2015年 07月 31日
1エントリーあたりの字数制限にひっかかってしまったので、新規投稿になります。前タイトルでは全7回をアップし、現タイトルでは8回目になります。7回目にまだ少し残っている余白も短い記事で活用する予定です。 ◆7月31日午後13時現在。 リブロ池袋本店の「閉店」によって一般読者にとって思いがけず認知度が高まることとなった、鈴木敏文さん(トーハン取締役)が会長をおつとめのセブン&アイ・ホールディングスについてのニュースが各紙で報じられています。 「ロイター」7月31日付の清水律子氏記名記事「7&iHDとファーストリテ、年内めどに包括的業務提携へ」によれば、「セブン&アイ・ホールディングス(3382.T)とファーストリテイリング (9983.T)は、年内をめどに包括的な業務提携を行う方針を固めた。資本提携は行わない。関係筋が明らかにした。/具体的な提携内容は協議中だが、衣料品の新ブランド立ち上げや、インターネットで購入したユニクロの商品をセブンイレブンの店頭で受け取れるようにする。海外でも協力する」とのことです。 セブンネットショッピングで購入した本をセブンイレブンの店頭で受け取れるようになっているのは皆様ご存知の通りです。「ロイター」の同記事は「Yahoo!ニュース」にも異なるヴァージョンが配信されています。曰く「幅広い分野での提携により、変化への対応を強化する。〔・・・〕7&iHDは約1万8000店のコンビニ店舗網を有しており、ネットで購入したユニクロ商品のセブンイレブン店頭での受け取りを可能にし、消費者の利便性を高める。ユニクロの商品をコンビニで受け取ることができるようになるのは初めて。/この他、商品や物流など幅広い分野での提携を検討しているが、具体策は今後の協議となる」と。 さらにYahoo!ニュース版では次のような興味深い記述もあります。「楽天 <4755.T>は、楽天市場の対象商品について、ヤマト運輸と契約のあるコンビニ約2万店やヤマト運輸の営業所での受け取りを可能にした。また、通販大手のアマゾン・ジャパンは、ローソン <2651.T>やファミリーマート <8028.T>などのコンビニで受け取ることができる。/小売業界ではネット販売への対応が各社の課題となっている。ファーストリテは大和ハウス工業<1925.T>との物流網構築のほか、今年6月にはアクセンチュアとIT技術構築で提携するなどしてきた。一方、7&iHDは、今秋に実店舗とネットを融合させる「オムニチャネル」を本格的にスタートさせるため準備を進めている」。 上記の企業間の関係性について再度整理します。下記の図式では「=」はイコールを意味するのではなく、あくまでも連携を意味しています。 楽天=ヤマト運輸(物流) アマゾン=ローソン(コンビニ)/ファミリーマート(コンビニ) ファーストリテイリング=セブン・イレブン(コンビニ)/大和ハウス工業(物流)/アクセンチュア(IT) 楽天は大阪屋の筆頭株主でもあります。また、ユニクロは周知の通りビックカメラとコラボした「ビックロ」を2012年秋に新宿にオープンさせています。ひとまずこの関係性を覚えておくのが重要です。なぜかと言えば、今や出版業界は、よりいっそう大きな力関係(小売競争、物流競争)の渦中に投じられつつあるからです。 「オムニチャンネル」というのは、ほかならぬ栗田事案についての大阪屋の最初のコメント文書の中にもあったキーワードであると先日書きました。このキーワードは出版業界再編の行方を探る上でたいへん重要です。というのも、これまで業界内で自足し完結していたビジネスがますます業界外との連携によって「進化」を遂げつつあるからです。リアル書店では蔦屋書店に代表されるような書籍雑誌以外の商品を併売する「複合化」が不可欠となっています。いっぽうネット書店では客の利便性や販売機会の増大を目的としてリアル店舗との「融合」を推進しているわけです。セブン&アイのオムニチャンネル戦略については、Yahoo!ニュースでも参照されている「ネットショップ担当者フォーラム2014 in 東京」でのセミナーレポート「セブン&アイグループのオムニチャネル戦略が描く、異業態連携による“新たな買い物体験”」(2014年4月14日付、小山健治氏記名記事)をご参照ください。このレポートで写真とともに紹介されているセブン&アイ・ネットメディアの代表取締役社長の鈴木康弘さんのお父上はほかならぬ鈴木敏文さんでいらっしゃいます。 もうひとつ興味深い記事がYahoo!ニュースでは参照されています。「プレジデント・オンライン」(「PRESIDENT」誌2015年1月12日号)7月23日付配信記事「セブンvs.Amazon戦争勃発! 安売り時代の終焉とオムニチャネル時代の到来」(酒井光雄氏記名)です。曰く「現在、小売業で頭一つ抜けている企業は、セブン-イレブンを収益の柱とするセブン&アイ・ホールディングスです。セブンプレミアムに代表される、リーズナブルだが安売りではない商品の開発に注力し、リアルからバーチャルまで生活者とあらゆる場所で接点を持ち、買い物を可能にするオムニチャネルの取り組みでも先行しています。/今後、同社を脅かす存在が出てくるかどうか。可能性があるとすれば、アマゾンに代表されるネット系の小売業でしょう。アマゾンは書籍でつくり上げた仕組みとインフラをベースに取り扱いアイテムを総合化させ、あらゆる領域の需要を取り込もうとしています。リアル店舗もネット販売を行うようになっていますが、ネット専門店に比べると在庫管理が甘い。カード決済の顧客データを持っているのもネット系小売業の強みです。/セブン&アイが徳川幕府のように長期政権となるのか、アマゾンがそれを転覆させる黒船となるのか。流通業の戦国時代はまだまだ続きそうです」と。ちなみにプレジデント社は小学館や集英社と同じく「一ツ橋グループ」です。 これを先日ご紹介した「Business Journal」2013年8月17日付記事「“1強”アマゾン対楽天、競争激化で再編機運高まる出版業界~苦境の出版社・書店の思惑」と合わせて読むと、次のようなことが垣間見えてくるかもしれません。すなわち、楽天やセブンなど日本企業が、外資のアマゾンを包囲するようにして対抗軸を形成しようとしているかのようだ、ということです。これらの会社が外部企業との連携や提携を広げれば広げるほど、競合する領域も広くなっていき、出版界は従来より遥かに広域のビジネスシーンへと連結しうる可能性が高まる一方で、自らの力量を越えた戦争に巻き込まれることを余儀なくされるわけです。時代の変化と競争と危機の中で、個々の出版社が自身のアイデンティティをどこに置くのかが問われています。大局を見上げれば足元を見失う可能性があり、足元にこだわれば大局への対応が遅れかねないというジレンマです。 +++ ◆7月31日22時現在。 新提案に同意しなかった出版社や、回答保留している出版社に対して、栗田代理人が「最後通牒」をFAXし始めました。このタイミングでの通達――熟考する暇を与えない巧みな手法には、本当に感心します。6月26日から今日に至るまで、じつに計画的で容赦がなく(またしても土日を挟む手口!)、見事です。新提案に同意しない版元、回答保留している版元は、8月3日までに栗田から版元へ届けられる予定の「7月31日付返品明細書」に基づき、債権から相殺できる、と。ただし、これは29日の「聞く会」で藤田弁護士が言っていた通り、例の1ヶ月分返品想定額を越えない範囲で相殺できるに過ぎません(公平性の名の元に)。 出版社によっては想定額より実返品額の方が大きい場合もあるでしょうし、逆に小さい場合もあるでしょう。大きい額の版元にとっても損ですし、小さい額の版元にとっても損です。すげえな、本当に。淀屋橋・山上合同さんのお仕事ぶりには感服します。特に軸丸先生、藤田先生、川井先生。書き下ろしで本を執筆していただきたいくらいです。『絶対に失敗しない民事再生』とか。債権届出についてだけでなく、さらに御熱心なことには、届出後に起こりうる事態についてもご忠告いただいています。曰く、新提案を拒否しても保留しても、栗田としては最終的に断固として短期日のあいだに未精算分返品を版元に買わせるよ、というお知らせです。二次卸スキームで大阪屋から返せないなら、栗田から返すからカネ払えよ、俺らの資金繰りのためなんだからさ、と。必殺、片面的解約権=返品権(「初めて聞く言葉です」by大阪屋大竹社長)発動! 栗田さん、こんな非情なやり方で版元を屈服させたって、遺恨が絶対に、絶望的に生じることは分かってるはずですよね。どうやっても埋まらない溝を作ることになるとはっきり自覚していますよね。それでもやるんですね、これを。謝りながら相手に蹴りを入れようっていうわけだ。出版史に芳名を刻んだ栗田および代理人の皆様、本当におめでとうございます。この無惨な仕打ちを受けた版元はきっと11月の再生計画決議の際に、否決に回るでしょう。新提案を呑んだ版元とて、賛成に回るかどうか分かりませんね、こんな強引な幕引きを確信犯的に実行するようでは。あまりにも容赦ないやり方だもの。賛成した版元に対してだって、この先さらに何を要求してくるか分かったものではありません。 最後に「雑談(2)」で参照しておいた、淀屋橋・山上合同による「簡易再生」の説明について再度引用しておきます。彼らが次に狙ってくるのはこのあたりかと。 簡易再生・・・「債権額で5分の3以上の届出再生債権者が、書面により、再生計画案と再生債権の届出・調査手続の省略について同意している場合には、再生債務者は、裁判所に対して簡易再生の申立てをすることができます。この申立てができるのは、債権届出期間経過後再生債権の一般調査期間の開始前に限られます」。「再生計画案の決議に関しては、書面決議の制度の適用が無く、集会で決議が行われますが、簡易再生に同意した債権者が集会に欠席した場合には、集会に出席して賛成したものと見なされます」。 +++ ◆8月1日午前0時現在。 最後通牒に対する版元さんたちの声です(リンクは張りません)。 版元Aさん曰く「栗田の件、昼に電話があって非承諾の出版社には別途faxお便りくるとのことなので、用意した債権届出書を出さずにじりじり待機。つっても来週から出張なのでやることは山ほどあるんだけど。たぶん、こないだの出版会館での会で出た、8/4までの返品は相殺できるよ、その後も応談だよの件」。「ちょうどいま来ました。案の定、返品相殺の話ですが、月曜までに金額届けるから確認もどせとか。月曜も火曜も、私は出張販売なんですが」。「っつーか一片の通知をもって撤回しますとか言われても、相殺きかないのに今後、通常正味で入帳できないよね。返品の入帳は約定書にあるとおり納品時の条件だよ。納品が払われないなら払わないし、納品が切り下げられるなら返品も切り下げる。当然でしょ?」 →総務管理課さんが版元に(おそらく終日)電話を掛けまくり、再々提案のFAXを送ると伝えて、ようやく届いたのが22時時近く。本件をこの一カ月以上担当してきた方々も、間際の申し入れには呆気にとられるだろうと思います。「通常正味で入帳できない」のは当然ですね、先方はまたぞろ「すでに受け入れて下さっている版元さんとの公平性」を言いだすでしょうけれど。 版元Bさん曰く「本日の5時過ぎに栗田出版販売から29日までに再提案したことに拒絶の回答もしくは保留(弊社)もしくは無回答の版元へ最後通帳のような内容の電話。弁護士から法的な根拠をもって返品は出来るから、今回の再提案を許諾されようがされまいが返品はあるし許諾すれば少しだけ返品額が減るよということ」。「社長へ報告して月曜日に顧問弁護士に相談となったけど、あまりの一方的な言い分に来月から取引全部止めたくなっちゃったよ。帳合の書店さんへ直接連絡して売れ行き好調な看板雑誌の配本無くなるかもとお伝えしなくちゃならんかね」。「この期に及んで法的根拠あるから拒んだところで返品しちゃうから再提案を合意したほうが損が少ないとする理屈を、拒否・保留・無回答の版元へするってのは喧嘩売ってるとしか思えんな。売上構成比で2%未満な取引先だから本気で停止してもいいか、来週月曜日に社長へ上申しようっと」。 →債権者集会の時点ですら取引停止が頭をよぎった版元さんが多いかもしれないのに、今回のこんなにも喧嘩腰な最後通牒ではツイート主さんのように「もう取引やめたい」と思うのは当然です。強烈な共感を覚えます。拒否・保留・無回答・未回答の版元を全員敵に回しただけではありません。いやいやながら承諾した版元にとってもこの手法は恐怖を植え付けるでしょう、《ここまでひどいのか・・・版元が譲歩すればいいのは本当に二次卸スキームまでか? この先もっと要求が出てくるのではないか? 協賛金だの支援金だの分戻しだの負担金だの・・・いくらでも名目は増やせそうだ》と。 版元Cさん曰く「栗田から急きょ、ファクスを送る旨の電話連絡あり。一昨日の会で出た8/4まで分の相殺に関することではないかと推測。非承諾社が対象らしいが、情報出さないとそれこそ「不公平」になるからね」。「栗田さん、FAXまだ来ません…。問い合わせたら、どうも内容で手間取っているらしく本日夜遅く…とのこと。そんな時間に送られたって、各社週末で検討や意思決定だってままならないし、債権届で期限に実務的に間に合うのか。こうやって時間を稼いでない? 8/4は投函期限じゃないよ、必着だよ」。「栗田さんからFAXきました。22時前…。なんでこいつらを助けなければならないのだと、つくづくイヤになる。2年前、出来心でこんな取次と付き合ってしまったのが運の尽き」。 →まさに時間稼ぎですね。これは東京の版元にすらキツいのに、地方の版元さんのことなどはまったく考えていない。デモを起こされるレベルです。Cさんは昨日こうも呟いておられました。「情報が得られないから、得られる場所にわざわざ出向くけど、限定的な集会にだけ出席して情報を小出しにするという、このことこそが「不公平」なんだよな、栗田出版さんよ」。また、さらに別の日には「栗田との約定書を見直す。「返品引き取れ」とはあるが「しない場合は(栗田が)任意で処分して清算されても異議なし」ともある。こちらとしては強引に返品されるくらいなら処分可の姿勢。それでも“後付け”の片面的権利を濫用するなら、そもそも約定書は意味がない」と。約定書を発行する場合もあるのですね。発行されていない版元もいます。「強引に返品されるくらいならば処分された方がマシ」というのはまさに版元に共通の切実な本音かもしれません。 +++ ◆8月1日午前1時現在。 記憶しておきたい、黙過されるべきではない重要な証言です(リンクは張りません)。閉店を決意された書店さんの最後の姿を見守られた方です。曰く、「本日2015年07月31日19時49分、知人を伴って最後の客として訪問した。この時間まで電気代がもったいないので半分の点灯で、店主と妻と娘×2が待機していた。昨日で全て返本済であったので、今日はシャッターを半開きにして営業したとの事。最後まで店頭告知文は掲示せず」。「この店の週刊誌などの宅配サービスに依存していた近隣住民からも困るという声が上がり、決して販売では負けていなかった、買い手は最後まで存在した、ただ栗田出版からの配本が切り捨てられて「餓死された」事を強調したい」。 +++ ◆8月1日午前1時30分現在。 小田光雄さんの「出版状況クロニクル」が更新され、本日「87(2015年7月1日~7月31日)」が公開されました。13の項目のうち、トップは栗田事案です。注目したいのは以下の指摘です。「本クロニクル78で既述したように、昨年の大阪屋の再建に当たって、37億円の増資を引き受けたのは講談社、集英社、小学館、KADOKAWA、楽天、DNPであり、その前に社長として講談社の大竹深夫、小学館や集英社から取締役が送り込まれていた。/私が仄聞しているところによると、彼らの役割は増資案件の他に、高正味出版社の正味の見直し交渉があったとされるが、それらはまったく成功しなかったようだ。それゆえに、増資はクリアしても再建は片翼飛行でしかなく、今回の栗田案件とその吸収によって、かろうじての両翼飛行をプランニングしたのではないだろうか。あるいは増資に当たっての楽天やDNPに対する密約スキームのようなものであったとも考えられる。/これも本クロニクル80で大阪屋の役員の刷新にふれ、「新たな改革の見取図などは描かれていないと見るしかない」と書いておいたが、今となってみれば、栗田の案件が隠し玉だったのかと見なすことができる」。 高正味出版社の正味の見直し交渉失敗、というのは重要な情報です。成功していれば、画期的な「生まれ変わり」の第一歩をしるせたかもしれません。同クロニクルでは『日経MJ』の「第43回日本の専門店調査」「書籍・文具売上高ランキング」についても言及されています。小数の例外を除いて、上位はマイナス成長がほとんどで、戦慄を禁じえません。 +++ ◆8月1日13時現在。 「新文化」2015年7月31日付記事「トーハン、アバンティブックセンターを買収」によれば、「トーハンは7月28日、取締役会を行い、イズミヤ(株)から同社の子会社であるアバンティブックセンター(大阪・西成区)の全株式を取得することを決議し、同31日にイズミヤと株式譲渡契約を締結した」とのことです。アバンティブックセンターについては次のように説明されています。「1988年3月に設立。現在、大阪、兵庫、京都などに56店舗を構え、売上高74億円(2015年3月期、決算期変更により13カ月分)を計上している。イズミヤは総合小売業のチェーンストア。95店舗を運営し、売上高は3137億円(3月期)」と。周知の通りトーハンは2012年12月にブックファーストを子会社化しています。「新文化」2012年12月21日付記事「トーハン、ブックファーストを子会社化」をご参照ください。仄聞するところによればトーハンはここしばらくブックファーストの人員削減を推進しているようです。アバンティも同じような情況になるのかどうか気になるところです。 今後も続くであろう出版不況の中ではこうした、取次による書店の子会社化や整理・合理化がいっそう進むのかもしれません。取次が特定の書店を経営的に見て「危機的水準に達した」と判断した場合、それが中堅チェーン以上であれば、倒産や帳合変更に至る前に何かしらの形で救済もしくは介入せざるをえないということでしょうか。書店としてもそうなる前に様々な努力をされるのだと推察しますが、自力のみでは合理化や人員整理にも限界があるはずです。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-31 13:53
