ウラゲツ☆ブログ

urag.exblog.jp
ブログトップ

<   2018年 04月 ( 15 )   > この月の画像一覧


2018年 04月 30日

注目新刊:イーグルトン『文学という出来事』、村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』、ほか

a0018105_23265414.jpg



テリー・イーグルトン著、大橋洋一訳
平凡社、2018年4月、本体3,600円、A5判上製352頁、ISBN978-4-582-74431-6

★イーグルトン『文学という出来事』は、『The Event of Literature』(Yale University Press, 2012)の全訳。目次は以下の通りです。

はじめに
第一章 実在論者と唯名論者
第二章 文学とは何か(一)
第三章 文学とは何か(二)
第四章 虚構の性質
第五章 ストラテジー
原注/訳注
訳者あとがき
作品名索引/人名索引

★「文学理論は、ここ二十年で、かなり流行遅れとなった」という一文で始まる巻頭の「はじめに」でイーグルトンは本書の執筆意図についてこう説明しています。「状況の異常さ〔…〕なにしろ大学では教員も学生も、文学とは虚構〔フィクション〕とか詩とか物語〔ナラティヴ〕などの言葉を習慣的に使いながら、それらが何を意味しているのかについて議論する準備も訓練もできていないのだから。文学理論家とは、こうした事態を、たとえ危険極まりないとは思わないとしても異常であると思う人びとである。〔…〕またさらに文学理論の流行が遠のいた結果、答えられぬまま宙づりになった重要な問いかけが数多くあり、本書は、そうした問いのいくつかに答えようとしている」(12頁)。

★イーグルトンのロングセラー『文学理論』(『文学とは何か――現代批評理論への招待』大橋洋一訳、岩波書店、1985年;新版、1997年;岩波文庫、上下巻、2014年;Literary Theory: An Introduction, Blackwell, 1983; Second edition, 1996; 25th Anniversary edition, 2008)と本書との関係について、大橋さんは訳者あとがきで次のように書かれています。「『文学とは何か』が、ヨーロッパ大陸系の文学理論を扱うものであるとすれば、本書『文学という出来事』は、英米の分析哲学に影響を受けているというか、分析哲学そのものでもある「文学哲学」について扱っている。英米系の分析哲学と大陸系の文学理論、この両者の橋渡し、あるいは有意義な遭遇の場、それが本書でもある」(330~331頁)。

★再びイーグルトン自身の「はじめに」に戻ると、彼は「ある意味で本書は文学理論に対する暗黙の批判であるともいえる。わたしの議論は、最終章を除くと、その多くが、文学理論ではなく、それとは似て非なる分野すなわち文学哲学を相手にしている」(10頁)と書いています。「文学理論がヨーロッパ地域からおおむね芽吹いたとしたら、文学哲学のほうは、その大部分が英米圏から誕生している。しかし最良の文学哲学にみられる厳密さや専門性は、一部の文学理論にみられる知的なゆるさとは好対照をなしているがゆえに、文学理論陣営ではなおざりにされてきた諸問題(たとえば虚構の性格をめぐるもの)に鋭く切り込むことができた」(同)。

★さらにこう続きます。「逆に文学理論とは対照的に文学哲学についてまわるのは、知的保守主義と臆病さであり、批判的眼識と大胆な想像力の、時として致命的な欠如である。一方の陣営が、フレーゲなど聞いたことがないかのようにふるまうとすれば、いま一方の陣営はフロイトなど聞いたことがないかのように行動する。〔…〕今日では、分析哲学と文化的・政治的な保守主義との間に奇妙な(そしてまったく不必要な)関係が存在するように見えるが、一昔前は分析哲学の主要な実践者の多くにそのような傾向はみられなかった」(10~11頁)。

★イーグルトンが言う「文学哲学」の原語は the philosophy of literature なのですが、この分野(文学哲学、ないし文学の哲学)はひょっとすると日本ではまだよく理解されていないかもしれません。まず概論としてはまさに本書の原著版元であるブラックウェルが標準的な読本を手掛けており、2004年に『The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings - An Anthology』を、2010年には『A Companion to the Philosophy of Literature』を出版しているので、そちらを踏まえておいても良いかもしれません。『文学という出来事』では英米語圏の哲学者、文学研究者、批評家などが登場し、よく言及される人物にはヴィトゲンシュタイン(1889-1951)、ケネス・バーク(1897-1993)、フレドリック・ジェイムソン(1934-)、スタンリー・フィッシュ(1938-)、ピーター・ラマルク(1948-)らがいます。本書には言及がない本ですが、ラマルクにはその名もずばり『文学の哲学』という著書があります。この本もブラックウェルより2009年に刊行されたものです。

★このほか、幾度となく言及される人物には、フランク・レイモンド・リーヴィス(1895-1978)、ジョン・L・オースティン(1911-1960)、モンロー・C・ビアズリー(1915-1985)、ポール・ド・マン(1919-1983)、ジョゼフ・マーゴリス(1924-)、エリック・ドナルド・ハーシュ(1928-)、リチャード・M・オーマン(1931-)、ジョン・M・エリス(1936-)、リチャード・ゲイル(1932-2015)、ジョン・サール(1932-)、ケンダル・ウォルトン(1939-)、チャールズ・アルティエリ(1942-)、クリストファー・ニュー(1942-)、ジョナサン・カラー(1944-)、グレゴリー・カリー(1950-)などがいます。これら複数の分野にまたがる学者をカヴァーするイーグルトンの視野の広さと奥行きを感じさせます。ちなみに文学哲学に隣接する分野を扱った読本として、『分析美学基本論文集』(勁草書房、2015年)があり、そこで扱われる研究者は部分的にですが『文学という出来事』と重なります。

