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カテゴリ:本のコンシェルジュ( 972 )


2018年 08月 15日

注目新刊:『パウリ=ユング往復書簡集1932‐1958』、ほか

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ペルペトゥアの殉教――ローマ帝国に生きた若き女性の死とその記憶』ジョイス・E・ソールズベリ著、後藤篤子監修、田畑賀世子訳、白水社、2018年8月、本体5,200円、4-6判上製344頁、ISBN978-4-560-09648-2
『魔女・怪物・天変地異――近代的精神はどこから生まれたか』黒川正剛著、筑摩選書:筑摩書房、2018年8月、本体1,600円、四六判並製256頁、ISBN978-4-480-01671-3
パウリ=ユング往復書簡集1932‐1958――物理学者と心理学者の対話』ヴォルフガング・パウリ/カール・グスタフ・ユング著、湯浅泰雄/黒木幹夫/渡辺学監修、定方昭夫/高橋豊/越智秀一/太田恵訳、ビイング・ネット・プレス、2018年8月、本体6,300円、A5判上製410頁、ISBN978-4-908055-13-3
『時のかたち――事物の歴史をめぐって』ジョージ・クブラー著、中谷礼仁/田中伸幸訳、加藤哲弘翻訳協力、SD選書:鹿島出版会、2018年8月、本体2,400円、四六判並製220頁、ISBN978-4-306-05270-3
驚くべきCIAの世論操作』ニコラス・スカウ著、伊藤真訳、インターナショナル新書:集英社インターナショナル、2018年8月、本体760円、新書判並製256頁、ISBN978-4-7976-8027-0 C0231

★ソールズベリ『ペルペトゥアの殉教』は『Perpetua's Passion: The Death and Memory of a Young Roman Woman』(Routledge, 1997)の訳書。帯文に曰く「起源203年のカルタゴ。闘技場で野獣刑に処された、キリスト教徒の殉教の記憶を鮮烈に蘇らせる」と。『聖ペルペトゥアと聖フェリキタスの殉教』をひもときつつ、当時21、22歳だった若い母親であった女性の生と死、そして後世への影響について論じられています。処刑の目撃者による記録に基づき、第五章「闘技場」では執行の詳細が綴られますが、ペルペトゥアの気高い振る舞いに畏怖を覚えます。なお『聖ペルペトゥアと聖フェリキタスの殉教』は本書において細かく引用されていますが、『キリスト教教父著作集(22)殉教者行伝』(教文館、1990年、オンデマンド版あり)でも読むことができます。

★『魔女・怪物・天変地異』は、魔女狩りの激化と驚異(天変地異や怪物)の増殖を同時代の現象として分析し、新世界や新奇な物事への好奇心の高まりが近代的学知の形成に寄与するさまを論じたもの。「近世以前の驚異と好奇心」「大航海時代の幕開けと驚異の増殖」「氾濫する宗教改革時代の怪物と驚異」「「魔女狩りと好奇心」、そして近代的精神の成立」の四章立て。分類コードは「22」で外国歴史ですが、文化史としてだけでなく思想史としてもたいへん興味深く読めると思います。

★『パウリ=ユング往復書簡集1932‐1958』は、二人の著書『自然現象と心の構造――非因果的連関の原理』(河合隼雄訳、海鳴社、1976年)でユングが論じている共時性(シンクロニシティ)をめぐる重要書の待望の邦訳。「この書簡集は、パウリが物理学者として共時性の考え方を強く支持していたことを明らかにしている」と湯浅泰雄さんは解説で指摘されています(333頁:生前に執筆されたもの)。底本は1992年にシュプリンガー・フェアラークから刊行されたC・A・マイヤー編のドイツ語原版ですが、日本語版では新たな校訂作業を行ない、独自に注を付したとのことです。関連書として湯浅さんによる『ユング超心理学書簡』(白亜書房、1999年)があります。なお、ユングの新刊としてはまもなく『心理療法の実践』(横山博監訳、大塚紳一郎訳、みすず書房)が発売されます。

★クブラー『時のかたち』は、『The Shape of Time: Remarks on the History of Things』(Yale University Press, 1962)の全訳。「人のつくったすべての事物を芸術として扱うことで出現する単線的でも連続的でもなく、持続する様々な時のかたち。〔・・・〕革命的書物、宿願の初邦訳」と述べる岡﨑乾二郎さんによる推薦文全文と主要目次は版元さんのサイトに掲出されています。「本書の目的は、シリーズやシークエンスのなかで持続する形態学的問題に注意を向けることにある。これらの問題は意味やイメージとは独立して生じる」(7頁)。「あらゆる事物はそれぞれに異なった系統年代に起因する特徴を持つだけでなく、事物の置かれた時代がもたらす特徴や外観としてのまとまりを持った複合体となる」(193頁)。「すべての事物は時とともに変化し、場所によっても変化する。私たちには、様式概念が想定するような不変の特質にもとづいて、どこかに事物をとどめおくことはできない。〔・・・〕事物における持続とその位置づけを視野に入れると、私たちは、生きた歴史のなかに、移行する関係、過ぎゆく瞬間、変わりゆく場所を見出すことができる」(247~248頁)。「出来事はすべて独自なのだから分類は不可能だとするような非現実的な考え方をとらず、出来事にはその分類を可能とする原理があると考えれば、そこで分類された出来事は、疎密に変化する秩序を持った時間の一部として群生していることがわかる」(189頁)。SD選書なので建築論の書棚に置かれると思うのですが、本書は建築論や芸術論の枠組みを超えており、哲学書のような印象があります。

★スカウ『驚くべきCIAの世論操作』は、『Spooked – how the CIA manipulates the media and hoodwinks Hollywood』(Skyhouse, 2016)の訳書。CIAが政府当局の機密情報を隠したり、印象操作のために、海外メディアや大手メディア、そしてハリウッドなどと通じてせっせと活動していることが暴かれています。従軍記者が国防総省の宣伝ボランティアに成り下がったり、悪名高いグアンタナモ収容所での虐待事件の隠蔽工作やそれを暴いたジャーナリストがマスコミから抹殺された次第なども書かれています。まもなく集英社新書で『スノーデン 監視大国 日本を語る』が発売となるので、併せて読むとたいへん涼しくなりそうです。

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by urag | 2018-08-15 19:55 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 14日

注目新刊:ホフスタッター『わたしは不思議の環』、デネット『心の進化を解明する』、ほか

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★6月下旬から7月に発売された新刊で今まで言及できていなかった書目を列記します。

症例でわかる精神病理学』松本卓也著、誠信書房、2018年7月、本体2,700円、A5判並製300頁、ISBN978-4-414-41644-2
わたしは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター著、片桐恭弘/寺西のぶ子訳、白揚社、2018年7月、本体5,000円、菊判上製620頁、ISBN978-4-8269-0200-7
心の進化を解明する――バクテリアからバッハへ』ダニエル・C・デネット著、木島泰三訳、青土社、2018年7月、本体4200円、四六判上製712+33頁、ISBN978-4-7917-7075-5
思弁的実在論と現代について――千葉雅也対談集』千葉雅也著、青土社、2018年7月、本体1,800円、四六判並製316+iv頁、ISBN978-4-7917-7080-9
絶望する勇気――グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』スラヴォイ・ジジェク著、中山徹/鈴木英明訳、青土社、2018年7月、本体2,800円、四六判並製507頁、ISBN978-4-7917-7086-1
新世界秩序――21世紀の“帝国の攻防”と“世界統治”』ジャック・アタリ著、山本規雄訳、作品社、2018年7月、本体2,400円、四六判上製358頁、ISBN978-4-86182-702-0
異議申し立てとしての宗教』ゴウリ・ヴィシュワナータン著、三原芳秋編訳、田辺明生/常田夕美子/新部亨子訳、みすず書房、2018年7月、本体6,000円、四六判上製464頁、ISBN978-4-622-08662-8
解釈学』ジャン・グロンダン著、末松壽/佐藤正年訳、文庫クセジュ:白水社、2018年7月、本体1,200円、新書判並製184頁、ISBN978-4-560-51021-6
山頭火俳句集』夏石番矢編、岩波文庫、2018年7月、本体1,060円、文庫判並製544頁、ISBN978-4-00-312111-5

★まずは心、意識、病いをめぐる三冊。松本卓也『症例でわかる精神病理学』は様々な精神障害の症例を精神病理学の観点から解説したもの。注目の若手による入門書で、1ヶ月足らずですでに重版がかかっています。「「精神」が物質的な身体(脳)や心理(こころ)と関係をもちながらも、「精神」と呼ぶよりほかない人間独自の領域を形づくっていることも理解できるようになるはずです」(「まえがき」iv頁)。「精神病理学が目指すのは、患者さんの主観的な体験に寄り添い、それに言葉を与えていくための手助けをすることにほかなりません」(同、v頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。あとがきによれば「書き足りないことがまだ山ほどある」とのことで、続篇が期待できそうです。

★松本さんは、後段で取り上げる千葉雅也さんの対談集『思弁的実在論と現代について』に収められた、松本=千葉対談「ポスト精神分析的人間へ――メンタルヘルス時代の〈生活〉」でもこう述べています。「他者と向かい合ったときに、いったん、了解してみる、その重要性が増しているように思えます」(277頁)。「人間学的精神病理学では、その人が生きている生活世界のなかで、その人がどういうふうに存在しているのか見ていく。そこに豊かな知が生まれる可能性があるわけです」(同)。『症例でわかる精神病理学』における臨床のスタンスと同様のものを感じます。

★ホフスタッター『わたしは不思議の環』は2005年に再刊された2点、20周年記念版『ゲーデル、エッシャー、バッハ』と新装版『メタマジック・ゲーム』(ともに白揚社)以来の新刊で、完全新作としては久しぶりのもの。原書は『I Am a Strange Loop』(Basic Books, 2007)。「つまるところ、自己を自覚し、自己を発明して、蜃気楼に囚われているわれわれは、自己言及が生みだしたささやかな奇跡だ」(550頁)。「われわれ人間は〔・・・〕虹や蜃気楼に似た存在であり、自分で自分を表現する気まぐれな詩でもある。〔・・・〕時によってはことのほか美しい詩なのだ」(550~551頁)。探せば探すほどバラバラになり中心が希薄となる「私」という意識をめぐる、この知的冒険の書は、10代の頃からこの主題に取り憑かれていたというアメリカの認知科学者ホフスタッター(Douglas Richard Hofstadter, 1945-)にとってライフワークであると言っても良いと思います。『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の日本語訳書の副題が原題の「永遠の黄金の組ひも」ではなく「あるいは不思議の環」とされていたことは実に因縁深いです。主題から言っても『わたしは不思議の環』は『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の正当な続篇と見るべきでしょう。