| 雑談
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2015年 07月 30日
◆7月30日18時現在。 昨日13時より日本出版会館にて、栗田出版販売人事再生債権者有志出版社および出版梓会の会員社を対象に「栗田再生の考え方について山本社長に聞く会」が行われました。栗田出版販売からは山本社長、高梨取締役、そして代理人の藤田弁護士が出席されました。さらに大阪屋の大竹社長も登壇されました。栗田事案に特化したこうした場への大阪屋からの参加は初めてとなります。大竹社長は講談社ご出身ということもあり、ざっくばらんに率直案お話しをされたのが印象的でした(それについては別の記事として特記するつもりです)。会合の初めと終わりには梓会の今村理事長(偕成社社長)が挨拶に立たれました。 山本社長からは24日〆切の新提案への回答状況が伝えられました。回答回収率は65%で、そのうち債権額ベースでは90%の版元が新提案を承諾し、債権者数ベースでは80%超が承諾しているとのことでした。つまり、債権額ベースでは半数以上が承諾しているものの、債権者数ベースでは半数以上に達しているかどうか微妙なラインだということかと思われます。思ったより未回答の出版社が多い印象です。それだけ悩ましい、即答しかねる問題ではあります。悩んでいる版元というのはただちに承服できないから回答していないわけで、これらの版元が最終的に承諾するかどうかは分かりません。山本社長は今後も債権者への説明に努めると仰っておられました。うちにはまだ来ていない、という債権者さんもまだまだまだ多いかと思います。弊社もその一社です。 質疑応答では「承諾しない版元への対応」がどうなるのか、幾度となく債権者より声が上がりました。承諾した版元と承諾しない版元の間に債権弁済率の差が出るのか、という疑義に対しては藤田弁護士より「公平性の観点からそうしたことはしない」との回答がありました。ここから考えると、最終的に承諾するかしないかの判断基準は、新刊委託期間が6カ月(精算入金は8カ月後)の版元の場合、次のようにまとめられるかと思われます。 いわゆる「一カ月相当の返品想定額の還元」が、今後半年間想定しうる返品額より多い場合は、新提案に合意した方が得をします。ただし、還元額は債権から引く、というのが新提案の約束なので、債権額が低くなれば弁済額も減ることにはなるわけです。いっぽう、新刊委託の精算が上述の通り半年以上かかる版元にとっては、あと半年間返品されることによって未精算商品を買い上げる額より、栗田から提示された還元額の方が多い、ということはまずほとんどないだろうと思われます。委託品の内払いや特払いがある大手版元と違って、その他大勢の版元にとっては、一カ月ぽっちの還元額ではとうてい今後半年間の返品買上額をカバーできませんから、今回の新提案を呑むことは不利益ということになります。 8月4日に弁護士事務所に必着させる必要がある債権額の届出において、6月26日から8月4日までに栗田から返品された実返品額を債権から差し引いた金額を提出することも法的には可能だと思われます。栗田代理人弁護士によれば、栗田が提示した返品想定額と同額までは認める考えではあるようです。これでは実返品額を債権から相殺させるつもりはないと言っているのも同然で、版元に不利益を与えないことを前提としているはずの代理人がこうしたことを言うのははなはだ不適切です。すでに新提案に合意をしている版元との公平性が保たれない、と先方は言います。何度も書いていますが、新提案をごり押ししたあげくの公平性など、まやかし以外の何ものでもありません。栗田代理人はただただ栗田の再生に職務として邁進しているだけであって、そこでは債権者への配慮など二の次だというのが現実です。監督裁判所がそこに気付いてくださればいいのですが、裁判所とて栗田と出版社の取引実態をつぶさに知っているわけではなく、栗田サイドから見たいびつな「公平性」のみを代理人が主張しているということを見抜けるのかどうか、心配です。 今回の「返品買上」が版元にもたらす不利益は、取引条件や支払いサイトによってずいぶん異なります。内払いや特払いがあったり買切扱いだったりする版元にとっては「精算済」の商品を買い上げるのはさほど大きな問題ではありません。それに比べると、その他大勢の版元は「未精算の商品を買い上げる」ことになるわけで、しかもそれが6月26日以降、来年1月まで続くのです。この驚くべき不公平について、栗田や代理人はまったく是正処置を試みていない。現実として不公平や格差があることも、不公正な取引を強要している実態も、裁判所には伝えていないでしょう。 以前も引用しましたが、公正取引委員会告示による「優越的地位の濫用」第一号に曰く「継続して取引する相手方に対し、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること」とあります。返品買上を版元に強要している栗田はこの「優越的地位の濫用」に当たり、独禁法に違反している、と告発されても仕方ないだろうと思われます。しかもこの「濫用」は2000社にも及ぶ取引出版社に対して行使されていることなのです。このような大規模かつあからさまな強要が今まであったでしょうか。この実態に公正取引委員会が気付かないとしたら、それはまさに悲劇(という以上にもはや喜劇?)でしかありません。 今回の新提案が不利益であると判断した債権者は、堂々とそれを拒絶していい権利を有しています。そして、これは新提案を拒絶しているもののすでに返品を入帳している版元にとって有効なことですが、6月26日から8月4日までの実返品を差し引いて債権額を提出してもいいわけです(ただしこれについては今は詳しく書きませんが、少し用心が必要な部分があります)。それを認めるかどうかは裁判所が決めることです。 次回の更新では新提案(二次卸スキーム)を拒否している版元のいわゆる「赤残」問題について書こうと思います。まだまだ書くべきことはたくさんあるので、8月4日まで更新を続けるつもりです。 +++ ◆7月30日21時現在。 ある出版人の方から重要なコメントをいただきました(リンクは張りません)。曰く、「栗田問題(勝手な名称)で版元ごとの個別対応はしないと言うそばから、一部版元への説明会開催という公正なる取引とは甚だかけ離れたことを行うあたりにビジネスとして倫理観もへったくれもあったもんじゃないな」と。まず私の説明が不十分だったのをお詫びしなけばなりませんが、昨日の説明会は「有志出版社」と「梓会」が共催したもので、栗田主導のものではありません。 そもそも栗田は7月6日に全債権者を対象とした集会を開いたのを最後に、そのあとはまったく機会を設けていません。山本社長や役員がそれぞれ単独で版元訪問をしていると耳にしますが、本来であれば栗田は全債権者を対象とした第二次、第三次の説明会を開催して然るべきではなかったかと思います。栗田が説明会を開かないために版元サイドがだいたい100社規模でまとまって場を設け、それぞれ栗田役員に出席を要請されてこられました。説明会の主催者は出版社の連合体であったこともあれば、共通の目的意識を持って参集した任意の集団であったこともあります。 栗田が積極的に全債権者向けの説明会を開かないできたのはおそらく7月6日の二の舞になることを恐れたからだと思われます。ですから、当初は版元ごとの個別対応はしないと言っていたけれど、債権者集会後は全体説明会を避けるために、集団ごとの出席要請には応えてきた、と。繰り返して言えば、本来はすべて、栗田が全債権者を対象に主体的に説明会を開くべきだったのです。巧妙に逃げ回ったりにわかに個別訪問したりする栗田サイドを捕まえて、版元が自主的に場を設けてきたというのが実態です。個別の説明会には、わざわざ毎回地方から出張して参加されている小版元さんもおられます。栗田が提示している還元額など、こうした地方版元さんにとっては往復の電車賃一回分でチャラになってしまうことすらあります。 その上で申し上げますが、「ビジネスも倫理観もへったくれもあったもんじゃない」というのはまさにその通りです。栗田が全債権者対象の説明会を開かず、個別の問い合わせにははっきりと答えず、版元に文書を一方的に送りつけるだけで7月を終えようとしているのは、すべて栗田サイドの一貫した「手法」です。常に版元の出方を見てからいわば「後出しじゃんけん」(某版元さん談)をしようとしてきたわけです。こうしたやり方に大きな懸念を覚えてきた債権者からは、「今回の件では版元間の情報格差がひどい」という声をよく聞きます。版元から聞かれなければ答えない、というスタンスはいかにも弁護士先生のとりそうな立場ですが、結果的にそうした行為が栗田への信用を毀損していることは明白な事実です。 コメントされた版元さんはこうもお書きになっておられます。曰く、「取次民事再生に関する諸々の案件。他社への返品振替はなくなったようだが新たな提案(破綻前の売上金凍結で返品だけ7月以降売上相殺)も現実的に納得出来るものでなく、このような状況で裁判所が申請受理して新しい判例として後世に残されたら出版を営む者は直接取引へと舵を切らざるをえんだろうな」と。まったく同感です。取次がこうしたリスク処理をすることは、版元=小売間の直取引の模索へと帰結せざるをえません。 むろん、業界の中には「今まで取次にさんざん頼ってきたくせに。やれるもんならやってみな」と挑発的な声を投げかけてくる人もいます。すべての版元が、というわけではありませんが、版元の取次依存には根深いものがあります。しかしそれは裏返せば取次の版元依存でもあったわけです。美しきwin-winの幻想はもう通用しません。出版社は今回の一件で、取次との関係性を見直さねばならなくなったのですね。 +++ ◆7月31日午前0時現在。 先述したような版元さんからのお声にもあるので、赤残の話に移る前に、昨日の「山本社長の話を聞く会」について、版元さんのTさんのツイートとともに振り返りたいと思います。Tさんのご協力に感謝申し上げます。 曰く「「栗田再生の考え方について山本社長に聞く会」が間もなくて始まります」。「100人くらいは来ているかな?」。「栗田再生の会に大阪屋も同席してくれている。この件で2社が揃う会は初めてかも」。 →会場は神楽坂にある書協の日本出版会館4Fの会議室です。写真にある壇上右側が栗田さんの席でした。説明会に大阪屋の大竹社長が出席されたのは初めてのことでした。これは有志出版社や梓会の諸先輩方の地道な交渉の賜物かと思います。弊社は有志出版社に参加していたので、栗田や大阪屋の話を聞く機会に恵まれたわけですが、当然のことながら、こうした会のことを知らなかった方々も多いと思います。栗田が積極的にこうした機会を作ってこなかったのは本当に不平等です。 曰く「栗田の説明はコロコロ変わるなぁ」。「返品拒否している出版社は栗田再生スキームに合意しなくても8/4までは栗田からの返品の債権相殺を認めるとか。みんな知っていましたか?」。「承諾書の提出期限を過ぎてから、栗田からの返品相殺を認めるとか「後だしジャンケン」じゃないか」。「【今日のメモ3】新スキームにおいての栗田と大阪屋の返品のやり取りについて、出版社から買い戻し拒否の申し出があった場合は大阪屋と栗田の間の取引は「無かったこと」にする契約を結んでいる。従って、その際の在庫には栗田に「片面的返品権」があると考えている」。 →特に栗田代理人の説明が変わるのは、「あまりはっきりとは答えたくない」問題について聞かれた時でした。ある時はソフトにぼやかし、聞き方を変えると本当のことを喋ったりします。「返品拒否している出版社は栗田再生スキームに合意しなくても8/4までは栗田からの返品の債権相殺を認める」という話はTさんの仰る通り「後だしジャンケン」以外の何物でもありませんね。新提案の回答回収状況が思ったより悪いのと、拒絶する版元がはっきり出てきたことを見届けて、もうひとつのオプションである旧商品返品の債権相殺の可能性を持ちだしてきたというわけです。二次卸スキームを拒絶した版元には返品相当額を「払わない」というのが実際に公平ではないということを先方も気にしているようです。 →そもそも今回初めて聞いた弁護士の発言には「二次卸スキームが同意されない場合、大阪屋=栗田間の売買がなかったという契約になるため、返品は栗田の所有物となり、栗田から版元に返品を要請する」というのがありました。つまり、二次卸スキームでは返品は栗田から大阪屋に売却されるものであるため、版元にとっては大阪屋からの「新たな取引」となり、返品を合意なく受領させられる義務がなかったのです。それを債権者集会でも弁護士が「受け取り拒否できる」として認めていたわけですが、当然のことながらこれが穴だと気付いた先方は本件にパッチを当てていわばデバッグしようとしているのです。それが「大阪屋に売らないから、返品は栗田の所有のままだもんね」という上記の返答です。債権者集会で1300人を前にレジュメを通じて説明した「大阪屋」を介した二次卸スキームというのを、いとも簡単に撤回しようというわけです。これほどひどい後出しジャンケンはありません。返品をいつどうやって売ったのか、明確に答えようとしてこなかったのは、こうしたズルい選択肢を残すためだったのでしょう。 曰く「やっぱり質問は返品にまつわる話になってしまう」。「【今日のメモ】大阪屋の大竹社長は「片面的解約権(返品権)」という用語はともかく、考え方は踏襲していくという旨の発言をされていた」。 →補足すると、債権者集会で弁護士から提示された、新刊委託も「片面的解約権(返品権)付売買契約」であるという法解釈を栗田が今後も引き継ぐのかどうか、そしてその解釈を大阪屋と共有しているのか、という質問だったのでした。それに対して、まず栗田の山本社長が「引き継ぐ。しかし大阪屋とは共有していない」と答え、大阪屋の大竹社長が「片面的解約権というのは初めて聞く言葉だ。ただし、返品条件付売買としては認識している」と答えたのでした。栗田が二次卸スキームのかなめである取引相手と肝心の認識を共有していなかったというのは衝撃的な答えではあるのですが、大竹社長がうまくふんわりと話を引き継いだのでした。しかしこれは以前も指摘したように、委託を買上と理解するということは、委託で出荷する意味が版元にとってはもうないということを意味します。つまり、栗田だけでなく、大阪屋に対しても、版元が委託や延勘や長期で支払い猶予する必然性は消えたということを意味するのです。これが思っている以上に重大な影響を及ぼしかねない「回答」だったということを山本社長や大竹社長は気付いておられるのかどうか。 曰く「出版業界はこれを機に「委託」なんて呼称はやめて欲しい。出版社も書店も勘違いしている人がたくさんいると思うよ」。 →委託も買上だ、という栗田サイドの法的解釈は、取引実態とは整合していませんから、これを主張すればするほど、先述のようなドツボにはまっていくと思われます。この傾向はTさんが以前別の方と交わした以下の会話にも明らかに表現されています。 Tさん「大阪屋からの旧栗田品の「返品拒否」を続けた暁には、出版社が返品を受け入れざるを得ない伝家の宝刀を抜いてくる可能性をチラつかされた。なるほど、最初から逃げ道を塞いでいたわけか。書店も出版社もなぜこんな取次の再生を望むのか」。 リプライAさん「突然リプライすみません。弊社の顧問弁護士が言うには、今までの取引慣行上返品を受け入れていたのであれば、法的に返品は拒否できないとの見解でした。栗田も法的な措置を取って入帳を強要してくるというニュアンスでしょうか?」 Tさん「大阪屋の「買い戻し」は拒否できても、栗田に戻して「片面的返品権」で有無をいわさず返品できる。しかも8/4以降にそれを行使すれば申請して確定させた出版社の債権との相殺は当然できません」。 リプAさん「逆に言うと今回の件がモデルケースになってしまう可能性もある訳で、そうなると今後は買切でしか出せないなという気がしています・・・」。 Tさん「「委託制度」については、栗田側では「片面的解約権付の売買契約」と解釈をしていますから、常備と買切以外は支払いサイトが異なるだけの売買契約ということになります。ウチは委託はハイリスクな取引だと考えて、委託を減らす方向にしていきます」。 リプAさん「うちもその方向ですが、多くの版元がそういう方針になると書店や取次のキャッシュフローが悪化して業界全体にとって悪影響必至ですから、今回の栗田のやり方は本当に罪深いと思います」。 Tさん「今までの仕組みが崩壊することで、傷みを伴うことにはなると思いますが、生き抜くには必要なフェーズなのかもしれません」。 リプライBさん「当然委託は減らさざるを得ないですよね」。 →引用以上です。こうした認識は広く版元間で共有されつつあります。版元が自衛するためには、未回収率を低くするしかありません。委託が最小限まで減るとなると、その影響はむろん、書店さんに及ぶことになります。取次が書店を本当に守りたいのなら、「片面的返品権」などはっきりと主張しない方がよかったはずです。栗田代理人は「書店もまたこの「片面的返品権」を有している」と債権者集会のレジュメで説明していました。書店員さんなら、これに対して「あれっ?」と思うはずです。片面的権利を持っているなら、なぜ返品が逆送されるのだろう。なぜ返品了解を版元から得なければならないのだろう。そう誰もが気付くはずです。取次は版元にはこう言いたいのです、「取次は版元にいつでも何でも返品できる(そしてあえて返品しないこともできる)」と。いっぽうで書店には「版元の了解を取ってね」と言う。返品に手間を取らせるというこの時間差こそが「お金」を生む仕組みのひとつなのだ、と誰もが気付くようになるでしょう。栗田事案はこうした隠れていた仕組みを自ら暴いてしまう側面を必然的に有しています。 曰く「【今日のメモ2】民事再生申立て時に、山本社長は栗田の再建に際し、「出版社の出費が不可欠である」という説明をしていたようだ」。 →栗田は銀行から借り入れをすることができなかったため、資金調達の必要性があったと言います(端的に言えば銀行から突き放されたということを意味します)。出版社に負担を請うことを弁護士が強く提案したのは、栗田に再生する価値があると見なしたからだそうですね。