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2016年 10月 12日

11月上旬発売予定:森山大道×鈴木一誌『絶対平面都市』

2016年11月11日取次搬入予定【芸術/写真】

絶対平面都市
森山大道×鈴木一誌著
月曜社 2016年11月 本体2,750円 46判[天地190mm×左右126mm]並製432頁 ISBN978-4-86503-037-2

内容:写真—書物—印刷の三角地帯に降りたち、〈写真〉の生まれる〈現在〉と〈現場〉に肉迫する高密度対話。

アマゾン・ジャパンにて予約受付中

目次:
絶対平面都市――凄みのあるフラットさへ向けて
路上のモノクロームーー写すまえに世界はすでに写真で埋まっている
アノニマスへ アーカイブへ――三〇年後の『北海道』
〈現在〉ってなんだ?――雑誌の仕事
日記のように――『記録』をめぐって
『新宿』コラージュ(吉田昌平)
歴史からの光――路上・スナップ・写真集
もうひとつの国をめぐって――『カラー』を中心に
視線の海へ――多木浩二と中平卓馬に向けて
写真と自然――対話を終えて(鈴木一誌)
あとがき――森山大道
引用と参考文献のリスト
初出一覧
索引

森山大道(もりやま・だいどう):写真家。1938年生まれ。最近の作品集・著書に、『Osaka』(月曜社、2016年9月)、『NORTHERN』(普及版、図書新聞、2016年3月)、『犬と網タイツ』(月曜社、2015年10月)、写真論・エッセイ集『通過者の視線』(月曜社、2014年10月)など。

鈴木一誌(すずき・ひとし):ブックデザイナー。1950年東京都立川市生まれ。東京造形大学を中退後、杉浦康平氏のアシスタントを12年間つとめ、1985年に独立。映画や写真の批評も手がけつつ、2001年よりデザイン批評誌『d/SIGN』を戸田ツトムとともに責任編集(2011年休刊)。著書に『画面の誕生』『ページと力』『重力のデザイン』『「三里塚の夏」を観る』。共著書に『知恵蔵裁判全記録』『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』『全貌フレデリック・ワイズマン』『1969  新宿西口地下広場』『デザインの種』がある。

by urag | 2016-10-12 23:59 | 近刊情報 | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 10日

注目新刊:グラッシ『形象の力』、クルヴェル『おまえたちは狂人か』、ほか

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形象の力――合理的言語の無力
エルネスト・グラッシ著 原研二訳
白水社 2016年9月 本体5,400円 4-6判上製406頁 ISBN978-4-560-08308-6

帯文より:修辞学の復権、伝説的名著。合理主義を超えて、フマニスム伝統の発見。論証では到達できない世界がある。古代ギリシアの弁論術から近代詩まで形象言語の系譜を掘り起こし、天啓と洞察、芸術の力の優位を説く。

★発売済。シリーズ「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」第8弾。エルネスト・グラッシ(Ernesto Grassi, 1902-1991)の訳書は、『芸術と神話』(Kunst und Mythos, 1957;榎本久彦訳、法政大学出版局、1973年)以来、久しぶりの2点目。底本は『Macht des Bilders: ohnmacht der rationale Sprache - Zur Rettung des Rhetorischen』(DuMont, 1970)です。第Ⅰ部「芸術作品に至る道と形象」、第Ⅱ部「言語の十全にして不全であること」、第Ⅲ部「インゲニウム――フマニスムの伝統」の三部構成。さらに細かい目次は書名のリンク先をご覧ください。本書においてはヴィーコ哲学とそれが根差すフマニスムの伝統が重要なのですが、それはたとえば次のようなくだりで確認できます。

★「ヴィーコが作成した批判哲学とトポス哲学の区別は、決して完了した問題ではなく、断じて今日の問題である。〔・・・〕ヴィーコのトポス哲学理論が根差すのは、ラテン語のフマニスムスの伝統であり、真に原理的な役割を修辞学に与える伝統世界である。人間の弁論の両エレメント、レスとウェルバ、内容と形式は分裂してしまえば二度と再びひとつにできるものではなく、フマニスムの伝統が常に心を砕いてきたのも、それらの一体化なのだった。ひとつの弁論に際してもっぱら合理的要素を、すなわち合理的内容の優位を受け入れてしまえば、精神を揺り動かすことのない表面的、修辞的〈形式〉のみを弁論に振り分けることは可能だろう。とはいえ、そんなことでは哲学もまた徐々に歴史上の人間存在の非本質的領域へと引き籠り、自ら意味を喪失していくだろう」(298-299頁)。

★「フマニスムの伝統の問題は古代の言葉を媒介することにあった。一見非哲学的な立場から発生したかに見えるこうした心配は、合理的知の優位とは無縁だった、というのもフマニスムでは隠れもなき真実がさまざまな形態をとるという問題は基本的にオープンのままだったから。古代の言葉の解釈がフマニストを導いていく客観性の問題は、解釈さるべきテキストを使いつつ、その枠内で生じるのだ。まさに古代文書の解釈こそが、テキストをただ合理的知と論理的心理の観点からのみ問いことは不可能であるという経験をもたらしてくれた。文学的テキストも政治的テキストもそういうことに還元できはしないのだ。言葉を理解し意見を述べることは、フマニスムの伝統においては人間自身の本質を展開することを意味する。そのとき「言葉・愛」たる「フィロ-ロギー」は、個別学問の段階にはもはやおさまらず、哲学の地位を獲得する。その論ずる対象は人間の本質である。この観点から〈フマニスム研究〉はその意味を明快にする。すなわり言葉は――思考の、判断の、疑義の表現としてのみならず――根源の現象として観察されねばならない。根源のものである言葉は、思考の観点からのみならず、文学的なもの、および目的をもった行動の観点からも経験される。多様性を合理的思考の単一性へと還元することが必要な課題として現れるのは、知が唯一にして根源的な経験を表わすことを――デカルトのように――前提とする場合に限られる。しかし、根源における言葉はまさに形而上学問題の――知への問いを通じて現代哲学によって初めて一方的に規定された――本来のオープン性を示す現象なのである。/だからこそフィロロギーは、ひたすら古代を有り難がる好事家のやることではないのだ、のちにたとえばバーゼル時代のニーチェの論文が代表するような意味で、本質的に哲学なのである」(300-301頁)。

