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2012年 08月 03日

月曜社近刊情報、品切情報など

★近刊情報

2012年8月:「叢書・エクリチュールの冒険」第三回配本
2012年9月:写真集新刊
2012年9月:「叢書・エクリチュールの冒険」第四回配本

詳細は後日公開します。

★品切情報

ギルロイ『ブラック・アトランティック』が版元品切になりました。購入を希望されるお客様は、書店さんの店頭在庫を当たっていただたら幸いです。なお、同書は現在重版準備中です。ほかに品切重版準備中なのは、『ミクロコスモス第1集』2刷、クリフォード『ルーツ』2刷、です。前者は第2集が刊行される際に重版する予定です。

★一年前の月曜社

◎11年7月21日発売:大里俊晴『ガセネタの荒野』本体1,400円。
書評1⇒小山守氏書評「即興ハードコア流で綴ったガセネタ伝が19年ぶりに復刊」(「レコード・コレクターズ」2011年9月号書評欄)
書評2⇒鈴木創士氏書評「終わり続けること……:間違って配達された贈り物を自分が受け取ったと公言するための書」(「図書新聞」2011年10月1日号)

◎11年7月6日発売:森山大道『森山大道 オン・ザ・ロード』本体2,800円。

◎11年6月24日発売:エルンスト・ユンガー『パリ日記』本体3,800円。
書評1⇒福田和也氏紹介記事「興味尽きないE・ユンガー『パリ日記』」(「週刊新潮」2011年7月21日号、連載「世間の値打ち」第454回)
書評2⇒鹿島茂氏書評「占領下に交錯する作家の幸福と危惧」(「毎日新聞」2011年7月17日付読書欄)
書評3⇒澤田直氏書評「希代の作家・思想家が戦争という災厄を前にして展開する人間に関する深い洞察」(「図書新聞」2011年9月17日号)
書評4⇒初見基氏書評「占領軍将校としてパリに滞在した日々を描き出す」(「週刊読書人」2011年9月23日号)
書評5⇒長谷川晴生氏書評「占領下都市 知性の目で」(「北海道新聞」2011年10月9日(日)付書評欄)

by urag | 2012-08-03 16:02 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 03日

本日搬入:ドゥルーズ=ガタリ『哲学とは何か』ついに文庫化

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哲学とは何か
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著 財津理訳
河出文庫 2012年8月 本体1,400円 文庫判416頁 ISBN978-4-309-46375-9
帯文より:D=G最後の共著、その思想の総決算。カオスから脳へ――人間をこえる限りなき生成/創造へと至高を開く絶後の名著。
カバー裏紹介文より:「この時代に逆らって、来たるべき時代のために」書かれたドゥルーズ=ガタリ最後の共著にして、その思想の総決算。内在平面-概念的人物-哲学地理によって「哲学」を総括し、カオスに立ち向かう三つの平面として哲学-科学-芸術の連関を明らかにする。世界への信をうちたてながら、人間をこえる限りなき生成/創造へと思考を開く絶後の名著。

★本日取次搬入。書店店頭に並ぶのは首都圏の大型書店では明日以降、地方も含めると、来週明けあたりから発売開始になると思われます。『アンチ・オイディプス』(全二巻、河出文庫、2006年10月)、『千のプラトー』(全三巻、河出文庫、2010年9~11月)の文庫化に続き、ドゥルーズ=ガタリの共著三部作の最終到達点である『哲学とは何か』(親本は1997年)がついに文庫化されました。「文庫版への訳への訳者あとがき」によれば「これを機会に若干の語句を修正した」とのことです。これで、河出書房新社さんで刊行されているドゥルーズ=ガタリの共著はすべて文庫化されました。二人のそれぞれの著作では、ドゥルーズのヒューム論『経験論と主体性』、ライプニッツ論『襞』、ガタリの『カオスモーズ』がまだ文庫化されていません。おそらくは将来的に文庫化されることでしょう。

