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2016年 09月 08日

live cameras in tokyo


tokyo tower, minato (if you can't watch it, go to tokyo tower live camera)


shibuya pedestrian scramble


shibuya


shibuya


odaiba (if you can't watch it, go to fnn)


kabukicho, shinjuku (if you can't watch it, go to TOCACOCAN)


futakotamagawa, setagaya (if you can't watch it, go to iTSCOM STUDIO & HALL live camera)


machida


by urag | 2016-09-08 00:40 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 05日

森山大道写真集『Osaka』サイン本

森山大道写真集『Osaka』サイン本が、スタンダードブックストア心斎橋ナディッフ・オンラインで販売開始となっています。数に限りがございますので、お早めにご利用くださいませ。

by urag | 2016-09-05 08:56 | 森山大道 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 03日

注目新訳:シュタイナー、ゲーテ=シラー、ソシュール

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ゲーテ的世界観の認識論要綱』ルドルフ・シュタイナー著、森章吾訳、イザラ書房、2016年8月、本体2,500円、四六判上製240頁、ISBN978-4-7565-0132-5
ゲーテ=シラー往復書簡集<上>』森淑仁・田中亮平・平山令二・伊藤貴雄訳、潮出版社、2016年7月、本体3,500円、四六判上製476頁、ISBN978-4-267-02041-4
ゲーテ=シラー往復書簡集<下>』森淑仁・田中亮平・平山令二・伊藤貴雄訳、潮出版社、2016年7月、本体3,900円、四六判上製549+47頁、ISBN978-4-267-02042-1
天界と地獄』スエデンボルグ著、鈴木大拙訳、講談社文芸文庫、2016年8月、本体2,200円、A6判並製576頁、ISBN978-4-06-290320-2
新訳 ソシュール一般言語学講義』フェルディナン・ド・ソシュール著、町田健訳、研究社、2016年8月、本体3,500円、A5判並製344頁、ISBN978-4-327-37822-6

★シュタイナー『ゲーテ的世界観の認識論要綱』は発売済。底本は1979年刊の第7版(原著初版は1886年、新版は1924年刊)。もともとは浅田豊訳(筑摩書房、1991年;底本は今回の新訳と同じく第7版)の再刊に森さんが解説を付す、というのが当初の予定だったそうですが、新訳+訳者解説というかたちになったとのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。シュタイナーの類似書名には『ゲーテの世界観』(溝井高志訳、晃洋書房、1995年)がありますが、こちらは『認識論要綱』のあとに刊行された(初版1897年、新版1918年)、別の本です。よく知られている通り、ゲーテ研究はシュタイナーの出発点であり、『認識論要綱』はシュタイナーが20代半ばに上梓したものです。副題「特にシラーに関連させて、同時にキュルシュナー「ドイツ国民文学」中の『ゲーテ自然科学論集』別巻として」にある『ゲーテ自然科学論集』はシュタイナーが編集し注釈・解説を付した全5巻本。

★本書の巻頭にはこうあります。「誰かが自説を、完全にオリジナルと自惚れて発表したところで、デーテやシラーがとっくに感じしていたことから一歩も出ていないというくらいに、あらゆるドイツ文化は古典期の思想家を基礎としている」(23頁)。さらに、後段ではこうも書いています。「ゲーテは通常の意味での哲学者ではなかった。しかし、彼の素晴らしい人格的調和に接したシラーの次の言葉を忘れてはならない。『この詩人こそが唯一の真の人間である』」(29頁)。「シラーほどゲーテの天賦の才の偉大さを見ていた人物はいない。シラーはゲーテに宛てた書簡の中で、ゲーテ自身の本性を鏡に映し出して見せた」(33-34頁)。「カントではなく、ゲーテやシラーに回帰し、彼らの学問の方法を深めたときにはじめて、哲学は文化生活における役割を再び果たすことができるようになるだろう」(35頁)。

