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カテゴリ:本のコンシェルジュ( 1066 )


2019年 09月 16日

注目新刊:ガブリエル『「私」は脳ではない』講談社選書メチエ、ほか

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「私」は脳ではない――21世紀のための精神の哲学』マルクス・ガブリエル著、姫田多佳子訳、講談社選書メチエ、2019年9月、本体2,100円、四六判並製392頁、ISBN978-4-06-517079-3
開かれた対話と未来――今この瞬間に他者を思いやる』ヤーコ・セイックラ/トム・アーンキル著、斎藤環監訳、医学書院、2019年9月、本体2,700円、A5判並製376頁、ISBN978-4-260-03956-7
植物の生の哲学――混合の形而上学』エマヌエーレ・コッチャ著、嶋崎正樹訳、山内志朗解説、勁草書房、2019年8月、本体3,200円、四六判上製228頁、ISBN978-4-326-15461-6
神経美学――美と芸術の脳科学』石津智大著、共立出版、2019年8月、本体2,000円、B6判並製198頁、ISBN978-4-320-00930-1

★『「私」は脳ではない』はドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980-)による『Ich ist nicht Gehirn: Philosophie des Geistes fuer das 21. Jahrhundert』(Ullstein, 2017)の全訳。世界的なベストセラー『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年1月;『Warum es die Welt nicht gibt』Ullstein, 2013)に続く、待望の単独著翻訳第2弾です。版元紹介文に曰く「『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「3部作」の第2巻」と。3作目は『思考の意味』(『Der Sinn des Denkens』Ullstein, 2018)で、これもいずれ翻訳されるようです。

★著者による「日本語版の出版に寄せて」にはこう書いてあります。「本書のテーマになっているのは、人間を一つの総体として、すなわち自らの自己決定において自由な、精神をもつ生き物として認識することです。〔…〕本書で名を明示し、その克服に努めることになる病とは、神経中心主義です。神経中心主義とは、私たちの精神生活は脳と同一視することができ、したがって人間を神経ネットワークに置き換えることができる、という考え方のことです。これは根本的に誤った考え方です。神経中心主義は人間をおかしくします。なぜなら、神経中心主義に侵されると、もはや私たちは自分自身を認識できなるなるからです。/本書のクライマックスは、自己決定という精神の自由を擁護することです。これはフランス革命に始まった近代民主主義の基本であり、これからもそうであり続けます」(11~12頁)。

★「人間にとって最も危険な敵は、自分自身や他者について誤ったイメージを作り上げる人間であることを、私たちは認識しなければなりません。今日広まっている危険なイデオロギーは、実は私たちとは同一視できないものを私たちと同一視することで、人間を自己決定のレベルで台無しにしています」(12頁)。「人間を機械とみなすようなイメージから私たちを解き放ち、啓蒙の精神を再び鼓舞するため、私たち皆が――生まれた土地や文化に関係なく――分かち合い、共同で活用できるような、人間の精神の自由の防衛策が今や必要です。どれほど文化の違いがあっても、私たちには共有するものがあるのです」(13頁)。

★「『「私」は脳ではない』では自由の理論が展開されます。私たちは世界から――すべてを内包する決定論的な地平線から――解放されています。つまり、徹底的に自由なのです。ですから、私たちは人間についての自然科学的研究と精神科学的研究のあいだの対話を新たなレベルに高める必要があります。なぜなら精神科学はテクノロジーや自然科学の進歩で代替できる、という誤った考えは直接的または間接的にサイバー独裁制をもたらすからです。人間が自分は何者であるかを知らないかぎり、技術をその人間のために使う理由はないからです。これを研究するのは、ですから、英語圏で言うところのヒューマニティーズ〔人文科学〕の仕事です。ヒューマニズム〔人文主義〕を攻撃する者は、人間たる自分自身を攻撃しているのです」(14~15頁)。

★ガブリエルの議論と分析は、その表題に表れているように一見するとトリッキーな部分がありますが、その内実は衒学的細部へのこだわりではなく、常識(コモンセンス)に立脚しており、それゆえに説得的です。本書の詳細目次と巻頭部分の閲覧は、書名のリンク先の「試し読み」でできるようになっています。

★『開かれた対話と未来』は、フィンランドの臨床心理士ヤーコ・セイックラ(Jaakko Seikkula)とトム・エーリク・アーンキル(Tom Erik Arnkil)による共著『Open Dialogues and Anticipations: Respecting Otherness in the Present Moment』(National Institute for Health and Welfare, 2014)の訳書です。巻頭には斎藤環さんによる「日本語版解説」が置かれ、巻末には付録として、ODNJP(オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン)作成による「オープンダイアローグ 対話実践のガイドライン」が収められています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。著者による「はじめに――本書のテーマと目指すもの」もリンク先で読むことができます。帯文には「オープンダイアローグ、これが決定版! フィンランドの創始者ふたりによるガイド、待望の翻訳」と謳われています。

★「本書ではこれから、対話について、「対話性」について、ポリフォニー(多声性)について、間主観性について、そして社交ネットワーク〔=人間関係のネットワークのこと〕について検討しようと思います。対話性とは、技法のことではありません。それはある種の立場や態度、あるいは人間関係のあり方を指す言葉です。その核心にあるのは、「他者性」というものとの根源的な関係です」(36頁)。「本書の目的は、対人援助における「対話性」の地位を高めることです。そうすることで、心理療法、精神医学、ソーシャルワーク、教育、保育、経営管理、その他多くの関連分野に、なんらかの変革がもたらされることになるでしょう」(38頁)。

★セイックラとアーンキルの共著書の訳書には、『オープンダイアローグ』(高木俊介/岡田愛訳、日本評論社、2016年3月;『Dialogical Meetings in Social Networks』Karnac Books, 2006)があるほか、共著論文や関連書なども翻訳され、人気を博しています。今後ますます読者層が広がっていく機運を感じます。

★『植物の生の哲学』は、ジョルジョ・アガンベンの弟子筋にあたるイタリアの哲学者で現在はフランスで活躍するエマヌエーレ・コッチャ(Emanuele Coccia, 1976-)による『La vie des plantes : Une métaphysique du mélange』(Rivage, 2016)の全訳です。2001年に早逝した双子の兄弟マッテオに捧げられた本書は、「植物の本性、文化と称されるものへの植物の沈黙、そのあからさまな無関心について考察しつづけたその5年間〔14歳から19歳までイタリア中部の農業高校に在籍した時期〕に生まれた思想を、よみがえらせようという試みである」(vii頁)とのこと。帯文(表4)に曰く「動物の哲学も存在論的転回もやすやすと超えて、植物の在り方から存在論を問い直す哲学エッセイ」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★山内志朗さんは巻末解説で本書から引用しつつこう評価を記されています。「植物の存在においては、世界に在るとは、必然的に〈世界を創り上げる〉ことを意味する(55頁、第7章「空気のただ中で──大気の存在論」)。そして、「植物が世界に在ること、それは空気を(再)創造する能力のうちに見いだされる」(65頁、第7章)。/「世界のうちに存在するとは、アイデンティティを共有するのでなく、常に同じ〈息吹〉(プネウマ)を共有することだ」(74頁、第7章)。〈息吹としての世界〉というイメージが現れている。「身を浸す体験」(immersion)こそ、世界に存在する実存形式なのである。私はここに、この『植物の生の哲学』の核心を見出した」(209~210頁)。

★『神経美学』は共立出版さんのシリーズ「共立スマートセレクション」の第30弾。著者の石津智大(いしづ・ともひろ)さんはロンドン大学ユニバーシティ校シニアリサーチフェロー。単独著は本書が初めてのものです。「神経美学〔neuroaesthetics〕とは、認知神経科学の新しい一分野であり、脳のはたらきと美学的経験(美醜、感動、崇高など)との関係や、認知プロセスや脳機能と芸術的活動(作品の知覚・認知、芸術的創造性、美術批評など)との関係を研究する学問です。神経科学者や心理学者だけでなく、哲学者、芸術家、美術史学者などが参画する学際領域です」(まえがき、v頁)。

★「神経美学の誕生から今日までのおよそ20年弱の成果をまとめ」た入門書である本書は、おそらく本屋さんでは理工書売場に並べられるでしょうけれど、人文書でも併売されると刺激的だと思います。今春刊行された雑誌『思想 2016年4月号:神経系人文学――イメージ研究の挑戦』(岩波書店、2019年3月)や、アンソロジー『イメージ学の現在――ヴァールブルクから神経系イメージ学へ』(東京大学出版会、2019年4月)には、石津さんの論文「神経美学の功績――神経美学はニューロトラッシュか」が収録、再録されています。『神経美学』の目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では本書の「まえがき」などもPDFで閲覧することができます。

★また、最近では以下の新刊との出会いが出会いがありました。

吉本隆明全集20[1983-1986]』吉本隆明著、晶文社、2019年9月、本体6,800円、A5判変型上製660頁、ISBN978-4-7949-7120-3
戦争と資本――グローバルな内戦と統合された世界資本主義』エリック・アリエズ/マウリツィオ・ラッツァラート著、杉村昌昭/信友建志訳、作品社、2019年8月、本体3,800円、46判上製428頁、ISBN978-4-86182-772-3
戦下の淡き光』マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳、作品社、2019年9月、本体2,600円、46判上製294頁、ISBN978-4-86182-770-9
モーガン夫人の秘密』リディアン・ブルック著、下隆全訳、作品社、2019年9月、本体3,200円、46判上製402頁、ISBN978-4-86182-686-3

★『吉本隆明全集20[1983-1986]』は第21回配本。1983年から1986年という時期はニューアカデミズムの流行期と重なっており、戦後日本の資本主義社会がもっとも特異な輝きを見せていたかもしれない時節でした。吉本も、中沢新一、フーコー、ドゥルーズ/ガタリ、坂本龍一、ビートたけし、糸井重里、高橋留美子、コム・デ・ギャルソン、原子力エネルギーといった同時代文化のシンボルたちと本書収録の諸テクストで向き合っています。第20巻には単行本未収録が32篇もあるとのことです。その中でも、出版人として特に興味深いのは、1986年の「編集者としての安原顯」(481~492頁;初出は安原顯『まだ死ねずにいる文学のために』筑摩書房、綴じ込み栞)です。ここでは、物書きと編集者との間の緊張関係についてかなり率直な見解が述べられていますし、編集者の器量や優秀な編集者のタイプについてもはっきりと書かれています。編集者という人種がよく分からないと感じる物書きの方には、このエッセイが理解の一助となるかもしれません。

★月報21は、中島岳志さんの「「和讃」について」、岩阪恵子さんの「書く習慣」、ハルノ宵子さんの「'96夏・狂想曲」を収録。次回配本についての記載は今回は何もありませんでした。

★『戦争と資本』は、フランスの哲学者エリック・アリエズ(Éric Alliez, 1957-)と、イタリア出身でパリで活躍する社会学者マウリツィオ・ラッツァラート(Maurizio Lazzarato, 1955-)の共著『Guerres et Capital』(Éditions Amsterdam, 2016)の全訳です。主要目次は以下の通りです。

謝辞
序文 統合された世界資本主義とグローバルな内戦――われわれの敵たちへ
第1章 国家、戦争機械、通貨
第2章 本源的蓄積は続いている
第3章 戦争機械の領有化
第4章 フランス革命の二つの歴史
第5章 恒常的内戦の生政治
第6章 新たな植民地戦争
第7章 フーコーのリベラリズムの限界
第8章 シュミットからレーニンに至る収奪の優先性
第9章 総力戦
第10章 冷戦の戦略ゲーム
第11章 クラウゼヴィッツと六八年の思想
第12章 資本のフラクタル戦争
訳者あとがき 「戦争と平和」ではなく「戦争と資本」という認識への転換――資本主義とは、資本が民衆に対して永久戦争を仕掛ける体制運動である。

★序文には30項目にわたり本書の主張が先どりされており、その主文は書名のリンク先で確認することができます。そこからいくつか拾ってみます。「現在、金融資本主義が、“グローバルな内戦”を引き起こしている。経済とは、戦争の目的を別の手段により追求することである。資本主義のすべての岐路には「創造的破壊」ではなく“内戦”がある。「総力戦」体制によって、社会とその生産力の戦争経済への全面的従属が始まった。「戦争」と「平和」は、いかなる相違もなくなった。技術革新はすべて、冷戦-総力戦の「破壊のための生産」から/のなかで生まれた。民衆のなかの民衆に対する戦争は、ネオリベラリズムと負債経済のもとに開始された。資本は構造やシステムではなく“戦争機械”であり、経済・政治・技術などすべてが含まれる。資本は「エコロジー危機」を利用して、地球全体の商品化を完遂しようとしている。資本の論理とは、無限の価値化のロジスティクスであり、経済にとどまらない権力を蓄積していく。資本の権力の第一の機能は、“内戦”の存在をその記憶にまで遡って否定することである。本書の目的は、多数多様な形で進行中の本当の戦争の「うなり声」を聞かせることである。対抗しうるのは「抵抗」という現象でしかありえない」。

★「この本の目的は、経済と「民主主義」のもとで、そしてテクノロジー革命と“一般知性”という「大衆的知性」の背後において、多数多様なかたちで進行中の本当の戦争の「うなり声」を聞かせることにほかならない」(29頁)。訳者あとがきによれば「本書は、「本源的蓄積」(マルクス)、「生政治」(フーコー)、「戦争機械」(ドゥルーズ=ガタリ)といったキイ概念に依拠しながら、リベラリズムと結びついた資本が、いかに世界を「植民地化」し続け、“ネオリベラリズム”と呼ばれる現在の姿に至っているかを、豊富な文献資料を援用しながら解明した一種の「唯物論的歴史哲学」の書であると言えるだろう」(421頁)。日本では一昨年に佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんによる『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチエ、2017年12月)というすばらしい本が出ていますが、アリエズとラッツァラートの『戦争と資本』は、フランスにおけるドゥルーズ=ガタリの思想的後継者たちによる成果と言えるのではないかと思います。

★本書に続き、原書では第二巻『資本と戦争(仮)』が続刊予定であり、そこでは「68年の奇妙な革命ならびにその革命のその後についての調査をするつもりだ」(31頁)とのことです。そこでは加速主義や思弁的実在論などの「「症候的読解」を大胆に試みることになるだろう」と予告されています。この続篇はまだ未刊ですが、関連書としてラッツァラートは今春『資本はすべての人びとを嫌悪する――ファシズムか革命か』(Le Capital déteste tout le monde: Fascisme ou Révolution, Éditions Amsterdam, 2019)という新著を上梓していることが訳者あとがきの追記で言及されています。

★『戦下の淡き光』はスリランカ生まれのカナダの作家マイケル・オンダーチェ(Michael Ondaatje, 1943-)の長編小説『Warlight』(Jonathan Cape, 2018)の全訳。前作『名もなき人たちのテーブル』(田栗美奈子訳、作品社、2013年;『The Cat's Table』2011年)より原書では7年ぶり、訳書では6年ぶりの新刊です。出だしはこうです。「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」(6頁)。「そのころ僕は14歳、レイチェル〔主人公「僕」の姉〕はもうじき16歳だった。休暇のあいだは、母が後見人と呼ぶ人物が面倒を見てくれるという。両親による同僚だそうだ。僕らもすでに面識があった――“蛾”という名前を思いつき、そう呼んでいた。うちの家族にはあだ名をつける習慣があって、それはつまり隠しごとの多い家庭ということでもあった。すでにレイチェルは彼が犯罪者ではないかと疑い、僕にもそんなふうに話していた」(7頁)。目次は以下の通りです。