★二人はこう書きます。「哲学は、資本の相対的脱領土化を絶対的なものへと到達させる。哲学は、資本を、無限なものの運動としての内在平面のうえに移行させ、資本を、内的な限界としてのかぎりにおいて消去し、新たな大地に、新たな民衆に訴えかけるために、資本をそれ自身に反抗させるのである。しかしそうすることで、哲学は、概念の非命題的形式に、すなわち、コミュニケーション、交換、コンセンサス、そしてオピニオンこそがそこで絶滅する当の形式に到達する。したがってそれは、アドルノが「否定弁証法」と呼んだものに、またフランクフルト学派が「ユートピア」として指し示したものにかなり近いのである。実際、ユートピアこそが、哲学とその時代との、すなわちヨーロッパ資本主義との、しかしすでにまたギリシアの都市国家との接合をつくるのである。そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する」(171-172頁)。

★さらに続けてこう書きます。「ユートピアは無限運動から切り離しえない。ユートピアは、語源からして〔「どこにもない場所」を意味し〕、絶対的脱領土化を指すのだが、ただしつねに臨界点において――すなわち絶対的脱領土化が、現前している相対的な中間=環境と連結し、とりわけそうした中間=環境のなかで窒息した諸力を連結するようになる臨界点において――絶対的脱領土化を指す。ユートピア論者サミュエル・バトラーが用いた言葉「エレホン Erewhon」は、たんに《No-where》つまり「どこにもない」だけでなく、《Now-here》つまり「いま-ここ」をも指し示している。重要なのは、いわゆる空想的社会主義と科学的社会主義との区別ではなく、むしろ、様々なタイプのユートピアなのであって、革命はそのひとつである」(172頁)。

★さらにさらに続けて。「ユートピアという観念には(哲学においてもそうであるが)、つねに、超越を復活させてしまうおそれが、そしてときには、超越を尊大に肯定する態勢が存在する。したがって、権威主義的あるいは超越的ユートピアと、絶対自由主義的、革命的、内在的ユートピアを区別しなければならない。しかしまさにその点に関して言うなら、革命はそれ自身内在的ユートピアであると主張することは、革命はひとつの夢、何か実現されないものの、あるいは実現されれば必ず裏切られてしまうものであると主張することにはならないのだ。反対に、そう主張することは、革命を、内在平面、無限運動、絶対的俯瞰として定立することである。ただし、そうできるのは、これら〔三つ〕の特性が、資本主義に対する戦いのなかで、いまここに存在する現実的なものと連結するかぎりにおいてであり、また、それらの特性が、その戦いが裏切られるたびごとに新たな戦いを再開するかぎりにおいてである。ユートピアという言葉は、したがって、哲学あるいは概念と、現前している中間=環境との、以上のような接続を、すなわち政治哲学を意味している(とはいうものの、オピニオンによって与えられたゆがんだ意味からすれば、「ユートピア」はおそらく最良の言葉ではない)」(172-173頁)。

★現代日本において多方面に展開しつつある民衆的政治行動のその傍らに、D=Gもまた肩を並べて立っているに違いありません。「芸術が非芸術を必要とし、科学が非科学を必要としているように、哲学は、哲学を理解している或る非哲学を必要とし、非哲学的理解を必要としているのだ。〔…〕それら三つの《非》は、脳平面から見ればまだ区別があるのだが、脳が潜んでいるカオスから見ればもはや区別はない。脳がそのように潜んでいるということについて、こうも言えそうである――芸術が名づけるような、しかしまた哲学と科学もそう名付けるような、「来たるべき民衆」の影が、カオスから引き出されるのだ、と。民衆-団塊、民衆-世界、民衆-脳、民衆-カオス。〔…〕三つの《非》のなかに横たわっている非思考的思考。そこでこそ、哲学と芸術と科学が、あたかも、それらの異なった本性をつらぬいて拡がりながら絶えずそれらに付き従う同じ影を共有しているかのように、識別不可能なものへと生成」する(367頁)。非思考的思考を孕んだ識別不可能な書物、生成へと開かれた読書-カオス、政治的であるばかりでなく、芸術も科学も哲学も貫く来たるべき民衆の自由な一挙手一投足、そして、声、声、声。

by urag | 2012-08-03 15:30 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 02日

