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カテゴリ:本のコンシェルジュ( 1006 )


2019年 02月 11日

注目新刊:シャルル・ペギー『クリオ』河出書房新社、ほか

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クリオ――歴史と異教的魂の対話』シャルル・ペギー著、宮林寛訳、河出書房新社、2019年2月、本体3,200円、46変形判上製436頁、ISBN978-4-309-61996-5

★『クリオ』は池澤夏樹さん監修のシリーズ「須賀敦子の本棚」の第6弾。フランスの作家ペギー(Charles Péguy, 1873-1914)の死後出版『Clio, dialogue de l'Histoire et de l'âme Païenne』(Gallimard, 1932)の全訳。凡例によればプレイヤッド版『ペギー散文全集』第3巻(1992年)を適宜参照したとのことです。巻末に監修者の池澤さんによる「解説、あるいはペギー君の「試論」の勝手な読み」が付されています。同著には抄訳本(『歴史との対話――『クリオ』』山崎庸一郎訳、中央出版社、1977年)がありますが、今回の新訳は初めての全訳です。

★旧訳のカヴァー表4に記載された紹介文と新訳の帯文を見比べてみます。

中央出版社版
「神が人間を歴史家としてつくったことは、神の最大の恩寵であり、最大の慈悲である……」。人間は、老いるとき、過去と和解し、出来事の歴史家となり、形骸化のなかに安住する。だが、歴史として客観的な記載の対象となることを拒否する真の出来事とは何か。本書においてペギーは、イエス事件というテキストの解説、ドレフュス事件というテキストの解説を通じて、真の神秘観の復興、神秘的宗教としてのキリスト教の意義を説く。/『われらの青春』についで、ここに見られるのは、40歳という年齢を通過したペギー、ベロニカがその手巾にイエスの顔を写し取ったように、出来事の刻印である弾痕をその顔に受けて地に伏す直前のペギーの、現代世界に対する悲痛なる糾弾であり、その病患の摘出であり、彼のかけがえのない遺著である」。

河出書房新社版
歴史の女神クリオが語る、老いとは何か、歴史とは何か――。ドゥルーズ、ゴダール、ベンヤミンらが深く愛した究極の名著、初完訳! カトリック左派の中心的な思想家として知られ、須賀敦子も敬愛したペギーが、モネの「睡蓮」やヴィクトル・ユゴーの作品を主軸に、その思索を結実させた傑作。

★『クリオ』の成立過程については今回の新訳の、宮林さんによる「訳者あとがき」に説明があります。「1909年から翌10年にかけて、ペギーは長大な歴史論に取り組んでいる。残された草稿は423枚。研究者のあいだで『クリオⅠ』と呼びならわされ、一時期ペギーが『歴史と肉的魂の対話』と呼んでいた未完の作品だ。時が流れて1912年6月、いったん中断した対話の改稿に着手したペギーは『クリオⅠ』の冒頭部分だけを残し(本書76ページの「ヴィシュヌ神が早急のロチュスに座することはもはやない」まで)、残りはすべて放棄したうえで、984枚にもおよぶ展開を書き加えることになった。こうして成立したのが本書『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(通称『クリオⅡ』である」(422頁)。

★これに続き宮林さんは、中央出版社版の紹介文中にあったベロニカ(ヴェロニカ)について次のように説明されています。「1913年6月の時点でペギーはまだ『クリオⅡ』を執筆中だったことが書簡等の資料から明らかになっている。正確な時期はわからないが、『クリオⅠ』から『クリオⅡ』に移る過程でペギーが第二の対話を構想し、「記載」に終始する不毛な歴史と、年代記作者の態度で出来事を捉える「記憶」の働きを、それぞれクリオと聖女ヴェロニカに託そうとしたこともわかっている。十字架を背負ってゴルゴタの丘へと向かうイエス・キリストの通り道にたまたま居合わせ、その顔をぬぐうことでイエスの面貌を手巾に写し取った聖女ヴェロニカは、無際限によみがえる記憶を体現した人物として登場するはずだった。対話篇同士の対話を想定した、実に興味深い作品構想ではあるのだが、ヴェロニカの存在は『クリオ』で一度暗示されたきりで(本書298頁)、聖女の名を題名に含む対話篇は書かれずじまいになった。対話篇同士の対話が実現すれば、ペギーの資質と思索の在り方を、これ以上なく純粋な形で表現する作品になっていただろう」(422~423頁)。

★ペギーはクリオにこう語らせます。「老いるとは、年齢が変わったことではなく、年齢が変わりつつある、というよりもむしろ、同じ年齢に固執し、長くとどまりすぎたことを言う」(336頁)。「老いとは、まさしく人間そのものなのだ」(338頁)。「老いはその本質からして〔…〕回顧と、哀惜の活動にほかならない」(同頁)。「哀惜ほど崇高で、美しいものはどこにもないし、最も美しい詩は哀惜の詩だ」(339頁)。「老いはその本質からして記憶の活動にほかならない〔…〕。それに記憶の働きがあるからこそ、人間にはあれだけの奥行きが生まれた。(ベルクソンはそう考えている〔…〕。今でもまだベルクソンの著作を引用することが許されるなら、『物質と記憶』と、『意識の直接与件についての試論〔時間と自由〕』を読んでごらんなさい。)」(同頁)。「記憶ほど歴史に逆行し、歴史とかけはなれたものはない。また歴史ほど記憶に逆行し、記憶とかけはなれたものはない。そして老いは記憶の側にあり、記載は歴史の側にある」(同頁)。

★「記載と想起は直角をなす〔…〕。つまり記載が水平の線だとしたら、それに接する想起の勾配は90度になる。歴史はその本質からして縦走的であり、記憶はその本質からして鉛直である。歴史はその本質からして出来事に沿って進むことで成り立つ。記憶はその本質からして出来事の中にあり、まずは絶対外に出ないことによって、内側にとどまることによって、それから出来事の中を遡ることによって成り立つ。/記憶と歴史は直角を形成する」(342頁)。「出来事は決して均質ではなく、たぶん有機的な組成をもつ〔…〕。緊張と弛緩、安定期と激動期を繰り返し、振動の幅と、隆起点と、臨界点もあらわれ、暗い平原が開けたかと思えば突如として中断符で終わる」(392頁)。ここから「何も起こりはしなかった。それなのに世界は相貌を変え、人間の悲惨も変わった」(393頁)に至る記述には圧倒的な迫力があります。

★「40歳の男は、今まさに青春から抜け出したという感覚があるだけでなく、自分の内面を覗いて、失った青春に目を凝らす。だから40歳の男には老いるとはどういうことであり、老いとはそもそもなんであるのかということが、ちゃんとわかっている」(368頁)。「40歳の男は、20歳の男が詩人であるのと同様、年代記作者であり、回想録作家であることをその本分とする。ところが20歳を過ぎた人間はもはや詩人ではなく、40歳を過ぎた人間はもはや回想録作家ではない」(369頁)。「40歳の男は〔…〕これから自分は歴史家になると感じ」る(369~370頁)。この書物は年齢に限らず「老い」を感じている読者こそが味わえるものなのかもしれません。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

インポッシブル・アーキテクチャー』五十嵐太郎監修、埼玉県立近代美術館/新潟市美術館/広島市現代美術館/国立国際美術館編、平凡社、2019年2月、本体2,700円、A4判並製252頁、ISBN978-4-582-20715-6
中国ドキュメンタリー映画論』佐藤賢著、平凡社、2019年2月、本体5,000円、A5判上製344頁、ISBN978-4-582-28265-8
海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』安東量子著、みすず書房、2019年2月、本体2,700円、四六変型判上製296頁、ISBN978-4-622-08782-3