第一部
 見知らぬ人だらけのテーブル
第二部
 受け継ぐこと
 母との暮らし
 屋根の上の少年
 堀に囲まれた庭
謝辞
訳者あとがき

★「原題のwarlightは、戦時中の灯火管制の際、緊急車両が安全に走行できるように灯された薄明かりを指している。この物語全体もまた、そうしたほのかな明かりに照らされるかのように、真実がおぼろにかすみ、なかなか姿を現さない。登場人物の多くがニックネームで呼ばれ、それぞれに謎を秘めて、意外な役割を担っていたりする。主人公は、自分にとってもっとも難解な謎である母の秘密を突きとめようとするが、淡く射す光のなかを手探りで進むしかない。/著者の話によると、本書の執筆を始めたときは、冒頭の一行しか頭になかったそうだ」(訳者あとがき、293頁)。

★『モーガン夫人の秘密』はイギリスの作家リディアン・ブルック(Rhidian Brook, 1964-)の小説『The Aftermath』(Random House, 2013)の全訳。帯文に曰く「リドリー・スコット製作総指揮、キーラ・ナイトレイ主演、映画原作小説! 1946年、破壊された街、ハンブルク。男と女の、少年と少女の、そして失われた家族の、真実の愛への物語」。


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by urag | 2019-09-16 19:47 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

注目新刊:ロッコ/ジェンティーレ/ムッソリーニ『ファシズムの原理』紫洲書院、ほか

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★本日と明日の2回に分けて注目新刊について記します。まず本日は7~8月までの新刊の拾遺から。

ファシズムの原理 他三篇』アルフレード・ロッコ/ジョヴァンニ・ジェンティーレ/ベニート・ムッソリーニ著、竹本智志/下位春吉訳、紫洲書院、2019年8月、本体1,270円、B6判並製132頁、ISBN978-4-909896-02-5
ヨーロッパ憲法論』ユルゲン・ハーバーマス著、三島憲一/速水淑子訳、法政大学出版局、2019年7月、本体2,800円、四六判上製238頁、ISBN978-4-588-01097-2
神性と経験――ディンカ人の宗教』ゴドフリー・リーンハート著、出口顯監訳、坂井信三/佐々木重洋訳、法政大学出版局、2019年7月、本体7,300円、四六判上製534頁、ISBN978-4-588-01095-8
プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第Ⅲ編 世界体系』アイザック・ニュートン著、中野猿人訳、ブルーバックス:講談社、2019年8月、本体1,500円、新書判並製368頁、ISBN978-4-06-516657-4
インスマスの影――クトゥルー神話傑作選』H・P・ラヴクラフト著、南條竹則編訳、新潮文庫、2019年8月、本体750円、文庫判542頁、ISBN978-4-240141-5
小泉八雲東大講義録――日本文学の未来のために』ラフカディオ・ハーン著、池田雅之編訳、角川ソフィア文庫、2019年8月、本体1,080円、文庫判400頁、ISBN978-4-04-400486-6
あなたと原爆――オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル著、秋元孝文訳、光文社古典新訳文庫、2019年8月、本体880円、文庫判312頁、ISBN978-4-334-75408-2

★『ファシズムの原理』は紫洲書院のシリーズ「紫洲古典」の第3弾。ファシズムの原理をめぐる3本の論考、アルフレード・ロッコ「ファシズムの原理――ペルージャの夏季学校開会に寄せた演説(La dottrina del fascismo e il suo posto nella storia del pensiero politico)」(1925年)、ジョヴァンニ・ジェンティーレ「思想の根本原理(Idee fondamentali)」(1933年)、ベニート・ムッソリーニ「社会的・政治的原理(Dottrina politica e sociale)」(1933年)の翻訳に加え、付録として、ベニート・ムッソリーニ「組閣直後の臨時議会における就任演説」(初出:下位春吉訳『ムッソリニの獅子吼』〔大日本雄辯會講談社、1929年〕所収「登閣直後の臨時議会における第一獅子吼」)、巻末には「用語・人名索引辞書」が配されています。

★ムッソリーニの「社会的・政治的原理」から引きます。「ファシスト国家は、国民公会においてロベスピエール率いる過激派がそうしたように、自らの「神」を作り出そうなどとはしない。あるいはボリシェビズムがそうしたように、無闇にそれを人々の精神から消し去ろうとしないはしない。ファシズムは禁欲者、聖者、英雄、そして未開の人びとが素朴な心をして思い描き、祈る神そのものに敬意を払う」(81頁)。「ファシスト国家とは、力と帝国への意志である。この国におけるローマの伝統は、力という概念そのものである。ファシズムの原理において帝国とは、単に領土・軍事・貿易に関する概念ではなく、むしろ精神と道徳に関しての意味を持つものである」(同)。

★シリーズ「紫洲古典」では2019年5月に、第一弾として田辺元『歴史的現実』、第二弾として三木清『技術哲学』が刊行されています。紫洲書院(しずしょいん、と読むようです)さんの社名の由来は公式ウェブサイトによれば「洲は何者にも囚われない領域、紫という高貴な色、この二つより、紫洲書院は作られました」とのことです。目下のところアマゾン・ジャパンでの販売のみのようです。

★『ヨーロッパ憲法論』は『Zur Verfassung Europas. Ein Essay』(Suhrkamp, 2011)の全訳。「人間の尊厳というコンセプトおよび人権という現実的なユートピア」と「国際法の憲法化の光に照らしてみたEUの危機──ヨーロッパ憲法論」という2本の論考を中心に編まれたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。補遺として収められた論考3本のうち、「破綻のあとで」と「ヨーロッパ連合の運命はユーロで決まる」の2本は、初出版の翻訳が先ごろ発売された『デモクラシーか資本主義か』(三島憲一編訳、岩波現代文庫、2019年6月)にも収録されています。後者の論考の初出版タイトルは「我々にはヨーロッパが必要だ」です。

★「新自由主義の幻想が打ち砕かれたのち、誰の目にもあきらかになったのは、金融市場によって、さらにいえば国民国家の境界を越える世界社会の機能システム全般によって作りだされている問題的状況である。個々の国家――あるいは国家連合――では、もはやこれに取り組むことができない。しかし取り組む必要はあり、そこからいわば単数形の政治を求める挑戦が生じる。諸国家からなる国際的な共同体を、諸国家と世界市民からなる世界市民的な共同体へと発展させなければならないのである」(序文、7頁)。「何びとにも等しい権利をグローバルに実現せよという要求」(同、8頁)をめぐる粘り強い考察です。

★『神性と経験』は、『Divinity and Experience: The Religion of the Dinka』(Clarendon Press, 1961)の全訳。「生涯でわずか2冊しか本を残さなかったリーンハートのあの名著が、刊行から約60年を経ていよいよ邦訳なる!」と帯文に記されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。謝辞にはこうあります。「私がエヴァンズ=プリチャード教授のナイロート研究に、とりわけヌアーの宗教についての彼の業績に恩恵を受けていることはきわめて明白だろう。しかし個人的に彼に負うことの方が大であり、その指導と友情に感謝を込めて、本書を彼に捧げる」(2頁)。監訳者の出口さんによる巻末解説では、本書への歴史学者ダクラス・ジョンソンによる評価を引用しています。曰く「その時代の流行に決して完全に拘束されることなく、後に流行となる話題やアプローチへの道を、それは指し示している。そのような本が『神性と経験』であ〔る。…〕多くの学者が、他の分野における実り豊かな研究に彼らを導いた示唆を、そこに見いだしてきた」。リーンハート(Godfrey Lienhardt, 1921-1993)はイギリスの人類学者。もう一冊の著書は翻訳されています。現在品切ですが『社会人類学』(増田義郎/長島信弘訳、岩波書店、1967年;Social Anthropology, Oxford University Press, 1964)がそれです。

★『プリンシピア 第Ⅲ編 世界体系』は、1977年版単行本の3分冊新書化の完結編。第Ⅲ編「世界体系」を収録。目次は書名のリンク先をご覧ください。「ここに「万有引力の法則」が普遍化され、確立されることになる」(カバー裏紹介文より)。全巻の結びとして書かれたという「一般注」ではニュートンの「神」観が表明されています。曰く「神は永遠にして無限、全能にして全知である。すなわち、永劫より永劫にわたって持続し、無窮より無窮にわたって偏在する。万物を統治し、ありとあらゆるもの、あるいはなされうるすべてのことがらを知っている。神は永遠や無限そのものではないが、永遠なもの、無限なものである。持続や空間が神ではなくて、神は持続し、かつ存在する。いつまでも変わらず、いたるところに存在し、かつ常住普遍の存在によって時間と空間とを構成する」(226頁)。「神はいずれの時、いずれの所においても同一の神である。神は仮想的にだけ偏在するのではなくて、実体的にも偏在するのである。なぜならば、実体なしでは効能は保てないからである。万物は神の中に含まれ、かつ動かされている〔…〕神は物体の運動から何の損害をもこうむることはないし、物体は神の遍在から何も抵抗をも受けない」(227頁)。「彼〔神〕はすべて相似たものであって、すべて眼であり、すべて耳であり、すべて頭脳であり、すべて腕であり、すべてこれ知覚し、理解し、行動する力である」(228頁)。

★『インスマスの影』はチェスタトンやブラックウッド、マッケンなど数多くの翻訳を手掛けてこられた南條竹則さんによる文庫オリジナル新訳。「異次元の色彩」「ダンウィッチの怪」「クトゥルーの呼び声」「ニャルラトホテプ」「闇にささやくもの」「暗闇の出没者」「インスマスの影」の7篇を収録。「ヨグ・ソトホートこそは、天球と天球が出会う門への鍵である。人が今支配する場所を、“かれら”はかつて支配した。“かれら”はまもなく支配するであろう――人が今支配する場所を。夏のあとに冬が来て、冬のあとに夏が来る。“かれら”は忍耐強く、力強く待っている。ここはふたたび“かれら”が統治するのだから」(「ダンウィッチの怪」91頁)、そう『ネクロノミコン』には書いてあります。

★『小泉八雲東大講義録』はちくま文庫版『小泉八雲コレクション』の一冊として2004年に刊行された池田雅之編訳『さまよえる魂の歌』から「ハーンが東京帝国大学で行った講義録16篇を選び、大幅に改訳・修正のうえ新編集したもの」とのこと。目次は書名のリンク先をご覧ください。「文章作法の心得」と題された講義ではこんなことが書かれています。「みなさんに注意を促したい最初の誤りは、創作に関することである。〔…〕教育は〔詩人や物語作家となるための〕何の助けにもならない。〔…〕創作に関する書物を読んでみても、創作の方法は学ぶことはできない。実作によってのみ習得されるという意味では、文学はまさに職人の手仕事なのである」(214頁)。

★『あなたと原爆』は文庫オリジナル評論集。1945年の表題作「あなたと原爆」や、名編として知られる「象を撃つ」など、全16篇を収録。詳細は書名のリンク先をご覧ください。「『一九八四年』に繋がる先見性に富む評論集」とカバー裏紹介文にあります。表題作は「原爆投下のわずかふた月後、その後の核をめぐる米ソの対立を予見し「冷戦」と名付けた」(カバー裏紹介文より)ものとのこと。このエッセイの最後の方にはこんな分析があります。「世界を全体として眺めれば、ここ何十年の趨勢は、無政府状態ではなく奴隷制の復活へと向かっている。我々が向かう先にあるのは、全般的な崩壊ではなく、奴隷制のあった古代帝国と同じように恐ろしくも安定した時代なのかもしれない」(16~17頁)。

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by urag | 2019-09-15 23:48 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 08日

注目新刊:ハヴェル『力なき者たちの力』人文書院、ほか

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午前四時のブルー(Ⅲ)蜻蛉の愛、そのレッスン』小林康夫責任編集、水声社、2019年8月、本体1,500円、A5判並製128頁、ISBN978-4-8010-0343-9 
新装版 シェリング著作集 第6a巻 啓示の哲学(上)』諸岡道比古編、文屋秋栄、2019年9月、本体5,000円、A5判上製248頁、ISBN978-4-906806-07-2
原始文化(下)』エドワード・バーネット・タイラー著、松村一男監修、奥山倫明/奥山史亮/長谷千代子/堀雅彦訳、国書刊行会、2019年8月、本体6,600円、A5判626頁、ISBN978-4-336-05742-6

★『午前四時のブルー』第Ⅲ豪の特集名は、フランスの哲学者マルク=アラン・ウアクニン(Marc-Alain Ouaknin, 1957-)の著書の中でも本誌編集人の小林康夫さんが一番愛しているという『だからひとは蜻蛉〔とんぼ〕を愛する』(C'est pour cela qu'on aime les libellules, Calmann-Lévy, 1998)から採られています。編集人あとがきによれば「今号は、マルク=アラン・ウアクニンと〔舞踏家の〕工藤丈輝の二人の空駈ける蜻蛉=竜(Dragonfly)の特集ということになりました」と。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。

★ウアクニン関連では、ウアクニン自身の『だからひとは蜻蛉〔とんぼ〕を愛する』第一部「だからひとは蜻蛉〔とんぼ〕を愛する……」(髙山花子訳、33~80頁)が訳出され、小林康夫さんのエッセイ「パリ、シナゴーグの午後――マルク=アラン・ウアクニンとの出会い」、永井晋さん(東洋大学文学部教授)のエッセイ「カバリストMAO」、ウアクニンの弟子ヴァンサン・シュミットさんによるエッセイ「マルク=アラン・ウアクニンへ――心よりの感謝をこめて」の計4編を収録。『だからひとは蜻蛉〔とんぼ〕を愛する』は、いずれ水声社さんより全訳が出版されるとのことで、たいへん楽しみです。ウアクニンはウアクナンと発音される場合もあるようですが、前者のウアクニンが正しいと思われます。

★『新装版 シェリング著作集 第6a巻』は第3回配本で『啓示の哲学』上巻。燈影舎版『シェリング著作集』で2007年10月に第5b巻『啓示の哲学』として刊行されたものを底本に、加筆訂正が施されたものです。『啓示の哲学』全37講のうち、第一書「啓示の哲学への序論あるいは積極的哲学の基礎付け」(全8講、1858年)を諸岡道比古さんの訳・注・解説で収録しています。「本巻『啓示の哲学』第一書で提示された積極的哲学という考え方に基づいて、つまり、経験を通して与えられた啓示という事実を扱う積極的哲学の一つとして、「啓示の哲学」は神の実存を実証するのである。この点にこそ、第一書が『啓示の哲学』で持つ重要な意義がある。また、この思想こそ、シェリングの最終的到達点でもある」と諸岡さんは説明されています。

★ちなみに『啓示の哲学』は今回の第6a巻に続き、第6b巻(中巻)、第6c巻(下巻)と合計全3巻で全37講が全訳される予定。また、2019年9月3日現在の最新情報によれば、文屋秋栄(ふみやしゅうえい)さんでは今月末、第1a巻『自我哲学』(高山守編)を発売予定とのことです。

★『原始文化』下巻は、シリーズ「宗教学名著選」の第6巻。上巻は今年3月に刊行済です。下巻は第12章「アニミズム(二)」から第19章「結論」までを収録。巻末には、奥山史亮さんによる解題「『原始文化』初版から第六版に至る増補改訂について」と、3本の解説(長谷千代子「タイラーについて――文化人類学の視点から」、堀雅彦「タイラー『原始文化』の思想」、松村一男「タイラーと十九世紀の知的土壌」)、人名・事項・文献の、3種の索引が配されています。帯文に曰く「下巻には、アニミズム教義の概略として、転生説、死後の世界、霊の教義、霊的存在の分類、多神教、二元論、至高神、最高神を検討〔第12章~17章「アニミズム(二)~(七)」〕。次いで宗教儀礼のなかから、祈り、供犠、断食、人為的忘我、方角の決定、祓い、の発展過程を概観する〔第18章「儀礼と儀式」〕。文化の普遍的発展理論を追い求めた人類学者による、〈文化の科学〉の金字塔!」。

