2016年 05月 29日
![]() ジャック・デリダ講義録 獣と主権者Ⅱ ジャック・デリダ著 西山雄二・亀井大輔・荒金直人・佐藤嘉幸訳 白水社 2016年6月 本体6,800円 A5判上製430頁 ISBN978-4-560-09802-8 帯文より:世界は存在せず、ただ島々だけが存在する。生き埋めにされるという幻像(ファンタスム)から『ロビンソン・クルーソー』を読み解き、土葬と火葬という「喪の作業」の二項対立を考察し、ハイデガーとともに、動物と人間が共住する世界の「支配(ヴァルテン)」を問う! 最終講義を収録した、著者晩年の脱構築的思索の白眉。 ★まもなく発売。原書はガリレから2010年に刊行された、Séminaire La bête et le souverain Volume II (2002-2003)です。『獣と主権者Ⅰ』(西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年11月)に続く同講義の完結編で、デリダの生前最後の講義です。目次は書名のリンク先でご覧いただけます。訳者の西山さんは巻末の解説でこう述べておられます。「訳者のうち、西山と佐藤は留学中、本セミネールに出席し、デリダ自身の肉声で講義を聴いた。第一日目、デリダは「私はひとりだ」とおもむろにつぶやいて授業を始めた。大教室を埋め尽くす聴衆は一気に彼の演劇的な語り口に飲み込まれ、『ロビンソン・クルーソー』とハイデガー講義『形而上学の根本諸概念』の読解というスリリングな知的冒険に魅了された」(373頁)。なお、本訳書では、デフォー『ロビンソン・クルーソー』は平井正穂訳(上下巻、岩波文庫、1966~1971年)が、そしてハイデガー『形而上学の根本諸概念』は創文社版『ハイデッガー全集』第29/30巻(川原栄峰+セヴェリン・ミュラー訳、1998年)が参照されています。 ★講義冒頭で「私はひとりだ」と発語したあと、デリダは言葉を重ねつつこうも述べます。「この世界でひとり。つまり、孤独が話題になるとき、問われているのはつねに世界のことです。そして、世界と孤独との関係が私たちの本年度の主題となるでしょう。〔・・・〕けれども、私は退屈するのではないでしょうか。〔・・・〕とりわけ、ハイデガーが1929~30年の講義で論じたSichlangweilen〔退屈すること〕はおそらく、本年度のセミネールの核心となるでしょう。〔・・・〕ロビンソン・クルーソーは退屈したでしょうか。実際、この男性はひとりでした。〔・・・〕ロビンソンはいわば島のなかの島のようでした」(9-20頁)。全10回の講義に記された議論は濃密で多岐にわたり、要約は困難ですが、冒頭で言われた世界と孤独の問題については最後の講義である第10回(2003年3月26日)にも回帰します。イラク戦争勃発直後の講義であり、デリダの死去(2004年10月8日)の前年にあたります。 ★「おそらく、世界のなかにあまりにも多くの世界が存在するのでしょう。しかし、ひとつの世界が存在すると誰が私たちに保証できるのでしょうか。おそらく、世界は存在しないのでしょう。〔・・・〕私たちが生きている諸世界は、〔・・・〕怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。群島のあいだの深淵、めまいがするほど翻訳不可能なもの、それらの怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。私たちがこれほど語っている孤独そのものは、もはや、同一世界の複数者の孤独、共-住可能な唯一の同じ世界において依然として分有可能な孤独でさえなく、諸世界の孤独であり、世界は存在しない、ひとつの世界さえ、唯一の同じ世界さえ存在しない、ひとつのものである世界は存在しない、つまり世界一般、ひとつの世界、ひとつのものである世界は存在しない、という否みがたい事実」(332頁)。 ★「もし私たちが他者を、君を担わねばならない〔ツェラン「外へと-」、『息の転換』所収〕と考えるのなら、〔・・・〕二つのことしか問題にはなりえません。二つのことのうち、一方あるいは他方です。/一、〔・・・〕世界の外、すなわち私たちが少なくとも、世界は、共通の世界はもはや存在しない、という知識を幻像なく分有する場へと他者を運ぶこと。〔・・・〕二、あるいは、第二の仮説。世界が存在しないような場所で、世界がここにもあそこにも存在せず、遠くに、向こうに無限に離れているということ。君と共に、君を支えながら私がなさねばならないことは、まさにひとつの世界がある、ただひとつの世界がある、さもなければひとつの公正な世界があるようにすることだ、ということ。あるいは、あたかもたったひとつの世界しか存在しないかのようにし、〔・・・〕君に対して、〔・・・〕私が世界を世界へと到来させるかのようにすること――あたかも現在そこに存在しない場所に世界が存在するかのように。この「かのように」の贈与あるいは贈り物を詩的に生起させること、そのことだけが、〔・・・〕不可能な旅の有限な時間のなかで、私が生きられるようにし、君を生きさせ、あるいは君を生きるがままにさせ、楽しみ、あるいは君を楽しませ、君を楽しむがままにさせうる、ということ」(334-335頁)。 ★デリダの言葉は難解で、はっきりした結論を聴きたい方にとっては何ともモヤモヤした感じがするかもしれませんが、分かり切った自明な真理への到達を偽装することよりも、問い続けること、折り畳まれて今にも摩滅しそうな問いの地平を丁寧に拡げ直し、私たちが生きていく場所を見出そうと努力することをデリダは選んでいるのではないかと感じます。デリダは講義の最後に「死の能力」について問うことがまだ手つかずである、と述べます。デリダなき今、その問いは読者である私たちが引き継がねばなりません。 ★なお、白水社さんではデリダ講義録の続巻として、『獣と主権者』全2巻に続き、そのちょうど前期である1999~2001年のテーマである『死刑――責任の問い』(2巻本、原著2012/2015年刊)を刊行されるご予定。 ★また、白水社さんでは今月「書物復権2016」で、居安正さん訳によるジンメルの著書、『貨幣の哲学[新訳版]』『社会学――社会化の諸形式についての研究』(上下巻)や、サミュエル・ベケット『事の次第』(片山昇訳)など、重要書が復刊されています。また、来月下旬の新刊では『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ』(クリスタ・ブッシェンドルフ編、秋元由紀訳、白水社、2016年7月、ISBN9784560092491)が予告されています。版元紹介文に曰く「常にくすぶり続ける「人種問題」の根源に迫るため、今もっとも注目される論客が6人の賢人に託して語り尽くした刺激的なアメリカ論」と。昨秋出版された『Black Prophetic Fire』(Beacon Press, 2014)が原書だとすると、6人の賢人というのは、フレデリック・ダグラス、W・E・B・デュボイス、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、エラ・ベイカー、マルコム・X、アイダ・B・ウェルズとなります。結論部では「オバマの時代」についても言及されています。本書を軸に黒人思想家・活動家をしっかりフォローすれば書棚で人種の多様性を表現することも可能になるのではないかと思います。 ★『獣と主権者Ⅱ』に先立って、今月にはデリダの次の二冊が刊行されました。また、先月下旬には入門書も発売されています。 『精神分析のとまどい――至高の残酷さの彼方の不可能なもの』ジャック・デリダ著、西宮かおり訳、岩波書店、2016年5月、本体2,200円、四六判上製192頁、ISBN978-4-00-061129-9 『他の岬――ヨーロッパと民主主義【新装版】』ジャック・デリダ著、高橋哲哉・鵜飼哲訳、國分功一郎解説、みすず書房、2016年5月、本体2,800円、四六判上製144頁、ISBN978-4-622-07999-6 『〈ジャック・デリダ〉入門講義』仲正昌樹著、作品社、2016年4月、本体2,000円、46判並製448頁、ISBN978-4-86182-578-1 ★『精神分析のとまどい』は、États d'âme de la psychanalyse: L'impossible au-delà d'une certaine cruauté (Galilée ,2000)の翻訳。帯文はこうです。「精神分析は欲動の経済論を越えて「残酷さの彼方」を思考することにより、主権の横暴が露わになる戦争や死刑に対抗する言説を紡ぎだすべきではないか。精神分析の衰退を背景として開催された会議〔2000年〕における真摯で率直な提言」。巻末には立木康介さんによる解説「精神分析とデリダ――コンフロンタシオンから三部会へ」(153-173頁)が併載されています。デリダの導きの糸となるのはアインシュタインとフロイトの往復書簡ですが、タイミングの良いことに、6月11日発売の講談社学術文庫の新刊『ひとはなぜ戦争をするのか』(浅見昇吾訳、養老孟司解説、斎藤環解説;親本は『ヒトはなぜ戦争をするのか?』花風社、2000年)として文庫化されます。フロイトの手紙については『人はなぜ戦争をするのか』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008年)などでも読むことができます。前出の『獣と主権者』の講義原稿と本書『精神分析のとまどい』の発表原稿の執筆年が近いこともあって、問題の連続性を両書のうちに見出せるような気がします。 ★ちなみに岩波書店のウェブサイトでは今月から近藤ようこさんによる夏目漱石「夢十夜」の連載が始まっています。これは必見。漱石没後百年記念だそうです。また、同版元の来月新刊には、6月上旬発売の単行本で井波律子訳『完訳論語』、6月中旬発売の岩波少年文庫でディーノ・ブッツァーティ『古森のひみつ』(川端則子訳)などが見えます。 ★『他の岬[新装版]』は1993年の同書の再刊ですが(原著はL’Autre cap suivi de La Démocratie ajournée, Minuit, 1991)、 巻末に新たに國分功一郎さんによる解説「二重の義務」(122-132頁)が加えられており、デリダ再読の意義を示しています。デリダはこう書きました。「ヨーロッパは突出部――地理的及び歴史的な前衛――をもって自任している。それは突出部として前進して=突き出していくのであり、他者に対して突出する=言い寄る=先行投資するのをやめてしまうことはないだろう。引き入れ、誘惑し、産出し、指揮し、おのれを増殖させ、養い=耕し、愛したり犯したりし、犯すことを愛し、植民地化し、おのれ自身を植民地化するために」(38-39頁)。ヨーロッパの落日を迎えつつあるようにも見えるこんにち、本書は新たな読解を誘うように思います。 ★「理念的資本としての文化的資本を危機にさらすのは、次のような人間たちの消失である。すなわち、「失われた美徳、読むすべを知っていた」人間たち、「聞くすべ、耳を傾けるすべさえ知っていた」人間たち、「見るすべ」を、「くりかえし読み」「くりかえし聞き」「くりかえし見る」「すべを知っていた」人間たち――一言で言うなら、反復と記憶の能力をもち、応答する準備のできた人間たち、初めて聞いたり、見たり、読んだり、知ったりしたことの前で応答し、それらについて応答し=責任を負い、それらに対して応答する準備のできた人間たちの」(54-55頁)。ここでデリダが参照しているのは、第二次世界大戦開戦直前のポール・ヴァレリーのテクスト「精神の自由」(1939年)です。『精神の危機 他15篇』(恒川邦夫訳、岩波文庫、2010年)などで読むことができます。