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2018年 07月 30日

非売品小冊子:本棚会議vol.1「月曜社『多様体』と哲学雑誌の系譜」

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ジュンク堂書店池袋本店4F人文書売場で無料配布中の小冊子(A5判中綴1段組28頁)「本棚会議vol.1 月曜社『多様体』と哲学雑誌の系譜」の第二版ができあがったようです(Iさん、Mさん、いつもありがとうございます)。たくさんの方々にお読みいただいているようで光栄です。無料配布の冊子なのに「第二版」というのは本屋さんらしいというか、面白いですね。「第二版」と言っても内容に変更はありません。ふつうの増刷です。ただ、裏表紙に「本棚会議とは?」という紹介文が新たに入っています。

本棚会議は私がお邪魔した4月の第1回から、様々なゲストを招いて毎月開催されてきています。今月21日に行われた洪貴義さんと早尾貴紀さんの「ポストコロニアリズムを再考/再興する」は第3回と発表されていましたが、数え直しで事後的に第5回となったようです。来月末には第6回が開催予定。社会学者の鈴木洋仁さんによる「平成最後の夏に「平成」を振り返る」です。鈴木さんは4年前に『「平成」論』(青弓社ライブラリー、2014年4月)を上梓されています。本当に平成がもうすぐで終わるのですね。感慨深いです。

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ちなみに「多様体」誌関連の非売品小冊子はこれで3点目になります。「多様体第零号 死なない蛸」(文庫判中綴62頁、限定60部、月曜社/八重洲ブックセンター本店、2016年7月)、「編集人小林浩さんインタビュー」(聞き手=宮台由美子、A5判中綴2段組8頁、限定50部、代官山蔦屋書店、2018年2月)、「本棚会議vol.1 月曜社『多様体』と哲学雑誌の系譜」(聞き手=森暁子、ジュンク堂書店池袋本店、2018年7月)です。様々な本屋さんに助けていただいて、本当にありがたいことです。「死なない蛸」と「インタビュー」はそれぞれ店頭で、特別付録として創刊号とセットで販売(在庫の有無は本屋さんにご確認下さい)。「系譜」は店頭で無料配布されています。

ほぼ同時期の今年3月に公開開始となった、首都大「人文学報」の拙文「人文書出版と業界再編:出版社と書店は生き残れるか」は累計2290回もダウンロードしていただいたようで、恐縮するばかりです。

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by urag | 2018-07-30 11:59 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 29日

注目新刊:新鋭によるドゥルーズが目白押し『眼がスクリーンになるとき』『カオスに抗する闘い』、ほか

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眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』福尾匠:著、フィルムアート社、2018年7月、本体2,200円、四六版並製304頁、ISBN978-4-8459-1704-4
カオスに抗する闘い――ドゥルーズ・精神分析・現象学』小倉拓也:著、人文書院、2018年7月、本体4,500円、4-6判上製366頁、ISBN978-4-409-03100-1
ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』仲正昌樹:著、作品社、2018年7月、本体2,000円、46判並製448頁、ISBN978-4-86182-703-7

★7月26日発売で3点のドゥルーズ論が刊行されています。そのうち、まず2点のデビュー作から。まず1点めの『眼がスクリーンになるとき』は、ドゥルーズの『シネマ』をめぐる修士論文を大阪大学に昨年提出した福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さんによる書き下ろし。修論の直後に現代美術展「クロニクル、クロニクル!」の関連イベントとして行われたレクチャー「5時間でわかるドゥルーズ『シネマ』」が本書執筆のきっかけとなっているとのことです。帯文には千葉雅也さんの推薦文が記載されています。曰く「目からウロコの超解読」と。

★『シネマ』は哲学書であり、映画に喚起された諸概念を発明している、と福尾さんは述べます(287頁)。「理論と実践の分割などでなく、映画も哲学も固有の「思考」をそなえた実践である。できあいの理論を「適用」するのでなく〔…〕、「見たままの〔リテラルな〕イメージしか信じない」という態度が必要とされている」(同)。これは適用主義を避けるための前提であり、「物の知覚」という境位を示している(同)。「このリテラルなイメージの全面化は破局的でもある。身動きが取れず、見ていることしかできず、思考は不可能性に直面し……といった一連の不可能性と切り離せないからだ」(287~288頁)。「われわれが〔…〕考えてきたのは、この破局はいかにして回避されうるのかということだ」(288頁)。「本書は「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれる」(11頁)。これは現代人にとっても非常にアクチュアルな問題だと思います。

★二つめ。福尾さんのあとがきの謝辞に登場する小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さんも、大阪大学に3年前に提出された博士論文を改稿した『カオスに抗する闘い』を上梓されました(ちなみに福尾さんは『眼がスクリーンになるとき』第五章の注6において小倉さんの博士論文に言及し、参考文献にも掲げています)。小倉さんのあとがきの謝辞には今度は福尾さんが登場するのですが、親愛の情に溢れているという印象です。小倉さんの著書は「ドゥルーズ哲学を、晩年に前景化する「カオスに抗する闘い」という観点から体系的に読解するもの」(20頁)。ドゥルーズ哲学の「秘密の一貫性」を明らかにし、その哲学を新たな相貌のもとに(21頁)捉える試みです。「ドゥルーズ哲学をその総体において捉えるなら、表象=再現前化の批判によって見いだされる下-表象的なものとしてのシステムは、そもそも「カオスに抗する闘い」によってはじめて存立可能となるものなのである」(22頁)。