★『インポッシブル・アーキテクチャー』は同名の巡回展の公式図録。20世紀以降の国内外のアンビルト建築を紹介するもので、建築されなかった/できなかったものたちの群れは、ひょっとしたらありえたかもしれないもうひとつの世界を想像させ、見る者に豊かな霊感をもたらします。正式な書名(展覧会名)は、インポッシブルに取り消し線が引かれています。図録は論考や作品図版とともに年表を掲載しており、たいへん充実した保存版です。展覧会の図録でなければ倍の値段はするであろう内容と造本で、最初から最後までワクワクさせてくれる素晴らしい一冊。

埼玉県立近代美術館:2019年2月2日~3月24日
新潟市美術館:2019年4月13日~7月15日
広島市現代美術館:2019年9月18日~12月8日
国立国際美術館:2020年1月7日~3月15日

★『中国ドキュメンタリー映画論』は「1980年代末から90年代初めにかけて始まった中国における独立制作によるドキュメンタリーを取り上げ、およそ2000年代までの展開を素描し、中国独立ドキュメンタリーの「独立」とは何であるかについて、中国の社会・文化的文脈の中で考察するもの」(「はじめに」より)。「中国独立ドキュメンタリーの出現」「テレビ体制と独立ドキュメンタリー」「デジタルビデオと個人映画」「映画を見る運動」「中国独立ドキュメンタリーの現在」の全5章。中国ドキュメンタリー映画の関係年表や主要作品リストも付されています。

★『海を撃つ』は植木屋を夫と営むかたわらボランティア団体「福島のエートス」を主宰する安東量子(あんどう・りょうこ:1976-)さんの単独著第一弾。震災後の福島をめぐる淡々とした筆致の中にも強い思いを感じさせるエッセイ集です。書名の由来は表題作である最終章で明かされていますがこれはネタバレしない方がいいかと思います。

★胸に残る一節。「失われたかつての暮らしを、退屈な日常を、私たちが失ったものを、失わなくてはならなかった理由を、私たちを巻き込んだ得体のしれない巨大なものの正体を、本当は語りたい。けれど私たちは、それを語る共有の言葉をいまだ持たない」(244頁)。「私たちが本当に語りたいことはなんなのだろうか。それを語る共通の言葉を得るまで、私たちは、唯一語り得ると信じる放射線の健康影響について、たどたどしく語り続けるのを止めないだろう。私たちの本当に語りたいことではないかもしれないのに。この出来事はどこからやってきて、私たちになにをもたらしたのか、もたらそうとしているのか。私たちはなにを失ったのか。本当の影響はなんだったのか。この先長い時間をかけて、私たちは語り得る共通の言葉を探していかなくてはならない」(245頁)。

★そしてもっとも胸を揺さぶられた一節。「しかし、私たちは全員知っていたではないか。避難指示が解除される見込みさえなく、放置されている人びとがいることを。成功者が賞賛を浴びれば浴びるほど、彼らへの注目は薄れ、万事滞りなく進んでいるとの空気は強まった。脚光を集めた者に当たる光はますます強く、一方で、陰に落ちた人びとはより暗がりに沈み、その姿は見えなくなった。やがて破綻することはわかっていた。彼は姿を見せた。私たちが気づきながら見ようとしてこなかった陰は、確かにあるのだと伝えるために。彼の来訪は予期されていたものだった。彼は来るべくして、ここに来たのだ。私たちの浴びている光が、本当にそれに値するものなのかを問うために」(261頁)。この「彼」が誰のことなのかについてはぜひ店頭で本書を手に取って確かめていただければ幸いです。一読者として、私にとって本書の中心はこの「彼」でした。彼でしかありえないと感じたのでした。

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by urag | 2019-02-11 18:41 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 10日

「新書大賞2019」(「中央公論」2019年3月号)に参加しました

「中央公論」2019年3月号に掲載された「新書大賞2019」に参加しました。同号では、111名が選ぶ「年間ベスト20」の発表のほか、大賞受賞者インタビュー、編集者座談会、識者対談、54名が選ぶベスト5冊、などが掲載されています。私が選んだ5冊は例年通りベスト20とは重複しませんでした。狙っているわけではないのですが、どうもズレるのですね。ベスト5冊の方では3冊までの選書コメントが掲載されています。「4位、5位を含む全文は3月下旬発売予定の電子書籍〈中央公論Digital Digest〉『新書大賞2019』に掲載します」とのことです。私が選んだ5冊は以下の通りです(135頁に3位までのコメントとともに掲載)。

1)一田和樹『フェイクニュース』角川新書
2)保立道久『現代語訳 老子』ちくま新書
3)エドワード・ルトワック『日本4.0』文春文庫
4)大野和基編『未来を読む』PHP新書
5)J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』光文社新書

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by urag | 2019-02-10 15:27 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 06日

注目新刊:メルロ=ポンティ『講義草稿』、ランシエール『哲学者とその貧者たち』

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弊社出版物でお世話になっている訳者の方の最近のご活躍をご紹介します。

★松葉祥一さん(共訳:ロゴザンスキー『我と肉』)
2点の共訳書を立て続けに上梓されました。メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の『Notes de cours 1959-61』(Gallimard, 1996)の訳書と、ランシエール(Jacques Rancière, 1940-)の『Le Philosophe et ses pauvres』, (Fayard, 1983 ; réédition, livre de poche, Flammarion, 2007)の訳書です。それぞれの目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。

コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961
モーリス・メルロ=ポンティ著 ステファニー・メナセ編 松葉祥一/廣瀬浩司/加國尚志訳
みすず書房 2019年1月 本体7,800円 A5判上製544頁 ISBN978-4-622-08763-2
帯文より:「今日の哲学」「デカルト的存在論と今日の存在論」「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」の3編を軸に、非‐哲学のなかでの哲学の再発見、肉の存在論など、哲学者の晩年の構想を思索を十全に伝える待望作。

松葉さんのご担当は、クロード・ルフォールによる「序文」、メルロ=ポンティの「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」と「1960-1961年講義への補遺」、訳者あとがき、です。「講義草稿というテクストの性格から文意を読み取りにくい部分があることは確かだが、一般に開かれた講義ということもあって、わかりやすい説明を行っている部分も多い。また、これまで研究ノートや講義要録などでしか知ることのできなかったメルロ=ポンティの最晩年の思想を知ることができるだけでなく、彼の思想全体を知るための手がかりとしても本書は役立つだろう。『知覚の現象学』における知覚理論がどのように「表現」論につながり、絵画や文学に重要な役割が与えられるようになるのか、また『弁証法の冒険』などにおける弁証法理解がどのような深まりをみせるようになったのか、そしてこれらの議論がどのように『見えるものと見えないもの』における存在論や〈自然〉についての思索につながることになるのか。これらを知るために、本書は多くの手がかりを与えてくれるだろう」(507頁)と松葉さんは「訳者あとがき」で解説されています。

ルフォールの「序文」にはこんな言葉があります。「現在とは、考えられることなく進行する重大な二者択一が突然生じるような、歴史から切り離された瞬間などではない。現在には厚みがあり、暗い。私たちが現在を名ざすことができるのは、それがまさに非‐哲学の旗印の下で指し示されるからである。しかしながら、非‐哲学をたんに哲学の破棄だと理解すべきではない。それは、哲学とは異質なさまざまなかたちの活動と認識を同時に含んでおり、制度化された哲学の領野の外で新たな思考の制度を保証し、哲学の必要を失わせるどころか、ふたたび活性化してくれるものなのである。こうして、現代の文学、絵画、音楽は、与えられている問題を私たちが測定することを助けてくれる」(5頁)。「哲学か非‐哲学か。講義全体を通してメルロ=ポンティは私たちに、両者を切り離すことも混同することもできないと説く」(26頁)。