繰り返し読んで記憶するという習慣から離れつつある現代人にとって待ち受けているのは、その習慣によって避けられたかもしれない「過ちを繰り返すこと」の危険です。 ★『〈ジャック・デリダ〉入門講義』は、2014年11月8日から2015年5月9日にかけて連合設計社市谷建築事務所で行われた全7回の連続講義に大幅に加筆したもの。『精神について』(平凡社ライブラリー、2010年新版)と、『死を与える』(ちくま学芸文庫、2004年、品切)の読解を中心とした講義にそれぞれ3回ずつ割かれ、最終講では『声と現象』(ちくま学芸文庫、2005年)が扱われます。仲正さんは「はじめに」でこう書かれています。「デリダの文章は、慣れていない読者には、何が主題なのかさえ分かりにくいが、デリダが脱構築の対象として言及している元のテクストに直接当たって、デリダが拘っている語句や表現をよくよく吟味していくと、徐々にデリダの問題意識が見えてくる。元のテクストというのがプラトン、ヘーゲル、フッサール、フロイト、バタイユ、ハイデガー、アルトー、レヴィナスなど、それ自体が結構難解で、他の思想家のテクストと間テクスト的に複雑に繋がっているので、予備作業にかなりの労力が必要だが、その分、分かってくると爽快感がある。デリダが奇妙な文体を駆使するのは、単に、難解さを演出してマニアックな読者を惹きつけるためではなく、哲学的にきちんとした理由があることが見えてくる。〔・・・〕デリダは、際限のない解釈の連鎖へと誘う著者である」(5頁)。 +++ ★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。 『未来のために何をなすべきか?――積極的社会建設宣言』ジャック・アタリ+積極的社会フォーラム著、的場昭弘訳、作品社、2016年5月、本体1,400円、46判並製160頁、ISBN978-4-86182-581-1 『イン・アメリカ』スーザン・ソンタグ著、木幡和枝訳、河出書房新社、2016年5月、本体4,200円、46判上製488頁、ISBN978-4-309-20705-6 ★アタリ『未来のために何をなすべきか?』は発売済。原書は、Manifeste pour une société positive (Mille et une nuits, 2014)です。附録として、『神奈川大学評論』創刊80年記念号「人類への希望のメッセージ――世界からの提言」(2015年3月号)にアタリが寄稿した「未来の世代のために尽くすことこそ、継続的、均衡成長のための鍵である」が収録されています。本書の序文にはこうあります。「本書は、愛他主義(もちろんこれはエゴイズムの知的な形態でもあるのだが)への呼びかけである。本書の意味は、人間、国家、集団、企業それぞれに目を見開いてもらい、今日の社会を変革し、明日の地球全体の未来について考えてもらうことである。次の世代の利益を確保するためには、あれやこれやの現場で働く、すべての個人、あるいはすべての単位たる組織が、積極的でなければならないのである。〔・・・〕まさに、いまこそ行動に移すべき時なのだ。/次の世代の生活を準備し、さらにそれを実現するための協同、信頼、弾力性という基準を評価するためには、「積極的経済」というものが存在しなければならない。積極的経済という概念のなかで貢献しえるのは、人びとすべてである。〔・・・〕積極的経済の運動において中心となるのは、教育、健康、移動、エコロジー、金融、民主的ガバナンス、イノベーションなど、社会をそれぞれ構成する概念、そして全体として生きているそれぞれの単位でなければならない」(18-20頁)。 ★序文に先立ち、巻頭には「積極的な社会をつくりだすための17の提言・活動計画」が掲げられていて、国家、地域、企業の三次元に分けた提言が目を惹きます。特に興味深いのは企業レベルに振り分けられている提言のいつくかで、たとえば「株主の投票権を、その株をどれくらい長く保持しているかという持続性によって増やすこと」ですとか、「「積極的免税ゾーン」というものを創設し、企業が法人税を支払うことなく、そこに進出し、取引を拡大できるようにすること」など、ハゲタカファンドやタックスヘイブンの問題を考える上でユニークな論点が提起されています。また、巻末の訳者解説では、アタリが2012年にオランド大統領に提出した報告書の概要が紹介されており、積極的経済を実現するための45の要求事項についても列記されています。この報告書は本書誕生の淵源となっています。訳者の的場さんは積極的経済の意義についてこう説明しておられます。「それは自分自身の分相応の限界からの解放である。さらにそうさせない世論や規制からの解放である。積極的経済とはそうしたものから解放されるという積極性を意味するし、まさに愛他主義とはそうした解放を意味する」(150頁)。 ★ソンタグ『イン・アメリカ』は発売済。原書は、In America (Farrar, Straus & Giroux, 1999)です。帯文にはこうあります。「ポーランド移民がシェイクスピア劇を通じてスターになるまで。史実をもとにソンタグが描く、大長編ロマン。全米図書賞受賞作」。本書冒頭にはこう書かれています。「『イン・アメリカ』の物語はポーランドでもっとも高名だった女優ヘレナ・モジェイェフスカが1876年、夫のカロル・フワボフスキ伯爵、15歳の息子ルドルフ、若きジャーナリストで後に『クォ・ワディス』などの作品をものして作家となるヘンルィク・シェンキェーヴィチ、それに数人の友人たちと共にアメリカを目指して国を出たことに触発されて書かれた――一行はカリフォルニア州アナハイムにしばらく滞在しているが、その後モジェイェフスカはヘレナ・モジェスカの名でアメリカの舞台劇の世界で活躍し、大成功を収める。/こうしたことに触発されて書いた……それ以上でもそれ以下でもない」(3頁)。訳者あとがきはなし。木幡さんは長らく、精力的にソンタグの翻訳を継続されており、その恩恵には大きなものがあることは言うまでもありません。 『心に刺青をするように』吉増剛造著、藤原書店、2016年5月、本体4,200円、A5変上製308頁、ISBN978-4-86578-069-7 『ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006(別冊『環』22)』塩沢由典・玉川英則・中村仁・細谷祐二・宮崎洋司・山本俊哉編、藤原書店、2016年5月、本体3,600円、菊大判並製352頁、ISBN978-4-86578-074-1 ★吉増剛造『心に刺青をするように』は発売済。藤原書店さんのPR誌『機』で2001年2月から2008年1月まで連載された「triple ∞ vision」全80篇の単行本化です。まえがき「書物モマタ夢ヲミル」とあとがきが書き下ろされています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「前衛吉増詩人が、〈言葉―イメージ―音〉の錯綜するさまざまな聲を全身で受けとめ、新しい詩的世界に果敢に挑戦!」と。様々な作家やアーティスト、思想家の視線と交錯していく本書には、諸分野を縫うように走っていく詩人の針と糸の繊細な動きが見て取れます。造本は個性的で、カヴァーと帯の上からもう一枚半透明のカヴァーが掛けられており、本文と写真はセピア系のインクで刷られています。なお、吉増剛造さんはまもなく、『怪物君』(みすず書房、2016年6月、本体4,200円、B5変型判160頁、ISBN978-4-622-07986-6)という新刊も上梓されます。版元紹介文によれば「大震災からの五年、渾身の力を込めて書き続けられた一連の詩」と。 ★『ジェイン・ジェイコブズの世界』は発売済。帯文に曰く「都市・コミュニティ・起業を考える上で必読の一冊。「都市思想の変革者」の全体像に多角的視点から迫る! 人口減少による社会再編に直面する今、都市とコミュニティの活性化と発展の原理を明らかにしたジェイコブズに何を学ぶか? 生誕100年・没10年記念出版」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「ジェイコブズを読む」「都市空間とコミュニティ」「都市のイノベーション、そして国家」「ジェイコブズの先へ」の四部構成で30余編もの論考が読めるほか、巻末にはジェイコブズ略年譜(1916-2006)や著書一覧が配されています。ラング+ウンシュ『常識の天才ジェイン・ジェイコブズ――『死と生』まちづくり物語』(玉川英則・玉川良重訳、鹿島出版会、2012年)とともにひもときたい一冊です。なお、筑摩書房の「ちくま大学」ではこの半年間、「生誕百年 ジェイン・ジェイコブズの思想と行動」という連続講座が開かれてきたことも特記しておきたいと思います。 ★藤原書店さんでは来月、エマニュエル・トッドの大著、『家族システムの起源(Ⅰ)ユーラシア』(2分冊)が刊行予定とのことです。「「人類の歴史」像を覆す! 人類学者エマニュエル・トッドの集大成!」と版元サイトで予告されています。 『現代思想 2016年6月臨時増刊号 微生物の世界――発酵食・エコロジー・腸内細菌…』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製198頁、ISBN978-4-7917-1322-6 『現代思想 2016年6月号 日本の物理学者たち』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1323-3 ★『現代思想』6月号と同月臨時増刊号は発売済。通常号は物理学、臨時増刊号は微生物、いずれも理系メインの内容で、『現代思想』誌が渉猟する領域の幅広さが示されているとともに、栗原編集長時代の飽くなき挑戦の広がりを感じさせます。それぞれの収録論文は、誌名のリンク先でご確認いただけます。まず通常号ですが、いずれも興味深い内容のエッセイや論考、インタヴューが揃っていて、個人的には数学者の津田一郎さんの寄稿「カオス理論から見た心脳研究の私的遍歴」が読めるのが嬉しいです。周知の通り津田さんは昨年末、『心はすべて数学である』(文藝春秋、2015年12月)というたいへん魅力的な新著を上梓されており、文理の別を問わない広い関心を集めておられます。 ★臨時増刊号では、渡邉格・渡邉麻里子さんへのインタヴュー『田舎のパン屋が描く、〈生活〉のかたち』や、川邉雄さんの寄稿『酵母と暮らすパン焼き生活』といったパン屋・パン職人の方々の声が掲載されていることに注目したいです。お三方は『Spectator』誌第35号「特集=発酵のひみつ」(エディトリアル・デパートメント発行、幻冬舎発売、2016年1月、本体952円、B5変形190頁、ISBN978-4-344-95294-2)にも登場されていますし、渡邉格さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社、2013年)はビジネス書として以上に一冊の思想書として注目できます。また、川邉さんはグラフィック・デザイナーとしても知られていますが、近著では『認知資本主義――21世紀のポリティカル・エコノミー』(山本泰三編、ナカニシヤ出版、2016年4月)にも寄稿されています。『Spectator』『現代思想』の両誌や関連書が併売されれば、新たな読者層が開拓できるかもしれません。 ★『現代思想』7月号は6月下旬発売予定、「特集=報道の未来」とのことです。 ▲
by urag
| 2016-05-29 23:50
| 本のコンシェルジュ
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2016年 05月 27日