★折しも『ゲーテ=シラー往復書簡集』全2巻も7月に刊行されており、『認識論要綱』を読み解くための豊かな源泉も私たちは手にしたことになります。上巻には1794年から1797年まで、下巻には1798年から1805年までの全999通+底本未収録分13通の書簡が収録されています。フォルマー編による、Briefwechsel zwischen Schiller und Goetheの第4版(1881年)が底本です。下巻巻末の解説によれば、「初の批判校訂版であるこの版を基にして、シュタイガー版以降の版をできるだけ参照するようにし、底本に収録されていないものについては、それらの版を参考にしつつ、可能な限り補充した」と。ただし「フォルマー編集の底本に添えられていた先行各版との異同表や、ゲーテのシラー夫人宛の書簡など、その「前書き」に言及されている付録の多くは、紙数の関係で訳出できなかった。同じ理由で、索引も大幅に縮小されている」とも特記されています。ゲーテとシラーの往復書簡集は、グレーフ/ライツマン編集版が、菊池榮一訳『往復書簡 ゲーテとシルレル』(上中巻、櫻井書店、1943年/1948年)として、1794年から1798年までの560通が訳されていました、残念ながら未完でした。今回の新訳は長らくの訳書の不在を埋めるもので、画期的な訳業です。

★鈴木大拙訳『天界と地獄』は発売済。岩波書店版『鈴木大拙全集』第23巻(1969年刊)を底本として使用し、新字新かな遣いに改めた、とのことです。また、「1910年刊行の単行本『天界と地獄』初版も参照し、誤字と思われる箇所は正し、適宜ふりがなと表記を調整しました」とも特記されています。附録にゼームス・スヒヤース「スエデンボルグ小伝」、解説は安藤礼二さんによる「鈴木大拙のスウェーデンボルグ」です。安藤さんはこう書いておられます。「人生のある時期、大拙は間違いなくスウェーデンボルグとともにあった。大拙のスウェーデンボルグは、大拙思想の感性にとって必要不可欠であっただけでなく、柳宗悦の民藝運動の一つの源泉、谷崎潤一郎や三島由紀夫の文学の一つの源泉、そして出口王仁三郎が『霊界物語』を書き上げる際の一つの重要な源泉になっていったと思われる」(543頁)。

★文庫で読めるスウェーデンボルグは、高橋和夫編訳『霊界日記』(角川文庫ソフィア、1998年)に次いでようやく2点目ですが(『神秘な天体』抜粋訳を含む金森誠也訳『カント「視霊者の夢」』〔講談社学術文庫、2013年〕は数えません)、今回の新刊は訳者が前面に出ている企画で、訳文は文語調なので、現代語訳で読みたい方は他の単行本を併せて読むのもいいかもしれません。なお、講談社文芸文庫では第2弾として、鈴木大拙『スエデンボルグ』を10月に発売するようです。これは大拙による概説書で、スウェーデンボルグの『新エルサレムとその教説』の大拙訳も併載するとのことです。大拙訳スウェーデンボルグはこのほかに『神智と神愛』『神慮論』があり、文庫化コンプを希望したいところではありますが、実際はそこまでは進まないのかもしれません。

★『新訳 ソシュール一般言語学講義』は発売済。1906年から1911年までジュネーブ大学でおこなわれた『一般言語学講義』(Le Cours de linguistique generale, 1916年)の新訳です。訳者の町田健(まちだ・けん:1957-)さんは名古屋大学大学院文学研究科教授。ご専門は言語学で、ソシュール関連の著書に『コトバの謎解き ソシュール入門』(光文社新書、2003年)、『ソシュールのすべて――言語学でいちばん大切なこと』(研究社、2004年2月)、『ソシュールと言語学――コトバはなぜ通じるのか』(講談社現代新書、2004年12月)があります。『一般言語学講義』には日本語の諸訳がありますが、バイイ/セシュエ編を底本としている翻訳には以下のものがあります。小林英夫訳『ソシュール 一般言語学講義』(岩波書店、1940年『言語学原論』;改題改版、1972年)。菅田茂昭訳『ソシュール 一般言語学講義抄』(対訳版、大学書林、2013年)。菅田訳が抄訳の対訳本であることを考慮すると、今回の町田訳は実に、小林訳以来の新たな完訳ということになります。

