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2008年 01月 10日

民事再生×2とか、閉店とか

自費出版大手の新風舎や、いわゆる「中堅版元」の草思社が連続して民事再生法適用の申請を出し、紙面を賑わせています。前者の負債は20億、後者は22億とか。自費出版業界にはここしばらく逆風が吹いているようですし、中堅にとってメガヒットを継続的に出し続けるのは実にたいへんなことです。もとより、どの版元が次に立ち往生になってもおかしくない、出版不況のこのご時勢ですから、業界人はこうしたニュースにはもう驚かなくなっている気がします。

たとえば、「毎日新聞」1月8日の記事「<新風舎>東海地方でも積極ビジネス 憤る契約者」に紹介された、名古屋の版元「風媒社」さんの編集長氏のコメントはこうでした。「年間約2800点を刊行、販売するのは無理があり、いつかこうなると思っていた」。

また、「毎日新聞」1月9日の記事「<草思社>民事再生法を申請 中堅出版社、ヒット作も多く」で紹介されている「出版ニュース社」代表の清田さんのコメントにはこうあります。「出版以外のビジネスで債務がかさんだと聞いているが、出版不況が経営悪化に拍車をかけたのは間違いない」。

草思社の再建には「すでに出版社数社が支援を表明」(上記記事)しているそうです。負債額から考えれば、出版社数社というのは恐らくいずれも大手版元でしょう。グループ拡大のための吸収とか。これをきっかけに、ひょっとしたら出版界の再編が進むことになるのかどうか。

新風舎も草思社もいずれは立ち直るでしょう。しかし、今週は私にとってさらに悲しい報せもありました。鹿児島の「ブックジャングル」さんが来週火曜日の08年1月15日で閉店することになったのです。弊社のような零細出版社の本もしっかり仕入れてくださっていた本屋さんなだけに、残念でなりません。母体の「岩崎産業」さんがいつの日か、書店業を再開してくださるかどうか、現時点ではわかりません。

「南日本新聞」07年12月20日の記事「ザビエルホテル2月解体/岩崎グループ」によれば、ブックジャングルの閉店は、同店が入居している「いわさきホテル・ザビエル450」が解体されるためで、以下のように書かれています。「建物解体に伴い、2階に入る大型書店「ブック・ジャングル」は1月15日にひとまず閉店。今後の展開については未定としている。同書店は1999年、店舗面積1400平方メートルという南九州最大級の書店としてオープンした」。

この記事では「ひとまず」とも書かれていますが、現場の店員さんは再開構想のようなものは一切聞いていないご様子で、グループの別部門に移る方、他書店での仕事を探す方、さまざまのようです。業界に残られる方といつかまた再会できることを祈るほかありません。

by urag | 2008-01-10 19:45 | 雑談 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 08日

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

これから開店する本屋さんで、弊社の本を扱ってくださる予定のお店を順次ご紹介しております。お近くにお越しの際はどうぞお立ち寄りください。

08年1月26日(土)
シブヤ・パブリッシング・アンド・ブックセラーズ SPBS:図書25坪
東京都渋谷区神山町17-3 テラス神山1F
※出版社と書店の複合形態という変り種。出版社としては、1月26日に若木信吾作品集「JAPANESE ACTOR」第1弾「ASANO TADANOBU─OFF SCREEN」を刊行予定。代表者は「プレジデント」誌編集者を経て独立された福井盛太さん。書店部門は、BOOK246やTUSTAYA TOKYO ROPPONGIなどを手がけた幅允孝さんが責任者。設立理念に曰く、「一見、最近流行のセレクト型書店のようですが、よく見ると、編集者のミーティングスペースや編集作業オフィスが、店の表通りからも、書店内からも視認できるようになっています。 そうです、手打ち蕎麦屋さんや手作りパン屋さんのように「そこで作ってそこで売る」出版社、それが、「SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS」」とのこと。面白いですね。