★「イタリア・フマニスムの本質とアクチュアリティは、哲学することについての新しい捉え方にある。中世末期の論理偏重の合理主義的なスコラ学とは違うのだ、フマニスムはこれと対決すべく身構えて、人間の本質を具体的、パトス的、レに私的に縛る生成、すなわち歴史性を探究するのである。/社会の起源の問題、歴史における/歴史からなる哲学、その際、ファンタジーはどのような役割を引き受けるのか、ここにおいて働いているのは、精神である。実践の優位、事物の意味は、人間に直接関わる寸刻の猶予も許されない諸問題からの出口と解されるが、それは人間への具体的な関わりにおいて、およびそれをうまく処理しようとする人間の努力において発生するのであり、こうした実践の優位を可能にするのは、ただ形象の力への洞察、あらゆる人間活動の天啓的根源への洞察、修辞学と哲学の関係への洞察、そして合理的言語の優位の拒絶のみだった。/そこから――フマニスムの伝統への新たな回路となる手引きとして――生まれたのが、形象と天啓〔インゲニエース〕に関する、意味論的、指示的、そして合理的、演繹的言語のラディカルな区別に関するわれわれの研究の必要だった。フマニスムの伝統へ通じる新たな回路は、純・ロマニスト的〈文学史的〉関心によっても、一般史的な関心によっても、拓かれるものではない」(325頁)。

★このあとグラッシは「〈いまどき何のための哲学〉という今日焦眉の問題、言い換えると理論と実践の関係の問題」と話を続けるのですが、そのあとについてはぜひ本書現物をご確認下さい。教養学部の漸次縮小が見越されるこんにちの日本の状況において、グラッシをひもとくことは必然的に一種の反時代的挑戦の帯域への参入を意味するのかもしれません。


おまえたちは狂人か
ルネ・クルヴェル著 鈴木大悟訳・解説
風濤社 2016年10月 本体2,800円 四六判上製256頁 ISBN978-4-89219-410-8

帯文より:バーレスクな奇書。バイセクシャルな、34歳で自殺したシュルレアリスト。結核のサナトリウム、同性愛、割礼・・・赤裸々な自伝的要素がコラージュされ、女占い師に名をもらい淫蕩な予言に導かれ遍歴する、倒錯の実験的小説。

★発売済。シリーズ「シュルレアリスムの本棚」第5回配本。先述のグラッシもそうでしたが、ルネ・クルヴェル(René Crevel, 1900-1935)の訳書は、三好郁朗訳『ぼくの肉体とぼく』(Mon corps et moi, 1925;雪華社、1985年10月、絶版)に続いてようやくの2点目。底本は、『Êtes-vous fous ?』(Gallimard, 1981年)で、これはもともとは1929年に刊行されたものの復刊です。訳者の鈴木大悟(すずき・だいご:1969-)さんは水声社のシリーズ「シュルレアリスムの25時」で『ルネ・クルヴェル――ちりぢりの生』(2011年3月)の執筆を担当されているのは周知の通りで、今回の訳書でも長編解説「小説家クルヴェル、シュルレアリスト」が収められています。解説の末尾では原書の興味深い「誤植」のエピソードが紹介されています。鈴木さんの訳文はしなやかで、クルヴェルの生き急ぐかのような疾走感を味わうことができます。鈴木さんの解説では、クラウス・マンが本書を評して「言葉の厳密な意味ではもとより小説ではなく、むしろ論争的な妄夢、叙事的=風刺的形式をとった異様な幻覚、怒りの爆発、反抗」(『反抗と亡命――転回点2』渋谷寿訳、晶文社、1970年、97頁)と書いたことが紹介されています。

★クルヴェルの作品にはどこか寂しさが付きまとうような印象があります。『ぼくの肉体とぼく』の末尾にこんな言葉が書きつけられています。「如何せん、再びぼくは黙さねばならない。ぼくが神を語ろうとするのは、神に祈る欲求を感じるのは、涜神の味にそそのかされてのことなのだ。かつて、人間としてのみじめさがあまりにも大きかった日々に、恐怖のあまり持たざるをえなかった神の観念を、涜神によって凌駕しようとするからであった」(200-201頁)。「こうしてぼくが自分に打ち勝つとき、あるいはしばしの間そのように思い込むとき、ぼくの勝利は、いわばピュロスの勝利、敗北ほどにも手痛い勝利である。/戦いは終り、喜劇は終った。ぼくはひとり、手はからっぽ。心もからっぽ。/ぼくはひとり」(201頁)。

★そして『おまえたちは狂人か』の末尾付近。「朝がきた。/発熱の船たるベッドは、難破している。/夜明けに開かれたこの本は、夜明けに閉じられようとしている」(174頁)。「流れに逆らわず、港を待ち望まず、というのも、もっとも初歩的な慎み深ささえあれば、神と呼ばれる、永遠を保証する保険会社取締役会会長など、もはや受け入れられるはずもないのだから、死とその隠された地下の流れにしたがって、身を浮かせるのだ。仰向けに浮かぶがいい。/そして、彼方、水平線を通り過ぎる宗教の幽霊船にむかって、ひとつの合図を送ることなく、あてにならないこの船にむかって、ひとつの呼び声もあげることもなく」(175頁)。