★巻頭の「訳者はしがき」にはこう書かれています。「〔ソシュール自身の手によるものではないとはいえ〕本書が言語学の概説書として、それ自体で人類史上最も優れたものであることにかわりはない。〔・・・〕本書は、その不備ですら、言語学の発展を促す結果をもたらしているという側面においても、その高い学問的価値を示している。〔・・・〕言語自体の本質を解明する学問としての一般言語学に寄与することができるソシュールの業績は、本書のみであり、本書を読むことによって、言語と言語学に対する正しい認識と理解がえられるのだと信ずる」(vi頁)。

★バイイ/セシュエ編以外では、以下の既訳があります。ゴデル編(山内貴美夫訳『ソシュール 言語学序説』勁草書房、1971年;新装版、1984年)。デ・マウロ校注(山内貴美夫訳『「ソシュール一般言語学講義」校注』而立書房、1976年)。コンスタンタンのノート(相原奈津江/秋津玲訳『一般言語学第三回講義』エディット・パルク、2003年;増補改訂版、2006年;影浦峡/田中久美子訳『ソシュール 一般言語学講義』東京大学出版会、2007年)。リードランジェのノート(相原奈津江/秋津玲訳『一般言語学第一回講義』エディット・パルク、2008年)、リードランジェ/パトワのノート(相原奈津江/秋津玲訳『一般言語学第二回講義』エディット・パルク、2006年)。さらに岩波書店から『フェルディナン・ド・ソシュール「一般言語学」著作集』全4巻の刊行が2013年に開始され、全3回の講義がそれぞれ1巻ずつで続刊予定となっていることは周知の通りです。

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★このほか最近では次の新刊との出会いがありました。

島/南の精神誌』岡谷公二著、人文書院、2016年9月、本体7,800円、A5判上製608頁、ISBN978-4-409-54083-1
叫びの都市――寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者』原口剛著、洛北出版、2016年9月、本体2,400円、四六判並製410頁、ISBN978-4-903127-25-5
〈わたし〉は脳に操られているのか――意識がアルゴリズムでは解けないわけ』エリエザー・スタンバーグ著、大田直子訳、インターシフト発行、合同出版発売、2016年9月、本体2,300円、四六判上製336頁、ISBN978-4-7726-9552-7
第二次大戦の〈分岐点〉』大木毅著、作品社、2016年8月、本体2,800円、四六判上製416頁、ISBN978-4-86182-592-7
苦海浄土 全三部』石牟礼道子著、藤原書店、2016年8月、本体4,200円、四六上製1144頁、ISBN978-4-86578-083-3

★岡谷公二『島/南の精神誌』はまもなく発売。『島の精神誌』(思索社、1981年)、『神の森 森の神』(東京書籍、1987年)、『南の精神誌』(新潮社、2000年)、『南海漂蕩』(冨山房インターナショナル、2007年)の4著に、単行本未収録論考「引き裂かれた詩人――民族学者アルフレッド・メトローの場合」(『新潮』2004年7月号所収)を加えて1冊としたものです。あとがきに曰く「島と南方憧憬から私は出発した。最初のころは、人のあまり行かない島々を訪ねて歩く気ままな旅人であった。〔・・・〕私の島と南方への承継に火をつけたのは、あのポール・ゴーギャンである」。岡谷さんは御自身の著書や訳業を振り返りつつ、「それらがいずれも旅と不可分であったことをあらためて思う」と述懐しておられます。共訳書近刊である、レリス『ゲームの規則』(全4巻、平凡社)も予告されています。

★原口剛『叫びの都市』は発売済。著者の原口剛(はらぐち・たけし:1976-)さんは神戸大学大学院人文学研究科准教授で、ご専門は都市社会地理学および都市論。単独著としては本書が初めてになります。『人文地理』『都市文化研究』『現代思想』などに寄稿した論考4編を全面的に書き改め(第1章「戦後寄せ場の原点――大阪港と釜ヶ崎」、第2章「空間の生産」、第3章「陸の暴動、海のストライキ」、第4章「寄せ場の生成 (1) ―― 拠点性をめぐって」)、3編を書き下ろして(序 章「アスファルトを引き剥がす」、第5章「寄せ場の生成 (2)――流動性をめぐって」、終章「地下の都市、地表の都市」)、1冊としたもの。書名のリンク先で、第4章と第5章の一部を立ち読みできます。

