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2019年 08月 28日

コレクター

とあるライターさんから聞いた話です。

知り合いのライターのカズ君はスピリチュアル系のネタに強く、お宝の熱心なコレクターでした。彼と一緒に飲んでいたある夜、終電を逃し、自宅に寄らせてもらうことになりました。お互い酔っていなければ、私を招くようなことはなかったかもしれませんし、私も遠慮したかもしれないと思います。彼の自宅は神棚や呪物や祭具などが所狭しとひしめきあっていました。コレクションは御朱印や御札や経典だけでなく、入信しないと手に入れることができなさそうな仏具や神具にまで及んでいました。それぞれ宗旨が異なるであろう仏像や御神体、御本尊を祀った色々な祭壇を、隣り合わせにして並べています。あちこちに蝋燭を灯して、奇妙な匂いの御香を焚き、お茶を出してくれたのですが、口にしたくありません。どうやって帰ろうかそわそわしていると、カズ君は一冊のノートを私に差し出しました。開いてみるとそれは様々な宗教や祭祀について書いてある自作のカタログのようでした。ノートの表紙には「数道」と書いてありました。それは彼の名前ではなく、「スウドウ」と読むのだそうです。スウドウというのは彼の異様な収集癖と関係があるらしく、「興味あるならノートを貸すよ」と言われました。借りる気が起きないので話をはぐらかそうと「これって出版用の原稿?」と聞くと、「いや、どうかな。でも××古書店の店主にはコピーをあげたけど」と答えます。「店主も興味があるっていうから」。この夜の出来事は長らく強烈な印象を残しました。御朱印や御札や特殊な文物を集めている人のことを見聞きしたり、神棚と仏壇が一緒にある家に出会ったりすると、彼の部屋のことを思い出して落ち着きません。


by urag | 2019-08-28 11:36 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 27日

ブックツリー「哲学読書室」に山下壮起さんと綿野恵太さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、2本のブックツリーが追加されました。『ヒップホップ・レザレクションーーラップ・ミュージックとキリスト教』(新教出版社、2019年7月)の著者、山下壮起さんによるコメント付き選書リスト「アフリカ的霊性からヒップホップを考える」。そして、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、2019年7月)の著者、綿野恵太さんによるコメント付き選書リスト「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊」。以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室
1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊
39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?
40)伊藤嘉高(いとう・ひろたか:1980-)さん選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか
41)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん選書「映画論で見る表象の権力と対抗文化
42)門林岳史(かどばやし・たけし:1974-)さん選書「ポストヒューマンに抗して──状況に置かれた知
43)松山洋平(まつやま・ようへい:1984-)さん選書「イスラムがもっと「わからなく」なる、ナマモノ5選
44)森田裕之(もりた・ひろゆき:1967-)さん選書「ドゥルーズ『差異と反復』へ、そしてその先へ
45)久保田晃弘 (くぼた・あきひろ:1960-)さん選書「新たなる思考のためのメタファーはどこにあるのか?
46)亀井大輔(かめい・だいすけ:1973-)さん選書「「歴史の思考」へと誘う5冊
47)須藤温子(すとう・はるこ:1972-)さん選書「やわらかな思考、奇想の知へようこそ!
48)斎藤幸平(さいとう・こうへい:1987-)さん選書「マルクスと環境危機とエコ社会主義
49)木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さん選書「いまさら〈近代〉について考えるための5冊
50)筧菜奈子(かけい・ななこ:1986-)さん選書「抽象絵画を理解するにうってつけの5冊
51)西山雄二(にしやま・ゆうじ:1971-)さん選書「フランスにおける動物論の展開
52)山下壮起(やました・そうき:1981-)さん選書「アフリカ的霊性からヒップホップを考える
53)綿野恵太(わたの・けいた:1988-)さん選書「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊

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by urag | 2019-08-27 19:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 27日

ショタレ本

とある書店さんから聞いた話です。

支店が閉店することになり、各店や取次から応援の人員を出してもらって返品作業をしていた時のことです。事務所の片隅に長らく放置されていた小さなダンボールの一つに、すっかり薄汚れた文庫本が十数冊入っているものが見つかりました。買切版元の本でもなく、なんだこれ、と一人が支店長に声を掛けると、ああそれショタレじゃないです、そもそも売り物でもないです、と言います。監視カメラを確認してもよく分からなかったんですけど、店内の一角に古本を置いていくお客さんが時折いたみたいなんです。なに、いったい何の話だよ、と本部社員が文庫本をパラパラめくって、うわっ気持ち悪い、と叫び声を上げました。赤いペンの書き込みがびっしりとあって、支離滅裂な言葉が延々と並んでいたのです。確かにすべてかなり古い文庫本で、お店で扱うようなものでもありませんでした。人だかりができて皆で本部社員の手元を覗き込んでいると、支店長が、あっ、そっちは触らない方が、と鋭く言いました。ダンボールに最後の一冊が残っていました。文庫サイズの手帖のようで、表紙に「D」とレタリングしてあり、他と比べると新しそうでした。それ見ちゃだめなヤツですよ絶対、と真面目な顔をして言います。皆が見たがっているのを察したのか、支店長は畳みかけるように続けました。たぶんその中身、血で書いてます。ページに毛とか皮膚がたくさん挟まってますし、最悪です。すぐに捨てたかったんですけど、お客様の忘れ物だったらどうしようって思って。でももうずっと誰も取りに来ないし、もう閉店だから捨ててもいいですよね、本当に見ない方がいいですよ。支店長はその後、退職しました。送別会の時の笑顔は、今も忘れられません。


by urag | 2019-08-27 10:17 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 26日

パートワーク

とある書店さんから聞いた話です。

自称「霊感の強い」バイトちゃんがうちの店にいます。よく働いてくれるので、バイトリーダーの私も助かっていますが、時折、挙動不審になることがあります。最初は天然かなと思っていました。「見えちゃう人なのかも」と思ったのは、ある日の出来事がきっかけです。その日の昼下がり、私とバイトちゃんはカウンターに入っていました。お客様が自動ドアから出る際に、店員は「ありがとうございました」と挨拶するわけですが、私の隣りにいたバイトちゃんが「イヤッ」と小さく声をあげ、口を押さえました。ゴキブリかと思い、私は周囲の床を見回しました。けれどバイトちゃんはじっと出入口の方を見ています。「どうした」と聞くと「いえ」とうつむいて言葉少なです。気になったので閉店後の帰り道、改めて話を聞くと「お客様がいた」と。パートワークを定期購読していた高齢のお客様で、つい先日ご家族がご来店になり「亡くなったので定期を中止したい」と聞いたばかりの方のことでした。「お客様と入れ替わりで入ってきて、カウンターの前までいらっしゃったので、思わず見えないふりをしました」と言います。幽霊って真昼間に出るものなの、と驚きました。完結まで買えなかったことを悔やんでおられたのでしょうか。お客様のご自宅に行ってお線香をあげるべきかどうか迷いましたが、結局今も伺えず終いです。バイトちゃんにも例のお客様が今なお来店することがあるのか、聞けずにいます。私の淡い恋心もすっかりしぼんだままです。



by urag | 2019-08-26 10:49 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日

