2019年 01月 27日
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』G・W・ライプニッツ著、山下正男/谷本勉/小林道夫/松田毅訳、工作舎、2019年1月、本体8,500円、A5判上製336頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-501-6 『現代物理学における決定論と非決定論――因果問題についての歴史的・体系的研究【改訳新版】』エルンスト・カッシーラー著、山本義隆訳、みすず書房、2019年1月、本体6,000円、A5判上製392頁、ISBN978-4-622-08736-6 『現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在――〈男〉というジェンダーのゆくえ』青土社、2019年1月、本体1400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1376-9 『サンデル教授、中国哲学に出会う』マイケル・サンデル/ポール・ダンブロージョ編著、鬼澤忍訳、2019年1月、本体2,700円、判頁、ISBN978-4-15209832-0 『親鸞の言葉』吉本隆明著、中公文庫、2019年1月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206683-0 『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著、高橋英夫訳、中公文庫、2019年1月、本体1,200円、536頁、ISBN978-4-12-206685-4 『ファースト・マン』上下巻、ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通/水谷淳訳、河出文庫、2019年1月、本体各780円、408/392頁、ISBN978-4-309-46486-2/978-4-309-46487-9 ★『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』は、新装版第Ⅰ期の第3回配本。「中国自然神学論」「プロトガイア」「普遍学の基礎と範例」など十篇を収録しています。各論考の題名は書名のリンク先でご確認いただけます。ライプニッツの中国理解はイエズス会宣教師たちとの文通に助けられたものでありながら、宣教師たちのキリスト教中心主義的な分析の不十分さを見ぬいていたようです。山下正男さんは解説でライプニッツの中国論を「東と西の思想の巨人が対等の力量でぶつかった稀に見る歴史的事件」と評しています。「プロトガイア」は訳者の谷本勉さんによれば「一王家の歴史の序章というよりは、「地球の初源の特徴と自然の中に残された古代の歴史の痕跡についての論説」(シャイト版の副題)であり、地球起源論を含む非常に地質学的な書」。普遍学論文六篇については、小林道夫さんによる解説「ライプニッツの夢――百科全書の構想と普遍学」によれば、「最初の四篇は百科全書のプランを提示するものであり、他の2篇は普遍学の起源や価値あるいはその論理的原理を要約して述べている」と。 ★「百科全書あるいは普遍学のための予備知識」にはこう書かれています。「「知恵」は幸福の学問である。/「真の教養」は、「知恵」を準備するもの、あるいは、それが可能であるかぎり、幸福のために役立つ諸知識の体系である。/「幸福」は持続する喜びの状態である。「喜び」は何らかの完全性を考えることから生じる心の「情念」である。もしその考えが正しいとすると、喜びが持続するものに高まる。/したがって、完全性を増大させ、保存するために貢献するものなら、何でも、幸福のために役立つのである。/それゆえ、われわれは、「人間」の完全性がいかなるもののうちにあり、また、その諸原因が何であるかを知らなくてはならない。/しかし、われわれの完全性は、ちょうど、ある優れた段階の健康がそうであるように、「病気」や不完全性――身体の働きを妨げたり、損なったりするあらゆるもの――のような諸活動を、われわれが、できるだけ容易に引き受けうることのうちにある。/したがって、自らのうちで最大限に働くわれわれの本質を、および、われわれの成長を促したり、完成させたりもすれば、また、妨げたり、損ないもしうる他の事物の本質を、われわれが普遍的に認識しなければならない点に、人々は同意するだろう。そして、それゆえに、「人間」は一種の「普遍的学問」を努力して得なくてはならないことになる」(212頁)。 ★百科全書構想と普遍的記号法の完成を生涯追い求めたというライプニッツの興味深い足跡は、工作舎さんの既刊書、エイトン『ライプニッツの普遍計画』や佐々木能章『ライプニッツ術』などで窺うことができます。ちなみに工作舎さんでは来月、フランセス・イエイツの『薔薇十字の覚醒』を新装復刊するとのことです。 ★『現代物理学における決定論と非決定論』は『Determinismus und Indeterminismus in der modernen Physik : Historische und systematische Studien zum Kausalproblem』の翻訳。巻末の「訳者あとがきと解説」によれば、本書はまず1936年にスウェーデンのイエーテボリ大学の紀要に公表され、翌年にスウェーデンで書籍化(イエーテボリ版)。その後1972年に西ドイツの出版社から『アインシュタインの相対性理論』と合本で刊行されています(ダルムシュタット版)。「カッシーラーが生前に眼を通すことができたのは、イエーテボリ版だけ」。訳者の山本さんがかつて1994年に学術書房の「科学史研究叢書」で翻訳刊行したのはダルムシュタット版とのことで、「イエーテボリ版とくらべてダルムシュタット版が明らかに不正確であることが判明した」ため、「全面的にイエーテボリ版に依拠して訳し直」したとのことです。帯文に曰く「1936年に執筆された本書は、量子力学的世界の哲学的基礎付けを試み、科学と哲学を架橋した画期作であり、カッシラーの生涯の哲学的問題意識のすべての要素の結接点に位置する」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。 ★『現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在』は、編集人が栗原一樹さんから「ユリイカ」編集部の樫田祐一郎さんに交代となって初めての号となります。編集後記では特に交代についての言及や説明はなし。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。版元紹介文にはこうあります。「さまざまな社会状況の変化を受け、いま再び「男性学」が注目を集めている。男性が男性として抱える困難を真摯に見つめ直しつつ、しかしフェミニズムに対する不毛なアンチに陥る危険を注意深く避けながら、男性性のあり方を批判的かつポジティヴに思考する途はあるか。本特集ではセクシュアリティやコミュニケーション、教育、労働、福祉といった多様な観点から「男」なるものの来し方と行く末を思考する」と。まさに「現代/現在」と向き合う、意欲的な特集号だと思います。3月号の特集は「引退・卒業・定年」とのことで、八年間にわたる栗原体制との違いの萌芽がかいまみえるような印象です。栗原さん時代の「現代思想」誌を振り返るブックフェアやイベントがあっても良いような気がするのですが、どこかでおやりになるのでしょうか。 ★『サンデル教授、中国哲学に出会う』は『Encountering China: Michael Sandel and Chinese Philosophy』(Harvard University Press, 2018)の訳書。巻末にある編者二名による原著謝辞には、2016年3月に開催された国際会議「マイケル・サンデルと中国哲学」が本書の端緒となった、と記されています。帯文はこうです。「気鋭の研究者9名の論考にサンデルが応答する、正義論の新展開。ハーバード大学の超人気教授は、孔子、孟子、荘子ら古の哲人といかに対話するか?」。日本人にとっても必読文献となりそうです。版元サイトに掲出されていないようなので、目次を以下に転記しておきます。 はしがき 中国、マイケル・サンデルと出会う |エヴァン・オスノス(Evan Osnos) Ⅰ 正義、調和、共同体 第一章 調和なき共同体?――マイケル・サンデルへの儒教的批評 |李晨阳([Li Chenyang) 第二章 個人、家族、共同体、さらにその先へ――『これからの「正義」の話をしよう』におけるいくつかのテーマに関する儒教的考察 |白彤東(Bai Tongdong) 第三章 美徳としての正義、美徳に基づく正義、美徳の正義――マイケル・サンデルの正義の概念に対する儒教的修正 |黄勇(Huang Yong) Ⅱ 市民の徳と道徳教育 第四章 市民道徳に関するサンデルの考え方 |朱慧玲(Zhu Huiling) 第五章 儒教から見たサンデルの『民主政の不満』 |陳来(Chen Lai) Ⅲ 多元主義と完全性――サンデルと道家思想の伝統 第六章 ジェンダー、道徳的不一致、自由――中国というコンテクストにおけるサンデルの共通善の政治 |ロビン・R・ワン(Robin R. Wang) 第七章 満足、真のそぶり、完全さ――サンデルの『完全な人間を目指さなくてもよい理由』と道家思想 |ポール・ダンブロージョ(Paul J. D'Ambrosio) Ⅳ 人間の概念――サンデルと儒教的伝統 第八章 儒教倫理における「人間」を理論化する |ロジャー・T・エイムズ(Roger T. Ames) 第九章 道徳的主体なき道徳性についてどう考えるべきか |ヘンリー・ローズモント・ジュニア(Henry Rosemont Jr.) 第一〇章 儒教の役割倫理に対するあるサンデル派の応答 |ポール・ダンブロージョ Ⅴ マイケル・サンデルによる応答 第一一章 中国哲学から学ぶ |マイケル・サンデル(Michael J. Sandel) 謝辞 参考文献 注 執筆者一覧 ★『親鸞の言葉』は文庫版オリジナル編集。「親鸞における言葉」(『[思想読本]親鸞』所収、法蔵館、1982年)と、「歎異抄」「書簡」「教行信証」より吉本さんが編訳した「親鸞の言葉」(原題「現代語訳親鸞著作集(抄)」、前掲書所収)、そして鮎川信夫、佐藤正英、中沢新一の各氏と対談した「親鸞をめぐる三つの対話」の三部構成です。巻末エッセイとして、先ごろ亡くなった梅原猛さんによる「吉本隆明の思い出」(「東京新聞」2012年3月26日付夕刊掲載)が付されています。三本の対話はそれぞれ次の通り。