★大木毅『第二次大戦の〈分岐点〉』は発売済。「あとがき」によれば、前著『ドイツ軍事史――その虚像と実像』(作品社、2016年3月)に収録しきれなかった記事(『コマンドマガジン』『歴史街道』『歴史群像』などに掲載)に若干の加筆修正を施し一冊にまとめたものです。第1部「太平洋の分岐点」全7章+戦史エッセイ2篇、第2部「ヨーロッパの分岐点」全9章+戦史エッセイ2篇、第3部「ユーラシア戦略戦の蹉跌」全6章+2篇+補論、という構成。帯文に曰く「ファクト=ファインディング、アナシリス、ヒューマン・インタレスト、ナラティヴ……四つの視覚から、〔・・・〕外交、戦略、作戦、戦術などなど、第二次大戦の諸相を活写」と。

★なお今月、作品社さんでは笠井潔さんと押井守さんの対談本『創造元年1968』が発売される予定で、現在「復刊ドットコム」で予約受付中です。内容紹介文に曰く「〈1968年〉とはなんだったのか? あの時代、ともに青春を生きたクリエーター 押井守と笠井潔とが、当事者として語る貴重な時代の証言と“創造”の原風景。そしてそこから逆照射される“今”の日本の姿を、数日間、数十時間“徹底的に”語り尽くす」と。また現在、作品社さんの貴重なサイン本が三省堂書店神保町本店にて多数フェア展開されています。クロード・ランズマン『SHOAH』(高橋武智訳、1995年)あたりは非常に貴重ではないでしょうか。

★エリエザー・スタンバーグ『〈わたし〉は脳に操られているのか』は発売済。原書は、My Brain Made Me Do It: The Rise of Neuroscience and the Threat to Moral Responsibility (Prometheus Books, 2010)です。意識、自由意志、道徳的行為主体性をめぐる議論を、脳科学や神経科学に預けっぱなしにしないという姿勢で書かれた意欲作です。目次詳細の確認や「はじめに」「解説」の立ち読みは書名のリンク先でできます。巻末の「もっと詳しく知るために」は本書が視野に収める広範な諸分野(哲学、生物学、神経科学、コンピュータ科学、心理学、政治学など)の参考文献を全18章ごとに簡潔にまとめて紹介しています。ブックフェアの企画用には非常に便利かと思われます。

★スタンバーグ(Eliezer J. Sternberg)は現在、イェール大学附属病院の神経科医。本書が初訳であり、未訳書に『Are You a Machine?: The Brain, the Mind, And What It Means to Be Human』(Humanity Books, 2007)や、『NeuroLogic: The Brain's Hidden Rationale Behind Our Irrational Behavior』(Pantheon, 2016)があります。驚くべきことに、今回訳された『〈わたし〉は脳に操られているのか』の原書が出た2010年当時、スタンバーグは若干22歳、タフツ大学の学生だったそうです(「サイエンティフィック・アメリカン」記事「'My Brain Made Me Do It': A 22-year-old author discusses the threat that brain science poses to our concept of free will」参照)。今後の活躍に注目したいです。

★石牟礼道子『苦海浄土 全三部』は発売済。全三部作を通しで読めるのは河出書房新社のシリーズ「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集」の1冊として刊行されている『苦海浄土』(2011年1月)のみでしたが、今回の藤原書店版全三部作では3種の「あとがき」(「あとがき――全集版完結に際して」2004年、「あとがき――『神々の村』刊行に際して」2006年、「あとがき」2016年)が収められ、さらに、赤坂真理・池澤夏樹・加藤登紀子・鎌田慧・中村桂子・原田正純・渡辺京二の
各氏による解説が巻末に付されています。