![]() 弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号、11号に続いて、12号のご紹介です。 季刊哲学 ars combinatoria 12号 電子聖書〔ハイパーバイブル〕――テクストの新スペキエス:文化の相転移のために 哲学書房 1991年10月10日 本体2,900円 A5判並製294頁 ISBN4-88679-050-X C1010 目次: 【テクスト・神学・外部】 荒井献「プロローグとしてのエピローグ――マルコ福音書16章7-8節によせて」 pp.8-31 百瀬文晃「聖書と教義」 pp.32-47 青野太潮+大貫隆「聖書研究の現在――エクリチュール・神学・外部」 pp.52-74 川島貞雄「『聖書 新共同訳』(新約)の意義と問題点――エキュメニズムの果実」 pp.75-83 白柳誠一「古くて新しい聖書」 pp.48-51 【電子メディアと聖書】 Z・イエール「聖書とコンピュータ」 pp.209-214 近藤司朗「日本語版電子聖書の役割と展望――言葉の森のアリアドネー」 pp.215-221 黒崎政男「電子メディアと現代哲学」 pp.222-237 【テクスト・声エクリチュール】 柄谷行人「テクストとしての聖書」 pp.120-133 磯崎新「「声」と「ことば」――教会建築に何が起きたか」 pp.144-147 高橋悠治「ことば、文字、……」 pp.192-195 E・レヴィナス「弦と木――聖書のユダヤ的解釈について」合田正人訳 pp.134-143 【像と喩】 小此木啓吾「聖書とフロイト――鳥は風によって懐妊する」 pp.153-164 若桑みどり「預言者の図像とその肖像――システィナ礼拝堂の場合」 pp.84-116 【テクストのフィギュール】 トマス・アクィナス「ロマ書講解(第13章30-33節) コリント前書講解(第1章21-25節)」花井一典訳 pp.174- ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程 第二章」長倉久子訳 pp.238-257 山内志朗「聖書と普遍論争――中世におけるフランチェスコ会」 pp.196-208 【デュナミスと思考】 養老孟司「聖心信仰――臨床哲学4」 pp.148-152 小林康夫「聖書の場所」 pp.118-119 小林昌廣「治癒力の伝道者たち――聖書と医学」 pp.165-173 岡部雄三「星の賢者と神の聖者――パラケルススの魔術論」 pp.258-278 小林龍生+中野幹隆「ハイパーバイブル――成立・構造・利用法」 pp.279-291 「『ハイパーバイブル』(floppy disk A)をご希望の方に」 pp.293- 「ハイパーバイブル申し込み書」 p.293 「契約書」 p.294 「編集後記」 p.292 編集後記: ●―テクストに内在する読者と、これに自らを投影して行く、歴史的に実在する読者と。この時読者は、いずれも聴者でもあった。たとえば、歴史という「地」からマルコ福音書というテクストがたち現われるあたり、声つまりパロールの内的直接性と、エクリチュールとは、未分の状態で、いまだあった。もとより読者と著者はテクストの担い手なのであった。二十世紀の半を過ぎて、エクリチュールの外部性を直截に言うことによってプロブレマティックの全容が明らかにある、時間軸上のこの二点を『聖書』が無ずぶのである。 ●―テクストはあくことなく読解を挑発する。文化とはたとえば『聖書』に加えられたヘルメノイティークの堆積層の別名にほかならない。啓示と生、思考と行為を貫いてそれはあった。 ●―ひるがえって『聖書』は、書物のメタファー、あるいは原=書物として、時代の先端をなすテクノロジーとそれが可能にしたメディアによって担われてきた。メディアは身体を貫いて精神を象る。一四五五年、グーテンベルクによってもたらされた最初の活字印刷本こそ、「四二行聖書」であった。この時以来五世紀、書物が思考の生理を律する。 ●―そしていま「電子聖書」が創出される。書物の、とはつまり思考の形態転換の軌跡が鋭く折れる。テクストの新たなスペキエスの出現によって、いまや「書物」という身体(physics)から解き放たれ、あからさまに自らを露出する「情報」は、思考のモードを、どのように相転移させようとするのだろうか。 ●―フロッピーディスクになった、『聖書=ハイパーテキスト』と双生児というべきこの雑誌は、ご寄稿いただいた方々はもとより、実に多くの方々のご協力のことに成った。編集部の不手際にとって今日まで刊行が遅れてしまったことを深くおわび申しあげる。財団法人日本聖書協会、Z・イエール神父、佐藤信弘(JICC)、安斎利洋(サピエンス)の方々にはわけてもお世話になった。西洋古典学を修め信篤い友人小林龍生(ジャストシステム)は、ほとんど共同編集者であった。とはいえ、責任の一切が哲学書房に帰すこと、いうまでもない。 ●―なお、「電子聖書」の実験は日々新たな展開を見せており、多国語聖書を収めた「国際聖書」のCDROM化が日程に上っている。 ●―次号は「神の存在(論的)証明」となる。(N) 補足1:欧文号数は「vol.V-1」。すなわち第5年次第1巻。「編集後記」には次号予告があるものの、この号が実質的な最終号となった。 補足2:目次末尾には次のような注記がある。「聖書からの引用は、原則として『聖書 新共同訳』に拠る。なお行論・文脈上、〈口語訳〉〈前田護郎訳〉ほかに拠る論文もある。また翻訳の場合は、原著者による引用を忠実に訳出した。」 補足3:117頁は日本キリスト教団出版局の「新共同訳 新約聖書注解」全2巻(高橋虔/B・シュナイダー監修、川島貞雄・橋本滋男・堀田雄康編集)の広告が掲載されている。 補足4:表紙表4は、磯崎新氏の展覧会「磯崎新建築展 1960/1990」(1991年9月~1992年7月、東京・水戸・群馬・梅田・北九州)の全面広告である。 +++ 月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。 季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円) 季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円) 季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円) 季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円) 季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円) 季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円) 季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円) 季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円) 季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円) 季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円) 季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円) ※哲学書房「目録」はこちら。 ※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。 なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。 小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。 +++ ▲
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| 2016-05-27 19:57
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2016年 05月 26日
東京外国語大学H28年度(2016年)リレー講義「日本の出版文化」第7回として、「編集と独立」というお題をいただき、昨日2016年5月25日(水)3時限に発表させていただきました。御清聴ありがとうございました。皆さんのレスポンスシートはすべて拝読させていただきました。また皆さんとお目に掛かってお話をする機会があれば幸いです。
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| 2016-05-26 10:13
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2016年 05月 23日
エルンスト・ユンガー『追悼の政治』(川合全弘編訳、月曜社、2005年)の増補改訂版である『ユンガー政治評論選』(川合全弘編訳、月曜社、2016年5月、本体2,800円)の取次搬入日が決定いたしました。日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに5月25日(水)です。書店さんの店頭に並び始めるのは取次搬入日の2営業日以後が通例です。都心の大型書店やネット書店など、お店によっては、搬入日翌日から扱いが始まる場合もございます。今回の増補改訂版では特に、ユンガーのナチズム観を表わす3編のテクスト(本邦初訳)をぜひご高覧いただけたら幸いです。 ![]() ▲
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| 2016-05-23 10:50
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2016年 05月 22日
![]() 『人工地獄――現代アートと観客の政治学』クレア・ビショップ著、大森俊克訳、フィルムアート社、2016年5月、本体4,200円、A5判上製536頁、ISBN978-4-8459-1575-0 『ラスト・ライティングス』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、古田徹也訳、講談社、2016年5月、本体2,700円、四六判上製512頁、ISBN978-4-06-218696-4 『世界妖怪図鑑 復刻版』佐藤有文編著、復刊ドットコム、2016年5月、本体4,400円、B6判上製208頁、ISBN978-4-8354-5356-9 ★『人工地獄』はまもなく発売。原書は、Artificial Hells: Participatory Art and the Politics of Spectatorship (Verso, 2012)です。クレア・ビショップ(Claire Bishop, 1971-)はアメリカの美術史家で、現在、ニューヨーク市立大学大学院センターで現代美術を担当する教授を務めておられます。著書が翻訳されるのは今回が初めて。日本で翻訳されてきた同分野の先達で言えば、クレメント・グリーンバーグやロザリンド・クラウスといった美術批評家以後で、もっとも注目すべきキーパーソンの一人がビショップです。 ★本書では現代における「参加型アート」の系譜が辿られます。「参加型アート」というのは、ビショップによれば次のようなものです。「「アトリエ制作以後」の実践の拡張された領域〔・・・〕ソーシャリー・エンゲージド・アート、コミュニティ型アート、実験的コミュニティ、対話型アート、浜辺のアート〔・・・制度外部で社会的な交流を目指す芸術〕、介入主義的アート、〔・・・〕協働型アート、コンテクスチュアル・アート、そして(直近では)ソーシャル・プラクティス〔・・・〕。