鮎川さんとの対談は「『歎異抄』の現在性」(『現代思想』1979年6月号所収)、佐藤さんとの対談は「親鸞の〈信〉と〈不信〉」(『現代思想』1985年6月号所収)、中沢さんとの対話は「『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ」(『中央公論』2008年1月号所収)。 ★「歎異抄」からの現代語訳をひとつ引用します。「善人でさえもなお往生を遂げることができます。まして悪人ならばなおさらのことです。それなのに、世間のひとはいつも云っています。悪人でさえなお往生できる、まして善人ならばなおさらのことだというように。この言い方は、ちょっとかんがえると理路がとおっているようにみえますけれども、他力による本願の主旨にそむいています。そのわけは、自力で全を作(な)そうとする人は、どうしても他力を頼みにする心が欠けているので、阿弥陀如来の本願の対象にはなりません。けれども、自力が頼むこころをおもいかえして、如来の他力におすがりすれば、真実の浄土に往生を遂げることができます」(48頁)。続きはぜひ現物をご確認下さい。 ★また「教行信証」の現代語訳より。「「横に跳び超える」とは、すなわち本願が成就されるただひとつある真実の円満な真の教えであって、つまり真宗がこれである。〔…〕阿弥陀仏のおおきな本願によって得られる清浄な真実の浄土に生まれるには、人の身分や位階の差はかかわりない。わずか一念するちょっとの間に、速やかにはやく無上の正真のさとりの道を得る。それだから、「横超(おうちょう)」というのである」(101頁)。 ★『ホモ・ルーデンス』は、1973年の中公文庫版の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊です。巻末の編集付記によれば「同文庫33刷(2015年11月刊)を底本とし、旧版の巻末にあった原注、訳者注は各章末に移した」とのこと。また、新たな収録作として堀米庸三(ほりごめ・ようぞう:1913-1975:西洋中世史)さんとマリウス・B・ジャンセン(1923-2000:日本史)さんとの対談「ホモ・ルーデンスの哲学」(初出:「中央公論」昭和42年9月号)が収められています。底本は1956年のドイツ語版で、1955年英語版、1949年イタリア語版、1958年のオランダ語全集版、1951年フランス語版にも「随時目を通して、より正確を期した」とあります。中公文庫プレミアム「知の回廊」では昨年11月に『中世の秋』上下巻が再刊されています。また、『ホモ・ルーデンス』は、昨年3月に講談社学術文庫より里見元一郎さんによる河出書房新社版「ホイジンガ選集」第一巻(1971年;新装版1989年)が文庫化されています。 ★『ファースト・マン』は『First Man: The Life of Neil A. Armstrong』(初版、Simon & Schuster, 2005;改訂版、2006年;増補改訂版、2018年)の訳書。2007年にソフトバンク・クリエイティブから刊行された単行本は改訂版が底本で、今回の文庫は増補改訂版(新版)が底本とのことです。訳者あとがきによれば、この最新版では「全体的に内容が整理され、また旧版出版以降の出来事、とくにアームストロング最晩年のエピソードが大幅に加筆されている。これを新たに訳しなおすとともに、固有名詞や技術用語などの訳語を一部手直ししたのが〔…〕この文庫版である」とのことです。医師でエッセイストの向井万起男さんが文庫版解説を書いておられます。本書を原作とした同名映画が、かの『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング主演で来月2月8日から全国ロードショーとのことです。 +++ ▲
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| 2019-01-27 22:26
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2019年 01月 23日
オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』(人文書院、2018年12月)の訳者、山井敏章さんによるコメント付き選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?」が追加されました。以下のリンク先一覧からご覧になれます。 ◎哲学読書室 1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」 4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」 3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」 5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」 6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」 7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」 8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」 9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」 10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」 11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」 12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」 13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」 16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」 17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」 18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」 19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」 20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」 21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」 22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」 23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」 24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」 25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」 26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」 27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」 28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」 29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」 30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」 31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」 32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」 33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」 34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」 35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」 36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊」 37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち」 38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」 39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?」 +++ ▲
by urag
| 2019-01-23 22:16
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2019年 01月 21日