注目新刊:ビフォ『フューチャビリティ』、アル=カリーリ編『エイリアン』、ほか

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フューチャビリティー ――不能の時代と可能性の地平』フランコ・ベラルディ(ビフォ)著、杉村昌昭訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01101-6
エイリアン――科学者たちが語る地球外生命』ジム・アル=カリーリ著、斉藤隆央訳、紀伊國屋書店、2019年8月、本体2,200円、四六判上製340頁、ISBN978-4-314-01170-9

★『フューチャビリティー』は『Futurability: The Age of Impotence and the Horizon of Possibility』(Verso, 2017)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。イタリア生まれの思想家フランコ・ベラルディ(Franco “Bifo” Berardi, 1949-)の単独著の訳書は、これまでに『プレカリアートの詩――記号資本主義の精神病理学』(櫻田和也訳、河出書房新社、2009年)、『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』(廣瀬純/北川眞也訳、洛北出版、2010年)、『大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』(杉村昌昭訳、作品社、2017年)の3点が刊行されており、今回の新刊はそれらに続く4冊目です。日本語版への序文でビフォはこう書いています。「民主主義はメディア・ポピュリズムと金融貴族主義という恐るべき怪物的権力形態をつくりだした。/政治の無力は人々のあいだに、抽象化のとてつもない力や民主主義に対して復讐したいという欲望を生み出した。そのような状況から民主主義的なやり方で脱出することはできない。/世界の北側諸国の大半は奥深くて不可逆的な分裂の局面に入った。それはレイシズムやナショナリズムの新たな暴力形態を伴った内戦の出現である」(iii頁)。

★「この本は三つの概念とそのあいだの関係に焦点をあてたものである。すなわち、可能性、潜在力、顕在力(権力)の三つである。私の意図は、現在われわれに問われている難問を解くために、この三つの概念の形成と機能を近代哲学のなかで再構築することであった。集合的知性とオートメーションテクノロジーの発達は可能性を包含しているが、まだ現働化していない。それはなぜかというと、主体的力が欠如しているからであり、ポストモダン社会の生活形態や表現形態をますます特徴づけている不能〔インポテンツ〕のためである。この不能は、社会運動の敗北、労働の不安定化、デジタルコミュニケーション時代の人間の存在的孤独などによってもたらされた。そしてこの不能が、逆説的にも権力が権力として機能する条件をなしているのである」(iv-v頁)。

★「デジタルテクノロジーの潜在力と危険がこの本の中心テーマである。このテクノロジーによってもたらされる加速化を私はこの本のなかで不明瞭な対象として見据えている。加速主義と呼ばれる思想運動は、資本主義のダイナミズムの加速化はそれ自体としてポジティブな現象である、なぜならそれはパースペクティブの転覆をもたらすものだから、と主張している。しかし私はこの思想運動に完全には同調できない。加速化はある種の解放に向かうかもしれないが、われわれが必要とするパースペクティブの転覆をもたらすのは、ポジティブな潜在力の出現としての主体性にかかっているからである。/したがって、主体の力能、知識、連帯、発明精神といったものが、これまで隠され、抑圧され、歪められながらも存在し続けてきたエネルギーを解き放つことができるかどうかに、すべてはかかっているのである」(v-vi頁)。

★本論でビフォはこう書きます。「彼らの問いは、これが生きることか? というものだった。/いや、この意味のない行為の意味のない繰り返しは生きることではなかったし、生きることではないのだ。/労働の拒否はマスプロ教育の時代に成長して労働者になった世代の特殊な状況に基づいた倦怠と悲しみに対する宣戦布告であった。そこにあるのは、彼らの文化的欲求と実存的期待の爆発である」(220頁)。「来たるべき戦いは経済的パラダイムの認識論的・実践的ヘゲモニーから知識の自立をいかにして勝ち取るかということをめぐるものとなるだろう」(262頁)。本書は、ネットワーク化された高度情報化社会における労働者である「認知労働者〔コグニタリアート〕」たちの協働と共闘を呼びかけた熱いメッセージであると受け止めることができます。知識のイノベーション、発明、実行に関わるという「認知労働者〔コグニタリアート〕」には、デザイナーやエンジニアなどが数え上げられていますが、出版人や書店人もまたそうであると言えるでしょう。


★『エイリアン』はまもなく発売。『Aliens. Science Asks: Is There Anyone Out There?』(Profile Books, 2016)の全訳です。帯文より引くと、「天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学・・・各分野の第一線に立つ20人が、地球外生命の定義、存在するための条件と可能性、その形態、探査方法を検討。現実として浮かび上がる新しい「エイリアン」の姿」。目次は下記の通りです。こんなにも盛沢山でたったの税別2,200円。素晴らしいです。

はじめに――みんなどこにいるんだ?|ジム・アル=カリーリ(理論物理学者)
第1章 われわれとエイリアン――ポストヒューマンはこの銀河全体に広まるのか?|マーティン・リース(宇宙論者)
第Ⅰ部 接近遭遇
第2章 招かれ(ざ)る訪問者――エイリアンが地球を訪れるとしたらなぜか|ルイス・ダートネル(宇宙生物学者)
第3章 空飛ぶ円盤――目撃と陰謀論をおおまかにたどる|ダラス・キャンベル(科学番組司会者)
第4章 地球上のエイリアン――タコの知性からエイリアンの意識について何を知りうるか|アニル・セス(認知神経科学者)
第5章 誘拐――地球外生命との接近遭遇の心理学|クリス・フレンチ(心理学者)
第Ⅱ部 どこで地球外生命を探したらいいか
第6章 ホーム・スウィート・ホーム――惑星をハビタブルなものにする条件は?|クリス・マッケイ(惑星科学者)
第7章 隣家の人――火星の生命を探る|モニカ・グレイディ(宇宙科学者)
第8章 もっと遠く――巨大ガス惑星の衛星は生命を育めるか?|ルイーザ・プレストン(宇宙生物学者)
第9章 怪物、獲物、友だち――SF小説のエイリアン|イアン・スチュアート(数学者)
第Ⅲ部 われわれの知る生命
第10章 ランダムさと複雑さ――生命の化学反応|アンドレア・セラ(無機合成化学者)
第11章 深海熱水孔の電気的な起源――生命は地球でどのように生まれたか|ニック・レーン(進化生化学者)
第12章 量子の飛躍――量子力学が(地球外)生命の秘密を握っているのか?|ジョンジョー・マクファデン(分子遺伝学者)
第13章 宇宙の必然――生命の発生はどのぐらい容易なのか?|ポール・C・W・デイヴィス(理論物理学者)
第14章 宇宙のなかの孤独――異星文明はありそうにない|マシュー・コッブ(進化生物学者)
第Ⅳ部 エイリアンを探す
第15章 それは銀幕の向こうからやってきた!――映画に見るエイリアン|アダム・ラザフォード(遺伝学者、著作家)
第16章 われわれは何を探しているのか?――地球外生命探査のあらまし|ナタリー・A・キャブロール(宇宙生物学者)
第17章 宇宙にだれかいるのか?――テクノロジーと、ドレイクの方程式と、地球外生命の探索|サラ・シーガー(惑星科学者、宇宙物理学者)
第18章 大気に期待――遠くの世界に生命のしるしを見つける|ジョヴァンナ・ティネッティ(宇宙物理学者)
第19章 次はどうなる?――地球外知的生命探査の未来|セス・ショスタク(天文学者)
訳者あとがき
インターネット
参考文献
アダム・ラザフォードの必見エイリアン映画リスト
索引
執筆者紹介