★デネット『心の進化を解明する』は『From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds〔バクテリアからバッハへの往還路――心の進化〕』(W. W. Norton, 2017)の訳書。ホフスタッターの盟友であり、共著書(『マインズ・アイ』)もあるアメリカの哲学者デネット(Daniel Clement Dennett Ⅲ, 1942-)の最近作です。「本書の内容は、私たちの心がいかに存在するに至ったか、私たちの脳がその驚異のわざを生みだすのはいかにしてか、それにとりわけ、心と脳について、暗に潜む哲学的罠の数々に引っかからずに考えるにはどうすべきか、といった問題に関する、今のところ最善の科学的説明の素描であり、またその根幹となるものである」(12頁)。序論ではホフスタッターの『わたしは不思議の環』への言及があります。「〔『わたしは不思議の環』は〕心というものを、複数の円環から自らを組み立てるものとして描く。〔・・・〕一読をお薦めする。想像力がローラーコースターに乗せられ、たくさんの驚くべき真理を学べること請け合いである。本書での私の物語は、それよりもさらに大きな循環過程から成り立っている。その過程がホフスタッターのような心を、単なる諸分子に過ぎないものから生みだしたのである。この作業は循環的なものなので、私たちはどこか中くらいの地点から出発して、何周も循環を繰り返さなくてはならない」(30頁)。訳者や版元さん同士が示し合わせたわけではないだろうとは思いますが、ホフスタッターとデネットの本がほぼ同時期に発売されたのは実に意義深いです。

★千葉雅也『思弁的実在論と現代について』は、2013年から2016年の間に各誌で発表されてきた対談をまとめたもの。巻頭の書き下ろしの「序」での説明を参考にすると、第Ⅰ部「思弁的実在論」は広義のポスト・ポスト構造主義をめぐる、小泉義之、清水高志、岡嶋隆佑、A・ギャロウェイの各氏との対談であり、「思弁的実在論入門」として読むことができる、とのことです。第Ⅱ部「現代について」は現代社会や文化をめぐる、いとうせいこう、阿部和重、墨谷渉+羽田圭介、柴田英里+星野太、松本卓也、大澤真幸+吉川浩満の各氏との対談を収めており、こちらは千葉さんのデビュー作『動きすぎてはいけない』の応用編として読める、と。千葉さんは自著と絡めてこう書いています。「思弁的実在論とは、我々人間とは無関係に、事物がそれ自体として独立的に実在するということを論じる、現代の哲学的立場です。私は思弁的実在論を、一種の「無関係の哲学」として捉えています。人間とは無関係の、あるいは非人間的な、外部の方へ向かうこと」(12頁)。「私は『動きすぎてはいけない』で、「接続過剰から非意味論的切断へ」というテーマを掲げました。自分と他者との間にあまりにも多い関係性、そして、そこに生じるあまりにも多い責任を想定すると、我々は何もできなくなる。というのは、何か行為をするにあたって考慮すべきパラメーターが無限化し、行為に移れないからです。〔・・・〕自分と他者をある程度は「無関係化」しなければ、利他的に何かをすることはできない」(17頁)。

★切断と無関係化の重要性に関しては、いとうせいこうさんとの対談「装置としての人文書――文学と哲学の生成変化論」での次のやりとりが印象的でした。

千葉 〔『動きすぎてはいけない』の「序――切断論」では〕僕としてはむしろ「憑依されすぎ」の恐ろしさからどうやってギリギリ身を守るかの方を強く言ってるんです。
いとう 憑依は千葉雅也自身に起きているの?
千葉 僕がそういうタイプなんです。〔・・・〕
いとう 『動きすぎてはいけない』というのは千葉くん自身の悪魔祓いの本なんですね(笑)。
千葉 そうです(笑)。

★このあと、いとうさんの16年間の「書けない状況」の話が続いていくのですが、陳腐ではありえない生々しい人生論が哲学と文学との狭間に湧出するのはこの二人の対談だからこそだろうと感銘を覚えました。なお、大澤真幸さんと吉川浩満さんとの対談「絶滅と共に哲学は可能か」は、吉川さんの新刊『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社、2018年7月)でも収録されています。

★ジジェク『絶望する勇気』は、『The Courage of Hopelessness: Chronicles of a Year of Acting Dangerously』(Penguin Books, 2017)の訳書。訳者あとがきでも触れられていますが、原著の表紙ではこの題名の中に隠れている「AGE OF HOPE」の部分に赤い取り消し線が引かれてるのがシンボリックです。「序論――『V フォー・ヴァンデッタ パート2』」にはこう書かれています。「20世紀のコミュニズムから得られる教訓は、われわれは絶望を全面的に受け入れる力をつけなければならない、ということである。ジョルジョ・アガンベンはあるインタビューのなかで「思考とは絶望する勇気である」と述べている。今日では、きわめて悲観的な現状分析でさえ、いわゆるトンネルの出口を示すなんらかの光を意気揚々とほのめかして終わるのが常となっているが、こうした時代状況にあって、このアガンベンの明察はとりわけ重要な意味をもっている。真の勇気とは、代替案を想像することではなく、明確に述べられるような代替案は存在しないという事実から帰結することを受け入れることである。代替案という夢をいだくことは理論的思考が臆病であることの証拠であり、そうした夢は、われわれが袋小路に陥ったみずからの苦境について最後まで考え抜くことを妨げるフェティッシュとして機能する。要するに、真の勇気とは、トンネルの先に見える光は反対側からわれわれのほうに近づいてくる別の列車のヘッドライトかもしれない、ということを認めることなのだ」(11頁)。

★ちなみにこのアガンベンのインタヴューというのは、フランスの「テレラマ」誌へ2012年3月に掲載された、ジュリエット・セルフによるインタヴュー記事「Le philosophe Giorgio Agamben : "La pensée, c'est le courage du désespoir"」のことかと思われます。これは「テレラマ」誌のウェブサイトで読むことができますし、英訳版がアメリカの版元ヴァーソのブログに「Thought is the courage of hopelessness: an interview with philosopher Giorgio Agamben」として掲出されています。このインタヴューでアガンベンは、おおよそ次のように発言しています。「自分はペシミストだと言われるがそんなことはまったくない。そもそも悲観論だの楽観論だのは思考とは無関係だ。ドゥボールがよく引用していた言葉だが、マルクスは《私が生きている社会の絶望的状況はむしろ私を希望で満たす》と言っている。あらゆるラディカルな思考は絶望というもっとも厳しい立場を常に取るものだ。シモーヌ・ヴェイユは《虚しい希望で胸中を温めようとする人々を私は好きになれない》と言った。思考は、私にとって端的に言って、絶望の勇気だ」(英訳版より趣意)。

★ジジェクの本に返ると、グローバル資本主義は四種の困難に見舞われていると言います。原理主義やテロリズムの脅威、中国やロシアなどとの地政学的緊張、ヨーロッパにおける急進的政治運動、難民の流入。類似する問題は国際社会の一員として日本も抱えており、厳しい分析から再出発することの重要性はこの国でも変わりません。副題にあるグローバル資本主義・原理主義・ポピュリズムをめぐるジジェクの議論に耳を傾けるべきかと思われます。

★アタリ『新世界秩序』は『Demain, qui gouvernera le monde ?』(Fayard, 2012)の訳書で、日本語版序文として巻頭に「30年後の新世界秩序はどうなっているか?――帝国の攻防と世界のカオス化のなかで」が付されています。ジジェクの本と同様にアタリの本においても資本主義社会のひずみが論じられているのですが、アタリの本は古代から現代に至る世界秩序の形成と変容を概観しつつ21世紀を占っており、ジジェク以上に多い観点から様々なカタストロフの可能性を分析しています。ジジェクと明確に異なるのはアタリの場合、実務家として最終章で3つの戦略と10の方策を示していることです。これはアタリがオプティミストであることの証左だというよりは、完璧な回答やゴールではないにしても構想として方向性は示すことができる、という彼の明確な問いかけだろうと感じます。実際にアタリの提言は、日本の行政と政治がどうあるべきかを考える上で重要であるだけでなく、たとえば、出版業界の危機をどう乗り越えるかを考える場合の理念的指標としても読み替えたり応用することができそうです。

★ヴィシュワナータン『異議申し立てとしての宗教』は日本語版独自編集本で、単行本としては著者の初訳本です。「世俗批評を越えて」「世俗批評としての改宗」「異端批評に向けて」の三部構成で、1998年から2014年に発表された7本の論考と、2013年に来日した際に収録されたインタヴューを収録。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者については編訳者の三原さんによる「まえがき」に詳しいです。ヴィシュワナータン(Gauri Viswanathan, 1950-)はインド生まれの比較文学研究者で、コロンビア大学で教鞭を執っています。サイードに師事した彼女は「サイードの愛弟子にして後継者」(まえがき)であり、サイードのインタヴュー集『権力、政治、文化』(上下巻、大橋洋一ほか訳、太田出版、2007年)の編者もつとめています(同訳書での表記は「ゴーリ・ヴィスワナタン」)。『異議申し立てとしての宗教』では、著者のデビュー作『征服の仮面』(1989年)以降の、第二作『群れをはなれて』(1998年)の出版時期から近年までの仕事と関心のエッセンスを、三原さんによる懇切な解題とともに見渡すことができます。著者は現在、『ブラヴァツキー夫人を求めて』という著書を準備中で、インタヴューでは「デリダとブラヴァツキー夫人にかんするチャプターは書き上がっています」(382頁)とのことです。今回の新刊においても第三部に収められた2篇の論考が神智学を題材にしており、異他的思想(heterodoxy)をめぐる彼女の考察の一端を窺うことができます。

★グロンダン『解釈学』は2006年刊『L'herméneutique』の翻訳。底本は2017年の第4版です。シュライエルマッハー、ディルタイ、ハイデガー、ブルトマン、ガダマー、リクール、ローティー、ヴァッティモらが取り上げられています。ガダマーと対決した人物としてハーバーマスやデリダにも論及があります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。グロンダン(Jean Grondin, 1955-)はカナダの哲学者。文庫クセジュではこれまでに彼の『ポール・リクール』(杉村靖彦訳、2014年)と『宗教哲学』(越後圭一訳、2015年)が翻訳されています。

★『山頭火俳句集』は種田山頭火(1882-1940)の俳句を1000句と、日記、随筆を収めたもの。俳句は本書の3分の1強の分量で、本書では山頭火の生きざまと俳句を読み解くための文書をふんだんに載せているのが特徴と言えそうです。巻末に編者による解説、略年譜、俳句索引が付されています。俳句索引は有名句(「分け入つても分け入つても青い山」38頁、「鉄鉢の中へも霰」56頁)をはじめ、うろ覚えの句を探すのにも便利です。ちなみに文庫で読める山頭火の句集には、 村上護編『山頭火句集』(ちくま文庫、1996年)や、同氏編『山頭火句集』(山頭火文庫、春陽堂書店、2011年)などがあります。