+++

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化』岩﨑葉子著、平凡社、2018年4月、本体4,800円、A5判上製272頁、ISBN978-4-582-82487-2
ラモー 芸術家にして哲学者――ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで』村山則子著、作品社、2018年4月、本体4,200円、A5判上製376頁、ISBN978-4-86182-687-0
マンシュタイン元帥自伝――一軍人の生涯より』エーリヒ・フォン・マンシュタイン著、大木毅訳、作品社、2018年4月、本体3,600円、46判上製560頁、ISBN978-4-86182-688-7
昭和ノスタルジー解体――「懐かしさ」はどう作られたのか』高野光平著、晶文社、2018年4月、本体2,500円、四六判上製380頁、ISBN978-4-7949-6996-5
進歩――人類の未来が明るい10の理由』ヨハン・ノルベリ著、山形浩生訳、晶文社、2018年4月、本体1,850円、四六判並製344頁、ISBN978-4-7949-6997-2
日本の気配』武田砂鉄著、晶文社、2018年4月、本体1,600円、四六判並製296頁、ISBN978-4-7949-6994-1

★岩﨑葉子『サルゴフリー 店は誰のものか』は「サルゴフリーと呼ばれる権利の売買にまつわるイランの商慣行が、20世紀初頭から現在までのおよそ100年の間に、それをめぐる法律とともにどのような歴史的変遷を辿ったかを論じ」たもの(序章、10頁)。サルゴフリーとは借りた店舗で商売をする権利のこと。「イスラーム諸国における法の近代化とその今日的帰趨」(12頁)をめぐる興味深い事例であり、そこには「イスラーム法と西欧近代法との「不測の」軋轢とその克服」(10頁)の歴史があるとのことです。著者の岩﨑葉子(いわさき・ようこ:1966-)は日本貿易振興機構アジア経済研究所開発研究センターにお勤めで、近年の単独著に『「個人主義」大国イラン――群れない社会の社交的なひとびと』(平凡社新書、2015年)があります。

★村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』は『メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性』(作品社、2011年)、『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』(作品社、2014年)に続く、詩人で小説家でもある著者による重厚な研究書。18世紀フランスの作曲家にして音楽理論家の、ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683-1764)を論じたもの。第一部「芸術家ラモー」全六章と第二部「哲学者ラモー」全五章の二部構成。第一部ではラモーのオペラ作品を取り上げ、第二部では副題にあるように、ダランベールやルソーらと交わした論争を扱い、ラモー自身の音楽理論が考察されます。和声を重視したラモーの音楽理論の根本原理である「音響体 le principe sonore」概念が非常に興味深いです。

★『マンシュタイン元帥自伝』は1958年に刊行された『Aus einem Soldatenleben』の全訳。ドイツの「名将」フリッツ・エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン(1887-1973)の誕生から第二次世界大戦の開戦までを回顧したものです。訳者解説では本書を「単なる軍人の回想録を超えた、ドイツ近現代史への貴重な証言であり、さらには、マンシュタインという19世紀的教養人の思想と生涯を知る上で不可欠の資料といえる」と評しています。また同解説では、マンシュタイン自身による第二次世界大戦期の回想録(1955年に原著刊行)が『失われた勝利』(上下巻、本郷健訳、中央公論新社、1999年)として刊行されており、包括的な伝記としてマンゴウ・メルヴィン『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』(上下巻、大木毅訳、白水社、2016年)があることも紹介されています。

★最後に晶文社さんの4月新刊より3点。目次詳細はいずれも書名のリンク先でご確認いただけます。まず、高野光平『昭和ノスタルジー解体』は「いわゆる「懐かしの昭和」を愛好する文化がいつ、どのように成立したのか」(序、11頁)をめぐる丁寧な考察。完成まで7年を要したという力作です。マンガ『三丁目の夕日』の連載が始まった1974年を起点に、おたく文化やサブカルも渉猟しています。レトロ、アナクロ、ノスタルジーの広大な領野に思いをはせる一冊です。

★スウェーデンの作家で歴史家のヨハン・ノルベリ(Johan Norberg, 1973-)による『進歩』は『Ten Reasons to Look Forward to the Future』(Oneworld, 2016)の全訳。「世の中、百年単位で観ればあらゆる面でよくなっている、ということ〔…〕を各種のデータやエピソードで補ってきちんと説明したもの」(訳者解説より)。「現在の世界に関する楽観論と、古典的な啓蒙主義思想の重要性を訴える数多くの本のはしりと言える」と訳者の山形さんは評価しておられます。

★武田砂鉄『日本の気配』はウェブサイト「晶文社スクラップブック」での連載や各種媒体で発表してきたエッセイを編み直し書き直したもの。「ムカつくものにムカつくと言うのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。この本には、そういう疑念を密封したつもりだ」(あとがきより)。〈時代の空気を読む感性〉に優れた編集者への批判とともに自身の振る舞いについて問いかける「左派が天皇陛下の言葉にすがる理由」(203~209頁)をはじめ、空気を読むことを強いる忖度だらけの現代の相互監視社会を拒絶する、一貫した強度が魅力です。

+++

[PR]

by urag | 2018-04-30 23:17 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 28日

注目新刊:金子遊『混血列島論――ポスト民俗学の試み』フィルムアート社、ほか

★佐藤真理恵さん(著書:『仮象のオリュンポス』)
月刊誌「ユリイカ」2018年5月号(特集:アーシュラ・K・ル=グウィンの世界)に、「見出された世界――アーシュラ・K・ル=グウィンにおける名・影・帰還」と題されたテクストを寄稿されています(155~161頁)。同号では『ゲド戦記』の訳者である清水眞砂子さんへのインタヴュー「アースシーを歩きつづけて」や、萩尾望都さん、白井弓子さんによるオマージュイラスト、さらに上橋菜穂子さんと荻原規子さんによる対談「「ゲド戦記」とわたしたち、あるいはファンタジーを継ぐということ」などを掲載し、盛りだくさんの内容です。

