティストについて、著者は「他の誰にもまして彼らが、ポップの第一時代において絵画と観者とを規定していた諸条件の変化を生々しく喚起してくれる」(12頁)と評価しています。1950年代半ばから末にかけての時期に始まったものと著者が見ている第一ポップ時代において、イメージと主体性の在り方にある変化が生じたとフォスターは指摘し、その好例がこの5人の作品だと言います。「力説しておきたいのだが、ポップは文化のなかのさまざまな矛盾にスポットを当ててみせるのであって、その結果、じっさい批判的な意識を生み出すことがあるのだ」(278頁)。ポップアート研究の基本書として本書は早くもその地位を確かなものにしているように見えます。 評伝 バルテュス クロード・ロワ著 與謝野文子訳 河出書房新社 2014年4月 本体2,400円 46判上製244頁 ISBN978-4-309-25553-8 帯文より:バルテュスが生前に認めた唯一の評伝! 猫の目のように表情を変える《バルテュス芸術》の本質を解き明かす傑作評伝。 推薦文(金井美恵子氏):二十世紀に描かれた現代絵画の中で、その特異な性格と際立った魅力によって、なぜこのような時代に描かれたのか、描いた存在はどう生まれ、何を考え、どのように生きたのかを知らない、と思わせる画家は、バルテュスとベーコンをおいて、考えられないだろう。 ★発売済。バルテュスについては彼自身へのインタヴューが近年(2011年、没後10周年記念)、『バルテュス、自身を語る』(鳥取絹子訳、河出書房新社)や奥様の節子・クロソフスカ・ド・ローラさんによる回想録がいくつか出ていますけれど、今回出版されたのは、バルテュスと50年来の友人であった作家クロード・ロワ(Claude Roy, 1915-1997)が最晩年に発表した伝記です。原書はガリマールから1996年に刊行された画文集で、1997年にガリマールとの共同出版として河出書房新社さんが刊行された『バルテュス 生涯と作品』の文章のみを改訂して再録したものです。同画文集はすでに品切なので、今回の再刊で初めてロワの伝記に接する読者もおられることでしょう。帯やカバーソデにはこう謳われています。「バルテュスが生前に認めた唯一の評伝」だと。本書は単なる評伝ではなく、友情に満ち満ちた愛の書でもあります。バルテュス自身の絵を読み解くための鍵になるかもしれないこんな言葉を、バルテュスはロワに語っていました。「絵画は見世物ではない。そうであったとしても、あくまでも副次的にそうなのだ。一つの言語だよ。三面で下手な記者が語る出来事を例に取ってごらんよ、「車にひかれてしまった犬」風な記事になっている。真の文学者が扱って表現したら、まったく違うものになるよ」(161頁)。なお、ロワさんは、篠山紀信さんがバルテュス夫妻や愛娘の春美さんを彼らの自宅やアトリエで撮り下ろしたマスターピース『Balthus』(朝日出版社、1993年)の序文もお書きになっています。 こころは体につられて――日記とノート1964-1980(下) スーザン・ソンタグ著 デイヴィッド・リーフ編 木幡和枝訳 河出書房新社 2014年4月 本体3,000円 46変形判並製408頁 ISBN978-4-309-20648-6 帯文より:終わった――名誉ある敗北。なんにも学びたくない。痛みがあるならそれでもいい。でも、生きつづけさせて。ソンタグ36歳から47歳までの日記。映画製作、訪中計画、転移性乳がん、敬愛するバルトの死、ブロツキーとの交流……。批評の鋭さは増し、自らへの沈潜はより深まる。スーザン・ソンタグ、没後10年。 ★発売済。ソンタグの子息デイヴィッド リーフの編纂による日記三部作(既刊書はすべて木幡和枝訳で河出書房新社より刊行:『私は生まれなおしている――日記とノート 1947-1963』2010年、『こころは体につられて――日記とノート 1964-1980(上)』2013年12月)の、第二部上下巻の完結です。今年はソンタグ没後10年ということで(デリダも没後10年)、タイムリーな刊行です。『こころは体につられて』が書かれた時期は、『反解釈』にせよ『隠喩としての病』にせよ、ソンタグの代表作の多くが刊行されたいわば最盛期でした。