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2020年 06月 29日

注目新刊:プレストン『合成の時代』(2018年)の訳書がインターシフトより刊行、ほか

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★まず、まもなく発売となる新刊をご紹介します。

合成テクノロジーが世界をつくり変える――生命・物質・地球の未来と人類の選択』クリストファー・プレストン著、松井信彦訳、インターシフト発行、合同出版発売、2020年7月、本体2,300円、四六判上製288頁、ISBN978-4-7726-9569-5

★原著は『The Synthetic Age: Outdesigning Evolution, Resurrecting Species, and Reengineering Our World』(MIT Press, 2018)。著者のプレストン(Christopher J. Preston)は、モンタナ大学の哲学教授。本書(原題『合成の時代』)が初めての訳書です。目次詳細と解説は書名のリンク先で立ち読み可能です。著者は「はじめに:「合成の時代(シンセティック・エイジ)」が始まる」で次のように書いています。「自然の作用を人工的な処理に置き換えることは、「変成新世(プラストセン:Plastocene)」とでも呼べそうな年代の最たる特徴である」(13頁)。「その心は、新たなテクノロジーを開発して導入する資源を持つ者にとって、地球のつくり変えられやすさが前例のないレベルに達しつつあることだ。/地球の最も基本的な物理学的活動や生物学的活動をいくつかの意図的に微調整することによって、人類は「発見される世界」から「つくられる世界」への移行の間際に立つ。変成新世においては、分子生物学者や工学研究者の手で世界が隅から隅まで徹底的につくり変えられ、そのことが地球で初めてとなる「合成の時代」の始まりを告げる」(14頁)。

★「合成の時代になったなら、地球のつくり変えは上っ面を変える程度には留まらなくなるだろう。その触手は地球の代謝の奥深くまで伸びる。この新たな時代を押し進める合成テクノロジーは、地球の見かけのみならず仕組みさえも変える。自然とその営みにおいて、私たちの手による設計の占める割合が増していくだろう。/こうした変化の性格を理解することが重要となる。重大な選択が迫られるからだ。この先の道筋は具体的にはまだ定まっておらず、私たちは地球のつくり変えにどこまで深入りするかを決める必要がある。自然の営みをある程度管理することは避けられないにせよ、みずからの設計をどこまで果敢に進めるかによって変成新世のありようが違ってくる」(同頁)。

★「合成の時代のありようについて、多くの疑問にまだ答えが得られていないのに、私たちは重大な変わり目を迎えている。地球がその歴史の新年代に入るに当たり、私たちは束の間の思索の機会にいる。人類がみずからの影響力の大きさをようやく自覚した今、私は本書でこれから、人類の望む未来のありようについての議論をもうしばらく続ける必要性を訴えていく」(15頁)。「私たちが商業的な利害にすっかり身を委ねてアクセル全開の変成新世に突入したなら、大きなシフトを受け入れざるを得なくなるだろう。地球とその基本的な営みの多くで私たちからの独立性が失われ、現実問題として、最終的に、環境から自然らしさが奪われるに違いない。生物圏は技術圏にすっぽり覆われることになる。/そうなれば、それ相応のことが起こる。地球に対するそうした行為は、巡りめぐって何らかの形で私たちに返ってくるだろう」(16頁)。

★「新次元の物質をつくる」「原子の位置を動かす」「DNAオンデマンド」「人工生物」「ポストナチュラルな生態系」「種(しゅ)の移転と復元」「都市の持つ進化の力」「太陽を退かせる方法」「大気のリミックス」「人工人類」「未来への選択」の全11章。現代哲学が向かう未聞の地平へと読者をいざなってくれる好著です。

★次に、最近出会った新刊を列記します。

パンデミック――世界をゆるがした新型コロナウイルス』スラヴォイ・ジジェク著、斎藤幸平監修、中林敦子訳、ele-king books(Pヴァイン)発行、日販アイ・ピー・エス発売、2020年6月、本体1,850円、46判並製128頁、ISBN978-4-909483-58-4
現代のバベルの塔――反オリンピック・反万博』新教出版社編集部編、新教出版社、2020年6月、本体2,000円、四六判並製200頁、ISBN978-4-400-40750-8
太平記秘伝理尽鈔 5』今井正之助/加美宏/長坂成行校注、東洋文庫(平凡社)、2020年6月、本体3,800円、B6変判函入584頁、ISBN978-4-582-80902-2
自由の哲学――カントの実践理性批判』オトフリート・ヘッフェ著、品川哲彦/竹山重光/平出喜代恵訳、法政大学出版局、2020年6月、本体5,200円、四六判上製572頁、ISBN978-4-588-01114-6
活動の奇跡――アーレント政治理論と哲学カフェ』三浦隆宏著、法政大学出版局、2020年6月、本体3,400円、四六判上製380頁、ISBN978-4-588-13030-4
民衆と情熱――大歴史家が遺した日記 1830-74(Ⅰ)1830~1848年』J・ミシュレ著、大野一道編、大野一道/翠川博之訳、藤原書店、2020年6月、本体6,200円、四六変判上製608頁+口絵8頁、ISBN978-4-86578-276-9
虚心に読む――書評の仕事2011-2020』橋本五郎著、藤原書店、2020年6月、本体2,200円、四六上製288頁、ISBN978-4-86578-274-5

★ジジェク『パンデミック』は、4月に原著が公刊されたばかりだという『Pandemic! COVID-19 Shakes the World』(Orbooks, 2020)の翻訳の緊急出版。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。監修者の斎藤幸平さんによる巻末解説「リュブリャナの約束 古い理論の新しい使い方?」は本書を次のように紹介しています。「イタリアの哲学者アガンベンは人々のパニックを国家が都合のいいように利用して、「例外状態」を作り出しているとして批判し、民主主義を守るべく、過剰なウイルスへの反応を止めるよう警告したのだった。/だが、本書のジジェクは、アガンベンと意見を異にする。ソーシャル・ディスタンスは、ひとつの「社会的連帯」であり、これはうちに引きこもることによって、他者との繋がりをこれまで以上に感じる契機になる。一方、現在の政府の対応は場当たり的で、パニックになっているのは、統治に失敗している権力者たちだと言うのである。/確かに、この見立ては、とりわけ日本に関して、正しいのではないか」(119~120頁)。

★第七章「冷静にパニクれ!」より。「冷笑的な生気論者の視点に立てば、若くて元気な苗がよく育つように腐りかけた苗を引き抜くのと同じで、コロナウイルスは人類に老人・弱者・病者を排除することを許し、世界の健康に貢献する、有益な感染であるように見えるのかもしれない。私が主張する幅広い共産主義アプローチは、そのような粗野な視点から脱する唯一の方法なのだ。/しかし、無条件の連帯が奪い去られてしまう兆候は、すでに現行の議論の中にも認められる」(58頁)。「最も弱い人、高齢者を犠牲にするのか。この状況から、壮絶な汚職が発生する余地が生まれはしないか。このような手続きは、我々が「適者生存」という最も野蛮な論理を発動させる準備をしているという意味になりはしないか。だから、重ねて言う。我々が直面している選択は、野蛮か、それともある種の再考案された共産主義か、なのである」(59頁)。