★鵜飼哲さん(共訳:ジュネ『公然たる敵』)
月刊誌「現代思想」2018年5月号(特集:パレスチナ‐イスラエル問題――暴力と分断の70年)で、臼杵陽さんとともに「ナクバは何を問いかけるのか」という討議を行われています(16~36頁)。同号では今年訳書が刊行されたハミッド・ダバシやイランパペの論考も掲載されており、さらに両者を論じた早尾貴紀さんによる「「ユダヤ人国家」イスラエルの歴史実在論とポスト・オリエンタリズムの課題――イラン・パペとハミッド・ダバシ」も併載されています。

★金子遊さん(編書:松本俊夫『逸脱の映像』)
フィルムアート社さんから3月下旬に単独著を刊行されました。目次詳細や試し読みは書名のリンク先で提供されています。金子さんは巻頭の「prologue 混血列島論」でこうお書きになっています。「わたしたちは谷川健一の思想に導かれて、ヤポネシアにさまざまな異質性と重層性をはらんだ、あるがままの「混血列島」を再発見する。ヤポネシアを育んできたユーラシア大陸や大河川の上流地域、朝鮮半島やインドシナ半島、ミクロネシアからフィリピンやインドネシアの島々にいたるまで、文化的にも遺伝子的にも祖先の記憶が感じられるという意味では、その圏域はわたしたちにとって、さらに広大な「マクロネシア」とでも呼ぶべきものを形成しているのだといえないか」(22頁)。

混血列島論――ポスト民俗学の試み
金子遊著
フィルムアート社 2018年3月 本体3,000円 四六版上製288頁 ISBN978-4-8459-1709-9
帯文より:わたしたちは混血している。サントリー学芸賞受賞の批評家が、文学、映像、フォークロア研究を交差させながら、太平洋の島嶼という視点で日本列島(ヤポネシア)に宿る文化の混淆性を掘り起こす、新たな民俗学。

a0018105_17515697.jpg
+++

[PR]

by urag | 2018-04-28 17:00 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 24日

本日より取次搬入開始:岡田聡/野内聡編『交域する哲学』

岡田聡/野内聡編『交域する哲学』を本日より取次搬入開始いたしました。書店さんの店頭に並び始めるのは5月あたまあたりからでしょうか。同書の目次や扱っていただける書店さんの一覧はこちらをご覧ください。少部数出版につき、あらかじめ店頭在庫を電話などでご確認いただいてからご訪問いただくのが良さそうです。
a0018105_15500087.jpg

[PR]

by urag | 2018-04-24 15:51 | 人文書既刊 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 22日

注目新刊:ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』知泉書館、ほか

a0018105_00531441.jpg


スピノザの学説に関する書簡』F.H.ヤコービ著、田中光訳、知泉書館、2018年4月、本体7,000円、A5判上製496頁、ISBN978-4-86285-273-1
『自叙伝』マリア・ヴァルトルタ著、殿村直子訳、春秋社、2018年4月、本体5,000円、四六判上製581頁、ISBN978-4-393-21713-9
議論して何になるのか――ナショナル・アイデンティティ、イスラエル、68年5月、コミュニズム』アラン・バディウ/アラン・フィンケルクロート著、的場寿光/杉浦順子訳、水声社、2018年4月、本体2,800円、四六判上製211頁、ISBN978-4-8010-0333-0

★ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』は初版が1785年に刊行された『Über die Lehre des Spinoza』の第三版(1819年刊のヤコービ著作集第四巻に収録)の翻訳で、凡例によれば「巻頭のケッペンの読者宛ての文と「メンデルスゾーンの非難に抗して」は割愛した」とあります。訳文は『モルフォロギア』に20年来掲載してきたものが元になっているとのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。周知の通り「汎神論論争(スピノザ論争)」のきっかけとなった高名な古典であり、ヤコービがユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn, 1729-1786)に対して送った書簡集が中心となっています。

★また巻末には、各版の異同情報を記した「『スピノザ書簡』第三版と第一版・第二版との異同について」、訳者による解説「ヤコービの生涯と著作」(363~426頁)や、ヤコービ年譜、文献表、索引(人名・事項・文献)と充実しています。

★巻頭の「日本語版への序言」はヤコービ研究の第一人者ビルギッド・ザントカウレン教授(ボーフム大学)が寄稿されたものです。彼女が「時代の影の実力者」(ix頁)と評した哲学者ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743-1819)は「一人でスピノザを研究し、ゲーテの時代で一番スピノザを理解していた人」(訳者あとがき)で、当時カントの論敵として名高かったはずのメンデルスゾーンに対して、憶することなくスピノザ哲学への理解度について論難しています。二人の共通の友人にレッシングがいたわけですが、レッシングの死去によって論争がもたらされることになり、「ドイツの知識人は〔…〕根底から震撼させられ」たといいます(「日本語版への序文」viii頁)。

★ヤコービによるスピノザ理解は第Ⅰ部「スピノザの学説に関する書簡」内の「スピノザの学説に関して」でまとめられているテクストのうち、特に「六 スピノザの学説の第二の叙述」と「七 スピノザ主義に関する六つの命題」に端的に表れています。前者にはヤコービ自身が「この説明に私の精神の力すべてを傾け、その際いかなる苦労も忍耐も厭わないと固く決心し」た(155頁)と書いた44項目のテーゼが含まれています。訳者による「ヤコービの生涯と著作」で二度にわたり惹かれているテーゼ39が印象的です。以下に引用します。