★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

薔薇色のアパリシオン――冨士原清一詩文集成』冨士原清一著、京谷裕彰編、共和国、2019年9月、本体6,000円、菊変型判上製296頁、ISBN978-4-907986-48-3
神の書――イスラーム神秘主義と自分探しの旅』アッタール著、佐々木あや乃訳注、東洋文庫:平凡社、2019年8月、B6変判上製函入552頁、ISBN978-4-582-80896-4
野の花づくし 季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』木原浩著、平凡社、2019年8月、本体3,000円、AB判並製192頁、ISBN978-4-582-54259-2
随筆 万葉集(一)万葉の女性と恋の歌』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-764-8
随筆 万葉集(二)万葉の旅、自然、心』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製272頁、ISBN978-4-86182-765-5
随筆 万葉集(三)大伴家持と永遠なる万葉』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-766-2
現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』青土社、2019年8月、本体1,400円、A5判並製240頁、ISBN978-4-7917-1386-8
ハイデガーと時間性の哲学――根源・派生・媒介』峰尾公也著、渓水社、2019年8月、本体4,200円、A5判上製296頁、ISBN978-4-86327-484-6

★『薔薇色のアパリシオン』は、詩人の冨士原清一(ふじわら・せいいち:1908-1944)さんの初めての全作品集。ピンクの表紙が鮮烈な印象を与える一書。666部限定で、66部がナンバリングありで版元直販、後の600部がナンバリングなしの市販用とのことです。2篇の追悼文(高橋新吉「冨士原清一のこと」、瀧口修造「冨士原清一に――地上のきみの守護天使より」)や、詳細な年譜や底本書誌情報が附録として収められています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。フィリップ・スーポーによるボードレール論より引きます。「適切に批評と言はれるものに関しては、哲学者達は私が次に言はんとすることを理解することを希望する。――正確であるためには、換言すればそのレエゾン・デエトルをもつためには、批判は偏頗的であり、熱情的であり、政治的であらなければならない。即ち排他的見界に於て、だがそれは地平線の極限を開く見界に於て、なされなければならない」(212頁)。

★『神の書』は東洋文庫896番。アッタールの名作『鳥の言葉――ペルシア神秘主義比喩物語詩』(黒柳恒男訳、東洋文庫、2012年5月、品切)の姉妹編(1387年)です。巻末の訳者解説によれば「本書は、イランで出版された最新のシャフィーイー・キャドキャニー教授校訂(テヘラン、2008年)より、冒頭の神・預言者・正統カリフへの称讃のみを除いた全訳である」。巻頭の序章のほか、全23章で260篇の逸話が収められています。父王が6人の王子の質問に答えるという体裁。「官能、名声、富、権力、超絶知などへの欲望を斥け、真理に至る神秘主義の道程へと導く、乞食から王侯まで多彩な人々の多様な物語」(帯文より)。「素寒貧になるというのは一つのしるしであることを知っているのか? 真の王とは素寒貧であることなのだぞ。すべて失うことができる人は誰でも真の王なのだ。なぜならごまかしは、突然訪れる不幸のように人生を台無しにするからだ」(397頁、第十八章第十話「導師アブー・サイードと博打打ちの話」より導師の言葉)。

★これに続けてアッタールはこう記します。「神秘主義の道を歩むすべての獅子は、愛の世界では狐である。心して歩め、注視せよ、賢くあれ。ここでは不幸が雨のように降ってくるのだから、気をつけよ。もし真実に到達するために身を捧げ、我を消して神と合一しようと決めたなら、そして愛しいお方のために命を差し出すために、障害である肉体という幕帳〔とばり〕を取り払い、それを自身から遠ざけようと決めたなら、この道においてあなたがすべて失わなければいけないのは明白である。さもなければ、あなたは不完全で信仰心を持たない者でありつづけるだろう。もしすべてを失うのなら、イーサーがしたように針一本すら取っておいてはいけない、わずか一本の針でも、持っていれば、その針こそがあなたにとっての障害となり、あなたは目標に到達できなくなるのだから」(397~398頁)。ゆっくりと隅々まで注意深く読むべき一書です。

★『野の花づくし――季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』は、今年2月に発売された『野の花づくし――季節の植物図鑑[春・夏編]』に続く第2弾。美麗なカラー写真とエッセイでページをめくる楽しさのある、マイナスイオンに溢れた癒しの図鑑です。個人的に見入ってしまったのは、未草(ヒツジグサ、スイレン科スイレン属)や、下がり花(サガリバナ、サガリバナ科サガリバナ属)。前者は尾瀬ヶ原の、後者は西表島の、それぞれ水辺で撮影。見においでよ、と誘われている気がします。

★『随筆 万葉集』3巻本は、「日本の名随筆」第61~63巻(1987~1988年、作品社)の新装復刊。各巻の収録作品は書名のリンク先でご覧いただけます。第1巻22篇、第2巻25篇、第3巻22篇。「万葉集」の副読本として最適ではないかと思います。ちなみにこのエントリーを書いている8月25日現在、次の祝日は数週間後の「敬老の日」ですが、第2巻に収録された市村宏さんの「老いの歌」にはこんなくだりがあります。「敬老の日まであるわが国であるが、敬老とは公民館に老人を招いて万才をみせることではなく、老人の豊かな経験を社会のために役立てさせ、自己の存在価値を彼等自身に認識させることに外ならない。定年制などを作り、人為的な姨捨山を築きながら何が敬老であろう」(78頁)。ちなみに市村さんはこのエッセイにおいて山上憶良と大伴旅人の和歌を取り上げています。「山上憶良は、老境に入ってから貧・病・老と取り組んだ。沈痾自哀文でも貧窮問答歌でも、十分に老年者の鑑賞にたえうるのは、その身を以てした闘いの成果であったからである。〔…〕憶良は悟って退くのではなく、不自由な足を引きずりながら人生の戦いを止めようとしない」(77頁)。