これに関連して大阪屋の大竹社長からの興味深い発言もあったので、それは別途書くようにします。 曰く「栗田は説明の際に「公平」「平等」言葉を多用する。でも情報については全く「平等」とは言えない。今日、梓会主催の説明会に参加した60社以外には「いつ」「どのように」伝えるのか明らかにしていない」。 →その通りです。この恐るべき情報格差の戦略。 +++ ◆7月31日午前0時40分現在。 折々に「お前はtwitterをやらないのか」もしくは「facebook」をやらないのかとお声を掛けていただくのですが、どちらももしやり始めたら、それ自体が仕事になってしまうくらい頑張ろうとするに違いないのでやっていないのです。また、物事を伝える上では私自身はどうしても「分量」を必要とすると感じています。そんなわけで私の身の丈では今のところブログがまだ合っているらしい、といった感触です。ブログというメディアがどんどん時代遅れになっていきつつあるのは事実だと思いますが、かといってYouTuberになれるとも思えず。。。。 +++ ◆7月31日23時現在。 出版協副会長の竹内淳夫さん(彩流社)が7月31日付で同会のブログに「栗田破綻と再生スキーム、その陰の本質的危機」というコメントを発表されています。曰く、「基本的に商品の返品が無い業種であれば、債権を一端棚上げにして、破綻に至った病巣を整理し、債権者が商品を供給すれば、システムは動きだし、再生への道は開ける。しかし、返品が前提となっている出版業界では、この再生法自体が本質的に馴染まないものと言えるのではないか。返品も凍結して、いわゆる「新栗田」というシステムを動かすのならば異存はない」。 取次の民事再生には今回のような栗田方式しかないのか、という疑問の声をよく聞きます。未精算の旧商品の返品を版元に買わせるのではなく、すべて債権で相殺できれば、こんなにも債権者を悩ませることはなかったはずなのです。さらにはこうもお書きになっておられます。 「現下の業界を考えれば、取次店の寡占化が進むよりは、小なりとも栗田が再生し、活躍するのが望ましいし、それを支援しようという者も少なくないはずだ。返品を相殺するなどという上から目線の押しつけよりも、同じ仲間として、例えば支援金として小口の寄付なり、社債なりの手立てはなかったのだろうか。今回の再生スキームは、出版界に大きな禍根を残すことになるように思われる。/というのは、栗田の破綻への道は、現在業界が抱えている問題の縮図であるからだ。これまでなら、大手版元を中心に業界内でどうにか支え、あるいは金融機関の支援で再生への道を歩めたであろうことが、もう既にその力が無いことを明らかにしただけでなく、金融機関の債権がゼロという事実は、不動産を持たない限り、金融機関の支援の対象にもならない業種という証明にもなった。また、返品商品を担保に再生出来るということは、委託制度というシステムに甘える前例を破綻取次に容認することになるからである」。 法律解釈を盾に終始高圧的で一方的な態度を取り続けた栗田。債権者集会での反省をもとにその後は極力平身低頭ぶりに徹しようとしても、当初から版元=債権者のことなど第一ではないのですから、結局は元の横柄な態度を隠しきれないのです。そして「金融機関の支援にもならない業種」というのは実際にその通りで、取次だけでなく、多くの版元もそうなのです。さらに、委託制度のリスクについてはもうこりごりという版元がどんどん増えています。最後の結びはこうです。 「嫌みを言っても始まらない。栗田の破綻は、我々が抱えている問題を根本的に考える場にしなければならない。それは、書店、取次、版元のそれぞれの利害を超えて、流通問題や再販制度、取引条件など全ての分野で知恵を出し合い、方策を作らない限りこれからの展望は開けない。業界のリーダー諸氏に是非お考え頂きたい」。 出版人はここでいつまでも地団駄を踏んでいる場合ではなく、前に進まねばならない、というお言葉かと思います。条件面で圧倒的に優遇されている版元は、これ以上取次をゾンビ化させないようにしなければならない責務があると言わざるをえません。今回の危機は、業界が新たに生まれ変わる最初で最後のチャンスかもしれないのです。 +++ 8月1日午前2時現在。 ポット出版の沢辺均さんがスタッフブログ「ポットの日誌」7月31日付記事「アマゾンの安売り=再販制の危機、栗田という取次の民事再生 出版流通のほころびのなかで考える今後の方向」を公開されています。これは栗田事案の経緯というよりは、栗田の一件を受けて、出版社がどうすれば業界を再活性化できるかについて模索されたものです。結論部分と見ていい「出版社が今できること」には4つの課題が書かれています。 「第一に、新刊委託配本(見計らい)をやめて新刊の配本も書店からの注文にもとづいて行うことだ。/取次との取引条件も出荷側で簡素化してしまうのだ」。 「第二に価格拘束をやめる(非再販)。/現状で非再販にしても書店店頭での値引きは実現されない。書店の粗利が22%しかない現状では、売れ残りを安売りするって言ったってたいした値引きはできない。でも将来の書店での価格政策の自由化に備えることはできる。〔・・・〕」。 「第三に、書店からの注文に必要な書誌情報の発信を行うことだ」。 「第四に、不幸にして予想に反して売れ残ってしまった本の販売促進策を、生み出していくことだ」。 これらについては書店さんサイドのご意見も伺いたいところです。新刊見計らい配本について、再販制の是非について、版元の新刊情報の集約と提供方法について、販売残本の取り扱いについて。私自身も思うところがあるのですが、長くなるので別の機会を期します。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-30 18:23
| 雑談
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2015年 07月 26日
![]() 襞――ライプニッツとバロック 新装版 ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一訳 河出書房新社 2015年7月 本体3,800円 A5判上製252頁 ISBN978-4-309-24719-9 帯文より:2015、ドゥルーズ没後二十年。2016、ライプニッツ没後三百年。われわれはライプニッツ主義者であり続ける。核心的な主題を新たなるバロックとして展開するドゥルーズ後期の目眩めく達成。 目次: I 襞 第1章 物質の折り目 第2章 魂の中の襞 第3章 バロックとは何か II さまざまな包摂 第4章 十分な理由 第5章 不共可能性、個体性、自由 第6章 一つの出来事とは何か III 身体をもつこと 第7章 襞における近く 第8章 二つの階 第9章 新しい調和 訳者あとがき ★発売済。原書は、Le pli: Leibniz et le baroque (Minuit, 1988)です。日本語訳の初版は1998年10月刊行。装丁は初版も今回の新装版も戸田ツトムさんが手掛けられています。デザインの変化には17年の時の経過が如実に表れているような気がしてたいへん興味深いです。訳者あとがきには特に追記等はありません。今春は工作舎さんの『ライプニッツ著作集』第II期の刊行が開始され、町田一さんによる『初期ライプニッツにおける信仰と理性――『カトリック論証』注解』(知泉書館、2015年4月)も発売されました。確か他版元でもライプニッツの著作の新訳が進んでいたはずで、今年から来年にかけて様々な新刊が出るのだろうと思われるだけに、ドゥルーズ本の再刊はタイムリーです。 ★印象的な部分を抜き書きします。「最終段階としての満足、「セルフ-エンジョイメント」は、把握が自分自身のデータでみたされ、主語が、ますます豊かな私的生活に到達しつつ、自己にみたされる仕方を示すのである」(137頁)。「〈バロック〉がなぜ一つの移行状態なのか、いまはよく理解できる。古典的な理性は、発散、不共可能性、不調和、不協和音の脅威にさらされて崩壊した。しかし〈バロック〉は古典的な理性を復興しようとする最後の試みであり、様々な発散を、そのまま可能世界に振り分け、様々な不共可能性をそのまま世界の間の境界にしたのである。同一の世界に出現したもろもろの不調和は暴力的なものでありえても、調和において解決される」(143頁)。 ★「多くの注釈者は、ライプニッツの〈調和〉の定義はごく一般的なものにすぎず、ほとんど完全性の同義語であって、音楽にかかわるのは隠喩としてでしかないと考えている。〔・・・〕しかし〔・・・〕音楽への言及は厳密なものであり、ライプニッツの時代に起きていたことに関連していると信じてよいのである。〔・・・〕あたかもライプニッツは、バロック音楽とともに生まれつつあった何かに敏感であったかのようなのだ。彼の敵たちは古めかしい発想にしがみついていたのに」(222頁)。「もっとも高度な水準で、一つのモナドはメジャーな、完璧な協和〔和音〕を生み出すのである。まさにこのような協和において、不安の中の小さな刺激は消えるどころか、持続や、延長や、更新や、多数化が可能で、増殖し、反射し、他の協和を引きうける快楽の中に統合され、さらに遠くまでいく力をわれわれに与える。この快楽は魂に特有の「至福」であり、すぐれて調和的であり、殉教者の喜びのように、最悪の苦痛においてさえも経験されるのである。この意味で、完全な協和とは停止ではなく、反対に他の協和の中に移り、他の協和を引きつけ、再びあらわれては、無限に結合することのできる活性なのである」(226頁)。 ★「モナドは、自分自身の底から協和を引き出すのである。〔・・・〕魂はみずから進んで歌うのであって、セルフ-エンジョイメントの基礎なのだ。〔・・・〕調和とは垂直な書き込みであって、それが世界の水平的な線を表現する。世界とは人が歌いながら、継続的に、あるいは水平的に追いかける音楽の本のようなものだ。しかし魂は自ら進んで歌うのである。なぜなら本の記譜法は、そこに垂直的に潜在的に刻んであるからだ(ライプニッツ的調和の、第一の音楽的アナロジー)」(228頁)。ライプニッツ自身もこう述べています。「喜びとは調和の感覚である。苦とは拙〔まず〕い組み合わせの感覚である〔pleasure as the sense of harmony; pain as the sense of disharmony [inconcinnitas]〕」(「初期アルノー宛書簡」根無一信訳、『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期第1巻 哲学書簡』所収、工作舎、2015年、141頁;Philosophical Papers and Letters: A Selection, 2nd edition, translated & edited by Leroy E. Loemker, Kluwer Academic Publishers, 1989 [1956], p.150)と。この感覚はまさに棚編集にも当てはまるものではないでしょうか。 ★「ドゥルーズ没後二十年企画」として河出文庫より既刊の宇野邦一監修『ドゥルーズ・コレクション』2巻本(I:哲学、II:権力/芸術)のほか、近刊として、河出書房新社編『ドゥルーズ(仮)』、D・ラプジャード『ドゥルーズ 錯乱する運動(仮)』(堀千晶訳)が予告されています。楽しみです。 ![]() ★このほか、先月から今月にかけて次のような注目新刊がありました。『ヘルバリウス』と『人類の最高遺産』は遅まきながら刊行に気付いて驚いた次第です。いっぽう発売されたのは知っているものの、岩波書店の『ケルズの書』も買いそびれています。原書を持っているからと購入を後回しにすると、品切になりはしまいかと恐れながら月日をやり過ごすことになり、心臓にはよくないです。しかし良い本は続々と出てくるので、財布と相談しながらどこかで決心しないと本当に買い逃しそうです。以下では主に近現代の古典ものの単行本を取り上げましたが、文庫でも色々と出ていますので、それらは別の機会にまとめて言及したいと思います。 「ユリシーズ」第七章・第八章、ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳、『文藝』2015年秋季号所収、河出書房新社、2015年8月、166-219頁 『ヘルバリウス――植物薬剤のマテリア・メディカ』パラケルスス著、澤元亙訳、由井寅子監修、ホメオパシー出版、2015年3月、本体2,500円 菊判上製280頁、ISBN978-4-86347-090-3 『物体論』ホッブズ著、本田裕志訳、京都大学学術出版会、2015年7月、本体5,600円、四六判上製756頁、ISBN978-4-87698-544-9 『人類の最高遺産』F・M・アレクサンダー著、横江大樹訳、風媒社、2015年4月、本体4,000円、A5判並製366頁、ISBN978-4-8331-5294-5 『[新訳・評注]歴史の概念について』ヴァルター・ベンヤミン著、鹿島徹訳・評注、未來社、2015年7月、本体2,600円、四六判並製252頁、ISBN978-4-624-01193-2 『活動的生』ハンナ・アーレント著、森一郎訳、みすず書房、2015年6月、本体6,500円、A5判上製568頁、ISBN978-4-622-07880-7 『無神論』アレクサンドル・コジェーヴ著、今村真介訳、法政大学出版局、本体3,600円、四六判上製310頁、ISBN978-4-588-01028-6 『都市と人間』レオ・シュトラウス著、石崎嘉彦/飯島昇藏/小高康照/近藤和貴/佐々木潤訳、法政大学出版局、2015年7月、本体4,400円、四六判上製432頁、ISBN978-4-588-01029-3 ★このたび2015年秋号より「文藝」誌がリニューアルされ、「新連載」として柳瀬尚紀さんによるジョイス『ユリシーズ』の新訳が開始されました。今号では第七章と第八章が訳出されています。『フィネガンズ・ウェイク』の完訳という偉業を1991年に達成されたあと、柳瀬さんは96年に『ユリシーズ』第12章の訳書を刊行され、翌97年春には第1章から3章まで、さらに同年夏には第4章から第6章までを単行本として上梓されています。編集人の尾形さんが後記で「待望の再始動」と書いておられますから、残りの章がこれからいよいよ読めるようになるのかと思うとどきどきします。 ★『ヘルバリウス』はホメオパシー出版さんのパラケルスス翻訳書の第4弾です。これまで函入本2冊、上製本1冊と推移してきましたが、今回は初めての並製本。そのかわり今までで一番廉価な本となっています。こういう軽装も悪くないと思います。監修者まえがきおよび版元紹介文を参照すると「本書は、パラケルススの「マテリア・メディカ」とも言えるもので、彼の薬物療法を知るうえで最も重要な三つのテキスト『ヘルバリウス(本草学)』(1525年)の全体、『自然物について』(1525年)の一部、『マケル薬草詩注解』(1527年)の全体を収録」と。凡例によれば底本は、『ヘルバリウス(本草学)』『自然物について』はポイカート編『パラケルスス著作集』第1巻(1965年)、『マケル薬草詩注解』は『パラケルスス全集』第3巻(1930年)所収のアシュナーによる現代語訳とのことで、図版はすべてヒエロニュムス・ボック『本草書』から採ったそうです。ポイカートと言えば、昨秋なんと『中世後期のドイツ民間信仰――伝説(サーゲ)の歴史民俗学』中山けい子訳、三元社、2014年10月)という訳書が出たのでした。あろうことか未購読だった気がします。再び忘れないうちに購入せねばなりません。 ★『物体論』は『市民論』(2008年10月)、『人間論』(2012年7月)に続く、ホッブズ『哲学原本』3部作のラテン語原典からの日本語訳完結編です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。3部作の翻訳としては本田訳のほかに、全1巻本で伊藤宏之・渡部秀和訳『哲学原論/自然法および国家法の原理』(柏書房、2012年5月)があります。柏書房版では『物体論』は1656年英訳版を底本としていました。ラテン語版(『De Corpore』1655年)からの翻訳は今回が初めてになります。ホッブズ再評価の機運はここしばらく高まり続けているとはいえ、2種類の完訳が数年間のうちに出版されるというのはたいへんな出来事です。『哲学原本』の構成上では物体論・人間論・市民論という順番ですが、出版年では市民論・物体論・人間論です。本田訳『物体論』は付録として英訳版からの抄訳が17篇併載されています。また、巻末には訳者による長篇解説と、索引(人名・事項)を完備。訳者と編集者の情熱を感じさせる感動的な締め括りの一冊です。特に本田さんは眼病と闘いながらの作業だったことが解説の末尾で明かされています。 ★『人類の最高遺産』の原書は、Man's Supreme Inheritance: Conscious Guidance and Control in Relation to Human Evolution in Civilization (1910;Mouritz, 1996)です。版元紹介文に曰く「アレクサンダー・テクニーク創始者のF・M・アレクサンダーが1910年に発表した最初の著作。揺れ動く時代を背景に、哲学・教育・社会評論にまたがる広汎な考察から、ゆるぎない人類的価値の存在を説く」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。アレクサンダーは日本でも良く知られている思想家ですが、テクニーク関連書の多さに比べて著書の翻訳が圧倒的に少なく、出版され始めたのはごく最近でした。既訳書には『自分のつかい方』(鍬田かおる訳、晩成書房、2010年)があるのみです。『自分のつかい方』には哲学者ジョン・デューイのまえがきが寄せられています。『人類の最高遺産』にもディーイの巻頭言や書簡が収められており、本書中ほどの4頁にわたるグラビアでは、デューイとともににこやかに写っているアレクサンダーの写真が掲載されています。プラグマティズムがこんにち日本でも再評価されて関連書が増え始めていますけれども、20世紀アメリカ思想においてアレクサンダーを(あるいはライヒなども)きちんと位置づけることが重要ではないかと思われます。