08年2月22日(金)
戸田書店浦添前田店:280坪
沖縄県浦添市前田4-7-2
豊見城店に続く、同チェーンの沖縄県下二番目の新店舗。「専門書の充実と地域読者のニーズに応える豊富な在庫量を融資、浦添市最大の書店としてスタートします」と版元向けの開店案内に記されています。弊社の本は沖縄県の本屋さんにはほとんど置かれていないので、これをきっかけに、沖縄の皆さんに直接手にとっていただける機会が増えるといいなと思います。

by urag | 2008-01-08 15:59 | 販売情報 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 05日

08年1月刊行開始:東京大学出版会『エウクレイデス全集』

a0018105_103554100.jpg今月下旬刊行開始と聞いている、東京大学出版会さんの『エウクレイデス全集』の内容見本と書誌情報をいただいたので、以下に掲載します。

エウクレイデス全集 全5巻 【写真は内容見本】
東京大学出版会

★内容紹介

全集、初の邦訳! 08年1月刊行開始。古代ギリシャの数学者、エウクレイデス。著作としては『原論』が有名であるが、実際の彼自身の関心は純粋数学のみならず、天文学・視覚論・音楽など多岐にわたっていた。本全集ではそのすべてを邦訳(底本はハイベアとメンゲ編纂による『エウクレイデス全集』)。最新の研究成果に基づいた解説も充実! A5判上製カバー装・平均456頁。

★訳・解説
片山千佳子(東京芸術大学)、斎藤憲(大阪府立大学)、鈴木孝典(東海大学)、高橋憲一(九州大学)、三浦伸夫(神戸大学)。

★特徴

・ハイベア-メンゲの底本に基づき、さらにそれを超える地平に立つ。
・テクストに忠実な翻訳。原文の論理的関係を明確に再現。
・世界各国の科学史研究の最新成果を紹介・分析。
・全体解説のほか、個々の命題に詳細な解説を付加。

★刊行にあたって(抜粋)

エウクレイデスの学問的関心は純粋数学のみだったわけではない。天文学・視覚論(光学)・音楽など多岐にわたっていた。つまりその関心領域は、アリストテレスにおいて「数学的な諸学問のうちでより自然学的なもの」と呼ばれ、中世ヨーロッパにおいては数学と自然学の間の「中間的学問」と呼ばれたものに及んでいたのである。その実態を正確に把握し、また私たち自身の数学イメージの拡大に資するためにも、彼の学問的活動の全体像を知ることが必要なのではなかろうか。(・・・)広く世界を見ても、『エウクレイデス』の近代語訳はいまだなされておらず、今回の邦訳がまさに世界最初の近代語訳全集となる。

★各巻構成

第1巻『原論』I―VI巻 (第1回配本)
第2巻『原論』VII―X巻
第3巻『原論』XI―XV巻
第4巻『デドメナ』『オプティカ』『カトプトリカ』
第5巻『ファイノメナ』『ハルモニア論入門』『カノーンの分割』

★著者紹介

エウクレイデス(前300年頃アレクサンドリアで活躍)は、古代ギリシャの数学者として広く知られている。従来、「エウクレイデス」の英語訳である「ユークリッド」と呼ばれることが多かったが、現在では原音で呼ぶのが一般的である。

「数学を語ることは証明を語ることである。定義・公準・公理から演繹的に定理を導き出す。それが定理の証明というもので、数学の本質はここにある。証明のない数学とは形容矛盾に他ならない。」こうした数学のイメージは古代ギリシャの所産であり、とくにその集大成ともいうべきエウクレイデス『原論』に淵源する。学問的方法の一つの典型として、古来『原論』が学びつがれてきたゆえんである。西洋世界では、『聖書』に次いで読まれてきた書物であるともいわれている。

彼にはいくつかの著作があるが、邦訳で出版されたものは、1971年に共立出版から出された『原論』のみである。この共立版は解説が少なく、また、近年エウクレイデスを含めギリシャ数学史に関する研究がおおいに進展してきたことから、新たな『原論』の翻訳が求められていた。さらに、『原論』だけではなく、邦訳初となる他の著作は、ギリシャ数学の広さとそのおもしろさを教えてくれるだろう。