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by urag | 2018-08-14 14:37 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 08日

ブックツリー「哲学読書室」に小倉拓也さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の1本が新たに追加されました。『カオスに抗する闘い――ドゥルーズ・精神分析・現象学 』(人文書院、2018年7月)の著者、小倉拓也さんによるコメント付き選書リスト「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」です。以下のリンク先一覧からご覧になれます。


◎哲学読書室

1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く
31) 小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊

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by urag | 2018-08-08 10:33 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 06日

注目新刊:『新約聖書 本文の訳 携帯版』と『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』、ほか

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新約聖書 本文の訳 携帯版』田川建三訳、作品社、2018年7月、本体1,800円、A6判並製496頁、ISBN978-4-86182-709-9
サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』植木雅俊訳・解説、角川ソフィア文庫、2018年7月、本体1,160円、文庫判並製432頁、ISBN:978-4-04-400409-5

★田川建三訳『新約聖書 本文の訳 携帯版』は、A5判の保存版と同時発売。頁割は保存版も携帯版も同様なので、老眼の始まった読者には携帯版は日本聖書協会版に比べてやや辛い文字の小ささですが、巻頭の訳者による「はじめに」からインパクト充分で惹き込まれます。なにせ書き出しは「新約聖書と呼ばれてきた書物は、本当はもちろん「聖書」ではない。こんなことは誰でもよく知っているはずのことである」(3頁)です。聖書を「人間が書いたもの」「あくまでも人間の歴史の記録」として捉える田川訳にふさわしい出だしだと思います。「これは、あなた方〔教会〕の所有物ではないし、あなた方が勝手に私物化してよいものでもない。それはすべての人々に、よけいな粉飾なしに、ありのままの姿で、公開されないといけない。だから我々は、ここで、新約の諸文書を教会の壁の外に解き放って、多くの読者の方々が普通に読み、普通にその実態にふれることのできるような姿で、提供することにした。ここにあるのは、後一世紀、まだキリスト教なるものが固定的な形をなしていなかった時代に、何らかの形でキリスト教にかかわった人々によって書かれたさまざまな文書を集めたものである」(同)。

★本書は、2007年から2017年にかけて田川さんが上梓した『新約聖書 訳と註』の本文訳を「もう少し日本語としてわかり易いように、ある程度」「改め、ないし語を補」ったもので、「どのみち訳文だけでは不十分なので、訳文の流れをひどく邪魔しない程度に、かなり多く註をつけておいた」とのことです。巻末には各文書についての解説が付されています。聖書の新訳自体がひとつの戦いであることを改めて示して下さった途方もない一書です。

★『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』の訳者の植木さんは画期的な『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、岩波書店、2008年)で毎日出版文化賞を受賞され、その後に同訳書の現代語訳のみを取り出して「日本語らしい文章にすることに努めた」という普及版上下巻を岩波書店から2015年に上梓し、さらに今春にはNHK-Eテレ「100分de名著」における法華経の講義で好評を博した方です。その植木さんによる法華経の最新縮訳版が本書。縮訳というのは、「重複した箇所をバッサリと割愛し、過剰な修飾語や形容詞、過剰な述語動詞の羅列は簡略化した」もの。「全27章のストーリー展開をスムーズに読みやすく現代語で縮訳。時代背景も考慮しながら、経典の意味を改めて掘り起こし、詳細な解説と注を章ごとに収録。全体像を的確に理解したい人必携の入門書」(カバー表4紹介文より)と謳われています。法華経のドラマティックな展開の数々が通読しやすくなったのはたいへんに重要です。

★偶然とはいえ、新約聖書の新訳と法華経の縮訳がともに7月に文庫版で発売されたことに強い感銘を覚えます。文庫本が日本で生まれてから約90年、このハンディさが読書を変えてきました。文庫本は取次において正味が単行本より低く設定されたり、月々の定期的な刊行が基本だったりするのですが、第5次ブームからはや20年、いよいよ参入障壁が取り払われるべき時が来たように思います。中小版元が自由に文庫本を作って売ることができるなら、文庫はもっと面白くなりうると個人的には予感しています。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

牛たちの知られざる生活』ロザムンド・ヤング著、石崎比呂美訳、アダチプレス、2018年7月、本体1,600円、四六変型判上製176頁、ISBN978-4-908251-08-5
カズオ・イシグロの視線――記憶・想像・郷愁』荘中孝之/三村尚央/森川慎也編、作品社、2018年7月、本体2,800円、四六判上製342頁、ISBN978-4-86182-710-5
エロシマ』ダニー・ラフェリエール著、立花英裕訳、藤原書店、2018年7月、本体1,800円、四六上製200頁、ISBN978-4-86578-182-3
ビーマイベイビー――信藤三雄レトロスペクティブ』信藤三雄著、平凡社、2018年8月、本体3,200円、A5変型判並製328頁、ISBN978-4-582-20713-2

★ヤング『牛たちの知られざる生活』は『The Secret Life of Cows』の訳書。原著初版は2003年にGood Life Pressから刊行され、その後の「農場の状況をより反映するように、一部に加筆と改訂を行って」(巻頭の「著者からのひとこと」)2017年にFaber & Faberより再刊されたとのことです。再刊のきっかけとなったイギリスの作家アラン・ベネットの回想録の一部が序文として掲載されています。「冗談どころか、これはまぎれもなく牛について書かれた本だ、とても楽しい本だが、牛が(そして羊や鶏も)一般に考えられているよりはるかに知恵のある聡明な生き物だと知らされると、多くの牛たちが置かれている境遇を考えて、ちょっともの悲しい気分にもなる。これはそういう本だ。これまでの物の見方をがらりと変えてくれる」(12頁)。帯文の文言をアレンジしつつお借りすると本書は、イギリスのオーガニック農場「カイツ・ネスト・ファーム」で暮らす牛たちの日常と事件を、女性経営者が愛情豊かに描いたエッセイ。イギリス各紙で2017年のベストブックに選ばれています。版元さんのサイトで試し読みができます。

★『カズオ・イシグロの視線』は12篇のイシグロ論を収録。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。共編者の三村さんによる巻頭の「まえがき」によれば、「はじめの8篇は作品の各論として、これまでに刊行された7つの長編と1つの短編集のそれぞれを出版年順に取り上げて論じて」おり、「後半では個々の作品を超えた作家イシグロの全体像、あるいは日本とイギリスの中間的存在としてのイシグロが双方の文化的文脈の中で持つ意味、そして文学作品を用いた人文学教育の題材としての可能性にも眼を向けている」とのことです。巻末に「カズオ・イシグロ作品紹介」「カズオ・イシグロ年譜」「カズオ・イシグロより深く知るための文献案内」が資料として付されています。なお、各ネット書店に掲出された情報によれば、本書に関わった方々を中心に、『カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む』という論集が水声社さんより9月に刊行予定のようです。

★ラファリエール『エロシマ』は『EROSHIMA』(VLB éditeur, 1987)の訳書。巻頭に置かれた著者による「一つの季節――日本の読者へ」によれば、本書は1985年のデビュー作『ニグロと疲れないでセックスする方法』(立花英裕訳、藤原書店、2012年)の一部として挟み込まれる予定だった小説の原稿が、編集者のアドバイスにより独立した一冊になったもの、とのことです。編集者のなかなか美しい感想が著者を動かしたわけですが、その一言については店頭で本書をご確認ください。なお目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「午前八時。十五分後に終わりが来るのだ。俺は憤っているわけではない。ただ、思わないではいられない。あの瞬間以後、我々のなすことはことごとく――どんなありきたりの身振りであろうと――原子爆弾の威嚇の下にある。いまこの瞬間、我々がなしていること全て――たとえ、それが読書であろうとも――原子爆弾との関係からまぬがれないのだ」(21頁)。

★『ビーマイベイビー――信藤三雄レトロスペクティブ』は、現在世田谷文学館で開催中の同名展覧会の公式図録(9月17日まで)。アートディレクターの信藤三雄(しんどう・みつお:1948-)さんの手掛けたレコード、CD、ポスター、写真、等々を約1000点掲載しています。横山剣さん、小西康陽さん、リリー・フランキーさんらの特別インタヴューや、スタイリストの伏見京子さんとクリエイティヴディレクターの米津智之さんの対談も併載。日本の音楽業界におけるグラフィックデザイン現代史をひもとくうえで欠かせない資料と言えそうです。

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by urag | 2018-08-06 01:37 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 29日

注目新刊:新鋭によるドゥルーズが目白押し『眼がスクリーンになるとき』『カオスに抗する闘い』、ほか

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眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』福尾匠:著、フィルムアート社、2018年7月、本体2,200円、四六版並製304頁、ISBN978-4-8459-1704-4
カオスに抗する闘い――ドゥルーズ・精神分析・現象学』小倉拓也:著、人文書院、2018年7月、本体4,500円、4-6判上製366頁、ISBN978-4-409-03100-1
ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』仲正昌樹:著、作品社、2018年7月、本体2,000円、46判並製448頁、ISBN978-4-86182-703-7

★7月26日発売で3点のドゥルーズ論が刊行されています。そのうち、まず2点のデビュー作から。まず1点めの『眼がスクリーンになるとき』は、ドゥルーズの『シネマ』をめぐる修士論文を大阪大学に昨年提出した福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さんによる書き下ろし。修論の直後に現代美術展「クロニクル、クロニクル!」の関連イベントとして行われたレクチャー「5時間でわかるドゥルーズ『シネマ』」が本書執筆のきっかけとなっているとのことです。帯文には千葉雅也さんの推薦文が記載されています。曰く「目からウロコの超解読」と。

★『シネマ』は哲学書であり、映画に喚起された諸概念を発明している、と福尾さんは述べます(287頁)。「理論と実践の分割などでなく、映画も哲学も固有の「思考」をそなえた実践である。できあいの理論を「適用」するのでなく〔…〕、「見たままの〔リテラルな〕イメージしか信じない」という態度が必要とされている」(同)。これは適用主義を避けるための前提であり、「物の知覚」という境位を示している(同)。「このリテラルなイメージの全面化は破局的でもある。身動きが取れず、見ていることしかできず、思考は不可能性に直面し……といった一連の不可能性と切り離せないからだ」(287~288頁)。「われわれが〔…〕考えてきたのは、この破局はいかにして回避されうるのかということだ」(288頁)。「本書は「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれる」(11頁)。これは現代人にとっても非常にアクチュアルな問題だと思います。