★「思考は自分自身から逃れ去り、観念は漏出し、感覚は要素を取り逃がし、何ひとつとどまることなくほどけていく。カオスから出来したものたちの、カオスへの不可逆的な崩壊。これが『哲学とは何か』における「老い」の問題である」(26~27頁)。「カオスに抗する闘い」は「私たちが生まれて、生きて、死んでいく存在であるかぎり、敗北を余儀なくされた、勝ち目のない闘いなのである。だからこそドゥルーズは、カオスを切り抜け、崩壊を乗り越える、「「来るべき民衆」の影」――それは「影」でしかない――を幻視することで、『哲学とは何か』を閉じることになる」(27~28頁)。「カオスに抗する闘いとは、経験を構成しうる諸要素が、現れると同時に消えていき、いかなる形態もなすことがない、そんな空虚から、様々な程度の一貫性――局所的なもの、大域的なもの、開かれたもの――を構築し、それらをシステムと呼ばれるものへと総合すること、そして、そのような構築や総合が破綻し、空虚へと落下する危機には、それに反発し、最小限の一貫性を保持することである」(355頁)。老いて疲労していくドゥルーズに果敢に向き合いつつ、そこから生々しい力を引き出した労作ではないでしょうか。

★最後に、仲正昌樹『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』は、2016年9月から2017年2月に読書人スタジオで行われた全6回の連続講義に大幅加筆したもの。主要目次は以下の通りです。

はじめに
講義第一回 新たなる哲学のマニフェスト――第一章
講義第二回 精神分析批判と家族――第二章第一節~第六節
講義第三回 エディプス・コンプレックスの起源――第二章第七節~第三章第三節
講義第四回 資本主義機械――第三章第三節後半~第一〇節
講義第五回 「分裂分析」と「新たな大地」への序章――第三章第一一節~第四章第三節
講義第六回 分裂しつつ自己再生し続ける、その果て――第四章第四節~第五節
あとがき
わけのわからない『アンチ・オイディプス』をよりディープに理解するための読書案内
『アンチ・オイディプス』関連年表

★『アンチ・オイディプス』の分かりにくさをめぐって、400頁を超えるヴォリュームで丁寧に解説を加えた本書は、1頁あたりの文字数も多いのでかなり読み応えがあります。『千のプラトー』に比べても『アンチ・オイディプス』が難解である理由の一端を、仲正さんは次のように説明されています。「恐らくドゥルーズ+ガタリの認識では、「エディプス」言説は、西洋の知識人、特に精神分析や構造主義、現象学などを学び、そのスタイルを取り入れた、エリート知識人たちの思考・表現様式を――本人たちが自覚しないうちに――かなり深いところまで規定しており、彼らにとっていつの間にか半ば常識化している。教科書的にきれいに記述すると、彼らの“常識”に揺さぶりをかけることができず、素通りされてしまう可能性がある。あまりに文学的、場合によっては、(私たちが生きる社会で)“狂気”と見なされるような言葉でないと、響かないかもしれない。それらの効果を計算に入れて、全体の流れが構成され、文体が選択されているように思える」(3頁)。

★仲正さんの講義は昨年末に発売された、佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんのお二人による『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチエ、2017年)とは対照的で、ドゥルーズとガタリのコンビを「革命」の方向性では読んではいません。そうした読解は、後半の第四回から第六回の講義と質疑応答から窺えると思います。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

誰のために法は生まれた』木庭顕:著、朝日出版社、2018年7月、本体1,850円、四六判並製400頁、ISBN978-4-255-01077-9
労働者のための漫画の描き方教室』川崎昌平:著、春秋社、2018年7月、本体1,800円、四六判並製472頁、ISBN978-4-393-33363-1
暴力とエロスの現代史――戦争の記憶をめぐるエッセイ』イアン・ブルマ:著、堀田江理:訳、人文書院、2018年7月、本体3,400円、4-6判上製360頁、ISBN978-4-409-51078-0
原発事故後の子ども保養支援――「避難」と「復興」とともに』疋田香澄:著、人文書院、2018年8月、本体2,000円、4-6判並製276頁、ISBN978-4-409-24121-9
現代思想2018年8月号 特集=朝鮮半島のリアル』青土社、2018年7月、本体1,400円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1368-4

★木庭顕『誰のために法は生まれた』は、4月にみすず書房から『憲法9条へのカタバシス』を上梓し、遠からず『現代日本法へのカタバシス』(羽鳥書店、2011年)の新版を同じくみすず書房から刊行予定だというローマ法研究者による、親しみやすい一冊。2017年9月~11月にかけて横浜市の桐蔭学園で中高生を相手に行われた全5回の授業を記録したものだそうです。映画の「近松物語」(溝口健二監督、1954年)や「自転車泥棒」(ヴィットーリオ・デ・シーカ監督、1948年)、ローマ喜劇のプラウトゥス「カシーナ」および「ルデンス」、ギリシア悲劇のソフォクレス「アンティゴネー」および「フィロクテーテース」、さらには日本の最高裁の判例集などを題材に、中高生と「老教授」がざっくばらんな議論を交わします。ともすると現実離れしてしまいがちな法律をめぐる話を、人生に関わる視点で捉え直す、非常にしなやかな対話篇です。なお本書は同社の「高校生講義シリーズ」の最新刊とのことです。