★やや入り組んでいますが、全三部の書誌情報を以下に整理しておきます。
第1部「苦海浄土――わが水俣病」(1969年;講談社文庫、1972年;同文庫新装版、2004年;藤原書店版『石牟礼道子全集・不知火』第2巻所収、2004年4月)。
第2部「神々の村」(藤原書店版『石牟礼道子全集・不知火』第2巻所収、2004年4月;藤原書店単行本版、2006年;同新版、2014年)。
第3部「天の魚」(藤原書店版『石牟礼道子全集・不知火』第3巻所収、2004年4月)。

★なお同書の刊行を記念して、藤原書店さんでは『〈DVD〉海霊の宮 石牟礼道子の世界』を特価販売されています(税込19,440円→6,800円)。版元紹介文に曰く「本人による作品の朗読、インタビュー、原郷・不知火海、水俣の映像をふんだんに交え、その世界を再現した画期的映像作品」と。さらに、『苦海浄土』は今月放映となるNHK-Eテレ番組「100分de名著」にて取り上げられます。指南役が若松英輔さん、朗読が夏川結衣さんで、今月9月5日から9月26日まで、毎週月曜日午後10時25分より。同番組のNHKテキスト「100分de名著 石牟礼道子『苦海浄土』 2016年9月」(講師=若松英輔)は発売済です。

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by urag | 2016-09-03 23:05 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 01日

備忘録(36)

◆2016年9月1日午前9時30分現在。
「文化通信」2016年8月31日付記事「丸善ジュンク堂書店、戸田書店と業務提携」によると、「丸善ジュンク堂書店と戸田書店(静岡市)はこのほど、仕入・物流・データ管理を一体化し、商品管理・店舗開発の強化を目的に業務提携することで合意した。提携契約は9月1日に締結する。両社は資本提携も視野に入…(以下有料)」と。

丸善CHIホールディングス
丸善ジュンク堂書店
戸田書店
のいずれかのサイトでプレスリリースが出るものと思われます。

+++

◆9月1日午前11時現在。
過去記事ですが、「産経新聞」2015年6月19日付記事「【静岡 人語り】元戸田書店仕入部顧問、杉本博さん」(上・中・下、全3回)をこの機会に読んでおきます。

杉本博(すぎもと・ひろし:1949-)さんは「藤枝江崎書店勤務〔1979年入社〕を経て、59年〔1984年〕に戸田書店に入社。全国に30店舗以上を展開する同社の仕入れを一手に引き受け、後にミリオンセラーとなる書籍をいち早く見いだすなど、“伝説の書店員”として出版業界の信望を集める。〔・・・〕今年4月に引退」と。この記事は杉本さんへのインタヴュー記事で、杉本さんの半生を振り返るものとなっています。構成は村嶋和樹さん。

まず「」篇より。「当時藤枝警察署の近くに「麦」という喫茶店があって、家業を継いだコーヒー好きの兄がよく連れていってくれました。店には豆本図書館が併設されていて、豆本コレクター兼製作者の小笠原さんという皮膚科のお医者さんとよく文学の話をしましたね。先生から「藤枝に小川国夫さんという作家がいるよ」という話を聞くうちに興味が沸いて、高3の時に初めて小川さんのお宅に行きました。そこで作家や編集者にも紹介されましたが、普通の生活にはない“毒”をもらいましたね。/小川さんとはよく遊び歩いたんですが、〔・・・〕」。

一人の高校生が地元の作家や編集者と私的に交流できたというのは、作家のプライバシーが守られている(はずの)こんにちでは羨ましいことですね。しかし、様々な通信手段や輸送手段の進歩によって個人同士の距離感が変化した現在でも、そうした「地域に根差した機会」があってもいいはずです。杉本さんが小川さんとのひとときを大切にされていた様子が記事から伝わってきます。

次に「」篇より。「当時の藤枝江崎書店はとんがった品ぞろえで、こんな本屋があるのかとびっくりしましたね。もちろん食い扶持は食い扶持でしっかり稼がないといけないので、ベストセラーや雑誌もちゃんと置きます。でもかつての池袋リブロのように、とんがった店づくりをしたいというスタッフがたくさんいました。/その後、藤枝の戸田書店に移りましたが、かなり堅い内容の本でも必ず買うお客さんがいましたね。「これはあの人とあの人の分」という感じで分けておくんです。「この本はあっちの棚にあるべきだ」なんて言ってくるお客さんもいて、読み巧者たちに鍛えられました。自分で買う本は自分が興味のある本だけですが、本の世界には人間が想像し得るあらゆるジャンルの本がある。それを個人ですべてカバーすることは不可能ですから。面白かったのは、これはという新人が出てきても、メジャーになると売れ行きががくっと落ちるんです。売り上げが大きい他の店舗と藤枝店で売り上げが交差すると、ああこの人はもうメジャーになったなと判断できましたね」。