★第八章「監視と処罰? ええ、お願いします!」より。「アアガンベンは、現在の感染拡大における国家統制機能の重要な側面を解説しているのだが、未解決の疑問も数々残る。そもそも、なぜ国家権力はそのようなパニックの推進に関心があるのだろうか。パニックには国家権力に対する不信がつきまとう(「政府は頼りない、十分なことをやっていない……」)し、資本の円滑な再生産を妨げるというのに。統治を刷新するために世界的な経済危機を引き起こすことが、資本や国家権力の利益に本当にかなうのか。状況をコントロールできていないことに気づいて、一般市民だけでなく、国家権力自体がパニックになっているというのが、明白なサインなのではないか。そんなサインが、本当にただの戦略といえるのか」(61~62頁)。

★ちなみに斎藤さんは3月にスロヴェニアでジジェクと会う予定だった(けれども新型コロナの影響で実現しなかった)とのこと。きっかけとなったのはジジェクが斎藤さんの『大洪水の前に』(堀之内出版、2019年)を批判的に扱う書評「亀裂は何処に?――マルクス、ラカン、資本主義、エコロジー」を書いたことだったそうです。いずれお二人が直接議論する機会が来ることを楽しみにしたいです。

★『現代のバベルの塔』は帯文に「パンデミック下のメガイベントに決定的な否を。東京オリンピック・大阪万博、さようなら!」と謳われたアンソロジー集。編集部による巻頭の「はじめに」によれば「本書は、月刊誌『福音と世界』の2019年8月号特集「現代のバベルの塔――反オリンピック・反万博」の掲載記事6本を加筆修正、新規論考3本と同年8月に開催されたトークイベントの内容を収録したものである。すべてにつうじるのは統治の装置にたいするはっきりとした「否」の声であり、その意味でこれは全面的な闘争の書である〔…〕。オリンピック・パラリンピックや万博はまさしく「現代のバベルの塔」なのだ。その〔スペクタクル的〕統治から離脱し、「ほんとうのこと」のほうへ。わたしたちにはそれさえあればじゅうぶんなのだから」(11~12頁)。寄稿者は有住航、いちむらみさこ(インタビュー)、酒井隆史、有住航×いちむらみさこ×酒井隆史(トークセッション)、入江公康、塚原東吾、田中東子、坂井めぐみ(新規論考)、井谷聡子(新規論考)、白石嘉治(新規論考)、の各氏。詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。

★『太平記秘伝理尽鈔 5』は、東洋文庫の第902巻。全10巻予定の第5巻で、巻第十七上から巻第二十を収録。新田義貞の死までが扱われています。「古如勇兵一人もなきに、義貞古如戦ふて討れ給ひし。実に不覚の死にたるべし。内甲に矢を射立てられ給ひて馬より落給へば、敵落ち重なつて御首を給てけり。生年三十七歳とにや」(巻第二十、452頁)。巻末には今井正之助さんによる2本の解説が配されています。「『理尽鈔』の神道論覚書――国常立尊を手がかりにして」と「『理尽鈔』と男色」です。既刊は第1巻:2002年、第2巻:2003年、第3巻:2004年、第4巻:2007年。いずれも版元品切ですが、大型書店の店頭在庫が若干残っているようです。東洋文庫次回配本は7月、『中国伝道四五年――ティモシー・リチャード回想録』とのこと。

★法政大学出版局さんの6月新刊より2点。ヘッフェ『自由の哲学』は、『Kants Kritik der praktischen Vernunft: Eine Philosophie der Freiheit』(C. H. Beck, 2012)の全訳。「四つの駆動力〔啓蒙、批判、道徳、世界市民主義〕」「カントによる道徳哲学の革命」「カントの挑発」「政治哲学」「歴史」「宗教」「展望」の4部構成で全23章から成っています。帯文に曰く「見通しのよい最新の手引き」。巻頭の「序言」によれば、本書(原題では『カントの実践理性批判――自由の哲学』)は2003年に刊行された「私の注釈書『純粋理性批判』に続くもの」とのこと。注釈書というのは『カントの純粋理性批判――近代哲学の基礎づけ』(Kants Kritik der reinen Vernunft: Die Grundlegung der modernen Philosophie)のことかと思います。本書『自由の哲学』はヘッフェにとって過去20~30年間にわたる考察をもとにしたカント研究の中間決算であるとのことです。ヘッフェ(Otfried Höffe, 1943-)はドイツの哲学者。法政大学出版局からは本書のほか、これまでに3点の訳書が刊行されています。

★第7部「展望」第22章「教育の目的――陶冶、市民化、道徳化」より。「今日、倫理学においても公的討論においても、道徳を社会道徳へと切り詰める動向が支配している。この状況に挑発的に対立するしかたで、カントは講義を進めていくなかで導き出す義務を対自義務からはじめている。「この義務の実質は、豪華な衣装を購入したりすることにではなく、(中略)むしろ、みずからをあらゆる被造物よりも高めるような尊厳を人間が自分自身の内部にもつところに成立する」。「その固有の人格における人間性のこうした尊厳を放棄しない」(『人間学』Ⅸ 488f.)という制限的義務に属しているのは、あらゆる不節制を避けること、「他者に対して卑屈な」ふるまいをしないことである。/カントは二番目にはじめて「対他義務」を導入し、これを「あらかじめきわめて早期のうちから子供に教え込む」べき「人間の権利にたいする畏敬および尊敬」と説明する(Ⅸ 489)、というのも、人間の権利は「地上における神の秘蔵っ子」にほかないからだという。たとえば〔以下略〕」(496~497頁)。

★同部第23章「究極目的としての道徳的存在者である人間」より。「生涯にわたって子どものままのひとは当然、高等教育を受けてきたにしても、その生活の糧を自分で稼ぐ能力はないままである。カントはこの点を強調していないものの、内容からするとまったくはっきりと、たんに教養のみを目的として職に就くための修養を目的とはしない教育を拒絶している。論争をしかけるようないい方をすれば、カントは学生を職に就けない人文学者や社会学者になるように教育するということには賛成しないということである」(504頁)。

★同章より。「カントはさまざまな教育目的を「人格性への教育」というひとつの普遍的目的へとまとめている。「人格性」ということでカントが意味していることは、「自由に行為する存在者」ということであり、そこに本書が示してきた四つの段階がみてとられる。それは第一に、衝動の専制から自由になることで、自分自身の自然本性を意志的に支配する段階。第二に、世間知と社会的能力を含んだ技能と能力を身につけることで、人間は他者の目的と相矛盾することなく普遍的に成り立つみずから定めた目的を追求できる。第三に、自由に行為するにはとりわけ、自分自身の生計に配慮するという能力がなくてはならない。最後に、以上によって、私が先に区別した三つの市民的役割――経済の一員としての市民、国家の一員としての市民、世界の一員としての市民(Höffe, 2004〔Wirtschaftsbürger, Staatsbürger, Weltbürger. Beck, 2004〕)――が現前する」(同頁)。