芸術が、たえずその環境に対応するものである限り、いったい社会的関与ではない芸術など、存在するのだろうか。〔・・・〕本書では、演劇やパフォーマンスという手立てによって、人々の存在が芸術的な媒体と素材の中心的要素となる、そうしたものとして参加を定義し、これを核に据える」(12頁)。 ★「訳者あとがき」で本書はこう紹介されています。「芸術と社会の関係を主題として、20世紀の美術や演劇、社会運動を今日の状況へと架橋する試みとなっている」と。こうした越境的試みによるものか、ガタリ、ドゥボール、フレイレ、ランシエールといった社会思想家たちにたびたび言及しているのも、興味深いところです。日本においても近年、参加型アートには注目が集まっており、関連書が増えてきているのは周知の通りです。本書ではアジア圏の芸術運動は扱われていませんが、「本書の目的の一つは、協働的な作者性やスペクタクル性の興亡を論じるにあたっての、より細やかな差異をはらんだ(そして率直な)批評の語り口を生み出すこと〔であり〕、「悪しき」単独の作者性と「善き」集団的な作者性という、誤った双極性〔は糾弾されねばならない〕」との姿勢は、傾聴に値すると思われます。 ★帯文にも引かれていますが、本書の結論にはこう書かれています。「私たちは芸術を、世界と部分的に重なる実験的な鋭意の形式としてとらえる必要がある。その形式が持つ否定という属性は、政治的構想の支えとなりうる(ただし、それを構築し実現するという責任に縛られることはない)。そして私たちにとってより根本的に必要なのは、〔・・・〕――芸術の想像力の大胆さと結びついた(そしてときにそれを凌ぐ)果敢さを有する――思考の越境的な侵犯作用によって、既存の制度=慣例を漸進的に変えていくことを、支持するということだ」(431-432頁)。 ★このあとには次のように続きます。「参加型アートは人々を媒体として活用することで、つねに二重の存在論的な立場をとってきた。それは世界における出来事であると同時に、世界から一定の距離をとる。だからこそ参加型アートは、二つの次元から――参加者と観客に向けて――日常の議論で抑圧されている矛盾を伝達する能力、そして世界と私たちの関係性をあらたに構想するための可能性を拡げる、倒錯的で乖乱的な、そして享楽的な経験をもたらす能力を有している。〔・・・〕参加型アートは、特権化された政治的媒体でもなければ、スペクタクル社会に対する都合のよい解決法でもない。〔・・・それは〕民主主義そのものと同じように不確かで不安定なものなのだ。参加型アートと民主主義はどちらも、予め道理が与えられているものではない。この二つは、あらゆる具体的な文脈で持続的に実践=上演され、そして試されていかねばならない」(432頁)。 ★訳者の大森俊克(おおもり・としかつ:1975-)さんのご専門は美術批評、現代美術史。単著に『コンテンポラリー・ファインアート――同時代としての美術』(美術出版社、2014年)があります。 ★『ラスト・ライティングス』は発売済。Last Writings on the Philosophy of Psychology, Vol. I, II (edited by G. H. von Wright and H. Nyman, Blackwell, 1982-1992)の合本全訳です。ウィトゲンシュタインは先月、『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――第一次世界大戦と『論理哲学論考』』(丸山空大訳、春秋社、2016年4月)が刊行されたばかりなので、二か月連続で新刊が出るというのは珍しい話です。帯文はこうです。「ウィトゲンシュタイン最晩年の思考、待望の本邦初訳! 他人が「痛みを感じている」ことと「痛い振りをしている」こと――言語、心、知覚、意味、数学など終生を貫くテーマが凝縮された注目の遺稿集! 詳細な訳註と用語解説を付す。珠玉の哲学が、ここにある!」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。 ★訳者解説によれば、本書は「1949年頃までに執筆されたノートを基にした第一巻と、彼の死の直前、51年春までに執筆されたノートを基にした第二巻からなる。〔・・・〕第一巻は、『哲学探究』第二部の最終草稿ないしは予備的考察として位置づけるのが適当である。〔・・・また〕『心理学の哲学』全二巻は、本巻の予備的考察としての性格が色濃〔い。・・・さらに〕第二巻は、文字通り最晩年のウィトゲンシュタインの手稿を含んでおり、同時期の遺稿集としてすでに公刊されている『確実性の問題』および『色彩について』と密接な関係にある」。念のためこれらの関連書の書誌情報を挙げておきます。 『色彩について』中村昇・瀬嶋貞徳訳、新書館、1997年9月、品切 『哲学探究』丘沢静也訳、岩波書店、2013年8月 『ウィトゲンシュタイン全集 8 哲学探究』藤本隆志訳、大修館書店、1976年7月 『ウィトゲンシュタイン全集 9 確実性の問題・断片』黒田亘・菅豊彦訳、大修館書店、1975年6月 『ウィトゲンシュタイン全集 補巻1 心理学の哲学1』佐藤徹郎訳、大修館書店、1985年4月 『ウィトゲンシュタイン全集 補巻2 心理学の哲学2』野家啓一訳、大修館書店、1988年12月 ★『色彩について』はしばらく品切になっており、そろそろ文庫化してほしいところ。ちくま学芸文庫、講談社学術文庫、岩波文庫、平凡社ライブラリーなどにそれぞれウィトゲンシュタインを文庫化した実績がありますが、どこかがやってくださるといいなと思います。『ラスト・ライティングス』も最初から文庫で出してもらって一向に構わない気がするものの、遺稿という性質上、『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界彰夫訳、講談社、2005年)の時と同様にまずは単行本で様子見ということでしょうか。まとまった論考というよりかは相互に関連している思索の断片の集積である『ラスト・ライティングス』について、訳者は次のように解説しています。 ★「本書においてウィトゲンシュタインは、心や言語などをめぐる膨大な現象を相手に、その謎を解き明かそうと、まさに手探りで歩を進めている。そこには、諸現象を一定の解釈の方向性に導こうという目算も余裕も見られない。「私はまだ、大量の現象を乗り越えられていない」(LW1, 590;本書160頁)という記述は、彼の素直な心境を吐露していると言えるだろう。/彼は、哲学者の仕事を「たくさんのもつれ糸を解くこと」(LW1,756;本書201頁)に喩えている。〔・・・〕本書でウィトゲンシュタインが行っているのは、スマートな論証などではなく、複雑なもつれ糸との粘り強い格闘に他ならない」(489頁)。ウィトゲンシュタインの思索の跡をたどる知的刺激に満ちた読書が堪能できるのではないでしょうか。 ★『世界妖怪図鑑 復刻版』は発売済。復刊ドットコムによる「ジャガーバックス」復刊シリーズの第3弾です。これまでに小隅黎監修の2冊、『宇宙怪物(ベム)図鑑 復刻版』(2015年8月)、『宇宙戦争大図鑑 復刻版』(2016年1月)が発売されています。今回の『世界妖怪図鑑』は「ジャガーバックス」でも屈指の人気商品であり、児童書にもかかわらず古書価格は数万円を下りません。初版の1973年当時の定価は430円、その後の重版で650円になったとはいえ、古書価高騰にせよ、今回の復刻版にせよ、決してお手頃な値段とは言えません。しかし『世界妖怪図鑑』の中身を見れば、この本が今なお強烈なインパクトを持っていることは一目瞭然かと思います。石原豪人、柳柊二、好美のぼる、斉藤和明らによるイラストはいずれも素晴らしいですし、古典籍から現代映画までを渉猟した図像と情報の数々は、子供向けだからといって内容を薄めたりしないという作り手の熱意を感じるもので、こんにちの類書に比しても抜群に新鮮です。復刻版の購入は書影を模したピンバッジ。伝説の一書を入手できるこの機会を見逃す手はありません。なお、今後の復刊候補には姉妹編である佐藤有文編著『日本妖怪図鑑』が挙がっています。『世界妖怪図鑑』と同様に人気のある書目なので、ぜひ復刊されてほしいです。 ★『世界妖怪図鑑』の奥付には資料協力に面谷哲郎さんと渡辺一夫さんのお名前があります。同姓同名なのか同一人物なのかよく分からないのですが、もしこの渡辺一夫さんがかの高名なフランス文学者(1901-1975)と同一人物ならば、同書(初版1973年)がどうして古い時代のヨーロッパの図像を豊富に含んでいるのかが腑に落ちてきます。非常に興味深いです。 +++ ★このほか、最近では以下の書目との出会いがありました。 『出版状況クロニクルIV――2012年1月~2015年12月』小田光雄著、論創社、2016年5月、本体3,000円、四六判並製714頁、ISBN978-4-8460-1528-2 『テロルの伝説――桐山襲烈伝』陣野俊史著、河出書房新社、2016年5月、本体2,900円、46判上製464頁、ISBN978-4-309-02469-1 『仙人と妄想デートする――看護の現象学と自由の哲学』村上靖彦著、人文書院、2016年5月、本体2,300円、4-6判並製244頁、ISBN978-4-409-94009-9 『近現代イギリス移民の歴史――寛容と排除に揺れた200年の歩み』パナイー・パニコス著、浜井祐三子・溝上宏美訳、人文書院、2016年5月、本体6,800円、4-6判上製512頁、ISBN978-4-409-51073-5 ★『出版状況クロニクルIV』はまもなく発売。『出版状況クロニクル〔2007年8月~2009年3月〕』(論創社、2009年5月、ISBN978-4-8460-0861-1)、『出版状況クロニクルⅡ――2009年4月~2010年3月』(論創社、2010年7月、ISBN978-4-8460-0875-8)、『出版状況クロニクルⅢ――2010年3月~2011年12月』(論創社、2012年3月、ISBN978-4-8460-1131-4)に続く第四弾。帯文にも引かれていますが、「まえがき」に曰く「本クロニクルは1890年前後に立ち上がった出版社・取次・書店という近代流通システムに基づく出版業界の歴史、それらの関係と構造をふまえ、戦後における再販制の導入、1980年代以降の書店の郊外店出店ラッシュ、複合店の台頭、新古本産業の出現、公共図書館の隆盛、アマゾンの上陸、電子書籍の動向なども包括的にたどっている。そしてまたリアルタイムでの広義の出版史であることを意図している」と。既刊に比して扱っている年月も頁数も倍以上のヴォリュームです。「あとがき」には「このような出版状況下〔近代出版流通システムが崩壊の危機〕ゆえに近年自著の上梓を慎んできたこともあって、今回の一冊は4年分の大部なものとなってしまった」と明かされています。大阪屋の救済や栗田の破綻の背景はこの一冊でたどることができます。 ★『テロルの伝説』はまもなく発売。帯文に曰く「80年代、桐山襲〔きりやま・かさね:1949-1992〕という作家がいた。その孤独な闘いの軌跡を時代の記憶とともに甦らせた渾身の巨編。桐山襲・単行本未収録作品「プレゼンテ」収録」と。帯文にはさらに、いとうせいこうさん、青来有一さん、中島京子さん、星野智幸さんらの推薦文が掲出されています。著者の陣野さんは第一章の冒頭近くでこう述べておられます。「作家の肉声は作品を介してのみ聴き取り得るのだ、という主張にも一理ある。だが、今回、私はそうした立場を採らない。理由は、桐山襲という作家の残した作品が、その重要性とは無関係に、忘れられようとしていることに強い反発を覚えるからである。作品さえあればいいという立場は、個々の作品がだんだん言及されなくなり、人々の記憶から消えてしまう傾向に抵抗することができない。