訳者が指摘しているように、これらの日記にはいわゆる創作ノートの類はほとんどありませんが、「探究の軌跡が刻み込まれて」(402頁)いるのは事実です。呟きのような、吐息のような断片があれば、長々と心情を吐露する文章もあります。ソンタグを身近に感じることのできる書物になっていると思います。個人的に興味深かったのは、1973年の年の暮れに記した、シモーヌ・ヴェイユについての考察です。ソンタグはシモーヌ・ペトルマンによるヴェイユの伝記本(『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ』全2巻、杉山毅・田辺保訳、勁草書房、1978年;新装版2002年)を読んで、「粉々にされるような読書体験」(164頁)だったと綴っています。「この伝記は、突き刺さる痛みをもってSWの神話を解体する!」(同)と書くソンタグは、ヴェイユのセクシュアリティについて自身の経験と対比しつつ言及しています。どうぞ手にとってご確認ください。 生き生きした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読 中島義道著 河出書房新社 2014年4月 本体2,500円 46判上製240頁 ISBN978-4-309-24655-0 帯文より:現代哲学の巨人・大森に教え子・中島がすべてを賭けて挑み、ふたつの哲学が火花を散らす――愛と畏敬にみちた対決だからこそ迫ることができた大森哲学の魅惑と奈落、そして人間・大森の真実。 目次: まえがき 1 立ち現われ一元論 2 過去がじかに立ち現われる 3 過去透視・脳透視 4 「思い」の立ち現われ 5 過去の制作 6 生と死 あとがき ★発売済。戦後日本を代表する哲学者の一人である大森荘蔵(1921-1997)さんの思想体系はけっして分かりやすいものではありませんが、一方でそのエッセイは教科書や大学入試にも採用されるほど親しまれてきました(例えば「真実の百面相」や「『後の祭り』を祈る」など。2編とも平凡社ライブラリー『大森荘蔵セレクション』で読めます)。中島義道さんは大森さんの弟子であり、中島さんが大森さんのインタヴュアーを務められたこともあります。数多くの中島さんの著書のうち、大森さんに関する思い出話や入門的紹介はあっても、本書のように一冊丸ごと大森哲学と向き合って意見を述べたというのは初めてになるようです。「本書は、大森哲学を「過去論」という観点(だけ)から裁断するものです。私見によれば、「過去論」こそが大森哲学の根っこであって、初期の「立ち現われ一元論」もその後の「言語的制作論」も、過去のあり方を巡る哲学的考察であったように思われます。大森哲学は知覚を中心に展開しているように見える。しかし、もっと深いところでそれを動かしていたのは、「想起」でありその対象としての「過去」なのです」(8-9頁)。「先生はふと「奈落」が開けているのを見てしまったのです。四次元連続体の広大な宇宙などまったく「ない」こと、それはただそのつどの〈いま・ここ〉で制作されるだけのものであること、この意味で世界は「空無」であることを見て取ったのです」(10頁)。本書では大森さんの思惟の変遷を追いつつ、「繰り返しの自己批判であり自己否定」(124頁)である大森哲学の相貌を解説されています。見事な大森哲学入門であるとともに、中島さんご自身の思索の重ね合わせも透かし見える中島哲学序説でもあるように感じます。 ◎注目の新刊と既刊 社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt, 1963-)著 高橋洋訳 紀伊國屋書店 2014年4月 本体2,800円 46判上製616頁 ISBN978-4-314-01117-4 帯文より:リベラルはなぜ勝てないのか? 政治は「理性」ではなく「感情」だ――。気鋭の社会心理学者が、哲学、社会学、人類学、進化理論などの知見を駆使して現代アメリカ政治の分断状況に迫り、新たな道徳の心理学を提唱する。左派と右派の対立が激化する構図を明快に解説した全米ベストセラー。E・O・ウィルソン、M・ガザニガ、P・ブルームほか、科学界の大御所が絶賛! ★まもなく発売。『しあわせ仮説――古代の知恵と現代科学の知恵』(藤澤隆史ほか訳、新曜社、2011年)に続く、ハイトの訳書第二弾になります。 