★二つめ。福尾さんのあとがきの謝辞に登場する小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さんも、大阪大学に3年前に提出された博士論文を改稿した『カオスに抗する闘い』を上梓されました(ちなみに福尾さんは『眼がスクリーンになるとき』第五章の注6において小倉さんの博士論文に言及し、参考文献にも掲げています)。小倉さんのあとがきの謝辞には今度は福尾さんが登場するのですが、親愛の情に溢れているという印象です。小倉さんの著書は「ドゥルーズ哲学を、晩年に前景化する「カオスに抗する闘い」という観点から体系的に読解するもの」(20頁)。ドゥルーズ哲学の「秘密の一貫性」を明らかにし、その哲学を新たな相貌のもとに(21頁)捉える試みです。「ドゥルーズ哲学をその総体において捉えるなら、表象=再現前化の批判によって見いだされる下-表象的なものとしてのシステムは、そもそも「カオスに抗する闘い」によってはじめて存立可能となるものなのである」(22頁)。

★「思考は自分自身から逃れ去り、観念は漏出し、感覚は要素を取り逃がし、何ひとつとどまることなくほどけていく。カオスから出来したものたちの、カオスへの不可逆的な崩壊。これが『哲学とは何か』における「老い」の問題である」(26~27頁)。「カオスに抗する闘い」は「私たちが生まれて、生きて、死んでいく存在であるかぎり、敗北を余儀なくされた、勝ち目のない闘いなのである。だからこそドゥルーズは、カオスを切り抜け、崩壊を乗り越える、「「来るべき民衆」の影」――それは「影」でしかない――を幻視することで、『哲学とは何か』を閉じることになる」(27~28頁)。「カオスに抗する闘いとは、経験を構成しうる諸要素が、現れると同時に消えていき、いかなる形態もなすことがない、そんな空虚から、様々な程度の一貫性――局所的なもの、大域的なもの、開かれたもの――を構築し、それらをシステムと呼ばれるものへと総合すること、そして、そのような構築や総合が破綻し、空虚へと落下する危機には、それに反発し、最小限の一貫性を保持することである」(355頁)。老いて疲労していくドゥルーズに果敢に向き合いつつ、そこから生々しい力を引き出した労作ではないでしょうか。

★最後に、仲正昌樹『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』は、2016年9月から2017年2月に読書人スタジオで行われた全6回の連続講義に大幅加筆したもの。主要目次は以下の通りです。

はじめに
講義第一回 新たなる哲学のマニフェスト――第一章
講義第二回 精神分析批判と家族――第二章第一節~第六節
講義第三回 エディプス・コンプレックスの起源――第二章第七節~第三章第三節
講義第四回 資本主義機械――第三章第三節後半~第一〇節
講義第五回 「分裂分析」と「新たな大地」への序章――第三章第一一節~第四章第三節
講義第六回 分裂しつつ自己再生し続ける、その果て――第四章第四節~第五節
あとがき
わけのわからない『アンチ・オイディプス』をよりディープに理解するための読書案内
『アンチ・オイディプス』関連年表

★『アンチ・オイディプス』の分かりにくさをめぐって、400頁を超えるヴォリュームで丁寧に解説を加えた本書は、1頁あたりの文字数も多いのでかなり読み応えがあります。『千のプラトー』に比べても『アンチ・オイディプス』が難解である理由の一端を、仲正さんは次のように説明されています。「恐らくドゥルーズ+ガタリの認識では、「エディプス」言説は、西洋の知識人、特に精神分析や構造主義、現象学などを学び、そのスタイルを取り入れた、エリート知識人たちの思考・表現様式を――本人たちが自覚しないうちに――かなり深いところまで規定しており、彼らにとっていつの間にか半ば常識化している。教科書的にきれいに記述すると、彼らの“常識”に揺さぶりをかけることができず、素通りされてしまう可能性がある。あまりに文学的、場合によっては、(私たちが生きる社会で)“狂気”と見なされるような言葉でないと、響かないかもしれない。それらの効果を計算に入れて、全体の流れが構成され、文体が選択されているように思える」(3頁)。

★仲正さんの講義は昨年末に発売された、佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんのお二人による『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチエ、2017年)とは対照的で、ドゥルーズとガタリのコンビを「革命」の方向性では読んではいません。そうした読解は、後半の第四回から第六回の講義と質疑応答から窺えると思います。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

誰のために法は生まれた』木庭顕:著、朝日出版社、2018年7月、本体1,850円、四六判並製400頁、ISBN978-4-255-01077-9
労働者のための漫画の描き方教室』川崎昌平:著、春秋社、2018年7月、本体1,800円、四六判並製472頁、ISBN978-4-393-33363-1
暴力とエロスの現代史――戦争の記憶をめぐるエッセイ』イアン・ブルマ:著、堀田江理:訳、人文書院、2018年7月、本体3,400円、4-6判上製360頁、ISBN978-4-409-51078-0
原発事故後の子ども保養支援――「避難」と「復興」とともに』疋田香澄:著、人文書院、2018年8月、本体2,000円、4-6判並製276頁、ISBN978-4-409-24121-9
現代思想2018年8月号 特集=朝鮮半島のリアル』青土社、2018年7月、本体1,400円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1368-4

★木庭顕『誰のために法は生まれた』は、4月にみすず書房から『憲法9条へのカタバシス』を上梓し、遠からず『現代日本法へのカタバシス』(羽鳥書店、2011年)の新版を同じくみすず書房から刊行予定だというローマ法研究者による、親しみやすい一冊。2017年9月~11月にかけて横浜市の桐蔭学園で中高生を相手に行われた全5回の授業を記録したものだそうです。映画の「近松物語」(溝口健二監督、1954年)や「自転車泥棒」(ヴィットーリオ・デ・シーカ監督、1948年)、ローマ喜劇のプラウトゥス「カシーナ」および「ルデンス」、ギリシア悲劇のソフォクレス「アンティゴネー」および「フィロクテーテース」、さらには日本の最高裁の判例集などを題材に、中高生と「老教授」がざっくばらんな議論を交わします。ともすると現実離れしてしまいがちな法律をめぐる話を、人生に関わる視点で捉え直す、非常にしなやかな対話篇です。なお本書は同社の「高校生講義シリーズ」の最新刊とのことです。

★川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』は、これまでの川崎さんの執筆活動や編集者としての生きざまのエッセンスをすべて投入して昇華させた、入魂の一書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「はじめに」に曰く「本書の目標は、毎日を懸命に働く労働者に、漫画という表現手法を手にしてもらうという、その一点に尽きる。そのための思考を、全霊を賭して伝えるのが、本書の役割である」(3頁)。「別に私は「表現者になれ!」と主張しているのではない。そうではなく、労働者としてあり続けるためにも表現をしよう、表現者としての側面を自分に築いて、疲れた心身を蘇らせようと呼びかけたいのである」(5頁)。「忙しいという理由で、あなたは表現を放棄してはいけない。なぜならば、表現をしなければ、あなたは忙しい日々に漫然と殺されてしまうかもしれないからだ」(4頁)。試し読み小冊子で、本書の位置づけを「過酷な現代を生き延びるための「哲学書」」としているのは、なるほどなと思いました。

★イアン・ブルマ『暴力とエロスの現代史』は、2014年に刊行されたブルマの評論集『Theater of Cruelty: Art, Film, and the Shadows of War〔残酷の劇場――芸術、映画、そして戦争の影〕』に収録された全28篇から序文を含む15篇を選び、さらに各紙誌に寄稿した2篇を加えて一冊とした、日本版オリジナル編集本です。「戦争、その歴史と記憶」「芸術と映画」「政治と旅」の三部構成。ここ20年の間に発表されたものばかりです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。ブルマの鋭い批評精神は本書のもっとも初期のテクスト「被害者意識、その喜びと危険性」(1999年)にも如実に表れています。東アジア研究や中国現代史研究で著名なシュワルツ(Vera Schwarcz, 1947-)の著書『Bridge across Broken Time』(Yale University Press, 1998)に対して「これは非歴史的な本だ。犠牲者の歴史的な経験が、一種の「苦しみのスープ」に混ぜ合わされて調理されている」(33頁)と厳しく指摘しています。このテクストの末尾でブルマは「癒し」を求める言説や感傷主義に注意を喚起しつつ、真実とフィクションの区別を曖昧にすることの危険性に警告を発しており、こんにちの「ポスト・トゥルース」の議論を先どりしているように感じました。

★疋田香澄『原発事故後の子ども保養支援』はまもなく発売。福島原発事故以後の、保護者や子供たちへの支援活動のひとつである「保養」をめぐる本。保養とは転地療養であり「心身の健康回復を目的として汚染が少ない地域へ移動するプログラム」(11頁)である、自然体験やリフレッシュキャンプなどの活動。誰もが被ばくのリスクを不当に押し付けられない権利を持っているはずだ、という著者の信念のもと、参加者や支援者など様々な関係者らの肉声を紹介し、危険に常にさらされている人々とその社会が抱える様々な問題を取り上げています。カバーに使用されている写真の、橋の上でリュックを背に走り出す子供たちの背中が印象的です。

★『現代思想2018年8月号 特集=朝鮮半島のリアル』は、李鍾元+梅林宏道+鵜飼哲の三氏による討議「南北の平和共存と北東アジアの未来――南北首脳会談・米朝首脳会談はいかなる可能性を拓いたのか」にはじまり、北朝鮮、米朝交渉、核問題、脱北者、離散家族、ろうそく革命、フェミニズムなどの切り口から主題に接近する論考が並んでいます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『現代思想』9月号は特集「考古学の思想」、10月臨時増刊号は総特集「マルクス・ガブリエル(仮)」とのことです。

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by urag | 2018-07-29 23:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 27日

注目新刊:『レヴィナス著作集』全三巻完結、シャマユー『ドローンの哲学』

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★渡名喜庸哲さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
訳書と共訳書を立て続けに2点上梓されます。

レヴィナス著作集 3 エロス・文学・哲学
E・レヴィナス:著 ジャン=リュック・ナンシー/ダニエル・コーエン=レヴィナス:監修 渡名喜庸哲/三浦直希/藤岡俊博:訳
法政大学出版局 2018年7月 本体5,000円 A5判上製460頁 ISBN978-4-588-12123-4

ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争
グレゴワール・シャマユー:著 渡名喜庸哲:訳
明石書店 2018年8月 本体2,400円 4-6判並製352頁 ISBN978-4-7503-4692-2