★『活動の奇跡』は、椙山女学園大学人間関係学部准教授をおつとめで、倫理学と臨床哲学がご専門の三浦隆宏(みうら・たかひろ:1975-)さんの初の単著です。2002年から2019年にかけて各媒体で発表されてきた論考の多数に大幅な加筆修正を加えてまとめたもの。「まえがき」によれば「彼女〔ハンナ・アーレント〕の思考を《哲学と政治学のはざま》で駆動されつづけたものとして捉えたうえで、その政治理論の射程をたどり跡づけようとする一つの試みである」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。三浦さんはいわゆる「哲学カフェ」の活動に関わっており、同じく「まえがき」によれば「哲学カフェをはじめとする公共的な対話の場の意義を中心に、折にふれて自分なりに考え、記してきた事柄をいちど整理してみるとともに、この場の広がりの〈軌跡〉をもたどり跡づけておくこと、これが本書の第二の課題をなす」とのことです。

★藤原書店さんの6月新刊は2点。ミシュレ『民衆と情熱(Ⅰ)1830~1848年』は、フランスの歴史家ジュール・ミシュレ(Jules Michelet, 1798-1874)の日記を全2巻に編集して訳出したもの。第Ⅰ巻は、1830年(ミシュレ32歳)から、1848年(50歳)まで、すなわち七月革命から二月革命への移行期に記されたもの。年譜や関連地図が付され、解題解説なども充実。「われわれがここに残すもの、われわれの家で残るに違いないもの、この世でたゆまず歩むべきもの、そうしたものを見失わないでいるというのは、素晴らしいことではないか。それは、われわれの不死性を示す諸形態の一つでもある。要するに自らを評価し、改善し、救うためには、過ぎ去った人類もやって来る人類も、われわれの原因もわれわれの結果も、閑却してはならないということだ」(307頁、1842年4月4日)。

★「忘れないでくれ。時の確かな歩みのなかで、過去は死なないということを。死のなかには美しく高貴なものが残るのだ」(307~308頁、同日)。「流動する同じ精神が、世代から世代へと流れてゆく。本能的ないくつもの動きが、過去に対し未来に対し、われわれをおののかせ、人類の奥深い同一性をわれわれに明らかにしてくれる。/そのことを何も感じないような者は、自らが過去の世代にいかなる面でも属していないと否定し、ほどなく世界から孤立するようになるだろうし、そういう者はありうるとすれば、とるに足りない人間になってしまうであろう」(308~309頁)。

★『虚心に読む』は近年はテレビコメンテーターとしても著名な、読売新聞特別編集委員を務める橋本五郎(はしもと・ごろう:1946-)さんによる、『「二回半」読む』――書評の仕事1995-2011』(藤原書店、2011年)に続く書評集第2弾。「「自由」と「民主」」「日本とは何か」「生きるということ」の3部構成。詳細目次は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「長短の書評に加え、単行本解説、「橋本五郎文庫」のこと、そして著作でたどる小泉信三論を収録」と。「橋本五郎文庫」というのは2011年4月に秋田県三種町の「みたね鯉川地区交流センター」(旧鯉川小学校)にオープンした施設で、橋本さんが寄贈した約2万冊の書籍が活用されています。看板の揮毫は橋本さんの求めにより、中曽根康弘元首相がしたためたもの。

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by urag | 2020-06-29 23:25 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2020年 06月 24日

「図書新聞」にユンガー『エウメスヴィル』の書評

「図書新聞」第3452号(2020年06月20日付)に弊社3月刊、エルンスト・ユンガー『エウメスヴィル』の書評「文明社会の生態系を知り尽くした老いた「マタギ」の手になる「SF小説」――語りのなかに夥しい数の歴史上の人名や出来事への言及を織り込む」が掲載されました。評者は立教大学教授・前田良三さんです。「リベラル市民社会も全体主義社会もともに没落した後の文明社会に生きる人間の姿を幻視し続けた作家のこの書物が、歴史的パンデミックという「例外状態」のただ中の日本に出現したこと――これは単なる偶然だろうか」。「複数のシステムに関与しながらもそれらから自由であろうとする〔主人公の〕マルティンは、自分の基本的態度を「アナーク」(Anarch)とする。〔…〕ユンガーその人の出処進退を彷彿とさせるこの人間類型は、「兵士」、「労働者」、「森人」(Waldgäenger)と並んで作者が美的に造形した人間像、根本的に変容した世界で生き延びる人間の新たな「形姿〔ゲシュタルト〕」と言えるだろう」と評していただきました。

by urag | 2020-06-24 10:33 | 広告・書評 | Comments(0)
2020年 06月 23日

本日取次搬入:中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来ーー英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』

弊社シリーズ〈哲学への扉〉第7回配本、中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来ーー英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』を本日取次搬入いたしました。弊社本はパターン配本を行ないません。事前に受注のあった書店様に返品条件付で出荷しております。ネット書店やリアル書店での店頭発売開始は、都心の大型店から25日以降順次となるかと思われます。どの書店様で扱いがあるかについては、地域をご指定いただければ、お知らせできます。弊社までお気軽にお問い合わせ下さい。
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by urag | 2020-06-23 17:49 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2020年 06月 21日

注目新刊『ele-king臨時増刊号 コロナが変えた世界』Pヴァイン、ほか

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ele-king臨時増刊号 コロナが変えた世界』ele-king編集部編、Pヴァイン発行、日販IPS発売、2020年6月、本体1,800円、A5判並製224頁、ISBN978-4-909483-57-7
隔離の島』J・M・G・ル・クレジオ著、中地義和訳、ちくま文庫、2020年6月、本体1,500円、文庫判640頁、ISBN978-4-480-43681-8
[新訳]ローマ帝国衰亡史』エドワード・ギボン著、中倉玄喜編訳、PHP文庫、2020年6月、本体1,500円、文庫判800頁、ISBN978-4-569-90063-6
ナチス軍需相の証言――シュぺーア回想録(上)』アルベルト・シュペーア著、品田豊治訳、中公文庫、2020年5月、本体1,400円、文庫判496頁、ISBN978-4-12-206888-9
ナチス軍需相の証言――シュぺーア回想録(下)』アルベルト・シュペーア著、品田豊治訳、中公文庫、2020年5月、本体1,400円、文庫判488頁、ISBN978-4-12-206889-6
ペスト』ダニエル・デフォー著、平井正穂訳、中公文庫、1973年初版/2009年改版/2020年5月改版6刷、本体1,200円、文庫判456頁、ISBN978-4-12-205184-3
ビザンツ帝国――千年の興亡と皇帝たち』中谷功治著、中公新書、2020年6月、本体940円、新書判320頁、ISBN978-4-12-102595-1
カール・シュミット――ナチスと例外状況の政治学』蔭山宏著、中公文庫、2020年6月、本体860円、新書判288頁、ISBN978-4-12-102597-5