70~80年代の書店さんの風景が今とは違っていたことが窺えます。書店員さんだけでなく読者も違っていたというべきでしょうし、出版人も作家も研究者も違っていたでしょう。また、時代の推移の中で、変わらないものもある、とも言うべきかと思います。杉本さんのお話からは脱線しますが、「あの頃は良かった」と年長者が振り返るのを若者は苦々しく感じたりすることが、世間ではありますね。私は「あの頃は良かった」と思える過去があることは素敵だと思いますし、肯定したいです。さらに言えば、現在という過去の「なれの果て」を否定する自由もあるはずですし、変わらないものを称揚することが幻想だとも思いません。とある書店をめぐる記憶は様々であり、書店員のものだけではなく、訪問客や常連客のそれもあるのだと改めて思います。

最後に「」篇より。「出版の面白いところでもありますが、大手出版社は確かに大きな広告を打てるけど、本はどこから何が出るか分からないんですね。どんな小さな出版社にも、ベストセラーのチャンスはある。書店員も知らない中小の出版社と、個人的に関係を深めていました。ごく若い頃は、みすず書房の白いカバーに憧れて、会社にまで行ったら「うちの本なんて頑張ったってたかがしれてるから、他に行きなよ」なんて言われてね。でも、いい本を出しているところはやっぱり応援したいですから」。

リアルな話をすると現在弊社が戸田書店チェーンから新刊のご発注をいただくのは静岡本店さんのみであることが多いです。それが現実であり、それ以上を望むのは難しい状況です。とはいえ、中小の出版社のことを気に掛けて下さる書店員さんがおられたことは私たちにとって大きな励みです。丸善ジュンク堂との提携によって戸田書店がどう変わっていくのか(あるいは変わらないのか)はまだわかりません。書店チェーンのこうしたブロック化は今後も進むのでしょう。私が気になるのは会社の規模の拡大よりも、規模に見合った人材育成ができているかどうかです。

なお、「静岡新聞」2015年4月7日付記事「戸田書店・杉本さん(藤枝)が引退 書籍仕入れ続け30年」では、書棚や机の脇に資料が満載された仕事部屋での杉本さんの写真を拝見することができます。記事に曰く「データを重視した販売手法を取り入れながらも本の中身を第一に考え、その仕事ぶりは取引先から「職人技」と称された。厳しい書籍業界に「本の魅力を伝え続けてほしい」とメッセージを送る。〔・・・〕杉本さんは、書籍業界の活性化で連携する県内の他の系列書店にも「立場は違っても思いは変わらない」と敬意を表す。業界の将来に強い危機感を覚えるが、「本の役割は変わらない。本の面白さにこだわり、発信し続けてほしい」と後進に思いを託す」と。今回のジュンク堂書店との「提携」について、杉本さんなら何と仰るでしょうか。

+++

◆9月1日15時現在。
「新文化」9月1日付記事「丸善ジュンク堂書店と戸田書店、9月1日付で業務提携」によれば、「丸善ジュンク堂書店と戸田書店は仕入・物流・売上データ管理の一本化を目指す。まずは仕入の効率化・強化を図るため、9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した。スケールメリットを活かし、話題の新刊やベストセラーなどの仕入をスムーズにし、店舗へ潤沢に商品を供給する。今後、両社の強みを相互で吸収し合い、店舗運営に活かす。人事交流や資本提携なども視野に入れ、グループとしての体質強化を進める」と。