★「すべての個物は互いを前提とし、また互いに関係しあっている。したがって、どの個物も残りすべての個物なしでは、またすべての他の個物もおのれ以外の個物なしでは存在することも、考えることもできない。すなわち、すべての個物は協力して一つの切り離すことのできない全体を形づくっている。〔…〕」(163頁)。また、「人間の拘束性と自由についての予備的命題」にはこうも書かれています。「私たちに知られているすべての個々の事物の存在の可能性は、他の事物との共存に支えられ、関係している。したがって私たちはそれ自体で存立している有限な存在者を思い描くことはできない」(47頁)。

★「ドイツ古典哲学にとっても、近代哲学全体にとっても一つの新しい時代」(「日本語版への序文」viii頁)への導入となった本書の翻訳をきっかけに、ヤコービが日本においても再発見されることになるのではないかと感じます。

★次にヴァルトルタ『自叙伝』は、彼女の著書『私に啓示された福音』などの訳書を刊行してきた天使館から当初は刊行予定だったもの。ヴァルトルタ(ワルトルタとも:Maria Valtorta, 1897-1961)はイタリアの霊視者であり見神家。イエス・キリストの生涯や聖母マリアの言葉を病床に寝たきりの状態で霊的に見聞きしたままに書き写した122冊のノート(1943~1951年)によって有名です。聴罪司祭の勧めによってその直前まで書いていたのがこの『自叙伝』(1943年)であり、ヴァルトルタが歩んできた苦難の半生が綴られています。目次は以下の通りです。

はじめに
第一章 育児放棄〔ネグレクト〕する母のもとで
第二章 父の悲しみ、寄宿学校にて
第三章 フィレンツェ、従姉と叔父
第四章 一九三〇年の夏
第五章 超霊的な至福
第六章 寝たきりの日々
第七章 父の死
編集者後記(エミリオ・ピザーニ)
訳者あとがき
写真

★巻末の写真は、著者の生涯を振り返るアルバムです。ヴァルトルタの著作はこれまでにあかし書房よりフェデリコ・バルバロ神父(Federico Barbaro, 1913-1996)によって抜粋訳が10冊出版されており、天使館から『私に啓示された福音』全10巻が全訳で刊行中ですが、『自叙伝』の翻訳は初めてです。ヴァルトルタはこう書きます。「私の人生にこんなにも悲しみがあり、希望がことごとく壊され、愛情面でことごとく失望させられ、孤独が日増しに大きくなって、完全に私を取り囲むのも、すべては神によって特別に意図されたものだったのです。神は木である私の葉を全部刈り込み、枝を全部切り取られますが、それは私が神の庭で大きくたくましく育つためだったのです。私の神は排他的な愛をお望みで、私を神だけのものと定められ、私が神だけに慰めを求めるしかなくなるように、私からすべてを取り上げられたのでした」(163頁)。血涙を絞るような本書での告白と、一切が(他宗教すらも)収斂していく中心としての神への愛は、122冊のノートへと結実するものの「蕾の徴〔しるし〕」(ピザーニ)として読むことができると思われます。

★続いて、バディウとフィンケルクロートの対談本『議論して何になるのか』は、『L'explication : Conversation avec Aude Lancelin』(Éditions Lignes, 2010)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば、本書は「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌の文化・思想欄を担当するジャーナリストであるオード・ランスランの提案によって2009年12月17日と2010年2月16日に行われた、バディウとフィンケルクロートの討論を収録したもの。ランスランは序章で次のように綴っています。

★「バディウとフィンケルクロートは、時代のまさに要諦をなす、根本的に相反するふたつの視点である。このふたつの固有名は、今日コランスで激しく争うことが明確に定められた、知的な両氏族にとっての戦時名として響いている。2009年12月21日号の「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌上に掲載された対談に際して、彼らが初めて向かい合ったとき、両者ともに敵と対面するというこの単純な事実ゆえにもっとも熱狂的な仲間たちから激しく批判された。それでも彼らの仲間たちは出版された雑誌を目にするや、すぐさま胸を撫で下ろした。恐れていたハッピー・エンドが訪れることはない。緊張に満ち、火花散るような、時に激昂しさえもする雰囲気が誌面を貫いていたからだ。それは通常の討論とは明らかに異なるが、その後に含まれる、口語的な、ほとんど具体的な意味での、まさに「口論〔エクスプリカスィオン〕」であった」(10~11頁)。

★「バディウと私が現実と見なしていることが、同じではないということです。われわれは現実についての同じ思考を共有していません」(60頁)とフィンケルクロートが吐露しているような、二者の討論が生む隔たりは、そのまま読者の思考の幅を広げてくれる梃子になっているように感じます。フランス人の話だと切って捨てることのできない切迫性を日本の読者も実感できるのではないかと思われます。

+++

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

被抑圧者の教育学 50周年記念版』パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、亜紀書房、2018年4月、本体2,600円、四六判上製408頁、ISBN978-4-7505-1545-8
熊楠と猫』南方熊楠/杉山和也/志村真幸/岸本昌也/伊藤慎吾著、共和国、2018年4月、本体2,300円、A5変型判上製176頁、ISBN978-4-907986-36-0
ねみみにみみず』東江一紀著、越前敏弥編、作品社、2018年4月、本体1,800円、46判並製258頁、ISBN978-4-86182-697-9
エンジニアリング・デザインの教科書』別府俊幸著、平凡社、2018年4月、本体3,200円、A5判並製256頁、ISBN978-4-582-53225-8
現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』青土社、2018年4月、本体1,500円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1363-9