作品はただ消え去るのみ、といった諦念に強く抗いたいのだ」(12-13頁)。陣野さんは作家自身が整理した資料集を閲覧し、感慨をこう綴っておられます。「膨大なコピーに同梱されていた大学ノートには、デビューした83年から亡くなる92年までの間に発表した文章のタイトルが記されている。〔・・・〕桐山の意図は明白だった。誰かが自分の死後に訪ねてくるかもしれない。そのためにこそ自分の足跡を整理しておかねばならない。資料はそう語っていた」(14頁)。本書は作家を回想するためだけに書かれたのではなく、まだ見ぬその後継者に向けて書かれたのだということは、本書の結語やあとがきに明らかであるように思われます。 ★河出書房新社さんでは来月、カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年1月)に続く思弁的実在論の新刊、スティーブン・シャヴィロ(Steven Shaviro, 1954-)による『モノたちの宇宙――思弁的実在論とは何か』(上野俊哉訳、河出書房新社、6月22日発売予定、本体2,800円、ISBN978-4-309-24765-6;原著 The Universe of Things: On Speculative Realism, University of Minnesota Press, 2014)が刊行される予定です。版元紹介文に曰く「現代思想を塗り替える思弁的実在論をホワイトヘッドを媒介に論じる名著。メイヤスー、ハーマンらを横断しながら哲学の新しい地平の上に「新しい唯物論」を拓く」。また、来月にはメイヤスー『有限性の後で』の出版記念シンポジウムが東大駒場キャンパスで以下の通り行われるとのことです。 ◎究極的な理由がないこの世界を言祝ぐ――メイヤスー『有限性の後で』出版記念イベント 日時:2016年6月18日(土)15:00-17:30 場所:東京大学駒場キャンパス アドミニストレーション棟3階 学際交流ホール 料金:入場無料│事前登録不要 使用言語:日本語 主催:東京大学大学院総合文化研究科附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣共生哲学寄付研究部門 L1プロジェクト「東西哲学の対話的実践」 プログラム: 第1部 非理由律と偶然性 15:00-16:30 登壇者:千葉雅也(立命館大学)・大橋完太郎(神戸大学)・星野太(金沢美術工芸大学)・中島隆博(UTCP) 第2部 物理学と哲学の突端 16:30-17:30 登壇者:千葉雅也(立命館大学)・大橋完太郎(神戸大学)・星野太(金沢美術工芸大学)・野村泰紀(UCバークレー教授・東京大学Kavli IPMU客員上級科学研究員)・中島隆博(UTCP) ★『仙人と妄想デートする』は発売済。主に2010年代に各媒体で発表してきた諸論考に書き下ろし数編を加えて一冊としたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文はこうです。「看護師の語りがひらく、新たな自由への扉。医療の世界には技術、法、倫理の制約がある。しかし、それら外からの規範とは別に、看護師や家族、患者の間には、個々の状況に応じた自発的な実践のプラットフォームがうまれ、病のなか、苦しみのなかで、かすかな創造性を獲得する。それは自由と楽しさの別名でもある。重度の精神病、ALS、人工中絶など存在の極限に向き合う看護師の語りの分析が、哲学に新たなステージを切り拓く」。前著『摘便とお花見――看護の語りの現象学』(医学書院、2013年)もそうでしたが、ユニークな書名からは想像しにくい非常にアクチュアルな問題系を哲学の領野にもたらしてくださっています。巻末の参考文献は書店員さん必見です。分野横断的なブックフェアやコーナーづくりのヒントになります。 ★『近現代イギリス移民の歴史』はまもなく発売。原書は、An Immigration History of Britain: Multicultural Racism since 1800 (Pearson-Longman, 2010)です。著者のPanikos Panayiさんは、イギリスのド・モンフォート大学ヨーロッパ史教授。イギリス入移民史がご専門。本書が邦訳書第一作です。帯文を引きますと「移民をめぐる人種主義と多文化主義。近接するヨーロッパの国々から、そしてかつての植民地から…。時に迫害をのがれ、時に豊かな暮らしを求めて…。様々な出自、様々な文化や宗教の移民や難民は、どう社会から排斥され統合されていったのか。200年にわたるイギリスへの移民とその子孫の歴史を詳細にたどりながら、移民経験の複雑さと矛盾とを長期的視点からよみとく」。巻頭の「日本語版への序文」で著者はこう本書を要約しています。「移住とその原因、統合の必然性、移民のアイデンティティの複雑さ、人種主義そして、単純にもっとも新しい集団、あるいはもっとも「脅威を及ぼす集団」にその対象が移っていく外国人嫌悪の堅牢さ、そして多文化主義の発展といった〔五つの〕テーマに焦点を絞って、包括的にアプローチしている」と。目次は書名のリンク先をご覧ください。近年ますます移民問題が重要性を帯びているこの国の過去・現在・未来を考える上で、本書が明かすイギリス史は有益な示唆を与えてくれると思われます。 ▲
by urag
| 2016-05-22 21:55
| 本のコンシェルジュ
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2016年 05月 20日
![]() 弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号に続いて、11号のご紹介です。 季刊哲学 ars combinatoria 11号 オッカム――現代を闢ける 哲学書房 1990年6月30日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-040-2 C1010 目次: 【本邦初訳原典】 オッカムのウイリアム「神について知る可能性――明証認識と直覚/抽象認識(『自由党論集』第五巻より)」清水哲郎訳 pp.82-100 オッカムのウイリアム「概念について――『アリストテレス自然学問題集』第一問題―第六問題」渋谷克美訳 pp.102-125 ライプニッツ「オッカムの格率――M・ニゾリウス『似而非哲学者に抗する、哲学の真の原理』への序文より」山内志朗訳 pp.126-132 【形而上学へ】 稲垣良典+清水哲郎「認識の形而上学と論理学――オッカム、現代の源流としての」 pp.24-43 クラウス・リーゼンフーバー「神の全能と人間の自由――オッカム理解の試み」矢玉俊彦訳 pp.170-183 清水哲郎「元祖《オッカムの剃刀》――性能と使用法の分析」 pp.8-23 【薔薇と記号】 ウンベルト・エーコ「表意と表示――ボエティウスからオッカムへ」富松保文訳 pp.44-68 伊藤博明「世界の被造物はわれらを映す鏡――『薔薇の名前』とリールのアラヌス」 pp.142-156 【代表と形式】 G・プリースト+S・リード「オッカムの代表理論の形式化」金子洋介訳 pp.133-139 ヴィルヘルム・フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」加藤和哉訳 pp.69-76 【普遍と因果】 養老孟司「オッカムとダーウィン――スペキエスを切り落とす:臨床哲学5」 pp.184-189 丹生谷貴志「ディエゲネスの贋金――E・ブレイエ『ストア派における非物体の理論』の余白に:中世への途上6」 p.190-194 小林昌廣「病因論序説――医学的思考とは何か」 pp.157-169 「オッカム用語解説」 p.140-141 「オッカムのウイリアムの時代」 pp.80-81 「地図の上の〈オッカムの時代〉」 p.101 「既刊目次」 pp.196-197 編集後記: ●―ものとことばをへだてる深い淵に、七百年の時間に養われた思惟がじっと横たわり、その真上でオッカムとその時代が、今日と交感する。オッカムは今、あるいはその「哲学の存在論的な根本的前提は、ものと記号との根元的分離」」である(稲垣良典『抽象と直観』)と示され、あるいは「ものとその記号とを別々のものとして区別して把握することができないほどに、表裏一体である記号」を見出した(清水哲郎『オッカムの言語哲学』)と読まれる。 ●―知性が、ものの「何であるか」を認識することにおいて、記号としての普遍が作り出される。知性の内にある記号としての普遍と、ものとが合一し一体となること、真理の経験。この経験を表わす言語の試みがトマスのスペキエスであった。 ●―オッカムにおいては「存在する」とは、個別的なものやことが、ここで、いま(可感的で史料的な世界において)存在することであり、一方、複数のものを表示できる(一-多関係が可能な)ものと定義される「普遍」は、精神の内にある。精神の活動の領域とは、記号の領域である。オッカムは、普遍をめぐる思惟を、記号の体系としての精神の内部に限定する。また学知(scientia)の対象は命題の全体であり、命題は、事物や実体から合成されるのではなく、これらの事物を代示する(suppositio)する観念や概念にほかならない。論理学は諸観念を代示する諸観念にかかわる。 ●―もの自体には向わず、ものと記号との関係を問うのでもなく、普遍をひたすら記号として究めようとする論理学者オッカムは、論理的必然性と経験的明証だけをよりどころとして、爾余をオッカムの剃刀で落す。ここに、もの(つまりは物理的世界)と記号(精神)との二元論がうちたてられる、と『抽象と直観』は言う。 ●―この世紀のなかばから、思考の全光景を彩っていた修辞学と文法学が、『言葉と物』というモニュマンを残して足早に退いて、論理学がたちまちのうちにこれにとって代ろうとしているかに見える。そしてその背後には、近世のものであると思われていた認識の理論が〈現代への越境者〉オッカムによって準備されていたことが明らかになるにつえて、ものそれ自体、あるいは存在に向う中世の思惟の糸、形而上学が、にわかに豊かな光源としてたち現われるのである。自身は、時代の人として、ついに敬虔なフランシスコ会士であったオッカムの像と共に。 ●―この号が成るにあたって、清水哲郎先生には格別にお世話になった。(N) 補足1:欧文号数は「vol.IV-2」。すなわち第4年次第2巻。 補足2:フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」の末尾には「この部分を含む本書の全体は、近く哲学書房から刊行予定である」と特記されているが、実際は出版されず、他社からも刊行されていない。 補足3:目次には明記されていないが78~79頁は図版項であり、解説が77頁に記載されている。図版は史料ではなくイラストである。 補足4:195頁では前号に続き、哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)に既刊のしるしが付されているが、以後は続刊されなかった。 補足5:表紙表4には映画『薔薇の名前』の一シーンが掲出され、ショーン・コネリー扮するバスカヴィルのウィリアムが見える。併せて河島英昭訳『薔薇の名前』(東京創元社)からの一節が引かれている。 ▲
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| 2016-05-20 15:37
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2016年 05月 16日