★シリーズ「宗教学名著選」全6巻は、2013年8月刊のエリアーデ『アルカイック宗教論集――ルーマニア・オーストラリア・南アメリカ』以来、今回で5点を刊行。残すところ第3巻、ラッファエーレ・ペッタッツォーニ『神の全知――宗教史学論集』を刊行するのみとなりました。

★まもなく発売となる、ちくま学芸文庫の9月新刊を列記します。

『世界の混乱』アミン・マアルーフ著、小野正嗣訳、ちくま学芸文庫、2019年9月、本体1,200円、文庫判304頁、ISBN978-4-480-09935-8
『改訂増補 古文解釈のための国文法入門』松尾聰著、ちくま学芸文庫、2019年9月、本体1,700円、文庫判672頁、ISBN978-4-480-09940-2
『戦略の形成――支配者、国家、戦争(上)』ウィリアムソン・マーレー/マクレガー・ノックス/アルヴィン・バーンスタイン編著、石津朋之/永末聡監訳、歴史と戦争研究会訳、ちくま学芸文庫、本体1,900円、文庫判784頁、ISBN978-4-480-09941-9
『シェーンベルク音楽論選――様式と思想』アーノルト・シェーンベルク著、上田昭訳、ちくま学芸文庫、2019年9月、本体1,300円、文庫判352頁、ISBN978-4-480-09948-8
『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼――日本五大どんぶりの誕生』飯野亮一著、ちくま学芸文庫、2019年9月、本体1,200円、文庫判320頁、ISBN978-4-480-09951-8

★『世界の混乱』は、『アイデンティティが人を殺す』(Les Identités meurtrières, Grasset, 1998;小野正嗣訳、ちくま学芸文庫、2019年5月)に続く、小野さんによるマアルーフ作品の文庫オリジナル訳書第2弾。原書は『Le Dérèglement du monde』(Grasset, 2009)です。目次は以下の通り。Ⅰ「いつわりの勝利」、Ⅱ「さまよえる正統性」、Ⅲ「想像力による確信」、エピローグ「長すぎた歴史」、注記。訳者による解説やあとがきはありません。ただし、注記で支持されている本書の参考文献や著者自身の注釈、読書案内を掲出していたはずのウェブサイト(www.bibliographiemaalouf.com)について、2019年7月現在は閲覧できない旨が訳注で記されています。9月現在も閲覧できません。

★「私たちが生きている時代――個々の文化が日常的に他の文化と出会い、個々のアイデンティティが強固にみずからを表明する必要を感じ、個々の国や町がその内部で微妙な共生を組織しなければならない時代において、問題は、私たちの宗教的、民族的、文化的な偏見が、以前の世代よりも強まったとか弱まったとかいうことではなく、みずからの社会が暴力や狂信や混沌へと逸脱するのを私たちが防げるかどうかなのです」(72頁)。

★「問題は、日々私たちの生活を便利にしていく急速な物質的な進化と、私たちの道徳的な進化――あまりに緩慢で、このままでは私たちは物質的な進化の悲劇的結果にとても立ち向かえません――とのあいだのスピードの差なのです」(73頁)。この2箇所だけの引用ではとうてい足りません。末長く読まれるべき本です。マアルーフの真摯な警句が胸に沁みます。「あらゆる国、あらゆる都市で隣り合って暮らすさまざまな出自の人びとは今後もずっと、歪んだプリズム――紋切り型、昔からずっと続く偏見、単純なイメージーーごしにたがいを眺めるのでしょうか? 私たちの習慣と優先事項を変えて、私たちが生きるこの世界にもっと真摯に耳を傾けるときが来たと思われます。この21世紀にはもはや外国人などいないからです。「旅の同行者」しかいないのです。通りの反対側に住んでいようが、地球の反対側に住んでいようが、私たちは目と鼻の先に暮らしているも同然なのです。私たちの行為が世界中の人々に影響を及ぼし、彼らの行為もまた私たちに実際に影響を及ぼすのです」(188頁)。

★『改訂増補 古文解釈のための国文法入門』は巻末の特記によれば、本書は1973年12月に研究社より刊行された単行本の文庫化で、「1991年の改訂13版を底本とし、ルビを増やした。なお、明らかな誤りは適宜訂正した」とのことです。著者は1997年に没しており、解説「碩学の示したスタートライン」は國學院大學教授の小田勝さんがお書きになっています。「絶大な支持を得た往年のベストセラー」であり、「初学の学習者にも、プロの専門家にも有意義」と評されています。

★『戦略の形成』上巻は、2007年11月に中央公論新社より刊行された上下巻の単行本を文庫化するもの。まず上巻が9月発売で、下巻は10月発売予定です。原書は『The Making of Strategy: Rulers, States, and War』(Cambridge University Press, 1994)で、上巻には第一章「はじめに――戦略について」(ウィリアムソン・マーレー/マーク・グリムズリー著、源田孝訳)から、第十一章「決定的影響力を行使する戦略――イタリア(1882~1922年)」(ブライアン・R・サリヴァン著、源田孝訳)までが収録されています。「戦略史研究の画期的名著」(帯文より)。

★『シェーンベルク音楽論選』は1973年9月に三一書房より刊行された単行本『音楽の様式と思想』の文庫化。巻末特記によれば、原書『Style and Idea』(Philosophical Library, 1950;Univ. of California Press, 1984年)を参考にし、譜例などに訂正を加えたとのことです。ブラケット[ ]は編集部補注。巻末の文庫解説は岡田暁生さんが寄せておられます。「世評とは対照的にシェーンベルクは、自分のことを歴史を断絶させる革命家ではないと思っていた。過去を継承し、それを前へ進めるのだと考えていた。〔…〕シェーンベルクは直線的な歴史の前進を信じるモダニストであった。〔…〕彼は「過去に戻る」ことを厳しく自分に禁じていた」(340頁)と評されています。ちなみにシェーンベルクの著書が文庫化されるのはレーベルを問わず今回が初めてのことです。同書は古書で購入しようとすると1万円以上することが多かったので、まさに待望の文庫化と言えるでしょう。目次は以下の通り。

[訳者解説]アーノルト・シェーンベルクの調性感について(上田昭)
音楽の様式と思想
革新主義者ブラームス
グスタフ・マーラー
十二音による作曲
音楽における心と理性
音楽教育の方法と目的
音楽評価の基準
音楽と詩の関連性
民族的音楽について
芸術の想像と大衆性
シェーンベルクの用語について(上田昭)
訳者あとがき(上田昭)
文庫解説(岡田暁生)

★『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼』は文庫オリジナルの書き下ろし。どんぶり物の日本史をひもとくもの。「どんぶり物の誕生は、日本の食文化史における一つの革命であった」(「はじめに」3頁)。「ご飯の上におかずをのせるという革命は、今からおよそ200年前の文化年間(1804~18年)に起こった。鰻丼が発明され、売りにだされたのだ。〔…〕そして、鰻丼人気に支えられて、天丼、親子丼、牛丼、かつ丼といった日本人に人気のあるどんぶり物が誕生してくる。ただし、それは明治以降のこと」(同4頁)。「多くの史料にあたることで、これまで明らかにされていなかった、鰻丼が生まれた時期やその背景、天丼よりも天茶〔かきあげなどをご飯に乗せてお茶漬けにしたもの〕が先行した事実、鳥肉と鶏卵を食べるようになってもなかなか親子丼が生まれなかった理由、牛丼ブームが起きたある事情、かつ丼が生まれてくるまでの過程、等々を突き止めることができた」(同3~4頁)。大いに興味をそそられる労作です。

★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

力なき者たちの力』ヴァーツラフ・ハヴェル著、阿部賢一訳、人文書院、2019年8月、本体2,000円、4-6判並製154頁、ISBN978-4-409-03104-9
大江健三郎とその時代――「戦後」に選ばれた小説家』山本昭宏著、人文書院、2019年9月、本体3,500円、4-6判上製330頁、ISBN978-4-409-52079-6
人類の意識を変えた20世紀――アインシュタインからスーパーマリオ、ポストモダンまで』ジョン・ヒッグス著、梶山あゆみ訳、インターシフト発行、合同出版発売、2019年9月、本体2,250円、四六判並製392頁、ISBN978-4-7726-9565-7
小説集 明智光秀』菊池寛/八切止夫/新田次郎/岡本綺堂/滝口康彦/篠田達明/南條範夫/柴田錬三郎/小林恭二/正宗白鳥/山田風太郎/山岡荘八著、末國善己解説、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判上製236頁、ISBN978-4-86182-771-6

★『力なき者たちの力』は発売済。『Moc bezmocných』(『Spisy, sv. 4. Eseje a jiné texty z let 1970–1989. Dálkový výslech』(Praha: Torst, 1999, str. 224-330)の全訳。哲学者ヤン・パトチカの想い出に捧げられた、ポスト全体主義体制をめぐるハヴェル(Václav Havel, 1936-2011)による論考「力なき者たちの力」(1978年)と、共産党による独裁国家だったチェコスロバキア社会主義共和国時代の民主化運動文書「憲章七七」(1977年)を収録しています。

★「力なき者たちの力」から引きます。「現実と直面しない限り、「見せかけ」は「見せかけ」として見えない。「真実の生」と直面しなければ、「嘘の生」が嘘であることを暴く視点は存在しない。〔…〕ポスト全体主義体制における「真実の生」にあるのは、実存的(人間が人間らしさを取り戻す)、認識論的(あるがままの現実を明らかにする)、倫理的(他の模範となる)次元だけではない。これらにも増して、明らかに政治的次元がある。/体制の基本的な支柱が「嘘の生」であるとしたら、「真実の生」がその根本的な脅威となるのは当然である。それゆえ、「真実の生」は、何にも増して厳しく抑圧されることになる」(36頁)。

★「ポスト全体主義体制の社会では、伝統的な意味での政治的生活はすべて根絶やしにされている。人びとが公けの場で政治的見解を表明できる可能性はなく、そればかりか、政治組織を編成することも叶わない。その結果生じた隙間は、イデオロギーの儀式がことごとく埋めることになる。このような状況下、政治への関心は当然のことながら低下し、大半の人びとは、独自の政治思想、政治的活動といったものは現実離れした抽象的なもので、ある種の自己目的化した戯れでしかなく、強固な日常という心配事から絶望的に遠く離れたものと感じる」(51頁)。

★ハヴェルの言葉は、今となっては打倒された遠い国の話どころではなく、日本人が生きる現実を強烈に照射するものでもあります。日本が果たして充分に「自由で民主的」な国かどうか、疑わざるを得ない人々にとっては、本書は数少ない《信じるに足る一書》です。広く読まれることを祈るばかりです。

★『大江健三郎とその時代』はまもなく発売(9月9日取次搬入)。「大江健三郎の小説と発言を戦後社会の変遷のなかに位置づけるという、筆者の長年の課題に取り組んだ」(「あとがき」323頁)もの。「より具体的に述べると、「共同体」と「超越性」という二つの概念を意識しながら、大江の試みを戦後史のなかに置き直していく」(「はじめに」13頁)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。

★『人類の意識を変えた20世紀』は発売済。『Stranger Than We Can Imagine: Making Sense of the Twentieth Century』(Soft Skull Press, 2015)の訳書。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「19世紀の目で見ている限り、21世紀の意味など絶対に掴めない」(13頁)と考える著者は20世紀に点在する「暗く深い森」に果敢に分け入ります。「過激な新しい概念に共通するパターン」を見出そうとする興味深い試み。

★『小説集 明智光秀』は発売済。明智光秀を題材にした小説作品の名編12篇を独自に集めたアンゾロジー。収録作品は書名のリンク先でご確認いただけます。帯文には「2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』視聴者必読」と謳われています。編者の末國善己さんによる解説は、古今の物語世界で描かれた、史実とは「まったく違う光秀」像の来歴に言及しており、光秀像のアクチュアリティが紹介されています。


by urag | 2019-09-08 23:26 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 01日

藤原書店さんの2019年8月新刊3点『気候と人間の歴史(I)』『資本主義の政治経済学』『国難来』

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★藤原書店さんの2019年8月の新刊3点をご紹介します。

気候と人間の歴史(Ⅰ)猛暑と氷河 一三世紀から一八世紀』エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ著、稲垣文雄訳、藤原書店、2019年8月、本体8,800円、A5判上製736頁、ISBN978-4-86578-237-0
資本主義の政治経済学――調整と危機の理論』ロベール・ボワイエ著、山田鋭夫監修、原田裕治訳、藤原書店、2019年8月、本体5,500円、A5判上製440頁、ISBN978-4-86578-238-7
国難来』後藤新平著、鈴木一策=編・解説、藤原書店、2019年8月、本体1,800円、B5変上製192頁、ISBN978-4-86578-239-4

★『気候と人間の歴史(Ⅰ)』は『Histoire humaine et comparée du climat, t. 1 Canicules et glaciers XIIIe-XVIIIe siècles』(Fayard, 2004)の全訳。以後、2006年に第2巻『食糧不足と革命 1740年から1860年まで』(t. 2, Disettes et révolutions)、2009年に第3巻『1860年から今日までの再温暖化』(t. 3, Le réchauffement de 1860 à nos jours)が原著では刊行されており、訳書も続刊予定となっています。ル=ロワ=ラデュリ(Emmanuel Le Roy Ladurie, 1929-)は、ジョルジュ・デュビー(Georges Duby, 1919-1996)や、ジャック・ル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924-2014)らと並ぶアナール学派第3世代の代表的な歴史学者。彼はすでに今から半世紀以上前のデビュー当時に『気候の歴史』(Histoire du climat depuis l'an mil, Paris, Flammarion, 1967;稲垣文雄訳、藤原書店、2000年)を上梓しており、訳者は「研究活動のスタートとその締めくくりの時期に気候に正面から取り組んだ著書を出版したことは、著者にとって気候は終生の重要テーマであったことをうかがわせる」と指摘しています。『気候の歴史』から『気候と人間の歴史』の間には実に37年が経過しています。

★フランスを中心にヨーロッパの気候を扱う本書では「人間にとっての気候の歴史が問題となるであろう。気候と気象の変動がわれわれの社会に与えた影響、特に食糧不足と、ある場合には疫病をも媒介とした影響も扱うことになろう」(まえがき、13頁)。温暖化と寒冷化の繰り返しがもたらす影響には現代人が想像しえないものがあります。例えば第3章「クワットロチェント――夏の気温低下、引き続いて冷涼化」に引かれている当時のパリの一市民による記録では、1439年の冬の終わりから春にかけての飢饉の風景が伝えられています。曰く「この時期はルーアンでも値段が高い時期であり、粗末な小麦1スティエが10フランするし、食料は皆値段が高い。そして、毎日、路に小さな子供たちが死んでいて、それを犬や豚が食べているのを目にする」(139頁)。第Ⅰ巻はこのあと、17世紀半ばから18世紀初頭まで続いたマウンダー極小期やその始まりの頃に数年間続いた「フロンドの乱」について論究しています。間違いなく新聞書評に取り上げられるであろう大作です。