原書は、The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion(Pantheon, 2012)です。著者が政治学者でも哲学者でもなく社会心理学者だというところがミソです。右か左かという対立的な選択肢のどちらかに優位を与える議論ではなく、「なぜ人々は政治や宗教をめぐって対立するのかを考察」(485頁)しています。著者はこう結論付けます、「その答えは、「善人と悪人がいるから」というマニ教的なものではなく、「私たちの心は自集団に資する正義を志向するよう設計されているから」である」(同)。そして、不毛な対立を回避するために、次のような処方箋を出しています。「異なる道徳マトリックスを持つ人と出会ったなら、次のことを心がけるようにしよう。即断してはならない。いくつかの共通点を見つけるか、あるいはそれ以外の方法でわずかでも信頼関係を築けるまでは、道徳の話を持ち出さないようにしよう。また、持ち出すときには、相手に対する称賛の気持ちや誠実な関心の表明を忘れないようにしよう」(485-486頁)。本書が全米ベストセラーになったと聞くとき(実売10万部を超えているとか)、少しばかりではあれ安堵と慰めを得たような心地がします。 贈与の哲学――ジャン=リュック・マリオンの思想 岩野卓司(いわの・たくじ:1959-)著 明治大学出版会 2014年3月 本体2,500円 B6判上製仮フランス装194頁 ISBN978-4-906811-08-3 帯文より:来たるべき贈与論への扉を開く、フランス現代哲学界の重鎮J.-L.マリオンの思想をめぐる講義録。マリオン=デリダ論争の解説を含む。 ★発売済。「野生の科学研究所」で2013年7月~10月に行われた一般向けの講義(全三回)に大幅に手を入れ刊行されたものです。高山宏さんと中沢新一さんの対談本『インヴェンション』に続く、叢書「ポッシュ」の第二弾。「贈与の現象学」「デリダvsマリオン――贈与をめぐる論争」「キリスト教と贈与」の三章立てで、各章の冒頭に中沢新一さんによるイントロダクションが付されています。あとがきによれば、中沢さんから講義の依頼を受けた岩野さんはこう受け止めたそうです。「ふと「妄想」のようなものが頭に浮かんだ。それはジャン=リュック・マリオンとクロード・レヴィ=ストロースのマリアージュというものである。「野生の科学」がモデルとして参照しているレヴィ=ストロースの人類学にマリオンの現象学を配合したら何か面白いものができるかもしれない」(182頁)。研究者向けではなく一般聴衆向けの入門書なので難解さはありません。マリアージュに至るための前段として関連する哲学者や概念が丁寧に説明されており、議論の広がりを示すものとして、各章末には質疑応答の様子も収められています。マリオン(Jean-Luc Marion, 1946-)の単独著の訳書はまだ『環元と贈与――フッサール・ハイデガー現象学論攷』(芦田宏直ほか訳、行路社、1994年)と『存在なき神』(永井晋ほか訳、法政大学出版局、2010年)だけなので、本書をきっかけに翻訳も進むといいですね。 朝鮮開化派選集――金玉均・朴泳孝・兪吉濬・徐載弼 月脚達彦訳注 東洋文庫 2014年4月 本体2,900円 B6変判上製函入312頁 ISBN978-4-582-80848-3 帯文より:19世紀末、激変する東アジアの国際秩序の中で、朝鮮独立を目指し闘った朝鮮開化派の記録。詳細な史料批判を踏まえた金玉均『甲申日録』、朴泳孝『建白書』、兪吉濬『中立論』『西遊見聞』、徐載弼『独立新聞』創刊辞を収録。 ★まもなく発売。東洋文庫第848巻。長年に渡る「中国(当時は清)の属邦」としての地位から独立を果たそうとした朝鮮開化派の、政治家にして論客たちの著作を集めた貴重な資料集です。『西遊見聞』は抄訳。開化派と日本、特に福沢諭吉や慶應義塾との浅からぬ関係については巻末の解説で書かれています。19世紀末の李氏朝鮮においては、親日派や親中派、親露派が入り乱れ、それぞれが奔走し、熾烈な対立を繰り広げていました。しかしその内実は複雑であり、本選集に収められた兪吉濬『中立論』も、親日派から親中派への単純な転換ではない苦闘の痕跡が認められるようです。巻末には福沢諭吉の『西洋事情』から兪吉濬の『西遊見聞』への影響関係を知るためのよすがとして、目次対照表が付されており、さらに開化派関係年表(1876~1896年)がそれに続きます。東洋文庫の次回配本(5月)は、『世説新語4』です。 #