★『現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』は2本の討議(岡本裕一朗+奥田太郎+福永真弓「ボーダーから問いかける倫理学」、池田喬+長門裕介「応用倫理学のメソドロジーを求めて」)のほか、17項目のトピック(環境、宇宙、食農、動物、ロボット、戦争、ビジネス、医療、生政治、生殖、世代間、高齢者、公衆衛生、ジェンダー/セクシュアリティ、美醜、共依存、サイバー・カルチャー)をめぐる諸論考と、3つのテーマ(フィクション、占い、ルポルタージュ)をめぐるエッセイが収められています。次号(10月号)の特集は「コンプライアンス社会(仮)」とのこと。興味深い特集が続きます。

★『ハイデガーと時間性の哲学』は、2018年に早稲田大学大学院文学研究科に提出された博士学位請求論文をもとに、部分的に加筆修正を施したもの。巻頭の序論「時間性の哲学――存在と時間の連関の解明」での説明によれば、「本書の課題は、ハイデガーの哲学を「時間性(Zeitlichkeit)」という主題への一貫した取り組みとして明らかにすることで、この哲学の根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし、その問題の解決の糸口を媒介という概念を用いて提示することにある」(3頁)。第一部「ハイデガーの時間性の哲学」と、第二部「フランスの哲学者たちによる時間性の哲学との対決」の二部構成全六章で、第二部ではレヴィナス、リクール、デリダらのハイデガーとの対峙が論じられています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★「時間性の哲学は、伝統的な時間論がそうするように、時間とは何かを問うことで、その本質を明らかにしようとしているというよりはむしろ、時間はいかに可能になっているのかと問うことで、その根源を明らかにしようとしている。そしてハイデガー以後に展開された時間に関するいくつかの哲学はまさに、彼の時間性の哲学との対決を通じて構築された」(同頁)。「本書では、はじめに、ハイデガーの時間性の哲学の概略を示すことで、そこに含まれた根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし(第一部)、次いで、フランスの哲学者たちによるその問題の解決への取り組みを、特に媒介という概念を用いて明らかにすることを試みる(第二部)」(6頁)。

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by urag | 2019-08-25 22:24 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日

ドミノ

あるフリーエディターさんから聞いた話です。

当時の勤務先には、「ダメだダメだ、ああッ」とすぐに頭を抱えて落ち込むタイプのスタッフA君がいて、その声を聞くと部員は「また始まったか」と苦笑するのが日常でした。長かった連休明けの初日に、A君はよほど仕事がさばききれないらしく「ダメだダメだ、ああッ」を繰り返していました。しばらくトイレに閉じこもり唸っていましたが、見かねた同僚が「おい、ちょっといったん整理してみようか」と声を掛け、2人で近くの喫茶店へ出て行きました。30分後、同僚君だけ帰ってきて、社内をキョロキョロ見回しています。先輩が「なに、どうした」と聞くと「A君、帰ってきましたか」と言います。A君は喫茶店で同僚君がトイレに立った間に出て行ったらしいのです。その日は会社にとうとう戻らず、机の上に荷物を残したままでした。翌日は無断欠勤。下宿先に様子を見に行こうとした2日目、会社に退職願が速達で届きました。たぶん以前から限界だったのだと思います。ほどなくして、A君の仕事をフォローしていた同僚君と先輩もダウンし、次々に休職。しばらくは結構な修羅場が続きました。こうしたことに感覚が麻痺して慣れていった自分がある意味怖かったです。


by urag | 2019-08-25 10:08 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 24日

閉店後

こんな話を書店さんから聞いたことがあります。

ある日の閉店後、担当フロアで私は上司と二人で残業していました。棚をいじっていると、背を向けていたバックヤードに上司が入った気配がして、物音がします。しばらくして、上司から私のピッチに在庫の問い合わせが入り、近くにいるのになあ、と思いながらバックヤードに向かいました。誰もいません。「あれ、課長、いまどこにいますか」「えっ、地下だけど」。バックヤードには窓がなく、狭くて薄暗く閉塞感があります。私が仕事をしているフロアでは、バックヤードから明らかに物音がするけど誰もいないということが良くあります。古いビルの店なので、ネズミかもしれないし、あるいは配管の音でしょうか。嫌な感じです。

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by urag | 2019-08-24 14:11 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 18日

注目新刊:千葉雅也「デッドライン」(『新潮』9月号)、ほか

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★同じ時期に刊行された新刊書籍どうしには、偶然とも必然とも言いがたい響き合いが生じるときがあります。それは隠された鍵であり、もともと著者が外部へと向けて風穴を開けていることの証左でもあれば、読者側が磁場を作動させてしまう場合もあります。今回の場合、千葉雅也さん、中沢新一さん、サミュエル・ベケットのテクストに、互いを引き寄せ合う何かを感じました。

デッドライン」千葉雅也著、『新潮』2019年9月号所収、新潮社、2019年8月(本体907円、A5判並製396頁、雑誌04901-09)、7~77頁
レンマ学』中沢新一著、講談社、2019年8月、本体2,700円、四六変型判上製482頁、ISBN978-4-06-517098-4
マロウン死す』サミュエル・ベケット著、宇野邦一訳、河出書房新社、2019年8月、本体2,700円、46判上製212頁、ISBN978-4-309-20779-7

★千葉雅也さんの初めての小説作品「デッドライン」が文芸誌「新潮」2019年9月号に掲載されています。目次に記載されている紹介文は以下の通りです。「線上で僕は悩む。動物になることと女性になることとの間で。哲学者から小説家への鮮やかな生成変化。21世紀の『仮面の告白』、誕生!【230枚】」。作品名のリンク先で最初の一部を立ち読みすることができます。とても第一作とは思えないほどの見事な、魅力的な作品です。デビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、2013年;河出文庫、2017年)の前日譚として読むことができます。この作品の魅力と仕掛けは、おそらく千葉さんの人生の振り幅の分だけ存在しており、既刊書で表出されてきた様々な側面は今回の小説と見事に連環しているように思われます。この作品は時間軸に沿って展開するというよりは、過去と現在と未来が折りたたまれた水晶を覗き込むような印象を読者に与えます。60頁から61頁に掛けては、主人公の僕が語る物語の海面がめくれ上がるようにして友人知子が主語として浮上する場面があります。この何気ない特別さ。本作が三島由紀夫にとっての『仮面の告白』に似た意義を帯びるとすれば、千葉さんにとって「デッドライン」はひとつの「生の回復術」たりうるでしょうか。第二作が今から待望されるのも当然だろうと感じる快作です。