メルロ=ポンティは「1960年10月の執筆の下書き」でこう書いています。「哲学が欲すること、それはこの見えるもの、名づけうるもの、思考しうるものの火山帯に身を置くことであり、そこでは現在において見ること、語ること、思考することが、これまで存在してきたし、いつか存在しうるであろうすべての視覚や言葉や思考と交わる」(456頁)。「世界を再び‐語ること、思考を再び‐思考すること、それはそれらを解体すること、布地のように縫い直すことではなく、それらに直接態として密着することでもなく、それらを造り上げ、それらに形と凝集性を与えてくれるような、からっぽの鋳型を再発見することであり、手袋を反転させて裏側を見せることであり、身体において見る者と見えるものの癒着と回路を暴くこと、言葉において話し手と聞き手の癒着を、思考することにおいて、思考行為とその痕跡、その航跡、その登記を暴くこと、したがってこうしたすべての思考の背後に、その真理であるような反‐思考を見きわめることなのである」(457頁)。

哲学者とその貧者たち
ジャック・ランシエール著、松葉祥一/上尾真道/澤田哲生/箱田徹訳
航思社 2019年1月 本体4,000円 四六判上製416頁 ISBN978-4-906738-36-6
帯文より:政治/哲学ができるのは誰か。プラトンの哲人王、マルクスの革命論、ブルデューの社会学(そしてサルトルの哲学)……。かれらの社会科学をつらぬく支配原理を白日のもとにさらし、労働者=民衆を解放する、世界の出発点としての「知性と感性の平等」へ。

松葉さんは訳文全体の見直しと訳者あとがきの執筆を担当されています。「35年前に書かれた本書は、けっして古びていない。むしろ本書が提起している問題は、とりわけ現在の日本にとってますます重要性を増している。深刻化する貧困化と階層化のなかで、本書はわれわれが何を起点にしてこの状況を考えるべきかについて指針を示してくれる。とくに日本社会は現在、否応なく移民社会へ移行しようとしている。〔…〕必要なのは、本書が提起する「知性と感性の平等」という起点から社会を、政治を作り直すことである」(412~413頁)と松葉さんは「訳者あとがき」でお書きになっておられます。

ランシエールは「序文」でこう述べています。「言説史のしかじかの瞬間に、ある状況下でしかじかの立場にあるとき、人は何を考えうるのかと問うこと――の背後に、私が見分けるべきもっと根源的な問いがあることに気づいたのだ。考えることはいかに許されうるのか、考えることを仕事にしない人々は考える主体として自らをどのように構成するのかという問いだ」(13~14頁)。「哲学の古い狡知と非哲学の近代的な狡知とのあいだに、まっすぐな線が引けそうに感じられた。哲学者を織工に変えることで、靴職人を首尾よく非哲学の地獄に送るプラトンの論理から出発して、民衆の徳に対する畏敬の念へと、また学者や指導者の近代的な言説をあいまいに擁護するイデオロギー的なうぬぼれに対する非難へと至る線である。マルクスはプラトンの描くイデアの王国を破壊した。しかしその一方でプロレタリアートに真理を与えつつ、学者の専売特許とされる学問からは首尾よく排除することで、当人が転倒したと主張するものを生きながらえさせているだろうことだけは、少なくとも示しておきたかった」(14~15頁)。

「私は、学生だったときに幅を利かせていた黄金律、著者が立てた問い以外の問いを絶対に著者に投げかけてはならないという決まりには、どうしても心から賛同できなかった。そうした慎み深さは、何らかの思い上がりをはらんでいるのではないかといつも気になっていた。そして私は経験から次のことを学んだように思える。思考の力とは、むしろそれが移動させられる可能性に由来しており、それは楽曲の力が別の楽器でも演奏される可能性におそらく由来するのと似ているということである。反対意見と、各人に自分の仕事をせよと命じる警察とを結ぶつながりについては、くどくど述べるに及ばない」(16頁)。「私は個人的につねに倫理原則に従おうと努めてきた。自分が話す相手については、それが床張り職人であれ大学教授であれ、愚か者と見なさないという決まりである」(17頁)。

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by urag | 2019-02-06 00:39 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 03日

注目新刊:フィッシャー『わが人生の幽霊たち』、ブライドル『ニュー・ダーク・エイジ』、ほか

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わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』マーク・フィッシャー著、五井健太郎訳、ele-king books:Pヴァイン、2019年1月、本体2,900円、四六判並製384頁、ISBN978-4-909483-18-8
ニュー・ダーク・エイジ――テクノロジーと未来についての10の考察』ジェームズ・ブライドル著、久保田晃弘監訳、栗原百代訳、2018年12月、本体2,600円、四六判並製333+x頁、ISBN978-4-7571-4355-5

★『わが人生の幽霊たち』は『Ghosts of My Life: Writings on Depression, Hauntology and Lost Futures』(Zero Books, 2014)の訳書で、英国の文化批評家マーク・フィッシャー(Mark Fisher, 1968-2017)の『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年2月;Capitalist Realism: Is There No Alternative?, Zero Books, 2009)に続く2点目の単独著です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原著版元のZero Booksは、フィッシャーが小説家のタリク・ゴダードと2009年に共同設立したレーベル。フィッシャーのほか、グレアム・ハーマンやユージン・サッカーなどの著書も刊行しています。

★音楽ライターの髙橋勇人(たかはし・はやと:1990-)さんによる巻末解説「開かれた「外部」へ向かう幽霊たち──マーク・フィッシャーの思想とそれが目指したもの」によれば、本書は「2005年から刊行年の2014年という9年の長いスパンで執筆された、『k-punk』〔フィッシャーのブログ〕の投稿、エッセイや音楽作品のライナーノーツ、インタヴュー記事といった質の異なる文章を副題の三つのキーワード〔うつ病、憑在論、失われた未来〕をもとに編纂したものだ。政治・経済システムを通して、新自由主義化した資本主義以外の選択肢などないと人々に思いこませ、社会の閉塞的硬直状態を作り出す資本主義リアリズムという概念を描いた『資本主義リアリズム』がフィッシャーの政治・社会思想を写したものであるならば、『わが人生の幽霊たち』はその文化論編として読むことができるだろう」(374頁)。

★フィッシャーは巻頭のエッセイ「「緩やかな未来の消去」」でこう書いています。「ここ最近の数年間のなかで、日常生活は加速しているが、文化は減速しているのである。/こうした時間的な病理の原因がどのようなものであるにせよ、その病理を逃れえているような西洋の文化領域はあきらかに、どこにも存在していない。かつて未来を描いて見せた者たちの砦だったエレクトロニック・ミュージックも、もはやいまでは、形式的なノスタルジーを逃れえてはいない。音楽文化は、さまざまなかたちでポスト・フォーディズム的な資本主義下における文化の運命の範例となるものである。形式のレヴェルにおいては、音楽はパスティシュや反復に閉じこめられている。だがその下部構造は、大規模かつ予期できない変化の対象でありつづけている。消費の古いパラディグムである小売と取次は崩壊していき、ダウンロード化とともに、物理的な対象は影を潜め、レコード・ショップは閉店し、ジャケットのアートは消えていく。/憑在論という概念は、こうしたことのすべてと、いったいどのような関係をもつといえるのだろうか」(36~37頁)。ここからフィッシャーはデリダの憑在論(『マルクスの亡霊たち』藤原書店、2007年)を援用して議論を進めていきます。