★クルヴェルの父親はクルヴェルが14歳の頃、シャンソン歌手を銃殺しその後自らも縊死。クルヴェル自身はその約10年後、「自殺についてのアンケート」で「自殺は解決か?」という問いに「その通り」と答え、さらにそのまた約10年後、「火葬にしてください。うんざりだ」というメモを自分に張り付けて命を絶ったと言います。なお、シリーズ「シュルレアリスムの本棚」ではこの先、アラゴン『放縦』や、スーポー『パリの最後の夜』といった書目が刊行予定だそうです。

+++

★このほか、最近では以下の書籍との出会いがありました。

『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』河津一哉・北村正之著、論創社、2016年10月、本体1,600円、四六判並製183頁、ISBN978-4-8460-1573-2
出版と流通』横田冬彦編、平凡社、2016年10月、4-6判上製352頁、ISBN978-4-582-40294-0
ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』W・B・イェイツ著、栩木伸明編訳、平凡社、2016年10月、本体2,500円、B6変判上製函入280頁、ISBN978-4-582-83740-7
陳独秀文集 2 政治論集1 1920-1929』陳独秀著、石川禎浩・三好伸清編訳、東洋文庫、2016年10月、本体3,300円 B6変判上製函入480頁 ISBN978-4-582-80876-6
西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』小佐野重利・京谷啓徳・水野千依著、中央公論新社、2016年10月、本体3,800円、B6判上製688頁、ISBN978-4-12-403594-0

★河津一哉・北村正之『『暮しの手帖』と花森安治の素顔』はまもなく発売。シリーズ「出版人に聞く」の第20弾です。帯文に曰く「語られざる花森安治の実像とその背景に迫る。1957年と69年に暮しの手帖社に入社した著者二人は、1978年の花森安治の死去の直前まで、90万雑誌『暮しの手帖』の編集者として薫陶を受ける」。朝ドラ効果で花森さんへの関心が高まる中、同シリーズが新しい読者層を獲得する絶好のチャンスとなるような気がします。同シリーズで二人にインタヴューしたものは本書が初めて。河津一哉(かわづ・かずや:1930-)さんと北村正之(きたむら・まさゆき:1942-)さんはかつて長らく『暮らしの手帖』に関わられた編集者で、北村さんが設立に加わられた出版社「有限責任事業組合(LLP)ブックエンド」では『花森安治 戯文集』(全3巻、2011年6月~12月)や、『社会時評集 花森安治「きのうきょう」』(2012年3月)のほか、『花森安治集』として「衣裳・きもの篇」(2012年8月)、「マンガ・映画、そして自分のことなど篇」(2012年11月)などを出版されています。

★横田冬彦編『出版と流通』はまもなく発売。シリーズ「本の文化史」の第4弾です。出版流通会社の経営危機や倒産が相次ぐ昨今、この主題をめぐって近世から明治までの歴史的変遷を再確認することは歴史家や業界人にとってのみならず、広く一般読者にとっても有益ではないかと思われます。帯文はこうです。「だれが、なぜ、どんな仕組みで、本をつくり、弘めるのか。利を求めて、教えを正し〔く?〕弘めるために、組織と支配を固めるために、国民を創り出す教育をめざして、本屋が、教団が、本所が、学派が、国家が、刷るばかりでなく写して、売るだけでなく貸して、本を弘める。どこにどんな仕組みが、どんな変化が、どんな規模が働いているか。近世から近代へ、書物の動態」。収録論考は以下の通りです。横田冬彦「総論 出版と流通」、藤實久美子「三都の本屋仲間」、須山高明「地方城下町の本屋」、梅田千尋「「暦占書」の出版と流通」、万波寿子「仏書・経典の出版と教団」、吉田麻子「平田国学と書物・出版」、杉本史子「地図・絵図の出版と政治文化の変容」、稲岡勝「明治初期の学校と教科書出版」、浅岡邦雄「近代の貸本屋」、松田泰代「近世出版文化の統計学的研究」。

★イェイツ『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』はまもなく発売。『赤毛のハンラハンと葦間の風』(平凡社、2015年3月)に続く、栩木訳イェイツ本第2弾です。前著同様、東洋文庫と同じサイズの函入クロス装の瀟洒な上製本。帯文に曰く「“自伝的小説”初邦訳!! アイルランドとイングランドがせめぎあう、イェイツ文学の“相克の原点”。ノーベル賞作家W・B・イェイツ(1865-1939)初期の恋愛小説と彼の文学のエッセンスを凝縮した精選詩26篇のコラボレーション。波乱の生涯をたどる「読める年譜」付き」。『ジョン・シャーマン』の原典は、『John Sherman and Dhoya』(3rd ed,, Londom: T. Fisher Unwin, 1892)。以下に訳書全体の目次を列記します。

はしがき
Ⅰ ジョン・シャーマン
 第一話 ジョン・シャーマン、バラーを離れる
 第二話 マーガレット・リーランド
 第三話 ジョン・シャーマン、バラーを再訪する
 第四話 ウィリアム・ハワード牧師
 第五話 ジョン・シャーマン、バラーへ帰る
 恋、故郷、大都会――編訳者解説にかえて
Ⅱサーカスの動物たち――イェイツ名詩選
 詩選の余白に
 湖の島イニスフリー
 これからの時代のアイルランドに
 アダムが受けた呪い
 第二のトロイアはない
 飲酒歌
 知恵は時とともにやってくる
 仮面
 赦したまえ、父祖たちよ
 クールの野生の白鳥
 敗れた夢
 猫と月
 一九一六年復活祭
 再臨
 ビザンティウムへ船出して
 塔
 わたしの窓辺の椋鳥の巣
 レダと白鳥
 クール荘園、一九二九年
 クールとバリリー、一九三一年
 揺れ動く
 瑠璃〔ラピスラズリ〕
 不埒で無法なワルじいさん
 ベン・バルベンの下で(抄)
 クー・フリン、慰めを得る
 アメンボ
 サーカスの動物たちが逃げた
年譜でたどるイェイツの生涯
あとがき
引用・参照資料一覧