「9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した」というのが衝撃的です。普通に考えると、丸善ジュンク堂書店から調達するということは、SRC(丸善ジュンク堂書店書籍流通センター:2011年開所当時は埼玉県戸田市美女木東2-1-14の京葉流通倉庫北戸田営業所内に所在し、現在は東京都北区赤羽南2-19-1のDNPロジスティクス内に移転済)を活用するということだと予想されます。しかしSRCは大阪屋栗田帳合です。大阪屋栗田~戸田、という流れが、大阪屋栗田~SRC~戸田、となるのか、大阪屋栗田およびトーハンおよび日販~丸善ジュンク堂~戸田、となるのか、ややこしいです。物流そのものが変わる(準「帳合変更」的な)のか、伝票上の話(帳合は変わらず、戸田が丸善ジュンク堂の実質的な傘下となること)なのか。

つまり、「9月1日付で戸田書店の仕入先を大阪屋栗田から丸善ジュンク堂書店に変更した」ということが、大阪屋栗田との取引中止を意味するのかどうか(大阪屋栗田が戸田書店を「切った」のか、その逆で大阪屋栗田が「切られた」のか)、あるいはそもそも「まだ互いに切れてはいない」のかは、続報を待つ必要があります。ようやく大阪屋栗田での番線とコードが振り分けられたばかりなので、版元としては「いったい何ごとか」と驚かざるをえません。

さらに言えば、版元営業としては、SRCが例えばトーハンに帳合変更するのか、あるいはMJ(丸善ジュンク堂書店)が紀伊國屋書店とともにPMIJ(出版流通イノベーションジャパン)での直仕入を本格始動させるのか、などとも深読みしうる状況ですが、まずははっきりした情報を戸田書店や丸善ジュンク堂書店がリリースすべきかと思われます。現状では今後、戸田に営業を掛けたらいいのかMJに掛けるべきなのか分かりませんし、MJだとしてもどの部署が窓口になるのか分かりません。

業界仲間の早耳を頼りにする限り、どうやら事態は深読みするほどの状況ではないようにも感じるものの、ともあれ続報を待つしかありません。

+++

◆9月5日午前10時30分現在。
MJと戸田の提携の件、いまだにプレリリリースが出ません。丸善CHIホールディングス丸善ジュンク堂書店戸田書店、いずれもないですし、DNPからもナシです。「新文化」9月1日号のヘッドラインを見ても戸田の二文字はなし。「文化通信」も続報なし。一般紙や地方紙に記事が出た痕跡もまだないようです。

戸田書店ウェブサイトのお知らせ(NEWS & TOPICS)一覧では:
2016-09-17 はらぺこあおむし読み聞かせ&ワークショップ~掛川西郷店
2016-09-01 古書買取店のご案内
2016-09-01 ポイント2倍Day実施店のご案内
が見えるのみ。提携など今どきは珍しくない、と言えばそれまでですが、問題なのは仕入先の変更が報じられていることです。戸田書店は旧栗田の取引先筆頭チェーンでしたし、現大阪屋栗田でもMJに次ぐ規模のチェーンです。それがあたかも8月31日をもって旧戸田と新戸田に分かれ、つまり戸田はあのままでは立ち行かなかったのだし、新生大阪屋栗田が早速つまづいたのだ、などと噂されることにいったいどんな得があるというのでしょう。

一般紙に報じられないとはいえ、本件を小さな出来事だとはとても言えません。出版社はここしばらく続いている業界内の大型倒産に神経質になっており、戸田や大阪屋栗田に疑いの目を向けざるをえない状況です。もはや「想定外」は許されず、それを実際に避けられるかどうかは別として、あらゆる可能性を念頭に置く必要があるためです。実態以上のおおごととして業界全体が例えば銀行あたりから評価を下げられてしまうのはけっして喜ばしいことではありません。大阪屋栗田については株主である楽天、DNP、角川、講談社、小学館・集英社の5グループの動向も注視されるところで、MJにせよ戸田にせよプレリリリースが遅れれば遅れるほど「関連各社との調整が難しいのか」と勘繰られてしまいかねません。これらのことをMJや戸田が予想できないとは思えないだけに、この沈黙は不思議です。

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by urag | 2016-09-01 09:55 | 雑談 | Trackback | Comments(0)