★「取り憑くこととはつまり、失敗した喪なのだと考えることができる。それは霊を手放さないことであり――けっきょくは同じことだが――幽霊がわれわれに見切りをつけるのを拒むことである。亡霊は、われわれが、資本主義リアリズムに統治された世界のなかで見つかる平凡な満足のなかで生きていくのを許さないだろうし、そうした平凡な満足で妥協するのを許さないだろう」(45頁)。「この本は、私の人生の幽霊たちについてのものであり、したがって必然として以下に、個人的な次元を含んでいる。〔…〕誰にとってであれ、じぶんじしんであること(さらにいえば、じぶんじしんを売りこむことを強いられること)ほど惨めなことはない。文化や、文化にたいする分析が価値をもつのは、それがじぶんじしんからの逃走を可能にするかぎりでのことなのだ。/以上のような見通しは、それほど簡単に手に入ったものではない。鬱は私の人生を犬のようにつけまわしてきたもっとも悪意ある亡霊である――この場合鬱とは、憑在論的メランコリーの叙情的で(そして集団的な)荒廃とは区別される、健康状態におけるより荒涼とした独我論のことである」(53~54頁)。

★続きはこうです。「2003年にブログをはじめたとき、私はいまだそうした鬱状態のなかにあり、当時の私にとって日常の生活はほとんどたえがたいものだった。そのときに書かれたもののいくつかは部分的に、そうした状態になんとか折りあいをつけようとしたものであり、(いまのところ成功している)私の鬱からの逃走が、否定性にたいしてなんらかのかたちで具体的なかたちを与えることと同期していることは偶然ではない。問題は(たんに)私にあったのではなく、私をとりまく文化にあったのだ。私にとってはっきりしているのは、おおまかにいって2003年から現在にいたるまでの時期はいまや、1950年代以来の(ポピュラー)文化のなかで、最悪の時代だと見なされることになるだろうということだ。それもはるか先の未来にではなく、もうすぐにそう見なされることになるだろう。だが文化が荒廃していたということは、異なる可能性の痕跡が存在していなかったということではない。『わが人生の幽霊たち』は、そうした痕跡のいくつかと格闘するひとつの試みである」(54頁)。

★ちなみにPヴァインの「ele-king books」では昨秋、トルコ生まれで米国で教鞭を執るテクノ・ソシオロジスト、ゼイナップ・トゥフェックチー(Zeynep Tufekci, 1970年代生)の著書『ツイッターと催涙ガス――ネット時代の政治運動における強さと脆さ』(毛利嘉孝監修、中林敦子訳、ele-king books:Pヴァイン、2018年10月)を刊行しており、人文系の読者にとっても見逃せないコンテンツを発信しています。Pヴァインの書籍の発売元は日販IPS。主に輸出卸売事業で有名でしたが、出版流通代行事業もやっています。さらには編プロからの出版企画を随時募集しており、自社発行商品を拡大しているとのことです。非常に興味深いです。

★『ニュー・ダーク・エイジ』は『New Dark Age: Technology and the End of the Future』(Verso, 2018)の訳書。著者のジェームズ・ブライドル (James Bridle, 1980-)は英国のアーティストで「新しい美学」の中心的論者。本書は初の単独著です。Chasm:裂け目、Computation:計算、Climate:気候、Calculation:予測、Complexity:複雑性、Cognition:認知、Complicity:共謀、Conspiracy:陰謀、Concurrency;並列、Cloud:雲、といった10のキーワードが章題となっています。

★ニュー・ダーク・エイジ、新たなる暗黒時代とは何か。ブライドルはこう述べています。「今日、ふと気づくと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、あり余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語りの主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。すなわち、知に与えられてきた価値が、あり余るほどの利益を生む商品によって破壊され、世界を理解する新しい方法を探すために自分自身の周りを見回す、そんな時代である」(14~15頁)。

★「私が暗黒と書くのは文字どおりの意味ではなく、暗黒時代として一般的に考えられている知の不在や閉塞を表しているのでもない。ニヒリズムや絶望の表現でもない。むしろそれは現在の危機の性質と好機を表わしている。私たちの目の前にあるものがはっきりと見えないこと、主体性と正当さをもって、世界で意味深く行動できないこと――そして、別の光による新しい理解の方法を探し求めることのために、この暗黒を認めること」(15~16頁)。

★「本書で提示する主張は、テクノロジーの影響が気候変動のように世界中に広がっており、私たちの生活のあらゆる分野に、すでに変化をもたらしていることである。こうした影響は大惨事になりうるし、私たち自身が開発してきた激動のネットワークで結ばれた産物を、私たちが理解できていないことに起因する。そうしたテクノロジーは、私たちが愚かにも、ものごとの自然の秩序だと思うようになったものを覆し、私たちの世界観のラディカルな再考を要求している。だがもう一つの主張は、すべてが失われたわけではないということだ。実際に新しいやり方で世界を考えられるのなら、世界を再考し、理解し、そのなかで異なった生き方ができる」(20頁)。

★「新たなる暗黒時代について書くのは、ネットワークにつながれた希望をにじませられるにしても、楽しいことではない。それはむしろ、言わずにおきたいことを言い、考えないでいたいことを考えることを要求する。そうすると胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになり、ある種の絶望感に襲われることが多い。それでもそうしなければ、世界をそういうものとして理解できず、ファンタジーと抽象概念のなかに生きていくしかないだろう。〔…〕現状の緊急性を深い脆弱さについて〔…〕考えることをやめてはならない。私たちは、いまや互いに失敗することができないのだ」(21頁)。

★ブライドルとフィッシャーは年齢が一回り違いますが、それぞれの立場で現代世界の残酷さや暗さと真摯に向き合おうとしています。この、暗黒への直面と対峙は現代の知性の条件であり、まさにこの薄暮のなかでミネルヴァのふくろうは飛び立とうとしているかに見えます。

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★まもなく発売となるちくま学芸文庫の2月新刊は以下の6点です。

『マネの絵画』ミシェル・フーコー著、阿部崇訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,400円、文庫判並製368頁、ISBN978-4-480-09907-5
『デカルト入門講義』冨田恭彦著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製336頁、ISBN978-4-480-09906-8
『倫理学入門』宇都宮芳明著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製304頁、ISBN978-4-480-09904-4
『資治通鑑』司馬光著、田中謙二編訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,600円、文庫判並製624頁、ISBN978-4-480-09905-1
『ほとけの姿』西村公朝著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,100円、文庫判並製240頁、ISBN978-4-480-09909-9
『古文読解のための文法』佐伯梅友著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,500円、文庫判並製528頁、ISBN978-4-480-09901-3

★『マネの絵画』は筑摩書房より2006年に刊行された単行本の文庫化。新たに「文庫版訳者あとがき」が付されています。「再版に際して、以前の拙訳を見直し、問題のある箇所や読みにくい箇所などを改め〔…〕本文中で引用されている文献の邦訳の引用については〔…〕新しい訳が刊行されているフーコーの著作についてのみ、新しい邦訳に差し替え」たとのことです。

★『デカルト入門講義』はちくま学芸文庫のための書き下ろし。「デカルトが、科学者・数学者としての仕事と並行して試みたのが、諸学の基礎を与える新たな「第一哲学」(別名「形而上学」)の確立でした。〔…〕デカルトの第一哲学を最も詳しく述べた彼の著書が、1641年に出版された『第一哲学についての省察』です。本書は、これを基本テクストとし、彼の第一哲学のロジックをできるだけわかりやすくお話ししようとするものです」(「はじめに」より)。目次は以下の通り。