★フレイレ『被抑圧者の教育学 50周年記念版』は、ポルトガル語版『Pedagogia do Oprimido』(Paz e Terra社、2005年刊、第46版)を翻訳した旧版『新訳 被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2011年)に、先月(2018年3月)にBloomsbury Academicより刊行された50周年記念英訳版『Pedagogy of the Oppressed』で新たに追加された、ドナルド・ナセドによる「50周年記念版へのまえがき」と、アイラ・ショアによるあとがき「闘いはつづく」と、「同時代の学者たちへのインタヴュー」を訳出して併載したものです。インタヴューに登場する人々は以下の通り。マリナ・アパリシオ・バーベラン、ノーム・チョムスキー、グスタボ・E・フィッシュマン、ラモン・フレチャ、ロナルド・デービッド・グラス、バレリー・キンロック、ピーター・メイヨー、ピーター・マクラーレン、マーゴ・オカザワ・レイ、以上9名。80頁以上の増量にもかかわらず本体価格はわずか100円の値上げです。英語版からの旧々訳が1979年に刊行されて以来長らく読み継がれている名著であるだけに、今回の再刊は実に嬉しい知らせです。

★『熊楠と猫』は杉山和也さんによる「はじめに」によれば、「熊楠自筆の日記や書簡に見える熊楠と猫とのエピソードを紹介」し、熊楠が「猫を学術的な観点からはどのように捉えていたのか、ということについても詳しく解説」したもので、「熊楠自慢の猫の絵(自筆)を多数、紹介して」もいると言います。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。「猫と南方熊楠。自由で不思議な生き物と自由に不思議を究める人間の関係についての本なんて。読みたいに決まっているやんけざますじゃん。」という、町田康さんの帯文が素敵です。よく見ると帯文の町田さんの名前が、カバーの書名に次ぐ大きさで組まれていて、ものすごい誘引力を放っています。巻末には参考資料として年表「熊楠と猫のあゆみ」や「猫に関する〔熊楠の〕論考一覧」などもあって、共和国さんならではの、楽しみが満載されていると同時に資料価値の高い一冊となっています。

★東江一紀『ねみみにみみず』は、2014年に逝去した翻訳家が「多忙をきわめた翻訳作業の合間を縫って、数えきれないほどの達意のエッセイや雑文を書いた〔・・・〕それらのエッセイを一冊にまとめ」たもの(編者後記より)。目次は書名のリンク先でご覧になれます。「たとえあなたがなんだこりゃと思ったとしても、これは間違いなく本書の内容目次である」という注意書きがあるのが楽しいですね。編者の越前さん東江さんの文章を「軽妙洒脱」と評しておられますが、本書はまさにそのものが味わえる魅力的な本で、読者が読み終わる頃には東江さんのことがすっかり好きになってしまうことでしょう。書名の由来は越前さんの編者後記で明かされています。目次や奥付の後に配置されている東江さんの「名刺」の数々も洒落が効いていてついつい笑ってしまいます(何のことを言っているのかはぜひ店頭でご確認下さい)。編者さんと編集者さんの東江愛を感じる素敵な一書です。

★別府俊幸『エンジニアリング・デザインの教科書』は帯文に曰く「顧客価値を作り出せ! 未来のビジネスとモノづくりのために! 日本製品デザインのノウハウがここにある」と。本書は以下の8章から成ります。1.デザインとエンジニアリング、2.クライアント要求を説き明かす、3.デザインに必要な情報、4.デザイン案を考える、5.エンジニアリング・デザイン・プロセス、6.アイデアより設計情報へ、7.失敗に学ぶ、8.新しいデザインで未来を切り拓くために。別府さんは「おわりに」でこうまとめておられます。「日本的ユーザ指向アプローチは、製品に関連することだけに集約されているように感じます。〔…〕クライアントのニーズを、その根底まで掘り起こそうとの意識が薄いようです。これが製品の改善にばかり注力し、主体的にマーケットを変革させようとの発想につながらない要因だと感じます」(250頁)。またこうも書いておられます。「競争に苦戦しているのであれば、その理由を徹底的に分析すべきでしょう。想定できれば失敗は回避できるように、理由が明らかになれば、対応策を作ることはできるはずです」(251頁)。出版人も噛みしめるべき言葉であるように感じます。

★『現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』は、こたつに座って執筆する石牟礼さんの写真が目を惹く増刊号で、初期未発表作品6篇、「現代思想」「ユリイカ」両誌からの再録2篇をはじめ、加藤登紀子さんのインタヴュー、栗原彬さんと藤原辰史さんの討議、石内都さんによる写真と回想記、そして様々な書き手によるエッセイや論考が収められた読み応えのある特集となっています(他誌からの再録もあり、石牟礼さんと石内さんを引き合わせた伊藤比呂美さんのエッセイ「『不知火』の声」は『道標』誌第9号から)。附録として略年譜と主要著作一覧を掲載。渡辺京二さんによるエッセイ「誤解を解く」では『苦海浄土』と渡辺さんの関わりをめぐる風説について言及されています。「この際、このような推測を完全に一掃しておかねば、とんでもない悔いを残すことになる」として、たいへん興味深い打ち明け話を綴っておられます。

+++

[PR]

by urag | 2018-04-22 23:36 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 20日

取次搬入日決定:『表象12:展示空間のシアトリカリティ』

表象12:展示空間のシアトリカリティ』(表象文化論学会発行、月曜社発売)の取次搬入日が決定しました。日販、大阪屋栗田、トーハン、いずれも4月23日(月)予定です。書店店頭には25日頃から順次並び始める予定です。どうぞよろしくお願いいたします。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。
a0018105_15274569.jpg

[PR]

by urag | 2018-04-20 15:29 | 表象文化論学会 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 20日

