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2018年 11月 30日

「図書新聞」にマラルメ『詩集』の書評

「図書新聞」2018年12月8日号に弊社8月刊、マラルメ『詩集』(柏倉康夫訳)についての書評「ジャーナリズムへと戻る回路――長年のマラルメ研究に一つの区切り」が掲載されました。評者は早稲田大学政治経済学術院の岡山茂教授です。
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by urag | 2018-11-30 23:28 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 25日

注目新刊:國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』、ほか

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★まずまもなく発売となる新刊の中から注目書をご紹介します。

デリダと死刑を考える』高桑和巳編著、鵜飼哲/江島泰子/梅田孝太/増田一夫/郷原佳以/石塚伸一著、白水社、2018年11月、本体3,000円、4-6判並製256頁、ISBN978-4-560-09671-0
アナザー・マルクス』マルチェロ・ムスト著、江原慶/結城剛志訳、堀之内出版、2018年11月、本体3,500円、四六判並製506頁、ISBN978-4-909237-37-8
資本主義の歴史――起源・拡大・現在』ユルゲン・コッカ著、山井敏章訳、人文書院、2018年12月、本体2,200円、4-6判並製230頁、ISBN978-4-409-51080-3
アートとは何か――芸術の存在論と目的論』アーサー・C・ダントー著、佐藤一進訳、人文書院、2018年11月、本体2,600円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-10040-0
帰還――父と息子を分かつ国』ヒシャーム・マタール著、金原瑞人/野沢佳織訳、人文書院、2018年11月、本体3,200円、4-6判上製312頁、ISBN978-4-409-13041-4
昭和戦争史講義――ジブリ作品から歴史を学ぶ』一ノ瀬俊也著、人文書院、2018年11月、本体1,800円、4-6判並製242頁、ISBN978-4-409-52070-3

★『デリダと死刑を考える』は、2017年10月7日に慶應義塾大学日吉キャンパスで行われた同名シンポジウムの発表内容をもとにしつつ、新たに書き下ろされた論文集。デリダの講義録『死刑Ⅰ』(高桑和巳訳、白水社、2017年)をきっかけに編まれたものです。収録論考は6本。鵜飼哲「ギロチンの黄昏──デリダ死刑論におけるジュネとカミュ」、江島泰子「ヴィクトール・ユゴーの死刑廃止論、そしてバダンテール──デリダと考える」、梅田孝太「デリダの死刑論とニーチェ──有限性についての考察」、増田一夫「定言命法の裏帳簿──カントの死刑論を読むデリダ」、郷原佳以「ダイモーンを黙らせないために──デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」、石塚伸一「デリダと死刑廃止運動──教祖の処刑の残虐性と異常性」。高桑さんはイントロとなる「はじめに」を書かれています。石塚論文ではオウムについて論及があります。つい先日発売となった論集『オウムと死刑』(河出書房新社、2018年11月)の重要な参照項になると思われます。

★ムスト『アナザー・マルクス』は、『Another Marx: Early Manuscripts to the International』(Bloomsbury, 2018)と『L'ultimo Marx: 1881-1883. Saggio di biografia intellettuale(The Last Marx, 1881-1883: An Intellectual Biography)』(Donzelli Editore, 2016)の二著を、著者による合本版原稿から訳出したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マルチェロ・ムスト(Marcello Musto, 1976-)はイタリア生まれのマルクス研究者で、現在はトロントのヨーク大学准教授。単独著としては本書が初訳になります。『Another Marx』をめぐってはウォーラーステインやボブ・ジェソップ、ジョン・ベラミー・フォスターらが賞讃を寄せています(英語原文は本書の裏表紙に印刷され、訳文は書名のリンク先で公開中)。新しいマルクス=エンゲルス全集である新MEGA版の刊行によって刷新されつつあるマルクス像の諸側面に迫る本書は、マルクス研究の最先端から生まれた成果です。マルクス生誕200周年である2018年の掉尾を飾るにふさわしい新刊ではないでしょうか。

★人文書院さんの近日発売より4点に注目。コッカ『資本主義の歴史』は『Geschichte des Kapitalismus』の全訳。原著は初版が2013年にBeckより刊行されており、今回の底本となっている改訂版である第三版は2017年に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。コッカ(Jürgen Heinz Kocka, 1941-)はドイツの歴史家で日本でもよく知られた碩学。帯文は次の通りです。「歴史学の大家による、厳密にして明晰、そして驚くほどコンパクトな資本主義通史。その起源から現代の金融資本主義に至る長大な歴史と、アダム・スミス、マルクス、ヴェーバーからシュンペーター、ポメランツに至る広範な分析理論までが一冊に凝縮。世界史的視野と、資本主義の本質に迫る深い考察が絡み合い、未来への展望をも示唆する名著。世界9か国で翻訳されたベストセラー。通史の決定版」。

★日本語版への序言でコッカはこう書いています。「資本主義をめぐる論争は、今日の世界の喫緊の諸問題――グローバル化、気候変動、貧困、社会的不平等、進歩の意味と進歩が人間にもたらすコスト――についての議論に扉を開きうる。近代、そしてそれがもたらすチャンスと危機を理解するには、資本主義の本質への洞察が不可欠である。資本主義の長期の歴史を知ることは、現在の資本主義を理解する助けとなる」(i頁)。

★「本書は、資本主義の諸定義、古代から現代にいたるその発展と批判のコンパクトな概観を提供する。そこで資本主義は、経済システム、あるいは、社会的・文化的・政治的諸条件ならびに諸帰結を伴う経済行為と理解されている。本書では、商人資本主義、農業資本主義、工業資本主義、金融資本主義というような資本主義のさまざまなタイプが区別される。資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される。資本主義における労働、市場と国家、企業家と企業、そしてここ数十年の間に進展した金融化などのテーマが論じられる。本書はまた、精神史・文化史のテーマとしての資本主義についても論じている。西洋における資本主義の展開が記述の前面に出てはいるが、しかし資本主義のグローバルな諸次元、グローバルな拡大も軽視されてはいない。とくに市場と国家の関係について、北米、ヨーロッパ、東アジアの状況の相違が明らかにされている」(ii-iii頁)。

★『アートとは何か』は美学・芸術論、歴史物語論、哲学といった幅広い分野で優れた業績を残したアメリカの学者ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924-2013)の遺作『What Art Is』(Yale University Press, 2013)の全訳に、1984年の論考「The End of Art」の翻訳を併録したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著書は80年代から翻訳されていますが、芸術論関連のものはようやく近年になって訳されてきています。「アートワールド」(原著1964年;邦訳2015年、『分析美学基本論文集』所収、勁草書房)、『ありふれたものの変容――芸術の哲学』(原著1981年;邦訳2017年、慶應義塾大学出版会)『芸術の終焉のあと――現代芸術と歴史の境界』(原著1997年;邦訳2017年、三元社)などがそれで、今回訳出された「アートの終焉」(原著1984年)もまた、翻訳が望まれていたものです。訳者は本書を、欧米を中心とする古今の著名な芸術作品の数々を引きつつ、きわめて簡潔かつ強力に、明快な回答を試みた一書として高く評価しています。

★『帰還』はイギリス在住の作家マタール(Hisham Matar, 1970-)の回想録『The Return: Fathers, Sons, and the Land in Between』(Random House, 2016)の翻訳。「マタールが故国リビアに「帰還」した旅の記録であると同時に、そこへ至るまでの家族の歴史と、彼自身の心の軌跡を綴った作品である。ノンフィクションでありながら、ときに抒情的に、ときにシニカルに、ときに激しい憤りをこめて語られるストーリーは、美しい情景描写やリアルな人物描写ともあいまって、まるで小説のようでもある」と訳者は説明しています。反体制運動のリーダーだった父の行方を追う苦い体験が綴られた本書は、オバマ前大統領やカズオ・イシグロらから賞讃され、ピューリッツァー賞の伝記部門を2017年に受賞したのをはじめ、多くの文学賞を獲得しています。

★一ノ瀬俊也『昭和戦争史講義』はジブリの映画作品を読み解きつつ昭和期の戦争史を理解しようという試み。「風立ちぬ」2013年、「紅の豚」1992年、「火垂るの墓」1988年などが取り上げられます。これらの映画はフィクションであるわけですが、「過去/事実としての昭和史を学ぶ上での手がかりとなりそうな描写が、物語の各所にたくさんある」(11頁)と著者は指摘します。これらの「「歴史ファンタジー」〔…〕の空白や背景を、近現代の歴史資料を用いながら埋めたり書き込んでいくこと〔…〕。なぜ戦争は起こり、その結果どうなったのかを物語の展開に添って考えることで、過去の歴史と作品世界の両方をより深く、広く理解できるようになりたい」(13頁)と。全15講のうち、最終講では、「となりのトトロ」「コクリコ坂から」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを用いて「戦後の1950年代後半から60年代を通じて起こった高度経済成長についてもふれ」(10頁)ています。

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★続いてここ最近の注目新刊を列記します。

100分 de 名著 スピノザ『エチカ』――「自由」に生きるとは何か』國分功一郎著、NHKテキスト:NHK出版、2018年12月、本体524円、A5判並製116頁、ISBN978-4-14-223093-8
ウンベルト・エーコの世界文明講義』ウンベルト・エーコ著、和田忠彦監訳、石田聖子/小久保真理江/柴田瑞枝/高田和広/横田さやか訳、河出書房新社、2018年11月、本体4,600円、46変形判上製440頁、ISBN978-4-309-20752-0』
国民論 他二篇』マルセル・モース著、森山工編訳、岩波文庫、2018年11月、本体900円、320頁、ISBN978-4-00-342282-3
中世の秋』上巻、ホイジンガ著、堀越孝一訳、中公文庫、2018年11月、本体各1,200円、464頁/480頁、ISBN978-4-12-206666-3
随筆 本が崩れる』草森紳一著、中公文庫、2018年11月、本体880円、312頁、ISBN978-4-12-206657-1
季刊iichiko 第140号:ラカンの剰余享楽/サントーム』文化科学高等研究院出版局、2018年10月、本体1,500円、A5判並製128頁、ISBN978-4-938710-39-2
くるみ割り人形』E・T・A・ホフマン作、サンナ・アンヌッカ絵、小宮由訳、アノニマ・スタジオ:KTC中央出版、2018年10月、本体2,600円、菊判変型上製96頁、ISBN978-4-87758-788-8