★『ele-king臨時増刊号 コロナが変えた世界』はまもなく発売。新型コロナが世界の何をどう変えたのか、文化的側面に重点を置きつつ、識者のインタヴューとコラムによって「新しい現実」を検証するもの。インタヴューで登場するのは以下の各氏。内田樹、天笠啓祐、宮台真司、上野千鶴子、五野井郁夫、桔川純子、宇都宮健児、重光哲明、篠原雅武、ダニエル・ミラー、ブライアン・イーノ。そして、コラムを寄稿しているのは以下の各氏です。イアン・F・マーティン、坂本麻里子、後藤護、仲山ひふみ、高島鈴、白石嘉治、三田格。さらに、ブライアン・イーノとヤニス・ヴァルファキスの対談も収録されています。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。

★ブライアン・イーノはインタヴュー「利益の出ないモノをいかに大切にすることができるか──再解釈される文化とアート」の中で次のように発言しています。「我々は文化のことも、〔…〕「コモンズ」〔共同資産〕として考え始めなくてはならないんじゃないかと思う。皆で維持し、守っていくものとして。様々な研究リサーチがそうであるように、いわゆる利潤追求型のやり方では文化を維持できないだろう、その点は認識していかなくてはならないね」(181頁)。「仮にアートにおいても「儲かる作品しかやらない」ということになったら、それはアートの息の根を止めてしまう。というのも、カルチャーはエコロジー、ひとつの生態系であって、生態系の中にはありとあらゆるものが存在するわけだよね。〔…〕興味を持つ人間が少ないから、それ以外のあれこれは何もいらない、とは言えない」(182頁)。「気に入ったものを少しだけつまみ食いし、残りは無視するわけにはいかない。それだって全体の一部なんだからね」(182~183頁)。

★Pヴァインさんでは本号と同時発売で、スラヴォイ・ジジェク『パンデミック――世界をゆるがした新型コロナウイルス』(斎藤幸平監修、中林敦子訳、本体1,850円、ISBN978-4-909483-58-4)を刊行されるとのことです。監修者の斎藤さんが解説「リュブリャナの約束――古い理論の新しい使い方?」を寄せておられるそうです。

★ル・クレジオ『隔離の島』は、2013年に筑摩書房より刊行された単行本の文庫化。原著は『La Quarantaine』(Gallimard, 1995)。巻末の訳者解説「記憶、夢想、フィクション――『黄金探究者』から『隔離の島』へ」によれば、本書は「18世紀末にフランスからインド洋西部モーリシャス島に移住して数世代を重ねた作家の先祖の歴史に素材を汲んだ半自伝的小説3部作の第2巻」。また、「文庫版のための訳者あとがき」ではこう紹介されています。「メディアが、感染者や死者の日々肥大する数としてウイルスの脅威を訴え、感染症拡大を防ぐための外出自粛を説く時代の読者に、19世紀末、インド洋の小島で作家の祖父の身に起きた実話〔天然痘の船内発生と小島への船員乗客の隔離〕に基づくこのフィクション、人間が地を這うようにして生き延び、生まれ変わる、陰惨にして壮麗な物語は、はたして何を伝えるだろうか」。

★3部作の第1部は『黄金探索者』(中地義和訳、新潮社、1993年;『世界文学全集 II-09』所収、河出書房新社、2009年;『Le Chercheur d'Or』Gallimard, 1985)で、第3部は『はじまりの時』(上下巻、村野美優訳、原書房、2005年;『Révolutions』Gallimard, 2003)です。関連する著書である『ロドリゲス島への旅』(中地義和訳、朝日出版社、1988年;『Voyage à Rodrigues』Gallimard, 1986)や、翻訳予定ありと聞く『Alma』(Gallimard, 2017)などを含めて、いずれすべてが文庫化されることを期待したいです。

★ギボン『[新訳]ローマ帝国衰亡史』は、2008年にPHP研究所より上下巻で刊行された新書普及版に加筆修正し、文庫化したもの。元となる単行本は2000年刊。原書は全6巻で1776年から1789年にかけて刊行された『The History of the Decline and Fall of the Roman Empire』。今般文庫化された中倉玄喜訳は抄訳で、「浩瀚な原著の中から各時代の代表的な章をそれぞれ選び〔…〕1冊にまとめたもの」(訳者はしがきより)。全訳には『ローマ帝国衰亡史』(全10巻、村山勇三訳、岩波文庫、1951~1959年)、『ローマ帝国衰亡史』(全10巻、中野好夫/朱牟田夏雄/中野好之訳、ちくま学芸文庫、1995~1996年)がありますが、携帯しうるコンパクトなサイズでその粋を味わえるようにするという今回のような配慮も、評価すべきだと思います。

★シュペーア『ナチス軍需相の証言』は、『第三帝国の神殿にて――ナチス軍需相の証言』(上下巻、中公文庫、2001年)の改題改版。『Erinnerungen』(UlLstein, 1969)の全訳で、単行本では『ナチス狂気の内幕――シュペールの回想録』(読売新聞社、1970年)として刊行されました。巻末特記によれば、改版にあたり「明らかに誤りと考えられる箇所は訂正し、人名・地名・役職名などは現在一般的であるものに改めた」とのことです。ヒトラーの最側近幹部の一人であった建築家シュペーア(Berthold Konrad Hermann Albert Speer, 1905-1981)の少年時代から敗戦までの半生が全30章で綴られた貴重な回想録で、巻頭にはシュペーア自身による「日本語版によせて」が寄せられています。旧文庫版では巻末解説は作家の土門修平さんがお書きになっておられましたが、今回の改版では甲南大学教授の田野大輔さんが「「シュペーア神話」の崩壊」という一文を寄稿されています。また、新たに人名索引が加えられています。

★田野さんは、回想録の出版によって自ら「善きナチス」像の演出に成功したシュペーアについてこう評しています。「〔1980年代以降の歴史研究によって〕多くの人々の共通理解となったのは、けっして単なる総統お抱えの建築家、軍需省のトップに立つ非政治的なテクノクラートではなく、権力欲にかられてヒトラーに近付いた出世主義者、確信的なナチスとして強制労働者を死に追いやった犯罪者だったということである」(471頁)。「2017年にシュペーアの伝記を出版したマグヌス・ブレヒトケンによれば、この男の自己演出が何十年にもわたって成功をおさめたのは、それが多くのドイツ人の免罪欲求と見事に一致していたからだった。「シュペーア神話」は、彼と同じように野心をもってナチズムを支え、戦後はそうした過去から距離を取りたがっていた何百万もの人々にとって、理想的な投影対象を提供したのである」(471~472頁)。

★デフォー『ペスト』は新潮文庫のカミュ『ペスト』とともに新型コロナの流行によって読み返されている古典のひとつ。デフォー(Daniel Defoe, 1660-1731)は言うまでもなくイギリスの高名な作家で、代表作は『ロビンソン・クルーソー』(1719年)。本書『ペスト』は1722年に(当時は匿名で)出版された『A Journal of the Plague Year』を訳したもので、訳者の言葉を借りると「馬具商を営むロンドンの一市民、H・Fなる人物による「観察録、つまり思い出の記録」」という体裁。舞台となった1665年のロンドンでは、当時の市民の6分の1以上がペストで亡くなったと推定されるとのこと。新型コロナのパンデミックが今なお終息を迎えていないこんにち、歴史において人間の愚行は繰り返されるものだということを本書は現代人に教えてくれます。なお同書の既訳書には泉谷治訳『疫病流行記』(現代思潮新社、1967年)があり、今月オンデマンド版が発売されています。