★「いま僕の円環はほどけ、僕は振動する線になって伸びていく。上昇し下降し、ある高さに留まり、途切れては再開する。/僕はときに向こうへと飛び越えそうになりながらも、線の手前でただ自転していた。そのバランスが崩れた。それが崩れた先でできることは何か。それは今度は、僕自身が線と一致することだ。外から与えられた線に対して程よい距離を測り続けるのではなく。泳ぎを楽しむ魚のすばやいカーブのような線になる。/僕は線になる。/自分自身が、自分のデッドラインになるのだ」(77頁)。音楽的という以上にこれは音楽なのでしょう。

★『レンマ学』はあとがきによれば、「『チベットのモーツァルト』に始まる三十年以上も続けられてきた私の探究のたどりついたひとつの山頂を示している」もので、「『レンマ学』の第一部をなす」、いわば到達であると同時に始まりでもある一書です。「その間に続けられたさまざまな訓練、読書、旅、問題の所在場所の位置測定、登頂ルートの検討と決定、装備の点検などをへて、私は一人でベースキャンプを出て山頂に向かった。しかしヒマラヤ地帯を歩いた経験からよく知っているのだが、山頂と思ってたどり着いてみると、そのむこうにはさらに巨大な山塊が聳えているのである。本書がたどりついた山頂なども、もっと巨大な山塊の小さな前山にすぎないのであろう。この「あとがき」を書いていても、私には自分の前にくっきりとその姿をあらわしているその「類推の山」(ドーマル)が見えている。この山は知的世界のグーグル地図にもまだ載っていない。しかもその山は想像以上に遠くにある」(457頁)。「とりとめもないほどに多様に思われたさまざまな助走路が、この道のまわりに集合して意味ありげな枝道として互いに結び合うようになった。私は日本人による創造を待っている新しい知的体系というものを探し求め続けてきたが、それに確実に手を掛けたという実感をこの時〔2016年度の南方熊楠賞授賞式講演の準備中〕持つことができた」(458頁)。

★「対称性が働きだすと、ロゴス的知性のつくりだしている「全順序」の構造は壊れてしまう。意識的思考にとってきわめて重要な時間における順序構造が壊れると、過去、現在、未来という時間の線形秩序が壊れてしまう〔…〕。無意識がむき出しの状態で意識を働きを圧倒しだすと、空間の中の点の順序も失われてくる。そうなると空間性じたいが失われていく。運動は時間の中で起こる空間的な場所の置き換えであるから、空間と時間が対称性無意識の働きによって失われると、運動そのものも消えていくことになる」(174頁)。

★『マロウン死す』(原著1951年刊)は、『モロイ』(こちらも原著1951年刊)に続く、ベケット没後30年個人訳三部作小説の第2弾。帯文に曰く「黒いユーモア、根深いペシミズム、そして小鳥の歌のような祈り――「小説三部作」の2作め」。投げ込み栞には、高橋悠治さんによる「声は色褪せ」と、金氏徹平さんによる「風のない夜は、私にとってまた別の風」、の2篇を収めています。宇野さんは訳者あとがきで次のように述べています。「『モロイ』に続けて書かれる『マロウン死す』で、物語を位置づける時空の観念は、もっと不連続で、しばしば唐突に切断される。基底の時間は、話者が自分の死に挑む時間に設定されている。その話者はおよそ三万日生きたとか、年齢は九十あるいは四、五十代であるとも、いい加減に書かれる。時間の観念などないに等しいが、死または終わりの観念ならば確かにある。しかし死はもちろん体験しえない出来事である(それなら生は体験しうるのか?という問いが当然わきあがってくる)。語り手の思考は、体験しえない死をめぐり、死の前のそのまた前の時間のなかにあるしかない。〔…〕〈臨死〉の時間を引き延ばし、加工し、仮構することができるのはベケットの言葉、語り手に託された思考だけである」(198頁)。

★ベケットは末尾付近でこう書いています。「この陰鬱な体たちの絡みあい、それが彼らだ。闇のなかでもはや彼らはひとつのかたまりにすぎない。黙ったまま、ほとんど見えない。たぶんたがいにしがみついている、頭はケープのなかで何も見えない。彼らは湾の遠くにいる、レミュエルはもう漕ぐのをやめ、オールは水のなかを滑っていくだけだ。夜は不条理にちりばめられ」(191頁)。この場面の、死の影をまとった暗さと、千葉さんの「デッドライン」の冒頭と末尾で描かれる、男たちの活力に満ち溢れた肉体と動きを包む闇の暗さとの、対比あるいは表裏一体。

★このほか、以下の新刊と既刊に注目しました。ヴァシェ、ペソア、レーヴィは、彼らが実存主義と分類されることはないかもしれませんが、生の苦悩と死を見つめた思索者であり書き手として、広い意味で20世紀の実存思想の星座を輝かせる、不可欠の存在ではないかと感じます。

戦時の手紙――ジャック・ヴァシェ大全』ジャック・ヴァシェ著、原智広訳、河出書房新社、2019年8月、本体3,400円、46判上製248頁、ISBN978-4-309-20778-0
不安の書【増補版】』フェルナンド・ペソア著、高橋都彦訳、彩流社、2019年8月、本体5,200円、四六判上製688頁、ISBN978-4-7791-2604-8
プリーモ・レーヴィ全詩集――予期せぬ時に』プリーモ・レーヴィ著、竹山博英訳、岩波書店、 2019年7月、本体2,800円、四六判上製272頁、ISBN978-4-00-061353-8
ラカン――反哲学3 セミネール 1994-1995』アラン・バディウ著、ヴェロニク・ピノー校訂、原和之訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製356頁、ISBN978-4-588-01100-9

★『戦時の手紙』はまもなく発売。既訳には『戦場からの手紙』(神戸仁彦訳、ゴルゴオン社、1972年;夢魔社発行、牧神社発売、1974年;村松書館、1975年)などがありましたが、久しぶりの新訳です。帯文はこうです。「シュルレアリスム誕生の霊媒者にして永遠の反抗者、23歳で自殺した伝説の詩人ジャック・ヴァシェ、100年目に降臨」。100年目というのはヴァシェ(Jacques Vaché, 1895-1919)の没年から数えてです。ヴァシェの手紙は今回初めての「ほぼ全訳」とのこと。目次は以下の通り。