★國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』はNHK Eテレで来月放送予定のテレビ番組「100分 de 名著」のテキストです。目次は以下の通り。

[はじめに]ありえたかもしれない、もうひとつの近代
第1回:善意(12月3日放送/5日再放送)
第2回:本質(12月10日放送/12日再放送)
第3回:自由(12月17日放送/19日再放送)
第4回:真理(12月24日放送/26日再放送)

★「はじめに」で國分さんはこう書かれています。「現代へとつながる制度や学問がおよそ出そろい、ある一定の方向性が選択されたのが十七世紀なのです。/スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。ただ、彼はほかの哲学者たちとは少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。/そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別の在り方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです」(5~6頁)。

★「スピノザを理解するには、考えを変えるのではなて、考え方を変える必要があるのです。そのことの意味を、全四回を通じて説明していきたいと思います。/番組とテキストは『エチカ』の主要な四つの概念を紹介する形で進めていきます。手元に『エチカ』があるとより分かりやすいかもしれませんが、必須ではありません。また哲学の前提知識も必要ありません」(7頁)。また、テキストの最後のまとめには次のような言葉があります。「スピノザは世の中の人がもっと自由に生きられるようにと願って『エチカ』を書いたのです」(115頁)。すでに準備済の書店さんもおいでになることと思いますが、来月はスピノザ周辺を中核とした「17世紀フェア」を店頭で行うにはもってこいのタイミングになると思います。

★『ウンベルト・エーコの世界文明講義』は『Sulle spalle dei giganti〔巨人の肩に乗って〕』(La Nave di Teseo, 2017)の翻訳。エーコが2001年から2015年にかけてイタリアの文化芸術祭「ミラネジアーナ・フェスティヴァル」において行ってきた講演・講義の記録です。美麗なカラー図版を100点以上収録。目次は以下の通りです。丸括弧内は発表年。

巨人の肩に乗って(2001年)
美しさ(2005年)
醜さ(2006年)
絶対と相対(2007年)
炎は美しい(2008年)
見えないもの:アンナ・カレーニナがベーカー街に住んでいたというのはなぜ偽りなのか(2009年)
パラドックスとアフォリズム(2010年)
間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること(2011年)
芸術における不完全のかたちについて(2012年)
秘密についてのいくらかの啓示(2013年)
陰謀(2015年)
聖なるものの表象(2009年?)

★東洋書林から刊行されているエーコの一連の編著書『美の歴史』原著2004年/邦訳2005年、『醜の歴史』原著2007年/邦訳2009年、『芸術の蒐集』原著2009年/邦訳2011年、『異世界の書』原著2013年/邦訳2015年、は、これらの講演と並行して上梓されており、関連性もあります。ちなみに河出文庫の今月新刊にはエーコの小説『ヌメロ・ゼロ』があります。

★モース『国民論 他二篇』は『贈与論』(吉田禎吾/江川純一訳、ちくま学芸文庫、2009年)、『贈与論 他二篇』(森山工訳、岩波文庫、2014年)に続く、文庫で読めるモースの著書の3点目。モースの社会主義思想家としての側面を示す3篇、「ボリシェヴィズムの社会学的評価」1924年、「国民論」1953~54年、「文明──要素と形態」1930年、を収録。いずれも本邦初訳で、日本語オリジナル編集です。「文明」はもともと1929年5月に行われたシンポジウムにおける口頭発表。訳者解説「国民の思想家としてのマルセル・モース」には本書編纂の意図が次のように明かされています。「民族学者・社会学者モースと、社会主義者であり、政治=社会論的な思想家でもあったモース。二人のモースはどのように交差していたのであろうか。本書は、第一次世界大戦後の欧州状況のなかでこの二人のモースが交差する、そのありようを示すと思われ、その観点から重要性を有すると考えられる論考を三篇選んだものである」。

★ホイジンガ『中世の秋』上下巻は、1976年刊行の文庫版上下巻の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」シリーズの最新刊。原著は1919年刊。帯文はこうです。「刊行から100年、流麗な筆致で語られる、ヨーロッパ中世に関する画期的研究書」。江藤淳さんの言葉が推薦文として帯裏に惹かれています。「歴史をある厳しい完了としてとらえること。しかもそれをささいな手がかりをたよりに内側からとらえること。それが『中世の秋』におけるホイジンガを支えた叡知である」。

★第一版緒言でホイジンガはこう書いています。「この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつの豊かな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸い込まれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(9頁)。「あるうることなのだ。衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくものにいつまでも目を奪われがちな人の著述には、ややもすれば濃すぎるほどに、死が、その影を落としている」(同頁)。

★巻末の編集付記によれば、上巻は同文庫23刷(2014年2月)を底本とし、中公クラシックス版第Ⅰ巻(2001年4月)を参照、下巻は同文庫18刷(2011年5月)を底本とし、中公クラシックス第Ⅱ巻(2001年5月)を参照したとのことです。旧版巻末の原注と訳注は各章末に移設されています。下巻巻末にはホイジンガの使用した各種年代記や日記など史料の紹介と、ホイジンガの誕生から逝去、没後数年までの年譜、参考文献、索引、訳者解説(旧版のまま)が収められています。来現1月には高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』の改版が同シリーズから発売予定とのことです。

★草森紳一『随筆 本が崩れる』は、文春新書の一冊として2005年に刊行されたものの文庫化で、加筆修正の入った二刷を底本としたとのこと。附録として新たに5篇「魔的なる奥野先生」「本棚は羞恥する」「白い書庫 顕と虚」「本の精霊」「本の行方」が増補されています。うずたかく積まれたり雪崩を起こしたりしている本の写真の数々は壮絶です。巻末解説は平山周吉さんによる、親愛の情に満ちた「六万二千冊の「蔵書にわれ困窮すの滑稽」」。

★『季刊iichiko』第140号は、特集「ラカンの剰余享楽/サントーム」。特集内の収録論考は以下の通り。新宮一成「剰余享楽のある風景――ヘーゲル、ラカン、マルクス」、上尾真道「サントームについて――ラカンとジョイスの出会いは何をもたらしたか」、河野一紀「ボロメオ的身体と他者たちとの紐帯」、山本哲士「「ではない」ことの存在:ラカン理論のsinthomeへ(1)」、岡田彩希子「生きることの空白と目覚め――ラカンの対象a概念と産出物としてのその運命」、古橋忠晃「ラカンの観点から見た、現代社会の病理の一つである「ひきこもり」について」、松本卓也「享楽社会とは何か?」。松本さんの論文は、ご自身の著書『人はみな妄想する』から『享楽社会論』への道のりを説明するとともに、フーコー、ドゥルーズ、ラカンの議論を援用し、享楽社会とは何かについてさらに掘り下げたもの。

★ホフマン『くるみ割り人形』は、フィンランドのアパレル企業「マリメッコ」のデザイナーをつとめるサンナ・アンヌッカの挿絵による絵本シリーズの第3弾。これまでに、アンデルセン『モミの木』が2013年に、同じくアンデルセンの『雪の女王』が2015年に刊行されています。原書は『The Nutcracker』(Hutchinson, 2017)です。アンヌッカのイラストはどれも美しいので、プレゼント向きでもあるでしょう。ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」の世界観が好きな方はアンヌッカの絵本シリーズもきっと気に入るだろうと思います。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

ライプニッツ著作集 第I期 新装版[4]認識論:人間知性新論 上』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体8500円、A5判上製344頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-498-9
ライプニッツ著作集 第I期 新装版[5]認識論:人間知性新論 下』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体9500円、A5判上製392頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-499-6
抽象の力――近代芸術の解析』岡﨑乾二郎著、亜紀書房、2018年11月、本体3,800円、A5判上製440頁、ISBN978-4-7505-1553-3
アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著、河出新書、2018年11月、本体920円、352頁、ISBN978-4-309-63101-1
考える日本史』本郷和人著、河出新書、2018年11月、本体840円、256頁、ISBN978-4-309-63102-8
『歴史の中の感情――失われた名誉/創られた共感』ウーテ・フレーフェルト著、櫻井文子訳、東京外国語大学出版会、2018年11月、本体2,400円、四六判上製272頁、ISBN978-4-904575-69-7
百人一首に絵はあったか――定家が目指した秀歌撰』寺島恒世著、ブックレット〈書物をひらく〉16:平凡社、2018年11月、本体1,000円、A5判並製96頁、ISBN978-4-582-36456-9
歌枕の聖地――和歌の浦と玉津島』山本啓介著、ブックレット〈書物をひらく〉17:平凡社、2018年11月、A5判並製124頁、ISBN978-4-582-36457-6
ドイツ装甲部隊史――1916-1945』ヴァルター・ネーリング著、大木毅訳、作品社、本体5,800円、A5判上製512頁、ISBN978-4-86182-723-5