![]() 弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。 ★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエル『論理学と学知の理論について』) ★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論)』 ★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』) 河出書房新社さんよりまもなく発売となるドゥルーズ論集に寄稿されています。 帯文:21世紀は「ドゥルーズの世紀」(フーコー)なのか。最前線のドゥルーズ論者が世代をこえて集結、その哲学を究め、拡張し、対決する――未来の哲学を開く記念碑的集成。 あとがき(檜垣立哉氏)より:ドゥルーズやドゥルーズ=ガタリが最新のフランス現代思想の輸入品として重宝がられた時代や、それを哲学史的文脈に置き直す時代はすでに終わった。本書はむしろ、そうした時代の重層性をかいくぐりながら、現在の日本の論者たちが、ドゥルーズあるいはドゥルーズ=ガタリをどのように自らの論脈にひきつけ破断させるのかをかいまにさせる場であるべきだろう。 目次: はじめに |近藤和敬 第Ⅰ部 ドゥルーズを究める 哲学の奇妙な闘い |宇野邦一 現行犯での伝説化――ドゥルーズの芸術論における映画の身分についての試論 |小倉拓也 『差異と反復』をさまようヘルマン・コーエンの亡霊 |合田正人 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ |江川隆男 シモンドンと超越論的経験論の構築 |アンヌ・ソヴァニャルグ〔上野隆弘/平田公威訳〕 『差異と反復』におけるトリガーとしての問いの存在論 |小林卓也 第Ⅱ部 ドゥルーズを広げる 類似的他者――ドゥルーズ的想像力と自閉症の問題 |國分功一郎 ドゥルーズと制度の理論 |西川耕平 スキゾ分析の初期設定 |山森裕毅 ドゥルーズの霊性――恩寵の光としての自然の光 |小泉義之 『シネマ』の政治――「感覚-運動的な共産主義」の終焉をめぐって |堀千晶 儀礼・戦争機械・自閉症――ルジャンドルからドゥルーズ+ガタリへ |千葉雅也 第Ⅲ部 ドゥルーズに対する パースとドゥルーズ――基層における交錯 |檜垣立哉 持続は一か多か――ドゥルーズ『ベルクソニスム』の諸解釈をめぐって |岡嶋隆祐 生き別れの双子としてのシモンドンとドゥルーズ |宇佐美達朗 ドゥルーズのシモンドン読解について――1966年の書評を手がかりに |堀江郁智 ドゥルーズとデリダ、内在と超越――近年のフランス思想における二つの方向 |ダニエル・W・スミス〔小川歩人訳〕 ひとつの生、ひとつの生き延び――ドゥルーズ/デリダ |宮﨑裕助 思考-生-存在――バディウの批判から見るドゥルーズの後期思想 |近藤和敬 あとがき |檜垣立哉 編者・執筆者・訳者一覧 +++ さらに近藤和敬さんは以下の共訳書を先月上梓され、解説をお書きになっています。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。また、先月末発売の『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019――ポスト・ヒューマニティーズ』において、近藤さんは「メイヤスーとバディウ――真理の一義性について」と題した論考を寄稿されています(87~102頁)。 帯文:一なき多の思考。存在論とは数学である。「神は死んだ」――もはや宗教の神に出会うのでもなく、形而上学の原理の下に隠すのでもなく、ロマン主義のメランコリーに賭けるのでもなく、存在を思考することはいかにして可能となるのか。主著『存在と出来事』のエッセンスから出発して、集合論と圏論を携えてプラトンからカントまでを一挙に横断し、数学=存在論を宣言したバディウ哲学の転回点! +++ ★小澤正人さん(訳書:ブルワー=リットン『来るべき種族』) 先月、下記のウェルズ論を上梓されました。 目次: 始めに 第一章 ウェルズの初期作品とユートピア思想 第二章 『モダン・ユートピア』とユートピア思想 第三章 『モダン・ユートピア』と優生思想 第四章 「盲人の国」における視力と知性:ユートピアの二面性 第五章 変えることができる――のか?:『ポリー氏の物語』における選択 第六章 『神々のような人々』とユートピア思想 終わりに 参考文献 +++ ★澤里岳史さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』) ★河村一郎さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』) ラクラウ(Ernesto Laclau, 1935-2014)の著書『On Populist Reason』(Verso, 2005)の全訳書を上梓されました。澤里さんが2016年に死去されたため、河村さんが翻訳を引き継がれたものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお、本書に解説を寄せられた山本圭さんはまもなく、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』の訳書を明石書店から上梓されます。 帯文より:人民を構築せよ、〈左派ポピュリズム〉の可能性のために。、侮蔑的に論じられがちなポピュリズムを“政治的なもの”の構築の在り方として精緻に理論化した、ポピュリズム論の金字塔的著作。根源的、複数主義的な民主主義のために、政治的主体構築の地平を拓く。「エルネスト・ラクラウという思想家の原点かつ到達点」――山本圭氏(本書解説「『ポピュリズムの理性』に寄せて」より)。 解説より:『ポピュリズムの理性』の日本語訳の刊行は、紛いもなく反時代的なものだ。しかし根源的〔ラディカル〕であるとは、えてして反時代的なものだろう。自由民主主義のお約束の着地点に居直ることなく、政治からの疎外を、排除を、無力化を直視し、民主主義の理想が本源的に含んでいる楽観に、もう一度身を委ねようとするならば――。 +++
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by urag
| 2019-01-21 13:13
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2019年 01月 21日
「図書新聞」3383号(2019年1月19日)に、弊社10月刊『忘却の記憶 広島』の書評「「忘却の口」=他なる記憶の穴へとはいりこむ――「信頼」への「信頼」を忘れていたかもしれないことに、わたしたちは本書を通じて気づくことができる」が掲載されました。評者は静岡大学准教授の渡邊英理さんです。「出来事の数量的還元から離れる「脱集計化」を縦糸に、また出来事の自己中心的語りから遠ざかる「脱中心化」を横糸に川本隆史が提唱する「記憶のケア」は、この蛇行と迂回の多数で複数の記憶の河をいくひとつの方法である。本書は、そうした蛇行と迂回の、それぞれの「現場性」のなかでの多数的で複数的な実践の記録である」と評していただきました。
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by urag
| 2019-01-21 10:56
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2019年 01月 20日
![]() 『ダークウェブ・アンダーグラウンド――社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』木澤佐登志著、イースト・プレス、2019年1月、本体1,850円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7816-1741-1 『侵略者は誰か?――外来種・国境・排外主義』ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス編、井上太一訳、以文社、2019年1月、本体3,400円、四六判上製320頁、ISBN978-4-7531-0351-5 『天然知能』郡司ペギオ幸夫著、講談社選書メチエ、2019年1月、本体1,700円、四六判並製256頁、ISBN978-4-06-514513-5 ★『ダークウェブ・アンダーグラウンド』はブロガーで文筆家の木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さんによる注目のデビュー作。個人的にとても楽しみにしていた一冊です。目次詳細が掲出されているアマゾン・ジャパンの単品頁では新人への洗礼と言うべきかすでに辛口の評言がいくつか寄せられています。指摘の一々はおそらくご本人も承知の上でしょう。アカデミックでもなく、サブカルでもなく、そのあわいを素早く一瞥する最初の身振りが本書であろうと感じます。その一瞥にもセンスが問われるわけで、私は書店員さんに本書を推したいです。読者が不足に思う部分は本書の参考文献を一助として自身で探査する自由がある。どこかに腰を据えて深く掘り下げる行為には、その場の磁力に絡めとられる不都合が伴うわけで、少なくとも人文書にコミットせざるをえない私としては、内容といい造本といい、書名にせよ帯文にせよ、人文書にありがちなルートからは外れていて「良かった」と思えます。木澤さんが拓いた回路は新たなルートへと発展するはずです。ちなみに分類コードは0036つまり「社会」です。ネットカルチャーを論じている以上それは常道なのですが、もちろん文芸書売場の「ノンフィクション」に置かれてもいいし、人文書売場の「現代思想」に置かれてもいいのでは、と。 ★序章「もう一つの別の世界」から引用すると、本書の構成は以下の通り。「第1章〔暗号通信という「思想」〕は、ダークウェブの土台を成す暗号技術に焦点を合わせ、カウンターカルチャーが「暗号」をどのように取り扱ってきたのかを確認する。私たちはそこで、暗号空間としてのダークウェブに、かつてのサイバースペースの夢があたかも回帰するかのような事態を見るだろう。/続く第2章〔ブラックマーケットの光と闇〕、第3章〔回遊する都市伝説〕、第4章〔ペドファイルたちのコミュニティ〕は、ダークウェブという舞台に表れた様々なサイトや人物たちと、そこで起こったドラマの数々を見ていくことを通してダークウェブの光と闇を考察する。/第5章〔新反動主義の台頭〕は、新反動主義と呼ばれる、インターネット上のコミュニティを震源とする思想を扱う。新反動主義がどのようにオルタナ右翼に影響を与え、現在のインターネットの「空気」を醸成しているのかを説明する。/終章となる第6章〔近代国家を超越する〕では、インターネットの未来を考えるためにブロックチェーンを例に取り上げて論じる。思想とインターネット技術が絡み合うことで、私たちの現実社会すら根本から書き換えていくさまを幻視しようと思う。/補論では本省で取り上げきれなかったトピックを扱う。補論1〔思想をもたない日本のインターネット〕では日本におけるダークウェブの実態と日本とインターネット思想の関係を、続く補論2〔現実を侵食するフィクション〕ではインターネット・ミームという観点からフィクションと現実の関係を再考する」。関連記事に「欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感――「反リベラル」の言論人ネットワーク」(現代ビジネス、2019年1月17日付)があります。 ★『侵略者は誰か?』は『The Ethics and Rhetoric of Invasion Ecology』(Lexington Books, 2016)の訳書。帯文に曰く「外来種を侵略者と読み替える「国境」の論理――それが生み出す、人間と人外の動物への「排外主義」とは何か。本書は、「人新世」や「多元的存在論」など、人間と自然の関係を再検討する諸概念・研究を手がかりに、既存の外来種論の見直しを図る人文社会科学からの応答である」。章立てと執筆者を以下に転記しておきます。 