プラグマティズムや分析哲学、政治哲学だけではない豊かな水脈を書店さんの書棚で描き直す時が来ているように思います。 ★『[新訳・評注]歴史の概念について』は未完の遺稿「歴史の概念について」(通称「歴史哲学テーゼ」の、1981年にジョルジョ・アガンベンが入手したタイプ原稿を底本にし、他の6つのヴァージョンを参照しつつイントロダクションと評注を付した新訳です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。版元紹介文に曰く「これまであまり顧みられてこなかった、底本のみに見られるテーゼ1篇と自筆の書き込みも訳出」とのこと。底本のみに見られるテーゼというのは「XVIII」番で、メシア的時間についての書き出しから始まるものです。この項目においてベンヤミンが記した「じつのところは、それみずからの革命的チャンスをたずさえていない瞬間などない」(67頁)という言葉はあたかも雷鳴のように胸に響く心地がします。72頁から241頁にかけて掲載された膨大な評注に圧倒されます。たいへんな労作です。「歴史哲学テーゼ」は複数種類の文庫で既訳を読むことができますが、今回の新訳は今後のさらなる読解に不可欠な基本文献となるのではないかと思われます。 ★『活動的生』の原書は、Vita activa: oder Vom tätigen Leben (Kohlhammer, 1960)です。言わずと知れたアーレントの主著のひとつ『人間の条件』のドイツ語版で、訳者あとがきで森さんはこう書いておられます。「英語版に比して、この『活動的生』は、優に増補改訂第二版と呼ぶに値する。書名からして別の趣だが、その一方で、内容上の揺らぎは一切見られない。〔・・・〕われわれの目の前にあるのは、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』と並び称されるべき20世紀の古典なのだ」(519頁)。さらにこうも解説されています。『人間の条件』(1958年)刊行後、友人にまずドイツ語訳してもらい、「その粗訳に大幅に手を入れて完成させた。英語からドイツ語へのたんなる翻訳でないのは明らかで、著者が母語で自在に書き足している。分量が増えただけでなく〔・・・〕英独両版の移動はあまりに多く、逐一指摘することは不可能だったが、それほど多くない段落分けの創意や、目に付いた書き足し箇所、注の追加等は、訳注に記しておいた」(520頁)。『人間の条件』(ちくま学芸文庫)と読み比べてみるのも有意義ではないでしょうか。 ★『無神論』の原書は、L'atheisme (Gallimard, 1998)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「若き亡命ロシア人哲学者が、戦間期パリのヘーゲル講義で名を轟かせる以前の1931年にロシア語で書きつけた、神と人間、世界と無をめぐる根源的な思索のノート。公表を禁じられていた本テクストは、のちのコジェーヴの知られざる理論的出発点であり、ヘーゲルやハイデガーとの対決であるとともに、20世紀知識人の実存の記録でもある。思想史の欠落を埋める一冊、ロラン・ビバールによる解題付」。ビバールと言えば昨年末、同局より著書『知恵と女性性――コジェーヴとシュトラウスにおける科学・政治・宗教』(堅田研一訳、法政大学出版局、2014年12月)が刊行されたばかり。『無神論』冒頭の解説は60頁近い長編で、公刊が意図されていない草稿だったこのテクストの位置付けを試みています。訳者あとがきに曰く「もともとの構想では、本書『無神論』は全六章からなる著作となるはずであったが、結果としては第一章のみが書かれただけに終わり、第二章から最終章までの記述はすべて放棄された。それゆえ、本書はその書かれた第一章分のみの内容となっている。その内容は、ひとことで言えば、無神論および無神論的宗教性とは何かであり、それを有神論および有神論的宗教性とのかかわりから論究するというものである。未完とはいえ、議論の内容は濃密であり、これまで知られていなかったコジェーヴ思想の核心的な側面を垣間見させるものとなっている」(221-222頁)と。 ★『都市と人間』の原書は、The City and Man (University of Virginia Press, 1964)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭には米国ノートルダム大学教授のキャサリン・ズッカートさんによる「日本語版への序文」が添えられています。本書は言うまでもなくシュトラウスの高名な主著のひとつで、長らく翻訳が待たれていたものです。アリストテレス、プラトン、トゥキュディデスの精緻な読解を通じて「都市と人間のあいだに存在する架橋することのできない緊張を明らかにする」(版元紹介文より)。古典の読解であるにもかかわらず(否、そうであるからこそ)、シュトラウスの言葉は現代を照射し、未来をも語るかのようで戦慄を覚えます。特に第III章「トゥキュディデスの『ペロポンネソス人たちとアテナイ人たちの戦争』について」は戦後70年の今だからこそ再読したいテクストです。シュトラウスはこう書きます。「トゥキュディデスのページを繰るとき、われわれは最も強烈な政治的生活の中に、国外と国内の両方の流血の戦争の中に、生死を賭けた闘争の中に瞬時に没頭することになる。トゥキュディデスは政治的生活をそれ自身の光の下に見る。彼はそれを超越しない。彼は混乱の上に立たず、その真っ只中に立つ。彼は政治的生活をあるがままに真剣に受けとる」(225頁)。 ★なお、『レオ・シュトラウスと神学‐政治問題』(石崎嘉彦/飯島昇藏/太田義器訳、晃洋書房、2010年)や『シュミットとシュトラウス――政治神学と政治哲学との対話』(栗原隆/滝口清栄訳、法政大学出版局、1993年)などの訳書で知られるハインリヒ・マイアー(Heinrich Meier, 1953-)の新刊が先月発売されています。『政治神学か政治哲学か――カール・シュミットの通奏低音』(中道寿一/清水満訳、風行社、2015年6月)がそれです。未見なのですが、風行社さんの「風のたより」第59号に掲載された蔭山宏さんによる本書の紹介によれば、「ところで一九八八年とはマイアーの最初のシュミット論である『シュミットとシュトラウス――政治神学と政治哲学との対話』の刊行された年でもあった。「政治神学」には単に気の利いた説明という以上の、しかも「政治哲学」とは区別される独自の意味があった。マイアーはこの観点に立つ、自らを含めた政治神学理解を「求めるところの多い意味での政治神学」と呼んでおり、前著がシュトラウスとの関連に焦点をあて、シュミットの政治思想の根幹を政治神学に求めていたのに対し、本書は『グロッサリウム』なども含めたシュミットの全体的な思想を視野に入れ、シュミットの「政治神学」との関連で論じられる思想家は主要な人物についてだけでも、シュトラウスをはじめとし、ホッブズ、ドノソ・コルテスやバクーニン、ヘーゲル、ブルーメンベルク、ペテルゾン、エルンスト・ユンガー、レーヴィットなどに広げられている」とのことで、大いに興味がそそられます。 ■
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by urag
| 2015-07-26 21:04
| 本のコンシェルジュ
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2015年 07月 24日
◆7月24日9時現在。 いよいよこの日がやってきました。新提案の諾否の通知期限です。ここ一カ月、ほぼ毎日のように今回の一件に追われてきた出版社にはさすがに疲れが見えるようです。早く決着させたいという思いで新提案を承諾する版元さんもおられる一方、栗田への不信感をぬぐい切れずにいる版元さんもおられます。新提案を承諾することはすなわち二次卸スキームを受け入れ、6月26日以降の返品買上をすべて認め、この先も認め続けることを意味します。新提案を承諾し、還元額を受け入れつつも返品を保留したり拒否したりする、ということは「できません」。返品を保留したり拒否したりする場合は新提案を拒絶する必要があり、還元額も受けることはできません。栗田および代理人は1ヶ月返品相当額の還元について公平性を掲げています(それならば新提案の諾否は交渉材料に使うのではなく、新提案と関係なくすべての出版社に還元すべきだ、という声もあります)。もともと版元によって取引条件や支払いサイトが違うのですから、そうした版元間格差を考慮しない限り、本当の意味での公平性は実現されません。出版社はそのことを承知した上で、飲むか飲まないかを迫られているということです。 お金の問題ではなく、根本は信用の問題なのです。本件を今後想定されうる「取次界のリスク処理」の標準や前例にするのは危うい、ということを多くの出版人が心配しています。出版社の過半数がこの処理を認めたなら、栗田以外のケースが将来的に出てきた場合に「あれはあれ、これはこれ」という是々非々の対応を取ることが果たして《許される》かどうか。大局を決めるのは大手版元です。彼らは緊密に、そして時にゆるやかに連携しています。一方、頭数では負けない中小零細は、全員がしっかり連帯するというところまでは辿りつきにくい。そのことを栗田も大阪屋も株主たちも分かっているでしょう。その上で、これまでのことが起きています。おそらくは株主版元の了承のみ得た上で、その他大勢の同意を取り付けることは後回しにして、強引に返品を送り続け既成事実化しようとした、と。その他大勢の版元の対案や反発はことごとく留保し退け、再生スキームをごり押しし、いくばくかの金額の提示で懐柔しようとしている、と。金額は各版元によってまちまちですから、この条件であればOKとする会社があってもおかしくはありません。しかし、版元はよくよく気をつけるべきです。栗田やその背後にいる人々は今後も自分がやりたいようにしかやらないし、その他大勢の版元とは没交渉のまま(交渉をのらくらとかわしながら)物事を進めるでしょう。度し難いことです。 ある人からはこう皮肉を言われました。「出版社ってさ、懲りないよね、何度も痛い目にあってるのに、ぜんぜん懲りてないよね。何かあるごとに、仕方ないか、で済ませちゃうんでしょ。進歩ってものが感じられないなあ」。栗田事案では結局、出版社も「いい加減な存在」として冷笑されているわけです。この「いい加減さ」が寛容さや柔軟さとして機能していた時代はよかったのです。しかしこの先、このままでやれるのかどうか。 従来のシステムの維持にイエスと言うのか、ノーと言うのか。そんなに大げさなことじゃない、と言っても詮無いことです。栗田が取引条件の見直しはないと明言している以上、新提案回答期限の今日この日が、「今のままでもやむをえない」のか、「もうやめよう」となるのか、その象徴的な分かれ道のひとつになります。「今のままでいい」わけはありません。ずっと続けられるわけじゃない。すでに破綻は始まっています。新提案を受け入れようと受け入れまいと、出版界に変革が求められていることは事実であり、いくら立場が違おうともこれを否定できる人はいません。否定したところでどうにもならないからです。現時点では栗田の公式の再生計画は債権者に提示されていませんから、栗田がどのように変わっていけるのかは分かりません。現在の栗田の現場の空気感をつぶさに観察して「変わらないよ」と悟り澄ましている人もいます。実際にそれが現実かもしれません。版元格差は是正されないまま、不均衡なシステムを維持せざるをえない現実に「新栗田」も(そして大阪屋も)また、置かれているわけなのです。変えようともしないまま、今までの連鎖や悪循環を止められるはずもないのですが。 新提案の回答期限は今日まで。FAXでの送付が認められています。まだ回答できない場合も、栗田に連絡する必要があります。どうか読者の皆様には今回の選択がどこへ向かうのか、厳しい目でご覧いただけたらと思います。 なお、栗田役員が債権者集会とは別の場で口にしている「弁済率30%」というのは、そのまま「可能である」として信じることができるものなのかどうか、甘い判断は危険だと思われます。 +++ ◆7月24日午前11時現在。 書評紙「週刊読書人」の事務所が改装され、「読書人スタジオ」が来月オープンします。オープンを記念し、9月より「神楽坂・読書人セミナー」が開講されます。その第一回となるイベントに登壇することになりました。ご来場の皆様との出会いを楽しみにしています。 ◎神楽坂・読書人セミナー「独立系出版社の挑戦――編集・販売・経営」 日時:2015年9月11日(金)19時~21時 場所:読書人スタジオ(新宿区矢来町109;地下鉄東西線神楽坂駅より徒歩1分) 料金:1000円(ワンドリンク付) 予約・問い合わせ:読書人(電話03-3260-5791またはinfoあっとまーくdokushojin.co.jp) 登壇:下平尾直(共和国代表)、小林えみ(堀之内出版/『nyx』担当)、小林浩(月曜社取締役) ![]() +++ ◆7月27日15時現在。 「新文化」7月27日付記事「出版梓会の今村正樹理事長、「大幅な再販弾力運用を」」によれば、先週金曜日に行われた出版梓会の会員社懇親会で挨拶に立った理事長さんが再販制の運用について次のように語ったと報じられています。「今村理事長(偕成社)は、栗田の民事再生に触れたあと、「取次会社のビジネスモデルが壊れている。真剣に考えないといけない」と話した」。ここまでは出版人の多くが感じているところではないかと思われます。興味深いのは次です。 「個人的な見解と断ったうえで、「読者は本の価格が硬直化していることに不満をもっているのではないか」とし、今後は大幅に再販の弾力的運用を取り入れるべきと提言。取次会社は(出版社へ)1本正味などではなく、商品ごとに柔軟な取引きを行い、書店にメリハリのある仕入れを促した。とし、非再販の拡大と柔軟な取引きに変えていく必要性を訴えた」。読者が本の値段を「硬直化している」と感じているかどうかはしっかり統計調査なりを行った方がいいような気がします。商品ごとに正味や取引条件を変えるというのは、良く言えば柔軟ですが、それを応用することによって弱小版元を買い叩くことも可能にはなるでしょう。メリハリをつけることが悪いことではないにせよ、「片務的」(今年の出版業界の流行語大賞候補)な条件にならないようにすべきかと思われます。 いっぽう「ITmedia eBook USER」7月24日付記事「出版業界、5年間で1兆2500億円の売上減 帝国データバンクの経営動向調査」によれば、2008年から2013年の5年間にかけて、版元、取次、書店の三者で売上が一番落ちたのは版元、事業者の数が一番減ったのは書店、業績が一番悪化したのは取次、という分析結果が出たそうです。 曰く「2013年度の出版業界全体の総売上高は約5兆997億3500万円で、2008年度の総売上高約6兆3495億7500万円と比べ19.7%減少。減少率が最も高かったのは出版社、次いで書店経営業者となった。/2013年度の出版関連業者数は2672社で、2008年度から17.6%減少。減少率が高い順に書店経営業者、出版社、出版取次業者となった。2013年度に黒字を確認できた出版関連業者の比率は35.6%、2008年度は39.8%と微減。業態別で見ると、最も悪化が著しかったのは出版取次業者、次に書店経営業者、出版社となった」と。 さらに帝国データバンクの分析によれば「2013年度以降、慢性的な業界不振が続く中で消費税の引き上げなどが雑誌・書籍の販売不振に拍車をかけており、6月に準大手の出版取次業者・栗田出版販売が民事再生法の適用を申請したことで書籍流通の業界構造が大きく変化する可能性があると指摘。2013年度の出版関連業者倒産件数は42件、2014年度は72件まで増加し、今後も出版業界は厳しい業界環境が続くと予想している」とのこと。おおよその傾向としては予想通りになるのではないでしょうか。 出版社の売上が落ちる=取次が儲からない=書店が減る。この三位一体と栗田事案で起きている次の情況は背中合わせです。ごく大雑把に言えば、すなわち、これ以上書店が減ると困る=取次を救済する=出版社が負担する。 同じく24日に公刊された全国出版協会・出版科学研究所の「出版月報」誌2015年7月号の概要によれば、「2015年上半期(1~6月)の出版物販売金額は前年同期比4.3%減の7,913億円となり、低落傾向に歯止めは掛からなかった。/前年は4月以降、消費税増税の影響によって販売状況が一気に悪化した。それをベースにした今年も出版物の需要は振るわなかった」と。ちなみに全国出版協会の役員名簿はこちら。 +++ ◆7月27日16時現在。 栗田の債権者の一人である地方小さんが7月27日付の「地方・小出版流通センター通信」No.1348を公開されています。 曰く、6月「26日に届けられた栗田の民事再生計画案では、民事再生申し立て以前に栗田に納品された商品の返品について、株式会社大阪屋(以下大阪屋といいます)が栗田から買い上げ、出版社の大阪屋に対する請求から控除する(買い取れ)という、すでに回収不能債権を抱えた出版社に対して二重の負担を強いる、常識では理解しがたいスキームが提示され、承服しかねると考えております。〔・・・〕再生スキームで、6月26日以降の出荷については、支援取次である大阪屋が代金を保証するということですので、注文品については、中断することなく出荷を続けていますが、本来は債権額から相殺されるべき返品を買い取れというのは受入れ難く、栗田からの返品は、債権者集会で約された新提案を受けて、詳細に検討・再考するしかありません。民事再生というのは、営業がというか流通が「納品も返品も動いている」ので厄介ですし、全国取次の民事再生処理というのは先例がなく苦汁の判断を迫られています」。 新提案への諾否の回答期限は先週金曜日にいったんは締め切られていますが、すべての版元が回答したかどうかは定かではなく、判断材料に乏しいので回答を保留する、とお考えになっている債権者もおられるのかもしれません。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-24 11:19
| 雑談
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2015年 07月 24日