![]() 弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍をご紹介します。 ★立木康介さん(共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』) 藤原辰史さん編によるアンソロジー集『第一次大戦を考える』に、ご論考「反戦の女」が収録されています(136-139頁)。初出は2014年12月6日付「図書新聞」。このアンソロジー集は、「2014年1月から12月まで『図書新聞』に掲載された第一次世界大戦に関するエッセイ、2014年10月から2015年9月まで『京都新聞』に連載された「京大人文研・共同研究班が読み解く世界史」、そして、京都大学人文科学研究所共同研究班「第一次世界大戦の総合的研究」のホームページに掲出されたエッセイのうち、執筆者が転載を許可した文章を再構成」したもの(「はじめに」より)とのことです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。 第一次世界大戦を考える 藤原辰史編 共和国 2016年5月 本体2,000円 菊変型判並製276頁 ISBN978-4-907986-18-6 カヴァー紹介文より:「現代」はここからはじまった!「平和のための戦争」を大義名分にかかげ、毒ガス、戦闘機、戦車などの近代兵器とともに総力戦を繰りひろげた第一次世界大戦(1914-18)は、まさに「人類の終末」としての「現代のはじまり」を告げるものだった! のべ60余名の執筆者が多彩なテーマで語りつくす、大戦のハンディな小百科。 ★川田喜久治さん(写真集『地図』) 昨年10月に芝浦から東麻布に移転したフォトギャラリー・インターナショナル(東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F)で先週から開催されているコレクション展「ものをみる」にて川田喜久治さんの作品が展示されています。 ◎PGIコレクション展「ものをみる」 日時:2016年5月10日(火)~6月2日(木) 月~金:11時~19時、土:11時~18時、日祝休館 場所:フォトギャラリー・インターナショナル(東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F) 入場料:無料 +++ 次に弊社本の書評ついてのご紹介です。福岡市の書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)さんが創刊された文学ムック「たべるのがおそい」(vol.1, Spring 2016)の特集「本がなければ生きていけない」において、ゲーム作家の米光一成(よねみつ・かずなり:1964-)さんが「ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず」というエッセイを寄稿されており、その末尾に付された「気になる三冊」の一冊として、ジョン・サリス『翻訳について』(西山達也訳、月曜社、2013年)を挙げて下さいました。「翻訳の支配から逃れられない思考の果てに、「無翻訳という夢」から翻訳の可能性ないし不可能性を問う翻訳の哲学。翻訳の鏡の迷宮を乱反射しながら進んでいく一本のテキストに目眩する楽しさ」と評していただきました。米光さん、ありがとうございます。 続いて弊社本の広告について。「現代思想」2016年5月号「特集=人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力」に広告を出しました。目次裏、本扉の対向頁です。 最後に私自身の話で恐縮ですが、京都のしろうべえ書房さんが発行する文芸誌「洛草」第二号に、「DiY的出版とは」という一文を寄せました(23-30頁)。発行人の中島志朗さんからのご依頼に応えたものです。掲載にあたっては編集人の敷島宗介さんにたいへんにお世話になりました。あこがれの「地本」に参加させていただくことができ、とても光栄です。 京都文芸洛草 第二号 しろうべえ書房 2016年4月 本体600円 A5判並製100頁 ISBN978-4-908210-07-5 目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。同誌は京都市内の、ホホホ座、100000tアローントコ、レティシア書房、マヤルカ古書店、カライモブックス、星と蝙蝠、萩書房一乗寺店、善行堂、風の駅、の各店頭で販売されているほか、しろうべえ書房さんから通販で購入することも可能です。 +++ ▲
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| 2016-05-16 00:00
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2016年 05月 15日
![]() ピエタ ボードレール ミシェル・ドゥギー著 鈴木和彦 訳 未來社 2016年4月 本体2,200円 四六判上製220頁 ISBN978-4-624-93265-7 帯文より:現代フランス最高の詩人で批評家のミシェル・ドゥギーが2012年のコレージュ・ド・フランスでのボードレール講義をもとに断章ふうに書き下ろした詩人論。フランス近代の代表的詩人であるボードレールが詩集『悪の華』で問うた詩の「観念の明晰さ」と「希望の力」という問題系を、デリダやバンヴェニストなどを参照しつつ現代世界の諸問題を前にした最新の詩学というかたちで応答した、詩的・哲学的論考。訳者による長篇インタビュー付き。 ★発売済。シリーズ「ポイエーシス叢書」の第65弾です。ミシェル・ドゥギー(Michel Deguy, 1930-)はフランスの詩人であり哲学者。著書は40冊以上にのぼるそうですが、単独著の訳書は『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社、2000年)と『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田、2008年)の2点のみです。3冊目となる今回の新刊は、La Pietà Baudelaire (Belin, 2012)の訳書。ドゥギーによるボードレール論を集成したものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には日本語版オリジナルで、訳者によるロング・インタヴュー「ミシェル・ドゥギー、詩を語る」(168—209頁)が併載されています。2015年7月18日にドゥギー宅で行われたものです。訳者の鈴木和彦(すずき・かずひこ:1986-)さんは現在、パリ第10大学博士課程に在籍。訳書にクリスチャン・ドゥメ『日本のうしろ姿』(水声社、2013年)があります。 ★本書の意図についてドゥギーはこう述べています。「ボードレールがいまなおわたしたちの同時代人であるかのように、わたしたちのもとに、わたしたちのために、彼を巻き込み、連れてくることで、彼の定理とわたしたちの不安をすりあわせてみたい。ボードレールとわたしたちを隔てる六つの世代、〈未曾有の事態〉という底なしの区切りに分断されたふたつの時代(説明するまでもないが、二度の世界大戦が勃発し、ヨーロッパではユダヤ人絶滅計画が恐ろしいジェノサイドを生み、日本にはに初の原子爆弾が投下され、チェルノブイリと福島で原発が爆発し、人口順位が変動し、赤貧にあえぎ援助を必要とする膨大な人口によって汚れた地球の棄球化が進み、そして最後に(?)「デジタル革命」によって現実は画面のなかのイメージとなった……これだけのことがあってもなお、1850年から2012年までの世界が不変的かつ内在的に「同じ世界」であると、どうして信じられよう)……しかし、この区切りを越えて、ボードレールの作品は、わたしが詩学と呼ぶものは、わたしたちに語りかけてくる。言語のなかで、フランス語のなかで、はるかかなたからすぐそばから、わたしたちのもとへやってくる。どのようにして、何のためになるのか。いまなお、なぜボードレールなのか」(26-27頁)。 ★詩についてはこう書かれています。「詩〔ポエジー〕の能力とは予言の力であり、その力は謎や寓話を生む。[・・・]「日常的」には関係のないふたつのものを近寄せる〔比較する〕ことで、読み解くべきひとつの形象(古い意味での「イメージ」)や「神託」を生む。[・・・]詩とはあるふたつのものを近寄せることで、そのふたつを近寄せる可能性をわたしたちの意志に与えてくれるものだ。詩はやって来るものを言うものであり、いかなる答えでもありはしない」(12-13頁)。また、こんな言葉もあります、「人間のさだめとは人と人の間に立つことであり、これは誰しもに共通の、根本的で決定的な経験である」(156頁)。「憐れみとは一方的なものではない」(158頁)。「憐れみとは超越の経験である。超越とは退路を断ち、ひとつのわたしたちに無限と虚無を背負わせる運動である。/人間とはみずからの超越に苦しむ存在である」(159頁)。「この時代にボードレールを移送〔トランスフェール〕しよう」(27頁))とするドゥギーの言葉は時としてやや難解ではありますが、訳者によるインタヴューが読解の良き導き手になってくれます。 ★「ポイエーシス叢書」では先月、ドゥギーの訳書に先立って、小林康夫『オペラ戦後文化論(1)肉体の暗き運命1945-1970』が発売されています。これはPR誌「未来」の連載をまとめたもの。発売が前後していますが、こちらが第66弾です。第64弾であるホルヘ・センプルン『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』(小林康夫・大池惣太郎訳、2015年11月)までは帯が付属していましたが、『オペラ戦後文化論』以降は帯が付かないデザインに変更されており、ドゥギーの本も同様です。また、同叢書では来月(2016年6月)、佐々木力『反原子力の自然哲学』が刊行予定とのことで、たいへん楽しみです。 ドイツ的大学論 フリードリヒ・シュライアマハー著 深井智朗訳 未來社 2016年2月 本体2,200円 四六判並製208頁 ISBN978-4-624-93445-3 帯文より:プロイセンが、自国の精神復興政策として推進したベルリン大学の開設。フィヒテ、フンボルトらとともに創設に携わったシュライアマハーは、ナショナリズムの熱気のなかで大学の理念をどう構想したのか。ベルリン大学創設200年を経て再発見された大学近代化論の古典。 ★『ドイツ的大学論』は発売済。シリーズ「転換期を読む」の第25弾です。Gelegentliche Gedanken über Universitäten in deutschem Sinn (1808)の翻訳で、巻末の訳者解題「ベルリン大学創設とシュライアマハーの『大学論』(1808年)」によれば初版本を底本とし、「全集における編集や校訂作業を参照しつつ行った」とのことです。「校訂版によって原著〔初版本〕の誤植を確認し、すべての文章を翻訳した」とも特記されています。既訳には「ドイツ的意味での大学についての随想」(梅根栄一訳、シュライエルマッヘル『国家権力と教育』所収、明治図書、1961年)があります。新訳では付録として「〔ベルリンに〕新たに設置される大学について」というテクストも訳出されていますが、これは既訳でも翻訳されています。 ★帯文としても掲載されていますが、第4章「諸学部について」にはこんな言葉があります。「大学の本来的な方向性というのは、次第に支配的なものとなった国家の影響を、再び境界線の向こう側に押し戻し、それとは逆に、元来の姿、すなわち学者たちの共同体としての性格を取り戻すということにある」(93—94頁)。