★川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』は、これまでの川崎さんの執筆活動や編集者としての生きざまのエッセンスをすべて投入して昇華させた、入魂の一書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「はじめに」に曰く「本書の目標は、毎日を懸命に働く労働者に、漫画という表現手法を手にしてもらうという、その一点に尽きる。そのための思考を、全霊を賭して伝えるのが、本書の役割である」(3頁)。「別に私は「表現者になれ!」と主張しているのではない。そうではなく、労働者としてあり続けるためにも表現をしよう、表現者としての側面を自分に築いて、疲れた心身を蘇らせようと呼びかけたいのである」(5頁)。「忙しいという理由で、あなたは表現を放棄してはいけない。なぜならば、表現をしなければ、あなたは忙しい日々に漫然と殺されてしまうかもしれないからだ」(4頁)。試し読み小冊子で、本書の位置づけを「過酷な現代を生き延びるための「哲学書」」としているのは、なるほどなと思いました。

★イアン・ブルマ『暴力とエロスの現代史』は、2014年に刊行されたブルマの評論集『Theater of Cruelty: Art, Film, and the Shadows of War〔残酷の劇場――芸術、映画、そして戦争の影〕』に収録された全28篇から序文を含む15篇を選び、さらに各紙誌に寄稿した2篇を加えて一冊とした、日本版オリジナル編集本です。「戦争、その歴史と記憶」「芸術と映画」「政治と旅」の三部構成。ここ20年の間に発表されたものばかりです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。ブルマの鋭い批評精神は本書のもっとも初期のテクスト「被害者意識、その喜びと危険性」(1999年)にも如実に表れています。東アジア研究や中国現代史研究で著名なシュワルツ(Vera Schwarcz, 1947-)の著書『Bridge across Broken Time』(Yale University Press, 1998)に対して「これは非歴史的な本だ。犠牲者の歴史的な経験が、一種の「苦しみのスープ」に混ぜ合わされて調理されている」(33頁)と厳しく指摘しています。このテクストの末尾でブルマは「癒し」を求める言説や感傷主義に注意を喚起しつつ、真実とフィクションの区別を曖昧にすることの危険性に警告を発しており、こんにちの「ポスト・トゥルース」の議論を先どりしているように感じました。

★疋田香澄『原発事故後の子ども保養支援』はまもなく発売。福島原発事故以後の、保護者や子供たちへの支援活動のひとつである「保養」をめぐる本。保養とは転地療養であり「心身の健康回復を目的として汚染が少ない地域へ移動するプログラム」(11頁)である、自然体験やリフレッシュキャンプなどの活動。誰もが被ばくのリスクを不当に押し付けられない権利を持っているはずだ、という著者の信念のもと、参加者や支援者など様々な関係者らの肉声を紹介し、危険に常にさらされている人々とその社会が抱える様々な問題を取り上げています。カバーに使用されている写真の、橋の上でリュックを背に走り出す子供たちの背中が印象的です。

★『現代思想2018年8月号 特集=朝鮮半島のリアル』は、李鍾元+梅林宏道+鵜飼哲の三氏による討議「南北の平和共存と北東アジアの未来――南北首脳会談・米朝首脳会談はいかなる可能性を拓いたのか」にはじまり、北朝鮮、米朝交渉、核問題、脱北者、離散家族、ろうそく革命、フェミニズムなどの切り口から主題に接近する論考が並んでいます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『現代思想』9月号は特集「考古学の思想」、10月臨時増刊号は総特集「マルクス・ガブリエル(仮)」とのことです。

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by urag | 2018-07-29 23:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 27日

注目新刊:『レヴィナス著作集』全三巻完結、シャマユー『ドローンの哲学』

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★渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
訳書と共訳書を立て続けに2点上梓されます。

レヴィナス著作集 3 エロス・文学・哲学
E・レヴィナス:著 ジャン=リュック・ナンシー/ダニエル・コーエン=レヴィナス:監修 渡名喜庸哲/三浦直希/藤岡俊博:訳
法政大学出版局 2018年7月 本体5,000円 A5判上製460頁 ISBN978-4-588-12123-4

ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争
グレゴワール・シャマユー:著 渡名喜庸哲:訳
明石書店 2018年8月 本体2,400円 4-6判並製352頁 ISBN978-4-7503-4692-2

まず『レヴィナス著作集 3 エロス・文学・哲学』は発売済。未刊行テクストを集成した著作集全3巻の完結編です。原著は『Oeuvres complètes, Tome 3:Eros, littérature et philosophie』(Grasset, 2013)。ナンシーによる序「序 レヴィナスの文学的な〈筋立て〉」のほか、哲学的小説の試みである「エロス(あるいは「悲しき豪奢」)」「ヴェプラー家の奥方」をはじめ、「エロスについての哲学ノート」や、青年期のロシア語著作など、注目すべきテクストばかりです。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。渡名喜さんはナンシーの序と「エロス」の翻訳を担当され、訳者あとがきも担当されています。なお、原著は全7巻予定で、4巻以後は既刊著作の最新校訂版が続いてゆくものと思われます。