序章 種が侵略者となるとき |ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス 第一章 いと(わ)しい存在の管理を超えて |マシュー・カラーコ 第二章 外来種生態学〔エイリアン・エコロジー〕、あるいは、存在多元論の探究 |ジェームズ・スタネスク 第三章 客か厄か賊か――種に印づけられた倫理と植民地主義による「侵略的他者」の理解 |レベカ・シンクレア/アンナ・プリングル 第四章 ユダの豚――サンタクルス島の「野生化」豚殺し、生政治、ポスト商品物神 |バシレ・スタネスク 第五章 帰属の大活劇――多種世界における市民権の非登録化 |バヌ・スブラマニアム 第六章 よそ者を迎えて――繁殖の脅威論と侵略種 |ケルシー・カミングス/ケビン・カミングス 第七章 楽園と戦争――アルド・レオポルドと復元生態学におけるレトリックの起源 |ケイシー・R・シュミット 第八章 根無し草の根を育てる――ピーター・ケアリーの『異星の快楽』にみられる侵略種と不気味な生態系 |マイカ・ヒルトン 原注 参考文献 訳者あとがき ★「人新世とは、人間活動が初めて生態系に傷跡を残した頃から続く時代を指す。人新世が進むにつれ、傷跡は指数級数的に規模を広げ、地球には消し去ることのできない損傷が加えられた。仮に、人びとが分かっているとしよう。集団、衆人、または個人として、意識的に、あるいは、もしかすると無意識的に、人間が自分たちのもたらしてきた過去と現在の損害を認知しているとする。となれば、自分たちの最悪の習性をまとめて他の非在来動物の身に着せるのは、どれほど気楽な話だろう。ましてそう前提することで私たちが救い主の役柄を演じられるのであればなおさらである。/非在来種に対する管理戦略が、社会の片隅で暮らす移民その他の人びとに対する警備戦略に重なるものだとすると、周縁部に生きる全ての者を結束させる、肥沃な連合の基盤が広がっているはずである。思想と学問の脱植民地化論は、おもにローラン・セザリ、フランツ・ファノン、エドゥアール・グリッサン、シルビア・ウィンターらの著作を通して形成された。脱植民地化論の中核には帝国主義への批判がある。ヨーロッパ思想の遺産を受け入れ、先住民の征服を讃えるのではなしに、脱植民地化論はワルテル・ミニョーロのいう「認識論的不服従」に関わる。米・『サイエンティスト』誌に載った2011年の特集「侵略種の思想」の中で、研究者のマシュー・チューとスコット・キャロルは記した。「認めがたいのは、深く広く根を下ろした『非在来種』という概念上の分類群を相手に、終わりも望みもない戦争を続ける頑なな態度である。それは、今となっては移入種が重要な役割を担う生態系を絶えず搔き乱す紛争となる」。この永続的な戦争を求め続ける声に対抗し、本書の各章は認識論的不服従を呼びかける」(13~14頁)。本書が注目に値する理由がこの序章の言葉にはっきりと表れていると感じます。 ★『天然知能』はひょっとすると郡司さんの著作の中でもっとも親しみやすい本となるかもしれない画期的な一書。目次詳細と巻頭の「ダサカッコワルイ宣言」は書名のリンク先にある「試し読み」で見ることができます。「おしゃれなかっこよさは、自分に都合の悪いものは排除し、自分のコントロールできる範囲で、自分の世界に事物を配置することで実現されます。かっこいいは、そういった独我論的世界観、一人称的世界観に裏付けられています。かっこいい者にとって、外部なんて存在しないのです」(12頁)。「一・五人称的知性としての天然知能は、「わたし」と無関係な、それ自体として存在する「わたしの外部の実在」を問題とします。「わたし」と関係のある、「わたし」に有用なものだけで構想される、そういった世界の、外部に目を向けます。/それは最近話題の、新しい実在論や、外部の実在を構想する思弁的実在論と、密接な関係にあることが予想されるでしょう。ところがむしろ、新しい実在論の延長線上に、天然知能が位置することが示されるのです。つまり先にあるということです」(13頁)。「本書では、知覚できないが存在する、という存在様式を認める知性について、一つの理論を提案します」(同頁)。ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』が選書メチエで刊行されたのがちょうど一年前でした。再びいま私たちは新たなステージの知的刺激を本書から受け取るることになるのではないでしょうか。「世界の見方を変えてくれます」(養老孟司)、「AIみたいな人間と人間みたいなAIにあふれる社会への挑戦状」(吉川浩満)というお二人の推薦文はけっして大げさではないでしょう。 +++ ★続いて、最近出会った新刊を列記します。 『フーコーの言説――〈自分自身〉であり続けないために』慎改康之著、筑摩選書、2018年1月、本体1,600円、四六判並製272頁、ISBN978-4-480-01674-4 『天皇組合』火野葦平著、河出書房新社、2019年1月、本体1,700円、46判並製256頁、ISBN978-4-309-02773-9 『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』渡辺靖著、中公新書、2019年1月、本体800円、新書判並製224頁、ISBN978-4-12-102522-7 『硫黄島――国策に翻弄された130年』石原俊著、中公新書、2019年1月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102525-8 『風土記と古代の神々――もうひとつの日本神話』瀧音能之著、平凡社、2019年1月、本体2,400円、4-6判並製246頁、ISBN978-4-582-46912-7 『大清律・刑律1――伝統中国の法的思考』谷井俊仁/谷井陽子訳解、東洋文庫893、2019年1月、本体3,600円、B6変判上製函入500頁、ISBN978-4-582-80893-3 ★『フーコーの言説』はフーコーの講義録や著書の数々を翻訳し新訳してきた慎改康之(しんかい・やすゆき:1966-、明治学院大学教授)さんの初の単独著。50年代のテクストから最晩年の絶筆『性の歴史(4)肉の告白』に至るまでの思考の足取りを読み解くものです。主要目次はアマゾン・ジャパンの単品頁で確認することができます。「フーコーの言説のうちに、主体性の支えや倫理的原則を期待しても無駄である。彼の歴史研究が我々に与えてくれるのは、特定の思考や行動のための処方ではなく、「思考をそれがひそかに思考しているものから解放し、別の仕方で思考することを可能にする」ための道具である。その道具をどのように使用するのか、そしてそれによって実際に自分自身からの離脱へと導かれるかどうかは、我々一人ひとりの選択、我々一人ひとりの努力に委ねられているのだ」(258頁)。「一方では、自分自身から身を引き離すことによって、主体と真理との関係を新たなやり方で考える可能性が開かれるということ。そして他方では、人間、主体、真理をめぐる問題を、さまざまな領域、さまざまな軸のもとで扱うことによって、自分自身からのさらなる離脱へと導かれるということ。主体性をめぐる問題を、以前の自分自身とは異なるやり方で思考するにはどのようにすればよいか。自分自身からの新たなる脱出のために、主体と真理との関係をどのように問い直せばよいか。こうした二重の問いこそ、フーコーの言説全体を特徴づけることのできる優れてフーコー的な問いなのだ」(266~267頁)。 ★『天皇組合』は、芥川賞作家の火野葦平(ひの・あしへい:1907-1960)さんが1950年に中央公論社より上梓した小説を、評論家の陣野俊史さんと高沼利樹さんによる解説を付して再刊したもの。帯文はこうです。「戦後の混乱期、われこそ真の天皇と名乗り出るものが続々と出現。そのひとり、虎沼天通の一かは現天皇の体位をもとめる天皇の組合結成を思い立った。戦後の風俗を背景に個性あふれる人物たちが右往左往するユーモアあふれるドタバタ劇」。本文からひとつだけ引きます。「この「君が代」は、誰のための歌か? 誰のために、自分は歌うのか? 通軒はちぐはぐな気持ちで、ただ機械のように、口だけ動かしていたが、やがて、いつの日にか、自分のために歌われる日が来る、その日のための練習をみんながやっているのだ、と考えることによって、わずかに、勇気をとりもどした。(自分のために、歌うのだ)と自得して、少し声が大きくなった。そして、天皇組合を早く結成して、所期の大目的を怱急に達成せねばならぬと、焦燥の思いが一段と強まるのである」(140頁)。 ★中公新書の1月新刊から2点。『リバタリアニズム』は「中央公論」誌の連載「リバタリアン・アメリカ」(2018年4月号~2019年1月号、全10回)に加筆したもの。トランプ政権誕生後のアメリカ各地を取材し、若い世代に拡がりつつあるというリバタリアニズム(自由至上主義)の実情に迫っています。さまざまな活動家や団体が紹介されていますが、そのひとつ、ピーター・ティールから資金援助を得て設立されたNPO「シースティング研究所」が興味深いです。「人類を政治家から解放すること」を目指すという同研究所は、かのミルトン・フリードマンの孫でグーグル出身のエンジニア、パトリ・フリードマン(1976-)が会長を務めています。彼は「バーニングマン」に霊感を得て、公海上に洋上自治都市を多数つくろうとしています。「自国から自由になりたい人は大勢います。そうした人びとの受け皿になりたい」(29頁)と。「シリコン・バレーには世界や人類を本気で変えてやろうと思っている人が多くいます。「議論は止めろ、作ってしまえ」という雰囲気も好きです。ピーター(・ティール)と知り合えたのもここならでは」(29~30頁)。彼の父親はデヴィッド・フリードマン(1945-)。無政府資本主義の理論家で、『自由のためのメカニズム――アナルコ・キャピタリズムへの道案内』(勁草書房、2003年)などの著書があります。 ★もう1点、『硫黄島』は「忘れられてきた硫黄列島の近現代史を再構成するとともに硫黄列島民の視点から、日本とアジア太平洋の戦前・戦争・戦後を問い直す作業である」と(vii頁)。本書には二つの目的があると言います。「一つは、硫黄列島の歴史を従来の「地上戦」一辺倒の言説から解放し、島民とその社会を軸とする近現代史として描き直すこと」(vi頁)、そして「もう一つは、日本帝国の典型的な「南洋」植民地として発達し、日米の総力戦の最前線として利用され、冷戦下で米国の軍事利用に差し出された硫黄列島の経験を、現在の日本の国境内部にとどまらないアジア太平洋の近現代史に、きちんと位置づけることである」(同頁)。「硫黄列島民が近現代の日本とアジア太平洋世界のなかで強いられてきた、激動と苦難に満ちた130年間は、「帝国」「戦争」「冷戦」の世紀であった20世紀が何であったかを、その最前線の地点から鮮烈に照らし出すことになるだろう」(vii頁)と。「軍事利用のために約75年にわたって島民全体が帰郷できない」(v頁)という現実を、国民のどれくらいが知っているでしょうか。 ★『風土記と古代の神々』は日本古代史がご専門の駒沢大学教授、瀧音能之(たきおと・よしゆき:1953-)さんの最新著。「風土記から見た「記・紀」神話」と「地域の神々の神話」の二部構成。「中央政府によってまとめられた『古事記』『日本書紀』に対して、地方の国単位で編纂された『風土記』という対峙を重視し」(8頁)、「「記・紀」神話の体系を可能な限り、諸国の『風土記』の内容でカバー」し「「記・紀」神話と『風土記』の神話との間に新しい関係性を見出す」(9頁)とともに、「「記・紀」ではあまりとりあげられていない地域の神や神社について、主に『風土記』を用いて、その実像を追いかけ」(同頁)たもの。第二部の主要目次を列記しておくと、「地域の大神」「出雲の四大神と二大社」「目ひとつの鬼」「荒ぶる神――半ばを生かし、半ばを殺しき…」「カラクニイタテ神社と新羅」「古四王神社の由来」。 ★『大清律・刑律――伝統中国の法的思考』は全2巻予定で、まず第1巻が発売。帯文はこうです。「前近代中国の成文法を代表する法典『大清律』のうち刑罰を定めた「刑律」を全文訳し、当時の最も優れた注釈書に基づいて解説を加えた書。中国の伝統的な法的思考がよくわかる」。第1巻では「賊盗篇」「人命篇」「闘殴篇」「罵詈篇」「訴訟篇」を収録。「闘殴篇」の「殴受業師」では「およそ教えを受けた師を暴行したならば、一般人に二等を加える。死なせたならば、斬」(306頁)と記されます。二等とは絞首刑のこと。斬は斬首刑。 +++