★各巻紹介

◆第1巻『原論』I-VI巻  斎藤憲(訳・解説)/三浦伸夫(全体解説)
ISBN978-4-13-065301-5/2008年1月刊/本体価格5200円

『原論』は全13巻からなり(XIV、XV巻は後の数学者が加えたものとされる)、その成立はおおむね紀元前300年頃と考えられている。約15万語の本文と多数の図版からなる、当時の数学の論証数学の基本的知識を集大成した書物である。

本全集第1巻には『原論』I-VI巻が収められる。I-IV:初等的な平面幾何、V:比例論、VI:比例論の平面幾何への応用、である。ピュタゴラスの定理などもこの巻に含まれる。

主要目次:
全体解説(エウクレイデスの人物像/エウクレイデスの著作/テクストの伝承/文明圏におけるエウクレイデス)
『原論』解説I-VI巻(『原論』の成立・伝承・構成/『原論』と初期ギリシア数学の展開/非共測量史観と「幾何学的代数」/非共測量と比例論の展開/比例論の幾何学への応用)
『原論』翻訳I-VI巻

◆第2巻『原論』VII-X巻  斎藤憲(訳・解説)
ISBN978-4-13-065302-2/第4回配本:09年7月刊/予価5000円(本体)

本全集第2巻には『原論』VII-IX巻が収められる。VII-IX:整数論、X:非共測量(通約不能量)の分類論、を扱う。第X巻は、100を超える命題から成り立ち、『原論』の3割近くを占める巨大な巻である。

◆第3巻『原論』XI-XV巻  斎藤憲(訳・解説)/三浦伸夫(解説)
ISBN978-4-13-065303-9/最終回配本:10年1月刊/予価5000円(本体)

本全集第3巻には『原論』XI-XV巻が収められる。XI-XIII:立体幾何学、XIV-XV:正多面体論への追加、を扱う。先にも述べたように、XIV、XV巻は古代末期頃付け加えられたものであるが、ハイベア版に準じるため、本全集にも掲載する。なお、共立版には、XIV、XV巻の訳は掲載されていない。

◆第4巻『デドメナ』『オプティカ』『カトプトリカ』 斎藤憲(訳・解説)/高橋憲一(訳・解説)
ISBN978-4-13-065304-6/第3回配本:09年1月刊/予価5000円(本体)

本全集第4巻には、平面幾何学、視覚論に関する内容が収められる。個々の内容は以下の通りである。

『デドメナ』(=『ダダ』とも呼ばれる)は、平面幾何学を扱っており、15の定義と94の命題からなる。『原論』と同じ論証形式をもっており、そこで使用されている命題は『原論』の命題のみである。全体に「所与(の角、比、直線など)を(持つ、作図されるなど)ならば、~である」という記述がとられているため、「所与」にあたるギリシャ語を採用して『デドメナ』という書名で呼ばれている。パッポスが『数学集成』において「解析の宝庫」の筆頭にあげている重要な書物である。

『オプティカ(視学)』は、眼から視線が出ていると主張する「流出説」の立場にたち、同一媒質中の対象の見え方を論じる7つの定義と58の命題からなる。

『カトプトリカ(反射視学)』は、鏡(平面鏡、凸面鏡、凹面鏡)に映し出された像を6つの定義と30個の命題で考察するものである。

◆第5巻『ファイノメナ』『ハルモニア論入門』『カノーンの分割』 鈴木孝典(訳・解説)/片山千佳子(訳・解説)
ISBN978-4-13-065305-3/第2回配本:08年7月刊/予価5000円(本体)

本全集第5巻は、天文学、音楽論に関する内容を収める。個々の内容は以下の通りである。

『ファイノメナ』は、天文学を 題材とする。「ファイノメナ」は「現れるものども」を意味するが、ここではさらに「星の出没のありさま」に限定されている。全文は18個の命題からなる。

『ハルモニア論入門』は、アリストクセノス派の音楽理論を要約したものである。『原論』などとは違って、論証的ではなく、記述的な作品である。

『カノーンの分割』は、ピュタゴラス的音程比理論と、カノーンと呼ばれる一弦の分割によるギリシャの音組織論とを20の命題にまとめて体系化し論証したものである。『音楽原論』とも呼ばれる。

by urag | 2008-01-05 10:39 | 本のコンシェルジュ | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 01月 01日