「ほんのまくら」フェア@紀伊國屋書店新宿本店2F

紀伊國屋書店新宿本店の2F「文学・文庫・新書」売場で面白いブックフェアが始まっています。

「ほんのまくら」フェア~書き出しで選ぶ一〇〇冊~

期間:2012年7月26日(木)~8月25日(土)
場所:紀伊國屋書店新宿本店 2階 売場中央フェアスペース

※本フェアの趣旨に従いまして、パックがかかった状態でのご購入をご了承いただきますようお願い申し上げます。
※「ほんのまくら」は造語です。店頭にて「ほんのまくら」とおすすめ文掲載のペーパーを配布中! またTwitterでも不定期に気になる「ほんのまくら」をつぶやきます。ハッシュタグは #hon_makura

内容:「本の出だしって、すごく悩むのでしょうね。」そんなことを作家の方に尋ねているインタビュアーが以前いらっしゃって、その作家の方は「はい、なかなか出てこなくて。」とこたえられる。そんなシーンが記憶に残っている。いや、とても曖昧なものだが。/しかし……、しかしだ。我々はそれほど気にしているだろうか、本の出だしの文章=「まくら」を。有名なものならたくさんある。「国境のトンネルを抜けると~」「ゆく河の流れは絶えずして~」「メロスは激怒した」「桜の樹の下には~」「スプリットタンって~」。しかし意外と気にしていない、私は。いや、私だけでしょうか。/だからそれを味わってみたいと思った。それを味わうのはページを開けて、目次をこえて、ページをめくったら、タイトルの後にもちろんでてくる。あら、目次がないものもあるじゃないか。しかしそれだときっとすぐに受け流してしまう。/もう中身もみないで、自分の「まくら」に対する感覚で本を選ぶのって楽しいかもしれない。それは作家の方が一生懸命に考えたものなのだから。熱の籠ったものなのだから。そしてそうすることで自分の感覚も研ぎ澄まされる。想像する。この物語はどんなものなのか。その想像も楽しい。/そんなこんなで、こちらのフェアがはじまりました。オリジナルカバーに載っているのは、本の「まくら」です。それぞれ「まくら」に何を感じ取れるのでしょうか。商品にはパックがかかっていますがそれを開けずに選んでみてください。それはもう本当に研ぎ澄まされた感覚のみで。きっと不思議な本との出会いが待っているはずです。/またこのように中身が見えない状態でお買い上げいただきます不親切をご容赦くださいませ。そしてそれも含めて楽しんでいただけたら幸いです。

★「ほんのまくら」運営委員会の伊藤稔さんによれば、「ほんのまくら」フェアは、「文庫本に文章の出だし(こちらを造語で「ほんのまくら」と称しております)を印刷したカバーをかけ、パックした状態で、その出だしだけからお客様に選んでいただくフェア」とのことです。「POPと推薦文を掲載したペーパーは配っていますが、基本的にはお客様の出だしに対する直感で選んでいただく」という趣旨。なかなか実験的です。販売するのは100点の文庫本で、その内訳は、国内外の小説メインでエッセイも数点あるとか。すてきな包装がついていますが、もちろん本の定価で販売されています。すべて文庫本なので、500円以下が多数で、一番高くても800円台のお求めやすい価格ですよ。友人・知人同士でプレゼントし合ったりするとか、ちょっとした話題作りにいいかもしれませんね。

★書き出しが刷ってある包装紙も、リンク先でご覧いただける告知用のポスターも非常に印象的で美しいですね。聞くところによると、某デザイン事務所の若手の方が手掛けておられるそうです。ぜひ店頭でご覧ください。以下は担当のIさんからいただいた、フェア台を写した写真です。見た目にも楽しそうですね!

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by urag | 2012-08-02 17:51 | イベント告知 | Trackback | Comments(0)