はじめに|原智広
戦時の手紙 1915-1918
 ジャンヌ・デリアンの証言|ジャンヌ・デリアン
 アンドレ・ブルトンの証言|アンドレ・ブルトン
 手紙|ジャック・ヴァシェ
 小説「血濡れの象徴」|ジャック・ヴァシェ
 詩「蒼白なアセチレン」|ジャック・ヴァシェ
自殺に関するアンケート|「シュルレアリスム革命」誌2号、1925年、バンジャマン・ペレ/ピエール・ナヴィル編集
ジャック・ヴァシェの召喚|原智広
ジャック・ヴァシェ年譜
ジャック・ヴァシェに関する書籍
あとがき|原智広

★「自殺に関するアンケート」(141~191頁)は初訳です。問いはこうでした。「自殺はひとつの解決であるか?」。回答者は以下の通り。フランシス・ジャム、ジョゼフ・フロリアン、ピエール・ルヴェルディ、レオン・ピエール=クイント、アンドレ・ルベー、モーリス・ダヴィド、フェルディナンド・ディヴォワール、M・J・ポトー教授、ゴロディシュ博士、ギヨ・ド・セ、ジョルジュ・フレスト、レオン・ウェルト、ルイ・ド・リュシー、ルイ・バストール、ジョルジュ=ミシェル、ポール・ブラッシュ、ピエール・ド・マソ、ジョルジュ・デュヴォー、L・P、クロード・ジョンキエール、ポール・レシュ、フロリアン=パルマンティエ、フェルナンド・グレーグ、ミシェル・コルデー、ミシェル・アルノー、ボニオ博士、レオン・バランジェ、ジョルジュ・ポルティ、マルセル・ジュアンドー、ジャン・ポーラン、モーリス・ド・フルーリー博士、ポール・ルセーヌ教授、クレマン・ヴォーテル、ジャック・ヴァシェ、エ・ラッブ、バンジャマン・コンスタン、ジェローム・カルタン、セナンクール・オーベルマン、フィリップ・カザノヴァ、イヴ・グジャン、アンドレ・ビアーヌ、マキシム・アレクサンドル、アンドレ・ブルトン、アントナン・アルトー、ヴィクトール・マルグリット、ジョルジュ・ベシエール、ピエール・ナヴィル、ルネ・クルヴェル、M・E・テスト氏、アルノルト・バーグレイ、マルセル・ノル。アルトーの回答の出だしが印象的です。「いいえ、自殺は未だひとつの仮説にすぎない」(169頁)。

★ヴァシェは手紙でこう書いています。「薄汚い泥のような国家の統治は絶対的で、誰も反論を許さない。腐ったマヨネーズのような臭い、肢体から大量の腐った液体が滲み出る。少しでも耳を傾ければ、あなたたちの水面下では意味空疎な歌声が響き渡る、なんてひどい有様だ! どいつもこいつも綺麗ごとを歌っている。人々は瓦礫の中で片輪になりもがいている! 住居は粉々に潰され、人々は殺され、衰退している。これが進歩だって? 生活を改善するって? 火事の最中で火傷を負い、ひりひりする感じだ。見ろよ、こいつが「革命」ってやつさ! 実に見事なものだ。黙示録の契りの中で、よりよい都合がよりよい状況を生み出す、戦争という神像を崇めるものどもに天罰を下すために遣わされた仲介者が、あなたたちのおつむの中に湧いてくる、創世記に交わされた業という名の契りだ」(75頁)。訳者の原智広(はら・ともひろ:1985-)さんによる「ジャック・ヴァシェの召喚」はいわゆる訳者解説ではなく、ヴァシェの憑依によって成ったと言うべきテクストです。

★『不安の書【増補版】』は、2007年の新思索社版『不安の書』に、同書の底本であるクワドロス版(1986年)と重複していないピサロ校訂版(2010年)の断章6篇を選んで訳出し、増補分(621~633頁)として加え、合計466篇の断章を提示するもの。新思索社版は版元の廃業のため入手不可能になっていたので、今回の再刊は驚きであるとともに喜ばしいものとなりました。同書の抄訳版には、澤田直さん訳による『不穏の書、断章』(思潮社、2000年;新編、平凡社ライブラリー、2013年)があります。澤田さんは同書に添えた「止みがたき敗北への意志――ベルナルド・ソアレス著『不穏の書』解題」で、「ソアレスの反デカルト的言辞には、実存主義の背景にある世界への不安を先取りするものも見え隠れする」と指摘しておられます。

★「世界は感じない人間のものだ。実用的な人間になるための本質的な条件は感性に欠けていることだ。生活を実践する上で大切な資質は行動に導く資質、つまり意志だ。ところが、行動を妨げるものがふたつある。感性と、結局は感性をともなった思考に過ぎない分析的な思考だ。あらゆる行動はその性質上、外界に対する個性の投影であり、外界は大きく主要な部分が人間によって構成されているので、その個性の投影は、行動の仕方次第では、他人の進む道を横切ったりさえぎったり、他人を傷つけたり踏みつけたりすることになる。/したがって、行動するには、われわれは他人の個性、彼らの苦悩や喜びを容易に想像できないでいることが必要になる。共感する者は立ち止まってしまう。行動家は外界をもっぱら動かない物質――彼が踏みつけたり、道から取り除いたりする石のように、それ自身動かないものであれ、あるいは石のように取り除かれるか踏みつけられるかして抵抗するすべもないまま、石と同様に動かない人間であれ――そうした物質から構成されていると見なす。/実用的な人間の最高の例は、最高の行動集中力を持ち、しかもそれを最高に重要視するので、戦略家だ。人生はすべて戦争であり、したがって、戦闘は人生の総合だ」(断章103より、188~189頁)。

★私はペソアの中に、現代人の苦悩を見る思いがします。また、自分が考えてきたこと、書き記したこと、経験したことの原型と変奏を見出します。ペソアは現代人の隣人であり続け、『不安の書』はこれからも人々の共感のもとに読み継がれるに違いありません。おそらく本書は外国文学の棚に置かれるのでしょうけれども、カフカのアフォリズムやシオランの著書などと併せて、ペソアの思索は人文書の哲学思想棚においても、その一角を占めるにふさわしい深度を持っていると感じます。

★『プリーモ・レーヴィ全詩集』の原書である、生前最後の詩集『予期せぬ時に』は、まず1984年にガルツァンティ社から刊行され、1990年に同社から増補版が刊行されています。訳書ではこの増補版の全訳に加え、エイナウディ社版『プリーモ・レーヴィ全集』(1997年、2016年)に収められた、新たに見つかった詩3篇も併せて収録している、いわば特別版です。