★新装版『ライプニッツ著作集 第I期』全10巻の第2回配本は、第4巻と第5巻の『人間知性新論』上下巻です。同書はジョン・ロックの『人間知性論』への反駁として書かれた対話篇で、ロックの立場を代弁するフィラレートと、ライプニッツの思考を開陳するテオフィルが議論を交わします。第4巻(上巻)には序文、第1部「生得的概念について」、第2部「観念について」を収め、巻末には谷川多佳子さんによる解説小論「微小表象の示唆――『人間知性新論』瞥見」と、人物相関図である「17・18世紀西欧思想関係図」が配しています。第5巻(下巻)には第3部「言葉について」、第4部「認識について」を収め、巻末には福島清紀さんによる「『人間知性新論』再興への一視点」と、岡部英男さんによる「観念と記号論的認識」の2篇の解説小論を併載するとともに、事項索引と人名索引を完備しています。なお現在、代官山蔦屋書店の人文書売場では訳者の福島清紀(ふくしま・きよのり:1949-2016)さんの遺著『寛容とは何か』(工作舎、2018年4月)を中心としたブックフェア「寛容から多様性を考える」が開催されています。

★岡﨑乾二郎『抽象の力』は前著『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001年;文春学藝ライブラリー、2014年)以来、実に17年ぶりとなる単独著です。表題作は、2017年4月から6月にかけて豊田市美術館で開催された特別展「岡﨑乾二郎の認識 ― 抽象の力 ― 現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」のカタログに掲載された論考を大幅に加筆修正したもの(第Ⅰ部「抽象の力 本論」)。続く第Ⅱ部「抽象の力 補論」には、書き下ろしの2篇(熊谷守一論、夏目漱石論)と内間安瑆論を含む全5篇を収め、第Ⅲ部「メタボリズム-自然弁証法」では白井晟一論3篇とイサム・ノグチ論を含む全5篇、第Ⅳ部「具体の批評」では美術評論家連盟による論集『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)に岡﨑さんが寄せた鋭利な論考「批評を招喚する」が加筆修正されて収められています。高階秀爾さんや浅田彰さんの推薦文は書名のリンク先でご覧いただけます。なお本書の続編がやはり「近代芸術の解析」という主題のもと、書き継がれていく予定だそうです。

★本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。

岡﨑乾二郎『抽象の力(近代芸術の解析)』の解説と分析
日時:2018年12月1日(土)14:00–17:00(13:30開場、途中休憩あり)
会場:港まちポットラックビル 1F(愛知県名古屋市)
定員:80名(当日13:00から整理券を配布します)。

近代芸術はいかに展開したか?その根幹を把握する。
日時:2019年1月12日(土)14:00~15:30(13:30開場)
会場:青山ブックセンター本店大教室(東京都港区)
定員:110名(要予約)

★河出新書が約60年ぶりの再始動。第1回配本は橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本『アメリカ』と、テレビでよくお見かけする本郷和人さんの『考える日本史』。橋爪さんは日本がアメリカの本質を理解できていないと指摘します。対談ではキリスト教とプラグマティズムに焦点を絞って分析し、最後には人種差別、社会主義への嫌悪、そして日米関係にも切り込みます。本郷さんは編集部から出された8つのお題「信、血、恨、法、貧、戦、拠、、知」とご自身が提示した2つのお題「三、異」の合計10題をめぐって即興でお話しになっています。どちらも話し言葉に近いせいか読みやすいです。河出新書は不定期刊。続刊予定はプレスリリースの末尾で予告されています。

★フレーフェルト『歴史の中の感情』は『Emotions in History: Lost and Found』(Central European University Press, 2011)の翻訳。ブダペストの中央ヨーロッパ大学で2006年から毎年行われている、ナタリー・ゼーモン・デイヴィス記念講演の2009年における発表が本書のもととなっています。目次詳細は出版会のブログをご覧ください。フレーフェルト(Ute Frevert, 1954-)はドイツの歴史家。2008年、ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所内に感情史研究センターを創設し、センター長を務めています。本書はそのセンターの最初期の成果でもあります。フレーフェルトの既訳には『ドイツ女性の社会史――200年の歩み』(若尾祐司ほか訳、晃洋書房、1900年)があるほか、直近では岩波書店の月刊誌『思想』2018年8月号(特集=感情の歴史学)において論文「屈辱の政治――近代史における恥と恥をかかせること」が翻訳されています。今回の新刊に解説「なぜ今、感情史なのか」を寄せておられる伊東剛史さんは『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年)という共編著を上梓されています。

★平凡社のブックレット「書物をひらく」の最新刊は2点同時発売。『百人一首に絵はあったか』は題名通り、現代人が競技かるたや坊主めくりなどで親しんでいるような歌仙絵を百人一首が成立当初から伴なっていたのかどうかに迫るもの。寺島さんの研究では絵が当初から存在した可能性が高いとのことです。『歌枕の聖地』は副題にある通り、和歌に長く詠まれてきた現・和歌山市の名所「和歌の浦と玉津島」の文学史をたどるもの。歴史的には地形の変化を経ながらも、上代、平安期、中世、戦国末期から近世まで、心の風景として詠み継がれたその歴史がひもとかれます。

★ネーリング『ドイツ装甲部隊史』は『Die Geschichte der deutschen Panzerwaffe. 1916–1945』(Propyläen-Verlag, 1969)のドイツ語原典からの初訳。類書は複数ありますが、装甲部隊の創設に尽力し第二次大戦の東部戦線において軍団長や司令官も務めたネーリング(Walther Nehring, 1892-1983)によるこの回想録は「本書を抜きにして戦車(パンツァー)を語れない不朽の古典」(帯文より)と目されているものです。第一部「新兵科線上に赴く」、第二部「第一次大戦後におけるドイツ装甲部隊の再建と組織――1926~1945年」、第三部「第二次世界大戦におけるドイツ装甲部隊――1939~1945年」の3部構成。職官表や命令書、報告書など、付録も充実。

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by urag | 2018-11-25 23:52 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 18日

注目新刊:ティモシー・モートン『自然なきエコロジー』以文社、ほか

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★まず、まもなく発売となる新刊4点をご紹介します。

自然なきエコロジー――来たるべき環境哲学に向けて』ティモシー・モートン著、篠原雅武訳、以文社、2018年11月、本体4,600円、四六判上製464頁、ISBN978-4-7531-0350-8
わたしの服の見つけかた――クレア・マッカーデルのファッション哲学』クレア・マッカーデル著、矢田明美子訳、アダチプレス、2018年11月、本体1,800円、四六判並製288+8頁、ISBN978-4-908251-09-2
アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ』栗原康著、岩波新書、2018年11月、本体860円、240頁、ISBN978-4-00-431745-6
小林秀雄』大岡昇平著、中公文庫、2018年11月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206656-4

★『自然なきエコロジー』は『Ecology without Nature』(Harvard University Press, 2007)の訳書。モートン(Timothy Morton, 1968-)の単著が訳されるのはこれが初めてです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。メイヤスー(1967-)『有限性の後で』(人文書院、2016年)、ハーマン(1968-)『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』(人文書院、2017年)、ギャロウェイ(1974-)『プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』(人文書院、2017年)、ガブリエル(1980-)『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年1月)などに続いて、ここしばらく日本に輸入されてきた哲学の新潮流を体感する上で欠かせない新刊です。本書は「あまりにも多くの人が大切であると考えている「自然」の観念そのものが、人間社会が「エコロジカル」な状態になるなら消えることになると論じて」います(4頁)。

★篠原さんは訳者あとがきで次のように本書の立場を説明しています。「モートンが本書でこころみたのは、エコロジーの概念から「自然」を取り除くことであり、それにより、エコロジーの概念を新しく作り直そうとすることである。/つまりエコロジーを、自然環境という客体的な対象としてとらえるのではなく、「とりまくもの」としてとらえること、人間にかぎらないさまざまな「もの」をとりまき存在させる「とりまくもの」として概念化することが主要課題である」(449頁)。モートンは第三章「自然な気エコロジーを想像する」でこう書いています。「要するに、環境は理論である。問いへの答えとしての理論ではなく、取扱説明書としての理論でもなく、問いとしての、疑問符としての理論であり、問いの中にあるもの、問うというまさにそのこととしての理論である」(338~339頁)。「私たちには心があり、そしてこの心が、それが作り出した歴史の中から自分を思考しようとする戦いにおいて、自然についての幻想を形成しているということを認めてきた。〔…〕自然のあったところに。私たちはいることになる。〔…〕エコロジーは、もしそれが何事かを意味するのだとしたら、自然がないということを意味する。私たちが自然を、イデオロギー的な理解関係に対抗しつつ前方および中心へと引っ張り出すときには、それは私たちがみずからを没入させることのできる世界であることをやめるだろう」(394頁)。

★「皮肉にも、徹底的に環境にやさしい思想について徹底的に考えることは、自然の観念を手放すことである。すなわち、私たちと彼ら、私たちとそれ、私たちと「彼方にあるもの」のあいだの美的な距離を維持するものとしての自然の観念を手放すことである。〔…〕人間ならざるものと一緒になろうとあせるあまり距離をも早急に棄て去ろうとするならば、距離についての私たちの偏見、概念に、つまりは「彼ら」についての概念にとらわれて終わることになるだろう。おそらくは、距離においてとどまるのは、人間ならざるものへとかかわるもっともたしかなやり方である」(396頁)。「到来することになる、絶対的に未知のことへと心を開いておくこと、これが究極の合理性である」(396~397頁)。「私たちはこの毒された地面を選択する。私たちは、この意味のない現実性と等しくなるだろう。エコロジーは自然なきものになるだろう。だがそれは、私たちがいない、というのではない」(397頁)。この結語にはまるでコミック版の『風の谷のナウシカ』の結末とだぶるような印象を覚えます。

★『わたしの服の見つけかた』は『What Shall I Wear?: The What, Where, When and How Much of Fashion』(Simon & Schuster, 1956)の訳書。著者のクレア・マッカーデル(Claire McCardell, 1905-1958)は1940~50年代のアメリカで活躍したファッションデザイナー。本書の目次や著者の似顔絵が表紙を飾った『TIME』誌の書影などは書名のリンク先でご覧いただけます。また、立ち読みもリンク先で可能です。「気まぐれで、おめでたくて、素晴らしくて、予測不可能なもの、それがファッションだと思っていてください。あなたらしく素敵になることが大切なのです。決してファッションの奴隷にならないように」(188頁)。これは「最新ファッションに身を包んでいないとだめ」と思い込んでいる人に対して書かれた言葉です。パーフェクトすぎてファッショナブルではないことや、人としての晴れやかさに欠けることに対してマッカーデルは「価値観がずれている」(同頁)とはっきり告げます。非常に興味深い本です。