★『陳独秀文集 2』は発売済。東洋文庫の第876弾です。全3巻予定の第2回配本。第1巻「初期思想・文化言語論集」は今年6月に刊行済です。帯文は以下の通り。「近代中国の大先導者でありながら、不当にその存在意義を貶められてきた思想家の主要論説を編訳。2巻は中共指導者としての活躍期から、逐われてトロツキストに転じるまで」。第2巻は第一部「共産党創設期(1920-1923)」、第二部「国共合作期(1924-1927.7)」、第三部「党最高指導者の地位を逐われて(1927.8-1929)」の三部構成。巻末に懇切な解説が収められています。特にその第六節「成敗を超えて」では毛沢東による「総括」と毛沢東死後の再評価の過程に加え、編訳者の石川さんによる的確な論評を読むことができ、たいへん興味深いです。陳独秀の歩みを知ることは中国共産党の変遷を知ることであると言えそうです。

★『西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ』は発売済。創業130周年記念出版となるシリーズ全8巻の第1回配本。「テキストを主とする西洋美術の通史」(プレスリリースより)で、「現在第一線で活躍する執筆陣が、これまで記述の少なかった地域や時代にまで言及し、最新の着目点を紹介します。作品解説にとどまらない「読んで愉しむ」美術の歴史」(同)と。毎月刊行していく予定とのことです。第4巻の目次はシリーズ紹介のウェブページをご覧ください。カバーソデに記載された内容紹介文は以下の通り。「ジョットの登場で新たな芸術が芽吹いたイタリアでは、ヨーロッパ各地の宮廷を席捲した国際ゴシック様式を経て、自然と古代美術に範をとるルネサンスが幕を開けた。覇を競う君主や教皇の下、フィレンツェやヴェネツィアをはじめ各都市で多彩な才能が花開き、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらの活躍がその頂点を飾る。都市を行き来し、刺激を与え合った芸術家たちの核心的な試みは、どのように結実していったのか」。

★シリーズ「西洋美術の歴史」の編集委員は小佐野重利(東大)、小池寿子(國学院大)、三浦篤(東大)の三氏。内容見本に特記された当シリーズの特徴は以下の通りです。また全巻のタイトルと執筆陣も転記しておきます。

・ミロのヴィーナスからポップ・アートまで、流れを一望。
・作品を生み出した政治的、社会的背景を読み解く。
・当時の人々はどう作品を見ていたのか、同時代のまなざしを追体験。
・これまで記述の少なかった地域や時代に焦点をあて、最新の着目点を紹介。
・絵画や彫刻はもちろん、建築、科学、文学から演劇まで、分野を越えた影響を概観。
・作品解説にとどまらない、「読んで愉しむ」美術の歴史。
・各分野の第一人者による書き下ろし。

第1巻:古代――ギリシアとローマ、美の曙光(芳賀京子・芳賀満)
第2巻:中世Ⅰ――キリスト教美術の誕生とビザンティン世界(加藤磨珠枝・益田朋幸)第3回配本予定
第3巻:中世Ⅱ――ロマネスクとゴシックの宇宙(木俣元一・小池寿子)
第4巻:ルネサンスⅠ――百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現(小佐野重利・京谷啓徳・水野千依)第1回配本
第5巻:ルネサンスⅡ――北方の覚醒、自意識と自然表現(秋山總・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子)
第6巻:17~18世紀――バロックからロココへ、華麗なる展開(大野芳材・中村敏春・宮下規久朗・望月典子)第2回配本予定
第7巻:19世紀――近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ(尾関幸・陳岡めぐみ・三浦篤)
第8巻:20世紀――越境する現代美術(井口壽乃・田中正之・村上博哉)

★なお、中央公論新社さんは河出書房新社さんとともに今年創業130周年を迎えられ、今月以下のイベントが開催予定だと聞きます。

◎トークイベント「出版から考える戦後日本」のお知らせ

日時:2016年10月21日(金)18:40~21:00(受付は18:00より)
会場:関西大学東京センター(JR東京駅日本橋口隣接、東京メトロ大手町駅B7出口直結)

講演:「知の大衆化」再考――全集、新書、文庫の時代 大澤聡(批評家、近畿大学文芸学部准教授)/刊行物で辿る二つの出版社――ごくごく私的に―― 片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授)
鼎談:出版と読書の変容 大澤聡、片山杜秀、竹内洋(ファシリテーター、関西大学東京センター長)

内容:河出書房新社と中央公論新社の創業130周年と関西大学の創立130周年を記念するトークイベントが開催されます。長い歴史を持ちながら、今も新しい書籍や雑誌を刊行し続けている同年生まれの2社を中心に、出版文化とは何かを、世代の異なる3人が語り合います。

by urag | 2016-10-10 22:35 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 09日