★なお、先立つこと10年前に同訳者によって上梓された『気候と人間の歴史・入門――中世から現代まで』(稲垣文雄訳、藤原書店、2009年)は『Abrégé d'histoire du climat du Moyen Âge à nos jours. Entretiens avec Anouchka Vasak』(Fayard, 2007)の訳書です。ル=ロワ=ラデュリと文学研究者アヌーチカ・ヴァサックとの対談本で、『気候と人間の歴史』の第Ⅱ巻と第Ⅲ巻との間に上梓されており、基本的には今回から訳書全三巻の刊行開始となった『気候と人間の歴史』とは別物です。

★『資本主義の政治経済学』は『Économie politique des capitalismes. Théorie de la régulation et des crises』(La découverte, 2015)の全訳。第Ⅰ部「基礎編」は2004年に原著が刊行されていた『レギュラシオン理論――その基礎』の再録であり、レギュラシオン理論の基本概念を解説するもの。第Ⅱ部「展開編」では、同理論の新たな展開が示されています。帯文に曰く「「レギュラシオン」の基本教科書、ついに誕生!」「「レギュラシオン派」の旗手による最高かつ最後の教科書である」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ボワイエ(Robert Boyer, 1943-)はフランスの経済学者。訳書の多くは藤原書店さんから刊行されています。

★「複雑で変わりゆく政治と経済の関係を分析することはまさに、レギュラシオン理論の目的のひとつである。それは本書の今後の諸章で十分に展開される」(日本の読者へ、11頁)。「政治的過程と経済的過程は本来的に組み重なっているのであり、しかもその階層性は時期によって変化するのである」(同、15頁)。「新たなレギュラシオン(調整)はどのように出現するのか、そしてひとつの資本主義形態が別の形態へと移行するのを保証する過程はどのようなものであるか。変化は本質的に内生的なものである。つまり、ひとつの発展様式が成功し、普及し、ついで成熟する間に、それを不安定化させ、大危機に陥らせていくような諸力が働く。こうした過程は、諸制度が局地的であるか、部門レベルのものであるか、あるいは反対にグローバルなものであるかに応じて、大いに異なる。大危機は、社会的対立に対して政治的なものが介在することによってしか乗り越えられない」(序論、45~46頁)。

★『国難来(こくなんきたる)』は、政治家・後藤新平(ごとう・しんぺい:1857-1829)の講演要旨『国難来』(内観社、1924年、非売品)に、翌1925年に巷間で印刷に附された論考「普選に備えよ」を一部中略して併録し(全文は例えば、軽井沢町立図書館デジタルアーカイブの「軽井澤町報」1925年8月20日発行にて閲覧可能)、巻末に編者の鈴木一策さんによる解説「『国難来』を読む――後藤新平の「東西文化融合」の哲学」と、「世界比較史年表(1914–1926)」を配したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者による巻頭の「はじめに」によれば「1923年9月1日に首都東京、横浜を襲った関東大震災から半年後の1924年3月5日、東北帝国大学に招かれて学生たちに講演したものに、後藤新平が手を入れ、翌月私家版の小冊子として出版したもの」とのこと。

★「私は、因縁・情実・利害の縄で十重二十重に縛られている今日の人びとが何と思おうとも、政府ないし政党・政派を超越した見地から、国家の憂うべき現状を赤裸々に述べて、純真な青年諸君に訴え、その囚われない判断を乞おうとすることは、明日の国家と国民の命運に対する私の義務であると信ずる。すなわち、過日、東北帝国大学の学生諸君の求めに応じて試みた講演の要旨を抄録して、真理探究の忠実なる使徒である生年・学生諸君の厳正なる批評を仰ぎたいと思う」(18頁)。

★「最大級の国難として挙げざるをえないのは、政治の腐敗・堕落」である」(34頁)と指摘する後藤は次のように政党政治を批判します。「極言すれば、政党はすべて利権獲得株式会社である。とっくに利権獲得を目的とする集団になっている。だからこそ、いったん政権を手に入れれば、早速に国家の金蔵から盗み、公有の山林をこっそり奪い取り、あらゆる罪悪的な利益の独占に溺れ浸りきって、少しも恥じないばかりでなく、わが会社の株主に、これこれの利益配当を与えると偉そうに言いふらし、全国に株主を募り、多くの株主を背景にもっと大掛かりな盗み略奪の輪を拡大して、止まるところを知らぬに至っているではないか」(41~42頁)。「はたしてまさに、言葉は心の象徴である。彼らが日常の口癖としている「我党内閣」という言葉は、国家を私有財産視する徒党の本領を、切実に見事に表現した名文句である」(42頁)。

★「国民、特に純真な青年諸君がこのような大国難を招いた罪の一切を政党に押しつけ、今日の政毒にわれわれは無関係だ、われわれだけは清潔だと自認でもしようものなら、政毒の洗徐〔ママ〕など実にいつまでたっても不可能だと言わなければならない。確かに、青年諸君および選挙権のない大多数の国民は、形式上は政治の門外漢で、功績も罪も無関係で直接の責任はないと言えばそうなのであり、責任逃れの口実はあるに違いないが、私は言いたい、青年諸君よ、そういう口実は捨ててしまえ、と。そういう逃げ口上が今の国家の病である、と」(44頁)。

★「古来、聖人・賢人は、天災地変に対してさえ、自己の不徳を責めたのだ。われらは凡俗の徒であるとしても、わが父、わが兄、わが隣人の罪を分ちあって、自らを責めるくらいの、天を敬し人を愛する至情がなければ、造物主にたいしてまことに相すまぬ次第である。青年諸君、諸君は責任を他に転嫁して、政界の堕落を嘆き、社会の罪悪に腹を立てる無責任をやめよ。政治の改革も、社会の改造も、結局は、自己改造に行き着いて初めて真実の意義を帯びてくるのだ。既成政党と自分とを切り離して、既成政党の罪悪を責めるだけでは、決して政界の汚濁を洗浄することなどできっこない。諸君が、その罪を憎むとともに、その人を赦し、悪い政党員よどうか善心に立ち還って善い政党員となりますようにと祈っても祈っても足りないくらい、自ら務め自ら責める気持ちになった時、初めてわが政界は堕落の淵から救い出されるのである」(45~46頁)。

★後藤は「西洋の個人主義文明」に「わが国の皇室を中心とする一大家族主義の文明」を対置し、「同じ立憲政治といっても、あちらの憲法は闘争の血にまみれた簒奪の記録であるが、わが憲法〔大日本帝国憲法〕は君民調和の歓びを永遠に確保する大御心の発露であって、一大倫理主義に出発している」(54頁)と書いています。「普選に備えよ」の本書に収録されなかった箇所では「帝国憲法が、明らかに皇室を中心とする大家族主義の国体美の所産であり、其の参政権はこの国体美を中外に宣揚する。国民の重要なる義務であることに、最早寸毫の疑ひを挟む余地はない。苟〔いやしく〕も有権者が、明治大帝のこのご信頼に感激して起てば、我が憲政の倫理化は期して待つべきのみ。国難何ぞ恐るるに足らん」。こうした認識から現代人は敗戦を経て隔てられており、帝国憲法の時代にもはや立ち戻ることはないとはいえ、それでもなお後藤が現代人に示唆しうる視点はあると思われます。

★『国難来』に戻ると「言うまでもなく、自治教育は立憲政治の基本であって、国民の自治人として行動する訓練が行き届いていなければ、立憲政治の運用がうまくいかないのは当然である。そこで、私は日々、自治教育の標語として以下の三項目を掲げている。/一、人のお世話にならぬよう(自主自治)/一、人のお世話をするように(社会奉仕)/一、而して報いを求めぬよう(皇恩報謝)/幸いにも、有権者がこの奉仕を心がけて選挙に臨めば、政治の争いはおのずと浄化され、政治はおのずから倫理化されるに相違ない。たとえ今度の選挙で一度に変えられなくとも、ついにはそこまでゆくことは明らかである」(52~53頁)。後藤は「選挙権という言葉は日本的ではないと思う」(53頁)。「わが国では、これを選挙義務と呼ぶほうがむしろ妥当なのではなかろうか」(54頁)と述べます。

★皇室や政党政治を最終的な拠り所とすることのない自治が問われているこんにちに『国難来』を読む意義は、けっして小さくないでしょう。なお藤原書店さんでは10月よりピエール・ブルデューの大著『世界の悲惨』全3巻の完訳本の刊行がスタートするとのことです。 

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by urag | 2019-09-01 20:53 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 27日

ブックツリー「哲学読書室」に山下壮起さんと綿野恵太さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、2本のブックツリーが追加されました。『ヒップホップ・レザレクションーーラップ・ミュージックとキリスト教』(新教出版社、2019年7月)の著者、山下壮起さんによるコメント付き選書リスト「アフリカ的霊性からヒップホップを考える」。そして、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、2019年7月)の著者、綿野恵太さんによるコメント付き選書リスト「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊」。以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室
1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊
39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?
40)伊藤嘉高(いとう・ひろたか:1980-)さん選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか
41)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん選書「映画論で見る表象の権力と対抗文化
42)門林岳史(かどばやし・たけし:1974-)さん選書「ポストヒューマンに抗して──状況に置かれた知
43)松山洋平(まつやま・ようへい:1984-)さん選書「イスラムがもっと「わからなく」なる、ナマモノ5選
44)森田裕之(もりた・ひろゆき:1967-)さん選書「ドゥルーズ『差異と反復』へ、そしてその先へ
45)久保田晃弘 (くぼた・あきひろ:1960-)さん選書「新たなる思考のためのメタファーはどこにあるのか?
46)亀井大輔(かめい・だいすけ:1973-)さん選書「「歴史の思考」へと誘う5冊
47)須藤温子(すとう・はるこ:1972-)さん選書「やわらかな思考、奇想の知へようこそ!
48)斎藤幸平(さいとう・こうへい:1987-)さん選書「マルクスと環境危機とエコ社会主義
49)木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さん選書「いまさら〈近代〉について考えるための5冊
50)筧菜奈子(かけい・ななこ:1986-)さん選書「抽象絵画を理解するにうってつけの5冊
51)西山雄二(にしやま・ゆうじ:1971-)さん選書「フランスにおける動物論の展開
52)山下壮起(やました・そうき:1981-)さん選書「アフリカ的霊性からヒップホップを考える
53)綿野恵太(わたの・けいた:1988-)さん選書「「ポリティカル・コレクトネス」を再考するための5冊

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by urag | 2019-08-27 19:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日

注目新刊:ビフォ『フューチャビリティ』、アル=カリーリ編『エイリアン』、ほか

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フューチャビリティー ――不能の時代と可能性の地平』フランコ・ベラルディ(ビフォ)著、杉村昌昭訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01101-6
エイリアン――科学者たちが語る地球外生命』ジム・アル=カリーリ著、斉藤隆央訳、紀伊國屋書店、2019年8月、本体2,200円、四六判上製340頁、ISBN978-4-314-01170-9

★『フューチャビリティー』は『Futurability: The Age of Impotence and the Horizon of Possibility』(Verso, 2017)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。イタリア生まれの思想家フランコ・ベラルディ(Franco “Bifo” Berardi, 1949-)の単独著の訳書は、これまでに『プレカリアートの詩――記号資本主義の精神病理学』(櫻田和也訳、河出書房新社、2009年)、『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』(廣瀬純/北川眞也訳、洛北出版、2010年)、『大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』(杉村昌昭訳、作品社、2017年)の3点が刊行されており、今回の新刊はそれらに続く4冊目です。日本語版への序文でビフォはこう書いています。「民主主義はメディア・ポピュリズムと金融貴族主義という恐るべき怪物的権力形態をつくりだした。/政治の無力は人々のあいだに、抽象化のとてつもない力や民主主義に対して復讐したいという欲望を生み出した。そのような状況から民主主義的なやり方で脱出することはできない。/世界の北側諸国の大半は奥深くて不可逆的な分裂の局面に入った。それはレイシズムやナショナリズムの新たな暴力形態を伴った内戦の出現である」(iii頁)。

★「この本は三つの概念とそのあいだの関係に焦点をあてたものである。すなわち、可能性、潜在力、顕在力(権力)の三つである。私の意図は、現在われわれに問われている難問を解くために、この三つの概念の形成と機能を近代哲学のなかで再構築することであった。集合的知性とオートメーションテクノロジーの発達は可能性を包含しているが、まだ現働化していない。それはなぜかというと、主体的力が欠如しているからであり、ポストモダン社会の生活形態や表現形態をますます特徴づけている不能〔インポテンツ〕のためである。この不能は、社会運動の敗北、労働の不安定化、デジタルコミュニケーション時代の人間の存在的孤独などによってもたらされた。そしてこの不能が、逆説的にも権力が権力として機能する条件をなしているのである」(iv-v頁)。

★「デジタルテクノロジーの潜在力と危険がこの本の中心テーマである。このテクノロジーによってもたらされる加速化を私はこの本のなかで不明瞭な対象として見据えている。加速主義と呼ばれる思想運動は、資本主義のダイナミズムの加速化はそれ自体としてポジティブな現象である、なぜならそれはパースペクティブの転覆をもたらすものだから、と主張している。しかし私はこの思想運動に完全には同調できない。加速化はある種の解放に向かうかもしれないが、われわれが必要とするパースペクティブの転覆をもたらすのは、ポジティブな潜在力の出現としての主体性にかかっているからである。/したがって、主体の力能、知識、連帯、発明精神といったものが、これまで隠され、抑圧され、歪められながらも存在し続けてきたエネルギーを解き放つことができるかどうかに、すべてはかかっているのである」(v-vi頁)。

★本論でビフォはこう書きます。「彼らの問いは、これが生きることか? というものだった。/いや、この意味のない行為の意味のない繰り返しは生きることではなかったし、生きることではないのだ。/労働の拒否はマスプロ教育の時代に成長して労働者になった世代の特殊な状況に基づいた倦怠と悲しみに対する宣戦布告であった。そこにあるのは、彼らの文化的欲求と実存的期待の爆発である」(220頁)。「来たるべき戦いは経済的パラダイムの認識論的・実践的ヘゲモニーから知識の自立をいかにして勝ち取るかということをめぐるものとなるだろう」(262頁)。本書は、ネットワーク化された高度情報化社会における労働者である「認知労働者〔コグニタリアート〕」たちの協働と共闘を呼びかけた熱いメッセージであると受け止めることができます。知識のイノベーション、発明、実行に関わるという「認知労働者〔コグニタリアート〕」には、デザイナーやエンジニアなどが数え上げられていますが、出版人や書店人もまたそうであると言えるでしょう。


★『エイリアン』はまもなく発売。『Aliens. Science Asks: Is There Anyone Out There?』(Profile Books, 2016)の全訳です。帯文より引くと、「天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学・・・各分野の第一線に立つ20人が、地球外生命の定義、存在するための条件と可能性、その形態、探査方法を検討。現実として浮かび上がる新しい「エイリアン」の姿」。目次は下記の通りです。こんなにも盛沢山でたったの税別2,200円。素晴らしいです。