ついに完結、サルトル『存在と無』文庫全三巻

a0018105_3213666.jpg来週水曜日、08年1月9日発売のちくま学芸文庫、サルトルの『存在と無(III)』です。これで全三巻完結。第三巻は約600頁、第四部「「持つ」「為す」「ある」」と「結論」が収録されており、さらに、訳者の松浪信三郎さんによる「用語解説」や「訳者あとがき」、文庫版編集協力者の北村晋さんによる「解説」が付されています。巻末には、事項索引と人名索引。税込1,890円。

第三巻に登場する有名な言葉には、「われわれは自由へと呪われている〔=人間は自由の刑を宣告されている〕」(146頁)や「人間は一つの無益な受難である」(463頁)などがあります。周知のようにサルトルは小説家にして劇作家でもあるのですが、上記のような言葉は哲学者の思惟でありつつ、シェイクスピアの劇のせりふのようでもありますね。サルトルが戦後初めて翻訳されたのは、まず小説家としてでした(『水いらず・壁』)。

解説者の北村さんはこう書いています、「本書は20世紀フランス現象学の古典にして、その後のさまざまな現代思想の源流でもある。(・・・)『存在と無』には、(・・・)まだまだ新たな読解を可能にする汲み尽くせぬ源泉が秘められているのである。読者諸氏は、既成の解釈に囚われぬ自由な読解に是非ともチャレンジしていただきたい」と。

なお、今月のちくま学芸文庫では、ドゥルーズ『カントの批判哲学』の、國分功一郎さんによる新訳が刊行され、ハイゼンベルクやディラックら7名の物理学者の肉声を集めた『物理学に生きて―─巨人たちが語る思索のあゆみ』も発売されます。また、2月6日発売の同文庫では、スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理』 、ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』、 岡村浩訳『ディラック現代物理学講義』が刊行される予定。

単行本では、ハンナ・アレント『政治の約束』(ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳)や、ジグムント・バウマン『コミュニティ―─安全と自由の戦場』(奥井智之訳)が1月8日に発売されます。バウマンは大月書店からも『リキッド・ライフ――現代における生の諸相』(長谷川啓介訳)も1月18日に発売。今月は出費を覚悟しなければなりません。

by urag | 2008-01-01 03:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 01日

圧巻の論文集『ドゥルーズ/ガタリの現在』、平凡社より

a0018105_2263882.jpgドゥルーズ/ガタリの現在
小泉義之・鈴木泉・桧垣立哉:編
平凡社 08年1月刊 6,090円 A5判上製カバー装722頁 ISBN978-4-582-70273-6

帯文より:没後十年余りを経て、古典化の動きが著しいドゥルーズ/ガタリ。空疎な権威化や瑣末な文献学化という負の側面をはらみながらも、彼らの思考の引き延ばし、よりよき汎用化は着実に進行している。その哲学的・思想的到達点を測定すべく三十人超の研究者が協働、これからのD/G研究の出発点をしるす意欲的な論集。

前書きによれば、「05年7月から06年7月まで、約一年間をかけて集中的に行われたドゥルーズ&ガタリ研究会の成果」とのことです。この研究会の発起人である三氏が本書の編者となっています。素晴らしい執筆陣による圧巻の巨編です。注目の若手が多数参加しているので、あと二十年は本書を超える本は出ないように思えるほどです。