山本貴光×吉川浩満「生き延びるための人文」第3回@『考える人』、ほか

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新潮社の季刊誌『考える人』2016年秋号に、山本貴光さんと吉川浩満さんの連載対談「生き延びるための人文」の第3回「モードチェンジは「驚き」から始まる」が掲載されています。今回も人文書の編集・営業・販売に関わる人々に必読の話題に触れておられます。短期的に成果を出さねばならない昨今の状況を考える上で、「短期的合理性だけでしのぐには、人生は長すぎる」(山本さん)と気づくことは重要です。「短期では合理的に見えたことも、流行や状況が変わったらそうもいかなくなる。中長期で考えたら、そういうすぐ役に立つ・立たないという発想自体を改める必要も出てくる。〔・・・〕死後となり状況をとりまく一種のエコロジーというか、「関係の網目」を視野に入れることが重要」(山本さん)。「合理性の適正範囲は実は短期長期いろいろ〔・・・〕、そのいろいろあるってことが人文的視点なしには見えない」(吉川さん)。「見えない関係のつながりをどうやって見るかというのも、人文知の利用価値のひとつ」(山本さん)。「準備できないものに出会うための準備〔・・・〕。あえて何らかのクルージを与えて環境をつくる。驚きとかアイデアを誘発するように」(吉川さん)。吉川さん曰くクルージとは「クリエイティビティを発揮できる環境をつくる仕組み」。「驚きのチャンネルを増やしたいね、驚きが快感に変わるような場面、他者と関わる場面というのに自分を開いていくのが大事」(吉川さん)。吉川さんは読書会の効用についても軽く触れられているのですが、お二人をお招きして書店員や出版人とともに読書会が開けたらどんなに素晴らしいでしょうか。しかしながら以下の通りお二人はご多忙なのです。

山本さん、吉川さんのお二人は「ゲンロンβ」で対談「人文的、あまりに人文的」を連載されていることは周知の通りです。またお二人はネット書店hontoの「ブックツリー」にブックキュレーターとしても参加されていますね。まさに大車輪。お二人の今後の刊行予定は山本さん吉川さんのそれぞれのブログのプロフィール欄をご覧ください。吉川さんは紀伊國屋書店の季刊PR誌「scripta」の最新号(第41号、2016年10月)より「哲学の門前」という連載を開始されています。第1回は「Call me Ishmael.」で吉川さんが19歳の頃の米国留学でのとある経験(タクシー運転手との交流)を回想しておられます。胸に沁みるお話。また、山本さんは月刊誌『新潮』2016年11月号にエッセイ「母語のなかで異邦人になる」を寄稿しておられます。さらに山本さんは「本迷宮――本を巡る不思議な物語」展(竹尾見本帖本店2F、2016年10月21日~11月25日)を記念して行われるスペシャルトーク「本を巡る不思議な物語」(2016年10月27日18:30-20:00)にも東雅夫さんや礒崎純一さん(国書刊行会出版局長)とともに登壇されます。予約制につき、参加ご希望の方は、10月13日(木)までに同イベントが紹介されているウェブページ上のフォームにて申し込みが必要とのことです。さらにさらに、山本さんが選書されたブックフェア「知と言葉の連環を見るために」が「じんぶんや」シリーズの最新弾として紀伊國屋書店新宿本店3FのI28棚で11月上旬まで開催されています。

山本さん、吉川さんのお二人は共著『脳がわかれば心がわかるか――脳科学リテラシー養成講座』(太田出版、2016年6月)の刊行記念イベントとしてここ数か月、大澤真幸さんと全三回の連続講義「心脳問題から自由意志、脳の社会性へ、人工知能の可能性とは何を意味するか」(2016年7月~9月)を行っておられました。いずれ活字で読めるようになるでしょうか。対談相手の大澤真幸さんですが、最新著『可能なる革命』(太田出版、2016年9月、本体2,300円、四六判変型432頁、ISBN978-4-7783-1534-4)が先月下旬に発売されました。『atプラス』誌の7号(2011年2月)から29号(2016年8月)まで掲載された連載「可能なる革命」に加筆修正し、序章と終章を書き下ろして1冊にしたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

「革命は可能だ。その可能性の根のようなものを探すのが、本書の狙いである。変化を求めながらも逆に現状を固辞するという悪循環から逃れるためには、革命がまさに可能だということを信じる必要があるからだ」(「はじめに」7頁)。大澤さんの言う革命とは「非合法的な暴力活動」(同頁)ではなく、「修正や改革や維新」(「序章」10頁)以上の「より大きく根本的な変動を指し示す」(同、10~11頁)ものであり、「集合的な要求を通じて、事実上は不可能とされていたことを実現し、そのことで、状況の全体を一変させること」(同、30頁)であり、「不可能だったことを可能にするような変化を、社会運動によってもたらすこと」(同頁)だとされています。本書の狙いは「われわれが無意識のうちに求めているものは、ある意味で〈革命〉だということ、このことを前提にして、次のように問うてみたいのである。それならば、〈革命〉を担い、遂行する主体はいるのか。そのような主体は、われわれの社会の中に準備されているのか。とりわけ、〔政治や社会への関心が乏しいと言われることがある10代から30代前半くらいまでの〕若い世代の中に、そのような主体はいるのか。このことを、さまざまな角度から問い、探究すること」(同、27~28頁)だ、と。

本書の終章では本書の革命論と「〈動物と人間〉をめぐる原理的な考察」とが「まっすぐに一本の糸によってつながっている」ことが明かされています。「私は今、動物との関係において人間とは何かを問う探究に従事している。とりわけ、人間の社会性、人間に固有な社会性は何であり、それはどのようなメカニズムで可能になっているのかが中心的な主題である。この研究では、進化生物学や霊長類学、脳科学などの自然科学から、社会学や哲学の知見までが、横断的に総動員される。成果は部分的に発表されている。いや、まさに発表の途上にある。こうした研究は〈革命〉の可能性という主題とは、およそ関係がないように思われるだろう。しかし、そうではない」(409頁)。発表の途上というのは、『動物的/人間的(1)社会の起原』(弘文堂、2012年)および、2014年より講談社月刊PR誌『』で連載されている「社会性の起原」を指しておられます。なお、大澤さんはつい最近発売になった『現代思想』2016年10月号「緊急特集=相模原障害者殺傷事件」に「この不安をどうしたら取り除くことができるのか」(38-43)というエッセイを寄稿されています。この事件が人びとに抱かせる不安(障碍者を殺すべきだという暴論に由来する)を払拭するに至るための条件について明快にお書きになっておられます。