まず『レヴィナス著作集 3 エロス・文学・哲学』は発売済。未刊行テクストを集成した著作集全3巻の完結編です。原著は『Oeuvres complètes, Tome 3:Eros, littérature et philosophie』(Grasset, 2013)。ナンシーによる序「序 レヴィナスの文学的な〈筋立て〉」のほか、哲学的小説の試みである「エロス(あるいは「悲しき豪奢」)」「ヴェプラー家の奥方」をはじめ、「エロスについての哲学ノート」や、青年期のロシア語著作など、注目すべきテクストばかりです。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。渡名喜さんはナンシーの序と「エロス」の翻訳を担当され、訳者あとがきも担当されています。なお、原著は全7巻予定で、4巻以後は既刊著作の最新校訂版が続いてゆくものと思われます。

一方、シャマユー『ドローンの哲学』はまもなく発売(7月31日頃)。『Théorie du drone』(La fabrique, 2013)の全訳です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。渡名喜さんによる懇切な訳者解題「〈無人化〉時代の倫理に向けて」シャマユー(Grégoire Chamayou, 1976-)はフランスの哲学者で、CNRS(フランス国立科学研究所)の研究員。指導教官はドミニク・ルクールだったそうです。著書に『卑しい身体――18世紀から19世紀にいたる人体実験』(2008年)、『人間狩り』(2010年)などがあり、日本語訳が出るのは今回が初めてです。「本書が対象にしているのは、ドローン全般ではなく、2000年代以降とりわけアメリカにおいて本格的に活用されている軍事兵器としてのドローンである。軍関係者や研究開発に携わる「推進派」の研究者たちの発言から、マスコミや批判的な立場の言説まで、幅広いリサーチに基づいて、遠隔テクノロジーによる殺害がどのような問題をはらんでいるのか、そしてそれが社会や人々に対して、さらにこれまで当然だと思われていたいくつもの考え方に対してどのような影響を及ぼすのかについて、根本的な考察を加える著作である」(266頁)と渡名喜さんは紹介しておられます。2018年下半期の必読書となるのではないでしょうか。

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by urag | 2018-07-27 12:44 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 22日

注目新刊:吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』河出書房新社、ほか

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人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』吉川浩満:著、河出書房新社、2018年7月、本体2,200円、46判並製360頁、ISBN978-4-309-02708-1
パンセ』パスカル:著、前田陽一/由木康:訳、中公文庫、2018年7月、本体1,400円、752頁、ISBN978-4-12-206621-2
白井晟一の原爆堂 四つの対話』岡﨑乾二郎/五十嵐太郎/鈴木了二/加藤典洋:著、白井昱磨:聞き手、晶文社、2018年7月、本体2,000円、四六判変型上製252頁、ISBN978-4-7949-7028-2

★『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』は、吉川浩満 (よしかわ・ひろみつ:1972-)さんが2012年、そして2015年から2018年にかけて各媒体で発表してきたエッセイ、インタヴュー、討議、評論、解説などに加筆訂正し、書き下ろしを加えて一冊にまとめたもの。書名はカール・マルクスの『資本論草稿』からの借用。「本書は、現在生じている人間観の変容にかんする調査報告書である〔…〕人間にかかわる新しい科学と技術についての要約と評論を集めた一冊になった」と、まえがきにあります。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。本書は著者がここ三年ほど執筆をつづけておられる『人間本性論』の副産物だそうです。

★「なぜいまさら人間(再)入門なのか? これから述べるように、近代の幕開けとともにかたちづくられた人間観が陰りをみせるとともに、最新の科学と技術が従来の人間観に改訂を迫りつつあるからである。/最新の科学として、本書はおもに進化と認知にかんする諸科学に注目する」(序章、12頁)。吉川さんが昨年編纂された『atプラス』第32号「特集:人間の未来」は本書とカップリングの関係にあると言っていいと思います。

★さらに吉川さんはこうも述べます。「フーコーは〔『言葉と物――人文科学の考古学』において〕、人間の終焉を告げる(当時の)新しい学問として、フロイトにはじまる精神分析とレヴィ=ストロースらの文化人類学とを挙げた。これらは近代における人間の定義であった合理性と主体性を切り崩す。〔…〕なにが起きているのか。人間についての経験論的な探究が、そうした探究の前提となっていた超越論的な想定を疑わしいものにする事態である。〔…〕フーコーの予言は的中しただろうか。見方にとって、そうともいえるし、そうでないともいえる。本稿の立場は、フーコーの予言はおおむね正しかったが、近代の人間観を終わらせるうえで大きな役割を演じたのは別のものである、というものだ。/では別のものとはなにか。20世紀なかばに科学技術の世界で起こった生命科学の発展と認知革命の進行という出来事である」(17~18頁)。これは、近代に発する人文学が知の革新において現代に生まれた科学にその主役の座を譲ったという単純な話では実はありません。

★「新しい人間本性論を考えることは、とりもなおさず、我々はどうありたいのか、どうあるべきかという課題を再設定することでもあるのである。/では19世紀に生まれた人間像の終焉後、21世紀の科学技術文明における人間本性論はどのようなものになるだろうか。/じつはすでにだいたいできあがっている。それは、人間とは不合理なロボットである、というものだ。これが進化と認知にかんする諸科学が与える人間定義である」(22頁)。帯文には「従来の人間観がくつがえされるポストヒューマン状況の調査報告書」とあります。人間観は実際のところ時代とともに変化し続けており、神学や哲学、そして科学はその都度、知の枠組みを更新してきました。哲学も科学もそのありようを変容させてきたわけで、そうした大きなうねりには文理の区別はありません。吉川さんの来たるべき『人間本性論』は科学にとってだけでなく哲学にとっても新たな基礎づけの条件を透視するものとなるのでしょう。『人間の解剖~』はそのプロレゴメナ、序説であると言えそうです。

★ちなみに版元サイトの単品頁では本書に対する東浩紀さんの推薦文が掲載されています。「ひとの定義が変わりつつあるいま、よきひととして生きることはいかに可能なのか。その指針を与えてくれる、当代屈指の読書家による細密で浩瀚なキーコンセプトガイド。必読!」。

★吉川さんが示唆された、生命科学と認知革命を知の分水嶺と捉える見方は、理論物理学者のデイヴィッド・ドイッチュ(David Deutsch, 1953-)が『実在の織物』(原著1997年、訳書『世界の究極理論は存在するか――多宇宙論から見た生命、進化、時間』林一訳、朝日新聞社、1999年、絶版)との関係においても、非常に興味深いのではないかと感じます。ドイッチュは多宇宙論を理解するための「四本の撚糸」として、エヴェレットの量子論、チューリングの計算理論、ダーウィン/ドーキンスの進化論、ポパーの知識/認識論、これらのハイブリッドを提示したわけですが、吉川さんがフォローされている諸領域と重なっていると感じます。吉川さんの言う二者の説明は以下の通りです。「ここで生命科学とは、進化学、遺伝学や医学など、進化と生命にかかわる科学と技術の複合領域を指す。認知革命とは、認知心理学、認知神経科学、行動経済学、人工知能研究など、人間・動物・機械の認知にかかわる諸科学を生んだ知的運動である」(18頁)。ドイッチュは世界像の探究、かたや吉川さんは人間像の探究、という違いはあれ、それらは深く関係し合っているのではないかと思われます。

★参考までにドイッチュの『実在の織物〔The Fabric of Reality〕』の目次を掲出しておきます。

まえがき
1 万物の理論
2 影の宇宙
3 問題と解決
4 実在の基準
5 仮想実在〔ヴァーチャル・リアリティ〕
6 計算の普遍性と限界
7 正しさの根拠(あるいは「デイヴィッド対隠れ帰納主義者」)
8 生命の宇宙的意義
9 量子コンピュータ
10 数学の本性
11 量子的な時間
12 タイムトラベル
13 四本の撚り糸
14 宇宙の終わり
訳者あとがき
参考文献

★同書は新刊では入手できませんが、2009年の『The Beginning of Infinity』の訳書『無限の始まり――ひとはなぜ限りない可能性をもつのか』(熊谷玲美/田沢恭子/松井信彦訳、インターシフト、2013年)は好評発売中です。

★パルカル『パンセ』は中公文庫プレミアムの最新刊。「知の回廊」と銘打たれたシリーズは「定評あるロングセラーを厳選し読みやすくした新版」で、手塚富雄訳のニーチェ『ツァラトゥストラ』がすでに発売されています。今回の新版では、1966年刊『世界の名著24』より年譜と索引(人名、重要語句)を加え、さらに巻末エッセイとして小林秀雄の「パルカルの「パンセ」について」(初出『文學界』1941年8月号)が掲載されています。帯文にある「人間とはいったい何という怪物だろう」というのは、第七章「道徳と教義」の断章434からの引用。当該段落の全文を引いておくと、「では、人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、 何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬の掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑」(307頁)。

★同断章の後段にはこうも書いてあります。「尊大な人間よ、君は君自身にとって何という逆説であるかを知れ。へりくだれ、無力な理性よ。だまれ、愚かな本性よ。人間は人間を無限に超えるものであるということを知れ。そして、君の知らない君の真の状態を、君の主から学べ。/神に聞け」(308頁)。「神は死んだ」(手塚訳『ツァラトゥストラ』17頁)と記した文献学者ニーチェと、「人は、神がなんであるかを知らないでも、神があるということは知ることができる」(断章233、175頁)と書いた科学者パスカル――この振幅のうちに思いを馳せるよう促されるこの時に、先に挙げた吉川さんの『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』が同じく新刊として書棚に並んでいるのを目撃するのは、何やら因縁めいたものを感じます。

★なお、中公文庫プレミアム「知の回廊」の続刊は、9月発売予定のデュルケーム『自殺論』宮島喬訳、です。

★『白井晟一の原爆堂 四つの対話』はまもなく発売(26日頃)。建築家・白井晟一(しらい・せいいち:1905-1983)さんが1955年に立案し、実際は建設されていない「原爆堂」をめぐる一冊。白井さん自身のテクストや図面、白井さんのご子息・白井昱磨(しらい・いくま:1944-)さんによる序、そして昱磨さんが聞き手となって、造形作家、建築史家、建築家、評論家の4氏とそれぞれ行った対話が収録されています。昱磨さんによるあとがきによれば本書は『白井晟一の建築』(全5巻、めるくまーる、2013~2016年)の別巻として当初構想されていたものが4氏の対話本へと発展したもの。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。帯文はこうです。「核の問題と対峙するアンビルトの傑作は3・11以後の世界に何を問うのか――。日本の戦後が抱えた欺瞞、福島第一原発の行方、新国立競技場問題、社会における建築家の役割、これからの建築について……。「原爆堂」をめぐり、知の領域を広げる新しい対話の試み」。先月には約1か月間、表参道のギャラリー「Gallery 5610」で、「白井晟一の『原爆堂』店 新たな対話にむけて INVITATION to TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES」が開催されていました。