注目新刊:『思想』ボリス・グロイス特集号、『現代思想』現代思想の316冊特集号、など

a0018105_15212233.jpg


弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆さんの最近のご活躍をご紹介します。

★星野太さん(著書:『崇高の修辞学』)
★加治屋健司さん(共訳:ボワ/クラウス『アンフォルム』)
岩波書店さんの月刊誌「思想」2018年第4号(特集「ボリス・グロイス――コンテンポラリー・アートと批評」)に、論文をお寄せになっています。星野さんの論文「〈生きている〉とはどういうことか――ボリス・グロイスにおける「生の哲学」」(72~86頁)は、はじめに、1:生の哲学、2:生を物語ること――ドキュメンテーション、3:生を導き入れること――インスタレーション、4:生を解放すること――セオリーとミュージアム、という全4節構成。一方、加治屋さんの論文「グロイスにおける芸術の制度と戦後日本美術」は(87~99頁)は、はじめに、一:グロイスの制度論、二:戦後日本美術をどう捉えるか、三:変化する現代日本の美術、四:二つのソーシャリー・エンゲージド・アート、おわりに、の全四節校正。

なお、星野さんはまもなく発売となる表象文化論学会の「表象12:展示空間のシアトリカリティ」において、ボリス・グロイスの論考「インスタレーションの政治学」(66~79頁)の共訳を担当されているとともに、特集冒頭のイントロダクション(14~17頁)や、共同討議「越境するパフォーマンス――美術館と劇場の狭間で」の司会を担当されています。ちなみに同号では星野さんの昨春の著書『崇高の修辞学』(月曜社、2017年)に対する谷川渥さんによる書評「修辞学的崇高の新しい地平」(244~247頁)も掲載されています。

★岡本源太さん(著書:『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」の2018年4月号(特集「現代思想の316冊――ブックガイド2018」で、美学欄を担当され、「美学の今世紀」(134~140頁)というブックガイドを寄せておられます。一:感覚、自然――感性の脱人間化、二:身振り、関係性――美的文明での生存、三:言葉、イメージ――普遍性の構成、という立て分けの中で20点以上の書籍に言及されています。

★中山元さん(訳書:ブランショ『書物の不在』)
光文社古典新訳文庫の今月(2018年4月)新刊として、ハイデガー『存在と時間』(全8巻)の第4巻を上梓されました。帯文に曰く「現存在の「頽落」とはなにか? わたしたちの〈気分〉を哲学する画期的な思想」と。第一部第一篇第五章「内存在そのもの」の第28節「内存在を主題とした分析の課題」から第38節「頽落と被投性」までを訳出し、後半は長大な解説となっています。同文庫での『存在と時間』新訳の特徴は訳文と読解をドッキングさせた点にあり、全8巻というのは各社文庫版の中では最大規模になります。

★舞台芸術研究センター(発行:『舞台芸術』第一期全十巻)
京都造形芸術大学舞台芸術研究センターの機関誌『舞台芸術』の第四期第21号が刊行されました。特集は「アーカイヴを「批評」する――「記録」の創造的な活用のために」です。特集扉頁には「舞台芸術における「映像・音声記録(アーカイヴ)」の問題を考えること。それは、とりもなおさず、「映像・音声」というメディアを介して、「舞台芸術」というジャンルの本質を問うことに通じているのではないか。この特集は、ひとえにそうした観点から構想されている」等々と記載されています。目次は号数のリンク先でご確認いただけます。

a0018105_15215321.jpg


+++

[PR]

by urag | 2018-04-20 15:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 16日

「週刊読書人」に『多様体1』の書評

「週刊読書人」2018年4月13日号に『多様体1』の書評「現代日本の思想誌の最良の命脈を継承」が掲載されました。評者は新潟大学准教授の宮﨑裕助さんです。第1号の特集や連載についてだけでなく、弊社既刊書や編集担当にまで目配りしてご紹介下さいました。過分なお言葉を頂戴しましたが、今後いっそう励みたいと思っております。宮﨑先生、ありがとうございました。

a0018105_17410222.jpg


+++

[PR]

by urag | 2018-04-16 17:41 | 広告・書評 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 16日

ブックツリー「哲学読書室」に堀千晶さん、坂本尚志さん、奥野克巳さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の三本が追加されました。リンク先にてご覧いただけます。


ジル・ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介――冷淡なものと残酷なもの』(河出文庫、2018年1月)の訳者、堀千晶さんによるコメント付き選書リスト「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流

バカロレア幸福論――フランスの高校生に学ぶ哲学的思考のレッスン』(星海社新書、2018年2月)の著者、坂本尚志さんによるコメント付き選書リスト「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える

Lexicon現代人類学』(以文社、2018年2月)の共編著者、奥野克巳さんによるコメント付き選書リスト「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る


◎哲学読書室

星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために

+++

[PR]

by urag | 2018-04-16 11:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 15日

注目新刊:セットガスト『先史学者プラトン』、水崎博明訳『プラトーン著作集』全10巻27分冊完結、ほか

a0018105_20541554.jpg


先史学者プラトン――紀元前一万年―五千年の神話と考古学』メアリー・セットガスト著、山本貴光/吉川浩満訳、朝日出版社、2018年4月、本体2,800円、四六判並製480頁、ISBN978-4-255-01049-6
『プラトーン著作集 第九巻 人間存在と習わし 第一分冊 法律(上)/ミーノース』水崎博明訳著、櫂歌書房発行、星雲社発売、2018年2月、本体3,500円、四六判並製466頁、ISBN978-4-434-24162-8
『プラトーン著作集 第九巻 人間存在と習わし 第二分冊 法律(中)』水崎博明訳著、櫂歌書房発行、星雲社発売、2018年2月、本体3,300円、四六判並製429頁、ISBN978-4-434-24163-5
『プラトーン著作集 第九巻 人間存在と習わし 第三分冊 法律(下)』水崎博明訳著、櫂歌書房発行、星雲社発売、2018年2月、本体3,500円、四六判並製460頁、ISBN978-4-434-24164-2
食べることの哲学』檜垣立哉著、世界思想社、2018年4月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1711-9
アンドレ・バザン研究 第2号』堀潤之/伊津野知多/角井誠編集、アンドレ・バザン研究会発行、2018年3月、非売品、A5判並製180頁、ISSN2432-9002