★中谷功治『ビザンツ帝国』は「波乱万丈・有為転変の連続であったビザンツ帝国の歴史を、7世紀から12世紀までの注記を中心に記述」したもの(「はじめに」より)。「この時代こそビザンツが、その歴史的世界のもとで新たな発展を遂げ、周辺領域の人々と交わりつつユニークな歴史を発展させた時期だからである」(同)。「特徴的な皇帝たちの治世を中軸に設定しつつ、その形成から解体にいたるまでを政治の多面性や文化の重層性にも配慮しながら叙述」(同)。章立ては以下の通りです。序章「ビザンツ世界形成への序曲――4~6世紀」、第1章「ヘラクレイオス朝の皇帝とビザンツ世界――7世紀」、第2章「イコノクラスムと皇妃コンクール――8世紀」、第3章「改革者皇帝ニケフォロス1世とテマ制――9世紀」、第4章「文人皇帝コンスタンティノス7世と貴族勢力――10世紀」、第5章「あこがれのメガロポリスと歴史家プセルロス――11世紀」、第6章「たたかう皇帝アレクシオス1世と十字軍の到来――12世紀」、終章「ビザンツ世界の残照――13世紀後半~15世紀」。

★蔭山宏『カール・シュミット』は「シュミットの伝記ではなく、その思想と理論の歩みをテーマ」にしたもの(「まえがき」より)。「序章で生涯をたどった後、第1章から第3章で、シュミットの政治思想として比較的よく知られたこれらの論点〔例外状況、友敵理論、決断主義、自由主義と民主主義、政治的ロマン主義、独裁、権力国家、ワイマール憲法〕を紹介する。第3章の末尾では、ワイマール共和国崩壊期にヒトラー政権を阻止すべく論陣を張ったシュミットの思想的実践を扱う」(同)。章立ては以下の通りです。序章「シュミットの生涯」、第1章「政治学の基礎概念としての「例外」と「政治的なもの」――『政治神学』『政治的なものの概念』」、第2章「近代的市民の批判――『現代議会主義の精神史的地位』『政治的ロマン主義』」、第3章「ワイマール共和国の崩壊とナチス体制の成立――『独裁』『憲法論』『合法性と正統性』」、第4章「ナチス時代の栄光と失墜――『国家・運動・民族』から『陸と海と』へ」、第5章「第二次大戦後における隠遁と復権」、終章「シュミットの思想と学問」。

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by urag | 2020-06-21 23:33 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2020年 06月 19日

新規および継続直取引店情報:月曜社の本を置いてくださる本屋さん

静岡県浜松市中区田町229-13 KAGIYAビル201
直取引。『森山大道写真集成』のご発注。公式ウェブサイトによれば同店は2010年4月に「写真家若木信吾が故郷浜松市にオープンした小さな本屋です。国内外の写真集をはじめ、若木が発行人を務める出版社ヤングトゥリー・プレスの書籍、オリジナルグッズなどがご購入できます。また、展示やトークショーなど、様々なイベントも開催しています」。Facebookで弊社の同シリーズについて「月曜社から刊行されている森山大道写真集成シリーズ入荷しました。初期の名作を初版当時の画像サイズのまま再現したこのシリーズは、写真家自身による当時の回想や撮影にまつわるエピソード、撮影場所など貴重なコメントも収録されています」とご紹介いただきました。


本と珈琲カピバラ
山梨県甲府市大手2-3-12
直取引。人文書の主要商品などをご発注いただきました。同店はツイッターの自己紹介欄によると「甲府の古本カフェ、ですが、一部新刊も扱っています。出版社では、有志舎、共和国、春秋社、月曜社をひいきに。不定期営業で、投稿のトップ表示に毎月の営業カレンダーを掲載していますので、ご確認のうえご来店ください。読書会と著者トークを開いています。こちらもぜひご参加ください。なお、カピバラでは買い取りはしていません」と。今般の仕入れについて「カピバラの出版社別棚に、思想・批評・文学・芸術の分野で貴重な出版を重ねてこられた「月曜社」さんの専用棚を設置しました。これまでも所蔵している本を少しずつ並べてきましたが、このたびまとめて仕入れもして増強しました。積極的に売っていきたいと思います。/期間限定の企画ではなく、定番として常備していきますので、いつでもお買い求めください」とご紹介いただきました。貴重な版元品切本や、絶版の初版本などの扱いがあります。
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福岡県福岡市東区西戸崎1-6-21
直取引。何度目かの追加のご発注です。同店は「海辺の町にある、築100年の元時計店を改装した書店/コーヒースタンド」。開店当時からの書目をコツコツと補充して売ってくださる、とても丁寧な書店さんです。ロドルフ・ガシェ『いまだない世界を求めて』と、ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』を個人経営のお店で長期間にわたり一番売ってくださっているのはこちらの本屋さんです。



by urag | 2020-06-19 17:41 | 販売情報 | Comments(0)
2020年 06月 16日

注目新刊:ギンズブルグ『それでも。マキァヴェッリ、パスカル』(上村忠男訳、みすず書房)、ほか

注目新刊:ギンズブルグ『それでも。マキァヴェッリ、パスカル』(上村忠男訳、みすず書房)、ほか_a0018105_01174832.jpg

弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍をご紹介します。

★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳書:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
イタリアの歴史家ギンズブルグ(Carlo Ginzburg, 1939-)の著書の、上村さんにとって8冊目となる訳書『それでも。マキァヴェッリ、パスカル』がみすず書房より発売となります。本日6月16日が取次搬入日のようですので、まもなく店頭発売開始となるかと思います。『Nondimanco: Machiavelli, Pascal』(Adelphi, 2018)の全訳で、著者からの要望により未刊の論考「Forging the poeple: Machiavelli, Michelangelo」の翻訳が第5章として追加されています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。

カルロ・ギンズブルグ著 上村忠男訳
みすず書房 2020年6月 本体5,700円 四六判上製352頁 ISBN978-4-622-08910-0
帯文より:近代的な「統治の技術」を理論化したマキァヴェッリ。「永遠の空間の無限の沈黙」を畏怖した信仰者パスカル。継承関係を追い、書物の宇宙を往還する歴史学。

★星野太さん(著書:『崇高の修辞学』)
月刊誌『群像』2020年7月号に掲載された批評総特集「「論」の遠近法」において、論考「パラサイト――やがて来る食客論のために」(199~212頁)を寄稿されています。この特集は「「危機の時代」の先にある、(いくつかの)バニシング・ポイントを見つめる」というもの。星野さんのほか、東浩紀、安藤礼二、江南亜美子、大澤信亮、小田原のどか、樫村晴香、柄谷行人、高原到、福尾匠、古川日出男、町屋良平、綿野恵太、の各氏が寄稿しています。星野さんのご論考は「人類史をつらぬく「寄生」。生の営みとともにある概念の可能性を拡げる」と紹介されています。弊社刊、アガンベン『バートルビー』に収録された高桑和巳さんの解説「バートルビーの謎」が参照項のひとつとして論及されています。



by urag | 2020-06-16 01:05 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2020年 06月 14日