目次:
前書き (桧垣立哉)
I ドゥルーズ――『意味の論理学』、『差異と反復』
 意味と出来事と永遠と――ドゥルーズ『意味の論理学』から (上野修)
 「出来事」の倫理としての「運命愛」――ドゥルーズ『意味の論理学』におけるストア派解釈 (近藤智彦)
 ただ流れる時間へ――いかにして辿りつけるか (郡司ペギオ幸夫・太田宏之・浦上大輔)
 『差異と反復』における微分法の位置と役割 (近藤和敬)
 「強度」概念再考――その内在的理解の深化に向けて (原一樹)
II ドゥルーズ+ガタリへ
 構造主義の臨界――ドゥルーズ・ラカン・ガタリ (美馬達哉)
 器官なき身体とは何か――実在的区別の観点から (江川隆男)
 機械は作動するか――ドゥルーズ/ガタリにおける機械の問題系 (廣瀬浩司)
 表層・深層・抽象機械における言語――『意味の論理学』から『千のプラトー』へ (大山載吉)
 いつも「新しい」精神医療のために (三脇康生)
III 『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』
 資本主義のリビドー経済――ドゥルーズ=ガタリにおける「経済学批判」の可能性 (荒谷大輔)
 器官なき身体から抵抗へ――『千のプラトー』における主体化と抵抗 (佐藤嘉幸)
 公理と指令 (松本潤一郎)
 メキシコの一九六八年、あるいは「マイノリティへの生成変化」が残した問い (崎山政毅)
 ドゥルージアン/ガタリアン・アニマル――「リトルネロ」のプラトー探検 (遠藤彰)
IV ドゥルーズ/ガタリ縦走
 ドゥルーズ哲学における〈転回〉について――個体化論の転変 (桧垣立哉)
 来たるべき民衆――科学と芸術のポテンシャル (小泉義之)
V イマージュ/シネマ
 メディア・デザインへ向けての哲学とは何か?――デジタル環境における超越論的イメージの批判=危機 (瀧本雅志)
 ミュージカル映画における「世界の運動」――ドゥルーズ『シネマ』におけるハリウッド・ミュージカルの新たな位置付け (木村建哉)
 シネキャピタル、シネコミューン――普通のイメージたちによる「労働の拒否」 (廣瀬純)
VI 哲学的系譜・遭遇
 ドゥルーズ哲学のもう一つの系譜について (米虫正巳)
 思考と哲学――ドゥルーズとハイデガーにおける (増田靖彦)
 ドゥルーズと現象学 出会いのための序章――「時間の三つの総合」と「差異による時間の総合」の接合部分 (杉本隆久)
 ドゥルーズとデリダ――概念をめぐって (藤本一勇)
VII ドゥルーズ/ガタリ横断
 シーニュとインタフェイス (本間直樹・森淳秀)
 剥き出しの生と欲望する機械――ドゥルーズを通して見るアガンベン (高桑和巳)
 家族写真、アメリカ、資本主義――ドゥルーズ/ガタリとともにダイアン・アーバスを (清水知子)
 ドゥルーズ/サイード――音楽の飛翔力と重力をめぐって (平井玄)
 言語の流体力学――指令語の射程について (サドッホ)
VIII 資料
 ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在 (鈴木泉)
後書きに代えて (鈴木泉)

***

気をつけなければならないのは、本書は「資本主義と分裂病」をはじめとする、チームワークとしての「ドゥルーズ=ガタリ」に重点が置かれているということです。鈴木さんによる後書きにあるように、編者はドゥルーズに偏るのではなく、ガタリの読解にも重点を置くべく常に配慮されたそうです。ただ、こうして本書を眺めてみると、それでもドゥルーズ寄りになってしまう傾向が強いように見えます。現時点では仕方のないことなのかもしれませんが、その意味で三脇さんの論文は非常に貴重だと思います。

ガタリの主要著書はほとんど翻訳されていますから、あとは新しい読者/書き手がどんどん補完していけばいいのかもしれません。04年にフランスで刊行された、ガタリの『アンチ・オイディプスのための文書』は、69年から72年にかけてドゥルーズに宛てて書かれた覚書や日誌などの集成ですが、このいわば「草稿」群とも呼ぶべきものがいずれ日本語に訳され、あるいはドゥルーズによる「アンチ・オイディプス」講義や「ミル・プラトー」講義も日本語で読めるようになれば、いっそう彼らの協働性が綿密に検討できるでしょう。むろん、「リゾーム」に書かれている彼らのスタンスを踏まえれば、ドゥルーズもガタリも共著の「解剖」などは望んでいないし、まったく重要視もしないでしょう。