by urag
| 2014-04-20 23:57
| 本のコンシェルジュ
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2014年 04月 13日
◎注目新刊:単行本 『東京断想』マニュエル・タルディッツ著、石井朱美訳、高橋信雅/ステファヌ・ラグレ画、鹿島出版会、2014年4月 『この道、一方通行』ヴァルター・ベンヤミン著、細見和之訳、みすず書房、2014年4月 『絵入簡訳 源氏物語(三)』小林千草/千草子著、平凡社、2014年4月 『ベネディクト・アンダーソン 奈良女子大学講義――付:討議記録「想像の共同体」論の受容と射程』小川信彦/水垣源太郎編、かもがわ出版、2014年3月 『東京断想』は、来日30年になるフランス人建築家による東京についてのエッセイ85篇を収めたもの。フランス語版は2011年に刊行されています。著者のタルディッツさん(Manuel Tardits: 1959-)建築設計事務所「みかんぐみ」に所属しており、明治大学特任教授もお勤めです。複数の共著書がありますが、単独著は本書が初めて。ご同業の伊東豊雄さんは本書について「東京に居続け、内側からの視点を崩さない彼にして初めてなしえた前例のない東京論である」と評しておられます。本書の末尾で著者は日本への渡航のきっかけになったのはスイスの作家で旅行家のニコラ・ブーヴィエ(Nicolas Bouvier, 1929-1998)による日本滞在記(『『日本の原像を求めて』高橋啓訳、草思社、1994年、現在品切)に触発されたからだと明かしています。『東京断想』もまた後世へのバトンになるのかもしれません。東京ピストルから独立してラボラトリーズを設立された加藤賢索さんによるアート・ディレクションも見事な本です。 なお、鹿島出版会さんでは今月、『アントニン・レーモンド建築詳細図譜』(1938年初版)の復刻版を発売されました。レーモンド事務所が手掛けた美しいモダニズム建築の数々が写真とともに詳細に紹介されている、たいへん貴重な資料です。全編英文ですが、復刻版では初めて日本語による解説書が付されています。造本も非常に特異で、売切必至かと思われます。八重洲BC本店では復刻版実物を閲覧することができます。 『この道、一方通行』は、ベンヤミンの代表作"Einbahnstraße"(1928年)の待望の新訳です。底本は2009年にズーアカンプから刊行された批判版全集第8巻。既刊の全訳には山本雅昭・幅健志訳『一方通交路』(「ベンヤミン著作集 第10巻」所収、晶文社、1979年、9-136頁)と、久保哲司訳「一方通行路」(「ベンヤミン・コレクション(3)記憶への旅」所収、ちくま学芸文庫、1997年、17-140頁)があります。各断章の題名を目次に掲げているのは今回の新訳だけで、これが存外に便利で助かります。本書には書物(特に学術書)や出版社に対するあてこすりの断片など、業界人にとってもあちこちに苦笑できるくだりがあります。警句に満ちた書物ですが、中でも「装身具」の一節「幸福とは、恐れることなく自分を見つめうる、ということである」(71頁)には戦慄を覚えます。自分自身という空虚の深さを教えるからだけでなく、ベンヤミンの悲劇的な最後を思い出させるからでしょうか。 『絵入簡訳 源氏物語』は、今回の第三巻で全三巻完結です。光源氏の死後の、第42帖「匂宮」から第54帖「夢浮橋」までを収めています。また、既刊書と同様に関連系図や関連地図を収め、特別付録として「『源氏物語』のことば」という解説が収められています。古文特有の表現の数々を丁寧に説明してくださっています。巻末のあとがきには著者が手書き原稿だったことが明かされており、校正者へのねぎらいの言葉が綴られています。ワープロ原稿がほとんどなこんにちでは珍しいくだりです。著者は今後、「源氏物語」の構成論(成立論)や紫式部評伝をご構想のようです。 