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by urag
| 2019-01-20 23:57
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2019年 01月 18日
2019年2月22日取次搬入予定【芸術/音楽】 パノニカ――ジャズ男爵夫人の謎を追う ハナ・ロスチャイルド著 小田中裕次訳 月曜社 2019年2月 本体2,700円、46判(縦188.5mm×横130mm)上製384頁、ISBN:978-4-86503-069-3 アマゾン・ジャパンにて予約受付中 内容:ジャズ界の伝説のパトロン、ニカ男爵夫人の数奇なる生涯。ジャズに魅せられ、セロニアス・モンクの天才を深く愛し、その半生をジャズとモンクに捧げたニカ夫人(キャスリーン・アニー・パノニカ・ドゥ・コーニグスウォーター/旧姓ロスチャイルド)。長年の取材とニカを直接知る親族ならではの視点とエピソードで描く、日本ではあまり知られることのなかったその実像とは。「すっかり魅了される」(ガーディアン紙)。「明快な文章と見事なストーリー」(インデペンデント紙)。原著 The Baroness: The Search for Nica, The Rebellious Rothschild (Virago Press, 2012) クリント・イーストウッド「ニカはジャズとビバップの文化を何もかも受け入れ、ジャズの持つ反抗的なところを愛していた。」 アーチー・シェップ「時代の先を行っていた人で、フェミニストの先駆者の一人であり、自分らしく生きる権利を行使した。」 ソニー・ロリンズ「彼女の物語は我々の物語でもあるんだ。」 著者:ハナ・ロスチャイルド(Hannah Rothschild)1962年生まれの映像作家、作家、慈善家。イギリスのロスチャイルド家第4代男爵ジェイコブ・ロスチャイルド氏の長女。オックスフォード大学を卒業後、BBCに入社し、主にアーティストを対象としたドキュメンタリー映画の制作を担当。小説にThe Improbability of Love(Knopf, 2015)がある。 訳者:小田中裕次(おだなか・ゆうじ)翻訳家。訳書に、アンディ・ハミルトン『リー・コニッツ:ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(DU BOOKS、2015年)、ロビン・ケリー『セロニアス・モンク:独創のジャズ物語』(シンコーミュージック、2017年)がある。 ▲
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| 2019-01-18 12:43
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2019年 01月 18日
2019年2月19日取次搬入予定【人文思想/ドイツ文学】 エリアス・カネッティーー生涯と著作 須藤温子著 月曜社 2019年2月 本体3,500円 A5判上製376頁 ISBN: 978-4-86503-070-9 C1098 アマゾン・ジャパンにて予約受付中 内容:セファルディ系ユダヤ人であり、20世紀のドイツ語圏作家。ノーベル文学賞受賞者にして、数知れない故郷をもつ亡命者。そして、死の敵対者でありつづけた男。4つの言語を操りながらもドイツ語で書き続けたエリアス・カネッティの文学作品と思考の変遷をたどる力作。妻であり作家であったヴェーザの魅力にも触れる。【シリーズ・古典転生:第18回配本、本巻17】 著者:須藤温子(すとう・はるこ)1972年生まれ。日本大学芸術学部教授。専門はドイツ語圏文学、表象文化論、エリアス・カネッティ、ヴェーザ・カネッティ研究。著書に『狂気のディスクルス』(共著、夏目書房、2006年)、論文に第4回日本オーストリア文学会賞受賞論文「エリアス・カネッティの群衆――他者と偶有性への活路」(『ドイツ文学』第130号、2006年)、翻訳に『エリアス・カネッティ伝記』(上下巻、共訳、SUP 上智大学出版、2013年)などがある。 ▲
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| 2019-01-18 12:37
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2019年 01月 15日
オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、モーリス・アルヴァックス『記憶の社会的枠組み』(青弓社、2018年11月)の訳者、鈴木智之さんによるコメント付き選書リスト「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」が追加されました。以下のリンク先一覧からご覧になれます。
1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」 4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」 3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」 5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」 6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」 7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」 8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」 9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」 10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」 11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」 12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」 13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」 16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」 17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」 18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」 19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」 20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」 21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」 22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」 23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」 24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」 25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」 26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」 27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」 28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」 29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」 30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」 31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」 32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」 33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」 34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」 35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」 36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊」 37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち」 38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」 +++ ▲