最後に話を『考える人』2016年秋号に戻すと、同号では、糸井重里さん、細野晴臣さん、横尾忠則さんの三氏による鼎談「ぼくらは“飛び出した”方が生きやすかった[前編]」も掲載されています。横尾さんがYMOに参加予定だったことなどが語られており、興味深いです。横尾さんは発売されたばかりの『文藝』2016年冬季号に掲載された保坂和志さんや磯﨑憲一郎さんとの連載対談「アトリエ会議――二〇一六年八月二日」にも参加されています。今回は彫刻の森美術館を訪問。詳しくは書きませんが、館内を案内されていた主任学芸員の与田さんが思わず「あっ!!!」と声をあげるくだりは、随行されていた編集者の方にとってはさぞかし冷や汗ものだったろうと想像できます。不謹慎ながら思わず吹き出してしまいます。

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by urag | 2016-10-09 19:57 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 07日

注目新刊:デリダ『最後のユダヤ人』、ほか

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★竹峰義和さん(訳書:シュティーグラー『写真の映像』)
『アドルノ、複製技術へのまなざし――「知覚」のアクチュアリティ』(青弓社、2007年)に続く単独著第二弾『〈救済〉のメーディウム』が先月下旬に発売されました。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。全3部9章構成で、2002年から2012年にかけて国内外の各誌に発表されてきた論考を大幅加筆改稿し、書き下ろし4本を加えた1冊です。シンプルで美しい装丁は山口信博さんによるもの。

〈救済〉のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ
竹峰義和著
東京大学出版会 2016年9月 本体5,900円 四六判上製472頁 ISBN978-4-13-010130-1
帯文より:〈救済〉とは、テクストに潜在する、打ち捨てられた過去の事象のアクチュアリティを開放すること。ベンヤミン、アドルノ、クルーゲが描き出す星座的布置の閃光。


★渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
ジャック・デリダの二つの講演「告白する――不可能なものを」(1998年、フランス語圏ユダヤ人知識人会議)、「アブラハム、他者」(2000年、国際シンポジウム「ユダヤ性――ジャック・デリダのための問い」)をまとめた、『Le dernier des Juif』 (Galilée, 2014)の訳書が今週発売されました。目次や概要については書名のリンク先をご覧ください。巻頭の緒言はジャン=リュック・ナンシーによるものです。未來社さんのシリーズ「ポイエーシス叢書」第69弾。なお同シリーズですはデリダの2著が続刊予定であることは先日書いた通りです。『信と知――たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』(湯浅博雄+大西雅一郎訳、10月下旬発売予定)、『嘘の歴史 序説(仮)』(西山雄二訳、11月刊行予定)。

最後のユダヤ人
ジャック・デリダ著 渡名喜庸哲訳
未來社 2016年9月 本体1,800円 四六判上製150頁 ISBN978-4-624-93269-5

カヴァー紹介文より:現代哲学の最先端を疾走していた晩年のデリダがユダヤ人、ユダヤ性などをめぐって1998年と2000年になされた二つの講演を、盟友ジャン=リュック・ナンシーの緒言とともに収めた講演録。1930年にアルジェリアのユダヤ人家庭に生まれたデリダが、晩年にいたってみずからの出自と「ユダヤ性」を問い直し、現代における〈ユダヤ〉という問題が呈する諸問題に正面から取り組んだ特筆すべき論を展開する。


★モーリス・ブランショさん(著書:『ブランショ政治論集』『書物の不在』『謎の男トマ 1941年初版本』)
★郷原佳以さん(共訳:『ブランショ政治論集』)
来月(2016年11月下旬)発売予定でついに大著『L'entretien infini』(Gallimard, 1969)の訳書が分冊にて刊行開始となるようです。ネット書店hontoで予約受付が開始されています。第1巻の書名は原著第Ⅰ部の題名〔La parole plurielle (parole d'écriture)〕ですから、そこから推測して、以後は原著の三部構成が部ごとに刊行されていくものと思われます。第Ⅱ部は「限界-経験〔L'expérience-limite〕」、第Ⅲ部は「書物の不在(中性的なもの、断片的なもの)〔L'absence de livre (le neutre le fragmentaire)〕」です。

終わりなき対話 Ⅰ 複数性の言葉(エクリチュールの言葉)
モーリス・ブランショ著 湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳
筑摩書房 2016年11月 本体3,300円 A5判232頁 ISBN978-4-480-77551-1

なお、共訳者の郷原さんは半年前にブリュノ・クレマン(Bruno Clément, 1952-)著『La voix verticale』(Belin, 2013)の訳書を上梓されたばかりです。併せて特記します。同書の目次については書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「著者の申し出により、本文および注に修正を加え、さらには削除および追加した箇所があるため、原書そのままではなく、いわば改訂版の翻訳である」とのことです。

垂直の声――プロソポペイア試論
ブリュノ・クレマン著 郷原佳以訳
水声社 2016年4月 本体4,800円 A5判上製376頁 ISBN978−4−8010-0163-3
帯文より:アウグスティヌス、プラトンから、サロート、ベケット、ブランショ、デリダまで。このように語っているのは誰なのか。レトリックの一つ、プロソポペイアに光を当てた、詩学も軸にすえた独自の方法論による、修辞学の脱構築! 国際哲学コレージュで院長をつとめた著者が、不在のものの「声」という〈思考のフィギュール〉に迫る!