一方、シャマユー『ドローンの哲学』はまもなく発売(7月31日頃)。『Théorie du drone』(La fabrique, 2013)の全訳です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。渡名喜さんによる懇切な訳者解題「〈無人化〉時代の倫理に向けて」シャマユー(Grégoire Chamayou, 1976-)はフランスの哲学者で、CNRS(フランス国立科学研究所)の研究員。指導教官はドミニク・ルクールだったそうです。著書に『卑しい身体――18世紀から19世紀にいたる人体実験』(2008年)、『人間狩り』(2010年)などがあり、日本語訳が出るのは今回が初めてです。「本書が対象にしているのは、ドローン全般ではなく、2000年代以降とりわけアメリカにおいて本格的に活用されている軍事兵器としてのドローンである。軍関係者や研究開発に携わる「推進派」の研究者たちの発言から、マスコミや批判的な立場の言説まで、幅広いリサーチに基づいて、遠隔テクノロジーによる殺害がどのような問題をはらんでいるのか、そしてそれが社会や人々に対して、さらにこれまで当然だと思われていたいくつもの考え方に対してどのような影響を及ぼすのかについて、根本的な考察を加える著作である」(266頁)と渡名喜さんは紹介しておられます。2018年下半期の必読書となるのではないでしょうか。

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by urag | 2018-07-27 12:44 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 26日

月曜社8月近刊案内:ブルワー=リットン『来るべき種族』

2018年8月21日取次搬入予定:イギリス文学/SF

来るべき種族[きたるべきしゅぞく]
エドワード・ブルワーリットン著 小澤正人訳
月曜社 2018年8月 本体:2,400円 46判並製304頁 ISBN: 978-4-86503-063-1

アマゾン・ジャパンにて予約受付中

地球内部に住む地底人の先進的な文明社会ヴリル=ヤとの接触をつぶさに描いた19世紀後半の古典的小説。卓越した道徳と科学力、超エネルギー「ヴリル」と自動人形の活用により、格差と差別だけでなく、労働や戦争からも解放された未知の種族をめぐるこの異世界譚は、後世の作家やオカルティストたちに影響を与え続けている。神秘思想、心霊主義、ユートピア思想、SFなどの系譜に本作を位置づける訳者解説を付す。2007年刊行の私家版に改訂を加えた決定版。【叢書・エクリチュールの冒険:第12回配本】

エドワード・ブルワー゠リットン(Edward Bulwer-Lytton, 1803–1873):イギリスの政治家・小説家・劇作家。初代リットン男爵。ダービー内閣での植民地大臣(1858-1859)。社交界小説、政治小説、犯罪小説、オカルト小説など多様な分野で活躍したヴィクトリア朝の流行作家。日本でも明治時代に多くの作品が翻訳された。著書に、『ペラム』(1828年)、『ポール・クリフォード』(1830年)、『ポンペイ最後の日』(1832年)、『アーネスト・マルトラヴァーズ』(1837年)、『ザノーニ』(1842年)、『不思議な物語』(1862年)、そして本作『来るべき種族(The Coming Race)』(1871年)など。

小澤正人(おざわ・まさと、1953-):東京学芸大学大学院修士課程修了。現在、愛知県立大学外国語学部英米学科教授。論文に「『ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密』と『透明人間』」、「H. G. Wells のSFとユートピア批判」、「H・G・ウェルズの『モダン・ユートピア』とユートピア思想」など。翻訳に、ダニエル・ピック『戦争の機械――近代における殺戮の合理化』(法政大学出版局、1998年)がある。

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by urag | 2018-07-26 09:41 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 22日

注目新刊:吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』河出書房新社、ほか

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人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』吉川浩満:著、河出書房新社、2018年7月、本体2,200円、46判並製360頁、ISBN978-4-309-02708-1
パンセ』パスカル:著、前田陽一/由木康:訳、中公文庫、2018年7月、本体1,400円、752頁、ISBN978-4-12-206621-2
白井晟一の原爆堂 四つの対話』岡﨑乾二郎/五十嵐太郎/鈴木了二/加藤典洋:著、白井昱磨:聞き手、晶文社、2018年7月、本体2,000円、四六判変型上製252頁、ISBN978-4-7949-7028-2

★『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』は、吉川浩満 (よしかわ・ひろみつ:1972-)さんが2012年、そして2015年から2018年にかけて各媒体で発表してきたエッセイ、インタヴュー、討議、評論、解説などに加筆訂正し、書き下ろしを加えて一冊にまとめたもの。書名はカール・マルクスの『資本論草稿』からの借用。「本書は、現在生じている人間観の変容にかんする調査報告書である〔…〕人間にかかわる新しい科学と技術についての要約と評論を集めた一冊になった」と、まえがきにあります。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。本書は著者がここ三年ほど執筆をつづけておられる『人間本性論』の副産物だそうです。

★「なぜいまさら人間(再)入門なのか? これから述べるように、近代の幕開けとともにかたちづくられた人間観が陰りをみせるとともに、最新の科学と技術が従来の人間観に改訂を迫りつつあるからである。/最新の科学として、本書はおもに進化と認知にかんする諸科学に注目する」(序章、12頁)。吉川さんが昨年編纂された『atプラス』第32号「特集:人間の未来」は本書とカップリングの関係にあると言っていいと思います。

★さらに吉川さんはこうも述べます。「フーコーは〔『言葉と物――人文科学の考古学』において〕、人間の終焉を告げる(当時の)新しい学問として、フロイトにはじまる精神分析とレヴィ=ストロースらの文化人類学とを挙げた。これらは近代における人間の定義であった合理性と主体性を切り崩す。〔…〕なにが起きているのか。人間についての経験論的な探究が、そうした探究の前提となっていた超越論的な想定を疑わしいものにする事態である。〔…〕フーコーの予言は的中しただろうか。見方にとって、そうともいえるし、そうでないともいえる。本稿の立場は、フーコーの予言はおおむね正しかったが、近代の人間観を終わらせるうえで大きな役割を演じたのは別のものである、というものだ。/では別のものとはなにか。20世紀なかばに科学技術の世界で起こった生命科学の発展と認知革命の進行という出来事である」(17~18頁)。これは、近代に発する人文学が知の革新において現代に生まれた科学にその主役の座を譲ったという単純な話では実はありません。