by urag
| 2019-01-15 19:22
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2019年 01月 14日
![]() 『社会的なものを組み直す――アクターネットワーク理論入門』ブリュノ・ラトゥール著、 伊藤嘉高訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,400円、四六判上製588頁、ISBN978-4-588-01090-3 『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』Th・W・アドルノ著、岡田暁生/藤井俊之訳、法政大学出版局、2018年12月、本体4,000円、四六判上製470頁、ISBN978-4-588-01088-0 『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』守屋彰夫/上村静訳、ぷねうま舎、2018年12月、本体5,300円、A5判上製364頁、ISBN978-4-906791-87-3 『精神分析における生と死』ジャン・ラプランシュ著、十川幸司/堀川聡司/佐藤朋子訳、金剛出版、2018年12月、本体4,800円、A5判上製300頁、ISBN978-4-7724-1666-5 『ヴァーチャル社会の〈哲学〉――ビットコイン・VR・ポストトゥルース』大黒岳彦著、青土社、2018年12月、本体3,600円、四六判上製383+50頁、ISBN978-4-7917-7126-4 ★『社会的なものを組み直す』は『Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory』(Oxford University Press, 2005)の全訳。訳出にあたり、いくつかの誤記と誤植が訂正された2007年のペーパーバック版と、2006年の仏語版を参照したとのことです。目次詳細は書名のリンク先に掲出されています。 ★アクターネットワーク理論(ANT: actor-network-theory)というのは、訳者あとがきの言葉を借りると「「自然」も「社会」も前提にせず、エージェンシー(行為を生み出す力)をもたらす万物の連関を「アクター自身にしたがって」丹念にたどろうとする」もの。ラトゥールは序章でこう書いています。「本書では、社会的という概念をその原義に立ち帰って定義し直し、社会科学者には思いもよらなかった諸要素の結びつきをたどり直せるようにしたい」(8頁)。「社会学を、「社会的なものの科学」と定義するのではなく、つながりをたどることと定義し直すことで、社会科学の本来の直観に忠実であり続けることができる」(15頁)。ラトゥールはこうも書いています。「以前は、アクター-ネットワーク-理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン-リゾーム存在論〔actant-rhizome ontology〕」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかった」(23頁)。「アクター-ネットワークという表現における「アクター」とは、行為の源ではなく、無数の事物が群がってくる動的な標的である」(88頁)。 ★「本書は、諸々の社会的な結びつきを組み直すためにANTをどう活用すればよいのかを扱うものであり、以下の三部で構成される。各部は、社会的なものの社会学が一緒くたにしてきた社会学の三つの務めに対応しており、もはや一緒くたにすることは正当化されない。つまり、/・社会的なものをあらかじめ特定の領域に限定してしまうことなく、つながりをめぐる数々の論争をどのように展開させるのか。/・そうした数々の論争をアクターが安定化できるようにする手段をどのように記録するのか。/・どのような手続きであれば、社会でなく集合体のかたちで社会的なものを組み直せるのか」(36~37頁)。「いくつかの点で、本書は旅行ガイドに似ている。本書で案内されるのは、まったくありふれた地域である――私たちが見慣れている社会的世界そのものである――と同時に、まったく見慣れない地域である――いちいちゆっくりと進むやり方を学ばなければならなくなる」(38頁)。 ★「紙に何かを記録するという単純な行為は、それだけで途方もない変換を起こしており、その行為には、風景を描いたり、複雑な生化学反応を起こしたりするのと同じくらいの力量が求められ、まったく同じ巧みさが求められる。研究者たる者は、ひたすら記述することを屈辱に感じるべきではない。それどころか、ひたすら記述することは、類い稀なるこの上ない偉業である」(258頁)。本書のインパクトは欧米でそうだったように、日本でもおそらく今後書評や参考文献などのかたちで人文社会書にとどまらず様々な分野で隠然と現れていくことになるのではないかと思います。 ★『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』は『Musikalische Schriften II: Quasi una fantasia』(Suhrkamp, 1963)の訳書です。生前に刊行された『音楽著作集』2巻本のうちの第2巻です。第1巻『響きの形象』1959年は未訳。第2巻『幻想曲風に』は「ベートーヴェンからシュトックハウゼンに至るまでを哲学/社会学理論と縦横無尽に絡めながら論じ〔…〕まさにアドルノの音楽哲学の核心部分に位置すると言える」と訳者あとがきにあります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の岡田さんは「本書の翻訳を通して私が何より魅了されたのは、〔…〕アドルノのエッセイスト的な才知である」とお書きになっています。 ★アドルノは巻頭の「音楽と言語についての断章」でこう書きます。「音楽は意味言語とはまったく別のタイプの言語である。この言語の中には何か神学的なものが潜んでいる。それが語るものは、輝きつつ現象するものとして定義されると同時に、まさにそれ故に隠されている。その理念は神の名という形をしている。それは現実世界に影響を及ぼす魔術から解放された、脱神話化された祈りであって、どれほど虚しいことであろうとも意味伝達ではなく名そのものを目指そうとする、極めて人間的な試みなのである」(3頁)。「意味言語は媒介を経た形で絶対者を語ろうとするが、絶対者は個々のあらゆる意図において言語の手をすり抜けていき、あらゆる意図を有限なものとして背後に置き去りにする。音楽は絶対者を媒介なしに言い当てるが、しかしまさにその瞬間に、まるで強すぎる光が目を眩ませ、十分に目に見えることすらもはや見えなくしてしまうのと同じく、絶対者は暗闇の中に消えていく。/究極のところ音楽は、意味言語と同じ難破した言語として、不可能なものを手元に持ち帰るべく、無限の媒介という彷徨を運命づけられている」(6頁)。 ★アドルノは1969年に死去。その後原書では1978年に、アドルノ全集第16巻で第3巻までを合本して刊行(アドルノの当初の構想では全3巻だったそうです)。さらに全集第17巻が『楽興の時』(三光長治/川村二郎訳、白水社、1969/1979/1994年)を含む『音楽著作集』第4巻として1978年に、続いて1984年に全集第18巻と第19巻がそれぞれ第5巻と第6巻として出版されています。アドルノの音楽論は今後も翻訳されていくでしょうか。期待したいところです。 ★『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』は全12巻中の第3回配本。帯文に曰く「創世神話の翻案と変奏。世界創成の物語を語り直す。正典の何を増幅し、また何に触れずに済ませたか。秘儀の伝授のために」。目次を以下に転記しておきます。 創世記アポクリュフォン|守屋彰夫訳 エノシュの祈り|上村静訳 洪水に基づく説諭|上村静訳 物語と詩的作品|上村静訳 ラヘルとヨセフに関するテキスト|上村静訳 ヤコブの遺訓(?)|上村静訳 ユダの遺訓|上村静訳 レビの遺訓|守屋彰夫訳 ナフタリ|上村静訳 ヨセフの遺訓|上村静訳 族長たちについて|上村静訳 ケハトの遺訓|守屋彰夫訳 アムラムの幻|守屋彰夫訳 モーセの言葉|上村静訳 創世記―出エジプト記パラフレイズ|上村静訳 出エジプト記パラフレイズ|上村静訳 五書アポクリュフォン|上村静訳 出エジプトについての講話/征服伝承|上村静訳 ナラティヴ|上村静訳 ★「ナラティヴ」末尾の「ヤコブの光」テキスト全文は次の通りです。「[…][…]ヤコブの光[…][…]異民族たちはイスラエルに[…]彼らは言うだろう、「どこに[…]」」。ヤコブの光とは、直訳では「ヤコブのための光」ないし「ヤコブにとっての光」とのことです。「これは、聖書にもそれ以外のユダヤ教文献からも知られていない」と解説されています。 ★『精神分析における生と死』は『Vie et mort en psychanalyse』(Flammarion, 1970)の全訳。目次は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の十川幸司さんは訳者解題で本書を次のように評価されています。「ジャック・ラカンの『エクリ』刊行の四年後に出版された本書は、ラカンとは別の「フロイトへの回帰」を提唱したジャン・ラプランシュ〔Jean Laplanche, 1924-2012〕の始まりの書物である。本書の主題は、フロイトの読解である。ラカンが、独自の切り口でフロイトのテクストを斬新に読み換えていくのに対し、ラプランシュはフロイトのコーパスの内部に留まり、テクスト相互の矛盾点や絡み合った問題群を解きほぐして、フロイト理論の更新を試みる。およそあらゆる始まりの書物がそうであるように、この書物のなかにはラプランシュのその後の思想的展開がすべて散りばめられている。本書のもとになった連続講演は、68年にケベックで行われたもの」(241頁)。 ★ラプランシュは序論でこう述べます。「生命が人間の水準で象徴化される際に〈別のものになること〉を、私たちは三つの動きのなかに追っていく。すなわち、セクシュアリティの問題群、自我の問題群、死の欲動の問題群を準に検討することになるだろう」(19頁)。再び十川さんの解説に帰ると、「本書はラプランシュの代表作であると同時に、彼の最も可能性を秘めた著作である。