★『アナキズム』は栗原さんにとって2016年3月の『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』に続く、岩波書店で2冊目となる書き下ろし。『村に火をつけ』は岩波としては破格な本でしたが、今回の新刊も歴史ある岩波新書としては規格外です。少しはマジメに書くのだろうかと思いきや(本当は思ってなどいませんが)、まったくそんなことはありません。書き出しはこうです。「チャンチャンチャチャーン、チャンチャチャチャチャチャーーーン♪ チャーンチャーンチャチャーン、チャーチャチャチャチャチャーーーン♪」(3頁)。もはや言葉ですらなく、音楽が鳴り響きます。3年前に『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書、2015年)を上梓した栗原さんは、今度は「だれにもなんにも、国家にも資本にも、左翼にも右翼にもしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない力」(7頁)をめぐり、歴史と文献を紐解きつつ歌いまくります。「仕事も、自分の命も、革命の大義も、そんなもんはどうでもいい。ぜんぶかなぐり捨てちまって、いまこの場で遊びたい、おどりたい、うたいたい。そうさせてやまない力がある。だいじなのは、その力にふれることだ。だれにもなんにもしばられない力を手にするってことだ」(216~217頁)。本書『アナキズム』は音読していい本です。栗原さん自身が『大杉栄全集』を歌うように音読して味わったように。

★『小林秀雄』は、大岡昇平さんが書いた、7歳年上の友人である小林秀雄をめぐる批評や書評、エッセイ、追悼文や弔辞など22篇をまとめたもの。大岡=小林対談もさらに2篇(「現代文学とは何か」1951年、「文学の四十年」1965年)、併録しています。巻末には山城むつみさんによる解説「アランを補助線として」が収められています。帯文はこうです。「親交55年、批評家の詩と真実をつづった全文集」。言うまでもありませんが「詩と真実」というのはゲーテの自叙伝の書名です。「小林さんは、自分一人の道を歩いた人だった」(223頁)と1983年に大岡さんは語っています。この場合の「自分一人の道」とは社会からひきこもった隠遁者のそれではないでしょう。山城さんの解説の末尾には、どこに矛先が向いているのか分かる人には分かる一文があります。同時代の刻印とも言えます。

★続いて発売済の今月新刊で最近出会った書目を3点ほどご紹介します。

非戦へ――物語平和論』藤井貞和著、編集室水平線、2018年11月、本体1,800円、四六判並製256頁、ISBN978-4-909291-03-5
オウムと死刑』河出書房新社編集部編、河出書房新社、2018年11月、本体1,550円、A5判並製208頁、ISBN978-4-309-24886-8
周作人読書雑記5』周作人著、中島長文訳注、東洋文庫:平凡社、2018年11月、本体3,300円、B6変判上製函入426頁、ISBN978-4-582-80892-6

★『非戦へ』は長崎の新しい出版社「編集室水平線」の書籍第3弾。詩人で日本文学研究者の藤井貞和(ふじい・さだかず:1942-)さんによる『湾岸戦争論――詩と現代』(河出書房新社、1994年)、『言葉と戦争』(大月書店、2007年)、『水素よ、炉心露出の詩――三月十一日のために』(大月書店、2013年)に続く「戦争論の完結編」(カバー表4紹介文より)です。主要目次は書名のリンク先をご覧ください。「〈戦争の起源〉〈戦争の本性〉――いわば未完の戦争学――への断片めく解決が、ようやく見えてきたという思いに駆られる」(61頁)と書く著者は、戦争学の始まりとして、虐殺・凌辱・略奪の「三点セット」が人類の初期からあった、という認識をしるします。本書には書き下ろしだけでなく1974年に発表した論考も収めていますが、著者にとって「戦争学」が長い間主題となっていたことを感じさせます。本書には「雨晴(あまはらし)」というPR誌の第1号が挟み込まれていました。「本は小さくて、遅いメディアです」と編集後記で西浩孝さんは書かれています。私もそう思います。

★『オウムと死刑』はオウム真理教の13人の死刑執行を受けて編まれたもの。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。帯文にある「あの七月以降、僕たちはもう、全員オウムの信者だ」というのは、作家の古川日出男さんの寄稿文の題名であり、末尾に出てくる一文です。オウム真理教が省庁制を敷いて国家を模したことを受け、古川さんはこう書きます。「彼らが侵した罪の根幹は〔…〕「国家(なるもの)」が持ちうる罪なのではないか?〔…〕僕たちは結局、この死刑の大量執行を(おおむね)容認することで、オウム真理教になった」(9頁)。この後にその一文が続きます。死刑制度を、そしてオウムを考える上で不可欠となるだろう一冊です。

★『周作人読書雑記5』は東洋文庫の第892巻。全5巻の完結です。最終巻となる第5巻では、『五雑組』などを含む「筆記」と、『水滸伝』などを含む「旧小説」に分類される75篇を収めています。巻末には全5巻の書名索引と全437篇の総目次が付されています。訳者の中島さんは巻末に長編論考「言えば俗になるか」を記しています。対日協力に走った周作人の「抗日戦争以後の「不弁解」主義」にポイントを絞って考察したものです。東洋文庫の次回配本は来年1月刊、『大清律・刑律1』とのことです。

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★先月から今月にかけての新刊で注目している書目を掲げます。

中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』上智大学中世思想研究所 編訳監修、平凡社ライブラリー、2018年11月、本体2,400円、B6変判並製664頁、ISBN978-4-582-76874-9
神とは何か――『24人の哲学者の書』』クルト・フラッシュ著、中山善樹訳、知泉書館、2018年10月、本体2,300円、4-6判上製188頁、ISBN978-4-86285-284-7
神――スピノザをめぐる対話 第一版・第二版』J・G・ヘルダー著、吉田達訳、法政大学出版局、本体4,400円、四六判上製468頁、ISBN978-4-588-01087-3
『モムス――あるいは君主論』レオン・バッティスタ・アルベルティ著、福田晴虔訳、建築史塾あるきすと、2018年10月、本体1,500円、A5判並製304頁、ISBN978-4-9908068-1-1
世界史の哲学講義――ベルリン 1822/23年(下)』G・W・F・ヘーゲル著、伊坂青司訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体1,260円、344頁、ISBN978-4-06-513469-6
新校訂 全訳注 葉隠(下)』菅野覚明/栗原剛/木澤景/菅原令子訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体2,260円、744頁、ISBN978-4-06-513802-1
全文現代語訳 浄土三部経』大角修訳解説、角川ソフィア文庫、2018年10月、本体1,080円、384頁、ISBN978-4-04-400420-0
悪魔全書 復刻版』佐藤有文著、復刊ドットコム、2018年11月、本体3,700円、B6判上製192頁、ISBN978-4-8354-5616-4
秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』J・ウォーリー・ヒギンズ著、光文社新書、2018年10月、本体1,500円、456頁、ISBN978-4-334-04375-9
退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』ジグムント・バウマン著、伊藤茂訳、青土社、2018年10月、本体2000円、46判並製214+vi頁、ISBN978-4-7917-7113-4

★『中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』は、平凡社ライブラリー版『中世思想原典集成 精選』全7巻の、第1巻。目次詳細はhontoなどで公開されています。単行本版の第1巻「初期ギリシア教父」、第2巻「盛期ギリシア教父」、第3巻「後期ギリシア教父・ビザンティン思想」から16篇を再録(凡例には17篇と記載)し、新たに巻頭に佐藤直子さんによる「解説」が、そして収録作のそれぞれの冒頭には新たな「解題」が、さらに巻末には森元庸介さんによるエッセイ「解釈、ひとつの技術値、またその極端な帰結――ピエール・ルジャンドルに即して」が加えられています。訳文に修正が入っているのかどうかは凡例からは読み取れません。投げ込みの同シリーズ紹介カタログによれば今回の『精選』の各巻予定は以下の通り。隔月刊とのことです。単行本版全20巻は現在品切が多いですが、こちらはこちらで何とか絶版にならないでほしいですし、再刊して欲しいと切に願うばかりです。

1)ギリシア教父・ビザンティン思想
2)ラテン教父の系譜
3)ラテン中世の興隆1
4)ラテン中世の興隆2
5)大学の世紀1
6)大学の世紀2
7)中世後期の神秘思想

★『神とは何か』は、12世紀に成立したというラテン語の『24人の哲学の書』のフラッシュによるドイツ語訳と説明を中心に、『24人の哲学の書』をめぐるフラッシュの研究論文数本をまとめた『Was ist Gott?, Das Buch der 24 Philosophen』(Beck, 2011)を訳出したもの。神をめぐる24通りの定義と注釈に、フラッシュが説明と考察を加えています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。24の定義はエックハルト、クザーヌス、ブルーノ、ライプニッツらに影響を与えたとされており、簡潔ながら非常に暗示的で興味深いです。たとえば定義1はこうです。「神はモナドであり、そのモナドはモナドを生み出し、そのモナドを自分のうちへと反射する唯一の灼熱した息としてあるのである」(24頁)。このほかにも積極的な意味で不可解かつ神秘的な定義が続きます。時空を超えて人のイマジネーションを内なる彼方へと誘う一冊です。