はじめに――みんなどこにいるんだ?|ジム・アル=カリーリ(理論物理学者)
第1章 われわれとエイリアン――ポストヒューマンはこの銀河全体に広まるのか?|マーティン・リース(宇宙論者)
第Ⅰ部 接近遭遇
第2章 招かれ(ざ)る訪問者――エイリアンが地球を訪れるとしたらなぜか|ルイス・ダートネル(宇宙生物学者)
第3章 空飛ぶ円盤――目撃と陰謀論をおおまかにたどる|ダラス・キャンベル(科学番組司会者)
第4章 地球上のエイリアン――タコの知性からエイリアンの意識について何を知りうるか|アニル・セス(認知神経科学者)
第5章 誘拐――地球外生命との接近遭遇の心理学|クリス・フレンチ(心理学者)
第Ⅱ部 どこで地球外生命を探したらいいか
第6章 ホーム・スウィート・ホーム――惑星をハビタブルなものにする条件は?|クリス・マッケイ(惑星科学者)
第7章 隣家の人――火星の生命を探る|モニカ・グレイディ(宇宙科学者)
第8章 もっと遠く――巨大ガス惑星の衛星は生命を育めるか?|ルイーザ・プレストン(宇宙生物学者)
第9章 怪物、獲物、友だち――SF小説のエイリアン|イアン・スチュアート(数学者)
第Ⅲ部 われわれの知る生命
第10章 ランダムさと複雑さ――生命の化学反応|アンドレア・セラ(無機合成化学者)
第11章 深海熱水孔の電気的な起源――生命は地球でどのように生まれたか|ニック・レーン(進化生化学者)
第12章 量子の飛躍――量子力学が(地球外)生命の秘密を握っているのか?|ジョンジョー・マクファデン(分子遺伝学者)
第13章 宇宙の必然――生命の発生はどのぐらい容易なのか?|ポール・C・W・デイヴィス(理論物理学者)
第14章 宇宙のなかの孤独――異星文明はありそうにない|マシュー・コッブ(進化生物学者)
第Ⅳ部 エイリアンを探す
第15章 それは銀幕の向こうからやってきた!――映画に見るエイリアン|アダム・ラザフォード(遺伝学者、著作家)
第16章 われわれは何を探しているのか?――地球外生命探査のあらまし|ナタリー・A・キャブロール(宇宙生物学者)
第17章 宇宙にだれかいるのか?――テクノロジーと、ドレイクの方程式と、地球外生命の探索|サラ・シーガー(惑星科学者、宇宙物理学者)
第18章 大気に期待――遠くの世界に生命のしるしを見つける|ジョヴァンナ・ティネッティ(宇宙物理学者)
第19章 次はどうなる?――地球外知的生命探査の未来|セス・ショスタク(天文学者)
訳者あとがき
インターネット
参考文献
アダム・ラザフォードの必見エイリアン映画リスト
索引
執筆者紹介



★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

薔薇色のアパリシオン――冨士原清一詩文集成』冨士原清一著、京谷裕彰編、共和国、2019年9月、本体6,000円、菊変型判上製296頁、ISBN978-4-907986-48-3
神の書――イスラーム神秘主義と自分探しの旅』アッタール著、佐々木あや乃訳注、東洋文庫:平凡社、2019年8月、B6変判上製函入552頁、ISBN978-4-582-80896-4
野の花づくし 季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』木原浩著、平凡社、2019年8月、本体3,000円、AB判並製192頁、ISBN978-4-582-54259-2
随筆 万葉集(一)万葉の女性と恋の歌』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-764-8
随筆 万葉集(二)万葉の旅、自然、心』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製272頁、ISBN978-4-86182-765-5
随筆 万葉集(三)大伴家持と永遠なる万葉』中西進編、作品社、2019年8月、本体1,800円、46判並製256頁、ISBN978-4-86182-766-2
現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』青土社、2019年8月、本体1,400円、A5判並製240頁、ISBN978-4-7917-1386-8
ハイデガーと時間性の哲学――根源・派生・媒介』峰尾公也著、渓水社、2019年8月、本体4,200円、A5判上製296頁、ISBN978-4-86327-484-6

★『薔薇色のアパリシオン』は、詩人の冨士原清一(ふじわら・せいいち:1908-1944)さんの初めての全作品集。ピンクの表紙が鮮烈な印象を与える一書。666部限定で、66部がナンバリングありで版元直販、後の600部がナンバリングなしの市販用とのことです。2篇の追悼文(高橋新吉「冨士原清一のこと」、瀧口修造「冨士原清一に――地上のきみの守護天使より」)や、詳細な年譜や底本書誌情報が附録として収められています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。フィリップ・スーポーによるボードレール論より引きます。「適切に批評と言はれるものに関しては、哲学者達は私が次に言はんとすることを理解することを希望する。――正確であるためには、換言すればそのレエゾン・デエトルをもつためには、批判は偏頗的であり、熱情的であり、政治的であらなければならない。即ち排他的見界に於て、だがそれは地平線の極限を開く見界に於て、なされなければならない」(212頁)。

★『神の書』は東洋文庫896番。アッタールの名作『鳥の言葉――ペルシア神秘主義比喩物語詩』(黒柳恒男訳、東洋文庫、2012年5月、品切)の姉妹編(1387年)です。巻末の訳者解説によれば「本書は、イランで出版された最新のシャフィーイー・キャドキャニー教授校訂(テヘラン、2008年)より、冒頭の神・預言者・正統カリフへの称讃のみを除いた全訳である」。巻頭の序章のほか、全23章で260篇の逸話が収められています。父王が6人の王子の質問に答えるという体裁。「官能、名声、富、権力、超絶知などへの欲望を斥け、真理に至る神秘主義の道程へと導く、乞食から王侯まで多彩な人々の多様な物語」(帯文より)。「素寒貧になるというのは一つのしるしであることを知っているのか? 真の王とは素寒貧であることなのだぞ。すべて失うことができる人は誰でも真の王なのだ。なぜならごまかしは、突然訪れる不幸のように人生を台無しにするからだ」(397頁、第十八章第十話「導師アブー・サイードと博打打ちの話」より導師の言葉)。

★これに続けてアッタールはこう記します。「神秘主義の道を歩むすべての獅子は、愛の世界では狐である。心して歩め、注視せよ、賢くあれ。ここでは不幸が雨のように降ってくるのだから、気をつけよ。もし真実に到達するために身を捧げ、我を消して神と合一しようと決めたなら、そして愛しいお方のために命を差し出すために、障害である肉体という幕帳〔とばり〕を取り払い、それを自身から遠ざけようと決めたなら、この道においてあなたがすべて失わなければいけないのは明白である。さもなければ、あなたは不完全で信仰心を持たない者でありつづけるだろう。もしすべてを失うのなら、イーサーがしたように針一本すら取っておいてはいけない、わずか一本の針でも、持っていれば、その針こそがあなたにとっての障害となり、あなたは目標に到達できなくなるのだから」(397~398頁)。ゆっくりと隅々まで注意深く読むべき一書です。

★『野の花づくし――季節の植物図鑑[秋・冬編+琉球・奄美 小笠原編]』は、今年2月に発売された『野の花づくし――季節の植物図鑑[春・夏編]』に続く第2弾。美麗なカラー写真とエッセイでページをめくる楽しさのある、マイナスイオンに溢れた癒しの図鑑です。個人的に見入ってしまったのは、未草(ヒツジグサ、スイレン科スイレン属)や、下がり花(サガリバナ、サガリバナ科サガリバナ属)。前者は尾瀬ヶ原の、後者は西表島の、それぞれ水辺で撮影。見においでよ、と誘われている気がします。

★『随筆 万葉集』3巻本は、「日本の名随筆」第61~63巻(1987~1988年、作品社)の新装復刊。各巻の収録作品は書名のリンク先でご覧いただけます。第1巻22篇、第2巻25篇、第3巻22篇。「万葉集」の副読本として最適ではないかと思います。ちなみにこのエントリーを書いている8月25日現在、次の祝日は数週間後の「敬老の日」ですが、第2巻に収録された市村宏さんの「老いの歌」にはこんなくだりがあります。「敬老の日まであるわが国であるが、敬老とは公民館に老人を招いて万才をみせることではなく、老人の豊かな経験を社会のために役立てさせ、自己の存在価値を彼等自身に認識させることに外ならない。定年制などを作り、人為的な姨捨山を築きながら何が敬老であろう」(78頁)。ちなみに市村さんはこのエッセイにおいて山上憶良と大伴旅人の和歌を取り上げています。「山上憶良は、老境に入ってから貧・病・老と取り組んだ。沈痾自哀文でも貧窮問答歌でも、十分に老年者の鑑賞にたえうるのは、その身を以てした闘いの成果であったからである。〔…〕憶良は悟って退くのではなく、不自由な足を引きずりながら人生の戦いを止めようとしない」(77頁)。

★『現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23』は2本の討議(岡本裕一朗+奥田太郎+福永真弓「ボーダーから問いかける倫理学」、池田喬+長門裕介「応用倫理学のメソドロジーを求めて」)のほか、17項目のトピック(環境、宇宙、食農、動物、ロボット、戦争、ビジネス、医療、生政治、生殖、世代間、高齢者、公衆衛生、ジェンダー/セクシュアリティ、美醜、共依存、サイバー・カルチャー)をめぐる諸論考と、3つのテーマ(フィクション、占い、ルポルタージュ)をめぐるエッセイが収められています。次号(10月号)の特集は「コンプライアンス社会(仮)」とのこと。興味深い特集が続きます。

★『ハイデガーと時間性の哲学』は、2018年に早稲田大学大学院文学研究科に提出された博士学位請求論文をもとに、部分的に加筆修正を施したもの。巻頭の序論「時間性の哲学――存在と時間の連関の解明」での説明によれば、「本書の課題は、ハイデガーの哲学を「時間性(Zeitlichkeit)」という主題への一貫した取り組みとして明らかにすることで、この哲学の根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし、その問題の解決の糸口を媒介という概念を用いて提示することにある」(3頁)。第一部「ハイデガーの時間性の哲学」と、第二部「フランスの哲学者たちによる時間性の哲学との対決」の二部構成全六章で、第二部ではレヴィナス、リクール、デリダらのハイデガーとの対峙が論じられています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★「時間性の哲学は、伝統的な時間論がそうするように、時間とは何かを問うことで、その本質を明らかにしようとしているというよりはむしろ、時間はいかに可能になっているのかと問うことで、その根源を明らかにしようとしている。そしてハイデガー以後に展開された時間に関するいくつかの哲学はまさに、彼の時間性の哲学との対決を通じて構築された」(同頁)。「本書では、はじめに、ハイデガーの時間性の哲学の概略を示すことで、そこに含まれた根本問題を根源と派生の問題として浮き彫りにし(第一部)、次いで、フランスの哲学者たちによるその問題の解決への取り組みを、特に媒介という概念を用いて明らかにすることを試みる(第二部)」(6頁)。

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by urag | 2019-08-25 22:24 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 18日

注目新刊:千葉雅也「デッドライン」(『新潮』9月号)、ほか

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★同じ時期に刊行された新刊書籍どうしには、偶然とも必然とも言いがたい響き合いが生じるときがあります。それは隠された鍵であり、もともと著者が外部へと向けて風穴を開けていることの証左でもあれば、読者側が磁場を作動させてしまう場合もあります。今回の場合、千葉雅也さん、中沢新一さん、サミュエル・ベケットのテクストに、互いを引き寄せ合う何かを感じました。

デッドライン」千葉雅也著、『新潮』2019年9月号所収、新潮社、2019年8月(本体907円、A5判並製396頁、雑誌04901-09)、7~77頁
レンマ学』中沢新一著、講談社、2019年8月、本体2,700円、四六変型判上製482頁、ISBN978-4-06-517098-4
マロウン死す』サミュエル・ベケット著、宇野邦一訳、河出書房新社、2019年8月、本体2,700円、46判上製212頁、ISBN978-4-309-20779-7

★千葉雅也さんの初めての小説作品「デッドライン」が文芸誌「新潮」2019年9月号に掲載されています。目次に記載されている紹介文は以下の通りです。「線上で僕は悩む。動物になることと女性になることとの間で。哲学者から小説家への鮮やかな生成変化。21世紀の『仮面の告白』、誕生!【230枚】」。作品名のリンク先で最初の一部を立ち読みすることができます。とても第一作とは思えないほどの見事な、魅力的な作品です。デビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、2013年;河出文庫、2017年)の前日譚として読むことができます。この作品の魅力と仕掛けは、おそらく千葉さんの人生の振り幅の分だけ存在しており、既刊書で表出されてきた様々な側面は今回の小説と見事に連環しているように思われます。この作品は時間軸に沿って展開するというよりは、過去と現在と未来が折りたたまれた水晶を覗き込むような印象を読者に与えます。60頁から61頁に掛けては、主人公の僕が語る物語の海面がめくれ上がるようにして友人知子が主語として浮上する場面があります。この何気ない特別さ。本作が三島由紀夫にとっての『仮面の告白』に似た意義を帯びるとすれば、千葉さんにとって「デッドライン」はひとつの「生の回復術」たりうるでしょうか。第二作が今から待望されるのも当然だろうと感じる快作です。

★「いま僕の円環はほどけ、僕は振動する線になって伸びていく。上昇し下降し、ある高さに留まり、途切れては再開する。/僕はときに向こうへと飛び越えそうになりながらも、線の手前でただ自転していた。そのバランスが崩れた。それが崩れた先でできることは何か。それは今度は、僕自身が線と一致することだ。外から与えられた線に対して程よい距離を測り続けるのではなく。泳ぎを楽しむ魚のすばやいカーブのような線になる。/僕は線になる。/自分自身が、自分のデッドラインになるのだ」(77頁)。音楽的という以上にこれは音楽なのでしょう。

★『レンマ学』はあとがきによれば、「『チベットのモーツァルト』に始まる三十年以上も続けられてきた私の探究のたどりついたひとつの山頂を示している」もので、「『レンマ学』の第一部をなす」、いわば到達であると同時に始まりでもある一書です。「その間に続けられたさまざまな訓練、読書、旅、問題の所在場所の位置測定、登頂ルートの検討と決定、装備の点検などをへて、私は一人でベースキャンプを出て山頂に向かった。しかしヒマラヤ地帯を歩いた経験からよく知っているのだが、山頂と思ってたどり着いてみると、そのむこうにはさらに巨大な山塊が聳えているのである。本書がたどりついた山頂なども、もっと巨大な山塊の小さな前山にすぎないのであろう。この「あとがき」を書いていても、私には自分の前にくっきりとその姿をあらわしているその「類推の山」(ドーマル)が見えている。この山は知的世界のグーグル地図にもまだ載っていない。しかもその山は想像以上に遠くにある」(457頁)。「とりとめもないほどに多様に思われたさまざまな助走路が、この道のまわりに集合して意味ありげな枝道として互いに結び合うようになった。私は日本人による創造を待っている新しい知的体系というものを探し求め続けてきたが、それに確実に手を掛けたという実感をこの時〔2016年度の南方熊楠賞授賞式講演の準備中〕持つことができた」(458頁)。

★「対称性が働きだすと、ロゴス的知性のつくりだしている「全順序」の構造は壊れてしまう。意識的思考にとってきわめて重要な時間における順序構造が壊れると、過去、現在、未来という時間の線形秩序が壊れてしまう〔…〕。無意識がむき出しの状態で意識を働きを圧倒しだすと、空間の中の点の順序も失われてくる。そうなると空間性じたいが失われていく。運動は時間の中で起こる空間的な場所の置き換えであるから、空間と時間が対称性無意識の働きによって失われると、運動そのものも消えていくことになる」(174頁)。