注目新刊:エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局、ほか

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★大型書店に出向けず、ネット書店も在庫や調達日数に難がある状態が続いている昨今、専門書の購入にはいまだに難儀しています。同様の困難を感じておられる読者がどれほどいらっしゃるのか分かりませんが、みずからの経験と実感を通じて、本作ることと売ることをめぐって色々と考える機会になっていることは確かです。

カオス・領土・芸術――ドゥルーズと大地のフレーミング』エリザベス・グロス著、檜垣立哉監訳、小倉拓也/佐古仁志/瀧本裕美子訳、法政大学出版局、2020年5月、本体2,600円、四六判上製212頁、ISBN978-4-588-01113-9
中世の言語と読者――ラテン語から民衆語へ【新装版】』エーリヒ・アウエルバッハ著/小竹澄栄訳、八坂書房、2020年4月、本体4,800円、A5判上製400頁、ISBN978-4-89694-272-9

★『カオス・領土・芸術』は『Chaos, Territory, Art』(Columbia University Press, 2008)の全訳で、カリフォルニア大学アーバイン校の批評理論研究所で2007年5月に開催された、ウェレク・ライブラリー講義を書籍化したものです。第一章「カオス──コスモス・領土・建築」、第二章「振動──動物・性・音楽」、第三章「感覚──大地・民衆・芸術」の全3章。私個人としても出版を待ち望んでいた注目作でした。著者のエリザベス・グロス(Elizabeth Grosz, 1952-)はオーストラリアの哲学者で近年は米国で教鞭を執っています。著書としては今回の訳書が初めての日本語訳となります。訳者あとがきで監訳者の檜垣さんは本書を「ドゥルーズとガタリの議論を軸としながら芸術について論じたもの」と紹介し、次のように評価されておられます。

★「グロスは、フェミニズムと精神分析という領域から仕事を開始しながらも、社会構築主義的に解釈されるセクシャリティの位相を越えたより深い身体の自然性を、ダーウィン的な生物進化をひきうけつつ考え、同時に芸術や政治といったもののあり方をとらえなおしていく。まさにドゥルーズとガタリが提示した、カオス的な自然と、そこから生み出された産物である身体を救いだし、それを芸術という方向から考察することがなされていくのである。これは、現今の哲学思想のさまざまな場面で語られる新唯物論的な、また芸術をそもそも人間の固有性に回収しないという意味で脱人間主義的な、あるいは一種の自然主義的な傾向を強くそなえた思考であるといえる。とりわけフェミニズムにおいて、身体性やその生物性の問題は重要な鍵であるはずであり、イリガライ由来のフランス現代思想からはじまり、ダーウィニズムを通過させていくグロスの戦略は、多くの分野で有効性をもつとおもわれる」(188~189頁)。

★第二章「振動」からいくつか印象的な文章を引きます。「もっとも原始的な生き物においてさえ、振動には、楽しませたり強度化したりする情熱を産出し、器官を高ぶらせ、より大きな力やエネルギーを運動へと備給する何かがある」(56頁)。「振動、波動、変動、共振は、どんな高次の目的のためにでもなく、ただ快感のためだけに、生ける身体を触発する。生ける存在は、振動的存在である。振動は、差異化の様式であり、生物が大地そのものの力を高めたり楽しんだりする方法である。音楽は魅了するものである。だからこそ音楽は生き残ってきたのだし、これほどまでに文化的に普遍的なのである」(57頁)。

★「芸術とは、さまざまな水準にある異質な要素をカップリングすることであり、領土の組織化と身体の力を結びつけることである。あらゆる芸術は動物とともにはじまるのであり、それというのも、機械でも心でも主体でもなく、動物こそが領土と身体を同時に形づくるからである。心や機械や主体は、それ自体が、このような身体と環境のカップリングの芸術的な生産物なのである。芸術とは、心的に捉えられようが精神的に捉えられようが、「高次の」存在の達成ではなく、古い動物的先史時代のもっとも原始的で基本的な断片の精緻化である」(60頁)。

★「音楽が生き残ってきたのは、それが日々の生活において有用なものや実践的に価値があるものへと還元できるからではなく、まさに音楽が有用ではなく、誘発的な強度化や快感という、より曖昧な目標に奉仕するからである。音楽が発展し生き残るのは、音楽が私たちに、つまり音楽を奏でる者や聞く者に、何らかの直接的な利点をさずけてくれるからではなく、音楽が楽しませるものだからであり、他者たちを私たちへ、そして私たちを他者たちへ誘引することに奉仕するからである」(60~61頁)。

★「振動とは変動であり、差異であり、行ったり来たりの収縮と膨張の運動である。それらは、空間的運動や空間的プロセスが時間的なものへと生成することであり、現在のリズムと規則性をモデルにしていくつかの仕方で形づくられる未来の約束である」(94頁)。「いかにして芸術作品は感覚をひき起こすのだろうか。私たちが知っていて認識しているものの感覚ではなく、いまだ知られておらず経験されたことがないものの感覚を。過去の痕跡ではなく、未来の軌跡を。人間的なものや、その認識されている特徴の痕跡ではなく、非人間的なものの軌跡を」(104頁)。「芸術はまさに、身体や、集団や、大地それ自体に対する、振動的な力の創造的で破壊的な衝撃を解放し、強度化し、祝福する。芸術は生を守り、高めていく。そしてその生は、来たるべき生であると同時に、来たるべき生を告げ知らせるのである」(同頁)。小著ながら芸術哲学としての本書の魅力と論点は長く参照され続けるのではないかと思います。

★『中世の言語と読者』は2006年に刊行されたものの久しぶりの新装版。『Literatursprache und Publikum in der lateinischen Spätantike und im Mittelalter』(Francke Verlag, 1958)の全訳です。訳者あとがきに新装版刊行にあたっての追記は特にありません。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「本書は、著者自身の言によれば、『ミメーシス』〔上下巻、篠田一士/川村二郎訳、ちくま学芸文庫、1994年〕の補完として著されたものである。詳しくいえば、『ミメーシス』第三章〔ペトルス・ウァルウォレメスの逮捕〕と第五章〔ロランがフランク勢の殿軍に推挙された次第〕のあいだの間隙を埋めるためにもくろまれた試みということである」と小竹さんは訳者あとがきで説明しておられます。

★「『ミメーシス』では、第三章が後期古代のアンミアーヌスやヒエロニュムスの修辞的レアリスムに一線を画すアウグスティーヌスの文体を「謙抑体」として初めて提示したのに対して、五章以下にはシャンソン・ド・ジェストと宮廷叙事詩という中世盛期の精華が論じられ、それがキリスト教教訓文学と中世演劇世界を経て、ダンテへボッカッチョへと引き継がれてゆくのであるが、その後期古代と中世盛期のあいだ、つまり600年から1100年に至る500年刊をここで再度見直し新たに論ずるために記されたのが本書の一〔第Ⅰ章:謙抑体 (sermo humilis)〕、二章〔第Ⅱ章:初期中世のラテン語散文〕ということになる。さらに第三章〔カミラ――あるいは崇高なるものの再生について〕では、古代の荘重体が中世盛期の叙事詩を経て後に、はたしてどこに新たな形でよみがえったか――それはいうまでもなくダンテに集約されるのであるが――が取り上げられる」(訳者あとがきより)。