★ヘルダー『神』は『Gott. Einige Gespraeche』の第一版(1789年)と増補改訂版である第二版(1800年)の全訳。底本はズプハン版全集第16巻(1887年)。スピノザ哲学をめぐるいわゆる「汎神論論争」における重要書で、「論争のさなか、スピノザ哲学への肯定的な評価をはじめて明確に語ったのがヘルダーの『神』である。この対話篇は汎神論論争の新たな段階の開始を告げるものであり、ヘーゲルやシェリングといったひとつ下の世代における肯定的なスピノザ評価の先駆と言ってよい」と訳者解説にあります。今春は論争の火種となったヤコービの『スピノザの学説に関する書簡』(田中光訳、知泉書館、2018年4月)が刊行されましたし、来月にはNHK(Eテレ)の著名なTV番組「100分de名著」で國分功一郎さんがスピノザの『エチカ』について講じられる予定と聞きます。『シェリング著作集』も文屋秋栄より刊行が再スタートしましたし、工作舎版『ライプニッツ著作集』第Ⅰ期の新装復刊が始まり、先述の通り『中世思想原典集成 精選』や『神とは何か』が発売開始となりました。名著をひもとく読書の秋(立冬は過ぎましたが)となりそうです。

★『モムス』は、初期ルネサンス期イタリアにおける人文主義者で建築家のアルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404-1472)による長編諷刺譚『Momus fabula』のラテン語原典からの翻訳。訳者解題によれば「おそらく1440年半ばから書き始められ、1450年頃には一応できあがり、写本のかたちで当時の少数の知識層に読まれていたとみられる。アルベルティはかなり後までこれに手を加え続けていたようで、数種類の異稿がある。〔…〕生前には印刷刊行されることがなく、最初の刊行は1520年になってからのことである」とあります。本書は「主としてSarah Knight版(2003年)とMartelli版(2007年に依りながらRino Consolo版(1986年)とも照合しつつ進めたもの」であり、「「のちのマキァヴェッリの『君主論』やエラスムスの『痴愚神礼讃』、アリオストの『狂えるオルランド』、あるいはトマス・モアの『ユートピア』、ラブレーの『ガルガンチュア』などのルネサンス諷刺文学の先駆とすべきものである」と訳者の福田さんは評価しておられます。

★続いて文庫新刊を3点ほど。講談社学術文庫11月新刊のヘーゲル『世界史の哲学講義(下)』は、本論第二部「ギリシア世界」、第三部「ローマ世界」、第四部「ゲルマン世界」までを収録。巻末に訳者解説あり。全2巻完結です。『葉隠(下)』は聞書第八から第十一までを収録。巻末に木澤景さんによる「『葉隠』諸写本における天保本の位置――新たな分類説の試み」と、菅野覚明さんによる「あとがき」が配されています。全3巻完結。角川ソフィア文庫10月新刊の『全文現代語訳 浄土三部経』は、『阿弥陀仏と極楽浄土の物語――[全訳]浄土三部経』(勉誠出版、2013年)を大幅に加筆修正し、改題文庫化したもの。目次を以下に列記しておきます(参考までに親本の目次はこちら)。

はじめに くりかえされる言葉
本書の構成
第一部 阿弥陀経:極楽の荘厳
第二部 観無量寿経:阿弥陀仏と観音・勢至の観法
第三部 無量寿経 巻上:阿弥陀仏の四十八の本願
第四部 無量寿経 巻下:菩薩の戒めと励まし
日本の浄土教と文化
浄土教の小事典
おわりに 極楽浄土を信じられるか
参考・引用文献
索引

★最後に、ノスタルジーを掻き立てる2冊と、現代人が抱くノスタルジーを分析した社会学者バウマンの遺著について。『悪魔全書』は復刊ドットコムで初めての、講談社「ドラゴンブックス」からの復刻。初版は1974年刊。主な収録内容やサンプル画像は書名のリンク先をご確認ください。佐藤有文さんが手掛けた著書で復刊ドットコムより復刻されているのは、このほかに「ジャガーバックス」シリーズの『世界妖怪図鑑』と『日本妖怪図鑑』があります。子供向けの本としては今日なら諸事情で自己規制するほかない強烈な内容ですが、もちろん復刻版ではノーカットで、昭和をまざまざと思い出させてくれます。一方、『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』は帯文に曰く「元祖、カラー「撮り鉄」ヒギンズ氏がつぶさに記録した昭和30年代」。ただただ美しく懐かしい風景の数々に魅了されます。私自身まだ生まれていない時代の風景ですが、心惹かれるのは不思議です。タイムマシンに乗って見てきたかのような鮮やかな色彩のせいでしょうか。

★バウマン『退行の時代を生きる』は『Retrotopia』(Polity Press, 2017)の全訳。レトロトピアとは「未来=進歩のイメージを基にしているユートピアとは逆に未来への不安や恐怖心に根ざすものであり、ユートピア的な楽園に対する願望を過去に求めるものと言える」と訳者は説明しています。本書ではレトロトピアへと向かう四つの回帰が分析されます。ホッブズの言う「自然状態」(万人の万人に対する戦争)への回帰、排他的な同族主義への回帰、不平等や格差や分断への回帰、そして最後が子宮への回帰です。訳者によれば、子宮が意味するのは、閉ざされた自己への退行現象の極限としての「自らを脅かす他者が存在せず、自他の区別すらない完全な自己充足状態」です。バウマンはこれらの回帰への流れをせき止められるような特効薬は存在しないとしつつ、「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」(196頁)という人類の課題について強調しています。切迫した戦慄が胸に押し寄せてくる、危機の書です。

★ただし、回帰願望とは別に、過去への親密な接近には別の効用もあるようです。バウマンが言う「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」ことのヒントもまた、未来にではなく、歴史の中に隠されているように思います。なぜなら歴史とは単なる過去ではなく、今なお私が生き続けている繋がりであるからです。この繋がりのなかに分断や忘却もあります。この今の瞬間の中に過去も未来も折りたたまれています。ゆえに過去に学ぶことが未来を知ることにもつながるわけです。モートンが示した「絶対的に未知なこと」への開かれもまた、過去と距離感を保ちつつ学ぶことによっていっそうその因果からの離脱が図れるのだと言えるでしょうか。

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by urag | 2018-11-18 23:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 11日

注目新刊:『ゲンロン9』第Ⅰ期終刊号、ほか

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★まずは雑誌から。『新潮』12月号は11月7日発売、『ゲンロン9』は11月8日一般発売開始、『中央公論』12月号は11月9日発売です。

ゲンロン9』genron、2018年10月、本体2,400円、A5判並製382頁 ISBN978-4-907188-28-3
新潮 2018年12月号』新潮社、2018年11月、本体861円、A5判並製308頁、雑誌04901-12
中央公論 2018年12月号』中央公論新社、2018年11月、本体861円、A5判並製298頁、雑誌06101-12

★『ゲンロン9』は第Ⅰ期終刊号。2015年12月刊行の第1号から約3年、「第一期に展開した三つの特集を補う小特集を設け、第二期の企画につなげる討議や論考を収めた」と東さんの巻頭言にあります。小特集は「ロシア現代思想Ⅲ」「現代日本の批評Ⅳ」「ゲームの時代Ⅱ」の3本。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。今回で最後になるかもしれない巻頭言は「愛について」と題されています。そこで東さんは第一期の手応えをありのまま吐露しておられます。「この三年で、〔株式会社〕ゲンロンと〔雑誌〕『ゲンロン』のまわりに集う人々の数は何倍にもなり、批評の意義を理解するコミュニティは確実に大きくなった。ゲンロンが発する言葉は、専門的な読者にとどまらず、弊社が運営するカフェやスクールを通して、さまざまな職業や背景をもつ人々のコミュニケーションの場へと循環するようにもなった。弊社の経営がまがりなりにも成立しているのは、そのようにして集まった多様な方々の支援があるからでもある。ぼくはそこに、批評の再生のたしかな手応えを感じている」(29頁)。

★「批評を再生するとは、ほんとうは批評の場そのものを再生することだ〔…〕。そしてその場は、批評家の専有物であってはならないし、特別の知識を要求するものであってもならない〔…〕」(同頁)。「批評の場の再生は、ふだんは批評のことなど考えたことのないすべてのひとにとっても、絶対に必要なことのはずなのだ」(31頁)。「批評の再生とは、けっして小むずかしくて理屈っぽい言葉が再生することではない。ディレッタントな知識競争が復活することでもない。文化が危機に陥ったときに、それに対する愛を他者に対してきちんと説明できる場を確保し、維持することである」(同頁)。東さんは『ゲンロン』第Ⅰ期の巻頭言で「批評とは何か」を繰り返し問い続けてきました。私なりに解釈すれば、東さんが巻頭言の執筆という実践によって示してきたところの「批評」には、「読者へと橋渡しをすること」と「立場を引き受けること」という2点に大きなポイントがあったように思います。巻頭言には自己言及的なしんどさがつきものだとはいえ、この二つのポイントを実装することは、現実にはさほど簡単ではありません。

★アカデミックな研究者の場合、常に「橋渡しと引受け」から免除されうるような、特権的な「学問の純粋性」という幻想へと誘引されうる危うさがあるように見えます。それに対し、東さんは拠って立つ「場」を自分自身で作ろうとしてきたがゆえに、原則的にいかなる特権性にも甘んじるわけにはいかなかったはずです。その状況へと自身を追い込み、市場の荒波の中で身銭を切ってブリッジたらんとしてきたことがゲンロンを少しずつ強くしなやかにしたのでしょうし、これからもアカデミズムの動静とは無関係に強くしなやかになりうるでしょう。「第二期では巻頭言は書かないことに決めた。あわせて、ひとつの号の全体を覆う特集も設定しないことに決めた」(32頁)。「かわりにぼくは、第二期では、自分自身の思考を表現するあるていど長いテクストを、毎号必ず寄せることを約束したいと思う」(33頁)。「第二期の『ゲンロン』は、〔…〕第一期とは大きく性格が異なるものになるだろう」(35頁)。こうした転換は軽々しく決断しうるものではないですから、来年4月に発売予定の『ゲンロン10』にはいっそう注目が集まるだろうと思います。