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by urag | 2016-10-07 19:07 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 06日

重版出来:アガンベン『涜神』新装版2刷

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ジョルジョ・アガンベン『涜神』新装版の重版(2刷)ができあがりました。いっぽう、ヴェルナー・ハーマッハー『他自律』(2007年)が版元品切になりました。同書は丸善&ジュンク堂さんでは2016年10月6日現在で20店舗ほどで在庫ありとなっていますので、こちらをご利用いただけたら幸いです。

by urag | 2016-10-06 11:28 | 重版情報 | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 02日

注目新刊:渡辺優『ジャン=ジョゼフ・スュラン』、ほか

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ジャン=ジョゼフ・スュラン――一七世紀フランス神秘主義の光芒』渡辺優著、慶應義塾大学出版会、2016年10月、本体7,500円、A5判上製474頁、ISBN978-4-7664-2368-6
『神秘主義――超越的世界へ到る途』イーヴリン・アンダーヒル著、門脇由紀子・ 今野喜和人・鶴岡賀雄・村井文夫訳、ナチュラルスピリット、2016年9月、四六判上製595頁、ISBN978-4-86451-217-6
錬金術の世界 新装版』ヨハンネス・ファブリキウス著、大瀧啓裕訳、青土社、2016年5月、本体4,800円、2016年5月、A5判上製**頁、ISBN978-4-7917-6926-1

★『ジャン=ジョゼフ・スュラン』はまもなく発売(10月5日頃より)。「17世紀フランス最大の神秘家として近年注目を集める」(帯文より)イエズス会士ジャン=ジョゼフ・スュラン(Jean-Joseph Surin, 1600-1665)をめぐる日本で初めての単行本になるかと思います。スュラン(シュランと表記されることもあり)の名前は、20世紀における再評価の功労者となったミシェル・ド・セルトーによる『ルーダンの憑依』(みすず書房、2008年)や『歴史のエクリチュール』(法政大学出版局、1996年、品切)などをお読みになった方はご存知かもしれません。著者の渡辺優(わたなべ・ゆう:1981-)さんは天理大学人間学部宗教学科講師。本書は2014年5月に東大大学院人文社会系研究科に提出された博士論文に大幅な加筆修正を施したもので、著者にとって初の単独著となります。目次詳細については書名のリンク先をご覧ください。以下では「はじめに」からいくつか引用します。

★「近世神秘主義においては、神の「不在」の経験は、むしろ根源的に肯定的な意味を帯びたものとして、嘉するべきものとしてありえた」(6頁)。「幻視や脱魂などの神秘体験ではなく、「不在の他者」とのもうひとつの交わりのかたちである「神秘的信仰」をこそ主題化する本書は、本質的に個人的・直接的なものとされる体験、何か特別な「現前の体験」を神秘主義の――ひいては「宗教」そのものの――「本質」とみなしてきた従来の研究の趨勢を正面から問い直し、私たちの神秘主義理解、そして宗教理解の水準を一段押し上げようとする試みである」(7頁)。

★スュランは「15年以上にも及んだ心身の危機的状況――魂の「暗夜」――を通じて、〔・・・〕その身に数々の「超常の・常軌を逸した」体験を被」りつつ、後年の恢復ののちには「すべてのキリスト教信徒に「共通の」、そして一切の超常の体験を拭い去った「通常の」信仰の境涯にこそ、「神秘的合一」への道を見出すに至ったのである」といいます(6~7頁)。「比類なき現前の体験に恵まれたスュランだが、その晩年、彼は、あたかも神が不在であるかのように暗い「信仰の状態」にこそ根源的な平安と喜びを認め、そこに憩うことに」なったと(7頁)。本書は「この間の消息を明らかにし、スュランにおける信仰の何たるかを解明」した労作です。

★本書の補遺「スュランのテクストについて」ではスュランの諸著作(詩的テクスト/霊的指導のためのテクスト/自伝的テクスト/書簡)について簡潔に解説しておられます。スュラン自身の著作の邦訳では「愛の諸相をめぐる十五の詩篇」(村田真弓訳、『キリスト教神秘主義著作集(15)キエティスム』所収、教文館、1990年、341~436頁)があります。

★渡辺さんの新刊で参考文献に挙げられていたアンダーヒルの古典的著作『神秘主義』が、先月復刊されました。親本はジャプラン出版より1990年に出版。1911年にロンドンで刊行されたMysticismの第2部の全訳で、巻頭の「訳者解説」の末尾に付されたごく短い「追記」によれば、訳文に手を入れた改訂版であるとのことです。目次を列記しておくと、訳者解説、第1章「はじめに」、第2章「自我の覚醒」、第3章「自我の浄化」、第4章「自我の照明」、第5章「声とヴィジョン」、第6章「内面への旅(1)――潜心と静寂」、第7章「内面への旅(2)――観想」、第8章「脱我と歓喜」、第9章「魂の暗夜」、第10章「合一の生」、むすび、付録「キリスト教紀元からブレイクの没年までのヨーロッパ神秘主義の歴史的素描」、文献目録〔原書のみ記載〕、索引〔主に人名〕。長らく品切だった本なので、今回の改訂版は嬉しい限りです。なおアンダーヒルの訳書には本書のほかに、『衷なる生活』(中山昌樹訳、教文館出版所、1929年、絶版)、『霊の力』(前川真二郎訳、羊門社、1937年、絶版)、『実践する神秘主義――普通の人たちに贈る小さな本』(金子麻里訳、新教出版社、2015年) があります。