この書物の最大の魅力のひとつは〔…〕ラカンが、言語、他者といった概念で、フロイトを超越論的に読み替えたのに対し、ラプランシュは、本書で生命、動きといった観点から、フロイトを内在的に解読した点にある」(266頁)。十川さんは本書の通奏低音を「ラプランシュ独自の欲動論」だとし、「私たちの生を規定しているのが欲動であり、欲動のありかたを言葉によってどのように変えることができるかということが精神分析臨床の課題であるとすれば、欲動論は精神分析理論の中心に位置する問題なのである」(265頁)と述べておられます。 ★『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』は2017年から2018年にかけて「現代思想」誌などに発表してきた論考5本に書き下ろしとなる2本を加え、序論である書き下ろしの「はじめに」を添えて一冊としたもの。目次は書名のリンク先をご覧ください。書き下ろしとなる第二章「「モード」の終焉と記号の変容」と第六章「VR革命とリアリティの〈展相〉」は学会での講演や大学での講義がもとになっているとのことです。「本書は、2010年代に入ってから猛烈な勢いで自己組織化を遂げつつある情報社会の問題構造を体系的に炙り出す試みである。〔…〕本書が事とするのは、文化現象の表層的な考察ではない。本書の目的は、飽くまでも、情報社会の表面には現れない不可視の“深層”構造を、問題系すなわち、或る地平を共有する問題群のネットワーク、として泛(う)かび上がらせることにある」(3頁)。巻末の後記では本書は『情報社会の〈哲学〉――グーグル・ビッグデータ・人工知能』(勁草書房、2016年)の続編という位置づけです。 ★特に業界人として気になるのは第一章「アマゾン・ロジスティックス革命と「物流」の終焉」(初出:「現代思想」2018年3月号特集「物流スタディーズ」)でしょうか。「第一章ではAmazon社が仕掛ける「ロジスティックス革命」の本義を尋ねる。Amazonが社是として掲げる「顧客第一主義」とは、単なるサービスポリシーや顧客に対するポーズではない。それは、これまでの〈生産〉が主導する「物流」概念を解体し、〈情報〉が主導する〈兵站体制〔ロジスティックス〕〉の編制によって商品経済そのものを〈流通〉を軸として再編する遠大な企図の指針なのである。それは「商品」というモノの存在性格をすら変えてゆかざるを得ない」(22~23頁)。「他ならぬアマゾンによって先導的に開拓されたこの〈流通〉の新たな地平」(28頁)をめぐる考察は、業界人にとっては生の条件として立ち現われざるをえません。 +++ ★続いて注目の文庫新刊を列記します。 『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社ライブラリー、2019年1月、本体2,400円、B6変判並製640頁、ISBN978-4-582-76877-0 『テアイテトス』プラトン著、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫、2019年1月、本体1,120円、495頁、ISBN:978-4-334-75393-1 『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』J・L・オースティン著、飯野勝己訳、講談社学術文庫、2019年1月、本体1,180円、312頁、ISBN978-4-06-514313-1 『老子 全訳注』池田知久訳注、講談社学術文庫、2019年1月、本体960円、240頁、ISBN978-4-06-513159-6 『一日一文――英知のことば』木田元編、岩波文庫(別冊24)、2018年12月、本体1,100円、416頁、ISBN978-4-00-350027-9 『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』平田篤胤著、今井秀和訳解説、角川ソフィア文庫、2018年12月、本体880円、256頁、ISBN978-4-04-400426-2 『異端の統計学 ベイズ』シャロン・バーチュ・マグレイン著、冨永星訳、草思社文庫、2018年12月、本体1,600円、656頁、ISBN978-4-7942-2364-7 ★『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』は「精選」シリーズ全7巻の第2回配本。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。親本である『中世思想原典集成』の第4巻「初期ラテン教父」と第5巻「後期ラテン教父」から13作品が収録されています。巻頭の佐藤直子さんによる解説と、各収録先の解題、そして岡田温司さんによる巻末エッセイ「初期キリスト教時代はなぜかくも面白いのか」が新たに加えられています。岡田さんはこう記しておられます。「わたしにとって初期キリスト教時代が面白いのは、そこに異質なもの――とりわけ異教的なものや後に異端とされるもの――がさまざまなかたちで流れ込んでいて、混沌としてはいるものの一段と豊かな様相を呈しているように思われるからである」(613頁)。 ★『テアイテトス』は古典新訳文庫のプラトン新訳本で5点目となる一冊。文庫で読める既訳には田中美知太郎訳(岩波文庫、1966年/改版2014年)があります。もう一点は今回の古典新訳文庫版の訳者である渡辺邦夫さんが2004年に上梓したちくま学芸文庫版。それを大幅改訂したのが今回の新刊です。「解説」は実に100頁以上あります(350~479頁)。この対話篇のテーマは「知識」すなわちエピステーメーです。それは「組織的理解を重んじるものであり、善と諸価値への積極的荷担を含むものであるという二つの特色を持ちます。〔…プラトンは〕事柄が要求するような説明ができる程度に深い「理解」こそ、「エピステーメー」という知識である考えました」と解説にあります。つまり単に見聞きして知っているかどうかというレベルではないわけです。学ぶこと、そして知恵(ソフィア)ある者になることの大切さは現代人にとっても相変わらず重要です。あらためてプラトンの偉大さを思います。 ★『言語と行為』は文庫オリジナルの新訳。原書は『How to Do Things with Words: The William James Lectures delivered at Harvard University in 1955』(Harvard University Press, 1962)です。副題にある通り、イギリスの言語哲学者オースティン(John Langshaw Austin, 1911-1960)が1955年に行なったハーヴァード大学のウィリアム・ジェイムズ講義の原稿をいわば再現的にまとめたもの。再現的にというのは死後刊行であるために、講義原稿において断片的な箇所をオースティン自身の覚書や受講者のノート、関連する別の講義の音声記録などを比較参照して編者のJ・O・アームソン(James Opie Urmson, 1915-2012)が補ったためです。著者自身による決定稿ではないものの、主著として高名です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「若干の誤記修正と変更・加筆が施された第二版(1975年)が刊行された。これがいまのところの最新版である。こちらも合わせて参照し、あきらかな誤記・誤字修正のたぐいは特に断りなく採り入れるとともに、変更や加筆については訳注で言及・引用した」とのことです。先行訳(初訳)に、ロングセラーとなっている坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)があります。聴講者の一人だったカヴェル(Stanley Cavell, 1926-2018)の自伝(2010年)によると当初100人いた聴講生は最後は5人以下になったようですが、こんにちにいたる本書の影響力を考えると目撃証人の少なさに驚きます。 ★ちなみに坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)は2014年9月に16刷に達しています。底本情報について訳者あとがきの説明を引用しておきます。「翻訳書は、第一版を底本として企てられたものであったが、訳業途中にして、マリナ・スビサ博士の協力を得たアームソンによる第二版が刊行された。第二版は同博士の努力によってオースティンの原ノートとの対照の結果第一版よりも読みやすく、かつ、理解しやすいものとなっており、また、以前は未収録であった欄外書き込みが必要に応じて付録に追加されているが、論点に重大にかかわる修正はほとんどない。さらに、今まで言語行為がもっぱら1960年刊行の第一版に基づいて展開されているという現状を考え併せ底本は一応第一版のままとし、第二版における改良、追加箇所の中、主要なものは訳者注の形式をとって指摘することとした。この結果、読者は、第一版の構成に従いつつ、第二版の内容をも同時に知り得ることになった」(360~361頁)。 ★『老子 全訳注』は巻末の特記によれば、講談社学術文庫より「2017年3月に刊行された『老子――その思想を読み尽くす』の巻末に収録された「『老子』 原文・読み下し・現代語訳」をもとに新たに【解説】を付したもの」とのこと。解説というのは『老子』全体に対するものではなく、各章に付された書き下ろしの説明文です。章ごとに現代語訳、読み下し、原文、解説、という構成になっています。親本刊行から1年も経っていませんが、訳者がご高齢であることを鑑みると、版元としても実現したかった企画なのでしょう。新たに付された「後書き」によれば、「「現代語訳」と【読み下し】については多少の修正を加える以外はほぼそのまま前著を活かすこととし、【原文】については異体字・仮借字などの表記方法を変更したために、やや大きな修正を施すこととなった。ただし【原文】の実際の内容には前著と本書の間で何の変更もない」とあります。 ★『一日一文』は2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。巻頭の「例言」によれば「典拠のうち、岩波文庫で読めるものは一部差し替えてある」とのことです。書名から分かる通り、366日分の名言が選ばれています。その日に生まれたり死んだりした先哲たちの言葉です。二色刷で美しく印刷されています。先哲たちの略歴と写真も掲出されているので、自分の誕生日に縁のある人が誰なのかを知る楽しみもあります。 ★『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』は文庫オリジナル。昨年大増刷した岩波文庫版『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は2000年に発売され、その後2011年秋に「一括重版」枠で再刊されてから(この時点では5刷)しばらく動きのなかったところへ2018年2月以降に大増刷。