『ベネディクト・アンダーソン 奈良女子大学講義』は、奈良女子大学文学部「まほろば」叢書の一冊。2012年12月19日に奈良女子大学で行われた、アンダーソンの講演「アジアのナショナリズム」を前半に収め、後半には講義を受けて翌年9月5日に行われた奈良女子大の教員15名による討議の記録が収められています。アンダーソンの代表作『想像の共同体』の議論の射程と日本への受容について論じたものです。アンダーソンの講演は以下の四節から成ります。「アジアのナショナリズム――ナショナリズムの四類型に照らして」「アジアのナショナリズムの特徴――大いなる多様性」「王位継承と女性」「女性政治家とナショナリズム――アジアとヨーロッパ」「国境の問題」。いずれも興味深い内容で、タイムリーな話題でもあります。日本のナショナリズムは「公定(オフィシャル)ナショナリズム」と分類されています。草の根でなく、国家主導型という意味です。講義のあとの懇談会での質疑応答も三問収録されています。 このほか、最近刊行された単行本の中には、スラヴォイ・ジジェク『ジジェク、革命を語る――不可能なことを求めよ』(パク・ヨンジュン編、中山徹訳、青土社、2014年4月)、レジス・ドブレ『大惨事(カタストロフィー)と終末論――「危機の預言」を超えて』(西兼志訳、石田英敬解説、明石書店、2014年4月)がありますが、財布の都合で未購読です。 ◎注目新刊:文庫本 『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』マルクス著、森田成也訳、光文社古典新訳文庫、2014年4月 『リキッド・モダニティを読みとく――液状化した現代世界からの44通の手紙』ジグムント・バウマン著、酒井邦秀訳、ちくま学芸文庫、2014年3月 『パスカル 数学論文集』ブレーズ・パスカル著、原亨吉訳、ちくま学芸文庫、2014年4月 『世間のひと』鬼海弘雄著・写真、ちくま文庫、2014年3月 『総天然色 廃墟本remix』中田薫文、中筋純写真、山崎三郎編、ちくま文庫、2014年4月 『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』は、『資本論』入門シリーズ第1弾と銘打たれています。これまでに古典新訳文庫ではマルクスの『経済学・哲学草稿』が長谷川宏訳で刊行されていますが、今回から新シリーズということで、もう今から続巻が楽しみです。第1弾となる本書では「賃労働と資本」「付録1 賃金」「付録2 エンゲルスによる1891年版序論」「賃金・価格・利潤」「付録3 個々の問題に関する暫定中央評議会代議員への指針」の5篇の翻訳に加え、訳者による長篇解説「マルクス余剰価値論形成小史――『賃労働と資本』から『賃金・価格・利潤』へ」が収められています。巻末には「マルクス年譜」と「訳者あとがき」。解説の末尾でも引用されていますが、本書に収められているエンゲルスによる序文の一節が120年後の今も読む者の胸に響きます。 「社会は、途方もなく豊かな少数の者と多数の何も持たない労働者階級とに分裂し、そのせいで、この社会は、それ自身の過剰さによって窒息しながら、その一方で成員の大多数が極度の窮乏からほとんどないしまったく保護されないでいる。このような状態は日々ますます不条理なものとなり、そして不必要なものになっていく。それは取り除かれなければならないし、取り除くことができる。新しい社会秩序は可能だ」(141頁)。 『リキッド・モダニティを読みとく』の原書は、44 Letters From the Liquid Modern World(Polity, 2010)です。単行本の文庫化ではなく、文庫オリジナル。ソリッドな(確かな)ものの失われた液状化社会の暴走とその病巣の諸相を44通の手紙で見事にえぐり出しています。ちくま学芸文庫ではかつてリオタールの『こどもたちに語るポストモダン』(管啓次郎訳、1998年)を刊行しており、こちらも手紙の体裁で現代社会の論点を述べたものでした。ポストモダンからリキッド・モダニティへ、リオタールからバウマンへの議論の変遷の中に、私たちはそれぞれの「危機への抵抗」のありようを見出すと思います。