★なお、東浩紀さんは11月7日発売の『文學界』12月号(文藝春秋)の特集「書くことを「仕事」にする」でも、インタビュー「職業としての「批評」」(聞き手=入江哲朗、10~23頁)を寄せておられます。ここでは『ゲンロン』やゲンロン・カフェの活動、そして東さん自身の「批評」観が再説されていますが、『ゲンロン』の巻頭言とは違った補助線も引かれているため、第Ⅰ期を振り返る上で重要なインタビューとなっています。

★このインタビューから四つほど論点を抽出しておきます。まず『新潮45』問題について、東さんはこう述べています。「理念と経営上の合理的判断とのあいだに衝突が起こるとすれば、原因は会社を大きくしすぎていることにあるんじゃないでしょうか。だとすれば、理念を維持しうる適正規模に会社を戻せばいいのだと思います。〔…ゲンロンは雑誌としても会社としても〕来たる第二期も、いまのバランスを維持しながら地道にやっていこうと思っています」(20頁)。単なるビジネス拡張路線を取ろうとしているわけではない、というスタンスは、興味深いポイントではないでしょうか。

★次に、リアルタイムで瞬間ごとを消費するコミュニケーションではなく、他者と時間をかけて向き合うことを重視しておられるという点。ゆっくりのろのろやるということではなく、時間をかけ、間を取るという良い意味で「スロー」な試みです。さらに批評的実践のアウトプットは文章を書くことだけではない、という点。これは誰しもが「書く」ことを職業にできるわけではないことを考えると、たいへん重要です。出版社は従来、コンテンツを販売することにのみ特化しがちでした。カフェやスクールなどの実践を通じて東さんは、客を消費者ではなく、人の心を動かす表現者として自立させようとしてきたのでしょう。その表現のありようはそれぞれの能力に応じたものでいいわけで、「書く」ことに限定されるものではない、と。

★最後に、批評は危機において必要なもので一種の「健康保険」のようなものである、という点。『ゲンロン9』の巻頭言でも、「ゲンロンはセキュリティ企業に似ている。あるいは保険会社に似ている」(31頁)と表現されていましたが、これはただの譬えに留まるものではないとかもしれません。後段で取り上げる一田和樹さんの新著『フェイクニュース――新しい戦略的戦争兵器』(角川新書、2018年11月)で描出されているような世論操作が日本でもすでに始まっている状況下では、批評の眼力というものが国民レヴェルで試されることになるためです。

★月刊『新潮』12月号と月刊『中央公論』12月号では、「新潮45」問題に関係した特集がそれぞれ組まれています。『新潮』の特集「差別と想像力――「新潮45」問題から考える」では7本の寄稿を読むことができます。星野智幸「危機を好機に変えるために」、中村文則「回復に向けて」、桐野夏生「すべてが嫌だ」、千葉雅也「平成最後のクィア・セオリー」、柴崎友香「言葉のあいだの言葉」、村田沙耶香「「見えない世界」の外へ」、岸政彦「権威主義・排外主義としての財政均衡主義」。特集とは別に岸さんは同号で130枚の書き下ろし「図書室」も寄せておられます。『新潮』は11月号で、高橋源一郎さんのエッセイ「「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を緊急掲載し、編集長の矢野優さんが同号の「編集後記」で意見表明されたのは周知の通りです。

★『中央公論』は特集名を「炎上する言論――『新潮45』休刊が問うもの」と題し、武田徹「休刊誌でたどる「編集」の困難――分断された読者を、雑誌は「総合」しうるか」、千葉雅也「くだらない企画に内包されたLGBTと国家の大きな問題」、薬師寺克行「元『論座』編集長が語る論壇史」の3本を掲載しています。同誌編集長の穴井雄治さんは「編集後記」にこう綴っておられます。「自身の立場に固執するだけでは意味がないのは、言論も同じです。『新潮45』の休刊騒動には、冷静に対話することの難しさを感じます。「政治は可能性のアートである」というビスマルクにならい、「妥協のアート」を磨く必要もありそうです」。妥協というとネガティヴな響きを感じ取りがちですが、ここで言われているのは議論をいかに公的に開かれたものとするかという苦心の内実ではあるでしょう。これは東浩紀さんが『ゲンロン9』の共同討議「日本思想の一五〇年――知識人、文学、天皇」の冒頭で語ったことと繋がるように思います。「いま日本の政治的言説は、右/左、与党/野党、保守/リベラル、改憲/護憲、安倍政権支持/「反アベ」といった対立が先鋭化し、たがいに連動して身動きが取れない状況になっています。一五〇年の複雑な歴史を辿り、読者がそうした対立を逃れる視座を確保できてばと思っています」(『ゲンロン9』38頁)。

★『新潮』『中央公論』の両方に発言を寄せておられるのは千葉雅也さんお一人です。『新潮』では、千葉さん自身の一連のツイートをまとめたあとに、見開き2頁3段組でその真意を端的に明かしておられます。「心からお願いしたい。本稿を、敵か味方かの二分法で読まないでほしい」(141頁下段)。断片的にしか千葉さんの発言に触れてこなかった方の中には千葉さんの本心がどこにあるのかつかみかねた方もいらっしゃったかもしれませんが、本稿はずいぶん見通しの良いものになっています。「グローバル資本主義による脱コード化は、LGBTの差別を解消していく――しかし、だからよいと単純に言うことはできない。グローバル資本主義による脱コード化とは、異質なものごとを交換可能にしていくということである。ものごとの差異は、たんに計算可能な剰余価値の源泉として取り扱われるようになる」(同頁上段)。「リベラルの主張は、ひじょうにしばしば資本の論理と共犯関係にある。警戒せよ。そこでは差異は、新たなビジネスの動因に転化される。差異は計数化=脱-質化される」(同頁中段)。「ひとつの「人類共和国」になればいいのか? そういう理想論があることもわかっている。だが僕は、世界は統一されない、しかし、分断と戦争の世界になるのでもない、という第三の道を考えてみたいのである」(同頁下段)。この第三の道を千葉さんは「差異の哲学」として記述するべく、目下格闘されているのでしょう。「いま改めて、差異とは何かを考える必要がある」(同頁上段)。

★『中央公論』の方は千葉さんが聞き手に答えるかたちのもの。聞き手の署名はありませんからおそらく編集部によるものでしょう。ここでは千葉さんのツイートをまったく読んでいなくても論旨を理解できるようになっています。インタビューだけあって、『新潮』末尾のテクストよりかはやや毒を含むものとなっているものの、そこは字面だけを撫でるべきではありません。リー・エーデルマン(Lee Edelman, 1953-)の『No Future: Queer Theory and the Death Drive』(Duke University Press, 2004)が主張した、国家への強烈な批判者としてのクィアの定義を取り上げつつ、反社会型と包摂型の衝突について論及されています。

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★また、最近では以下の注目新刊がありました。

フェイクニュース――新しい戦略的戦争兵器』一田和樹著、角川新書、2018年11月、本体840円、267頁、ISBN978-4-04-082244-0
『アニマル・ファーム』石ノ森章太郎著、ジョージ・オーウェル原作、ちくま文庫、2018年11月、288頁、ISBN978-4-480-43559-0
『生きる意味――人生にとっていちばん大切なこと』アルフレッド・アドラー著、長谷川早苗訳、興陽館、2018年11月、本体1,700円、四六判並製329頁、ISBN978-4-87723-232-0

★一田和樹『フェイクニュース』は、事実と異なる報道が「新しい戦略的戦争兵器」として意図的に運用されている実態について、国内外で起きていることをまとめた一冊です。著者は小説家で、近年では『ネットで破滅しないためのサバイバルガイド――サイバーセキュリティ読本【完全版】』(星海社新書、2017年5月)や、江添佳代子さんとの共著『犯罪「事前」捜査――知られざる米国警察当局の技術』(角川新書、2017年8月)などノンフィクションも手掛けられている、一田和樹(いちだ・かずき:1958-)さんです。日本で複数のサイバー関連企業の経営に携わられたのち、6年前からカナダに移住されておられます。最新作となる『フェイクニュース』の目次は以下の通りです。

はじめに
第一章 フェイクニュースが引き起こした約十三兆円の暴落
第二章 フェイクニュースとハイブリッド戦
第三章 世界四十八カ国でネット世論操作が進行中
第四章 アジアに拡がるネット世論操作――政権奪取からリンチまで
第五章 日本におけるネット世論操作のエコシステム
謝辞
おわりに
参考文献

★「はじめに」にはこうあります。「ハイブリッド戦とは兵器を用いた戦争ではなく、経済、文化、宗教、サイバー攻撃などあらゆる手段を駆使した、なんでもありの戦争を指す。この戦争に宣戦布告はなく、匿名性が高く、兵器を使った戦闘よりも重要度が高い」(6頁)。フェイクニュースは「情報が誤っているものだけでなく、ミスリードしようとしているもの、偏った解釈あるいは誤った解釈、偏った形での部分的な事実の開示など」(7頁)を指し、ネット世論操作は「ネットを通じて世論を誘導すること全般を指す」(同頁)。一番の見どころは第五章です。日本の現状に対する大胆な分析は、国内の書き手では容易に公言しえない側面を有しています。センセーショナルな内容を好む読者ではなく、ネット言論や政治家の図々しい発言に違和感を覚えている読者こそが読むべき本であるため、ネタバレは一切しないでおきます。「ネット世論操作はすでに産業化している。日本でも進行する民主主義の危機は「ハイブリッド戦への移行」を意味する」と帯文にはあります。ピンと来る方は本書の問題意識を各人で可能な限り掘り下げるべきです。「日本で起きていることをきちんと調査し、白日の下にさらし、これからなすべきことを考えなければならない時期にきている」(246頁)という指摘に強い共感を覚えます。