★『マロウン死す』(原著1951年刊)は、『モロイ』(こちらも原著1951年刊)に続く、ベケット没後30年個人訳三部作小説の第2弾。帯文に曰く「黒いユーモア、根深いペシミズム、そして小鳥の歌のような祈り――「小説三部作」の2作め」。投げ込み栞には、高橋悠治さんによる「声は色褪せ」と、金氏徹平さんによる「風のない夜は、私にとってまた別の風」、の2篇を収めています。宇野さんは訳者あとがきで次のように述べています。「『モロイ』に続けて書かれる『マロウン死す』で、物語を位置づける時空の観念は、もっと不連続で、しばしば唐突に切断される。基底の時間は、話者が自分の死に挑む時間に設定されている。その話者はおよそ三万日生きたとか、年齢は九十あるいは四、五十代であるとも、いい加減に書かれる。時間の観念などないに等しいが、死または終わりの観念ならば確かにある。しかし死はもちろん体験しえない出来事である(それなら生は体験しうるのか?という問いが当然わきあがってくる)。語り手の思考は、体験しえない死をめぐり、死の前のそのまた前の時間のなかにあるしかない。〔…〕〈臨死〉の時間を引き延ばし、加工し、仮構することができるのはベケットの言葉、語り手に託された思考だけである」(198頁)。

★ベケットは末尾付近でこう書いています。「この陰鬱な体たちの絡みあい、それが彼らだ。闇のなかでもはや彼らはひとつのかたまりにすぎない。黙ったまま、ほとんど見えない。たぶんたがいにしがみついている、頭はケープのなかで何も見えない。彼らは湾の遠くにいる、レミュエルはもう漕ぐのをやめ、オールは水のなかを滑っていくだけだ。夜は不条理にちりばめられ」(191頁)。この場面の、死の影をまとった暗さと、千葉さんの「デッドライン」の冒頭と末尾で描かれる、男たちの活力に満ち溢れた肉体と動きを包む闇の暗さとの、対比あるいは表裏一体。

★このほか、以下の新刊と既刊に注目しました。ヴァシェ、ペソア、レーヴィは、彼らが実存主義と分類されることはないかもしれませんが、生の苦悩と死を見つめた思索者であり書き手として、広い意味で20世紀の実存思想の星座を輝かせる、不可欠の存在ではないかと感じます。

戦時の手紙――ジャック・ヴァシェ大全』ジャック・ヴァシェ著、原智広訳、河出書房新社、2019年8月、本体3,400円、46判上製248頁、ISBN978-4-309-20778-0
不安の書【増補版】』フェルナンド・ペソア著、高橋都彦訳、彩流社、2019年8月、本体5,200円、四六判上製688頁、ISBN978-4-7791-2604-8
プリーモ・レーヴィ全詩集――予期せぬ時に』プリーモ・レーヴィ著、竹山博英訳、岩波書店、 2019年7月、本体2,800円、四六判上製272頁、ISBN978-4-00-061353-8
ラカン――反哲学3 セミネール 1994-1995』アラン・バディウ著、ヴェロニク・ピノー校訂、原和之訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製356頁、ISBN978-4-588-01100-9

★『戦時の手紙』はまもなく発売。既訳には『戦場からの手紙』(神戸仁彦訳、ゴルゴオン社、1972年;夢魔社発行、牧神社発売、1974年;村松書館、1975年)などがありましたが、久しぶりの新訳です。帯文はこうです。「シュルレアリスム誕生の霊媒者にして永遠の反抗者、23歳で自殺した伝説の詩人ジャック・ヴァシェ、100年目に降臨」。100年目というのはヴァシェ(Jacques Vaché, 1895-1919)の没年から数えてです。ヴァシェの手紙は今回初めての「ほぼ全訳」とのこと。目次は以下の通り。

はじめに|原智広
戦時の手紙 1915-1918
 ジャンヌ・デリアンの証言|ジャンヌ・デリアン
 アンドレ・ブルトンの証言|アンドレ・ブルトン
 手紙|ジャック・ヴァシェ
 小説「血濡れの象徴」|ジャック・ヴァシェ
 詩「蒼白なアセチレン」|ジャック・ヴァシェ
自殺に関するアンケート|「シュルレアリスム革命」誌2号、1925年、バンジャマン・ペレ/ピエール・ナヴィル編集
ジャック・ヴァシェの召喚|原智広
ジャック・ヴァシェ年譜
ジャック・ヴァシェに関する書籍
あとがき|原智広

★「自殺に関するアンケート」(141~191頁)は初訳です。問いはこうでした。「自殺はひとつの解決であるか?」。回答者は以下の通り。フランシス・ジャム、ジョゼフ・フロリアン、ピエール・ルヴェルディ、レオン・ピエール=クイント、アンドレ・ルベー、モーリス・ダヴィド、フェルディナンド・ディヴォワール、M・J・ポトー教授、ゴロディシュ博士、ギヨ・ド・セ、ジョルジュ・フレスト、レオン・ウェルト、ルイ・ド・リュシー、ルイ・バストール、ジョルジュ=ミシェル、ポール・ブラッシュ、ピエール・ド・マソ、ジョルジュ・デュヴォー、L・P、クロード・ジョンキエール、ポール・レシュ、フロリアン=パルマンティエ、フェルナンド・グレーグ、ミシェル・コルデー、ミシェル・アルノー、ボニオ博士、レオン・バランジェ、ジョルジュ・ポルティ、マルセル・ジュアンドー、ジャン・ポーラン、モーリス・ド・フルーリー博士、ポール・ルセーヌ教授、クレマン・ヴォーテル、ジャック・ヴァシェ、エ・ラッブ、バンジャマン・コンスタン、ジェローム・カルタン、セナンクール・オーベルマン、フィリップ・カザノヴァ、イヴ・グジャン、アンドレ・ビアーヌ、マキシム・アレクサンドル、アンドレ・ブルトン、アントナン・アルトー、ヴィクトール・マルグリット、ジョルジュ・ベシエール、ピエール・ナヴィル、ルネ・クルヴェル、M・E・テスト氏、アルノルト・バーグレイ、マルセル・ノル。アルトーの回答の出だしが印象的です。「いいえ、自殺は未だひとつの仮説にすぎない」(169頁)。

★ヴァシェは手紙でこう書いています。「薄汚い泥のような国家の統治は絶対的で、誰も反論を許さない。腐ったマヨネーズのような臭い、肢体から大量の腐った液体が滲み出る。少しでも耳を傾ければ、あなたたちの水面下では意味空疎な歌声が響き渡る、なんてひどい有様だ! どいつもこいつも綺麗ごとを歌っている。人々は瓦礫の中で片輪になりもがいている! 住居は粉々に潰され、人々は殺され、衰退している。これが進歩だって? 生活を改善するって? 火事の最中で火傷を負い、ひりひりする感じだ。見ろよ、こいつが「革命」ってやつさ! 実に見事なものだ。黙示録の契りの中で、よりよい都合がよりよい状況を生み出す、戦争という神像を崇めるものどもに天罰を下すために遣わされた仲介者が、あなたたちのおつむの中に湧いてくる、創世記に交わされた業という名の契りだ」(75頁)。訳者の原智広(はら・ともひろ:1985-)さんによる「ジャック・ヴァシェの召喚」はいわゆる訳者解説ではなく、ヴァシェの憑依によって成ったと言うべきテクストです。

★『不安の書【増補版】』は、2007年の新思索社版『不安の書』に、同書の底本であるクワドロス版(1986年)と重複していないピサロ校訂版(2010年)の断章6篇を選んで訳出し、増補分(621~633頁)として加え、合計466篇の断章を提示するもの。新思索社版は版元の廃業のため入手不可能になっていたので、今回の再刊は驚きであるとともに喜ばしいものとなりました。同書の抄訳版には、澤田直さん訳による『不穏の書、断章』(思潮社、2000年;新編、平凡社ライブラリー、2013年)があります。澤田さんは同書に添えた「止みがたき敗北への意志――ベルナルド・ソアレス著『不穏の書』解題」で、「ソアレスの反デカルト的言辞には、実存主義の背景にある世界への不安を先取りするものも見え隠れする」と指摘しておられます。

★「世界は感じない人間のものだ。実用的な人間になるための本質的な条件は感性に欠けていることだ。生活を実践する上で大切な資質は行動に導く資質、つまり意志だ。ところが、行動を妨げるものがふたつある。感性と、結局は感性をともなった思考に過ぎない分析的な思考だ。あらゆる行動はその性質上、外界に対する個性の投影であり、外界は大きく主要な部分が人間によって構成されているので、その個性の投影は、行動の仕方次第では、他人の進む道を横切ったりさえぎったり、他人を傷つけたり踏みつけたりすることになる。/したがって、行動するには、われわれは他人の個性、彼らの苦悩や喜びを容易に想像できないでいることが必要になる。共感する者は立ち止まってしまう。行動家は外界をもっぱら動かない物質――彼が踏みつけたり、道から取り除いたりする石のように、それ自身動かないものであれ、あるいは石のように取り除かれるか踏みつけられるかして抵抗するすべもないまま、石と同様に動かない人間であれ――そうした物質から構成されていると見なす。/実用的な人間の最高の例は、最高の行動集中力を持ち、しかもそれを最高に重要視するので、戦略家だ。人生はすべて戦争であり、したがって、戦闘は人生の総合だ」(断章103より、188~189頁)。

★私はペソアの中に、現代人の苦悩を見る思いがします。また、自分が考えてきたこと、書き記したこと、経験したことの原型と変奏を見出します。ペソアは現代人の隣人であり続け、『不安の書』はこれからも人々の共感のもとに読み継がれるに違いありません。おそらく本書は外国文学の棚に置かれるのでしょうけれども、カフカのアフォリズムやシオランの著書などと併せて、ペソアの思索は人文書の哲学思想棚においても、その一角を占めるにふさわしい深度を持っていると感じます。

★『プリーモ・レーヴィ全詩集』の原書である、生前最後の詩集『予期せぬ時に』は、まず1984年にガルツァンティ社から刊行され、1990年に同社から増補版が刊行されています。訳書ではこの増補版の全訳に加え、エイナウディ社版『プリーモ・レーヴィ全集』(1997年、2016年)に収められた、新たに見つかった詩3篇も併せて収録している、いわば特別版です。

★1984年10月29日の作品「ある谷」から印象的な前半部を引用します(137~138頁)。

私だけが知っているある谷がある。
そこには簡単にたどり着けない、
入り口に絶壁があり、
灌木が生い茂り、隠された徒渉場があり、流れは急で、
道は見分けがたい踏み跡になっている。
多くの地図にはその場所が出ていない。
そこに続く道は私一人で見つけた。
何年も費やし、
よくあるように、何度も間違えたが、
むだな時間にはならなかった。
私の前にだれが来たのか分からない、
一人か、何人か、あるいはだれも来なかったのか。
この問いは重要ではない。
岩の表面にしるしがある、
そのいくつかは美しいが、みな謎に包まれている、

★レーヴィ(Primo Michele Levi, 1919-1987)は、『予期せぬ時に』が刊行された1984年10月当時、評論家のアントニオ・アウディーノによるインタヴューに応えてこう発言しているそうです。「詩とは限界にまで凝縮された言語であり、意味論的に豊かで、わずかな言葉が多くの意味を持つ。〔…〕私は散文で書くものには、そのあらゆる言葉に責任を持てるが、詩ではそうできない。ある種の言い方をするなら、私は詩を興奮状態で書くと明言できるだろう」(訳者解説の引用より、214~215頁)。1981年には別の評論家ジュゼッペ・グラッサーノに答えて「私は詩をある方法に則って書くことはできない……それはまったく制御できない現象だ」(同、215頁)とも。ちなみに訳者解説では、レーヴィによるツェラン評にも言及されています。レーヴィはツェランに対し、こう書いているといいます。「意味不明な不完全な言語で、死にかけている、孤立した人が発するものだ。我々が死ぬ時はみながそうであるように。だが我々生者は孤立していないので、あたかも孤立しているように書くべきではない。我々は生きている限り責任を負っている。我々は書く言葉の一つ一つに責任を持つべきで、その言葉がきちんと目標に届くようにすべきなのだ」(レーヴィ「分かりにくく書くこと」)。

★竹山さんは次のように指摘します。「レーヴィはこうして詩の内容が読者に伝わるような書き方を理想として、詩作を進めたわけだが、実際に彼の詩がすべての人に分かりやすいかと言えば、必ずしもそうではない。彼は散文で使う言葉には責任を持てるが、詩ではそうできないと言っている。それは詩が理性で制御できないものを含んでいて、そうしたものは比喩や寓意を使って表現せざるを得ないからだ。この詩集では理性の人であるレーヴィが半分に裂かれ、制御できないもう一人の自分と向き合うさまを読むことができる」(218~219頁)。興味深いことに、レーヴィの詩はツェランより遥かに理解しにくいものとなっているように感じます。上記に引用した部分はまだ想い浮かべやすい方ですが、後半部まで読むと、前半部で示されたように感じたレーヴィの内面世界が結局のところ何を象徴しているのか、はっきりとは分からなくなります。それはレーヴィの意に反して極めて暗号的です。

★『ラカン』はバディウの講義録『Le Séminaire - Lacan : L'antiphilosophie 3 : 1994-1995』(Fayard, 2013)の全訳。書名にある通り、1994年から1995年にかけて、ラカンを講じた全9講の記録です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。バディウは巻頭の序文でこう書いています。「前世紀の50年代末以降、ラカンは私の知的道程の、必要不可欠でもあれば近づき難くもある道連れだった」(1頁)。そして第Ⅰ講冒頭ではこう宣言しています。「今年は、現代の反哲学について一昨年はじめた一連の講義の仕上げをしたいと思います。われわれは現代の反哲学を創始するニーチェの立場からはじめ、昨年はウィトゲンシュタインの立場を検討しました。そしてラカンで締めくくりということになります」(7頁)。講義の第一の課題は「どのような意味でラカンが反哲学者なのかを立証すること」であり、第二の課題は「ラカンが反哲学者というだけでなく、現代の反哲学の締め括りであると考えられうるのはなぜなのか、その理由を明らかにすること」だと表明されています。

★より大きな構想ではラカン論は次のようなバディウ自身の見取り図の中にあります。「1994~1995年度の〈セミネール〉は、最も著名な反哲学者をまさに取り上げた四部作に組み込まれている。この四部作を締めくくったのが反哲学の根本的な伝道者、すなわち聖パウロ〔『聖パウロ――普遍主義の基礎』河出書房新社、2004年〕であったのに対し、まず取り上げられたのは現代の反哲学者たち、つまりニーチェ(1992~1993年度)、ウィトゲンシュタイン(1993~1994年度)そしてラカンであり、これらの三人は古典的反哲学者の三人組、パスカル、ルソーそしてキルケゴールに対置されていた。この三人組については、おそらくいつかセミネールを行なうことになるだろう。彼らは十分それに値するし、そもそもすでに私の著作のなかで頻繁に召喚されている」(3頁)。訳者あとがきによれば、「ファイヤール社からはこの50年にわたるセミネールのうち、1983年から2013年までが順次刊行される予定であり、ラカンを取り上げた1994~1995年のセミネールは、その嚆矢として2013年に刊行されたものである」とのことです。なお、本書ではセミネール一覧も掲載されています。

★本書は、ラカンにとってのマルクスについて論及される第Ⅴ講、ジャン=クロード・ミルネールとのやり取りから成る第Ⅸ講、など、興味深い内容ばかりで、今まで日本語で読むことのできたラカン論の中でもっとも異色かつ明晰な切り口になっているように思われます。

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by urag | 2019-08-18 18:49 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 14日

注目新刊:江川隆男『すべてはつねに別のものである』河出書房新社、ほか

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★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』)
『アンチ・モラリア』(河出書房新社、2014年)に「つながるような論文、またこの書物の成果を部分的により展開した論文を集めたもの」(あとがきより)だという『すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論』を河出書房新社さんより上梓されました。書名は、アントナン・アルトーのテクスト「なぜ私は病気なのか」(1947年;『アルトー後期集成Ⅲ』所収、河出書房新社、2007年)の末尾の2行「何も決定的ではない、/すべてはつねに別のものである」から採られているとのことです。

すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論
江川隆男著
河出書房新社 2019年8月 本体2,900円 46判上製264頁 ISBN978-4-309-24921-6

目次:
序文
Ⅰ 現前と外部性――非-論理の革命的思考について(書き下ろし)
 序論――〈非-論理〉の唯物論はいかにして可能か
 [Ⅰ:問題提起] 発生する変形的諸要素
  ――どのように言語から媒介的特性を除去することができるか
 [Ⅱ:問題構成] 図表論的総合
  ――いかにして言語から言表作用を抽出することができるか
 [Ⅲ:問題実現] 観念の非-言語的力能
  ――身体の一属性として言表を作用させること
 結論に代えて――革命機械としての哲学
Ⅱ 哲学あるいは革命
 ニーチェの批判哲学――時間零度のエクリチュール(2008年)
 機械論〔マニシスム〕は何故そう呼ばれるのか
  ――フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(2010年)
 脱領土性並行論について――ガタリと哲学(2012年)
 〈脱-様相〉のアナーキズムについて(2015年)
 脱-様相と無-様相――様相中心主義批判(2015年)
 ディアグラムと身体
  ――図表論的〔ディアグラマティク〕思考の系譜について(2015年)
 破壊目的あるいは減算中継――能動的ニヒリズム宣言について(2016年)
 最小の三角回路について――哲学あるいは革命(2017年)
 論理学を消尽すること――ニーチェにおける〈矛盾-命令〉の彼岸(2018年)
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ(2019年)
あとがき

帯文より:スピノザとドゥルーズ=ガタリをつきぬける孤高の哲学者によるおそるべき触発。無-媒介、非-存在、非-論理、無-様相としての〈来るべき民衆〉を生成させる絶対的な〈外〉の哲学。

推薦文:次世代の哲学者から圧倒的支持! 近藤和敬氏「スピノザに導かれて進む内在主義の荒涼たる極北」。平尾昌宏氏「この明晰な狂人の言葉なき歌を作動させよ!」。堀千晶氏「自由意志を焼き尽くす《無調》の戦争機械=哲学」。小林卓也氏「乱流する〈反-思考〉がすべてを破壊し変形する」。

あとがきより:「『アンチ・モラリア』の出版前に書いた三論文と出版後に書いた七論文を選定し、それらを「第Ⅱ部」に纏め、また「第Ⅰ部」には書き下ろしのかなり長い論文を入れた。〔…〕第Ⅱ部の既発表の諸論文に関して言うと、若干の文字の修正以外、ほぼ手を加えていない。というのも、そられは、つねに完全性のなかで発表されたものだからである。〔…〕第Ⅰ部の「厳然と外部性」について言うと、このテーマは、ほぼ15年前から少しずつ考え続けてきたものである。この問題の部分がこうした著作において実現できたことを喜びに思っている」。

本文より:「哲学は、今日の人文科学と称されるものの一分野に絶対に収まる思考ではない。哲学は、一つの科学でも学問でもない。哲学は、同じ意味において絶対に形而上学ではない。哲学は、つねに価値転換と意味変形を使命としたむしろ〈反-思考〉それ自体である。その限り哲学は、つねに革命的思考を、すなわち非-加速的な系譜学的逆行を選択するであろう。哲学は、たしかに概念の形成を使命とするが、それ以上に概念を武器にするのである。哲学は、絶えず〈来るべき民衆〉が万民に放つ矢である」(「現前と外部性」86頁)。

★柏倉康夫さん(訳書:マラルメ『詩集』)
限定120部(番号入)の私家版として、アルベール・カミュ『結婚』の訳書を上梓されました。底本は1950年のガリマール版。「窪田啓作、高畠正明両氏の既訳があるが、あえて自分なりの翻訳をこころみた」(訳者あとがき)とのことです。フランス図書さんで販売されています。

結婚
アルベール・カミュ著 柏倉康夫訳
柏倉康夫発行 上野印刷所印刷 2019円7月 頒価本体1,000円 A5判並製90頁 ISBNなし

★川合全弘さん(訳書:ユンガー『追悼の政治』『労働者』『ユンガー政治評論選』)
京都産業大学法学会の紀要「産大法学」で、昨年から今年にかけて連載されていた論考「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学」が全3回で完結しました。岩畔豪雄(いわくろ・ひでお:1897-1970)は昭和期の陸軍少将で評論家。著書に『世紀の進軍シンガポール総攻撃――近衛歩兵第五連隊電撃戦記』(潮書房、1956年;光人社NF文庫、2000年)、『戦争史論』(恒星社厚生閣、1967年)、『科学時代から人間の時代へ』(理想社、1970年)、『昭和陸軍 謀略秘史』(日本経済新聞出版社、2015年)などがあります。川合さんの論考では、京都産業大学史の文脈の中で岩畔豪雄の事績を掘り起こしつつ、京産大への岩畔の寄与、とりわけ世界問題研究所の創設と、同所長在職中に書かれた二冊の大著『戦争史論』『科学時代から人間の時代へ』とを、「敗戦国日本の軍人による大戦省察の持続的努力の優れた成果として見直すこと」(上篇「はじめに」より)が試みられています。下篇では「岩畔の戦争概念を、近代兵学史上の三人の先行者、すなわちクラウゼヴィッツ、ルーデンドルフ、石原莞爾の戦争概念と比較することによって、それ独自の意義を解明」(下篇3頁)することも試みられています。

「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(上)」(「産大法学」第50巻第1・2号所収、京都産業大学法学会、2018年1月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(中)」(「産大法学」第51巻第1号所収、京都産業大学法学会、2018年4月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(下)」(「産大法学」第53巻第2号所収、京都産業大学法学会、2019年7月)

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by urag | 2019-08-14 18:09 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 12日

注目新刊:斎藤幸平氏によるハート、ガブリエル、メイソンへのインタヴュー集『未来への大分岐』、ほか

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未来への大分岐――資本主義の終わりか、人間の終焉か?』マイケル・ハート/マルクス・ガブリエル/ポール・メイソン著、斎藤幸平編、集英社新書、2019年8月、本体980円、新書判352頁、ISBN978-4-08-721088-0
国家活動の限界』ヴィルヘルム・フォン・フンボルト著、西村稔編訳、京都大学学術出版会、2019年8月、本体5,800円、四六上製696頁、ISBN978-4-8140-0237-5

★『未来への大分岐』は、デビュー作である著書『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版、2019年4月)が話題の斎藤幸平さんによる、知的刺激に満ちたインタヴュー集。全面帯ではマルクス・ガブリエルの名前と写真が一番大きく掲げられていますが、インタヴューは、マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソン、の順で掲載されています。斎藤さんは各氏の発言を尊重しつつ補足するとともに折々に鋭い質問を投げかけており、全体としてたいへん明快な内容になっています。「最悪の事態を避けるためには、資本主義そのものに挑まなければならない危機的段階にきているのではないか。それが本書の問題提起である」(「はじめに」より)。経済の危機、政治の危機、文化の危機、報道の危機、環境の危機、等々、様々な問題が地球規模で噴出している現在、本書の論点と主張には胸に響くものがあります。新書大賞の上位にランクインすることが予想されます。

★「現実が絶望的なものになり、残された時間がわずかになればなるほど、国家権力や最新技術を使い、上からの「効率的な」改革を求めたくなる。だが、この危機的な状況をつくっているのにもっとも積極的に荷担しているのが、国家権力であり、資本であり、最新技術である事実を忘れてはならない。/だとすれば、残された解放への道は、ポストキャピタリズムに向けた、人々の下からの集合的な力しかない。「社会運動・市民運動が大事」という左派の念仏が人々の心に届かなくなって久しい。けれども、大分岐の時代においてこそ、ニヒリズムを捨てて、民主的な決定を行う集団的能力を育む必要があるのである」(「おわりに」より)。ガブリエルも素晴らしいのですが、本書の眼目はむしろ、ハートとメイソンという異なるタイプのマルクス系左派と斎藤さんとのやりとりにあります。マルクスに対して食わず嫌いになっている読者にも薦めたい一冊です。

★『国家活動の限界』は、「近代社会思想コレクション」の第26弾。『Ideen zu einem Versuch, die Grenzen der Wirksamkeit des Staats zu bestimmen』(『国家活動の限界を確定する試みのための思想』1792年)の全訳を第一部とし、第二部には関連テクスト4篇「国家体制についての理念――新フランス憲法を契機にして」、「ゲンツ宛フンボルト書簡」2通、「フォルスター宛フンボルト書簡」を収めています。続く第三部は「官僚制・国家試験・大学」と題して、「高等試験委員会の組織に関する鑑定書」「ベルリン大学設立の提議」「宗教・公教育局報告」「ベルリンの高等学問施設の内面的および外面的編制について」の4篇を収録し、第四部「参考資料 ドイツ憲法論」では1813年の「ドイツ憲法論」のほか、7篇の関連テクストを併録しています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文ではヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt, 1767-1835)はこう紹介されています。「J.S.ミルが激賞した「教養」思想家、ベルリン大学創設に賭けた官僚、そして、ドイツ統一を目指した国政家」と。

★「人間の真の目的とは、自分の諸能力を最も均斉のとれた最高の形で一個の全体へと陶冶することにある。この陶冶のためには自由が第一の必須条件である。とはいえ、人間の諸能力が発展するためには、自由のほかにもなお、それと緊密に結びついているけれども、それとは別種のもの、すなわち状況の多様性が必要である。どれほど自由闊達で独立不羈の人であっても、画一的な状態に置かれると、みずからの陶冶を完成しにくくなる」(12頁)。「どんな人間を相手にするにせよ、一人の人間であるという権利を認めないような思想には、それだけですでにいささか人間性を貶めるようなところがある。何人も、もっと高い段階に進むことができないほど低い文化段階にいるわけではない」(92頁)。

★なおヴィルヘルム・フォン・フンボルトの著作の既訳書には80年代以降では、『言語と精神――カヴィ語研究序説』(亀山健吉訳、法政大学出版局、1984年)や、『人間形成と言語』(クレメンス・メンツェ編、クラウス・ルーメル/小笠原道雄/江島正子訳、以文社、1989年)、『双数について』(村岡晋一訳、新書館、2006年)などがあります。

★続いて、ちくま学芸文庫の8月新刊4点5冊を列記します。

交易の世界史――シュメールから現代まで(上)』ウィリアム・バーンスタイン著、鬼澤忍 訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,400円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-09936-5
交易の世界史――シュメールから現代まで(下)』ウィリアム・バーンスタイン著、鬼澤忍訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,400円、文庫判400頁、ISBN978-4-480-09937-2
古代アテネ旅行ガイド―― 一日5ドラクマで行く』フィリップ・マティザック著、安原和見訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,200円、文庫判256頁、ISBN978-4-480-09939-6
賤民とは何か』喜田貞吉著、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,100円、文庫判240頁、ISBN:978-4-480-09934-1
現代語訳 藤氏家伝』沖森卓也/佐藤信/矢嶋泉訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体950円、文庫判144頁、ISBN978-4-480-09944-0

★『交易の世界史』上下巻は、2010年に日本経済新聞出版社より刊行された『華麗なる交易――貿易は世界をどう変えたか』の改題分冊文庫化。原書は『A Splendid Exchange: How Trade Shaped the World』(Atlantic Books, 2008)です。グローバリゼーションの起源から現在まで、古代から現代までを通覧する歴史書。下巻に収められた訳者あとがきは日付の新しいものになっていますが、訳文の改変等についての特記はありません。

★『古代アテネ旅行ガイド』は、文庫オリジナル。昨夏に同文庫で刊行された『古代ローマ旅行ガイド―― 一日5デナリで行く』(安原和見訳)の姉妹編です。タイムマシンに乗った気分で古代アテネの風物と文化を堪能することができる一冊。「そうだ、ソクラテスに会いに行こう。競技会を観戦→喜劇で大笑い→饗宴でワイン」という帯文が愉快です。図版多数。

★『賤民とは何か』は、2008年に河出書房新社より刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば、「文庫化に祭司、漢字の表記を改め、ルビ、送り仮名を補った。文章は著者が存命でないことと、執筆時の時代状況の観点から、そのままとした」。巻末には塩見鮮一郎さんによる解説「喜田貞吉――頑固者の賤民研究」が付されています。著者の喜田貞吉(きだ・さだきち:1871-1939)は歴史学者。青空文庫で多数の著作を読めますが、紙媒体の文庫版では今年5月に河出文庫より『被差別部落とは何か』が発売されています。

★『現代語訳 藤氏家伝』は文庫オリジナル。鎌足とその息子の貞慧、不比等の長男・武智麻呂、という三人の藤原氏の事績を伝える家史(奈良時代後半成立)です。「律令国家の形成期を理解するための重要伝記」と帯文にあります。現代語訳と原文に加え、佐藤信さんによる「解説」が巻末に付されています。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

街灯りとしての本屋――11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』田中佳祐著、竹田信弥構成、雷鳥社、2019年7月、本体1,600円、A5判並製160頁、ISBN978-4-8441-3758-0
マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界──人とその作品、継承者たち』山本博之編著、英明企画編集、2019年7月、本体2,500円、A5判並製480頁、ISBN978-4-909151-21-6
ねむらない樹 vol.3』書肆侃侃房、2019年8月、本体1,300円、A5判並製176頁、ISBN978-4-86385-370-6

★『街灯りとしての本屋』は11軒の素敵な書店を紹介する本。えほんやなずな(茨城・つくば)、クラリスブックス(東京・下北沢)、敷島書房(山梨・甲斐)、書肆スーベニア(東京・向島)、せんぱくBOOKBASE(千葉・松戸)、ひなた文庫(熊本・阿蘇)、双子のライオン堂(東京・赤坂)、Cat's Meow Books(東京・世田谷)、H.A.Bookstore(東京・蔵前)、Readin' Writin'(東京・田原町)、SUNNY BOY BOOKS(東京・学芸大学)。仲俣暁生さん、山本貴光さん、松井祐輔さん、田中圭祐さん(本書著者)、竹田信弥さん(本書構成)らによるコラムを併載。第二章「本屋の始め方」では「本屋を始めたい人のためのQ&A」や参考文献などが掲載されています。カラー写真多数。書店の間取り図もあり。編集後記によればすでに第2弾の企画もあるとのことです。

★『マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界』は英明企画編集さんのシリーズ「混成アジア映画の海」の第1弾。マレーシアの映画監督ヤスミン・アフマド(Yasmin Ahmad, 1958-2009)の諸作品を様々な角度から読み解く論文集です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者の山本さんは巻頭の「はじめに」でこう書いています。「ヤスミン作品を観ると、混成的なアジア世界を舞台に瑞々しい感性を持つ若本たちが織り成す切ない物語に心が打たれる。〔…〕ヤスミンは、映画を通じて「もう一つのマレーシア」を美しく描くことで、現実のマレーシア社会における心の救済を物語に託した」。なお、渋谷のシアター・イメージフォーラムでは8月23日(金)まで没後10周年記念「ヤスミン・アフマド特集」が上映されています。

★『ねむらない樹 vol.3』は第一特集が「映画と短歌」、第二特集「短歌の言葉と出会ったとき」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。木下龍也さんと町屋良平さんの対談「映画だからできること 短歌と小説にしかできないこと」で、ホラー映画ばかり見るという木下さんは『ノーカントリー』が好きで20回は見ていると町屋さんに話しながら、殺し屋シガーの「不気味さがたまらない。ああいう歌人になりたいですね」と仰っています。町屋さんは「どういう歌人なんでしょうか(笑)」と返します。話の続きは14頁で読むことができます。