★1984年10月29日の作品「ある谷」から印象的な前半部を引用します(137~138頁)。

私だけが知っているある谷がある。
そこには簡単にたどり着けない、
入り口に絶壁があり、
灌木が生い茂り、隠された徒渉場があり、流れは急で、
道は見分けがたい踏み跡になっている。
多くの地図にはその場所が出ていない。
そこに続く道は私一人で見つけた。
何年も費やし、
よくあるように、何度も間違えたが、
むだな時間にはならなかった。
私の前にだれが来たのか分からない、
一人か、何人か、あるいはだれも来なかったのか。
この問いは重要ではない。
岩の表面にしるしがある、
そのいくつかは美しいが、みな謎に包まれている、

★レーヴィ(Primo Michele Levi, 1919-1987)は、『予期せぬ時に』が刊行された1984年10月当時、評論家のアントニオ・アウディーノによるインタヴューに応えてこう発言しているそうです。「詩とは限界にまで凝縮された言語であり、意味論的に豊かで、わずかな言葉が多くの意味を持つ。〔…〕私は散文で書くものには、そのあらゆる言葉に責任を持てるが、詩ではそうできない。ある種の言い方をするなら、私は詩を興奮状態で書くと明言できるだろう」(訳者解説の引用より、214~215頁)。1981年には別の評論家ジュゼッペ・グラッサーノに答えて「私は詩をある方法に則って書くことはできない……それはまったく制御できない現象だ」(同、215頁)とも。ちなみに訳者解説では、レーヴィによるツェラン評にも言及されています。レーヴィはツェランに対し、こう書いているといいます。「意味不明な不完全な言語で、死にかけている、孤立した人が発するものだ。我々が死ぬ時はみながそうであるように。だが我々生者は孤立していないので、あたかも孤立しているように書くべきではない。我々は生きている限り責任を負っている。我々は書く言葉の一つ一つに責任を持つべきで、その言葉がきちんと目標に届くようにすべきなのだ」(レーヴィ「分かりにくく書くこと」)。

★竹山さんは次のように指摘します。「レーヴィはこうして詩の内容が読者に伝わるような書き方を理想として、詩作を進めたわけだが、実際に彼の詩がすべての人に分かりやすいかと言えば、必ずしもそうではない。彼は散文で使う言葉には責任を持てるが、詩ではそうできないと言っている。それは詩が理性で制御できないものを含んでいて、そうしたものは比喩や寓意を使って表現せざるを得ないからだ。この詩集では理性の人であるレーヴィが半分に裂かれ、制御できないもう一人の自分と向き合うさまを読むことができる」(218~219頁)。興味深いことに、レーヴィの詩はツェランより遥かに理解しにくいものとなっているように感じます。上記に引用した部分はまだ想い浮かべやすい方ですが、後半部まで読むと、前半部で示されたように感じたレーヴィの内面世界が結局のところ何を象徴しているのか、はっきりとは分からなくなります。それはレーヴィの意に反して極めて暗号的です。

★『ラカン』はバディウの講義録『Le Séminaire - Lacan : L'antiphilosophie 3 : 1994-1995』(Fayard, 2013)の全訳。書名にある通り、1994年から1995年にかけて、ラカンを講じた全9講の記録です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。バディウは巻頭の序文でこう書いています。「前世紀の50年代末以降、ラカンは私の知的道程の、必要不可欠でもあれば近づき難くもある道連れだった」(1頁)。そして第Ⅰ講冒頭ではこう宣言しています。「今年は、現代の反哲学について一昨年はじめた一連の講義の仕上げをしたいと思います。われわれは現代の反哲学を創始するニーチェの立場からはじめ、昨年はウィトゲンシュタインの立場を検討しました。そしてラカンで締めくくりということになります」(7頁)。講義の第一の課題は「どのような意味でラカンが反哲学者なのかを立証すること」であり、第二の課題は「ラカンが反哲学者というだけでなく、現代の反哲学の締め括りであると考えられうるのはなぜなのか、その理由を明らかにすること」だと表明されています。

★より大きな構想ではラカン論は次のようなバディウ自身の見取り図の中にあります。「1994~1995年度の〈セミネール〉は、最も著名な反哲学者をまさに取り上げた四部作に組み込まれている。この四部作を締めくくったのが反哲学の根本的な伝道者、すなわち聖パウロ〔『聖パウロ――普遍主義の基礎』河出書房新社、2004年〕であったのに対し、まず取り上げられたのは現代の反哲学者たち、つまりニーチェ(1992~1993年度)、ウィトゲンシュタイン(1993~1994年度)そしてラカンであり、これらの三人は古典的反哲学者の三人組、パスカル、ルソーそしてキルケゴールに対置されていた。この三人組については、おそらくいつかセミネールを行なうことになるだろう。彼らは十分それに値するし、そもそもすでに私の著作のなかで頻繁に召喚されている」(3頁)。訳者あとがきによれば、「ファイヤール社からはこの50年にわたるセミネールのうち、1983年から2013年までが順次刊行される予定であり、ラカンを取り上げた1994~1995年のセミネールは、その嚆矢として2013年に刊行されたものである」とのことです。なお、本書ではセミネール一覧も掲載されています。

★本書は、ラカンにとってのマルクスについて論及される第Ⅴ講、ジャン=クロード・ミルネールとのやり取りから成る第Ⅸ講、など、興味深い内容ばかりで、今まで日本語で読むことのできたラカン論の中でもっとも異色かつ明晰な切り口になっているように思われます。

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by urag | 2019-08-18 18:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 14日

注目新刊:江川隆男『すべてはつねに別のものである』河出書房新社、ほか

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★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』)
『アンチ・モラリア』(河出書房新社、2014年)に「つながるような論文、またこの書物の成果を部分的により展開した論文を集めたもの」(あとがきより)だという『すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論』を河出書房新社さんより上梓されました。書名は、アントナン・アルトーのテクスト「なぜ私は病気なのか」(1947年;『アルトー後期集成Ⅲ』所収、河出書房新社、2007年)の末尾の2行「何も決定的ではない、/すべてはつねに別のものである」から採られているとのことです。

すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論
江川隆男著
河出書房新社 2019年8月 本体2,900円 46判上製264頁 ISBN978-4-309-24921-6