★『フェイクニュース』との併読をお薦めしたいのは9月に発売された、エドワード・ルトワック『日本4.0――国家戦略の新しいリアル』(奥山真司訳、文春文庫、本体800円、192頁、ISBN978-4-16-661182-9)です。特に第八章「地政学(ジオポリティックス)から地経学(ジオエコノミックス)へ」は『フェイクニュース』が言うところのハイブリッド戦へと至る戦略変化の背景を知る上で参考になります。ルトワックはこの章の元となる論文を1990年に書いているのです。本書は訳者の奥山さんが昨秋来日したルトワックに対して行った6回のインタヴューを中心に訳出したもの。ルトワックによる日本へのアドバイスは、アメリカの国益と日本の利害が重なっている絶妙な場所から語られているため、書かれてある通りの内容として受け取っていいであろう箇所と、裏読みを担保すべき箇所があることに、留意すべきかと思われます。第三章「自衛隊進化論」の扉裏に記載された梗概にはこうあります。「戦争で必要なのは、勝つためにはなんでもやるということだ。そして、「あらゆる手段」にはズルをすることも含まれる。目的は「勝つこと」であり、「ルールを守ること」ではないからだ」(52頁)。これはハイブリッド戦の特徴でもあります。

★現代人は『フェイクニュース』や『日本4.0』を通じて、世間でいうところの「戦後70年以上日本は戦争もなく平和だった」という認識の半分が間違いではなかったか、と気づくことになると思われます。戦争は戦後もかたちをかえてずっと続いてきたのではないか。自衛隊の合憲化が必要だとする改憲論が単純で滑稽なもののように聞こえるのは、世界戦争がとっくの昔に新たな段階へと突入してしまっていることがはっきりとは語られないからではないでしょうか。

★石ノ森章太郎『アニマル・ファーム』は、オーウェル『動物農場』の劇画化。小松左京原作の「くだんのはは」と、怪談牡丹燈籠を翻案しSF化した「カラーン・コローン」を併録しています。『アニマル・ファーム』は、農場主たちに虐げられた動物たちが決起し、人間を追い出して自治を得たものの、一部の動物のために楽園が新たな苦役と搾取の場に変貌していくさまを描いています。頭脳労働者を自称しつつ徐々に暴力的統治を強めて人間と結託し始める一部の動物たち。この諷刺が色あせることはないでしょう。理想社会の建設が欺瞞と貪欲と怠惰によって反転して醜悪な牢獄と化すその道筋は、人間がもっとも容易に繰り返しうる悪徳のひとつだからです。

★アドラー心理学の近年の爆発的なブームの中で、原典の新訳がここ数年で出始めています。桜田直美訳『生きるために大切なこと〔The Secience of Living, 1929〕』(方丈社、2016年)、そして今月、長谷川早苗訳『生きる意味〔Der Sinn des Lebens, 1933〕』が発売されました。これらに先行して2007年より2014年にかけて、アルテ版『アドラー・セレクション』が、ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013年)の共著者である岸見一郎さんの翻訳で刊行されてきたのは、周知の通りです。『生きる意味』においてアドラーはこう語っています。「ひとが誤る原因を最初に証明したのは個人心理学です。どのように進化から外れて失敗するかを理解すれば、人間は道を正して共同体につながるでしょう。/人生のあらゆる問題は、わたしが指摘したとおり、協力する能力と準備を求めます。これは共同体感覚の明らかな印です。この状態には、勇気と幸福が含まれています。勇気と幸福は共同体感覚にしか見られないものです」(300頁)。

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by urag | 2018-11-11 23:43 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 06日

月曜社12月新刊予定:『森山大道写真集成(1)にっぽん劇場写真帖』

月曜社新刊案内【2018年12月3日→17日取次搬入:芸術/写真】

森山大道写真集成(1)【第1回配本】
にっぽん劇場写真帖

写真:森山大道 文:寺山修司 デザイン:町口覚
A4判変型[天地308mm×左右228mm×束24mm]上製角背232頁
本体価格6,000円 ISBN:978-4-86503-067-9 C0072 重量:1,220g

デビュー作にして、写真史を塗り替えた名作(室町書房、1968年;フォトミュゼ/新潮社、1995年;講談社、2011年)。印刷と装いを一新し、写真家自身がディレクションに加わった決定版。

アマゾンにて予約受付中

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◎シリーズ「森山大道写真集成」の特徴
初期の名作を初版当時の画像サイズのまま再現し、トリプルトーンの印刷で新生させる決定版シリーズ。写真家自身による当時の回想、撮影にまつわるエピソード、撮影場所など、貴重なコメントを付して、資料的な側面も充実。

◎続刊予定
2019年7月第3回配本予定:(2)『狩人』(1972年中央公論社刊;2011年講談社刊)
2019年9月第4回配本予定:(3)『写真よさようなら』(1972年写真評論社刊;2006年パワーショベル刊;2012年講談社刊)
2019年4月第2回配本予定:(4)『光と影』(1982年冬樹社刊;2009年講談社刊)
2019年10月第5回配本予定:(5)『未刊行作品集』(1964-1976年撮影)

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by urag | 2018-11-06 16:05 | 森山大道 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 04日

注目新刊:千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社、ほか

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意味がない無意味』千葉雅也著、河出書房新社、2018年10月、本体1,800円、46判上製 296頁、ISBN978-4-309-24892-9
歴史からの黙示――アナキズムと革命(増補改訂新版)』千坂恭二著、松田政男/山本光久解説、航思社、2018年10月、本体3,600円、四六判上製384頁、ISBN978-4-906738-35-9
酸っぱい葡萄――合理性の転覆について』ヤン・エルスター著、玉手慎太郎訳、勁草書房、2018年10月、本体4,000円、四六判上製404頁、ISBN978-4-326-19970-9
社会的世界の制作――人間文明の構造』ジョン・R・サール著、三谷武司訳、勁草書房、2018年10月、本体3,900円、四六判上製360頁、ISBN978-4-326-15455-5

★千葉雅也『意味がない無意味』は2005年から2017年にかけて各媒体で発表されてきた23篇のテクストを改稿し、書き下ろしの「はじめに」と表題作論文を加えて1冊としたもの。帯文に「千葉雅也の哲学、十年間の全貌」とあります。「本書には、ドゥルーズ研究以外の、私の第一期における、自分自身に発する考察が示されている」(7頁)と千葉さんはお書きになっています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。論及される対象は哲学に留まらず、美術作品や小説、建築、音楽、さらにはギャル男、ストリート・ファッション、ツイッター、飲酒後のラーメン、ボディビル、プロレス、等々、多彩です。「2016年までを私の仕事の第一期として句切るならば、その間に私は、身体の哲学を作ろうとしてきたのだと思う。/〈意味がある無意味〉から〈意味がない無意味〉へ――それは思考から身体への転換だ。/考えすぎる人は何もできない。頭を空っぽにしなければ、行為できない」(12頁)。

★「考えすぎるというのは、無限の多義性に溺れることだ。ものごとを多面的に考えるほど、我々は行為に躊躇するだろう。多義性は、行為をストップさせる。反対に、行為は、身体によって実現される。無限に降り続く意味の雨を、身体が撥ね返すのである。身体で行為する。そのときに我々の頭は空っぽになる。行為の本質とは、「頭空っぽ性 airhead-ness」なのだ」(13頁)。「私が「思考停止」や「頭空っぽ性」といった概念をあえて肯定的に使用するのは、それこそが行為の条件だからである」(35頁)。「現実的な世界を生きるとは、潜在的に無限な多義性の思考から、有限な意味を身体によって非意味的に切り取ること――そして行為するということだ。行為の本質が、〈意味がない無意味〉なのである」(同頁)。

★「『動きすぎてはいけない』以来、次第にはっきりしてきたのは、私は、ドゥルーズにおいて必ずしも明確でなかった現実性の本質に考察を集中させているということだ。ドゥルーズは主著『差異と反復』で「潜在的なものの現実化」を論じた。そこでは、潜在性にプライオリティがあった――実在的なのは潜在性であり、現実性はそこから派生する次元である。これに対して、私は逆に、現実性の側にもうひとつの原理性を認められないかと考えるようになった」(36頁)。「ドゥルーズの構図を反転させる。ドゥルーズにおいては、潜在性の肯定が存在論の極致であり、〔…〕私はそれとは反対に、現実へと向かう。存在論のもうひとつの極致としての現実。ただたんなる現実、そうであるからそうだ、ということ」(同頁)。「ただたんなる現実、そうであるからそうだ、というトートロジーの閉域。意味がなく無意味な二度塗り。〔…〕まさにその自明性が、存在するということの過剰さ、存在の盛り上がりなのだとしたら」(37頁)。千葉さんの丁寧な整理と総括により、一見雑多に見える本書の「テクスト相互がリンクされていること」が浮かび上がります。

★千葉さんが出演する今月の二つのイベント情報についても記しておきます。


登壇者:立岩真也/千葉雅也/小泉義之(司会)
日時:2018年11月11日(日) 14:00-17:00
会場:ステーションコンファレンス東京(サピアタワー)4F(JR東京駅日本橋口直結)
※会場人数制限があるため要予約です(予約方法は催事名のリンク先に記載)。
 ご予約期間:2018年11月2日(金)9:00~11月7日(水)13:00
※抽選の可能性があります。
※当日参加分を若干ご用意していますが、会場が満席になりましたらお断りすることになります。その場合は大変申し訳ございませんがご了承ください。

内容:研究するとは、読み、書き、計算すること。しかし、読んで書いて計算すれば、研究になるかと言われれば、そうでもない。しかし、研究用に、読んで書いて計算すれば足りるかと言われれば、そうでもない。では、読み書き計算の何が、研究かそうではないかを決める? そして、読み書き計算の先には何がある? ─── 第一線の研究者が何を行い、そして何者になったのか(なるのか)を験しに語ってみます。