バウマンは私たちが陥りがちの、想定外やら不可能やら無知やらといった言い訳を許しません。本書を読む時、私たちはただその分析の鋭さにぞっとするだけか、それとも自身の行動を改めるかの二択の前に立たされる心地がします。 『パスカル 数学論文集』は、人文書院版『パスカル全集』第1巻(1959年)所収の「数学論文集」(16篇の論文、うち2通は手紙の体裁)と、中村幸四郎さんによる解説「パスカルの数学の業績について」(末尾に原さんの付言あり)に、文庫版付録として佐々木力さんによる新訳「幾何学的精神について」を増補したものです。佐々木さんは文庫版解説「パスカル数学思想の歴史上の意味」も執筆されています。パスカルの文庫本は従来少なく、現在では『パンセ』 (前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年)が残るばかりで、松浪信三郎訳『パスカル 科学論文集』(岩波文庫、1953年)が時折復刊されるに過ぎません。『数学論文集』の冒頭に収録された「円錐曲線試論」はパスカルがわずか16歳の折に執筆したもの。 17世紀という「天才の世紀」に生きた一人としてのパスカルへの興味は尽きません。 『世間のひと』は文庫オリジナル。鬼海弘雄さんの写真集が文庫で出るのは初めてです。印象としては、これまで発表した肖像画写真を再編集し、新作写真を加え新規エッセイを折々に挟みこんだものと見えます。個性的ではあってもごく平凡な人々の顔を眺めることがなぜ退屈ではないのか、鬼海さんの写真の魅力は本当に不思議です。『総天然色 廃墟本remix』はミリオン出版の『廃墟本』シリーズ4点を再編集・再構成し、本文を改稿加筆したもの(新規書き下ろしもあり)。欲を言えば、文庫本サイズになった分、写真は写真だけでまとめ、文章は後にまとめて読者の想像力に写真を委ねてもよかったかも。また、4冊分全部の写真を収録した分厚い写真集だったらとも妄想するのですが、私のわがままはともかく、中田さんによる「あとがき」では近年の廃墟解体ラッシュに言及され、「今後も消えていく廃墟が多いようであれば、あるいは第2集の続刊もあるかもしれない」と書かれています。廃墟の消滅・・・なんとも切ない響きです。 ◎注目新刊:雑誌関連 『文藝 2014年夏号:特集=人文書入門』河出書房新社、2014年5月 『倶楽部雑誌探究』塩澤実信著、論創社、2014年3月 『文藝』最新号は「人文書入門」特集。いとうせいこうさんと千葉雅也さんの対談「装置としての人文書――文学と哲学の生成変化論」、小林康夫さんと大澤真幸さんの対談「世界と出会うための読書案内」のほか、作家、大学教授、写真家、アーティスト、デザイナー、声優、社会学者ら10名へのアンケート「わたしのオススメ「人文書」3冊」で構成されています。いとう=千葉対談は2月26日に紀伊國屋サザンシアターで行われた対談を再構成し加筆したもの。小林=大澤対談は特集のために行われたもので、「資本主義の乗り越えについて考える」「人類の歴史を考える」「身体への問い」「自然科学と人文科学のインターフェイス」「20世紀の哲学や人文科学の思考がどう進んだか」といったテーマは47冊が選書されています。「20世紀~」のパートで弊社のアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』を大澤さんに選んでいただいており、たいへん光栄でした。アンケートに答えているのは、赤坂真理、絲山秋子、長野まゆみ、平野啓一郎、ミカエル・フェリエ、大橋仁、真鍋大度、水戸部功、池澤春菜、鈴木涼美、の各氏。さすが他誌ではこうはいかない人選です。 『倶楽部雑誌探究』は、小田光雄さんのインタビューシリーズ「出版人に聞く」の第13弾。今回のインタビュイーは、数々の出版業界研究書で高名な塩澤実信(しおざわ・みのぶ:1930-)さん。帯文を引くと「昭和の初期および戦後の一時期に大衆文学の隆盛をもたらした“倶楽部雑誌”は1960年代の“中間小説雑誌”の勃興とともにその姿を消した。初めて語られる倶楽部雑誌の世界。大衆文学の起源を探る物語」。塩澤さんはかつて、双葉社取締役編集局長をお務めでしたから同社発行の数々の娯楽雑誌についてご存知です。