★「新しい人間本性論を考えることは、とりもなおさず、我々はどうありたいのか、どうあるべきかという課題を再設定することでもあるのである。/では19世紀に生まれた人間像の終焉後、21世紀の科学技術文明における人間本性論はどのようなものになるだろうか。/じつはすでにだいたいできあがっている。それは、人間とは不合理なロボットである、というものだ。これが進化と認知にかんする諸科学が与える人間定義である」(22頁)。帯文には「従来の人間観がくつがえされるポストヒューマン状況の調査報告書」とあります。人間観は実際のところ時代とともに変化し続けており、神学や哲学、そして科学はその都度、知の枠組みを更新してきました。哲学も科学もそのありようを変容させてきたわけで、そうした大きなうねりには文理の区別はありません。吉川さんの来たるべき『人間本性論』は科学にとってだけでなく哲学にとっても新たな基礎づけの条件を透視するものとなるのでしょう。『人間の解剖~』はそのプロレゴメナ、序説であると言えそうです。

★ちなみに版元サイトの単品頁では本書に対する東浩紀さんの推薦文が掲載されています。「ひとの定義が変わりつつあるいま、よきひととして生きることはいかに可能なのか。その指針を与えてくれる、当代屈指の読書家による細密で浩瀚なキーコンセプトガイド。必読!」。

★吉川さんが示唆された、生命科学と認知革命を知の分水嶺と捉える見方は、理論物理学者のデイヴィッド・ドイッチュ(David Deutsch, 1953-)が『実在の織物』(原著1997年、訳書『世界の究極理論は存在するか――多宇宙論から見た生命、進化、時間』林一訳、朝日新聞社、1999年、絶版)との関係においても、非常に興味深いのではないかと感じます。ドイッチュは多宇宙論を理解するための「四本の撚糸」として、エヴェレットの量子論、チューリングの計算理論、ダーウィン/ドーキンスの進化論、ポパーの知識/認識論、これらのハイブリッドを提示したわけですが、吉川さんがフォローされている諸領域と重なっていると感じます。吉川さんの言う二者の説明は以下の通りです。「ここで生命科学とは、進化学、遺伝学や医学など、進化と生命にかかわる科学と技術の複合領域を指す。認知革命とは、認知心理学、認知神経科学、行動経済学、人工知能研究など、人間・動物・機械の認知にかかわる諸科学を生んだ知的運動である」(18頁)。ドイッチュは世界像の探究、かたや吉川さんは人間像の探究、という違いはあれ、それらは深く関係し合っているのではないかと思われます。

★参考までにドイッチュの『実在の織物〔The Fabric of Reality〕』の目次を掲出しておきます。

まえがき
1 万物の理論
2 影の宇宙
3 問題と解決
4 実在の基準
5 仮想実在〔ヴァーチャル・リアリティ〕
6 計算の普遍性と限界
7 正しさの根拠(あるいは「デイヴィッド対隠れ帰納主義者」)
8 生命の宇宙的意義
9 量子コンピュータ
10 数学の本性
11 量子的な時間
12 タイムトラベル
13 四本の撚り糸
14 宇宙の終わり
訳者あとがき
参考文献

★同書は新刊では入手できませんが、2009年の『The Beginning of Infinity』の訳書『無限の始まり――ひとはなぜ限りない可能性をもつのか』(熊谷玲美/田沢恭子/松井信彦訳、インターシフト、2013年)は好評発売中です。

★パルカル『パンセ』は中公文庫プレミアムの最新刊。「知の回廊」と銘打たれたシリーズは「定評あるロングセラーを厳選し読みやすくした新版」で、手塚富雄訳のニーチェ『ツァラトゥストラ』がすでに発売されています。今回の新版では、1966年刊『世界の名著24』より年譜と索引(人名、重要語句)を加え、さらに巻末エッセイとして小林秀雄の「パルカルの「パンセ」について」(初出『文學界』1941年8月号)が掲載されています。帯文にある「人間とはいったい何という怪物だろう」というのは、第七章「道徳と教義」の断章434からの引用。当該段落の全文を引いておくと、「では、人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、 何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬の掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑」(307頁)。

★同断章の後段にはこうも書いてあります。「尊大な人間よ、君は君自身にとって何という逆説であるかを知れ。へりくだれ、無力な理性よ。だまれ、愚かな本性よ。人間は人間を無限に超えるものであるということを知れ。そして、君の知らない君の真の状態を、君の主から学べ。/神に聞け」(308頁)。「神は死んだ」(手塚訳『ツァラトゥストラ』17頁)と記した文献学者ニーチェと、「人は、神がなんであるかを知らないでも、神があるということは知ることができる」(断章233、175頁)と書いた科学者パスカル――この振幅のうちに思いを馳せるよう促されるこの時に、先に挙げた吉川さんの『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』が同じく新刊として書棚に並んでいるのを目撃するのは、何やら因縁めいたものを感じます。