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★さらに本日以降発売予定の新刊の注目書はほかにもあります。すべてを購読するのは無理でしょうけれども、要チェックであることには変わりありません。▼は発売済。※は押さえておきたい関連書です。

7月23日
スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気――グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』中山徹/鈴木英明:訳、青土社▼
稲垣諭『壊れながら立ち上がり続ける――個の変容の哲学』青土社▼
前田專學『インド的思考〈新版〉』春秋社▼

7月24日
川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』春秋社▼
堀越英美『不道徳お母さん講座――私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』河出書房新社
千葉雅也対談集『思弁的実在論と現代について』青土社
ダグラス・ホフスタッター『わたしは不思議の環』片桐恭弘/寺西のぶ子:訳、白揚社
ゴウリ・ヴィシュワナータン『異議申し立てとしての宗教』三原芳秋/田辺明生/常田夕美子/新部亨子:訳、みすず書房
田川建三『新約聖書 本文の訳 携帯版』作品社
小松和彦『鬼と日本人』角川ソフィア文庫
植木雅俊訳/解説『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』角川ソフィア文庫
中村元編著『続 仏教語源散策』角川ソフィア文庫
 ※中村元編著『仏教語源散策』角川ソフィア文庫、2018年1月
 ※中村元編著『仏教経典散策』角川ソフィア文庫、2018年2月

7月25日
和氣正幸『日本の小さな本屋さん』エクスナレッジ
クラウス・フォン・シュトッシュ『神がいるなら、なぜ悪があるのか』加納和寛:訳、関西学院大学出版会
小倉拓也『カオスに抗する闘い』人文書院
木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社
 ※木庭顕『憲法9条へのカタバシス』みすず書房、2018年4月

7月26日
福尾匠『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』フィルムアート社
松中完二『ソシュール言語学の意味論的再検討』ひつじ書房:ひつじ研究叢書(言語編)

7月27日
田中かの子『3・11――〈絆〉からの解放と自由を求めて』北樹出版

7月30日
時枝誠記『時枝言語学入門 国語学への道――附 現代の国語学 ほか』書誌心水

7月31日
伊藤龍平『何かが後をついてくる』青弓社
大橋良介『共生のパトス』こぶし書房
グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』渡名喜庸哲:訳、明石書店
池田善昭『西田幾多郎の実在論――AI、アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか』明石書店
 ※池田善昭/福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』明石書店、2017年7月

◆8月発売予定
1日:『パウリ=ユング往復書簡集 1932-1958』湯浅泰雄ほか:監修、太田恵ほか:訳、ビイングネットプレス
 ※ユング/パウリ『自然現象と心の構造――非因果的連関の原理』海鳴社、1976年
4日:ジョージ・クブラー『時のかたち――事物の歴史をめぐって』中谷礼仁/田中伸幸:訳、加藤哲弘:翻訳協力、鹿島出版会:SD選書
7日:ニコラス・スカウ『驚くべきCIAの世論操作』伊藤真:訳、集英社:インターナショナル新書
9日:黒川正剛『魔女・怪物・天変地異――近代的精神はどこから生まれたか』筑摩選書
12日:源信『往生要集 全現代語訳』川崎庸之/秋山虔/土田直鎮:訳、講談社学術文庫
12日:渡辺哲夫『創造の星 天才の人類史』講談社選書メチエ
16日:ウィリアム・ピーツ『フェティッシュとは何か――その問いの系譜』杉本隆司:訳、以文社
17日:ユング『心理療法の実践』横山博:監訳、大塚紳一郎:訳、みすず書房
17日:アン・ブレア『情報爆発――初期近代ヨーロッパの情報管理術』住本規子/廣田篤彦/正岡和恵:訳、中央公論新社
17日:永井均『世界の独在論的存在構造――哲学探究2』春秋社
 ※永井均『存在と時間――哲学探究1』文藝春秋、2016年3月
21日:中井久夫/村澤真保呂/村澤和多里『中井久夫との対話――生命、こころ、世界』河出書房新社
24日:稲葉振一郎『「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み』亜紀書房
 ※稲葉振一郎『政治の理論』中央公論新社:中公叢書、2017年1月
31日:冨田恭彦『カント批判――『純粋理性批判』の論理を問う』勁草書房
31日:リチャード・ローティ『ローティ論集――「紫の言葉たち」/今問われるアメリカの知性』冨田恭彦:編、勁草書房
31日:ジョン・R・ サール『社会的世界の制作――人間文明の構造』三谷武司訳、勁草書房

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by urag | 2018-07-22 11:34 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 18日

注目新刊:アガンベン『実在とは何か』、シモンドン『個体化の哲学』、ほか

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★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』『到来する共同体』)
★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
アガンベンさんの近著『Che cos'è reale?: La scomparsa di Majorana』(Neri Pozza, 2016)が上村忠男さんによって翻訳されました。附録の二篇、エットレ・マヨラナ「物理学と社会科学における統計的法則の価値」、ジェロラモ・カルダーノ『偶然ゲームについての書』は、前者が原著でも収録されていますが、後者は訳書において新たに付されたものです。アガンベンさんの論及があった重要テクストなので、全訳での収録はたいへん参考になります。

版元さんの内容紹介文によれば本書は「マヨラナの論文を手がかりにして、アガンベンは失踪の原因が「不安」や「恐怖」といった心理に還元されるべきものではなく、《科学は、もはや実在界を認識しようとはしておらず──社会科学における統計学と同様──実在界に介入してそれを統治することだけをめざしている》という認識にマヨラナが至ったことと関係している、という地点に到達する。その果てに見出されるのは、「実在とは何か」という問いを放つにはどうすればよいか、ということにほかならなかった」と。メイヤスーやガブリエル、マラブーらの新刊と併せてひもときたい本です。同書の議論との交差については、同じく講談社選書メチエで『AI原論――神の支配と人間の自由』を4月に上梓された西垣通さんと、メイヤスー本の訳者・千葉雅也さんの対談「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?」「AIが絶対に人間を超えられない「根本的な理由」を知ってますか」「AIが「人間より正しい判断ができる」という思想、やめませんか?」(「現代ビジネス」7月16~18日)が参考になります。アガンベンへの言及はないものの、問題圏は重なっています。

アガンベンさんは本書の末尾をこう結んでおられます。「ここでわたしたちが示唆しようと思う仮説は、もし量子論力学を支配している約束事が、実在は姿を消して確立に場を譲らなければならないということだとするなら、そのときには、失踪は実在が断固としてみずからを実在であると主張し、計算の餌食になることから逃れる唯一のやり方である、というものである。〔…〕1938年3月の夜、無のなかに消え去り、彼の失踪の実験的に明らかにしうるあらゆる痕跡を見分けがつかなくさせる決断をすることによって、彼は科学に、実在とは何か、という未済の、しかしまた避けて通るわけにはいかない回答をいまもなお期待している問いを提起したのだった」(45~46頁)。

実在とは何か マヨラナの失踪
ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳
講談社選書メチエ 2018年7月 本体1,350円 四六判並製176頁 ISBN978-4-06-512220-4

★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエス『論理学と学知の理論について』)
フランスの哲学者ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)による1958年の博士論文『L'Individuation à la lumière des notions de forme et d'information』がついに全訳されました。底本は2013年のMillon版の本論ですが(附録※は分量の都合で訳出されていません)、2017年版での変更箇所も反映されているとのことです。近藤さんは第一部「物理的個体化」の訳出と、結論の共訳、訳注の整理と調整を担当されたそうです。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。これを契機に副論文『技術的諸対象の実在様態について』の翻訳も期待したいところです。※附録・・・「個体化概念から帰結する事柄についての補足的な覚え書き」「個体概念の歴史」「個体性の基準の分析」「アラグマティック」「形、情報、ポテンシャル」の5篇で、それぞれ本論から割愛された部分や草稿や準備稿ですが、最後の「形~」のみ1960年の講演録。

個体化の哲学――形相と情報の概念を手がかりに
ジルベール・シモンドン著 藤井千佳世監訳 近藤和敬/中村大介/ローラン・ステリン/橘真一/米田翼訳
法政大学出版局 2018年7月 本体6,200円 四六判上製638頁 ISBN978-4-588-01083-5

★竹峰義和さん(訳書:メニングハウス『生のなかば』、共訳:シュティーグラー『写真の映像』)
先月末発売された岩波書店の月刊誌「思想 2018年7月号:ヴァルター・ベンヤミン」において、論文「サンチョ・パンサの歩き方――ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ」を寄稿されるとともに、ベンヤミンの「技術的複製可能性の時代における芸術作品――第一稿」の翻訳を手掛けておられます。ほとんどが抹消線で埋め尽くされた第一稿は、『新批判版全集』(2008年~)で活字化された新たな草稿で、『旧全集』(1972~1999年)の第一稿はこんにちでは第二稿とされています。ちなみに岩波現代文庫の『パサージュ論』全5巻(2003年;単行本版は93~95年)は第5巻を除いて現在品切で、岩波文庫の『ベンヤミンの仕事』2巻本(1994年)も品切。新全集に基づく新訳がいずれ刊行されることになるのでしょうか。

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by urag | 2018-07-18 15:59 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 16日

注目新刊:ついに刊行、イェーガー『パイデイア』、まず第Ⅰ~Ⅱ部収録の上巻から、ほか

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何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』栗原康著、角川書店、2018年7月、本体1,800円、四六判並製368頁、ISBN978-4-04-106125-1
感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2

★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。

★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。

★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。

★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。

★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。

★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。

★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。

★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。

★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。

◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り

日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order

内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。

★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。

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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。

パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9

★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。

★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。

★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。

★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。

★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。

★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。

★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。

★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。

★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。

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by urag | 2018-07-16 23:21 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 08日

注目新刊:ぷねうま舎版『死海文書』全12巻刊行開始、ほか

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死海文書 Ⅷ 詩篇』勝村弘也/上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、本体3,600円、A5判上製30+245+4頁、ISBN978-4-906791-82-8
訳注 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』松長有慶著、春秋社、2018年7月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-393-11346-2
処女崇拝の系譜』アラン・コルバン著、山田登世子/小倉孝誠訳、藤原書店、2018年6月、本体2,200円、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-177-9
菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』栗原康著、瀬々敬久・相澤虎之助原作、タバブックス、本体2,200円、四六判並製432頁、ISBN978-4-907053-25-3
NO BOOK NO LIFE Editor's Selection――編集者22人が本気で選んだ166冊の本』雷鳥社、2018年6月、本体1,500円、四六判並製256頁、ISBN978-4-8441-3737-5
文藝 2018年秋季号』河出書房新社、2018年7月、本体1,300円、A5判上製662頁、ISBN978-4-309-97949-6