そうであるにせよ、もしもガタリへの視線が薄くなってしまうとしたら、残念な話ではあります。本書の美しいカバーにはドゥルーズの講義風景であろう写真が使われていますが、ガタリの姿は見えません。承知の上でこうなっているのでしょうけれども、ガタリはどこ?と目を瞠らせます。裏返して言えば、ガタリがいずれ再び注目されるのを、ある意味で、本書は予示しているようにも思えます。

by urag | 2008-01-01 01:44 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 01日

ネグリ新刊『さらば、近代民主主義』、作品社より

a0018105_15366.jpgさらば、"近代民主主義"――政治概念のポスト近代革命
アントニオ・ネグリ(1933-):著 杉村昌昭:訳
作品社 08年1月 2,520円 46判上製カバー装252頁 ISBN978-4-86182-170-7

帯文より:本書は、ネグリが20世紀の政治思想・哲学の概念は機能停止したとして、さまざまな近代思想・ポストモダン思想(スピノザ、ヘーゲル、マルクス、ベンヤミン、アレント、フーコー、デリダ、アガンベンなど)を総括し、グローバル民主主義に向けて新たな政治概念の定義を行ったものである。

***

原書はフランス語で刊行された"Fabrique de Porcelaine. Pour une nouvelle grammaire du politique", Stock, 2006です。イタリア語版は未刊。原題を直訳すると「陶磁器製造工房――政治的なものの新たな文法のために」となります。04年から05年にかけてパリの国際哲学学院で行われた連続講義「政治的なものの新たな文法のために」をまとめたものです。目次は以下の通り。

親愛なる日本の友人たちへ――日本語版への序文
序文――新たな政治の文法づくりの"工房"として
工房1 近代/ポスト近代の区切り
工房2 マルチチュードの労働と生政治的組成
工房3 グローバリゼーションと集団的移動〔エクソダス〕――平和と戦争
工房4 公と私を超えて――〈共〉〔コモン〕へ
工房5 マージナルな抵抗としての「ポスト近代思想」批判
工房6 差異と抵抗――ポスト近代の区切りの認識から、来たるべき時代の存在論的構成へ
工房7 抵抗の権利から構成的権力へ
工房8 ガバメントとガバナンス――「政府形態」の批判のために
工房9 決定と組織
工房10 共通の自由の時間
結び――マルチチュードを形成することは、新たな民主主義をつくることである
訳者あとがき
政治概念・思想用語索引
人名索引

日本語版への序文によれば、原題の「陶磁器製造工房」というのは、「非常に脆い素材を使って手作りで貴重なものをつくるということを意味して」おり、「現代の新たな概念大系のようなものを生み出そうという意図を表わしている」とのことです。さらに「これは、まさに現代という時代が、なおあらゆる変化に開かれ、思考が予期せざるリスクにさらされているだけに、時宜を得たものではあるが、困難なことでもあった」とも書かれています。

本書のうちでもっとも注目すべき概念のひとつは、「共〔コモン〕」=共通のもの、です。公でも私でもなく、共。ネグリはこう述べます、「〔〈共〉の概念は〕公的なものと私的なものとのいっさいの起源的分離の拒否、そしていったん分離してからのあらゆる再構築の拒否から生まれたものである」(99頁)と。ネグリはこうした〈共〉の捉え方を、チャールズ・テイラーやサンデル、ハーバーマスらの「公共」哲学と対比させています。

ネグリの〈共〉は「マルチチュード」の概念によって彫琢されます。マルチチュードとは「特異性の総体」であり、「無限の特異的活動を結び合わせる協働的な織物の総体」です。上から正義を押し付けられるような「公」ではなく、かと言って「私」に引きこもるのでもなく、民衆が自ら個々のかけがえのなさを共に結び合わせていくこと。その主体性にネグリは賭けていると言えるのかもしれません。

ネグリは08年3月に来日し、東京と京都で講演する予定です。上記書のフランス語共訳者であるジュディット・ルヴェルさんも来日し、講演すると聴いています。

by urag | 2008-01-01 00:57 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)