はじめに
第1章 デカルトの生涯――1596年~1650年
第2章 『省察』を読む(Ⅰ)――第一省察~第三省察
第3章 『省察』を読む(Ⅱ)――第四省察~第六省察
第4章 形而上学を支える自然学――物体の本性と観念の論理
第5章 デカルトの「循環」?――「自然の光」だけを頼りとして
第6章 主観主義の伝統と分析哲学の起点――デカルト哲学の射程
あとがき

★『倫理学入門』は放送大学教育振興会より1997年に刊行されたテキストの文庫化。著者は2007年に逝去。三重野清顕さんによる解説「人「間」の倫理学へむけて」が新たに加えられています。「「入門」と銘打たれているものの〔…〕本書の内容は、著者が追求しつづけた「相互主体性の哲学」の円熟期における体系的展開であり、その哲学的内実はきわめて高度なものだと言える。その一方で本書は、「入門」の名にふさわしく、倫理学史上のさまざまな学説を整理、配置したうえで、それらの要点を明瞭に叙述している」(283頁)と三重野さんは評価しておられます。

★『資治通鑑』は朝日新聞社より1974年に刊行された単行本の文庫化。カヴァー裏紹介文によれば、294巻のなかから後漢の「党錮の禁」、南北朝時代の「侯景の乱」、唐の「安史(安禄山)の乱」を綴った巻を収録。編訳者は2002年に亡くなっておられ、文庫化にあたって新たに付け加えられた文章はないようです。

★『ほとけの姿』は毎日新聞社より1990年に刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば「著者が遺した朱入本を元に、加筆・修正を施した」とあります。本書はいわば改訂版であり、著者が2000年に遺した「はじめに」と「あとがき」が加わり、著者のご息女の大成栄子さんが「『ほとけの姿』改訂版によせて」という一文をお書きになっています。なお、今年6月~7月に、吹田市立博物館にて企画展「西村公朝流 仏像のつくりかた(仮)」が開催予定だそうです。

★『古文読解のための文法』は三省堂より1995年に刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「明らかな誤りは適宜訂正した」とのこと。著者は94年没。新たに付された解説「古典文を「文法的に読む」ために」は小田勝さんによるもの。本書を「佐伯文法の最終形として、「かぞえ年90歳の記念のように世に出」(後記)されたものである。佐伯文法の到達点を示す充実した内容を、著者一流の気負いのない平易な語り口で読みもの風に仕上げており、まさに奇跡のような古典文法書となっている」(490頁)と評しておられます。

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★最後に、最近出会った1月~2月の新刊について、版元さんごとに列記します。

歴史という教養』片山杜秀著、河出新書、2019年1月、本体800円、新書判並製232頁、ISBN978-4-309-63103-5
他力の哲学――赦し・ほどこし・往生』守中高明著、河出書房新社、2019年2月、本体2,600円、46変形判上製256頁、ISBN978-4-309-24900-1

★河出書房新社さんの、1月の新書新刊とまもなく発売となる2月単行本新刊です。『歴史という教養』は河出新書の第3弾。「歴史を真の教養にするための試行錯誤の道」(まえがきより)をめぐる書き下ろしです。主要目次を列記しておきますが詳細目次はさらに興味深いので、ぜひ店頭で現物をご確認ください。

まえがき
序章 「歴史」が足りない人は野蛮である
第一章 「温故知新主義」のすすめ
第二章 「歴史好き」にご用心
第三章 歴史が、ない
第四章 ニヒリズムがやってくる
第五章 歴史と付き合うための六つのヒント
第六章 これだけは知っておきたい五つの「史観」パターン
終章 教養としての「温故知新」
あとがき

★『他力の哲学』は今週発売予定。帯文に曰く「法然、親鸞、一遍における熾烈な信仰の生成を、生/死を超える万人救済の教えとして徹底的に問い直し、〈他力〉の思考と実践をその現代性を鳴り響かせつつ甦えらせる――詩人思想家がその生のすべてを賭けた「廻心」の書」。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「本書は、私の「廻心(えしん)」の記録である。〔…〕宗教的「信」のまったき転回を指す、あの廻心である。/私は浄土宗の寺に生まれ育った。〔…そして24歳の折に〕正式に僧侶の身となった。しかし、私のアイデンティティはなかば宗教者でありなかば人文学研究者であるという、半端なものであった。実際、私の日常は、一方で毎朝本堂で勤行をし、土曜日・日曜日には檀信徒各位の求めに応じて法要を営み、他方で日々デリダやドゥルーズの著作を読み、機会があればみずから翻訳し、そしてその思考をめぐって著書や論考を書くという、二極に引き裂かれたものだった。/その引き裂かれた心に転回が起きた。〔…〕数年前のある日〔以下略〕」(「あとがき」より、240~241頁)。あとはぜひ本書現物をご確認ください。

デリダ 歴史の思考』亀井大輔著、法政大学出版局、2019年1月、本体3,600円、A5判上製276頁、ISBN978-4-588-15101-9
支配と抵抗の映像文化――西洋中心主義と他者を考える』エラ・ショハット/ロバート・スタム著、早尾貴紀監訳、内田(蓼沼)理絵子/片岡恵美訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,900円、A5判上製544頁、ISBN978-4-588-60357-0

★法政大学出版局さんの1月新刊より2点。2点とも目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。『デリダ 歴史の思考』は2005年から2018年にかけて各媒体で発表されてきた論文を改稿し再編し、書き下ろしを加えて一冊としたもの。「本書で私なりに明らかにしようとしたのもやはり、まぎれもなく「歴史と言語の思想家」としてのデリダだった」(249頁)と「あとがき」にあります。

★『支配と抵抗の映像文化』は『Unthinking Eurocentrism: Multiculturalism and the Media』(Routledge, 1994)の全訳。「ヨーロッパ中心主義は、非西洋を庇護したり悪魔化までしながら、西洋の歴史の都合の悪い面を削除したのである。自分たち西洋には、科学、進歩、人間性といった崇高な偉業を表す言葉を用い、非西洋のことは、事実だろうが想像だろうが、欠陥を示す言葉で表現するのだ。/本書はヨーロッパ中心主義に反対する研究書として、その規範の普遍化を批判する」(序章、3頁)。著者のショハット(Ella Shohat, 1959-)はイラク出身のアラブ系ユダヤ人で、米国で教鞭を執っています。スタム(Robert Stam, 1941-)はニューヨーク大学におけるショハットの同僚で、映画学教授。単独著の既訳に『転倒させる快楽――バフチン,文化批評,映画』(浅野敏夫訳、法政大学出版局、2002年)があります。

きらめくリボン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-50-6
いてつくボタン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-51-3

★共和国さんの1月新刊2点は長田真作さんによるモノクロ絵本です。昨年上梓された『すてきなロウソク』に続く2点で、「アカルイセカイ」3部作完結となります。モノクロと言っても全頁にUV加工が施されており、透明の様々なかたちの模様が光を優しく反射してとても美しいです。3部作の物語世界は明るい世界にも暗さがあるというよりは、暗い世界にも明るさが灯っているという印象です。