![]() 弊社7月新刊、ヴェルナー・シュスラー『ヤスパース入門』(岡田聡訳、本体3,200円、A5判上製232頁、ISBN978-4-86503-027-3)が、今週より書店店頭にて順次発売開始となっています。シリーズ「古典転生」第12回配本(本巻11)です。著者のシュスラー(Werner Schüßler, 1955-)はドイツの哲学者であり、神学者。ティリッヒやヤスパースの研究者として知られています。ヤスパース(Karl Jaspers, 1883-1969.ヤスペルスと表記されていた時代もありました)というと、サルトルやマルセル、ハイデガーらと並ぶ「実存」思想の系譜に数え上げられる哲学者ですが、構造主義やポスト構造主義と同様に、実存主義もまた一枚岩のものとして語りうる思潮ではありません。サルトルともハイデガーとも異なるヤスパースの思想は精神医学を出発点としており、実存開明、世界定位、限界状況、主観-客観-分裂、責め、信号・暗号、超越者、基軸時代など、独特な術語で人間存在に迫る哲学を展開しました。ちなみにアーレントはヤスパースの弟子に当たります。 「人間であることは人間となることだ」とは主著のひとつ『哲学入門』(新潮文庫)にある有名な言葉です。「私たちの本質は途上にあることである」ともヤスパースは述べています。人間の生は常に可能性(=実存)の側面を持っており、ヤスパースにとって哲学とは人間であることへ呼び覚ましにほかならない、とシュスラーは説明しています(81頁参照)。『ヤスパース入門』は一章ごとが短いので、多忙な読者にとっても読み進めやすい本となっています。現在入手可能な他の入門書新刊はほとんどない情況で、著作の邦訳も限られています。古くは1930年代から邦訳があり、1950年から1999年にかけては理想社版『ヤスパース選集』(既刊37巻)が刊行されました。今秋からドイツでは新しいヤスパース全集の刊行が開始されるとのことで、ヤスパース再評価への道が世界的に開かれていくものと思われます。 写真にあるPOPは某書店さんが作成してくださったものです。数ある新刊の中、この一冊にも熱心に向き合っていただき、深く御礼申し上げます。 ■
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by urag
| 2015-07-24 09:47
| 人文書既刊
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2015年 07月 22日
◆7月22日午後18時現在。 栗田「新提案」への回答リミットが近づいています。難しい判断を短時間で下さねばならない不条理に直面している出版界の切迫した《いま》を捉えるために、ネットの声に耳を傾けてみます。リンクは張りません。 秋田の版元さん曰く「業界4位の取次店栗田が倒産、その債務処理を巡って問題は深刻化している。私たちのような零細出版社にも何らかの形で影響はあるが、それよりも暑さと比例するようにピタリと本が動かなくなった。全国紙に広告を出しても本は動かない。これまでに経験したことのない危機感を覚えている」(7月16日)。「取次の栗田の倒産の影響だろうか、注文だけでなく出版関連の世界がこの数週間微妙な静けさの中に沈んでいる。やはり大きな影を落としているのだろう。ずっと取次や書店に依存しない出版経営は可能だろうか、と考え続けてきた。→」「→いずれ本のプラットフォームはアマゾンやアップルが取って代る、と言われて久しいのだが、そことも違う「もう一つの道」もあるのではないか。そこへいたる細くてヤブだらけの道を歩むためには、歩く側の装備や体力、予備知識の有無が重要になる。→」「→極力少人数で、産直インフラを整備し、経済を担保する副業を持つ……。副業というのは本の売り上げだけに頼らない力というかタレントのこと。「稼げる編集力」といってもいい。いやぁ、難しい「道」を登り続けることになりそうだ」(以上7月21日)。 →これまでに経験したことのない危機感、というのは多くの出版人が感じているものではないかと思います。そして、今後も悪い予感しかしない、という方もきっといらっしゃるでしょう。それでもなお「編集力」はどんな時代にも求められる技術です。外山滋比古(とやま・しげひこ:1923-)さんはこうお書きになっています。「文化が結ぶ作用で生れることはほとんど疑いがない。あまりにも結合が強すぎると、凝り固まって血の通わない形骸化した様式で社会が窒息しそうになる。そのとき切る作用が健全なものとして歓迎され、全体をばらすこと自体が創造的であるとされる。〔…〕歴史のコンテクストは「切る」と「結ぶ」の二つの原理によって、解体と新生を無限にくりかえす。〔…〕人間のあるところ、つねに広義のエディターシップがあると言ってよい。比喩としての編集論が必要となるゆえんである。〔…〕ものごとが理解できるというのも、心の目で関係を認めて、既存の秩序と結びつけたときの現象である。こういうことに注意するならば、人間の営みは何ひとつとしてエディターシップによらないものはないように思われる。人間文化はエディターシップ的文化以外の何ものでもない。/われわれはすべて、自覚しないエディターである」(「編集人間」、『エディターシップ』所収、みすず書房、1975年、187-190頁。※旧版より引用。末尾の太字の一文は新版(『新エディターシップ』みすず書房、2009年、183頁)では「人間はすべて、自覚しないが、エディターである」)。 長野の版元編集者さん曰く「Twitterを機につながった出版社の方々の仲間に入れていただき、栗田の新提案も早々に入手できた。が、ほっといたらウチみたいな地方の出版社に、ファクスさえホントに届くのだろうか」(7月14日)。「栗田出版新提案。微々たる1ヵ月分のツケを返してもらうだけの内容だが、これを受けることはいわゆる「二次卸スキーム」全体を受諾することになる。例の質問書の回答も大きな判断材料。来週は慌ただしい」(以上7月18日)。「栗田出版問題、帳合の書店は「返品早い者勝ち」の動きになっているとの説。大阪屋経由の二次卸スキームを多くの版元が拒否すれば大阪屋からも戻され、栗田は再生どころか、返品を受ける体力すらなくなってしまう。そうなることを書店が警戒しているらしい」(7月20日)。「うちの会社は、有志の質問状に賛同して参加している。回答は出ているはずで、明日は説明会。大阪屋経由の引き取りを拒否した場合の扱いもだけど、そうしても「今後大阪屋が不利益を与えない」という点には、特に明確な言質がほしいところ」「栗田問題。食料品などの一方通行の買い取り商品なら、債権届を出してわずかでも弁済を待つしかない。返品が絡むから出版は面倒。いずれにせよ、ツケはまともに返ってこない訳で、それを必死に取り返すために損をする発想にはどうしてもなれないのだが…。多くの版元さんはどう判断されるのだろう」「だけど再生スキームを受け入れる版元さんの論理を知りたい」「栗田問題。有志出版社の質問状説明会の資料を送ってもらった。予想はしていたが、酷さきわまりない。説明会以降、何も考えていないし、何の誠意もない」(以上7月22日)。 →「再生スキームを受け入れる版元さんの論理」というのは、確かに興味をそそります。利害が一致しているはずの版元同士でも違った答えを出すところもあるでしょう。スキームを受け入れがたいと感じている版元にとってはその本音の細やかな機微までは伝わってきません。おそらく今夜もどこかで議論したり意見交換したりしている人たちはいるでしょう。24日までには間に合わないかもしれませんが、栗田事案の関係者の突発OFF会や情報交換会、討論会がリアルな場であれオンラインであれ、今こそ必要なのかもしれません。 版元代表さん曰く「【伏せます】流通センターの【伏せます】君に栗田の常備精算の件につき、確認のうえ、栗田にtel。~常備精算は未請求であれば、請求書を送って支払いするとのこと。常備関係は債権には加えないことを確認。回答書には返品相当額を承認して返送することに」(7月22日)。 →新提案を承認される方向性ということかと拝察します。この版元さんの取引条件を知っている方は、こうした決断もありえただろうと想像できるかもしれません。 版元さん曰く「「栗田出版販売民事再生債権者有志出版社説明会」に来た」。「結局、出版社の情報差も激しい」。「栗田債権者有志会のあと、栗田に訪問。話を聞く限り、返品拒否し続けても意味ないかもな」。「栗田は「公平性」を声高に主張するが、1ヵ月の返品を受け入れる代わりに2次スキームの新提案を受け入れた出版社と拒否した出版社とで差が生まれる。これは「公平性」と言えるのだろうか?」(以上7月22日)。 →返品を拒否し続けた場合、その商品を結局どう扱うかという問題に、遅くとも来年早々あたりには決着をつけなければならなくなると思われます。栗田および代理人がその際どうするかということについては「処分したり売ったりすることもありえる」と債権者集会で述べるに留めていますね。あるいはほかの選択肢もありえますが、先方が明示していない以上、今はこちらも明かさないでおきます。 版元さん曰く「どうしても思考がマイナス気味で、この本屋が閉店したら、全部返品されるのだろうかと思ってしまう。6/26に起きたことから、何かプラスの学びを得たいものだと思う」(7月16日)。「不道徳で分かりづらい表現かもしれないけど、栗田の民事再生の申請が出た後の一連の流れは、私にとって小規模3.11並みの衝撃でした。彼らが出してきた提案よりも、この事態をなんで見抜けなかったか、先回りできなかったかを悔いている」(7月22日)。 →先廻りできていたら、岐路が分かっていたら。確かにその通りです。こんな私たち出版人を馬鹿にする人たちも世間ではいることでしょう。前兆はあったのです。警告もありました。自分自身もまったく気づいていなかったわけじゃない。周囲と熱心に話しあったこともある。けれど変えることも変わることもできず今があります。だからこそ「もう繰り返さない」ことが重要なはずなのですが、システムを維持しようとする人々がいます。システムと太いチューブで繋がれていて、それを外せば自らの生存状態も不安定になる方々です。それにもう付き合う必要なんかないと、ある方は書いています。まったくその通りです。ただ、彼らがチューブを外すとき、巻き添えを食って死ぬ人々も私たちの中にいるかもしれない。一蓮托生とまで大げさには言わなくても、そういう関係性の中でこの業界が存続してきたことは否定しようがありません。変化はいずれ必ず訪れるでしょう。転換はおそらくまず自分自身から始めるしかないのかもしれません。 版元さん曰く「栗田出版から1か月分だけ返品相殺してあげるなんて提案が来たけど、大阪屋の二次卸スキームに合意することが前提なのでうちは乗れないかなぁ。独自に債権申出日までの返品について相殺の申し立てするのが良さそう」。「栗田出版の件、大阪屋を通して返品が返ってくると堂々と言われるとそりゃ受けられませんと思う版元がほとんどだろうけど、栗田が民事再生でなく破産した場合、書店が帳合変更してどの道どっかの取次から返品は返ってきてしまうのよね」(以上7月17日)。「栗田から版元にどんどん返品が送られてくるけど、多くの版元は入帳を拒否していて栗田に現金は入らない。一方で栗田は書店には返金している訳で、そのキャッシュフローはどこからきてるんだろう?」。「版元には返品相殺しない一方で、書店からの返品は受けいれて書店に現金をばら撒くのはかなり不公平でないか」(以上7月21日)。 →どのみちどこかの取次から返品が返ってくる可能性がある、確かにそうですね。栗田役員は「今のところ(書店さんからの)返品パニックは起こっていない」と仰っていますが、本当にそうなのかどうかは分かりません。少なくとも、返品を急がれている書店さんのお話しは耳にすることがあります。1ヶ月分の返品相当額の還元程度でいったいどれほどの版元が今後の返品買上を決断できるのか。還元額の数倍になる旧商品の返品をこの先半年で買い上げねばならなくなるであろう版元もままいるわけで、そうした不安を払拭できないまま新提案を飲んでくれと言っている栗田の強引な話は、今後たとえ一応の決着を見たとしても、版元の心に深い傷を残すでしょう。その傷を残す片棒を担いでいるのが大阪屋なのに、その大阪屋からは初期段階の漠然とした声明のほかには版元に何ももたらされていない。大阪屋さんはいい加減そろそろ、自分たちが残そうとしているとんでもない禍根と向きあうべきです。笑顔で今日も仕入窓口を訪れている版元の目が本当に笑っているかどうか、直視すべきです。本当は分かっているくせに、この「放置プレイ」はあとあと高くつきますよ。 上記のような版元さんたちのお声のほか、書店員さんと思しい方がこんなことをつぶやいておられました。「栗田の倒産の件を今検索していたら、「いよいよ出版流通業界はその全面崩壊まで、残すところあと首の皮一枚半というあたり」という文章を見つけて、何年ゾンビやってんだよ、みたいな気持ちになる。ゾンビでいることと死んでいることとあんまり区別がつかないよな」。この「死体と区別がつかないゾンビ」というのは実にうまいたとえです。この業界にはいわば「ゾンビ・システム」というべきものが作動しています。それが何を意味しているかは皆さんのご想像にお任せします。 +++ ◆7月23日午前0時現在。 ある方曰く「大幅な減収、6期連続経常赤字、資金繰り悪化、債務超過…という会社が、民事再生手続開始で新しい会社になったとして、この先どうやって黒字になるのかまったくわからない。彼らは自分たちの何を信じているんだろう」。それぞれの持ち場で真摯に働いている方たちはともかく、役員たちが何を自任しているのかについてはストレートに尋ねてみたくなりますね。某団体主催の説明会で、納品も返品も通常処理しているという版元さんが代理人弁護士さんに今後の見通しが本当にあるのかどうか、直球で尋ねておられました。これといった明示的な答えはありませんでした。どちらかと言えば協力的である版元にとってすら、信じるのが難しい未来。果たしてそれを未来と言っていいのでしょうか。役員は社員にどう説明しているのでしょうか。 +++ ◆7月23日午前1時現在。 「サイゾーpremium」7月18日付記事「取次倒産で小学館は被害額約6億円 崩壊止まらぬ出版界とカドカワの豪腕ビジネス」は有料記事ですが、無料閲覧できる分の末尾にはこんな気になるくだりがあります。「「小学館では、栗田の倒産が報じられたその日に、同社の再建を支援するという記載込みで全社メールが回ってきたそうです」(大手出版社社員)」。いわゆる「一ツ橋グループ」に属する版元は、小学館、集英社、祥伝社、白泉社、集英社クリエイティブ、ホーム社、照林社、プレジデント社など。 +++ ◆7月23日正午現在。 新提案の還元額+噂の弁済率30%で、今後の未精算分の委託返品想定額および注文返品想定額(新提案を呑めば買上となり大阪屋の売上から引かれる)がカヴァーできるのかどうか、シミュレーションを繰り返しています。弊社の取引条件と支払いサイトを勘案すると、たぶんカヴァーはされません。ということは、弊社の取引規模では新提案を呑んでもあまり旨味はない。積み上がっていく旧商品の返品をどうするかという問題は残りますが、新提案を丸呑みして下駄を相手に預けるよりかは、真摯に栗田と話し合う余地が生まれる、と。まあ難しいところです。 +++ ◆7月23日13時現在。 新提案の合意書には相手方に栗田と大阪屋の名前があります。二次卸スキームなのだから大阪屋の名前があるのは自然だとしても、大阪屋が出版社に対して6月26日付のコメント以降にはまったく公式声明なり説明なりを出していないのは極めて不自然です。栗田の件で大阪屋に出向いても返品については栗田と話してくれという対応をされた版元もいます。片務的売買契約といい、今後の二次卸スキームにも影響が出てくることなのに、大阪屋のダンマリやいなしにはひどいものがあります。まるで「あくまでも栗田の代行であって、大阪屋の意見ではない」と言いたいかのようです。合併しようというパートナーなのに、委託や返品に関する栗田の法的解釈を共有できない、と言ってもマズいし、共有している、と言ってもマズいわけです。どちらの場合も取引に影響が出るから。見逃してやる、という態度を取っている版元もいますが、見逃したままでずっとやっていける問題でもないことは明らかです。空恐ろしいうやむや感へと突入しつつある人々と道を共にするべきかどうか、読者の皆さんが失望しかねないような選択をこの業界がしてしまうのかどうか。 今回気づいたことがあります。当たり前と言えば当たり前なのですが、出版社が刊行している本が表現している思想と、その出版社自体が持っているビジネス・スタンスに表れる思想は必ずしも一致しないということです。カッコいいことを書いている本を出している版元が、今回の栗田の件にどう対応したか。栗田の横暴と業界の不平等にどう対峙したか。版元それぞれに言い分はあるのでしょうけれど、売ってる本と取ってる態度に論理的な齟齬があるというのは、出版社の仕事があくまでもビジネスであることの証左になっていると思います。 +++ ◆7月23日14時現在。 公平性を言うならば、取引条件と支払いサイトに応じた還元額にしないと所詮は「栗田だけ」にとっての公平性に過ぎないということになります。取引相手に対して自分の基準だけで物事を押しつけようというのは、そもそも実態に即していないし、出版社との取引自体や相互信頼を毀損する行為になってしまいます。実際にすでに相互信頼は有名無実に等しくなっていますし、版元の心は深く傷ついています。出版社からの対案にいっさい応じようとしない栗田とそれでもなお取引しようという悲劇。 +++ ◆7月23日15時現在。 栗田から再び請求書が届きました。今度は郵送ではなくFAXです。7月25日付の、返品運賃(所沢・書籍分)ということは、5月26日から6月25日分の返品分の運賃(要するにSKR=出版共同流通の手間賃)の請求書かと思います。債権は凍結されても、運賃の請求は来るという・・・。債権から相殺する旨の「相殺通知書」を7月31日(金)までに栗田にFAXにて提出せよとのこと。まったく・・・。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-22 21:50