★なお、中公文庫プレミアム「知の回廊」の続刊は、9月発売予定のデュルケーム『自殺論』宮島喬訳、です。

★『白井晟一の原爆堂 四つの対話』はまもなく発売(26日頃)。建築家・白井晟一(しらい・せいいち:1905-1983)さんが1955年に立案し、実際は建設されていない「原爆堂」をめぐる一冊。白井さん自身のテクストや図面、白井さんのご子息・白井昱磨(しらい・いくま:1944-)さんによる序、そして昱磨さんが聞き手となって、造形作家、建築史家、建築家、評論家の4氏とそれぞれ行った対話が収録されています。昱磨さんによるあとがきによれば本書は『白井晟一の建築』(全5巻、めるくまーる、2013~2016年)の別巻として当初構想されていたものが4氏の対話本へと発展したもの。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。帯文はこうです。「核の問題と対峙するアンビルトの傑作は3・11以後の世界に何を問うのか――。日本の戦後が抱えた欺瞞、福島第一原発の行方、新国立競技場問題、社会における建築家の役割、これからの建築について……。「原爆堂」をめぐり、知の領域を広げる新しい対話の試み」。先月には約1か月間、表参道のギャラリー「Gallery 5610」で、「白井晟一の『原爆堂』店 新たな対話にむけて INVITATION to TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES」が開催されていました。

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★さらに本日以降発売予定の新刊の注目書はほかにもあります。すべてを購読するのは無理でしょうけれども、要チェックであることには変わりありません。▼は発売済。※は押さえておきたい関連書です。

7月23日
スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気――グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』中山徹/鈴木英明:訳、青土社▼
稲垣諭『壊れながら立ち上がり続ける――個の変容の哲学』青土社▼
前田專學『インド的思考〈新版〉』春秋社▼

7月24日
川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』春秋社▼
堀越英美『不道徳お母さん講座――私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』河出書房新社
千葉雅也対談集『思弁的実在論と現代について』青土社
ダグラス・ホフスタッター『わたしは不思議の環』片桐恭弘/寺西のぶ子:訳、白揚社
ゴウリ・ヴィシュワナータン『異議申し立てとしての宗教』三原芳秋/田辺明生/常田夕美子/新部亨子:訳、みすず書房
田川建三『新約聖書 本文の訳 携帯版』作品社
小松和彦『鬼と日本人』角川ソフィア文庫
植木雅俊訳/解説『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』角川ソフィア文庫
中村元編著『続 仏教語源散策』角川ソフィア文庫
 ※中村元編著『仏教語源散策』角川ソフィア文庫、2018年1月
 ※中村元編著『仏教経典散策』角川ソフィア文庫、2018年2月

7月25日
和氣正幸『日本の小さな本屋さん』エクスナレッジ
クラウス・フォン・シュトッシュ『神がいるなら、なぜ悪があるのか』加納和寛:訳、関西学院大学出版会
小倉拓也『カオスに抗する闘い』人文書院
木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社
 ※木庭顕『憲法9条へのカタバシス』みすず書房、2018年4月

7月26日
福尾匠『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』フィルムアート社
松中完二『ソシュール言語学の意味論的再検討』ひつじ書房:ひつじ研究叢書(言語編)

7月27日
田中かの子『3・11――〈絆〉からの解放と自由を求めて』北樹出版

7月30日
時枝誠記『時枝言語学入門 国語学への道――附 現代の国語学 ほか』書誌心水

7月31日
伊藤龍平『何かが後をついてくる』青弓社
大橋良介『共生のパトス』こぶし書房
グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』渡名喜庸哲:訳、明石書店
池田善昭『西田幾多郎の実在論――AI、アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか』明石書店
 ※池田善昭/福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』明石書店、2017年7月

◆8月発売予定
1日:『パウリ=ユング往復書簡集 1932-1958』湯浅泰雄ほか:監修、太田恵ほか:訳、ビイングネットプレス
 ※ユング/パウリ『自然現象と心の構造――非因果的連関の原理』海鳴社、1976年
4日:ジョージ・クブラー『時のかたち――事物の歴史をめぐって』中谷礼仁/田中伸幸:訳、加藤哲弘:翻訳協力、鹿島出版会:SD選書
7日:ニコラス・スカウ『驚くべきCIAの世論操作』伊藤真:訳、集英社:インターナショナル新書
9日:黒川正剛『魔女・怪物・天変地異――近代的精神はどこから生まれたか』筑摩選書
12日:源信『往生要集 全現代語訳』川崎庸之/秋山虔/土田直鎮:訳、講談社学術文庫
12日:渡辺哲夫『創造の星 天才の人類史』講談社選書メチエ
16日:ウィリアム・ピーツ『フェティッシュとは何か――その問いの系譜』杉本隆司:訳、以文社
17日:ユング『心理療法の実践』横山博:監訳、大塚紳一郎:訳、みすず書房
17日:アン・ブレア『情報爆発――初期近代ヨーロッパの情報管理術』住本規子/廣田篤彦/正岡和恵:訳、中央公論新社
17日:永井均『世界の独在論的存在構造――哲学探究2』春秋社
 ※永井均『存在と時間――哲学探究1』文藝春秋、2016年3月
21日:中井久夫/村澤真保呂/村澤和多里『中井久夫との対話――生命、こころ、世界』河出書房新社
24日:稲葉振一郎『「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み』亜紀書房
 ※稲葉振一郎『政治の理論』中央公論新社:中公叢書、2017年1月
31日:冨田恭彦『カント批判――『純粋理性批判』の論理を問う』勁草書房
31日:リチャード・ローティ『ローティ論集――「紫の言葉たち」/今問われるアメリカの知性』冨田恭彦:編、勁草書房
31日:ジョン・R・ サール『社会的世界の制作――人間文明の構造』三谷武司訳、勁草書房