校注を担当した子安宣邦さんへのインタヴュー「謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?――岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり」によれば4月末現在で一気に9刷まで延ばし、8700部の増刷をしたことになっています。その後、店頭に置いてある当該書目の刷数を確認したことはないのですが、読売新聞2018年7月24日付記事「「異界」描いた岩波文庫、ベストセラーの「怪」」では「ツイッターの書き込みをきっかけにして、今年2月、約6年ぶりに“復刊”したところ、ブレイク。3か月の間に約1万2000部を増刷し、現在10刷、累計3万部に達している」と報じられていました。 ★この岩波文庫版はなにせ古文のままなので決して読みやすくはないのですが、その後、八幡書店の現代語訳(山本博校訂訳、1993年)が廉価版として再刊されしました。今回の角川ソフィア文庫の新刊は、文庫版としては抄訳ながら初めての現代語訳です。帯文には「Twitterで話題の奇書、唯一の現代語訳文庫」と手書きの文字で書かれています。岩波文庫版の帯も重版では手書きのものだったので、前例に倣ったのでしょうか。書店員さんのPOPのような温かみがあります。岩波文庫版を読みこなせなかった読者でも、今回の現代語訳版なら親しみやすいだろうと思います。異界を旅した少年「寅吉」は篤胤の質問に対してすべて答えるというよりは、知らないことは知らないと答えるので、その辺が巧みです。内容的には幻想と説話的教訓が入り混じった味わいがあります。篤胤が色んなことを根掘り葉掘り聞いてくれたおかげで現代人も寅吉の話を楽しむことができるわけです。 ★『異端の統計学 ベイズ』は2013年に草思社より刊行された単行本の文庫化。原書は『The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy』です。18世紀イギリスの統計学者で長老派の牧師トーマス・ベイズ(Thomas Bayes, 1702-1761)の業績への評価をめぐる歴史的変遷を丁寧に紹介しています。「ベイズの法則は、一見ごく単純な定理である。曰く、「何かに関する最初の考えを新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なるより質の高い意見が得られる」。この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに表現したものなのだ」(13頁)。 ★「ベイズの法則は、決して科学の歴史に埋もれた地味な論戦の種ではなく、我々すべてに影響を及ぼしている。それは、実生活の広い範囲――絶対的な真実とまったくの不確かさに挟まれた灰色の領域――で推論を行うための論理なのだ。知りたいことに関する情報はほんの少ししか手に入らないことが多く、それでもわたしたちは、過去の経験に基づいて何らかの予想を立てたいと思う。そして新たな情報が手に入れば、それに基づいてそれまでの考えを修正する。長い間激しい嘲りの的だったベイズ統計が、ついに身の回りの世界について合理的に考える手段を提供するようになったのだ。/ではこれから、この驚くべき変化がどのようにして起きたのか、その顛末を見ていこう」(18頁)。目次詳細はアマゾンの単品頁に掲出されています。 +++ ★最後にここ最近の注目雑誌を3点。 『ニューQ Issue01 新しい問い号』セオ商事、2018年12月、本体1,500円、B5判並製100頁、ISBN978-4-9910610-0-4 『アレ Vol.5 特集:Workを捉えなおす』アレ★Club、2018年11月、本体1,380円、A5判並製256頁、ISDN278-4-572741-05-6 『午前四時のブルー Ⅱ 夜、その明るさ』小林康夫責任編集、水声社、2019年1月、本体1,500円、A5判並製120頁、ISBN978-4-8010-0243-2 ★『ニューQ』はセオ商事が創刊した新雑誌。「創刊によせて」の言葉を借りると「新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン」で「答えより問いの方が面白いでしょ?」と問いかけています。巻頭特集は、小説家の平野啓一郎さんへのインタビュー「物語で問うということ」です。4コママンガやSF作品もあります。従来の哲学系雑誌に比べると写真やイラストなどヴィジュアルの要素がふんだんで、誌面に明るさを感じます。目次詳細は版元さんの2018年12月20日付のブログ記事「哲学カルチャーマガジン「ニューQ」を創刊しました。本日より全国書店にて順次発売!」にてご確認いただけます。セオ商事さんは「「企画とエンジニアリングの総合商社」をテーマに企画、UI設計、デザイン、開発を通して様々なモノ作りのお手伝いを」しているという会社。「企業のブランディングキャンペーンやプロダクトのUI/UX設計、モバイルアプリからデジタルデバイスの開発まで幅広くご依頼を承っております」とのことです。次号は今春刊行予定の「エレガンス号」だそうです。 ★出版社ではない会社が紙媒体を出版したりする例のほかにも、青山ブックセンターが今年出版社を立ち上げる予定だとかいう話を耳にします。出版社だけが紙媒体を作る時代はとうに終わってはいましたが、今後はいよいよ様々な新規参入者が増えていく予感がします。一方で物流や小売の現場は疲弊しており、紙媒体の現物と出会える場はこれからも減っていく可能性があります。終わりと始まりが常に重なっているのが「現在」の姿なのでしょう。 ★『アレ』はアレ★clubが発行する「ジャンル不定カルチャー誌」。最新号となる第5号の特集は「Workを捉えなおす」と題されています。昨年11月25日に開催された第27回「文学フリマ東京」で初売りされ、現在では大阪、京都、東京、静岡、愛知、福岡、静岡などの複数の書店で展開中。目次詳細はこちらでご確認いただけます。アラン・バディウと小泉義之さんからの特別寄稿は特筆すべきかと思われます。バディウ「新石器時代、資本主義、共産主義」(小泉義之訳、18~20頁)と、小泉さんの「最後のダーク・ツーリズム――『少女終末旅行』を読む」(6~16頁)です。いずれも著者自身の申し出による寄稿というのがすごいところ。バディウにオリジナル原稿を寄せてもらった雑誌というのは日本で恐らく初めてではないでしょうか。このバディウの論考は長くはありませんが非常に力強いもので、バディウ自身による「共産主義者宣言」とも言うべき内容となっています。必読です。ちなみにバディウと小泉さんは2018年5月に発行された第4号にも寄稿されています。 ★ちなみに『アレ』誌の表紙表4に付されているISDNコードというのは、International Standard Dojin Numbering(国際標準同人誌番号)のこと。ちなみに一部出版社のスリップに記載されていた10桁のBBBNというのも業界にはあって、こちらは「元々ISBNが10桁だったものが、13桁にコード体系を移行したときに、受発注の処理の関係で10桁のままの番号が必要な会社達が、移行措置として当面の間残したモノです。/十数社はいるようです。/BBBNには意味はありません。ISBNと入れると、OCRで不都合が生じるので、意味のない文字列の組み合わせにしたとのことです」とこちらのサイトに寄せられたコメントのひとつにあります。 ★『午前四時のブルー』は昨春創刊された、哲学者の小林康夫さんが責任編集をつとめる雑誌。目次は誌名のリンク先をご覧ください。創刊記念で昨年6月に神楽坂モノガタリで開催された小林さんと國分功一郎さんとの対談イベントの抄録「モノガタリの夜――信じること・愛すること」のほか、國分さんの『中動態の世界』に続く新著への予告ともなるエッセイ「哲学とあの世――ソクラテス、プラトン、死」などが掲載されています。ちなみに國分さんが昨年9月に東大で行われたシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」で行った基調講演「中動態/意志/責任をめぐって」が、斎藤環さんの講演「臨床で使える中動態」とともに『精神看護 2019年 1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界』(医学書院、2018年12月)に掲載されています。併せて読んでおきたいです。 +++
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by urag
| 2019-01-14 23:36
| 本のコンシェルジュ
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2019年 01月 08日
![]() 2019年2月4日取次搬入予定【写真/芸術】 JP-34〔ジェイピーサンジュウヨン〕 松江泰治=写真 月曜社 2019年2月 本体3,600円 A4判変型[天地225mm×左右281mm×束9mm]上製角背64頁オールカラー ISBN:978-4-86503-068-6 C0072 重量:600g アマゾン・ジャパンにて予約受付中 内容:広島市を中心に、宮島、呉、江田島などを収め地表と時層を眺望する、JPシリーズ*中の白眉となる作品集。地上の様子を精緻に再現する高精細印刷。「われわれは思いがけない距離から歴史の傷に触れてしまう」(倉石信乃/広島現代美術館展覧会カタログ『松江泰治ハンドブック』の解説より)。 *「JP」シリーズは、日本の各都道府県を空撮した作品集。広島は「JP-34」、青森は「JP-02」など、国際標準化機構ISO3166-2によって定められたコードがそのまま作品タイトルとなっている。 *広島市現代美術館で「松江泰治 地名事典」が開催中(~2019年2月24日)。 松江泰治(まつえ・たいじ)1963年東京生まれ。現在、東京にて制作活動。1987年東京大学理学部地理学科卒業。1996年第12回東川賞新人作家賞受賞。2002年第27回木村伊兵衛写真賞受賞。最近の写真集:『Hashima』(月曜社、2017年)、『LIM』(青幻舎、2015年)、『JP-01 SPK』(赤々舎、2014年)、『世界・表層・時間』(NOHARA、2013年)、『TYO-WTC』(赤々舎、2013年)、『jp0205』(青幻舎、2013年)。
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by urag
| 2019-01-08 19:29
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