★セットガスト『先史学者プラトン』は『Plato Prehistorian: 10,000 to 5000 B.C. Myth, Religion, Archaeology』(Anthroposophic Press, 1990)の翻訳。1987年に限定版でRotenberg Pressから刊行されたものの普及版と見てよいかと思われます。セットガスト(Mary Settegast, 1934-)はアメリカの独立研究者で、朝日出版社さんのウェブサイトでは「主要な関心は旧石器時代から現代までの宗教と文化、特に宗教と農耕の並行性にある」と紹介されています。訳書が出版されるのは今回が初めてです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭には日本語版への序文として、國分功一郎さんによる「考古学と哲学」が置かれています。

★國分さんは本書を次のように紹介しておられます。『〔主に『ティマイオス』や『クリティアス』など〕プラトンの著作を現代考古学の知見をもとに読み直そうという野心的な試みである」(5頁)。セットガストは「はじめに」でこう書いています。「ひょっとすると古代世界にたいする私たちの見方は、とりわけ二つの神話によって改められるかもしれない。といっても、いずれの神話もそれほど時代をさかのぼることなく見出せるものだ。どちらもギリシアに由来する。そして、二つともなんらかの形でプラトンに関係している」(33頁)。「新石器革命の最初の大きなステップ、つまり前八千年紀後半の近東に現れた不可解なまでに洗練された移住者たちの群れは、じつのところ、プラトンが描いた西方で〔自然災害によって〕破滅した文化からの避難民だったのかもしれない」(同)。前一万年から前五〇〇〇年に渡る地中海周辺の世界を、プラトンをひもときつつ、戦争と自然災害(洪水)と定住・農耕から読み解く試みです。

★國分さんはまた、著者の問題意識についてこう論及されています。「今日の考古学は「ニュー・アルケオロジー」と呼ばれ、高度に計量化されているようである。様々な機材を用いた測定がその主たる作業となり、数値は細分化されている。そこで起こっているのはどうやら「木を見て森を見ず」という事態らしい(30頁)。誰も全体を把握できない。また高度に専門化されたために、考古学以外の分野の知見が考古学者から失われてしまっている」(10頁)。さらに曰く「考古学が実証的なハードサイエンスの要素を取り入れたこと〔・・・〕それによって「測定できないもの(芸術、宗教)が丸ごと無視されてしまう」のではないか(29頁)。このセットガストの問題提起は重い。我々はいま実証的データだけを取り扱い、測定できないものは無視する方向に学問を進めつつある。その時、学問は全体としての統一を志向することはなくなり、世界は非常に貧しいデータの蓄積として扱われることになってしまう。それでよいのだろうか」(10~11頁)。

★この言葉はただ学問にのみ当てはまる状況ではなく、社会人や社会一般にも該当するのではないでしょうか。データを取り込めば取り込むほど、活用すればするほど現実のありようを把握でき、市場や消費者に対してより適切な対応ができると信じられている世界というのは、データ化されないものを「存在しないもの」として扱う世界でもあります。出版界にもそうした傾向はすでに生まれています。将棋の駒を動かすようにして現実を操作できると思い込んでいる節が現代社会にはあるのではないかと疑います。だからこそセットガストの探究から学ぶべきではないかと感じます。

★セットガスト自身の言葉に帰ると、「単線的連続性」で歴史を見ないこと、「古い時代をまったく新しい目でみるための方法」(23頁)を、私たちも学ぶことが必要だと思われます。セットガストはイギリスの歴史家ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield, 1900-1979)の『近代科学の誕生』(上下巻、渡辺正雄訳、講談社学術文庫、1978年、品切)からこんな言葉を引きつつこう述べます。「どんな種類の知的活動でも、なにより難しいのは「従来と同じデータを扱いながら、そこに別の枠組みを与えて、データを新たな関係の網〔システム〕のなかに位置づける技〔アート〕だ」」(23頁)。

★果たして先達の言葉の重みを現代人はどれほど理解しているでしょうか。「過去を理解できないのに、私たちが抱える現在の混乱と争いの意味を理解することなどいったいできるのだろうか」(32頁)というセットガストの言葉が胸に刺さります。

★『プラトーン著作集 第九巻』三分冊は、水崎さんによる個人全訳の新訳プラトン全集の最終回配本で最晩年の『法律――正義について』と『ミーノース――法について』が収められています。『法律』は第一分冊が第一巻から第四巻までを収め、第二分冊が第五巻から第八巻まで、第三分冊が第九巻から第一二巻までを収録しています。これで「プラトーン著作集」全10巻全27分冊が完結したことになります。2011年4月に刊行された第一巻「ソークラテースの四福音書」の第一分冊『ソークラテースの弁明/クリトーン』から約7年で完結したのは驚嘆に値します。水崎さんの地道な翻訳作業と、福岡市の版元・櫂歌書房さんの継続的刊行には深い敬意を覚えます。

★第三分冊の帯文は『法律』第一二巻について次のように紹介します。「プラトーン哲学の一大飛翔を我々は目撃する。冒頭はおよそ「法」というものを端的に問うものだがその問いの遂行の挙句には“立法者が魂に分かち与えてそれを立派にするものとは何か”という問いを最後の問いとし、すべての謎としながらそのまま閉じる」。第三分冊の後書き末尾において水崎さんは『法律』篇の核心についてこう書いておられます。「およそ国家の国制は「徳」を眼差ししてこそそこになるものの謂いであり、されば「魂」の秩序づけとその秩序づけの問答法的な学習こそがその眼差しの永続を可能にするものだというそういう哲学」である、と(460頁)。