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2015年 07月 21日
◆7月21日8時現在。 先日、業界某団体主催による栗田説明会に参加させていただきました。感想については別途書くつもりです。この説明会では弁護士からの回答に終始するのではなく、栗田役員が説明するという点に債権者集会の反省らしきものが活かされてはいましたが、説明する内容は集会とまったく変わらず、新提案(1ヶ月分の返品相当額の還元や新栗田での新刊委託の支払いサイトの短縮)のほかは、相変わらず不公平で不公正な返品スキームのゴリ押しに終始していました。憤懣やるかたないとはこのことです。もともと版元が承認していない返品をドカドカ送りつけて、それを受け入れている版元があるからお前も受け入れろ、というのは「公平性」ではなくて「恫喝」というのです。そこがまったく栗田は分かっていないし、反省もしていない。公正取引委員会告示による「優越的地位の濫用」第一号に曰く「継続して取引する相手方に対し、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること」。 第二号から第五号までは以下の通りです。「二:継続して取引する相手方に対し、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。三:相手方に不利益となるように取引条件を設定し、又は変更すること。四:前三号に該当する行為のほか、取引の条件又は実施について相手方に不利益を与えること。五:取引の相手方である会社に対し、当該会社の役員の選任についてあらかじめ自己の指示に従わせ、又は自己の承認を受けさせること」。 新提案を飲んだ場合、その後は「旧商品からの返品の買上」を了承したことになります。新刊委託を「6ヶ月間の返品受付期間、8カ月後の入金」という条件で出荷している版元は、7月5日に入金されるはずだった昨年11月分と8月5日に入金されるはずだった昨年12月分の委託精算がけし飛び、1月から今年6月にかけての委託出荷分の精算が終わっていないため、少なくとも今後半年間は6月25日までに出荷した委託分からの返品を買上げ続ける(委託期限切の返品や注文出荷分の返品も含む)という事態に悩まされることになります。もともと委託分の内払いがある恵まれた一部版元は別として、たいていの版元にとって1ヶ月程度の返品相当額還元では吸収しきれるはずもない出費と損害が今後も生じることは明白です。 新刊委託の支払いサイトを短くされたところで、そもそも委託出荷をする版元があるのかどうか。片務的売買契約を撤回していない「新栗田」に対する版元の信用が固まってもいなければ、「新栗田」の継続自体にも不確定要素がある現在、今後も委託で出荷しようなどという行為は版元によっては「お人好しすぎる」と映っているのが現実です。今後の版元のスケジュールは以下の通りです。目まぐるしさに困惑している版元さんもおられるようです。 7月24日(金)消印有効・・・栗田新提案への諾否の回答書の送付(FAXでも可。遅れる場合は事前相談) 7月25日(土)〆・・・「新栗田」への6月26日~7月25日分の請求書作成及び送付 8月04日(火)必着・・・債権届出書を弁護士法人淀屋橋・山上合同へ提出 +++ ◆7月21日9時現在。 株式会社サイゾーが運営する「ビジネスの"本音"に迫る」が謳い文句の情報サイト「Business Journal」に、7月19日付で佐伯雄大さんの記名記事「出版崩壊の序曲?老舗取次が破綻!出版社に“多重の苦しみ”与える再建策に業界猛反発」が掲載されました。佐伯記者は先日ご紹介した「カドカワ、取次会社“外し”加速か 紀伊國屋書店とも直取引開始、業界の常識破壊」(6月20日付)もお書きになっておられる方です。今回の栗田事案を6月26日時点から復習しておく上でたいへん参考になります。記事中では複数の消息筋からの証言が取り上げられていますが、特に注目を惹くもの2つを引用します。 「また、別の業界関係者も今回の再生スキームについて疑問を投げかける。「栗田の民事再生の裏には、小学館、集英社、講談社の大手出版社3社が関与しているとみられている。栗田のスポンサー候補として出版共同流通の名が挙がっているが、この大手3社が同社に資金を出すというかたちを取るのではないか。3社は栗田支援の雰囲気を業界につくり上げようとしている。破たん当日には、トーハンや紀伊國屋書店に3社が自ら出向いて、状況を説明したと聞いています。こうした一部の大手出版社だけが裏で栗田支援の枠組みを決めていることが、返品問題も伴って他の出版社の不信をあおっている」」。 「さらに、ある取次関係者は言う。「栗田は債権者説明会で、事態は最小限の混乱にとどめたといっていたが、現実には出版社は返品問題もあり、栗田への出荷を止めたり、返品を逆送したりしている。それも相当な数です。取次会社と関係を持つ一部の倉庫会社が、出版社に出荷の依頼をするなど栗田支援を働きかけ始めているが、こうした動きが出るのも、栗田帳合(栗田から商品を仕入れる書店)への商品供給が滞っているからだ。現に、栗田帳合の書店は、トーハンとダブル帳合の店が多いので、トーハンに書店が駆け込んでいるとも聞く。さらに日販のトラックが、栗田帳合の書店に荷物を運んでいるとも聞こえてきます。7月7日には大阪屋から改めて出版社へ出荷を求める通知が出されるほど、事態は深刻だ。このまま迷走を続けるならば、栗田の再建は危ういだろう」」。 今回の栗田再提案(特に返品スキーム)が中小零細版元の取引条件を考慮していないことは明らかです。大口取引相手だけを相手にするというシステムでこの先もいけると思っているならば、帳合書店にもそうはっきりと説明すればいいのは。「中小零細版元は切り捨てます」と。 +++ ◆7月21日10時現在。 栗田とは別件の業界ニュースをご紹介します。 ◎ヨドバシ・ドット・コム 「新時代を生きるための金融メディア」を謳う「ZUU online」の7月17日付、編集部記名記事「アマゾンを超えるのは楽天ではなくヨドバシ」急成長の原動力は?」に曰く「ヨドバシカメラのネットショップ「ヨドバシ・ドット・コム」の評価がネット上でうなぎのぼりだ。購入金額にかかわらず全品配送料が無料であり、都内なら注文から6時間以内、地方主要都市でも当日中に商品が届く配送のスピーディさが好評である。/同社は、現在、国内全人口カバー率で70%のエリアで当日配達、98%のエリアで翌日配達が可能だとしている。この速さは各大型都市に巨艦店舗を擁し、物流センターを整備しているヨドバシカメラだからこそできる芸当であり、現時点(2015年7月)では業界最大手のアマゾンも太刀打ちできていない。/かつ「ヨドバシ・ドット・コム」の品揃えが家電、食料品、アウトドア、ゴルフ用品、キッチン用品、ペット用品、文房具、書籍(電子電書籍含)など急速に幅広くなっていることから、ネット上では、アマゾンを超えるのは楽天ではなくヨドバシという声も増えつつある」。 書籍をヨドバシへ取り次いでいるのは大阪屋。大阪屋の筆頭株主は楽天。アマゾンは日販を通じて書籍を仕入れている。wikipediaによれば日販の大株主は2015年3月31日現在(上位10名及び持株比率)、以下の通り。持株比率は、自己株式(2,809,450株)を控除した発行済株式総数に対する割合、とのこと。ちなみに光文社は講談社と同じいわゆる「音羽グループ」。 講談社 - 6.08% 小学館 - 6.02% 日販従業員持株会 - 5.31% 光文社 - 2.83% 文藝春秋 - 2.31% 秋田書店 - 2.25% 三井住友銀行 - 2.14% KADOKAWA - 2.04% 旺文社 - 1.83% 竹下晴信 - 1.70% ◎リブロ池袋本店 「リテラ」7月19日付、井川健二氏記名記事「書店文化の象徴・リブロ池袋店閉店…背後に大家の「セブンイレブン」オーナーの追い出しが」に曰く「つまり、鈴木オーナーとセブン&アイが関係の深い取次会社のライバルである会社の拠点をつぶすために、賃貸の打ち切りを断行したのだという。/事実、今後はリブロの後の店舗をそのまま使い、三省堂書店が入居することが決まっている。これはつまり、「この場所で本屋をやっていても儲からないから」という理由でリブロがなくなるのではなく、大家の出身企業との関係で閉店に追い込まれたということを物語っている。/セブンの鈴木会長と言えば、セブンのフランチャイズ店に対する仕打ちに象徴されるように、自分たちの利益のためには手段を選ばない冷酷な経営が有名だが、今回のリブロ閉店でもまさにその体質がモロに出たということだろう」。出版界では周知の「情報」ではあるものの、ニュースにはなりにくかったせいか、twitterでの反響を見る限り、一般読者の衝撃は小さくないようです。 「新文化」7月21日付記事「リブロ池袋本店閉店、三浦正一社長「いつの日か再び、池袋で」」に写真が3枚。3枚目の一番大きな後ろ姿はYさんのような気がします。社長のご挨拶が何とも切ないです。リブロさんの公式twitterでは今日「おはようございます。今日から「池袋本店のないリブロ」のスタートです。いろいろと未知の世界です。そんなに簡単ではないので無責任なことは言えませんが、まだ、諦めていません。今後とも、よろしくお願いいたします。(営業本部N)」というつぶやきが。また、「人と本や本屋さんとをつなぐWEBメディア」を謳う「ほんのひきだし」では「リブロ池袋本店レポ―ト⑧ 大勢の人に見守られながらリブロ池袋本店が閉店」が本日公開されています。スタッフさんたちの写真やコメントもあって胸に迫ります。一方、利用者の方々の反応についてはたとえば、「東京文系大学生」さんの7月20日付ブログ記事「「ニューアカの聖地」セゾン文化を作ったリブロ池袋本店の閉店」などをご参照ください。「ふとリブロ池袋に費やした金額を概算してみようかと思いましたが、背筋が凍る予感がしたのでここでは辞めておきます」というくだりに共感を覚えます。 なお、同店の「光の柱」に書かれていた識者のコメントのひとつである、原武史さんの「リブロ死すとも西武は死なず」という言葉は「池袋本店はなくなるけど、西武百貨店がなくなるわけではない(から希望がある)」という意味と、「池袋本店を潰したくせに、西武百貨店はのうのうと生き残る(なんて絶望的だ)」という意味の、どちらにもとれます。まずは前者として理解する方が多いのかもしれませんが、後者のニュアンスがじわっと追いかけてきて、読む人によって意味合いが変わってくるメッセージだと言えるでしょう。同店跡地には三省堂書店池袋本店が入居するとのことです。「新文化」7月17日付記事「三省堂書店池袋本店、7月29日に仮オープン」をご参照ください。 ◎未来屋書店/アシーネ 「日本経済新聞」7月21日付記事「未来屋書店がアシーネを吸収合併 イオン、書店事業を統合」 曰く、「イオン子会社の未来屋書店(千葉市)は9月、ダイエー子会社で書店事業を展開するアシーネ(東京・江東)を吸収合併する。合併によって、未来屋書店の売…」(以下有料)。アシーネはかつて日本最多の店舗数を誇る一時期があったはずではと記憶します。現在でも全国に90店舗以上あります。2010年時点の「日経MJ」調べによる専門店売上高ランキング(書籍・文具部門)の上位20位にアシーネの名はありませんが、未来屋書店は7位に入っています。2013年には6位。店舗数は172店から236店に増えています。 【22日追記:「新文化」にも記事が出ました。21日付「未来屋書店とアシーネが合併」に曰く、「イオングループの未来屋書店と、ダイエーの子会社であるアシーネは7月8日、それぞれ臨時取締役会を行い合併することを決議、同日に合併契約を締結した。存続会社は未来屋書店。9月1日に売上高約600億円、店舗数340店超となる新生未来屋書店が誕生することになった。〔・・・〕未来屋書店では「〔・・・〕優秀な人材の活用を図り、互いの強みを融合させることで、書籍・雑誌以外の分野で新たな業態・事業に挑戦し、書店事業の変革を遂げていきたい」と話している」とのこと。】 +++ ◆7月21日21時現在。 栗田から請求書が届きました。6月25日付の、返品運賃(所沢・書籍分)です。先方の管理部総務管理課(2014年10月に取引部計算課が改称)にたずねたところ、4月26日から5月25日分の返品分の運賃(要するにSKR=出版共同流通の手間賃)の請求書でした。金額自体は大したことはないのですが、この時期なので少しびっくりします。これはいわゆる「保全処分命令の例外」として栗田がSKRに支払わねばならないために版元にも請求がくる、ということなのかと理解しています。債権から相殺する旨の「相殺通知書」を栗田に提出するようにも求められています。やれやれ・・・。 +++ ◆7月22日19時現在。 「E Book 2.0 Magazine」7月21日付、鎌田氏記名記事「栗田倒産が起動した「業界」解体のシナリオ」が公開されています。曰く「しかし、何事にも終わりは来る。「国家」も破綻し、巨大企業も破綻する。1.5兆円あまりの出版産業が「破綻」する可能性はそれより高く、むしろ想定内とすべきだ。真に憂えるべきはこの国の「出版」の運命だ。現場の方々の努力には敬意を表したいが、全体として不合理なシステムを支えるために、(読者のための)本来の仕事を犠牲にすることは続けるべきではない。返本の波を新刊の波で押し返すような状態では、まともな出版活動ができない。筆者は以下のような仮説を考えている。/第1に、「取次」を将来的に維持するスキームは存在しない/第2に、再販制は出版社に過大なコストであり、打撃となる/第3に、「返品権付売買契約」は出版社にとって最も危険である/第4に、取次会社の再建コストは破綻処理より高くつく/第5に、出版システムの連鎖的「崩壊」は現実に起こり得る」。 これら5つの仮説は進行中である目下の危機において、ある特定の人々が認めようとしない当のものではないかと思われます。ある栗田役員は「新栗田においては全版元との取引条件を最初から見直すようなことはしない」と述べています。つまり、新会社になろうと「今のまま」ということです。「今のまま」ではダメだったから民事再生になったわけですが、それでもなお「今のままでもう一回やらせてくれ」と言っているわけです。まともな投資家だったら一笑に付すであろうような出来事が、この出版業界では起きているということです。 「多数派工作はほぼ完了しているだろうから再生計画は通るだろう」と見ている方はげんにいらっしゃいます。「いや、債権額の半数は押さえることができても、債権者数の半数まで押さえられるのかどうかはいまなお微妙だ」と思っておられる方もいます。じっさい、誰にとっても「仲間はずれ」は怖いですし、自社を不利な位置には置きたくないと思うわけです。損害は出るけれども、従うように見せかけて大いに取次を利用してやろう、というしたたかな方もいらっしゃいます。新提案を飲んだら、再生計画案には反対できないかというと、そうではありません。しかし新提案が信認されることは、栗田にとって再生への大きな一歩ですから、延命に希望が持てないまま新提案を飲むというのはいささか矛盾めいてしまいます。 決断の時が迫っています。迷っている版元さんは、明後日24日までに回答しなければならないと慌てる前に、態度保留の旨を栗田に告げ、もう数日の猶予を相談するというのも、選択肢にとしては現状から言ってやむをえない気がします。このあまりにも短い期間をたくみに設定した栗田や代理人にとっても、版元の諾否をぎりぎりまで待つ態度を見せるのがより「現実的」であるはずです。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-21 09:40
| 雑談
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Comments(1)
2015年 07月 20日