目次:
序文
Ⅰ 現前と外部性――非-論理の革命的思考について(書き下ろし)
 序論――〈非-論理〉の唯物論はいかにして可能か
 [Ⅰ:問題提起] 発生する変形的諸要素
  ――どのように言語から媒介的特性を除去することができるか
 [Ⅱ:問題構成] 図表論的総合
  ――いかにして言語から言表作用を抽出することができるか
 [Ⅲ:問題実現] 観念の非-言語的力能
  ――身体の一属性として言表を作用させること
 結論に代えて――革命機械としての哲学
Ⅱ 哲学あるいは革命
 ニーチェの批判哲学――時間零度のエクリチュール(2008年)
 機械論〔マニシスム〕は何故そう呼ばれるのか
  ――フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(2010年)
 脱領土性並行論について――ガタリと哲学(2012年)
 〈脱-様相〉のアナーキズムについて(2015年)
 脱-様相と無-様相――様相中心主義批判(2015年)
 ディアグラムと身体
  ――図表論的〔ディアグラマティク〕思考の系譜について(2015年)
 破壊目的あるいは減算中継――能動的ニヒリズム宣言について(2016年)
 最小の三角回路について――哲学あるいは革命(2017年)
 論理学を消尽すること――ニーチェにおける〈矛盾-命令〉の彼岸(2018年)
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ(2019年)
あとがき

帯文より:スピノザとドゥルーズ=ガタリをつきぬける孤高の哲学者によるおそるべき触発。無-媒介、非-存在、非-論理、無-様相としての〈来るべき民衆〉を生成させる絶対的な〈外〉の哲学。

推薦文:次世代の哲学者から圧倒的支持! 近藤和敬氏「スピノザに導かれて進む内在主義の荒涼たる極北」。平尾昌宏氏「この明晰な狂人の言葉なき歌を作動させよ!」。堀千晶氏「自由意志を焼き尽くす《無調》の戦争機械=哲学」。小林卓也氏「乱流する〈反-思考〉がすべてを破壊し変形する」。

あとがきより:「『アンチ・モラリア』の出版前に書いた三論文と出版後に書いた七論文を選定し、それらを「第Ⅱ部」に纏め、また「第Ⅰ部」には書き下ろしのかなり長い論文を入れた。〔…〕第Ⅱ部の既発表の諸論文に関して言うと、若干の文字の修正以外、ほぼ手を加えていない。というのも、そられは、つねに完全性のなかで発表されたものだからである。〔…〕第Ⅰ部の「厳然と外部性」について言うと、このテーマは、ほぼ15年前から少しずつ考え続けてきたものである。この問題の部分がこうした著作において実現できたことを喜びに思っている」。

本文より:「哲学は、今日の人文科学と称されるものの一分野に絶対に収まる思考ではない。哲学は、一つの科学でも学問でもない。哲学は、同じ意味において絶対に形而上学ではない。哲学は、つねに価値転換と意味変形を使命としたむしろ〈反-思考〉それ自体である。その限り哲学は、つねに革命的思考を、すなわち非-加速的な系譜学的逆行を選択するであろう。哲学は、たしかに概念の形成を使命とするが、それ以上に概念を武器にするのである。哲学は、絶えず〈来るべき民衆〉が万民に放つ矢である」(「現前と外部性」86頁)。

★柏倉康夫さん(訳書:マラルメ『詩集』)
限定120部(番号入)の私家版として、アルベール・カミュ『結婚』の訳書を上梓されました。底本は1950年のガリマール版。「窪田啓作、高畠正明両氏の既訳があるが、あえて自分なりの翻訳をこころみた」(訳者あとがき)とのことです。フランス図書さんで販売されています。

結婚
アルベール・カミュ著 柏倉康夫訳
柏倉康夫発行 上野印刷所印刷 2019円7月 頒価本体1,000円 A5判並製90頁 ISBNなし

★川合全弘さん(訳書:ユンガー『追悼の政治』『労働者』『ユンガー政治評論選』)
京都産業大学法学会の紀要「産大法学」で、昨年から今年にかけて連載されていた論考「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学」が全3回で完結しました。岩畔豪雄(いわくろ・ひでお:1897-1970)は昭和期の陸軍少将で評論家。著書に『世紀の進軍シンガポール総攻撃――近衛歩兵第五連隊電撃戦記』(潮書房、1956年;光人社NF文庫、2000年)、『戦争史論』(恒星社厚生閣、1967年)、『科学時代から人間の時代へ』(理想社、1970年)、『昭和陸軍 謀略秘史』(日本経済新聞出版社、2015年)などがあります。川合さんの論考では、京都産業大学史の文脈の中で岩畔豪雄の事績を掘り起こしつつ、京産大への岩畔の寄与、とりわけ世界問題研究所の創設と、同所長在職中に書かれた二冊の大著『戦争史論』『科学時代から人間の時代へ』とを、「敗戦国日本の軍人による大戦省察の持続的努力の優れた成果として見直すこと」(上篇「はじめに」より)が試みられています。下篇では「岩畔の戦争概念を、近代兵学史上の三人の先行者、すなわちクラウゼヴィッツ、ルーデンドルフ、石原莞爾の戦争概念と比較することによって、それ独自の意義を解明」(下篇3頁)することも試みられています。

「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(上)」(「産大法学」第50巻第1・2号所収、京都産業大学法学会、2018年1月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(中)」(「産大法学」第51巻第1号所収、京都産業大学法学会、2018年4月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(下)」(「産大法学」第53巻第2号所収、京都産業大学法学会、2019年7月)

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by urag | 2019-08-14 18:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 14日

9月新刊案内:『森山大道写真集成(2)狩人』

2019年9月12日取次搬入予定 *写真/芸術

森山大道写真集成②【第3回配本】
狩人
写真:森山大道 デザイン:町口覚
月曜社 2019年9月 本体価格5,000円 A4判変型[天地308mm×左右228mm×束15.5mm]上製角背128頁 ISBN:978-4-86503-083-9 C0072 重量: 950g

アマゾン・ジャパンにて予約受付中

内容:「三沢の犬」「何かへの旅」「国道シリーズ」など、森山の代表的なイメージ群を収めた1972年作品(中央公論社1972年、講談社、2011年)。「路上(On The Road)の記録でもある『狩人』は、いまのぼくの写真へと引き継がれた重要なポイントとなっている」(森山大道)。

シリーズ「森山大道写真集成」の特徴・・・印刷と装いを一新した決定版。初期の名作を初版当時の画像サイズのまま再現し、トリプルトーンの印刷で新生させる決定版シリーズ。写真家自身による当時の回想、撮影にまつわるエピソード、撮影場所など、貴重なコメントを付して、資料的な側面も充実。

既刊:
第1回配本:①にっぽん劇場写真帖(室町書房、1968年;フォトミュゼ/新潮社、1995年;講談社、2011年;月曜社、2018年12月)本体6,000円
第2回配本:④光と影(冬樹社、1982年;講談社、2009年;月曜社、2019年5月)本体6,000円

続刊予定:
第4回配本:③ 写真よさようなら(写真評論社、1972年;パワーショベル、2006年;講談社、2012年;月曜社、2019年冬予定)
第5回配本:⑤ 未刊行作品集(1964-1976年撮影、2020年春予定)

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by urag | 2019-08-14 14:11 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)