死とは何か――1300年から現代まで(上)』ミシェル・ヴォヴェル著、立川孝一/瓜生洋一訳、藤原書店、2019年1月、本体6,800円、A5判上製592頁、ISBN978-4-86578-207-3
地域の医療はどう変わるか――日仏比較の視点から』フィリップ・モッセ著、原山哲/山下りえ子訳、藤原書店、2019年1月、本体2,800円、四六上製176頁、ISBN978-4-86578-208-0
「雪風」に乗った少年――十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』西崎信夫著、小川万海子編、藤原書店、2019年1月、本体2,700円、四六上製328頁、ISBN978-4-86578-209-7
あそぶ 12歳の生命誌――中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(Ⅴ)』中村桂子著、養老孟司解説、藤原書店、2019年1月、本体2.200円、四六変上製296頁、ISBN978-4-86578-197-7

★藤原書店さんの1月新刊から4点。特に注目したいのは、フランスの歴史家ミシェル・ヴォヴェル(Michel Vovelle, 1933-2018)の主著『死と西欧――1300年から現代まで』(La Mort et l'Occident de 1300 à nos jours, Paris, Gallimard, 1983)の訳書が『死とは何か』として上下巻で刊行開始となったことです(下巻は今月発売予定)。全七部のうち上巻では第四部「バロック時代の盛大な葬儀(一五八〇~一七三〇年)」までを収録。巻頭には2014年に執筆された「日本の読者へ」が置かれています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。藤原書店さんでは今月、本書の下巻のほかに、アンドレ=ジョルジュ・オードリクール(André-Georges Haudricourt, 1911-1996;オドリクールとも)の『作ること 使うこと――生活技術の歴史・民族学的研究』をご出版になるそうで、とても楽しみです。

経済学者の勉強術――いかに読み、いかに書くか』根井雅弘著、人文書院、2019年1月、本体1,800円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-24123-3
乳母の文化史―― 一九世紀イギリス社会に関する一考察』中田元子著、人文書院、2019年1月、本体2,800円、4-6判上製280頁、ISBN978-4-409-14067-3
シベリア抑留者への鎮魂歌』富田武著、人文書院、2019年2月、本体3,000円、4-6判上製212頁、ISBN978-4-409-52075-8
つながりからみた自殺予防』太刀川弘和著、人文書院、2019年2月、本体2,800円、4-6判並製260頁、ISBN978-4-409-34053-0

★人文書院さんの1~2月新刊から4点。『経済学者の勉強術』『乳母の文化史』は発売済で、『シベリア抑留者への鎮魂歌』『つながりからみた自殺予防』は2月20日頃発売とのことです。特に注目したいのは近刊の『シベリア抑留者への鎮魂歌』。2015年から2018年までに各媒体で発表された論考に2篇(序章「シベリア出兵とシベリア抑留」、第四章「四國五郎――抑留体験とヒロシマ」)の書き下ろしを加えたもので、「拙著『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院、2013年)、『シベリア抑留』(中公新書、2016年)のような体系性はない」が、「個別次章の分析という点で概説的な本には収まりきらない内容の論文を収録」してあるとのことです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。

ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本――ドイツ国防軍陸軍総司令部』大木毅編訳解説、作品社、2019年1月、本体4,600円、A5判上製336頁、ISBN978-4-86182-733-4

★最後に作品社さんの1月新刊より1点。『ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本』は帯文によれば、1942年に発行された、砂漠とステップにおける戦闘に関するマニュアルで、こんにちの中東で作戦遂行する各国の軍隊でも参照されている第一級の史料とのことです。「本教本の内容は、砂漠・ステップの地勢にはじまり、部隊の編制や武装、訓練、位置標定、捜索や見張、行軍や宿営の要領、衛生、家畜の扱いなど、多岐にわたる」と編訳者は巻末解説で説明されています。特に注目すべきは「さまざまな障害への対処方法が確認されていることだろう」と。
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by urag | 2019-02-03 23:39 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 27日

注目新刊:『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』、ほか

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ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』G・W・ライプニッツ著、山下正男/谷本勉/小林道夫/松田毅訳、工作舎、2019年1月、本体8,500円、A5判上製336頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-501-6
現代物理学における決定論と非決定論――因果問題についての歴史的・体系的研究【改訳新版】』エルンスト・カッシーラー著、山本義隆訳、みすず書房、2019年1月、本体6,000円、A5判上製392頁、ISBN978-4-622-08736-6
現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在――〈男〉というジェンダーのゆくえ』青土社、2019年1月、本体1400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1376-9
サンデル教授、中国哲学に出会う』マイケル・サンデル/ポール・ダンブロージョ編著、鬼澤忍訳、2019年1月、本体2,700円、判頁、ISBN978-4-15209832-0
親鸞の言葉』吉本隆明著、中公文庫、2019年1月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206683-0
ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著、高橋英夫訳、中公文庫、2019年1月、本体1,200円、536頁、ISBN978-4-12-206685-4
ファースト・マン』上下巻、ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通/水谷淳訳、河出文庫、2019年1月、本体各780円、408/392頁、ISBN978-4-309-46486-2/978-4-309-46487-9

★『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』は、新装版第Ⅰ期の第3回配本。「中国自然神学論」「プロトガイア」「普遍学の基礎と範例」など十篇を収録しています。各論考の題名は書名のリンク先でご確認いただけます。ライプニッツの中国理解はイエズス会宣教師たちとの文通に助けられたものでありながら、宣教師たちのキリスト教中心主義的な分析の不十分さを見ぬいていたようです。山下正男さんは解説でライプニッツの中国論を「東と西の思想の巨人が対等の力量でぶつかった稀に見る歴史的事件」と評しています。「プロトガイア」は訳者の谷本勉さんによれば「一王家の歴史の序章というよりは、「地球の初源の特徴と自然の中に残された古代の歴史の痕跡についての論説」(シャイト版の副題)であり、地球起源論を含む非常に地質学的な書」。普遍学論文六篇については、小林道夫さんによる解説「ライプニッツの夢――百科全書の構想と普遍学」によれば、「最初の四篇は百科全書のプランを提示するものであり、他の2篇は普遍学の起源や価値あるいはその論理的原理を要約して述べている」と。

★「百科全書あるいは普遍学のための予備知識」にはこう書かれています。「「知恵」は幸福の学問である。/「真の教養」は、「知恵」を準備するもの、あるいは、それが可能であるかぎり、幸福のために役立つ諸知識の体系である。/「幸福」は持続する喜びの状態である。「喜び」は何らかの完全性を考えることから生じる心の「情念」である。もしその考えが正しいとすると、喜びが持続するものに高まる。/したがって、完全性を増大させ、保存するために貢献するものなら、何でも、幸福のために役立つのである。/それゆえ、われわれは、「人間」の完全性がいかなるもののうちにあり、また、その諸原因が何であるかを知らなくてはならない。/しかし、われわれの完全性は、ちょうど、ある優れた段階の健康がそうであるように、「病気」や不完全性――身体の働きを妨げたり、損なったりするあらゆるもの――のような諸活動を、われわれが、できるだけ容易に引き受けうることのうちにある。/したがって、自らのうちで最大限に働くわれわれの本質を、および、われわれの成長を促したり、完成させたりもすれば、また、妨げたり、損ないもしうる他の事物の本質を、われわれが普遍的に認識しなければならない点に、人々は同意するだろう。そして、それゆえに、「人間」は一種の「普遍的学問」を努力して得なくてはならないことになる」(212頁)。

★百科全書構想と普遍的記号法の完成を生涯追い求めたというライプニッツの興味深い足跡は、工作舎さんの既刊書、エイトン『ライプニッツの普遍計画』や佐々木能章『ライプニッツ術』などで窺うことができます。ちなみに工作舎さんでは来月、フランセス・イエイツの『薔薇十字の覚醒』を新装復刊するとのことです。