訳者あとがきによれば、「〔ベルリン大学創設に際して書かれた大学論では〕フィヒテの大学論が有名であるが、シュライアマハーの大学論は当時広く読まれ、さまざまな議論を巻き起こしたことで知られている」とのことです。フリードリヒ・シュライアマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher, 1768-1834)は、ドイツの神学者、哲学者で、近年の邦訳には『神学通論(1811年/1830年)』(加藤常昭・深井智朗訳、教文館、2009年)、『シュライエルマッハーのクリスマス』(松井睦訳、YOBEL新書、2010年)、『宗教について――宗教を軽蔑する教養人のための講話』(深井智朗訳、春秋社、2013年)、『キリスト教信仰』の弁証――『信仰論』に関するリュッケ宛ての二通の書簡』(安酸敏眞訳、知泉書館、2015年)があります。 ★訳者の深井智朗(ふかい・ともあき:1964-)さんは金城学院大学人間科学部教授。ご専門はドイツ宗教思想史で、未來社の「転換期を読む」ではF・W・グラーフ+A・クリストファーセン編『精神の自己主張――ティリヒ = クローナー往復書簡1942-1964』(未來社、2014年)という共訳書を上梓されています。今回の『ドイツ的大学論』について、深井さんは訳者あとがきで「大学改革の必要性が主張され、特に文化系の学部の意義が問われ、学部の改組が急速に行われている今日、もう一度大学論の古典を読んでおくことは重要なのではないか」と問いかけられています。大学論の古典再読解の重要性は確かにこんにち高まっています。フィヒテの大学論は『フィヒテ全集』第22巻(晢書房、1998年)で読むことができます。半世紀ほど下ってはジョン・スチュアート・ミル『大学教育について』(竹内一誠訳、岩波文庫、2011年)がありますし、さらに20世紀に下ると、ヤスパース『大学の理念』(福井一光訳、理想社、1999年)、デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社、2008年)、ビル・レディングズ『廃墟のなかの大学』(青木健・斎藤信平訳、法政大学出版局、2000年)なども重要ではないかと思います。青土社「現代思想」誌ではしばしば大学論が特集されていますし、手ごろな本では社会学者の吉見俊哉さんによる『大学とは何か』(岩波新書、2011年)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年2月)や、哲学者の室井尚さんによる『文系学部解体』(角川新書、2015年12月)などが良く読まれているようです。 ★なお、シリーズ「転換期を読む」では今月、ラルフ・ウォルドー・エマソン『エマソン詩選』(小田敦子・武田雅子・野田明・藤田佳子訳)が発売予定となっています。エマソンはこのところ『自己信頼〔Self-Reliance〕』(1841年)というエッセイがたびたび新訳されていますが、詩作品の新訳が一冊にまとまるのはかなり久しぶりのことで、たいへん意外です。待ち望んでおられた読者も多いのではないでしょうか。 +++ ★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。 『メッカ巡礼記――旅の出会いに関する情報の備忘録(3)』イブン・ジュバイル著、家島彦一訳注、東洋文庫、2016年5月、本体3,300円、B6変判448頁、ISBN978-4-582-80871-1 『翻訳技法実践論――『星の王子さま』をどう訳したか』稲垣直樹著、平凡社、2016年5月、本体2,500円、4-6判上製320頁、ISBN978-4-582-83728-5 『人文会ニュース123号』人文会、2016年4月、非売品 ★東洋文庫第871巻『メッカ巡礼記(3)』はまもなく発売。全3巻完結です。帯文に曰く「十字軍時代のイスラーム世界を西から東へ横断、地理、建築物から儀礼、文化までを緻密に記述した古典。第3巻はシリア、パレスチナを経て、地中海を西へ、グラナダに帰還するまで」。ヒジュラ暦580年第一ラビーウ月(西暦1184年6月12日以降)から581年ムハッラム月(1185年4月4日~5月初旬)までの記録です。巻末には参考文献、地名索引、人名索引のほか、イブン・ジュバイルの全旅程の地図が付されています。訳者あとがきでは、本書がイブン・バットゥータ『大旅行記』(全8巻、家島彦一訳、東洋文庫、1996—2002年)に与えた影響について率直な分析が綴られており、興味深いです。東洋文庫の次回配本は6月、『陳独秀文集(1)』です。 ★『翻訳技法実践論』はまもなく発売。サン=テグジュペリの名作の新訳『星の王子さま』(稲垣直樹訳、平凡社ライブラリー、2006年1月)と、作品解釈を綴った『「星の王子さま」物語』(平凡社新書、2011年5月) に続き、その翻訳技法について詳しく解説した書き下ろしが本書です。帯文に曰く「翻訳の美徳と快楽は自虐的なまでの無私の徹底。その域に至るために必要な方法と技術とは何か。不特定多数を読者とする「出版訳」。それは学校で親しんだ「講読訳」とは根本的に異なる。したがって、いくら「講読訳」に習熟しても「出版訳」にはほとんど役立たない。この衝撃的でありながらも、実はよく囁かれる事実をまえに、長年教壇に立つ外国文学研究者として処方箋を伝授。翻訳談義めかした韜晦とは無縁の具体的な技術論」と。全九章だてで、「実践のための翻訳理論」「『細雪』『雪国』の英仏訳に見る翻訳の実践」「準備段階でなすべきこと」「翻訳技法を詳解する」の四章が半分以上を占め、あとの五章は「『星の王子さま』翻訳実践」と題されています。「入口の間口は広く、入りやすいが、入ったあとは周到なラビリンス」(309頁)であるという『星の王子さま』との格闘に圧倒されます。「1970年後半以降30年以上も「翻訳技術伝承」が滞っていた影響は甚大である。大学教授イコール翻訳の名人というのは遠い過去の話で、今や出版社はその人の翻訳能力をよほど見極めてからでないと、大学教授に文学作品の翻訳を依頼できなくなっている」(98頁)という厳しいご指摘は編集者の胸にも深く突き刺さるものです。 ★『人文会ニュース123号』は非売品で、大型書店さんの店頭などで手に取ることができるほか、ウェブでPDFがダウンロードできます。書店さん向けの内容が中心ですが、一般読者にとっても興味深い記事が掲載されるので、要チェックです。123号には、木村草太「15分で読む 憲法と国家権力の三大失敗」、芝健太郎(フタバ図書)「書店現場から 商品部と店舗の経験から考える人文書販売について」、野口幸生「図書館レポート 北米研究図書館における電子化環境」、栗原一樹(「現代思想」編集長)「編集者が語るこの叢書・このシリーズ⑧ 非-現代思想のほうへ」が掲載されています。特に栗原さんの長文寄稿はなかなか珍しいもので、ここしばらくの「現代思想」誌の主要な特集号の意図を明かしておられます。必読です。 ▲
by urag
| 2016-05-15 17:15
| 本のコンシェルジュ
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2016年 05月 13日
弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号に続いて、10号のご紹介です。 ![]() 季刊哲学 ars combinatoria 10号 唯脳論と無脳論――ニューロ=メタ=フィジクス 哲学書房 1990年3月15日 本体1,900円 A5判並製174頁 ISBN4-88679-039-9 C1010 目次: 【本邦初訳原典】 ライプニッツ「実在的現象を想像的現象から区別する方法について」伊豆蔵好美訳 pp.30-37 バークリ「哲学的評註」一ノ瀬正樹訳 pp.38-61 【自我と時間】 大森荘蔵「自我と時間の双生」 pp.8-20 小林康夫「時間・身体・脳」 pp.114-120 黒崎政男「脳の解明は、何を解明するか――人間の諸能力と脳内過程」 pp.121-126 岡本賢吾「コギトと視点――デカルトによる省察と、そのライプニッツ的な展開をめぐる一考察」 pp.154-165 松原仁「人工知能における「頭の内と外」――フレーム問題を例として」 pp.21-29 【構造と情報】 柴谷篤弘「唯脳論・構造主義生物学・神学――滝沢克己再訪」 p.74-84 養老孟司+中村桂子「唯心論と情報二元論」 pp.62-73 小林昌宏「認識としての解剖学――三木成夫と養老孟司」 pp.98-107 布施英利「二重の脳化――テクノロジーとアート」 pp.108-113 【精神の歴程】 ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程――第一章」長倉久子訳 pp.127-151 井辻朱美「指環のジン――風街物語外伝」 p.166-170 「脳の中世」 p.87-97 「既刊目次」 pp.172-173 編集後記: ●―現〔あらわ〕るがままのものensと真verumとは相即的であったエンスが知性と合一するときに示す相貌ratioが真なのである。認識とはこの合致の結果にほかならない。トマスにあってはこうして、エンスから真への移行のアプリオリが語られる。 ●―現るがままのもの、とは世界のことである。世界として知覚され、世界として思考されて、世界は現る。一方、知覚や思考や記憶や意識は脳の働きである。すると世界もまた脳の産物であるというべきなのだろうか?(大森荘蔵はかつてこれを脳産教理と名づけ、この脳産教理を論拠にして無脳論の可能性を示した。視覚風景の分岐から脳産教理を衝いた氏は、いま、同じその分岐から「自我と時間の双生」の場に到り、客観的世界と主観との分画の形成を説く地平をひらいた。 ●―考えるとは脳の状態である。cogito ergo sumとは、〈私が考えている〉と言語で表現される状態cogitoがあって、それは〈私が存在する〉と言語で表現される状態sumなのである、と養老孟司『唯脳論』は解す。デカルトにとってその時、神の存在も明証的であった。 ●―アウグスティヌスが、脳室に精神過程が局在することをみとめ、しだいに、三つの脳室の内に、共通感覚と理性と記憶とは存在することになる。スコラの、神学の時代にも脳(をめぐる思考)はあった。そしていま、コンピュータという構造体として延長を続ける脳、世界を脳化して自らに再参入する脳、神を脳内の現実として生成させる脳は、ありとある思考の、避けて通ることのできない、いわば思考のhybrid causationの特異点をなしているのである。(N) 補足1:欧文号数は「vol.IV-1」。すなわち第4年次第1巻。 補足2:81頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第8号までの既刊が紹介されていると同時に、終刊イヴェント「「終わり」をめぐって――講演+シンポジウム」が告知されている。日時は1990年3月28日18:30~21:00、場所は新宿・紀伊國屋ホール、入場料は1,200円で、予約および問い合わせ先は紀伊國屋ホール事業部と記載されている。出席者は蓮実重彦、三浦雅士、浅田彰、柄谷行人の四氏。 補足3:図版頁「脳の中世」には、中世の写本や、ヨハネス・ケタム『医学小論』(1419年)、アルベルトゥス・マグヌス『小哲学』(1490年、1493年、1506年)、アリストテレス『霊魂論』(1494年版)、ロバート・フラッド『両宇宙誌』(1617年)、ヴェサリウス『ファブリカ』(1543年)、現代の解剖図や顕微鏡写真などが掲載されている。 補足4:171頁では哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。