登壇者:千葉雅也/松本卓也
日時:2018年11月29日(木)16:30~18:00
場所:京都大学研究3号館1階共通155教室
※入場無料

内容:『意味がない無意味』刊行記念対談講演会。『勉強の哲学』について、さらには現代の思想(思弁的実在論ほか)や、病理(古典的「狂気」と自閉症スペクトラム)、芸術(創造性)の関係について対談形式で語り尽くす。科研費研究課題「精神分析理論をもとにした「狂気と創造性」の問いをめぐる包括的な思想史的研究」の一環として開催。

★千坂恭二『歴史からの黙示(増補改訂新版)』は、航思社さんのシリーズ「革命のアルケオロジー」の第7弾。凡例によれば『歴史からの黙示』(田畑書店、1973年)に「反アナキズム論序説」(『情況』1975年1-2月号)と『無政府主義』(黒党社、1970年)を増補したもの。「改訂にあたり、著者の監修のもと旧版の誤字脱字は可能なかぎり訂正し、若干の難解な表現を改めるとともに、新しい読者のために書誌情報などを追加した」とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には2篇の解説、松田政男「“癖”に昂まった原理」と、山本光久「〈観念〉の力」が付されています。あとがきによれば、『無政府主義』は「1970年の反安保闘争の直後の20歳の時に書き、少部数の冊子として出したまま現物を紛失し、以来、長らく行方不明の状態にあった」という幻の書。著者の知人が「古書店で見つけ、数万円という大枚を投じて購入してくれたおかげで、再会し本書に収録出来たのだった」とあります。この幻の本については「「無政府主義」と「アナキズム」」と題された2015年7月10日付の日記で著者自身も言及しています。

★エルスター『酸っぱい葡萄』は『Sour Grapes: Studies in the Subversion of Rationality』(Cambridge University Press, 1983/2016)の全訳。ノルウェーに生まれ欧米で活躍してきた社会科学者のエルスター(Jon Elster, 1940-)の3冊目の訳書で、勁草書房さんのシリーズ「叢書・現代倫理学」の第4弾です。本書の原書より後に刊行された著書2点、『社会科学の道具箱』(原著、1989年;訳書、ハーベスト社、1997年)、『合理性を圧倒する感情』(原著、1999年;訳書、勁草書房、2008年)は既訳。「『酸っぱい葡萄』〔というタイトル〕は、〔…〕一つの選択の基礎となる選好は制約によって形づくられることがありうる、という考えを表現している」(v頁)と著者は書きます。それが本書が提起した概念「適応的選好形成」であり、「実行可能な選択肢が貧弱である場合に、そこからでも十分な満足を得られるように選好を切り詰めてしまうこと」(訳者解説、351頁)を指しています。貧しい選択肢しか選べない時に人間がそうした状況に適応しようとする傾向を持っているというのは、現代人が特に選挙において直面してきた現実ではないでしょうか。本書のアクチュアリティはこんにちいよいよ露わになってきたように思われます。

★サール『社会的世界の制作――人間文明の構造』は『Making the Social World: The Structure of Human Civilization』(Oxford University Press, 2010)の全訳です。序文冒頭には「本書で試みるのは、人間の社会的・制度的現実の基本的な性質とその存在のあり方――哲学用語でいうなら本質と存在論――の説明である。民族国家や貨幣、また会社やスキークラブや夏休みやカクテルパーティやアメフトの試合、これらが「存在する」と言われるとき、その「存在する」とはいったいどういうことなのか、それを考えたい。特に社会的現実の創出、構成、維持に際し、言語がはたす役割については、とりわけ厳密な説明を与えたいと思っている」(v頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書はサールの『社会的現実の構築〔The Construction of Social Reality〕』(The Free Press, 1995:未訳)の続編であり、訳者は「この社会的存在論を、サール哲学の集大成ないし終着点と見るのは決して無理な態度ではあるまい」と解説で評価されています。なおサールは今月、文庫でも新刊が発売予定なので、以下で触れておきます。

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★11月8日に発売となる、ちくま学芸文庫の11月新刊5点をご紹介します。

『MiND――心の哲学』ジョン・R・サール著、山本貴光/吉川浩満訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,500円、464頁、ISBN978-4-480-09885-6
『基礎づけるとは何か』ジル・ドゥルーズ著、國分功一郎/長門裕介/西川耕平編訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09887-0
『わたしの城下町――天守閣からみえる戦後の日本』木下直之著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,400円、416頁、ISBN978-4-480-09893-1
『人身御供論』高木敏雄著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,200円、304頁、ISBN 978-4-480-09896-2
『関数解析』宮寺功著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09889-4

★サール『MiND』は、朝日出版社から2006年に刊行された訳書の文庫化です。原書は『Mind: A Brief Introduction』(Oxford UNiversity Press, 2004)。訳者による「ちくま学芸文庫版への付記」によれば、「文庫化にあたり、訳文を見直し表現を改めた箇所がある。また、言及されている文献について気づいた限りで書誌を更新した」とのことです。第一章「心の哲学が抱える12の問題」にはこうあります。「本書の狙いは、読者に心の哲学を手ほどきすることだ。〔…〕本書は、心の哲学こそが現代哲学で最も重要なテーマであり、現在の標準的な見解――二元論、唯物論、行動主義、機能主義、計算主義、消去主義、随伴現象説――はすべて誤っているという確信のもとに書かれている」(21頁)。訳者二氏は、サールの平易な文体と「心の哲学」をめぐる包括的な見取り図、そしてサール自身の独自見解に触れつつ、本書を「40年に及ぶ著者の研鑽とキャリアによってはじめて可能になった名人芸」であり、「単なる教科書に留まらない魅力」を有するものと評価しています。

★ドゥルーズ『基礎づけるとは何か』は、國分功一郎さんの「解説」によれば「ドゥルーズの初期の講義、入手が難しかった論文を独自にセレクトした日本語版オリジナルの翻訳書」。目次を以下に列記します。

1 基礎づけるとは何か 1956-1957 ルイ=ル=グラン校講義
 第一章 自然と理性
 第二章 「基礎すなわち根拠の本質をなすもの」(ハイデガー)
 第三章 基礎と問い
 第四章 原理の基礎
 全体の結論
2 ルソー講義 1956-1960 ソルボンヌ
 自然状態についての二つの可能な考え方
 『新エロイーズ』について
 自然状態
 ルソーの著作の統一性
 社会契約
 ルソーにおける市民の法の観念
3 女性の記述――性別をもった他者の哲学のために
4 口にすることと輪郭
5 ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ
 原註/訳註
 解題
解説

★「基礎づけるとは何か」は「ウェブ・ドゥルーズ」で公開されている、ピエール・ルフェーブルの筆記録の翻訳。「ルソー講義」はリヨン高等師範学校所蔵のタイプ原稿の翻訳。『女性の記述」は「ポエジー45」誌第28号(1945年10-11月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社、2016年)に宇野邦一さんによる既訳「女性の叙述」あり。「口にすることと輪郭」は「ポエジー47」誌第36号(1946年12月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』に宇野邦一さんによる既訳「発言と輪郭」あり。「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ」は「アルギュマン」誌第5期第21号(1961年第1四半期号)掲載のテクストの翻訳で、初出は國分さんによる訳と解題で、みすず書房の月刊誌「みすず」2005年4月号に掲載。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』では宇野邦一さんによる訳が収録されています。

★木下直之『わたしの城下町』は筑摩書房より2007年に刊行された単行本の文庫化。巻末には、文庫あとがき「この十二年間に「お城とお城のようなものの世界」で起った出来事について」が付されています。序「お濠端にて」では本書の主題が「近代日本におけるお城の変貌」であると説明されており、「お城のようなもの」というのが何であるかは序の次のくだりを読むと明らかです。「本書で尋ね歩くお城の大半は、戦争が終わったあとに、いわば平和のシンボルとして生まれてきたものである。〔…〕お城は、武威とは対極の何ものかを示す場所に変わった。それが何であるのかを、そして、敗戦後の日本人がお城に何を期待したのかを、これから考えてゆきたい」(15頁)。例えば序の末尾で言及されている浜松城は1958年に再建されたもの。ちなみに単行本版の版元紹介文は以下の通りでした。「戊辰戦争以降、攻防の要たるお城はその意味を失うかに見えた。が、どっこい死んだわけではない。新たな価値をにない、昭和・平成を生き続けている。ホンモノ、ニセモノ、現役、退役…、さまざまなお城から見えてくる日本の近・現代史」。

★高木敏雄『人身御供論』は宝文館出版より1973年に刊行された単行本の文庫化。再刊にあたって解説「ささげられる人体」を寄稿した山田仁史さんの協力のもと、初出や原典等と照合して明らかな誤りを修正したとのことです。「人身御供論」「人狼伝説の痕跡」「日本童話考」の三部構成。民俗学者の高木敏雄(たかぎ・としお:1876-1922)さんは柳田國男の同時代人であり、柳田とともに月刊誌『郷土研究』を創刊。筑摩書房さんでは『日本伝説集』(郷土研究社、1913年;宝文館出版、1973年;ちくま学芸文庫、2010年)に続く文庫化です。現在は品切ですが『童話の研究』(婦人文庫刊行会、1916年;講談社学術文庫、1977年)というのもありました。

★宮寺功『関数解析』は理工学社から1972年に初版が、1996年に第2版が刊行された単行本の文庫化。再刊にあたり、早稲田大学教育・総合科学学術院教授の新井仁之さんが解説をお書きになっておられます。帯文に曰く「定理・証明の丁寧な積み上げで初学者にも読みやすい名教科書」と。「Banach空間」「線形作用素」「線形汎関数」「共役空間」「線形作用素方程式」「ベクトル値関数」「線形作用素の半群」の全7章だて。親本の版元である理工学社は2013年に解散。国会図書館で検索すると、1940年代から同名の出版社の刊行物を確認できます。

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by urag | 2018-11-04 22:26 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)