「50歳以下になるとまったくわからないんじゃないかしら」と塩澤さんは冒頭で心配されていますが、確かにまったく知らないぶん新鮮です。自分たちの親の世代が接していたかもしれない「倶楽部雑誌」と大衆文学の世界は、昭和文化史の貴重な一側面です。塩澤さんは「あとがき」の最後で「出版界は、アウト・サイダーと見られ“正統な出版史”から疎外された面の発掘に寄与された小田光雄氏に、深謝すべきであるし、氏の貢献に対して何らかの顕彰を考えるべきではないだろうか」と綴っておられますが、これがリップサービスではないことはこのシリーズを読んできた読者にはよく分かるのではないでしょうか。 このほか、最近拝見した雑誌や紀要を列記しておきます。 『なnD 2』nu、2014年2月 『なんとなく、クリティック 2』なんとなく、クリティック編集部、2014年2月 『NARASIA Q vol.7』奈良県、2014年3月 『言語態 第13号』言語態研究会、2014年2月 『東京都写真美術館 紀要 No.13』東京都写真美術館、2014年3月 『なnD』は「なんど」と読むそうです。『なんとなく、クリティック』『nu』『DU』の編集人三氏による共同誌。第2号には田中康夫さんや粉川哲夫さんへのインタビューなどがあり、『文藝』で田中さんの連載「33年後のなんとなく、クリスタル」を読んでおられる方はこのインタビューも必読かと思います。『なんとなく、クリティック』第2号では、「クイック・ジャパン」の編集長をかつて務めておられた赤田祐一さんと森山裕之さんのお二人に、磯部涼さんがインタビューされています。倶楽部雑誌についてのインタビューと同様に、90年代以降のサブカル誌の編集現場の数々のエピソードは、いずれも出版史の貴重な一幕です。 『NARASIA Q』第7号の特集は「多棲都市アジア――ゆらぐ建築とランドスケープ」。奈良県のPR誌でありながらかなり自由な誌面になっており、毎回楽しませてくれます。『言語態』は東京大学駒場キャンパスの総合文化研究科言語情報科学専攻内に事務局を持つ「言語態研究会」の会誌。この研究会は総合文化研究科に所属する「文学・思想等に関心を持つ大学院生・教員を中心に集まった組織」で、会誌では若手の力作論文の数々が光ります。例えば13号では、平野謙、バンヴェニスト、メショニック、ラカンに関する論考が掲載されています。『東京都写真美術館 紀要』の13号では昨年6月に行われたシンポジウム「日本写真の1968年」の記録が掲載されているほか、同間の学芸員やインターンの方々の論考や報告を読むことができます。 #
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| 2014-04-13 22:59
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2014年 04月 10日
弊社出版物の著訳者の皆さんの最近のご活躍をご紹介します。 ★宮崎裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』) ★清水一浩さん(共訳:デュットマン『友愛と敵対』) ★ヴェルナー・ハーマッハーさん(著書:『他自律』) 新潟大学大学院現代社会文化研究科共同研究プロジェクト「世界の視点をめぐる思想史的研究」の一環として新潟大学人文学部哲学・人間学研究会が発行している学術誌「世界の視点――知のトポス」の第9号が先月発行されました。宮崎さんがフェルスター論文とハーマッハー論文の共訳を寄稿されています。二論文とも前号(第8号)の続きになります。清水さんはハーマッハー論文の共訳を手掛けられています。同誌は新潟大学人文学部のブログ「人間学ブログ」で各論文のPDFを公開しています。 『世界の視点――知のトポス』第9号(2014年3月刊、全298頁、ISSN1880-9995) 目次: ピストリウス「シュルツェ著『カント『純粋理性批判』解説』書評」(下)城戸淳訳 F・H・ヤコービ「フィヒテ宛て公開書簡」栗原隆・阿部ふく子訳 エッカート・フェルスター「カント以後の哲学の展開にとっての『判断力批判』第七六~七七節の意義」[第二部] 宮﨑裕助・大熊洋行訳 ヴェルナー・ハーマッハー「エクス・テンポレ──カントにおける表象(Vorstellung)としての時間」(下) 宮﨑裕助・清水一浩訳 マルティン・ハイデッガー「現象学における、そして存在の問いの思索における時間理解について」田中純夫訳 ダニエル・ブリージール「良心に対抗?