![]() ★これはすごいです。戦後70年のこの夏、平凡社さんが「原水爆漫画コレクション」全5巻をまもなく発売されます。「原水爆をテーマとする大衆的表象文化を初集成」と。1950年代から60年代にかけての長短織り交ぜた作品群が圧倒的なボリュームで迫ってきます。カラー部分はカラーで印刷し、解題や解説を付すなど、資料としてたいへん貴重ですし、戦後間もない頃に少年期を過ごしたのではない若い世代にとってはほとんどの作品が初見のものとなるだろうと思われます。主題が主題だけに面白がって読むものではなく、その重さがずっしりと両肩にのしかかってきますが、こうした文化遺産が復刻され後代に受け継がれようとしていることはとても重要だと思います。 原水爆漫画コレクション1 曙光 手塚治虫・花乃かおる・安田卓也著 山田英生編 平凡社 2015年7月 本体2,800円 A5判上製384頁 ISBN978-4-582-28691-5 帯文より:“原子力施設の事故”と津波禍によるカタストロフを描く手塚治虫の先駆作、「第五福竜丸事件」直後に発表された異色のドキュメント漫画ほかを復刻! 目次: 口絵=原本書影 手塚治虫「大洪水時代」(1955年) 手塚治虫「太平洋X點〔ポイント〕」(1953年) 解題=三宅秀典 花乃かおる「ビキニ 死の灰」(1954年) 解題=正木基 安田卓也「宇宙物語」(1954年) 解題=三宅秀典 解説=成田龍一「原爆表象――認識の戦後史」 原水爆漫画コレクション2 閃光 谷川一彦著 山田英生編 平凡社 2015年7月 本体2,800円 A5判上製370頁 ISBN978-4-582-28692-2 帯文より:ヒロシマで肉親を失い、少女誌に“原爆の悲劇”を描いた最初期の長編少女漫画『星は見ている』(全2巻)全編を待望の初復刻! 目次: 口絵=原本書影 谷川一彦「星は見ている」前篇・後篇(1957年) 解題=吉備能人 解説=川村湊「ピカドン・キノコ雲・原爆ドーム」 原水爆漫画コレクション3 焔光 白土三平・滝田ゆう著 山田英生編 平凡社 2015年7月 A5判上製406頁 ISBN978-4-582-28693-9 帯文より:忘れられた被爆者差別への抗議を込めた被ばく少女漫画の記念碑作『消え行く少女』、文士漫画家のデビュー直後の稀少な貸本漫画『ああ長崎の鐘が鳴る』を復刻! 目次: 口絵=原本書影 白土三平「消えゆく少女」前篇・後篇(1959年) 解題=三宅秀典 滝田ゆう(ひろし)「ああ長崎の鐘が鳴る」(1958年) 解題=正木基 解説=椹木野衣「遅延する死――原水爆漫画をめぐって」 原水爆漫画コレクション4 残光 赤塚不二夫・松本零士・中沢啓治・池田理代子・ほか著 山田英生編 平凡社 2015年7月 本体2,800円 A5判上製386頁 ISBN978-4-582-28694-6 帯文より:「原爆の子の像」の実話漫画、池田理代子の初期作、「はだしのゲン」に先駆けて中沢啓治が初めて発表した原爆短編漫画、『ガロ』発表の先鋭な異色作ほかを収録。 目次: 口絵=原本書影 I 赤塚不二夫「点平とねえちゃん」(1960年) 杉浦茂「ゴジラ」(1955年) 東浦美津夫「みよちゃん 死なないで」(原作=春名誠一、1958年) 解題=正木基 II 影丸穣也(譲也)「影」(1960年) 松本霊士(晟)「THE WORLD WAR 3 地球 THE END」(1961年) 陽気幽平「地獄から戻った男」(1962年) 永島慎二「三度目のさよなら」〈漫画家残酷物語〉より(1963年) 解題=三宅秀典 III 渡二十四「真昼」(1965年) 花村えい子「なみだの折り紙」(1965年) 中沢啓治「黒い雨にうたれて」(1968年) 池田理代子「真理子」(1971年) 西たけろう「原爆売ります」(1970年) 林静一「吾が母は」(1968年) 解題=正木基 解説=正木基「原水爆を視る――マンガと映画における主題」 ★昨今、『はだしのゲン』が図書館から撤去されたり閲覧を制限されたりという政治的反動が起こって世間を賑わせましたが、それは図書館所蔵の『アンネの日記』を次々と毀損して回るという愚行とどこか共通項があると思える、じつに馬鹿げたことです。原発推進派や核武装肯定派、歴史修正主義者などの諸勢力が意図的に動員をかけて公然と排外的な実力行使に訴えるという光景は、街頭にせよネット上にせよ、こんにちあちこちで見かけるようになってきています。そうした野蛮な群れの中に市長や教育者までがいたというのはおぞましく危機的なことです。「国民を守る」「児童を守る」という美名のもとに何が行われているのか、国体維持のためにタブー視されるような情報がどう攻撃され蔑まれ隠蔽されようとするのか、いかなる異論や他者が封殺されつつあるのか、いったい誰がそうすることで利益を得ているのか、それらを今後も賢明に見極めていく必要があると思われます。 +++ ★このほか、最近では以下の書目との出会いがありました。『“ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する』はまもなく発売、そのほかはすべて発売済です。 “ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する――隠蔽されてきた日米共犯関係の原点 柴田優呼著 作品社 2015年7月 本体2,400円 46判上製300頁 ISBN978-4-86182-547-7 帯文より:“被爆体験”を戦後レジームから解放する。原爆70年目の真実。本書は、戦後日本の国民主義と合州国との共犯関係に鋭く切り込む、“新しい戦後史”の始まりを告げている。【推薦】酒井直樹、成田龍一、将基面貴巳、陳光興。 目次: はじめに “被爆神話”としての“ヒロシマ・ナガザキ”――戦後日米関係の原点 第一章 アメリカが原爆の語られ方を創始する――わずか一六時間後のトルーマン声明 第二章 アメリカが被爆体験の語られ方を創始する――沈黙させられる被爆者 第三章 アメリカ人によるアメリカ人のための原爆被災物語――『ヒロシマ』を歴史化する 第四章 日本がアメリカでの語られかたを踏襲する――『ヒロシマ』の受容 第五章 ヒロシマ/ナガサキは人類の普遍的な悲劇か――平和主義をどう生かすか あとがき [資料]アメリカ大統領ハリー・トルーマンの原子爆弾に関する最初の声明 出典注 Selected Bibliography 主要日本語参考文献 本書への推薦文――酒井直樹、成田龍一、将基面貴巳、陳光興 ★著者は朝日新聞記者やアメリカのセント・ジョンズ大学助教授を経て現在はニュージーランドのオタゴ大学助教授でいらっしゃいます。ご専門は日本文学、映像研究、文化研究(カルチュラル・スタディーズ)です。巻頭の「はじめに」によれば、本書は第一章で空爆後まもなく発表された米国大統領ハリー・トルーマンの声明を分析し、第二章では原爆による人的被害がその後いかに隠蔽されたかを検証。第三章では米国人ジャーナリストのジョン・ハーシー(John Richard Hersey, 1914-1993)による広島ルポ『ヒロシマ』(1946年刊;初訳は1949年、法政大学出版局;現在は増補版が同局より刊行)について論じ、第四章では米軍占領下で出版が許可されて普及した永井隆『長崎の鐘』(1949年)や長田新編『原爆の子』(1951年)などの日本の被爆者の語りが、『ヒロシマ』の語りとよく似ている面があることを取り上げます。そして第五章では、広島や長崎の原爆被災が人類全体の悲劇と見なされているかどうかについて考察。原爆の言説に関して次の3点の「現実」がある、と指摘しています。「(1)日本の外でどうなっているかみない、(2)日本の語りは限定的にしか外に出ていかない、(3)隔絶しているようにみえる日本の語りが、実は大いにアメリカの語りの影響を受けている」。 ★各氏の推薦文の一部を抜き出してみます。酒井直樹さん曰く「戦後の日本での原爆についての理解や、制作、そして情緒が、その反米の見かけにもかかわらず、じつは、パックス・アメリカーナの秩序から決して自由になれなかったことを丁寧に例証〔・・・〕反米を気取る戦後憲法反対論そのものが、じつは周到に米国の覇権によって準備されたものであることを説得してくれる」。成田龍一さん曰く「日米の原爆にかかわる言説を再考察〔・・・〕双方の落差とともに日米関係の構造をも浮き彫りに」。将基面貴巳さん曰く「広島・長崎の原爆について、現代日本人が当然のことと思っている基本認識が、実はアメリカ起源であることを、迫力ある筆致で明らかに」。なかなかヘヴィな内容で、様々な議論を呼ぶのではないかと思われます。原水爆をめぐる日本の語りのうち、何が米国起源のものと相同性を有し、何がそうでないのかは今後の更なる検証が待たれるところでしょう。 わたしの土地から大地へ セバスチャン・サルガド+イザベル・フランク著 中野勉訳 河出書房新社 2015年7月 本体2,400円 46判上製240頁 ISBN978-4-309-27612-0 帯文より:世界的写真家の、自伝。世界中に住まう社会的弱者たちの姿、そしてこの大地=地球に住まうことの奇蹟。「サルガドの提示してきた世界、その輝き、その沈黙は、私たちのかけがえのない宝である」(今福龍太解説「サルガドの「大地〔テーラ〕」とともに」より)。 ★原書は、De ma terre à la terre (Presses de la Renaissance, 2013)です。ジャーナリストのイザベル・フランクの聞き書きによる自伝です。中ほどの頁には16頁分の写真作品が掲載されています。折しも8月1日からは、ヴィム・ヴェンダース監督による映画「セバスチャン・サルガド――地球へのラブレター」とのこと。今回解説をお書きになっておられる今福さんが訳者として関わっておられるサルガドの写真集『人間の大地 労働――セバスティアン・サルガード写真集』(岩波書店、1994年)が再刊されてもいいような気がしますが、どうなのでしょう。日本で今まで開催されてきた写真展の図録は重版される余地がないでしょうし、英語版の写真集をネット書店で購入できますから、日本語版写真集がなかなか出ないのは仕方ないとはいえ、映画の予告編を見るだけでも「写真集が欲しい」と思う読者の方は多いのではないかと思います。 ゾンビの科学――よみがえりとマインドコントロールの探究 フランク・スウェイン著 西田美緒子訳 インターシフト(発行)/合同出版(発売) 2015年7月 本体1,900円 46判並製240頁 ISBN978-4-7726-9546-6 帯文より:あなたもすでに死んでいる? 眠れなくなるような真実。〈生と死〉〈自己と他者〉の境界を超える脳科学、心と行動の操作、医療、感染と寄生・・・を探究。ゾンビパウダー、昆虫偵察機、喜びを生む機械、ネコからヒトの脳へ感染し性格を変えてしまう寄生生物、CIAのマインドコントロール研究、死者から授かった子供・・・驚きの研究・事例に、今宵あなたは眠れない。 ★原書は、How to Make a Zombie:The Real Life (and Death) Science of Reanimation and Mind Control (Oneworld Publications, 2013)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者のスウェインさんはロンドン在住のサイエンス・ライター。彼は本書でこう書いています。「人類の創意工夫の力があれば、ゾンビを作る道具、あるいは少なくともそれに近い何かができているのではないかと考えていた。だが現実は、それよりはるかに不穏なものだった」(222頁)。「自分の人格、自分のアイデンティティ、自分の本質そのものが、無数の細胞と化学物質の複雑な相互作用にすぎず、その細胞や化学物質の一部は自分自身のものでさえないかもしれないのだ。みんな、自分のアイデンティティがどこで終わり、どこから寄生者の影響がはじまっているのかわかるだろうか?」(223頁)。帯文に列記されているように豊富な事例を次々と示し、「人間的とはどういう意味なのか、生きているとはどういう意味なのか、自分の運命を自分の思い通りにできるとはどういう意味なのかを考え」(9頁)たのが本書です。この暑い季節にもってこいの涼しい読書、しかも霊的なものではないものの恐怖を堪能できます。 アルパムス・バトゥル――テュルク諸民族英雄叙事詩 坂井弘紀訳 東洋文庫 2015年7月 本体3,100円 B6変判上製函入342頁 ISBN978-4-582-80862-9 帯文より:ユーラシア大陸各地域に存在するテュルク系諸民族が語り伝えた英雄叙事詩の本邦初訳。ギリシアの『オデュッセイア』に似た、勇士アルパムスが活躍する各民族のテクスト群を結集。 ★平凡社さんの「東洋文庫」第862巻です。カザフ語版「アルパムス・バトゥル」および異稿、バシュコルト語版「アルパムシャ」および異稿、タタール語版「アルパムシャ」および「アルプマムシャン」、アルタイ語版「アルプ・マナシュ」、以上の全訳と、カラカルパク語版「アルパムス」およびウズベク語版「アルパミシュ」の梗概を収録しています。二段組で読み応えのあるボリュームです。東洋文庫の次回配本は9月、『江戸詩人評伝集1』と『自省録』が予告されています。10月は、夫馬進校訂注『乾浄筆譚――朝鮮燕行使の北京筆談録』とのことです。 ■
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by urag
| 2015-07-20 16:39
| 近刊情報
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2015年 07月 19日
![]() 給料をあげてもらうために上司に近づく技術と方法 ジョルジュ・ペレック著 桑田光平訳 水声社 2015年6月 本体2,000円 四六判並製155頁 ISBN978-4-8010-0108-4 帯文より:い段ぬきの『煙滅』、480の思い出リスト『ぼくは思い出す』、チェスを応用して書かれた総勢1000人以上が登場する『人生 使用法』など、奇想天外な作品ばかり残した、ジョルジュ・ペレックによる、新・実用書! 不透明な→時代を→生き抜く→ために。フランス文学の鬼才が提案(?)する、ウリポ的昇給のススメ! 本邦初、フローチャート文学!? 目次: フローチャート 給料をあげてもらうために上司に近づく技術と方法 あとがき(ベルナール・マニェ) 訳者あとがき ★発売済。原書は、L'art et la manière d'aborder son chef de service pour lui demander une augmentation (Hachette Litteratures, 2008)です。もともとはフランスの『プログラム学習』誌第4号(1968年12月)に掲載された作品で、人間科学会館研究員だった友人のジャック・ペリオーが作成し企業誌『ブル・インフォメーションズ』に掲載された「課長に近づく技術と方法」と題されたフローチャート(分岐図)から着想を得たもの。巻頭にあるフローチャートは、ペリオー作に手を加えたもので、分岐していく物語の構造が一望できます。それに続く本文は、分岐していく物語を100頁にわたる句読点のない連続した文字列の中で再現したものです(作品を締めくくるために末尾に一つだけピリオドが打たれています)。読んでいると、抑揚のない自動音声のガイダンズをずっと聞いているような、滑稽でいてなおかつどこか薄気味悪い心地が迫ってきます。出口のない巨大迷路を延々と歩かされている感じです。カフカの長編作『城』で、主人公の測量士が城にどうしてもたどり着けないあのもどかしい嫌な感じに似ています。 ★冒頭はこうです。「じっくり考えたあげく勇気をふりしぼって昇給をお願いしようと決心したあなたは配属先の課長に会いに行くことにします事態を簡潔にするためにというのも何事も簡潔にすべきですから課長の名をムッシュー・グザヴィエとしましょうつまりムッシューXいやX氏ということになりますこうしてX氏に会いに行くわけですが可能性は二つに一つX氏が自分のオフィスにいるかそれともいないかですもしX氏が自分のオフィスにいるならもちろん問題はないのですがX氏がいないことが明らかな場合残された道はほとんど一つしかありません彼の戻りあるいは出社を廊下で待ち続けるのですしかしもしX氏が来ないなら残された解決策は一つしかないと言っていいでしょうあなたは自分のデスクに戻り午後か翌日まで待ってから再び試みるのですしかしX氏が」(以下略)。原稿の初期段階では句読点があったそうですが、それを推敲して最後のピリオドを除きすべて削除したというペレックの大胆さが、思いがけない効果を生んでいます。訳者の相当なご苦労が偲ばれます。 ★個人的見解で恐縮ですが、ビジネス書売場にスイッチできる人文書、つまり「ビジネス人文書」について当ブログや雑誌などで折々に言及してきました。サンデルや超訳ニーチェ、アタリやピケティらの本などです。人文学は学問的に言えば、書店で言うところの人文書と違って「文学」を含んでいます。ペレック(Georges Perec, 1936-1982)の作品は書店ではふつう文芸書売場の外国文学棚、フランス文学コーナーに置かれるわけですけれども、『給料をあげてもらうために上司に近づく技術と方法』について言えば、ビジネス書売場の自己啓発書棚にスイッチしてみると面白いと思います。むろん洒落としてです。自己啓発書にも色々あるとはいえ、ペレックの本作のように、ビジネスシーンでありがちな《堂々巡り感》やそれに伴う《取り越し苦労》やら《徒労感》やらをリアルに描写できているものはなかなかないでしょう。 ★生物学の棚にシュテュンプケの『鼻行類――新しく発見された哺乳類の構造と生活』(平凡社ライブラリー、1999年)を置いたり、植物学の棚にレオーニの『並行植物』(工作舎、新装版2011年)を並べる楽しみがあるように、ペレックの『給料をあげてもらうために上司に近づく技術と方法』は自己啓発書の売場に転用可能だと思います。不謹慎だと言われるとそれまでですけれども、巧みな《ずらし》や仕掛けが売場を面白くするのは実際によくあることではないかと思います。ふだんはビジネス書を多く買うような読者の方が、本書を手にとって「ウリポ」って何だ、と興味を持って文芸書売場に足を延ばしたりふだんより長くお店に滞在したりしてくださるかもしれない。そのとき、書店という《思いがけない出会い》に満ちた迷路は、きっといつも以上にお客様を楽しませることができるだろうと思うのです。ペレックの本書を中心に、「普通じゃない」実用書を集めたフェアを企画するのも楽しいと思います。 ★訳者あとがきで紹介されていた、戯曲化された本書の舞台上演はフランス国立図書館のサイトでご視聴いただけます。72分。 +++ 水声社さんの5月~6月の新刊には以下の書目もあります。 『ぼくは思い出す』ジョルジュ・ペレック著、酒詰治男訳、水声社、2015年5月、本体2,800円、46判上製291頁、ISBN978-4-8010-0095-7 『綺想の風土あおもり』黒岩恭介著、水声社、2015年5月、本体3,500円、A5判上製247頁、ISBN978-4-8010-0103-9 『ジョイスをめぐる冒険』夏目博明著、水声社、2015年6月、本体4,000円、A5判上製307頁、ISBN978-4-8010-0102-2 『ジョイスとめぐるオペラ劇場』宮田恭子著、水声社、2015年6月、本体4,000円、四六判上製333頁、ISBN978-4-8010-0100-8 『詩とイメージ――マラルメ以降のテクストとイメージ』マリアンヌ・シモン=及川編、水声社、2015年6月、本体4,000円、A5上製256頁、ISBN978-4-8010-0101-5 『ロベール・デスノス――ラジオの詩人』小髙正行著、水声社、2015年6月、本体3,000円、四六判上製276頁、ISBN978-4-8010-0107-7 いずれも個性的な本ばかりです。特に、小髙さんのデスノス論は、一冊まるまるデスノスの研究にあてられた日本で初めての本になるかと思います。エフエム東京で番組制作に長年携わられ、定年前に退職して母校の大学に戻られた小髙さんが修士論文として仕上げられ、それに加筆修正を施した労作が本書です。帯文に曰く「20世紀マルチメディアの先駆をなし、番組・広告制作者としての詩人にスポットを当てる異色のモノグラフ。ラジオ番組・広告のうちに詩的実践をおこない、音声により集団的な〈夢〉をリスナーと共有することでラジオの可能性を切り開いた詩人デスノス。大衆に寄り添い、双方向的なコミュニケーションを可能にするこのメディアは詩人にとってシュルレアリスムの理想を体現していた……〈声の詩人〉によるラジオ芸術の実践とは?」と。自らもラジオ番組に関わってこられた小髙さんならではのご研究ではないかと思います。巻末の略年譜や参考文献も有益です。デスノスの翻訳で現在でも新刊書店で買える本はないですから、本書をきっかけに再評価の波が高まるといいですね。既訳書にはたいへん高額になっている澁澤龍彦訳『エロチシズム』(書肆ユリイカ、1958年)のような本もあります(テクスト自体は『澁澤龍彦翻訳全集(3)1957~58年』[河出書房新社、1997年]で読めます)。 さらに水声社さんで特記すべきは、今月刊行開始となった『小島信夫長篇集成』(全10巻)です。これは先日完結した『小島信夫短篇集成』(全8巻)に続くシリーズで、先週第1回配本『小島信夫長篇集成(4)別れる理由(I)』(小島信夫著、千石英世解説、水声社、2015年7月刊、A5判上製678頁、ISBN978-4-8010-0114-5)が発売になっています。帯文はこうです。「2015年、生誕100年。2016年、没後10年。『別れる理由』『菅野満子の手紙』『大学生諸君!』など長らく入手困難であった作品をふくむ全15篇を一挙に集成し、小島信夫の全貌に迫る新シリーズ」と。全巻構成は書名のリンク先をご覧ください。なお、第1回配本となる第4巻に挟み込まれた「月報(1)」では、勝又浩「『別れる理由』、私的な回想と感想」、大杉重男「小島信夫と徳田秋声」、千石英世「連載:小説『別れる理由』のために(1)」の3篇が掲載されています。第2回配本は8月上旬刊予定の第5巻『別れる理由II』(佐々木敦解説)とのことです。 ■