★『食べることの哲学』は檜垣立哉さんの『日本哲学原論序説――拡散する京都学派』(人文書院、2015年)に続く約3年ぶりの単独著。世界思想社さんの新シリーズ「教養みらい選書」の第2弾です(第1弾は3月に発売された石黒浩さんの『僕がロボットをつくる理由――未来の生き方を日常からデザインする』)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の序「われわれは何かを殺して食べている」で檜垣さんはこう書かれています。「食べることは人間を考えるときに、文化・社会としての人間と、身体・動物・生命をもった人間との両側面が、きわめて矛盾しぶつかりあいつつ接触する地帯である」(2頁)。「食についての思考が切り開く世界はかくも広大で深いものである。それは身体をもって生きている人間そのものを覆いつくすような壮大な力にみちている」(12頁)。食について考えることで人間の「生の複雑さ」に迫るユニークな一書です。

★檜垣さんの『食べることの哲学』と、同じく世界思想社さんより発売された佐川光晴さんの『おいしい育児』(こちらは「こどものみらい叢書」の第1弾)の2点の刊行を記念して、以下のトークイベントが今月末に行われるそうです。

◎檜垣立哉×佐川光晴トークイベント「殺して、食べて、育てる――哲学者と作家の異種格闘技

日時:2018年4月29日(日)14:00~15:30 ※開場13:30~
料金:1,350円(税込)
定員:50名様
会場:青山ブックセンター本店小教室
電話:03-5485-5511 ※受付時間10:00~22:00

内容:4月に『食べることの哲学』を上梓した、哲学者の檜垣立哉さん。本書は、動物や植物を殺して食べる後ろ暗さと、美味しい料理を食べる喜び、という矛盾を昇華する、食の哲学エッセイです。/今回は、10年以上、屠畜場で働き、日々、ナイフを研いで牛の皮を剥くお仕事をされていた、作家の佐川光晴さんをお招きします。第1ラウンドでは、お二人が屠殺をどのように考えているのか存分に語り合っていただきます。/『食べることの哲学』では、焼いたものの量で価値を計るアングロサクソン系の食文化圏と、「味=発酵」の質を重視するアジアの食文化圏とに分ける、独自の食文化論も展開されます。第2ラウンドでは、主夫として家の料理を28年間つくり続けている佐川光晴さんと、食文化について語り合っていただきます。/佐川光晴さんは、2月に『おいしい育児』を上梓しました。この本は、主夫兼作家として二人の息子を育ててきた経験を綴ったエッセイ集です。父親が家事と育児をするのがあたりまえになるための実践的なヒントがぎっしり詰まっています。第3ラウンドでは、お子さんをお持ちの檜垣立哉先生と、男の育児について語っていただきます。/哲学者と作家の異種格闘技、どうぞご期待下さい。
※トークイベントの後にはサイン会を開催します。
※会場からも質問を受け付けます(トーク開始前に質問用紙をお配りしますので、そちらにご記入ください)。
※参加限定特典として、「檜垣立哉が選ぶ食のブックガイド」を配布予定です。

檜垣立哉(ひがき・たつや)哲学者、大阪大学教授。1964年埼玉県生まれ。フランスの現代思想を縦横無尽に駆使し生命論に挑む哲学者であるが思想にはいった入り口は吉本隆明。 また九鬼周造、西田幾多郎、和辻哲郎など日本哲学にも造詣が深く、20世紀初期の思想の横断性を突き詰めたいとおもっている。著書に、『瞬間と永遠 ジル・ドゥルーズの時間論』『賭博/偶然の哲学』『子供の哲学』『ドゥルーズ入門』など。死ぬ前に1つだけ食べるなら、讃岐うどん。 趣味(というか一面の本業)は競馬です。

佐川光晴(さがわ・みつはる)作家。1965年東京都生まれ、茅ヶ崎育ち。北海道大学法学部卒業。出版社勤務ののち、1990年から2001年まで大宮の屠畜場で働く。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞受賞。2002年『縮んだ愛』で第24回野間文芸新人賞受賞。2011年『おれのおばさん』で第26回坪田譲治文学賞受賞。他の著書に『あたらしい家族』『銀色の翼』『牛を屠る』『大きくなる日』など。芥川賞に5回ノミネート。小学校教員の妻と二人の息子との四人家族。主夫として家事を引き受けながら執筆に励む。

★山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所のアンドレ・バザン研究会が発行する『アンドレ・バザン研究』の第2号は、特集が「存在論的リアリズム」で小特集が「作家主義再考2」。後者は昨年3月に刊行された第1号(頒布終了)のメイン特集の続編です。目次詳細は誌名のリンク先でご覧になれます。また、堀潤之さんによる巻頭言「「草稿」に誘われて――第二号イントロダクション」と角井誠さんによる編集後記もリンク先に掲出されています。第二号の入手方法については同会ブログの2018年4月11日付エントリーをご確認下さい。数に限りがあるので、お早めにどうぞ。堀さんの巻頭言によれば本年末には「生誕百周年を迎えたバザンをめぐるシンポジウムを開催し、〔第2号に論考「フェティッシュの存在論」を掲載したダドリー・〕アンドリュー氏を招聘することが決まっている。次号はその記録を中心に編まれることになるだろう」とのことです。

+++

[PR]

by urag | 2018-04-15 20:37 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 13日

重版出来:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』8刷

弊社の書籍出版第一弾(2001年)である、ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』の重版8刷ができあがり、本日より出荷再開しております。長い間にわたり多くの方にお手にとっていただいていることに深く御礼申し上げます。部数で言っても期間で言っても弊社刊行物でもっとも広く長く読まれているのが本書です。なお弊社ではアガンベンさんの初の自伝『書斎の自画像』(2017年)を続刊予定としております。どうぞよろしくお願いいたします。

a0018105_14503231.jpg

+++

[PR]

by urag | 2018-04-13 14:51 | 重版情報 | Trackback | Comments(0)