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by urag | 2019-08-12 20:53 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 04日

注目新刊:ドゥンス・スコトゥス『存在の一義性』八木雄二訳注、ほか

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存在の一義性――ヨーロッパ中世の形而上学』ドゥンス・スコトゥス著、八木雄二訳註、知泉書館、2019年7月、本体7,000円、新書判上製816頁、ISBN978-4-86285-297-7
語源から哲学がわかる事典』山口裕之著、日本実業出版社、2019年7月、本体1,700円、A5変形判並製284頁、ISBN978-4-534-05707-5
稲生物怪録』東雅夫編、京極夏彦訳、角川ソフィア文庫、2019年7月、本体880円、文庫判272頁、ISBN978-4-04-400497-2
サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳』植木雅俊訳、角川ソフィア文庫、2019年7月、本体1,160円、文庫判400頁、ISBN978-4-04-400487-3

★『存在の一義性』は知泉学術叢書の第9弾。中世の神学者ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus, 1266?-1308)による未完の主著『命題集註解』のうち、「存在の一義性(Univocatio entis)」をめぐる第1巻第3区分第Ⅰ部「神の認識可能性」の第一問題から第四問題まで、また第1巻第8区分第Ⅰ部「神の単純性」の第一問題から第三問題までの、日本語訳と訳者解説を一冊としたもの。本文中では太字が訳文で、訳文の段落ごとに続く細字が訳者による解説です。巻末には訳者解題「スコトゥスにおける「存在の一義性」」と索引が付されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。現代思想にまで少なからぬ影響力を及ぼしているスコトゥスの探究をめぐり、八木さんによる詳しい訳解によってその意義が現代の読者にも改めて開示されることになりました。

★周知の通り『命題集註解』の既訳(抄訳)には、花井一典/山内志朗訳『存在の一義性――定本ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』(第一巻第三篇第一部「神の認識可能性」第一問から第三問までと、第一巻第八篇第一部「神の単純性」第一問と第二問;中世哲学叢書1:哲学書房、1989年)や、八木雄二訳「命題集註解(オルディナティオ)第1巻」(第一巻第三区分第一部「神の認識可能性について」第四問;『中世思想原典集成(18)後期スコラ学』所収、平凡社、1998年)、渋谷克美訳「命題集註解(オルディナティオ)第2巻」(第二巻第三区分第一部「個体化の原理について」第一問から第六問まで;『中世思想原典集成(18)後期スコラ学』所収、平凡社、1998年)があります。また、筑波大学哲学研究会による「筑波哲学」第27号(2019年3月)には、『「命題集」註解(オルディナティオ)』第2巻第3区分第1部第7問題の試訳が本間裕之さんと石田隆太さんの共訳で掲載されています。

★『語源から哲学がわかる事典』は、語源と英語訳で西洋哲学のキーワードを学ぶ入門書。「本当の初心者にお勧めできる入門書になかなかめぐり会えなかった。そこで、それなら自分で書いてしまおうと思って書いたのが、この本である」(「はじめに」より)。主要目次は書名のリンク先でご覧いただけます。終章の後に続く「出典と余談、あるいはさらに詳しく知りたい人のための文献ガイド」の末尾付近にはこう書かれています。「知の体系が組み替えられたとき、新たな知の体系を持つ人にとって、旧世代の知は、間違っているというよりは、理解不能なものになるのである」(267頁)。「この本を読んで、他の知識体系を理解することの困難と面白さを知っていただき、「他文化を尊重する」とはどうすることなのかを考える手がかりにしていただくことができたなら、望外の喜びである」(同頁)。値段も本体1,700円とお得です。

★角川ソフィア文庫の7月新刊より2点。『稲生物怪録』は巻頭カラーで堀田家本「稲生物怪録絵巻」を収め、続いて京極夏彦さんによる現代語訳で「武太夫槌を得る――三次実録物語」、東雅夫さんによる現代語訳と註の「稲生物怪録」、同じく東さんによる「解説」を配し、巻末にはピーター・バナードさんによる英文の紹介文「An Account of the Ino Hauntings: A Brief Introduction」が掲載されています。京極さんの現代語訳は初出は1999年の「怪」誌春号。その後、東さんによるアンソロジー本に再掲載され、今回の文庫収録にあたり加筆修正が施されたとのことです。東さんの現代語訳や解説、バナードさんの英文テクストは書き下ろし。絵巻の素晴らしさは言うまでもありません。絵と言葉によって描かれた怪異の数々は夏の読書にぴったりです。

★『サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳』は、2011年に岩波書店から刊行された『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』のうち、梵漢部分を除いて現代語訳を残し、膨大な注釈は仏教用語の解説と重大な校訂についての注記のみを残し、文庫化したもの。あとがきによれば、単行本版は「サンスクリット語と対照させて現代語訳したものであることから、日本語として理解できるぎりぎりの範囲内でサンスクリット語のニュアンスを残して訳した」が、それに対して今回の文庫版は「日本語らしい文章に努めて、相当に手を入れた」とのことです。植木さんは同じく岩波書店から親本が出ている『法華経』の文庫版を角川ソフィア文庫で昨夏上梓されています(『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』)。

★また最近では以下の新刊との出会いがありました。

完全版 自由論――現在性の系譜学』酒井隆史著、河出文庫、2019年8月、本体1,800円、文庫判632頁、ISBN978-4-309-41704-2
『HAPAX 11 闘争の言説』HAPAX編、夜光社、2019年7月、本体1,500円、四六判変形204頁、ISBN978-4-906944-18-7
カール・ポランニー伝』ギャレス・デイル著、若森みどり/若森章孝/太田仁樹訳、2019年7月、本体4,500円、4-6判上製536頁、ISBN978-4-582-82488-9
ぱくりぱくられし』木皿泉著、紀伊國屋書店、2019年8月、本体1,400円、B6判並製244頁、ISBN978-4-314-01168-6
幕末未完の革命――水戸藩の叛乱と内戦』長崎浩著、作品社、2019年7月、本体2,800円、四六判上製352頁、ISBN978-4-86182-763-1
増補新版 モデルネの葛藤』仲正昌樹著、作品社、2019年7月、本体5,800円、A5判上製480頁、ISBN978-4-86182-756-3
現代思想2019年8月号 特集=アインシュタイン――量子情報・重力波・ブラックホール…生誕140周年』青土社、2019年7月、本体1,400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1384-4
現代思想2019年8月臨時増刊号 総特集=万葉集を読む』青土社、2019年7月、本体2,200円、A5変型判並製278頁、ISBN978-4-7917-1385-1

★『完全版 自由論』はまもなく発売。2001年に青土社より刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば「文庫化にあたり加筆修正するとともに、補章を追加」したとあります。補章は4篇から成ります(460~587頁)。2001年「『自由論』韓国語版の序文」、補論1として2005年「鋳造と転調」、補論2として2011年「「しがみつく者たち」に」(初出では「しがみつくもののために」)、そして書き下ろしの「統治、内戦、真理――『自由論』への18年後の自注」です。巻末解説は、『不穏なるものたちの存在論』『無謀なるものたちの共同体』などの著書がある李珍景(イ・ジンギョン)さんが「人工知能資本主義時代の統治技術――酒井隆史『自由論』に寄せて」(影本剛訳)というテクストを寄稿しておられます。「文庫版あとがき」によれば、「目に余る表現、あきらかに誤訳であったところ、より適切な訳語をおもわれるものがあったところなどのほか、手直しは最小にとどめた」。「いま付け足したいことはおおよそ「統治、内戦、真理」〔509~587頁〕に括りだした」。

★『HAPAX 11 闘争の言説』は発売済。収録された14編は以下の通り。

釡ヶ崎の外の友人たちへ――新たな無産者たちの共生の試みのために|釡ヶ崎コミューン
釡ヶ崎センター占拠の二四日間とその後|釡ヶ崎コミューン
共に居ることの曖昧な厚み――京都大学当局による吉田寮退去通告に抗して|笠木丈
砕かれた「きずな」のために|霊長類同盟
イエローベスト・ダイアリー|ロナ・ロリマー
ジレ・ジョーヌについての覚え書き|白石嘉治
リスト|ベラ・ブラヴォ
『ギリシャ刑務所からの手記』のために|二人のギリシャのアナキスト
傷だらけのアナキズム|アリエル・イスラ+高祖岩三郎
コミューンは外部である――存在の闇と離脱の政治学|李珍景 インタビュー
都市のエレメントを破壊する――アナロギアと自然のアナキズム|村澤真保呂 インタビュー
日本イデオローグ批判|小泉義之
すべてを肯定に変える|彫真悟
日常と革命を短絡させるためのノート、あるいはわれわれは何と闘うのか、何を闘うのか|気象観測協会

★特筆したいのは、二つのインタビュー。李珍景さんと村澤真保呂さんのもの。それぞれの半生を振り返る私的な来歴を知ることができ、とても興味深いです。李さんの特定頁における特定文字のシール張りは、単純な事故によるものなのかもしれませんが、手張り作業の生々しい痕跡といい、思いがけない立体感を生み出しています。村澤さんの回想は折々に凄まじい部分があって惹き込まれます(とりわけ院生時代の「転移」のお話)。村澤さんの言葉から印象的なものを一つだけ抜き出してみます。

★「さっきの作田〔啓一〕さんの言葉に戻るけれど、ぼくを再出発させてくれた彼の言葉「きみがなくしたものは、世界がなくしたものじゃないかな」っていうのは、だいぶあとから気づいたんだけれど、じつは問いじゃなくて答えだったんですね。つまりわたしに起こっていることは世界に起こっていることだ、っていう大前提こそがうしなわれたものだったわけです。でも完全にうしなわれているわけではなくて、やっぱりどこかに残ってる。自分の苦しみは世界の苦しみだ、だから世界を苦しみから解放しなければならない、その情動がなくちゃ革命なんかおこらない。あるいは、世界はわたしをつうじてなにがおこっているかを伝えている。これこそ中井久夫さんのいう徴候的知であり、アニミズムやシャーマニズム、人文的知性の根底にある認識ですよね。統合失調症の妄想や幻覚についても、おなじことがいえるんですけれど」(148~149頁)。

★『カール・ポランニー伝』は『Karl Polanyi: A Life on the Left』(Columbia University Press, 2016)の全訳。「本書におけるポランニー像は、整然と体系的に統一された思想と理論を形成した社会科学者というよりも、「変貌自在で矛盾する諸側面から構成され」ている」(「訳者あとがき」より)。「本書の独創性は、市場社会の危機と時代の変化に立ち向かいながら人間の自由と民主主義を実現する新しい共同性を探究しつづけた、ポランニーの著作や政治的活動に見られるある種の「錯綜」と「一貫性のなさ(矛盾)」を浮き彫りにし、そのことによって、ポランニーの二重運動論や「埋め込み」命題のなかに「矛盾と緊張」が内在していることを鮮明にした点にある」(同)。二重運動というのは「市場経済の人間や自然に対する破壊的影響と、それに対抗する社会の自己防衛の対立」(同)のこと。また、埋め込み命題というのは、「社会的制約から切り離され自立して拡張運動を遂げてきた経済領域を「再び社会に埋め込む」ことの重要性」(同)のこと。著者のデイル(Gareth Dale)は、ロンドンのブルネル大学上級講師で、政治学と国際関係論を教えているとのことです。多数の著書がありますが、訳書は今回が初めて。目次を以下に列記しておきます。

謝辞
序文
第一章 東西のサロンで
第二章 戦争の十字架を背負って
第三章 赤いウィーンの勝利と悲劇
第四章 挑戦と応戦
第五章 大変動とその起源
第六章 「不正義と非人道的行為」
第七章 存在の不確かさ
エピローグ 社会主義の失われた世界
訳者解説
訳者あとがき
原註
索引(人名・事項)

★『ぱくりぱくられし』は、紀伊國屋書店のPR誌「scripta」で2012年から2019年にかけて連載された表題作と、「産経新聞」大阪本社版夕刊に2018年4月から9月にかけて週1回で連載された「嘘のない青い空」を一冊にまとめ、そこに「幻のデビュー作」である「け・へら・へら」のシナリオを加えたもの。「本書に出てくる本の引用はすべて弥生犬〔旦那さんの方。奥さんは縄文猫で、「ぱくりぱくられし」はこの二者が会話を交わしている体裁になっている〕が選んだものである。その選択は節操がなく、よく言えば偏見がなく多岐にわたっている。読み返してみると、脚本家としての、あるいは小説家としての木皿泉の源泉はここにあるのだなぁと改めて思う」と「あとがき」にあります。「今、苦しい思いをしているあなたへ。それは永遠には続かないから大丈夫。人はきっと変わることができるはず。この本で、私たちは、自分に向かって、世の中に向かって、そういうことを言いたかったのだと、このあとがきを書きながら今気づいた」(244頁)。

★作品社さんの7月新刊より2点。『幕末未完の革命』は「水戸の叛乱」と「水戸の内戦」の二部構成。『水戸市史』や『水戸藩史料』をひもとき、「政治思想の論評ではなく、歴史上の一ポリスの顛末を細部にわたって追跡するもの」(「あとがき」より)。「私の関心は〔…〕水戸藩という存在、危機に直面したポリスともいうべきこの集団の振舞い方に向けられている。/ことに安政の大獄の時期、多彩な人士による多様な言論を集めてこの反乱するポリスのビヘイビアを構成しようとした。加えて、藩の内部から言論を駆動する衝迫力として、郷村からの農民の蜂起を取り上げた。さらに、青年たちを走り出させた観念の起源を、会沢正志斎の水戸学に読もうとした。/その後の水戸の内戦は、こうして浮き彫りになる水戸の叛乱の不始末の結果である。そう見なして私は次に内戦における勝利者、門閥諸生派の信念と行動とを水戸のもう一つの過激派として追うことにした。革命と反革命、いずれにしても革命はその息子たちを喰らって進む」(「はじめに」より)。

★『増補新版 モデルネの葛藤』は、2001年に御茶の水書房より刊行された単行本に、3本の論考(1998年「〈絶対的自我〉の自己解体――フリードリッヒ・シュレーゲルのフィヒテ批判をめぐって」、2003年「フリードリッヒ・シュレーゲルの詩学における祖国的転回」、2006年「シェリングとマルクスを結ぶ「亡霊」たちの系譜」)を加筆訂正し、新たなあとがきを加えた増補版です。新たなあとがきでは、ドイツ・ロマン派の二面性(脱構築的ラディカルさと保守反動的な傾向)が言及されています。「問題は、近代合理主義を哲学的に超克しようとする試みが、不可避的に、新たな拠り所として、ナショナル・アイデンティティや民族としての歴史的連続性、幻想の中世のようなものに救いを求める傾向を助長し、自己に対する批判=批評性を失わせてしまうことになるのか、ということだ」(468頁)。「〔ドイツ・ロマン派は〕フランス革命とドイツ諸邦の敗戦、神聖ローマ帝国の解体という、ドイツ国民あるいは民族にとってのとてつもない危機の中で生まれてきたものである」(470頁)。

★青土社さんの月刊誌「現代思想」の最新号は、8月号と8月臨時増刊号の2点。前者は特集「アインシュタイン――量子情報・重力波・ブラックホール…生誕140周年」で後者は「万葉集を読む」。後者は通常号より天地が短く、左右が長い判型で存在感があります。内容紹介文や目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。来月末発売予定の通常号次号となる9月号の特集は「倫理学の論点23」。これは店頭のフェアに向いている内容ではないでしょうか。

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by urag | 2019-08-04 22:30 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)