★「これに対して第四章〔西欧の読者とその言語〕の「読者論」は、後期古代から中世へと至るユーロッパの文学受容史であり、同時に言語文化史概論として読むこともできる。「読者」という訳語を用いるのはこの時代にふさわしいかどうか、読む人よりもむしろ聞く人の方が圧倒的多数であったと思われる時代ではある」(同)。現在ちくま学芸文庫版『ミメーシス』は品切ですが、本書と同様に基本書なので、新たな読者のために重版されるといいなと思います。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

イタリア絵画史』ロベルト・ロンギ著、和田忠彦/丹生谷貴志/柱本元彦訳、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,500円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-09990-7
最初の礼砲――アメリカ独立をめぐる世界戦争』バーバラ・W・タックマン著、大社淑子訳、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,700円、文庫判576頁、ISBN978-4-480-09991-4
古伊万里図鑑』秦秀雄著、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,400円、文庫判304頁、ISBN978-4-480-09994-5
オリンピア――遺跡・祭典・競技』村川堅太郎著、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,000円、文庫判256頁、ISBN978-4-480-09988-4
モロトフ・カクテルをガンディーと――平和主義者のための暴力論』マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、ころから、2020年6月、本体1,500円、A6変型判並製416頁、ISBN978-4-907239-49-7
すべて内なるものは』エドウィージ・ダンティカ著、佐川愛子訳、作品社、2020年6月、本体2,400円、46判上製279頁、ISBN978-4-86182-815-7

★ちくま学芸文庫の6月新刊は4点。『イタリア絵画史』は97年に筑摩書房より刊行された単行本の文庫化。原著は『Breve ma veridica storia della pittura italiana』(Sansoni, 1980)です。再刊にあたり、共訳者の和田忠彦さんによる親本での解説「ロベルト・ロンギのスタイル――絵画と文学」はそのまま残され、新たに、和田さんによる「文庫版のための短いあとがき」と、岡田温司さんによる文庫版解説「ボローニャのヤヌスたち――ロンギ、モランディ、パゾリーニ」が加えられています。和田さんのあとがきによれば「訳文の微調整、図版の調整」などを行ったとのことです。

★『最初の礼砲』は、1991年に朝日新聞社より刊行された単行本の文庫化。原著は『The First Salute: A View of the American Revolution』(Knopf, 1988)です。米国の作家で歴史家のタックマン(Barbara W. Tuchman, 1912-1989)の最後の著書。文庫化にあたり「文庫版訳者あとがき」が付されています。訳文改訂についての言及はなし。タックマンの訳書の文庫化は、『八月の砲声』(上下巻、山室まりや訳、ちくま学芸文庫、2004年)、『決定的瞬間――暗号が世界を変えた』(町野武訳、ちくま学芸文庫、2008年)、『愚行の世界史――トロイアからベトナムまで』(上下巻、大社俶子訳、中公文庫、2009年)に続いて4点目です。

★『古伊万里図鑑』は、1972年に5000部限定で大門出版美術出版部より刊行された『改訂増補新版 古伊万里図鑑』を文庫化したもの。巻頭の特記によれば「文庫化にあたって、表記を新字・新かなに改め」、「図版のレイアウトは元本を踏襲したが、判型の都合上、一部変更した」とのことです。帯文に曰く「幻の名著を文庫化、愛好家垂涎の340点を収録した究極の図録」。約300頁のうち、半分強が図版です。文庫化に際し、著者のご子息の秦笑一さんによるエッセイ「箸と古伊万里」、さらに、古美術店店主でTV番組「開運なんでも鑑定団」の鑑定士でもある勝見充男さんによる解説「秦秀雄と“初皆事伊万里”」が巻末に加えられています。

★『オリンピア』は、1963年に中公新書の一冊として刊行されたものの文庫化。巻末特記によれば再刊にあたり、「明らかな誤りは正し、ルビも増やした。また、図版を大幅に差し替えた」とのことです。巻末に橋場弦さんによる解説「驚くことから歴史学は始まる」が付されています。「本書は、日本におけるギリシア・ローマ史研究の基礎を築いた村川堅太郎が、古代オリンピックについて一般向けに書き下ろした教養書である。1964年の東京オリンピック前年に上梓され、1988年までに版を重ねること14度、平明かつ自由闊達な筆致で書かれた名著として知られてきた」。全5章立てで、最終章が「施設の完備と精神の喪失」と題されています。「著者から見れば、ヘレニズム・ローマ時代に都市国家の減速が崩れ、ポリスの代表であったアマチュア選手が姿を消して、競技がプロ化・興行化したことは、いかに施設や建造物が美しく飾られようとも、「根本の精神の喪失」であった。だから、「オリンピアの尊厳」が低下した「この時代に多くのページを割く必要を認めない」」と著者は書いた、と橋場さんは説明して下さっています。現代のオリンピックを再考する上でも必須の一書ではないでしょうか。

★『モロトフ・カクテルをガンディーと』は『Drinking Molotov Cocktails with Gandhi』(New Society Publishers, 2015)の翻訳で、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊國屋書店、2011年)、『無銭経済宣言』(紀伊國屋書店、2017年)に続く、フリーエコノミー運動の旗手マーク・ボイル(Mark Boyle, 1979-)の3点目の訳書となります(訳者はいずれも吉田奈緒子さん)。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。序章「3Rをアップグレードせよ」で著者はこう述べます。「以下のページで探求していく〈野生の平和〉は、文明化した都会人のいだく「暴力」「非暴力」「平和主義」といった概念にはしばられない」(9頁)。3Rをアップグレードするというのは、従来のリデュース(ゴミの減量)、リユース(再利用)、リサイクル(再生)を、レジスト(抵抗)、レボルト(反逆)、リワイルド(野生の回復)へと進化させること。論争的で挑戦的な一書です。

★『すべて内なるものは』は『Everything Inside』(Knopf, 2019)の全訳。8篇の短篇小説が収録されています。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。巻頭に付された書き下ろしの「日本の読者への手紙」にはこうあります。「ここにあるのは八つの――願わくは読者の方々にとって魅力的な――短編小説です。ハイチ人であるというのは――国内にいる場合でも海外にいる場合でも――どういうことかについての。そして、そのパワフルで、ときに中傷され貶されるアイデンティティを、自分の行くところどこへでも身につけて持ち歩くというのは――〔…〕「永遠のディアスポラ」の一員として地球を歩くというのは――どういうことかについての」(8~9頁)。本作は今年、全米批評家協会賞の小説部門を受賞したとのことです。

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by urag | 2020-06-14 22:42 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)
2020年 06月 07日