──ヘーゲル派の批判に対するフィヒテ派の返答」重川成美・栗原隆訳 ジョージ・ディ・ジョヴァンニ 「一七八四年のメンデルスゾーン=アプト論争──人間の使命をめぐる後期啓蒙の議論における一つのエピソード」阿部ふく子訳 栗原隆「あとがき」 ★上野俊哉さん(著書:『アーバン・トライバル・スタディーズ』) 月刊誌『現代思想』2014年5月臨時増刊号「総特集=折口信夫」(青土社、2014年4月、本体1,800円、ISBN978-4-7917-1279-3)に、ご論考「もの狂いの存在論」(260-281頁)を寄稿されました。同特集には、中沢新一さん、松岡正剛さん、小松和彦さん、赤坂憲雄さんをはじめ多数の論文が寄せられており、岡野弘彦さんへのインタヴュー「私が出会った折口信夫」など、読み応えのあるコンテンツが満載です。 ★舞台芸術研究センターさん(発行書:『舞台芸術』第一期全十巻) 京都造形芸術大学舞台芸術研究センターさんが機関誌「舞台芸術」第三期第18号(角川学芸出版、2014年3月)を刊行されました。特集は「劇言語―新たな地平へ向けて」と題され、世阿弥生誕六五〇周年記念として、二六世観世宗家の観世清河寿さんと、センター所長の渡邊守章さんが対談されています。また、戯曲作品では松田正隆さんの「石のような水」と、ブレヒト原作(ハイナー・ミュラー台本)「ファッツァー」が掲載されています。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。 +++ 昨年弊社から『原子の光(影の光学)』を出版させていただいたリピット水田堯さんが推薦文を寄せておられる新刊をご紹介します。本日(4月10日)取次搬入とのことですので、早いお店では今週末から、全国的には週明けあたりから店頭発売開始になるものと思われます。 制御と社会――欲望と権力のテクノロジー 北野圭介著 人文書院 2014年3月 本体3,000円 4-6判並製370頁 ISBN978-4-409-24097-7 帯文より:現代世界の最深部に潜行する――。〈コントロールcontrol〉を「管理」ではなく「制御」と訳してみること。そのシンプルな試みから圧倒的強度をもって展開される現代世界の徹底的な読み換え。テクノロジーから人間の意識まで、社会の隅々に浸透し、なお拡大する「制御」という言葉の力を、情報理論から社会、経済、政治、はては脳科学までをも果敢に横断し、余すところなく分析する。人文学における凝縮された理論的研究の成果。 目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。前著『映像論序説――〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)以来、4年の歳月をかけて蓄積され彫琢された思考の塊です。「管理と社会」ではなく「制御と社会」。あとがきに「社会科学や自然科学との差異においてではなく、それらを呑み込む貪婪さにおいてこそ人文学の魅力は発揮される」とある通り、諸ジャンルを越境し広大な原野をフィールドワークしていくたいへんな力作ではないかと思います。リピットさんは本書にこう賛辞を送っておられます。「制御、そして、社会やメディアのプラットフォームを跨いで作動する制御表象の諸システムをめぐる、北野の鮮やかな分析は、メディア分析の厳密な意味での起源へとわたしたちを立ち返らせる。すなわち、個々のテクスト、個々のテーマの冷静な分析のみならず、芸術、政治、生命を横断するメディアなるものについての広範な理論化の作業に、である。映画研究およびメディア研究で、その博識と独創性において際立つ研究者である北野は、本書によって、分野を越え地域を越え、現代における最も重要な理論家のひとりとなるだろう」。 #
by urag
| 2014-04-10 22:41
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