★『現代物理学における決定論と非決定論』は『Determinismus und Indeterminismus in der modernen Physik : Historische und systematische Studien zum Kausalproblem』の翻訳。巻末の「訳者あとがきと解説」によれば、本書はまず1936年にスウェーデンのイエーテボリ大学の紀要に公表され、翌年にスウェーデンで書籍化(イエーテボリ版)。その後1972年に西ドイツの出版社から『アインシュタインの相対性理論』と合本で刊行されています(ダルムシュタット版)。「カッシーラーが生前に眼を通すことができたのは、イエーテボリ版だけ」。訳者の山本さんがかつて1994年に学術書房の「科学史研究叢書」で翻訳刊行したのはダルムシュタット版とのことで、「イエーテボリ版とくらべてダルムシュタット版が明らかに不正確であることが判明した」ため、「全面的にイエーテボリ版に依拠して訳し直」したとのことです。帯文に曰く「1936年に執筆された本書は、量子力学的世界の哲学的基礎付けを試み、科学と哲学を架橋した画期作であり、カッシラーの生涯の哲学的問題意識のすべての要素の結接点に位置する」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★『現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在』は、編集人が栗原一樹さんから「ユリイカ」編集部の樫田祐一郎さんに交代となって初めての号となります。編集後記では特に交代についての言及や説明はなし。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。版元紹介文にはこうあります。「さまざまな社会状況の変化を受け、いま再び「男性学」が注目を集めている。男性が男性として抱える困難を真摯に見つめ直しつつ、しかしフェミニズムに対する不毛なアンチに陥る危険を注意深く避けながら、男性性のあり方を批判的かつポジティヴに思考する途はあるか。本特集ではセクシュアリティやコミュニケーション、教育、労働、福祉といった多様な観点から「男」なるものの来し方と行く末を思考する」と。まさに「現代/現在」と向き合う、意欲的な特集号だと思います。3月号の特集は「引退・卒業・定年」とのことで、八年間にわたる栗原体制との違いの萌芽がかいまみえるような印象です。栗原さん時代の「現代思想」誌を振り返るブックフェアやイベントがあっても良いような気がするのですが、どこかでおやりになるのでしょうか。

★『サンデル教授、中国哲学に出会う』は『Encountering China: Michael Sandel and Chinese Philosophy』(Harvard University Press, 2018)の訳書。巻末にある編者二名による原著謝辞には、2016年3月に開催された国際会議「マイケル・サンデルと中国哲学」が本書の端緒となった、と記されています。帯文はこうです。「気鋭の研究者9名の論考にサンデルが応答する、正義論の新展開。ハーバード大学の超人気教授は、孔子、孟子、荘子ら古の哲人といかに対話するか?」。日本人にとっても必読文献となりそうです。版元サイトに掲出されていないようなので、目次を以下に転記しておきます。

はしがき 中国、マイケル・サンデルと出会う |エヴァン・オスノス(Evan Osnos)
Ⅰ 正義、調和、共同体
 第一章 調和なき共同体?――マイケル・サンデルへの儒教的批評 |李晨阳([Li Chenyang)
 第二章 個人、家族、共同体、さらにその先へ――『これからの「正義」の話をしよう』におけるいくつかのテーマに関する儒教的考察 |白彤東(Bai Tongdong)
 第三章 美徳としての正義、美徳に基づく正義、美徳の正義――マイケル・サンデルの正義の概念に対する儒教的修正 |黄勇(Huang Yong)
Ⅱ 市民の徳と道徳教育
 第四章 市民道徳に関するサンデルの考え方 |朱慧玲(Zhu Huiling)
 第五章 儒教から見たサンデルの『民主政の不満』 |陳来(Chen Lai)
Ⅲ 多元主義と完全性――サンデルと道家思想の伝統
 第六章 ジェンダー、道徳的不一致、自由――中国というコンテクストにおけるサンデルの共通善の政治 |ロビン・R・ワン(Robin R. Wang)
 第七章 満足、真のそぶり、完全さ――サンデルの『完全な人間を目指さなくてもよい理由』と道家思想 |ポール・ダンブロージョ(Paul J. D'Ambrosio)
Ⅳ 人間の概念――サンデルと儒教的伝統
 第八章 儒教倫理における「人間」を理論化する |ロジャー・T・エイムズ(Roger T. Ames)
 第九章 道徳的主体なき道徳性についてどう考えるべきか |ヘンリー・ローズモント・ジュニア(Henry Rosemont Jr.)
 第一〇章 儒教の役割倫理に対するあるサンデル派の応答 |ポール・ダンブロージョ
Ⅴ マイケル・サンデルによる応答
 第一一章 中国哲学から学ぶ |マイケル・サンデル(Michael J. Sandel)
謝辞
参考文献

執筆者一覧

★『親鸞の言葉』は文庫版オリジナル編集。「親鸞における言葉」(『[思想読本]親鸞』所収、法蔵館、1982年)と、「歎異抄」「書簡」「教行信証」より吉本さんが編訳した「親鸞の言葉」(原題「現代語訳親鸞著作集(抄)」、前掲書所収)、そして鮎川信夫、佐藤正英、中沢新一の各氏と対談した「親鸞をめぐる三つの対話」の三部構成です。巻末エッセイとして、先ごろ亡くなった梅原猛さんによる「吉本隆明の思い出」(「東京新聞」2012年3月26日付夕刊掲載)が付されています。三本の対話はそれぞれ次の通り。鮎川さんとの対談は「『歎異抄』の現在性」(『現代思想』1979年6月号所収)、佐藤さんとの対談は「親鸞の〈信〉と〈不信〉」(『現代思想』1985年6月号所収)、中沢さんとの対話は「『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ」(『中央公論』2008年1月号所収)。

★「歎異抄」からの現代語訳をひとつ引用します。「善人でさえもなお往生を遂げることができます。まして悪人ならばなおさらのことです。それなのに、世間のひとはいつも云っています。悪人でさえなお往生できる、まして善人ならばなおさらのことだというように。この言い方は、ちょっとかんがえると理路がとおっているようにみえますけれども、他力による本願の主旨にそむいています。そのわけは、自力で全を作(な)そうとする人は、どうしても他力を頼みにする心が欠けているので、阿弥陀如来の本願の対象にはなりません。けれども、自力が頼むこころをおもいかえして、如来の他力におすがりすれば、真実の浄土に往生を遂げることができます」(48頁)。続きはぜひ現物をご確認下さい。

★また「教行信証」の現代語訳より。「「横に跳び超える」とは、すなわち本願が成就されるただひとつある真実の円満な真の教えであって、つまり真宗がこれである。〔…〕阿弥陀仏のおおきな本願によって得られる清浄な真実の浄土に生まれるには、人の身分や位階の差はかかわりない。わずか一念するちょっとの間に、速やかにはやく無上の正真のさとりの道を得る。それだから、「横超(おうちょう)」というのである」(101頁)。

★『ホモ・ルーデンス』は、1973年の中公文庫版の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊です。巻末の編集付記によれば「同文庫33刷(2015年11月刊)を底本とし、旧版の巻末にあった原注、訳者注は各章末に移した」とのこと。また、新たな収録作として堀米庸三(ほりごめ・ようぞう:1913-1975:西洋中世史)さんとマリウス・B・ジャンセン(1923-2000:日本史)さんとの対談「ホモ・ルーデンスの哲学」(初出:「中央公論」昭和42年9月号)が収められています。底本は1956年のドイツ語版で、1955年英語版、1949年イタリア語版、1958年のオランダ語全集版、1951年フランス語版にも「随時目を通して、より正確を期した」とあります。中公文庫プレミアム「知の回廊」では昨年11月に『中世の秋』上下巻が再刊されています。また、『ホモ・ルーデンス』は、昨年3月に講談社学術文庫より里見元一郎さんによる河出書房新社版「ホイジンガ選集」第一巻(1971年;新装版1989年)が文庫化されています。