★『死海文書 Ⅷ 詩篇』は全12巻中の第1回配本。「感謝の詩篇」勝村弘也訳、「バルキ・ナフシ」上村静訳、「外典詩篇」勝村弘也訳、「外典哀歌」勝村弘也訳、「神の諸々の業と共同の告白」上村静訳、を収録。帯文に曰く「最新の校訂・解読を踏まえた、原典からの初めての日本語訳」と。『死海文書』は1940年代後半から1950年代かけて死海北西岸の11の洞窟から発見された羊皮紙およびパピルスの文書群で、ユダヤ教の一派「エッセネ派」と見なされるクムラン教団が伝え、書写したという説が広く支持されています。昨年(2017年)には文書が盗掘されたらしい痕跡を残す12番目の洞穴が発見されたといいます。

★写本は大まかに分類して、ヘブライ語聖書関連、外典・偽典の原語版および未知の古代ユダヤ文献、クムラン教団独自の文書などがあり、古代ユダヤ教のみならず原始キリスト教との関連においても第一級の史料であり、最古の聖書写本を含んでいることは周知の通りです(ただし、初代キリスト教会とクムラン教団との間に直接的な接触があった形跡はないというのが定説)。800余りの文書のうち200本強が聖書写本と同定されており、ぷねうま舎版『死海文書』では「聖書写本以外の約600文書のうち、或る程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する。また、『ダマスコ文書』についてはカイロ・ゲニザから発見されたものを、さらにクムラン文書と関連のあるいくつかのマサダ出土の写本についても必要に応じて訳出した」、と巻頭の「序にかえて 死海文書とは何か」に記されています。

★『死海文書』は今なお執拗に再生産され続ける陰謀論系の言説やフィクションの影響で学術研究外からの関心も高いため、興味本位で購入される読者もいるかもしれませんが、それはそれで構わないと思います。失われてしまった宗教遺産の異形性もさることながら、ところどころ読解不能な文書の数々に、読む者の想像力を掻き立てる側面があるのは否定しようがなく、教文館版『聖書外典偽典』シリーズや岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』シリーズ、さらには『マリアの福音書』『ユダの福音書』『グノーシスの神話』『ヘルメス文書』などとともに、今後も様々な分野のクリエイターにとって霊感の源泉となることが予想できます。

★松長有慶『訳注 秘蔵宝鑰』は凡例によれば「内容について広く江湖の理解を得るために、もとになる漢文を、まず「現代的な表現」に改めて提示し、ついで「読み下し文」を加え、さらに原文中の難解な用語を解説する「用語釈」を付す三段の構成からなる。ただし必要に応じて、「要旨」、「解説」などを付け加えた」と。本書における「現代的な表現」での再提示というのは単純な現代語訳に留まるものではなく、たとえば序の13句中の有名な「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終りに冥し」と読み下されている箇所(「生生生生暗生始 死死死死冥死終」)は、「生から死へと幾度か、輪廻転生を繰り返し、見極めつかぬ漆黒の、始終なき旅を続ける」という風に記述されています。その解釈の根拠については直後の解説に詳しいですが、まさに「現代人が抵抗なく読み得る現代表現」(あとがき)となっていると感じます。「画期的な現代語訳」と帯文が謳っている通りです。

★コルバン『処女崇拝の系譜』は『Les filles de rêve』(Fayard, 2014)の全訳。原題は「夢の乙女たち」とでも訳せそうですが、『処女崇拝の系譜』というのは一昨年お亡くなりになった訳者の山田さんのご発案とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序でコルバンはおおよそこう述べています。見かけたりすれ違ったりしただけの魅惑的な乙女たちが男たちの「感傷的な追憶のうちに刻みこまれ」、現実の恋人や妻の印象を凌駕するようなイメージまで膨らむことがある、と。「このような夢の乙女の姿は、読書したり、絵画や彫刻を見たり、演劇やオペラに通ったりして培われたモデルからきている。これらのモデルへの憧れは、心身ともにステレオタイプ化した肖像となって表れ、またその感受性のありかたにも表れており、それ以上に、床を共にする女たちのところでは決して見出せないような決定的な美質に表れている。本書の目的はまさにここにあるのだ。すなわり、直接に性欲にうったえることなく恋心をかきたてるように導いた一連の紙上の乙女たちを選び出して、その姿を描き出すことである。/精神に占めるその存在感の大きさの順に、こうして選ばれた乙女たちを検討してゆきたい」(12頁)。

★またこうも書いています。「今日、彼女たちのおよぼした影響力を良く理解するのは難しいと思うので、夢の乙女たちの本質的な特性について詳述しなければならない。つまり私が語りたいのは、処女性のことである。残念ながら、かくも長い世紀にわたって重大であったこの概念について書かれた、新しい決定的な歴史は存在しない。そもそもからして、男たちの精神にあって、夢の乙女は処女であり、無傷で、護られているのだ。「すべての時代、すべての国の人びとは、処女性について素晴らしいという思いを抱いている」。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは1802年に書いている」(13~14頁)。小倉さんによる訳者解説によえば「コルバンのいう「夢の女」とは、美、慎ましさ、やさしさ、美徳、純潔をすべて備えた女であり、男たち、とりわけ青年たちが理想化し、時として天使のような相貌を付与してしまう女のことである。彼女にはしばしば男を寄せつけないような凛とした佇まいが漂い、その身体は男の欲望から隔離されているかのように守られている。聖母マリアがそうだったと言われるように、永遠の処女性を保持している女――それが「夢の女」ということになる。/西洋の歴史において、そのような女はいつ頃、どこにいたのか? 現実には、生身の人間としてはどこにも存在しなかったが、男たちの想像力――あるいは妄想――のなかでは古代から常に存在してきた」(193頁)。

★「古代神話に登場する月の女神アルテミス(ディアーナ)から、中世イタリアのダンテとペトラルカ、17世紀のシェイクスピア、18世紀のリチャードソンとゲーテ、19世紀のシャトーブリアンとネルヴァルを経て、20世紀のアラン=フルニエまで、時代と国(したがって言語)の多様性に配慮しながら、19人の「夢の女」たちの姿を描き出す」(194頁)。なお、同解説によれば、本書の原稿が版元に手渡されたのは、山田さんの逝去のわずか二日前だったそうです。小倉さんが「校正刷りに目を通し、若干の加筆修正を施し、訳注を追加した」とのこと。女性の性の商品化がしばしば問われるこんにちですが、コルバンが辿った崇拝の系譜は単純に商品化の歴史と同一視するわけにはいかないと思われます。異性の理想像を神聖化することにおいては、女性にとっての男性像というものも一方であるわけで、人文書だけでなく文学、コミック、アニメ、映画、写真集まで話題を広げると、男女の理想像をめぐる興味深いコーナーやフェアができそうです。

★なお、藤原書店さんの直近の注目情報が二つあります。ひとつは藤原良雄社長が今般、アカデミー・フランセーズより「2018年フランス語フランス文学顕揚賞(Prix du Rayonnement de la langue et de la littérature françaises)」を授与されるということ。もうひとつは9月に新雑誌『兜太 TOTA』が創刊されることです。新雑誌第1号の特集名は「金子兜太とは何者か」。筑紫磐井さんが編集長で、編集委員は、井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子の各氏。黒田さんが(編集主幹)をおつとめになるとのことです。菊大判並製240頁、定価1,944円。寄稿予定者は誌名のリンク先でご確認いただけます。『環』(第Ⅰ期:2000年4月~2015年5月)の後に創刊される新雑誌であるだけに、どんな誌面になるのか、注目したいです。

★栗原康『菊とギロチン』はまもなく発売(7月11日頃)。瀬々敬久監督の映画作品「菊とギロチン」(7月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開中)を、気鋭の政治学者・栗原康さんが評伝的小説として書き上げたもの。「菊とギロチン」の内容は同映画の公式サイトの解説によれば「物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――」というもの。


★栗原さんの本はその小説化ですが、版元ウェブサイトに掲載された原作者の瀬々監督のコメントが本書の輝きをもっとも端的に表現していると思います。曰く「脚本の書き直しをやっている時、栗原康さんの著作の数々を心震わせて読んだ。現代をアナキズム的生き方で切り拓こうとする彼の態度に勇気づけられたのだ。そして幸運にも遊撃的著作を書いてもらえることとなる。今回も栗原さんの文章は独特のいわば講談調とも呼ぶべき檄文で、映画『菊とギロチン』が見事なほどに栗原流の血沸き肉躍る菊ギロに読み替えられている。ノベライズとかそんな生易しいものではない。化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説なのだ。それに感化されてか、自分も思わず戦後史総ざらいの「その後の菊とギロチン」を書いてしまった。乞うご期待!」と。目次詳細や栗原さん自身のコメントは書名のリンク先をご覧ください。

★栗原さんの『菊とギロチン』の出だしはこうです。「人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう」(13頁)。予告編にもある東出昌大さんが演じるギロチン社の中濱鐵が語る熱い言葉のくだりは小説ではこうです。「十勝川が腰をゆらしながら、中浜のまわりをまわりはじめた。ウヒョオ、エロいね! 気分上々の中浜は、十勝川にむかって自分の夢をかたりはじめた。「オレの夢はな、満州にいって自分たちだけの国をつくる。そこじゃなにもかも平等で、食うのも平等、はたらくのも平等、貧乏人もカネもちもいない。共存共栄の理想郷だ。」それをきいた十勝川は、わらいながらこういった。「ホントにできるのかい、そんな国。」そんなふたりを古田がジッとみつめている」(229頁)。

★また、予告編につながる別の場面。「花菊がちかづいてきて、こういった。「たいへんなんだよ・・・、十勝川が兵隊みたいな男たちにつれていかれて!」「ナニぃー!」中浜がおどろきの声をあげた。「しばられて、たたかれて・・・、血だらけで・・・。」そういって、花菊は涙をながした。それをきいて、中浜はもういてもたってもいられない。「どこだ! 花菊、つれていけ!」花菊がはしりだす。中浜がついていくが、古田がピクリともうごかない。それに気づいて、花菊が心配そうにたちどまった。てめえ、なにやってんだよと、中浜が檄をとばす。「大さん、いくぞぉ!」それでも古田は微動だにしない。「ダメだよ。オレみたいな男は、なにをやったってダメなんだ!」それをきいて、マジギレした中浜。きょうはじめて、本気でどなった。「バッカヤロォォー! 女ひとり、たすけられねえで、なにが革命だァ!」(267~268頁)。

★なお、映画公開と本書の刊行を記念して、以下の通りイベントが開催されます。

◎栗原康×瀬々敬久×小木戸利光「女相撲とアナキスト――社会に風穴を!