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by urag
| 2015-07-19 18:14
| 本のコンシェルジュ
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2015年 07月 17日
◆7月17日午前11時現在。 大阪屋の6月26日付文書「栗田出版販売(株) 民事再生申立にともなう表明」の重要部分を再読します。「栗田出版販売(株) 再生までの間、出版共同流通(株)、並びに当社出資元の出版社とも連携し同社再生を支援してまいります。取引先出版社様にはその間いろいろな面でお手数やご迷惑をお掛けすることがあるとは存じますが、出版の足腰である流通基盤の多様性やバランスへのご賢察を賜り、皆様のご理解とご支援をいただきたく存じます」。 栗田を支援すると表明している大阪屋は、出版共同流通、そして大阪屋への出資元出版社との連携を明言しています。大阪屋に出資している出版社は、「東洋経済オンライン」2014年11月9日付記事「楽天が出版取次「大阪屋」に出資する事情――"打倒アマゾン"でしたたかに築く包囲網」を参照すると、筆頭が楽天で14億円(出資比率35.19%)で、KADOKAWA、講談社、集英社、小学館、大日本印刷(DNP)がそれぞれ4.6億円(出資比率は各11.56%)、残りの約7%は大阪屋の持ち株会社OSSからの出資です。OSSについては、「新文化」2014年10月9日付記事「大阪屋、6社による出資額は総額37億円に」をご参照ください。曰く、「11月7日、大阪屋の既存株主563人が所有する株式1394万株をOSSに移転して持株会社OSSを設立する」。 上記表明の中には楽天やDNPの名前は出てきません。音羽(講談社)と一ツ橋(集英社・小学館)と角川、の出版社三大勢力が出てくるだけです。大阪屋は出版社に迷惑を掛けるけれど支援が欲しいと言います。この場合の「出版社」というのは株主以外の版元も含まれていると読んでいいかと思われます。また、引用箇所の前段ではこうも書かれています。「書店数の減少が続く中、当社や栗田出版販売(株)といった出版取次が経営基盤を安定させ存在感を持ち続けることが、出版マーケットの下支えに不可欠な出版流通の多様性(書店・出版社の取引の多様性)にもつながり、またそれが大きな意味で出版の多様性を担保することにもなるものと信じております」。 書店や出版社との取引の多様性、というのは、様々な書店や様々な出版社が存在してこそ担保できるはずのものですが、そうは言っても大阪屋にとっては大株主の意向を優先せざるをえない事情があるわけです。それゆえ「当社出資元の出版社とも連携」との明言がある。しかし、出版界には《一音角》と必ずしも利害規模が一致しない版元もたくさんいます。大阪屋にとって実質的には、大株主以外の版元の存在価値は、第一のものでも最優先されるものでもないと冷静に見ておくべきでしょう。最初に引用した箇所の後段で大阪屋はこう述べています。「今後とも、皆様のご協力のもと様々なタイプの個性を持った街ナカ書店の活性化と、新たな「本のある空間」づくりに取り組み、心を育み、創造力を育てる「本の力」に多くの地域の皆様が触れていただける場を広げていけるよう努めてまいります」。ここでは書店は言及されていても出版社への出てきません。 債権者集会で栗田役員および代理人弁護士団は「栗田の事業価値の第一は書店との取引だ」と千数百社の出版社を前にして高らかに宣言しました。確かに取次は書店の多様性(というよりもっとあからさまに言えば、取引額の大きな書店がより多く存在すること)を必要としてはいるでしょう。力点は明らかに、「書店・出版社の多様性」ではなくて、大阪屋の言葉通りあくまでも「取引の多様性」にあります。そして、この「取引の多様性」はただちに「書店・出版社の多様性」そのものに直結するものではないことを理解する必要があると思われます。そんなことは当の昔から自明のことだ、と仰る方もいるでしょうが、その都度確認しておくことは無駄ではありません。 ◎関連参照記事 「Business Journal」2013年8月17日付記事「“1強”アマゾン対楽天、競争激化で再編機運高まる出版業界~苦境の出版社・書店の思惑」に曰く、「出版社の営業幹部は言う。「6月初めに日経新聞がすっぱ抜き、翌日に朝日新聞が後追いで報道した楽天による大阪屋(出版取次3位)買収の件だが、楽天だけではなく、講談社、小学館、集英社の大手3社と丸善、ジュンク堂書店の親会社・大日本印刷も大阪屋に出資する。これはアマゾン1強状態に歯止めをかけたいと考えている出版社や書店が、対抗策として楽天を担ぎ出したのだろう。楽天は、12年に出版業界団体が行った、客注流通を迅速化するための実証実験にも参加していた。楽天が取次業に参入するお膳立ては、すでに整っていたと思う」。楽天が大阪屋を傘下に加える--。これはアマゾンにとってもただごとではない。というのも、アマゾンの仕入れ先(帳合)の一つが大阪屋だからである」。「ネット書店の営業責任者が明かす。「アマゾンが大阪屋との取引を中止すると聞いた。これまでアマゾンは緊急時用と通常時用の2つの取引ルートを大阪屋に設けていたが、前者は正式に楽天の子会社になった時点で取引を止めて、後者も今年12月で中止する意向のようだ。その理由は、大阪屋には当然、楽天から役員が派遣されるので、大阪屋経由の売り上げやアマゾンのシステムなどを把握されてしまうためだろう。それに、アマゾンよりも楽天への出荷を優先するようになるだろうし、アマゾンにとってはメリットよりもデメリットのほうが多くなる」。 先に引用した「東洋経済」やこの「Business Journal」は引用箇所以外にも重要な言及と分析がありますから、再読三読が必要です。過去記事が現在を照射してくれます。さらにこんにちまでの経緯を業界紙などで時系列に沿って追っておけば、事態が立体的に見えてきます。歴史が語ります。 「新文化」2014年2月17日付記事「大阪屋、講談社などから取締役4氏、監査役1氏選任へ」に曰く、「新任の取締役候補者は大竹深夫(講談社取締役)、早川三雄(小学館顧問)、山岸博(同常務)、東田英樹(集英社専務)の4氏。役職については臨時株主総会後の取締役会で決まる。監査役候補者は森武文氏(講談社専務)。大阪屋の南雲隆男社長と中田知己常務は辞任により退任する見通し」。 「新文化」2014年3月3日付記事「大阪屋、新社長に大竹深夫氏(講談社) KADOKAWAも出資へ」に曰く、「2月28日、大阪市西区の本社で臨時株主総会を行い、大手出版社の幹部5氏を取締役および監査役に招聘する役員人事を承認した。/大竹氏が第9代社長に就いたほか、早川三雄氏(小学館社長室顧問)が取締役相談役に、山岸博氏(同常務)と東田英樹氏(集英社専務)が社外取締役に、森武文氏(講談社専務)が監査役に就いた」。「大阪屋の取締役会とは別に、出資企業の代表が出席する再生委員会で財務・事業計画を協議していく」。 大阪屋さんの会社概要や、講談社ご出身の大竹社長の2014年4月付「ご挨拶」もご参照ください。曰く「当社、出版取次が扱う「本」は、同じ内容の1冊の本でも、読む人によって、また同じ人でも読んだ時の価値観やその時の心情で、得られる価値が全く異なるという側面を持っています。であるからこそ、人生の様々な局面で、様々な人たちが、多様な本と出会える環境をサポートすることが私たち出版取次の使命であると考えております。また同時に、出版の多様性が自由で豊かな社会のために資する役割と、それを担保するための流通・小売の多様性の保持も責務であると考えております。/情報化、デジタル化が急速に進む現在、出版を取り巻く環境も大きく変化を遂げています。当社は、電子書籍も含めた読書形態の多様化、注文品や品揃えへの読者ニーズの変化等にスピーディに対応できる流通体制を整え、読者の皆様の欲しい本が、いつでも、どこでも、どんな形でも手にすることができる出版流通の実現を目指してまいります。 同時に、読者の皆様に「本」との新しい出会いや発見を楽しんでいただける、そして楽しく心地よい、さまざまなタイプの「本のある空間」を全国の街や町に提供できる出版取次を目指してまいります。また、小さくても新たに「本屋」を始めてみたいという意欲をお持ちの方々と、熱く本音で語り合える役割を担える存在でありたいとも願っております。/現在当社では、有力な出版社・企業団の協力のもと新しい時代の出版取次業の創生に向けた取り組みをスタートしております。読者により近い視点で「本の将来・未来を考える」ことをモットーに、書店・出版社と、ともに話し合い、信頼される、“皆様とともに歩む大阪屋” を目指してまいります。 皆様のご期待、ご支援をお願い申し上げます」。 「小さくても新たに「本屋」を始めてみたいという意欲をお持ちの方々と、熱く本音で語り合える役割を担える存在でありたい」という姿勢は素晴らしいと思います。「書店・出版社と、ともに話し合い、信頼される、“皆様とともに歩む大阪屋” を目指してまいります」という文言がその通りに実行実現されることを望みたいと思います。 +++ ◆7月17日正午現在。 ハア・・・・・・。合意書、《面白い》なあ。栗田=版元間じゃなくて、二次卸スキームだから三者間なんだな。 ある方曰く(リンクは張りません)「栗田出版から1か月分だけ返品相殺してあげるなんて提案が来たけど、大阪屋の二次卸スキームに合意することが前提なのでうちは乗れないかなぁ。独自に債権申出日までの返品について相殺の申し立てするのが良さそう」。当然のことながらそう判断する版元が出てきてもまったくおかしくないですね。 栗田出版販売代表取締役・山本高秀さんによる、取引先出版社はじめ債権者各位へ宛てた7月15日付「弊社からのお詫び」。同様の文書を弊社はFAXでも郵送でも受け取っていません。山本社長名義で出版社に郵送された7月13日付文書「返品スキーム等に対する弊社からのご提案につきまして」とも、7月15日付「「返品相当額」等に関するご案内」とも微妙に文面が異なります。郵送二文書と、今回のウェブ文書との決定的な違い、それはウェブ文書が創業者栗田確也さんの名前を引き合いに出していることです。郵送二文書には創業者の「そ」の字も出てきません。遡って6月26日付の最初の「ご連絡(弊社民事再生手続開始申立について)」にも出てこない。なぜ今回なんですか。内容が内容なだけに、なんで個々の債権者に届けないのでしょう。なぜウェブサイト掲示だけ?と思われてしまうことに今なおお気づきでないのでしょうか。《対外的効果》を狙っていると思われるのは現在の栗田さんにとって利益とはならないはずなのですけれども・・・。 「債権者様への説明会では、6月26日以降の返品を大阪屋様経由とすることと、その入帳をいただくという二次卸スキームの中での「返品スキーム」についてもご説明を致しました。しかしながら、民事再生法で要請されている説明会であったこともあり、代理人弁護士からの説明が中心となりました。特に片面的な解約権付売買を根拠とした説明が中心となり、皆様にはご不快な思いを強く残すことになってしまったと悔いております。本来であれば、創業者栗田確也の時代から百年弱に亘り出版業界に長く身を置かせていただいている身として、弊社の言葉でご説明すべきであったと感じており、このスキームは「弊社からのお願い」として、ご負担をお掛けすることへのお詫びとお願いを心から呼びかけるべきものであったと深く反省しております。/結果として、出版社の皆様にとって違和感の強いご提案となってしまい、対応策についてのご提案をその場で差し上げることもできないまま、多数のご意見とお叱りの声をいただき、長時間に及ぶ会となってしまいました。この場をお借りして、改めて深くお詫びを申し上げます」。 債権者の中には今までの出来事の影響や今後のことを何歩先も考えている人々がいます。栗田さんもそのはずです。栗田さんが先手を打ってきたもののほとんどは版元を不快にさせただけで、今回のような文書一つを出すにしても版元の勘所を外しています。自分の立場ばかりを主張して、債権者の立場を後回しにするからです。後手に回るのはそろそろやめないと、出版社との距離は縮まりえないです。 以下別件。 出版労連(日本出版社労働連合会)の声明。2015年5月27日発表「【声明】「戦争法案」の国会審議に抗議し廃案を求める」、2015年6月29日発表「【声明】自民党議員による言論弾圧の幕引きを許さず、戦争法案の撤回を求める」。いずれも中央執行委員長・大谷充さんのお名前で出されています。「文化通信」7月16日付記事「出版労連、安保法案採決で抗議声明」によれば、「日本出版労働組合連合会は7月16日、同日の衆議院本会議で安全保障関連法案が可決されたことについて、「民意を無視した『戦争法案』の強行採決に強く抗議する」との抗議声明を発表した。/声明では、同…」(以下有料)とのことです。 「出版労連のしくみ」の紹介によれば、「出版労連は、出版および出版関連産業に働く人たちが集う、産業別労働組合です。名称=日本出版労働組合連合会(Japan Federation of Publishing Workers' Uinons)。組織数150組合・グループ 約6,000名(2012年6月現在)」。役員の皆さんは「中央執行委員長:大谷充(主婦と生活労組)、副中央執行委員長:大塚博文(C&S日本支社労組)/小日向芳子(中法法規出版労組)/高鶴淳二(出版ネッツ)/寺川徹(実教出版労組)/平川修一(出版ユニオン)/吉田典裕(開隆堂・開隆館労組)、書記長:木村広(三省堂労組)、書記次長:北健一(出版ネッツ)/内田浩(メディカルトリビューン関連労組)」と記載されています。 6月29日の声明の結びはこうです。「「戦争で最初に犠牲になるのは真実」の言葉がしめすように、「戦争」をすることと「表現の自由」は相いれないものであることは、過去の戦争の歴史を振り返るまでもない真実である。/政権与党である自民党による、今回の言論弾圧発言のうやむやな解決を許さない。出版労連は出版に携わるすべての人々や、新聞労連・民放労連などのメディア関連労組とともに「知る権利」と「表現の自由」を守り抜くために、あらゆる言論弾圧に怯むことなく活動を旺盛に継続することを表明し、必ず戦争法案を廃案に追い込む決意である」。 「戦争法案」(引用です)の是非を問うことが重要なのは理解できます。それだけに、出版労連は栗田事案をどう考えているのだろう、という思いが募ります。サイト内検索で「栗田出版販売」と入力しても結果はゼロです。栗田の件で声明を出していないのは出版労連だけではありません。428社の出版社で構成される「書協」こと一般社団法人日本書籍出版協会、93社の雑誌出版社からなる「雑協」こと一般社団法人日本雑誌協会、25社の出版取次からなる「取協」こと一般社団法人日本出版取次協会、といった業界主要団体も声明は出していない。栗田からの多額の未払金がある債権者でもある「日本図書普及株式会社」(図書券・図書カードの発行元)もです。業界のどういう方々が役職に就かれているか、ご覧になると良いと思います。たとえば日本図書普及の「会社概要」によれば代表取締役社長の濵田博信さんは講談社顧問でいらっしゃいます。 全国紙に記事が載るような出来事だったのに、業界の主要団体がコメントをひとつも出さないというのはいったいどういうことなのか。不思議な世界だな、と一般読者に思われても仕方ないですね。 +++ ◆7月17日14時現在。 元取次マンで現在は「自費出版企画・編集」のお仕事をされておられる方の貴重な証言です。「‥‥2008年の段階ですでに大阪屋と提携していたが、このあたりの話は予想通りです。私が大阪屋にいたころから「大阪屋は栗田を統合するんだろうなあ」という噂は出回っていました」(7月17日付「元取次視点の出版流通の話⑥「業界第4位・栗田出版販売の経営破たん」より)。ちなみにこのエントリーは「新文化」7月2日付記事(同紙ウェブサイトのニュースフラッシュではなく、紙媒体に掲載された記事)を引用しつつコメントを加えたもの。引用の中にはこんな興味深いくだりもあります。「大阪屋の株主の1社である講談社の森武文専務は6月26日、「今は困惑している。しかし、栗田が事業を譲渡し、書店を守ることができるならば、今回の措置もやむを得ない。今後もできる限り応援したいと思う」と話し、小学館、集英社も栗田を支援する考えを示している」。 +++ ■
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by urag
| 2015-07-17 12:09
| 雑談
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