★また、久しぶりの復刊と言えば、隣接する分野では今春、ファブリキウス『錬金術の世界』(青土社、1995年)の新装版が今春刊行されたことも思い出しておきたいと思います。原書はAlchemy: The Medieval Alchemists and their Royal Art (Copenhagen: Rosenkilde and Bagger, 1976; Revised edition, Wellingborough: Aquarian Press, 1989)です。著者はヨハンネス・ファブリキウスと記載されていますが、実際のところプロフィールは不明で、訳者あとがきによれば「心理学に取り組んで無意識の研究をおこなうとともに、少なくとも30年以上の歳月を費やして精力的に錬金術の研究をつづけていることが、かろうじてうかがえるだけ」とのことです。名前はおそらくはペンネームで、近世ドイツに実在した同名の天文学者(Johannes Fabricius, 1587-1616)から採られたものと思われます。復刊にあたり、「新装版あとがき」が加えられているほかは、特に初版から変更や改訂などはないようです。帯文も特に変更はないようです。「初めて解き明かされた神秘主義の殿堂。解明された夢と象徴の体系。古代・中世を経て現代に至る、ヨーロッパ文明の地下水脈に、人類の秘められた、夢と象徴の元型をさぐる。――近代知が見失ってきた魂の救済や生命の蘇生などをめぐる、中世の壮大かつ豊饒な知の体系を、精神分析学の成果を駆使して、深層から掘り起こし平明に解き明かした、錬金術研究の決定版」。

★以下に目次を列記しておきます。

序言
第1章 中世のサブカルチャーの古代の源泉
第2章 第一質料 作業の開始
第3章 最初あるいは地上での再誕の精神外傷
第4章 最初の結合 地上での再誕
第5章 ニグレド 「黒」の死と腐敗
第6章 アルベド 清めの白色化作業
第7章 第二あるいは月の再誕の精神外傷
第8章 第二の結合 月の再誕
第9章 キトリニタス 「黄色」の死と腐敗
第10章 第三あるいは太陽の再誕外傷
第11章 第三の結合 太陽の再誕
第12章 ルベド 「赤」の死と腐敗
第13章 死の精神外傷 第四の結合
第14章 大いなる石あるいは宇宙の石の再生
第15章 サイケデリック心理学 新しい錬金術
参考文献

図版出典
付録(連作図版の研究)
訳者あとがき
索引
新装版あとがき

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

創造元年1968』笠井潔+押井守著、作品社、2016年9月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-596-5
幸福はなぜ哲学の問題になるのか』青山拓央著、太田出版、2016年9月、本体1,600円、四六判変型272頁、ISBN978-4-77831535-1
アートの入り口 美しいもの、世界の歩き方[ヨーロッパ編]』河内タカ著、太田出版、2016年9月、本体1,800円、四六判変型368頁、ISBN978-4-7783-1520-7

★『創造元年1968』は発売済(29日取次搬入済)。押井さん(1951年東京生まれ)と笠井さん(1948年東京生まれ)との対談は、劇場アニメ『立喰師列伝』を記念して行われ、『立喰師、かく語りき。』(徳間書店、2006年、品切)に収録された「革命の火はなぜ消えたのか?」 に続くもので、話題は多岐にわたり、刺激的で濃密です。今回の対談本の巻頭にある笠井さんによる「まえがき」によれば、その最初の対談では「二人とも〈68年〉をめぐる話題に終始して、新作アニメ記念としては異例の対談だった」とのことで、「しかし、それでも語り残したことが多すぎる。今度は時間制限なしで〈68年〉論を徹底的に語ろうということになり、そして完成したのが本書」だということです。「ルーツ――68年世代の僕らがつくったもの」「リアルと表現をめぐる対話」「ルーツを生きること、創造すること」の三部構成。押井さんは対談の最後でこう述べておられます。「運動をやっていた68年から、ずっと自分には、空白の時期があり、68年の自分と今の自分がいまだに直接つながっている感じがします。〔・・・〕自分の作品は、あの当時の原風景を、その「記憶」を物語として表現してきたとも言える」(210頁)と。巻末に藤田直哉さんと編集部による40頁もの事項注釈あり。

★『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』は発売済。著者の青山拓央(あおやま・たくお:1975-)さんは山口大学時間学研究所の准教授。今回の新刊は単独著としては『タイムトラベルの哲学』(講談社SOPHIA BOOKS、2002年;新版、ちくま文庫、2011年)、『分析哲学講義』(ちくま新書、2012年)に続く3冊目。巻頭の「はじめに」によれば本書は幸福をめぐる哲学的考察についての本であり、「幸福とは何かを――なぜその問いに十全な答えがないのかを――読者とともに考えていく本」だと位置付けられています。目次や概要、言及される先人たちの諸著作については、書名のリンク先をご覧ください。「幸福」という言葉は「多義的でありながら、他方でその多義性を自ら打ち消し、私たちを均質化しようとする奇妙な力をもっている」(7頁)と著者は書きます。第5章「付録:小さな子どもたちに」は児童の読者に向けて書いたというユニークな試み。第7章は本書執筆の「一種の楽屋裏」を明かすと同時に「同時に筒井康隆氏の小説『モナドの領域』への特殊な論評」ともなっているとのことです。なお近刊予定として、博士論文に加筆した『時間と自由意思』を筑摩書房より上梓されるそうです。

★『アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方[ヨーロッパ編]』は発売済。『アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方 [アメリカ編]』(太田出版、2016年2月)に続く第2弾。本書の目次や取り上げられる芸術家については書名のリンク先をご覧ください。「本書には、ぼくが学生の頃から尊敬してやまない歴代の画家や彫刻家や写真家に加え、あまり知られていない、未だ過小評価されていると感じている作家たちが登場します。さらに第4章〔「変貌し続けたボウイ」〕でロンドンのミュージシャンたちのことを熱く書いたのは、美術や写真だけでなく、ぼくに大きな影響を与えてきた彼らのことも同じくらいに重要だと考えたからで、ヨーロッパにおけるアートの入り口として一章を設けました」(364頁)とあとがきにあります。俳優の井浦新さんは本書を評して「読んでいて画家たちと握手を交わせるくらいの距離感を感じた」とコメントしておられます。

★太田出版さんでは今月、大澤真幸『可能なる革命』や、大塚英志『感情化する社会』が発売されていることを申し添えます。こちらもともに注目新刊です。

by urag | 2016-10-02 23:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)