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by urag | 2018-07-22 11:34 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 18日

注目新刊:アガンベン『実在とは何か』、シモンドン『個体化の哲学』、ほか

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★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』『到来する共同体』)
★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
アガンベンさんの近著『Che cos'è reale?: La scomparsa di Majorana』(Neri Pozza, 2016)が上村忠男さんによって翻訳されました。附録の二篇、エットレ・マヨラナ「物理学と社会科学における統計的法則の価値」、ジェロラモ・カルダーノ『偶然ゲームについての書』は、前者が原著でも収録されていますが、後者は訳書において新たに付されたものです。アガンベンさんの論及があった重要テクストなので、全訳での収録はたいへん参考になります。

版元さんの内容紹介文によれば本書は「マヨラナの論文を手がかりにして、アガンベンは失踪の原因が「不安」や「恐怖」といった心理に還元されるべきものではなく、《科学は、もはや実在界を認識しようとはしておらず──社会科学における統計学と同様──実在界に介入してそれを統治することだけをめざしている》という認識にマヨラナが至ったことと関係している、という地点に到達する。その果てに見出されるのは、「実在とは何か」という問いを放つにはどうすればよいか、ということにほかならなかった」と。メイヤスーやガブリエル、マラブーらの新刊と併せてひもときたい本です。同書の議論との交差については、同じく講談社選書メチエで『AI原論――神の支配と人間の自由』を4月に上梓された西垣通さんと、メイヤスー本の訳者・千葉雅也さんの対談「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?」「AIが絶対に人間を超えられない「根本的な理由」を知ってますか」「AIが「人間より正しい判断ができる」という思想、やめませんか?」(「現代ビジネス」7月16~18日)が参考になります。アガンベンへの言及はないものの、問題圏は重なっています。

アガンベンさんは本書の末尾をこう結んでおられます。「ここでわたしたちが示唆しようと思う仮説は、もし量子論力学を支配している約束事が、実在は姿を消して確立に場を譲らなければならないということだとするなら、そのときには、失踪は実在が断固としてみずからを実在であると主張し、計算の餌食になることから逃れる唯一のやり方である、というものである。〔…〕1938年3月の夜、無のなかに消え去り、彼の失踪の実験的に明らかにしうるあらゆる痕跡を見分けがつかなくさせる決断をすることによって、彼は科学に、実在とは何か、という未済の、しかしまた避けて通るわけにはいかない回答をいまもなお期待している問いを提起したのだった」(45~46頁)。

実在とは何か マヨラナの失踪
ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳
講談社選書メチエ 2018年7月 本体1,350円 四六判並製176頁 ISBN978-4-06-512220-4

★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエス『論理学と学知の理論について』)
フランスの哲学者ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)による1958年の博士論文『L'Individuation à la lumière des notions de forme et d'information』がついに全訳されました。底本は2013年のMillon版の本論ですが(附録※は分量の都合で訳出されていません)、2017年版での変更箇所も反映されているとのことです。近藤さんは第一部「物理的個体化」の訳出と、結論の共訳、訳注の整理と調整を担当されたそうです。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。これを契機に副論文『技術的諸対象の実在様態について』の翻訳も期待したいところです。※附録・・・「個体化概念から帰結する事柄についての補足的な覚え書き」「個体概念の歴史」「個体性の基準の分析」「アラグマティック」「形、情報、ポテンシャル」の5篇で、それぞれ本論から割愛された部分や草稿や準備稿ですが、最後の「形~」のみ1960年の講演録。

個体化の哲学――形相と情報の概念を手がかりに
ジルベール・シモンドン著 藤井千佳世監訳 近藤和敬/中村大介/ローラン・ステリン/橘真一/米田翼訳
法政大学出版局 2018年7月 本体6,200円 四六判上製638頁 ISBN978-4-588-01083-5

★竹峰義和さん(訳書:メニングハウス『生のなかば』、共訳:シュティーグラー『写真の映像』)
先月末発売された岩波書店の月刊誌「思想 2018年7月号:ヴァルター・ベンヤミン」において、論文「サンチョ・パンサの歩き方――ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ」を寄稿されるとともに、ベンヤミンの「技術的複製可能性の時代における芸術作品――第一稿」の翻訳を手掛けておられます。ほとんどが抹消線で埋め尽くされた第一稿は、『新批判版全集』(2008年~)で活字化された新たな草稿で、『旧全集』(1972~1999年)の第一稿はこんにちでは第二稿とされています。ちなみに岩波現代文庫の『パサージュ論』全5巻(2003年;単行本版は93~95年)は第5巻を除いて現在品切で、岩波文庫の『ベンヤミンの仕事』2巻本(1994年)も品切。新全集に基づく新訳がいずれ刊行されることになるのでしょうか。

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by urag | 2018-07-18 15:59 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 17日

8月上旬発売予定新刊:マラルメ『詩集』柏倉康夫訳

2018年8月10日取次搬入予定 *外国文学・フランス詩

詩集
ステファヌ・マラルメ著 柏倉康夫訳
月曜社 2018年8月 本体:2,200円 B6変型判並製176頁 ISBN: 978-4-86503-056-3

アマゾン・ジャパンにて予約受付中


ステファヌ・マラルメの死の一年後に刊行された『詩集』(エドモン・ドゥマン書店、1899年刊)収録の全49篇の詩と、マラルメ自身による書誌解題の新訳。「ユリイカ」誌連載、青土社電子版、限定私家版を経て、最新改訂普及版がここに成る。『詩集』の初版本や石版刷、組見本、マラルメの肖像、名刺や封筒に書かれた四行詩など、訳者秘蔵品を含む貴重な写真8点を併載。多年に及ぶ研究の画期を為す「理解可能なマラルメ」の提示。【叢書・エクリチュールの冒険:第11回配本】


ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898):19世紀のフランス象徴詩を代表する詩人。若くしてボードレールとエドガー・アラン・ポーに魅せられて詩作をはじめ、地方の高等中学校の英語教師をしながら創作に没頭するが、「詩とは何か」という根源的な問いに苦しみ、精神的・肉体的な危機に見舞われた。1871年パリに出て以後は交友関係も広がり、「牧神の午後」や「エロディアード」など代表作となる絶唱を生み出した。ローマ通りのアパルトマンの食堂兼サロンに、毎週火曜日に内外の文学者、画家、音楽家たちが集うようになり、マラルメの談話は彼らに多大な感銘を与えた。その芸術論は今日なお広い分野で影響を及ぼしている。


柏倉康夫(かしわくら・やすお、1939-):東京大学文学部フランス文学科卒業。NHKパリ特派員、解説主幹の後、京都大学文学研究科教授を経て、放送大学教授、副学長、図書館長、現在同大学名誉教授。京都大学博士(文学)。フランス国家功労勲章叙勲。ジャーナリズムでの仕事のかたわら、原典批判に基づくマラルメ研究を続けてきた。マラルメに関する著訳書に、『マラルメ探し』、『生成するマラルメ』(以上、青土社)、『マラルメの火曜会』(丸善出版)、ネクトゥ編『牧神の午後~マラルメ、ドビュッシー、ニジンスキー~』(平凡社)、J・L・ステンメッツ『マラルメ伝』(共訳、筑摩書房)、『マラルメの「大鴉」』(臨川書店)、モレル編『S・マラルメ:賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう』、G・ミラン『マラルメの火曜会~神話と現実~』(以上、行路社)など。

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by urag | 2018-07-17 10:41 | 近刊情報 | Trackback | Comments(4)
2018年 07月 16日

注目新刊:ついに刊行、イェーガー『パイデイア』、まず第Ⅰ~Ⅱ部収録の上巻から、ほか

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何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』栗原康著、角川書店、2018年7月、本体1,800円、四六判並製368頁、ISBN978-4-04-106125-1
感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2

★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。

★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。

★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。

★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。

★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。

★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。

★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。

★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。

★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。

◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り

日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order

内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。

★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。

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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。

パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9

★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。

★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。

★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。

★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。

★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。

★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。

★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。

★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。

★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。

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by urag | 2018-07-16 23:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 13日

「図書新聞」にメニングハウス『生のなかば』の書評

図書新聞」(2018年7月21日付)に弊社1月刊、ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば――ヘルダーリン詩学にまつわる試論』(竹峰義和訳)の書評「すぐれた教師による「精読」の集中講義――ヘルダーリン詩学全体、そして同時代の思想へと開かれた一書」が掲載されました。評者は大谷大学文学部准教授の廣川智貴さんです。

「わずか14行の詩におよそ200頁の紙幅が費やされる。〔…〕メニングハウスは、韻律分析というきわめてオーソドックスな手法でテクストを分析し、隠された構造をあきらかにしようとする。さながら推理小説のような分析から見えてくるのは、ヘルダーリンの意外な一面である。〔…〕博識な著者に手引きされる読者は、きっと創作の現場に居合わせるような興奮を覚えるにちがいない」と評していただきました。

同書は「叢書・エクリチュールの冒険」の第10弾ですが、第11弾は8月刊、ステファヌ・マラルメ『詩集』柏倉康夫訳、となります。まもなく当ブログにて近刊告知を開始します。

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by urag | 2018-07-13 16:12 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 11日

フェア棚「じんぶんや 川越」が紀伊國屋書店川越店に誕生

2004年9月に紀伊國屋書店新宿本店で始まった「じんぶんや」というフェア棚の第1回に私も参加させていただいたことがありましたが、今般、堂書店の川越店人文書棚のリニューアルに伴い「じんぶんや 川越」が誕生したとのことです。その記念すべき第1回が開催中。弊社の本はフェアではおいていませんが、ご紹介します。


期間:2018年7月4日(水)~9月30日(日)
場所:紀伊國屋書店川越店2階人文書コーナー

概要:本フェアでは、T.V.O.D.のお二人に1970年代から2010年代(現代)までのサブカルチャーの変遷を解説していただきます。現在語られる「サブカル」は一体、どういう文脈を持つのか? そして、サブカルチャーの未来とは? T.V.O.D.による、約70冊の選書を通したサブカル戦後史入門講義の開講! 1万字におよぶ解説冊子も配布中。

T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー):コメカ+パンスのテキストユニット。2017年、政治とサブカルチャーをごちゃまぜに語る場を作ろうと結成、ブログ「T.V.O.D.」 を開設する。現在は、北尾修一氏主宰の出版社「百万年書房」サイト内で「ポスト・サブカル焼け跡派」連載中。ほか、タブロイド・ジン「Making-Love Club」にも寄稿。5月にWWW/GALLERY X BY PARCOで開催された「THE M/ALL」では精神科医・香山リカさんと鼎談を行う。

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by urag | 2018-07-11 15:35 | 雑談 | Trackback | Comments(0)