日時:2018年7月15日(日)19:00~21:00 (18:30開場)
会場:本屋B&B(下北沢)
内容:著者の栗原康さん、瀬々敬久監督、大杉栄役の小木戸利光さんが激論!『菊とギロチン』を自主企画として三十年温め続け、ようやく公開まで漕ぎつけた瀬々敬久監督。本作を元にいまだかつていない破壊的評伝小説をかきあげた栗原康さん。映画の中で大杉栄を演じ観客に鮮烈なイメージを与えた小木戸利光さん。それぞれの立場から“菊ギロ”への思いを語っていただきます。震災、国粋主義、貧困、格差など、現代との共通性も感じられる『菊とギロチン』。観るならいましかねえ、読むならいましかねえ。トークイベント、来るならいましかねえ!

★『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection』は、2014年に刊行された全国の書店員さんによるブックガイド『NO BOOK NO LIFE――全国の本屋さんが選んだ!僕たちに幸せをくれた307冊の本』の姉妹編で、今度は20社22名(フリーランス含む)の編集者が15のテーマごとに合計166冊を選んで紹介してくれます。さらに「編集者へのQ&A」として15本のコラムも散りばめられています。15のテーマとQ&Aの詳細については、書名のリンク先の「立ち読み」からご確認いただけます。選書テーマは、本の企画性やタイトル、装丁、取材力、独自性、刊行のタイミングなど様々な切り口があって、おそらく書店さんや読者にとって興味深いだけでなく、同業者もしくは出版社を目指す方にとっても参考になる一冊です。

★版元さんのウェブサイトには寄稿者22名の詳細がないようなので、以下に列記しておきます。敬称略にて失礼します。滑川弘樹(多聞堂)、奥川健太郎(三省堂)、三上丈晴(学研プラス)、小林みずほ(KADOKAWA)、天野潤平(ポプラ社)、小塩孝之(洋泉社)、川﨑優子(廣済堂出版)、石毛力哉(原書房)、宮崎博之(淡交社)、木瀬貴吉(ころから)、北島彩(地球丸)、小林えみ(堀之内出版)、古川聡彦(猿江商會)、出口富士子(ビーンズワークス)、安永則子(小さい書房)、鈴木収春(クラーケン)、中岡祐介(三輪舎)、成田希(星羊社)、㓛刀匠(立東舎)、中村徹(雷鳥社)、望月竜馬(雷鳥社)、谷口香織(フリーランス)。

★ブックガイドといえば、角川ソフィア文庫で5月に発売された松岡正剛さんの『千夜千冊エディション 本から本へ』『千夜千冊エディション デザイン知』が6月にははやばやと再版されています。取り上げられている本の書目は書名のリンク先に掲出されていますが、一部正確ではないので、「試し読みをする」の方をご確認いただいた方がいいです。個人的にツボだったのは、『本から本へ』では小川道明『棚の思想』(影書房、1990年)、『デザイン知』ではルネ・ユイグ『かたちと力』(潮出版社、1988年)です。

★松岡さんはリブロ黄金期の社長・小川道明さんの『棚の思想』をめぐって、こうコメントされています。「おもしろい書店というものは、さまざまな棚組みやフェアや組み替えに躍起になってとりくんでいるものだ。もしも、行きつけの書店にそういう雰囲気がないようなら、そういう書店にはいかない方がいい。〔…しかし…〕、ネット書店に頼っていたのでは感覚に磨きはかからない。ぜひとも本屋遊びをし、「棚の思想」を嗅ぎ分けたい」(217頁)。『棚の思想』は出版業界をめぐる小川さんのエッセイをまとめたもので、松岡さんの著書のように本の情報に満ちた編集哲学が開陳されているわけではありませんが、リブロの歴史を知る上では、田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007年)、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社、2010年)、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(論創社、2011年)、辻山良雄『本屋、はじめました』(苦楽堂、2017年)などとともに必読文献と言えます。

★ユイグ『かたちと力』については松岡さんは「それにしても、こういう本、やっぱりぼくとスタッフで作ってみたかった」(51頁)と嘆息されています。テーマもヴィジュアルもすぐれているこの名著は古書価がさがりようがない素晴らしい本で、大げさに言えば本書が書斎にあるかどうかで蔵書世界が変容してしまう類の本です。長い間品切になっているのは出版文化にとって損失ですらあります。なお「千夜千冊エディション」は帯表4の情報によれば、今後、『文明の奥と底』『情報生命』『少年の憂鬱』『面影の日本』などが刊行予定となっています。

★『文藝 2018年秋季号』ではやはり、山本貴光さんの文芸時評「季評 文態百版」(第2回:2018年3月~5月)に注目。「膨大なデータを分類・整理して、活用できる状態にすること。とりわけ、文芸の歴史のなかに現在の状況を定期的に測定し、位置づけるという作業が必要だ〔…〕。まずは事実としてどのような作品がどこにあるか、それはどのようなものかということを見てとりやすくするのがよいだろう。肝心なことは、そうした膨大な材料を、人間の身の丈で把握しやすく表現し、操作しやすくすることだ。/いま私は無理を言っているかもしれない。だが、できる範囲でいいから、この場で観測を続け、少しずつ足場を広げながら、誰もが使える文芸のマップをつくりたいと念じている」(494頁)。こうした構想は研究者のみならず、出版社や書店、図書館にとっても有益なはずで、やめようにもやめられない重大な作業領域に山本さんは足を踏み入れられたのではないかという印象があります。

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★まもなく発売(7月9日)となる、ちくま学芸文庫の7月新刊に注目。

『20世紀の歴史――両極端の時代(下)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,900円、672頁、ISBN978-4-480-09867-2
『古代の鉄と神々』真弓常忠著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、272頁、ISBN978-4-480-09870-2
『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、288頁、ISBN978-4-480-09875-7
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ著、青柳正規訳、ちくま学芸文庫、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09878-8

★ホブズボーム『20世紀の歴史(下)』は文庫オリジナルの新訳版の完結篇。下巻は第Ⅱ部「黄金時代」の続きで第10章「社会革命――1945-90年」からはじまり、最終章となる第Ⅲ部「地滑り」第19章「新しいミレニアムに向けて」まで。巻末に読書案内、参考文献、索引など。ホブズボームは本書の最終章で私たちが生きる21世紀についてこう書いています。「新しい千年紀、人類の運命は公的な権能が復活できるか否かにかかっている」(576頁)。「歴史とは、他の多くの重要なことにもまして、人類の罪と愚行の記録である」(588頁)。「われわれが生きている世界は、著しい影響力をここ二、三世紀奮ってきた資本主義の発展というきわめて大きな経済的・科学技術的変化によって捕らえられ、根を奪われ、形が変わった世界である。それが永遠に続かないことはわかっている。少なくとも、そう思うのが合理的である。〔…〕いま、科学技術を用いる経済が生み出す力はあまりにも大きく、環境、つまり人間の生活を物質的に支えている基盤を破壊している。人間が住む社会の構造そのものが、資本主義経済を支える社会的基盤も含め、人類が過去から継承したものが蝕まれていくなかで、壊されようとしている。〔…〕そのような世界は、変わらねばならない」(589~590頁)。「もし人類に未来が与えられるとすれば、それは過去や現在を延長して可能になるのではない。そのつもりで第三千年紀を築こうとすれば、失敗するほかない。そしてその失敗の代償は、つまり、社会を変えることができなかった時に残るのは、暗闇である」(590頁)。

★真弓常忠『古代の鉄と神々』は、同名の親本(学生社、1985年;増補第三版、2012年)の文庫化。「『片葉の葦に生まれる鉄』の発見」は削除され、文庫版あとがきと上垣外憲一さんによる解説が付されています。上垣外さんは本書の論点の核心について次のように書いておられます。「日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである」。「本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年:2001年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである」。著者は宮司であると同時に大学教授も務めた研究者。初版に付された「はしがき」で著者はこう書いていました。「21世紀に向かって新しい文化の形成のために発想の転換が求められているとき、もっとも古く、もっとも保守的とみなされている神道の学問にたずさわるものよりする、新たな問題の提起であり、古代史研究における従来の方法とは異なったあらたな視点の提供である。いうならば闇に閉ざされた古代の謎を解くため、ここに一灯を掲げて博雅の万灯を待とうとするにほかならない」(7~8頁)。

★藤原彰『餓死した英霊たち』は2001年に青木書店より刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「文庫化に際しては、明らかな誤記を訂正した。そのほか、文脈を明らかにするために編集部による補注を施した箇所がある」とのことです。本書の目的については著者が巻頭の「はじめに」でこう述べています。「この戦争〔第二次世界大戦〕で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。〔…〕戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦争の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である」(9~10頁)。一ノ瀬俊也さんは解説で次のように述べておられます。本書が明らかにしたのは「1937年に始まった日中戦争、41年に始まって45年まで続いた太平洋戦争の日本側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったこと」であり、「2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく引用されている」と。軍人だった著者が敗戦後に研究者となり、晩年に執筆したのが本書でした。「本書を読む者は、戦争に対する著者の深い疑問と怒りが、いっけん淡々とした叙述の背後から立ち上ってくるのを感じ取るだろう」と一ノ瀬さんは評しておられます。また一ノ瀬さんは、かの戦争における飢えと病死の苦しみについての理解を深めるために、著者自身の遺著『中国戦線従軍記』(大月書店、2002年)の併読を薦められています。

★ロストフツェフ『隊商都市』は、1978年に新潮選書の一冊として刊行されたものの文庫化。1931年に刊行されたロシア語版から英訳された1932年の『Caravan Cities』の全訳ですが、底本となる英訳版は、著者自身による部分的書き直しや加筆を反映しているとのことです。文庫版訳者あとがきと、前田耕作さんによる文庫版解説「『隊商都市』多声と深さの復権」が新たに付されています。著者は「序」で「本書は1928年に書いた一連の紀行文を纏めたものである」と書いています。目次を列記しておくと、第一章「隊商貿易とその歴史」、第二章「ペトラ」、第三章「ジェラシュ」、第四章「パルミュラとドゥラ」、第五章「パルミュラの遺跡」、第六章「ドゥラの遺跡」。巻頭には訳者の青柳正規さんによる「隊商都市随想」が置かれています。「メソポタミア、エジプト、ギリシア、地中海、文明揺籃の地に囲まれキャラバン交易で反映した古代オリエント都市の遺跡に立ち、往時の繁栄に思いを馳せた紀行」(カバー表4紹介文)。

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by urag | 2018-07-08 23:51 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)