当時既刊は第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)のみだった。その後、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)が刊行され、途絶した。未刊に終わったのは第1巻「テレマン、クープランほか」、第4巻「リスト、ヴァーグナーほか」、第5巻「スメタナ、ブラームスほか」、第6巻「チャイコフスキー、ドヴォルジャークほか」、第8巻「サティ、ラヴェルほか」、第9巻「バルトーク、プロコフィエフほか」。 補足5:表紙表4には当号に掲載されたバークリの「哲学的評註」からの一節が掲出されている。 +++ 月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。 季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円) 季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円) 季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円) 季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円) 季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円) 季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円) 季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円) 季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円) 季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円) 季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円) 季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円) ※哲学書房「目録」はこちら。 ※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。 なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。 小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。 +++ ▲
by urag
| 2016-05-13 17:19
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2016年 05月 13日
◆2016年5月13日午前11時現在。 昨年あたりからうわさが流れていましたが、ついに新聞報道が出ました。「朝日新聞」2016年5月13日付記事「紀伊国屋新宿南店、事実上の撤退へ 売り場を大幅に縮小」に曰く「7月下旬をめどに、売り場を大幅に縮小させ、事実上撤退する方針であることがわかった。計6フロア(約4千平方メートル)ある売り場のうち、6階のみを洋書専門店として残す。紀伊国屋は「ビルの所有者側と賃料交渉がまとまらなかった」としている。〔・・・〕オープンから20年を迎え、9月の契約満了を控えて交渉が続いていた」と。コメント欄付のヤフーニュース版はこちら。同記事はlivedoorNEWSでも配信されています。 また、「都商研ニュース」5月13日付記事「紀伊國屋書店新宿南店、7月下旬閉店」によれば、「紀伊國屋書店新宿南店は1996年10月に開店。タカシマヤタイムズスクエア(新宿髙島屋)南館の1~6階に入居しており、売場面積は約4,000㎡。〔・・・〕当初は日本最大の書店として話題になったものの、新宿駅東口にある新宿本店との棲み分けが出来ずに苦戦。近年は漫画の品揃えを充実させるなど差別化を行っていたが、開店20年の契約満了を機に閉店することになったという。〔・・・〕7階の紀伊國屋サザンシアターについては、昨年「賃貸契約を更新する方針」であると報道されており、今夏の公演予定も決まっているため、書店の閉店後も当面は運営を続けると見られている」。 版元としては大型店の閉店は大量返品に帰結するので、厳しいです。閉店がはっきりしているならば、新刊委託や客注はともかく、補充注文の要請には応えにくくなるというのが現実でしょう。南店の在庫を本店や各支店がフル活用する、というのも考えにくいですし、その辺は紀伊國屋書店さんがはっきりと方針を声に出してくださらないと、版元によっては出荷を抑制せざるをえなくなるものと思われます。下手をすれば補充が入らず、閉店前には棚や平台にアキが目立つようになるでしょう。これはさいきんどこかで見た風景に似ています。 いっぽうで、洋書フロアとサザンシアターが残るのは幸いでした。専門店として残るなら洋書はさらに充実されるといいのですが、什器等を一新させないと難しいでしょうか。サザンシアターでの催事関係の和書はその都度出張販売するのでしょうか。紀伊國屋書店新宿本店との棲み分け解消となるわけで、本店にも影響があることでしょうけれども、それについてはいずれ遠からず発表されるのでしょう。 ちなみに2012年3月のジュンク堂書店新宿店の撤退時には、本店・南店ともに改装を行っていました。新宿界隈ではそのさらに一年前の2011年11月にブックファーストルミネ新宿2店が閉店。ルミネ1の6Fにある同チェーンのルミネ新宿店は規模を縮小しつつも今なお営業しています。同チェーンの旗艦店であるブックファースト新宿店の開店は2008年11月。小田急百貨店の三省堂書店新宿店は2015年2月に閉店。半世紀近い営業だったため版元さんや、お客様から惜しむ声があがりました。2015年10月には、文具専門店だった丸善新宿京王店が、「書籍スペース62坪を加え、新たに書籍・文具の総合店舗としてスタート」しています。こんな風に近年変化が激しい新宿地区ですが、大型店は実質的に、駅を挟んで西口にブックファースト新宿店、その反対側に紀伊國屋書店新宿本店を残すのみということになります。 ここしばらく書店業界では、テナント契約終了による退店が目立ってきました。かつては集客の要だった書店が、売上の落ち込みにより、オーナーにとっては期待値が下がっているのかもしれません。それを挽回するためにここしばらく書店には複合化の波が押し寄せているわけですが、紀伊國屋書店新宿南店のあとのタカシマヤ・タイムズスクエア南館に複合書店が入居することはやや考えにくいような気がします。代々木東口界隈がさらにぎやかになると南館にも影響があるように思えるものの、まだ時間が掛かるのかもしれません。 閉店する紀伊國屋書店新宿南店は日販帳合です。新宿本店は日販とトーハンのダブル帳合、ブックファーストはトーハン傘下ですから当然トーハン帳合。日販としては新宿地区での巻き返しを図りたいところでしょうか。 +++ ◆5月20日正午現在。 「Business Journal」2016年5月19日付、佐伯雄大氏記名記事「紀伊國屋書店、売上減地獄か…ジュンク堂、赤字常態化でも異常な大型店出店連発の危うさ」では、出版人の次のような証言が引かれています。 「確かな筋からの話。理由は家賃が高くて契約を更新できないから」(出版社幹部)。「南店は8月までに撤退するそうです。そのあとには、家具大手ニトリが入る方向で調整に入っているようです」(同幹部)。記事はこのあとジュンク堂書店の分析に移ります。書店勤務経験のある出版社営業幹部の証言として、「大型店を出せば、あっという間に赤字になる〔・・・〕。これだけ赤字を出し続けるのですから、もはや1000坪もの大型書店は商売として成立していないのかもしれません。現に紀伊國屋は3年前のグランフロント大阪店を最後に、1000坪を超える店は出していません。南店もいい引き際だったのではないでしょうか。市場が縮小するなか、大規模書店を出しても、もはや利益は出ないことをわかっているのかもしれません」という言葉が紹介されています。 さらに佐伯さんはこうお書きになっておられます。「果たして、丸善ジュンク堂書店の戦略は今後も続けられるのだろうか。同社の売上高は800億円弱、大日本印刷グループの文教堂を含めれば約1000億円になる。出版市場は1兆5000億円、同グループの書店売上はその15分の1以下で7%弱にすぎない。それを考えれば、自社の占有率を高めるのがまずは先という考えなのだろうか。/営業赤字体質のビジネスモデルを拡大し続けても平気とは考えにくい。大型店というビジネスモデルがすでに破たんしているのであれば、書店の大倒産時代が到来することも考えられる」。 この文脈における「書店の大倒産時代」はより具体的に言うと、いわゆるナショナルチェーン(全国展開)の書店が倒産する時代に入っていくという危険に対する認識を示したものだと理解していいと思います。つまり、街ナカ書店の衰退だけでなく、大書店チェーンも縮小化も同時に起こっていく、ということであり、その認識はたいていの版元営業マンは肌身に感じているものだと思われます。 記事はこう結ばれています。「1650坪のジュンク堂書店新宿店が閉店した時、大量の返品が小零細出版社を襲った。1245坪の紀伊國屋書店新宿南店が閉店する時も、同様の影響が予想される。そして、大型店の大閉鎖の波が襲来すれば、数多くの小零細出版社が連鎖倒産するのは間違いない。紀伊國屋書店新宿南店の撤退は、その予兆といえるのではないか」。これはより正確に補足すれば、ジュンク堂書店新宿店(大阪屋帳合)の在庫は、2012年3月閉店時には、各支店に可能な限り分散されました。新宿店のスタッフの商品調達力の賜物で、他店にはない在庫品がそれなりにあったためです。ジュンク堂の閉店在庫の分散活用が困難になってきたのは、京都朝日会館店(トーハン帳合)からです。版元としては丸善京都本店(大阪屋帳合)に活用してほしかったのですが、取次が違うためにこれは叶いませんでした。千日前店(大阪屋帳合)については版元の申し入れもあり、閉店までの在庫の活用(客注など)が試みられましたが、新宿店の時のように他支店に引き取るのは難しいようです。 丸善やジュンク堂、紀伊國屋に限らず、今後の書店業界ではテナント契約満了による閉店は避けがたく起こってくるものと思われます。大型店の閉店が重なれば、版元は大量返品で赤字になる可能性は当然あります。紀伊國屋書店新宿南店ではまだ補充注文の自動発注がストップしていません。閉店までの短期日に商品がもう一回転するかどうかはわからないため、版元は自動発注の補充分を出荷するのを控えざるをえないだろう、と先般指摘しましたが、少しでも閉店返品を減らしたいならば、版元は出荷を抑制するしかないのだ、という懸念をもう一度述べておきたいと思います。 また、大型書店の閉店は「専門書売場」の消滅に等しいため、専門書版元はいっそう小売店の店頭販売に頼ることができなくなります。専門書を購入するためにはネット書店に頼るほかない、ということに当面はなっていくでしょう。あらゆる分野の本を取り揃えることを名目とした大型書店がすべてなくなってしまうのかどうかは分かりません。しかしその危険があるとすれば、次世代型書店のひとつの形態として、特定分野に特化した小売店が出現しうるのかどうか。既存の書店にそれができないならば、版元は連合して自前の小売店を立ち上げることを(いかに困難なことであるとしても)視野に入れなければならないでしょう。 +++ ▲
by urag
| 2016-05-13 11:31
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