【番外編】注目既刊:「冒険的でプレイフルな・・・」、ほか

他人の痛みを感受できる者にとってこの世界は一分一秒たりとも生きながらえることを選択しえない地獄である。過去にさいなまれ、未来が見えない状況下で周囲に引きずられて生きることの辛苦がある。この先もそれを甘受するか、そこから解放されるべく脱出するか。脱出するとして、私たちはどこまで単独者たりうるか。

A「重要なことは離脱をうながすあらゆる共同体の運動が、現代のような資本主義のなかでは、きまってアナクロニズムやナルシシズムにおちいってしまう可能性をかかえこんでいるということだ。資本主義のほうが、欲望する身体を、多様な方向に錯乱させ、分散させようとしているからだ。しかも、その錯乱や分散が、けっして自由闊達であっても、奔放であってもいけないと命じているのも、じつはこの資本主義という運動体なのである。それは、内側から、家族や学校やさまざまな人間どうしのつながりをむしばみ、解体の淵においこんでいこうとしている。そして、それと同時に、ミクロなサイズの検閲の場としての、家族や学校や会社の存続をも、必要としているのだ、だから、いまある家族や学校や会社などから離脱して、新しい集団をつくろうとしても、この解体-再編成のダイナミックなウェーブのなかにあっては、どうしても臆病で閉じた、アナクロニズムの小島ができあがっていくようなやりきれなさに、おそわれることになる」(SN, 1986)。

小さな島はいかにも理想への希求から形成されるが、作り込めば作り込むほど、大きくなればなるほど、元の世界の似姿に近づいていく惧れはないだろうか。乗り越えを目論み、否定し拒絶したはずのそれ、つまり「親」に。

書店=取次=出版社はたったひとつの世界観のもとにあるのではなく、実際のところかなりバラバラな断片がかろうじて併存しているにすぎない。それは現実社会の似姿ではある。三者はバラバラな言葉を喋っている。バベルの混乱から脱するためには、混乱をきたしているいまここに留まるのではなく、ここを棄てて、ただひとつの条理をともに目指すべきなのだろうか。

B「いつのまにか内側から崩壊してしまったり、気がつくとより大きな組織の「器官」になっていた、などという事態をまねきよせることなく、制度の外側、捕獲網の外側にむかって、ぶじ離脱をはたし、しかも、そこからさきけっして難破してしまうことのない、すぐれた漂流船を設計するためには、その船はいくつかの条件をそなえていなければならないだろう」(SN, 1986)。

先人たちは(そして私たちも)常に条件を提示するにとどまる。あらゆる実現は陳腐化である。ただし、ひとつの教訓として、小さなままに留まり、小さな他のものを尊び、小さな関係を日々紡ぎ直していくことに、何度でも注意を払う必要がある。

C「もちろん、制度や掟の外側に離脱していくといっても、たんに空間的に遠くまで、人目につかないところに逃走していくことを、いうのではない。外部に離脱するとは、もっと別の意味をもっているのだ。それは、制度や掟の内部では、あまりに弱く、あまりに繊細であるために、大ざっぱでずさんなできあがりをしているファロス=知性=権力の眼にはまったくとらえることができず、そればかりか、ファロス的な乱暴な身ごなしが、知らず知らずのうちに押しつぶしてしまったり、息もたえだえに苦しめてきたものを、ヴィヴィッドに感じとり、理解できる能力を身につけることを言うのである」(SN, 1986)。

自分以外の存在の痛みに共感しうる者にとっては、この世界は、一分たりとも生き延びることが苦痛な場所である。人はたいていの場合、諸存在(それは人間や動物ばかりではない)の痛みに耳目をふさぎ、共感を閉ざすことによって、わずかながらの安らぎのひとときを得るものだ。それは端的に、欺瞞である。

生まれたことが罪なのではない。闇に蝕まれながらもそれを無視して生きることが欺瞞なのだ(しかし欺瞞は生き延びるすべですらある)。なぜなら人はたった一人で生きる存在ではないのだから。他人に生かされ、他人を生かして生きる存在なのだから(しかし痛みへの共感に浸食されては人は生きていけない)。すべての存在の痛みを漏らさず感受できた人間はおそらくいない。多くの存在の痛みを感受して、受け止め切った者もおそらくは稀である。

象徴としてのファロスではなく、自然としての陽物については考え直す必要がある。去勢することが唯一の未来ではないのであれば。それともうひとつ言わねばならない。資本主義の外部がこの世界にはないわけではない。資本主義はすべての場所を繋ぎうるのではない。

D「小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の闇をひろげて、夜がはじまる。/大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。しゃらしゃらと、たよりない音をたてて鳴る南方十字星〔サウザン・クロス〕が、こわれおちそうになって、燦めいている。海と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を痛めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終ったりしている。/諸君、人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。/大汽船は、浅洲と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな船は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかかわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれてゆくことを、暮れてゆくことを、人類世界の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想〔イデア〕とよび、無何有郷〔ユートピア〕となづけているのではあるまいか」(MK, 1940)。

E「「え? レンムも死んだんですか?」とラヴレーツキィは尋ねた。/「そうです」と若いカリーチンがいった。「あの人はここからオデッサへ行きましたよ。誰かがおびき出したって話です。そこであの人は死んだわけなんで」/「あの男の作曲が何か残っていなかったか、ご存知ありませんか?」/「知りません、どうもそんなものはないらしいですね」」(IT, 1858)。

消滅する存在者(媒介者)のさだめとして、関係の網目の中で忘れ去られることはどうというほどのものではない。名前を得たものが名前を失っていくことは必然なのだ。署名に執着する必要はない。

人は常に過去にさいなまれ、未来におびえている。過去にさいなまれ、未来が見えない状況下で周囲に引きずられて生きることの辛苦がある。この先もそれを甘受するか、そこから解放されるべく脱出するか。脱出口を見出せないまま闇に沈んでいく者がいる。脱出口から向こう側へ出たと思いこんだまま偽の光によって盲目となる者もいる。

懐疑と苦痛とに包囲され、それでも生きながらえる者。人間を嫌悪し、世界を嫌悪し、それでも孤独からその外側へ手を伸ばそうとする者。出版論はそこから出発しなければならない。

出版は人間関係に始まり、人間関係に終わる(それは人間にとって宿命的なリレーだ)。すべてを受け止めることの不可能性から出版は始まり、すべてを投げ出すことの不可能性に終わる。誰かが声にならない声を上げる時、それも出版なのだ。孤独の内に立ち消えてしまうもののただなかで、出版はかろうじて過去と未来を繋ごうとする、一本の糸であり、波である。

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A――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、264~265頁。
B――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、265頁。
C――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、266頁。
D――金子光晴「爪哇」より。『マレー蘭印紀行』中公文庫、1978年、143~144頁。
E――ツルゲーネフ『貴族の巣』米川正夫訳、角川文庫、1951年/改版三版1970年、275頁。

【番外編】注目既刊:「冒険的でプレイフルな・・・」、ほか_a0018105_03022872.jpg


by urag | 2020-06-07 23:54 | 雑談 | Comments(0)