★『ファースト・マン』は『First Man: The Life of Neil A. Armstrong』(初版、Simon & Schuster, 2005;改訂版、2006年;増補改訂版、2018年)の訳書。2007年にソフトバンク・クリエイティブから刊行された単行本は改訂版が底本で、今回の文庫は増補改訂版(新版)が底本とのことです。訳者あとがきによれば、この最新版では「全体的に内容が整理され、また旧版出版以降の出来事、とくにアームストロング最晩年のエピソードが大幅に加筆されている。これを新たに訳しなおすとともに、固有名詞や技術用語などの訳語を一部手直ししたのが〔…〕この文庫版である」とのことです。医師でエッセイストの向井万起男さんが文庫版解説を書いておられます。本書を原作とした同名映画が、かの『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング主演で来月2月8日から全国ロードショーとのことです。

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by urag | 2019-01-27 22:26 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 21日

注目新刊:『ドゥルーズの21世紀』河出書房新社、ほか

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。

★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエル『論理学と学知の理論について』)
★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論)』
★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
河出書房新社さんよりまもなく発売となるドゥルーズ論集に寄稿されています。

ドゥルーズの21世紀
檜垣立哉/小泉義之/合田正人編
河出書房新社 2019年1月 本体5,800円 46変形判上製512頁 ISBN978-4-309-24896-7
帯文:21世紀は「ドゥルーズの世紀」(フーコー)なのか。最前線のドゥルーズ論者が世代をこえて集結、その哲学を究め、拡張し、対決する――未来の哲学を開く記念碑的集成。

あとがき(檜垣立哉氏)より:ドゥルーズやドゥルーズ=ガタリが最新のフランス現代思想の輸入品として重宝がられた時代や、それを哲学史的文脈に置き直す時代はすでに終わった。本書はむしろ、そうした時代の重層性をかいくぐりながら、現在の日本の論者たちが、ドゥルーズあるいはドゥルーズ=ガタリをどのように自らの論脈にひきつけ破断させるのかをかいまにさせる場であるべきだろう。

目次:
はじめに |近藤和敬
第Ⅰ部 ドゥルーズを究める
 哲学の奇妙な闘い |宇野邦一
 現行犯での伝説化――ドゥルーズの芸術論における映画の身分についての試論 |小倉拓也
 『差異と反復』をさまようヘルマン・コーエンの亡霊 |合田正人
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ |江川隆男
 シモンドンと超越論的経験論の構築 |アンヌ・ソヴァニャルグ〔上野隆弘/平田公威訳〕
 『差異と反復』におけるトリガーとしての問いの存在論 |小林卓也
第Ⅱ部 ドゥルーズを広げる
 類似的他者――ドゥルーズ的想像力と自閉症の問題 |國分功一郎
 ドゥルーズと制度の理論 |西川耕平
 スキゾ分析の初期設定 |山森裕毅
 ドゥルーズの霊性――恩寵の光としての自然の光 |小泉義之
 『シネマ』の政治――「感覚-運動的な共産主義」の終焉をめぐって |堀千晶
 儀礼・戦争機械・自閉症――ルジャンドルからドゥルーズ+ガタリへ |千葉雅也
第Ⅲ部 ドゥルーズに対する
 パースとドゥルーズ――基層における交錯 |檜垣立哉
 持続は一か多か――ドゥルーズ『ベルクソニスム』の諸解釈をめぐって |岡嶋隆祐
 生き別れの双子としてのシモンドンとドゥルーズ |宇佐美達朗
 ドゥルーズのシモンドン読解について――1966年の書評を手がかりに |堀江郁智
 ドゥルーズとデリダ、内在と超越――近年のフランス思想における二つの方向 |ダニエル・W・スミス〔小川歩人訳〕
 ひとつの生、ひとつの生き延び――ドゥルーズ/デリダ |宮﨑裕助
 思考-生-存在――バディウの批判から見るドゥルーズの後期思想 |近藤和敬
あとがき |檜垣立哉
編者・執筆者・訳者一覧

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さらに近藤和敬さんは以下の共訳書を先月上梓され、解説をお書きになっています。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。また、先月末発売の『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019――ポスト・ヒューマニティーズ』において、近藤さんは「メイヤスーとバディウ――真理の一義性について」と題した論考を寄稿されています(87~102頁)。

推移的存在論
アラン・バディウ著 近藤和敬/松井久訳
水声社 2018年12月 本体3,000円 四六判上製251頁 ISBN978-4-8010-0384-2
帯文:一なき多の思考。存在論とは数学である。「神は死んだ」――もはや宗教の神に出会うのでもなく、形而上学の原理の下に隠すのでもなく、ロマン主義のメランコリーに賭けるのでもなく、存在を思考することはいかにして可能となるのか。主著『存在と出来事』のエッセンスから出発して、集合論と圏論を携えてプラトンからカントまでを一挙に横断し、数学=存在論を宣言したバディウ哲学の転回点!

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★小澤正人さん(訳書:ブルワー=リットン『来るべき種族』)
先月、下記のウェルズ論を上梓されました。

ユートピアの誘惑――H・G・ウェルズとユートピア思想
小澤正人著
三恵社 2018年12月 本体1,900円 四六判並製170頁 ISBN978-4-86487-994-1

目次:
始めに
第一章 ウェルズの初期作品とユートピア思想
第二章 『モダン・ユートピア』とユートピア思想
第三章 『モダン・ユートピア』と優生思想
第四章 「盲人の国」における視力と知性:ユートピアの二面性
第五章 変えることができる――のか?:『ポリー氏の物語』における選択
第六章 『神々のような人々』とユートピア思想
終わりに
参考文献

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★澤里岳史さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』)
★河村一郎さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』)
ラクラウ(Ernesto Laclau, 1935-2014)の著書『On Populist Reason』(Verso, 2005)の全訳書を上梓されました。澤里さんが2016年に死去されたため、河村さんが翻訳を引き継がれたものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお、本書に解説を寄せられた山本圭さんはまもなく、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』の訳書を明石書店から上梓されます。

ポピュリズムの理性
エルネスト・ラクラウ著 澤里岳史/河村一郎訳 山本圭解説
明石書店 2018年12月 本体3,600円 4-6判上製416頁 ISBN978-4-7503-4698-4
帯文より:人民を構築せよ、〈左派ポピュリズム〉の可能性のために。、侮蔑的に論じられがちなポピュリズムを“政治的なもの”の構築の在り方として精緻に理論化した、ポピュリズム論の金字塔的著作。根源的、複数主義的な民主主義のために、政治的主体構築の地平を拓く。「エルネスト・ラクラウという思想家の原点かつ到達点」――山本圭氏(本書解説「『ポピュリズムの理性』に寄せて」より)。

解説より:『ポピュリズムの理性』の日本語訳の刊行は、紛いもなく反時代的なものだ。しかし根源的〔ラディカル〕であるとは、えてして反時代的なものだろう。自由民主主義のお約束の着地点に居直ることなく、政治からの疎外を、排除を、無力化を直視し、民主主義の理想が本源的に含んでいる楽観に、もう一度身を委ねようとするならば――。

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by urag | 2019-01-21 13:13 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 20日

注目新刊:木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』、ほか

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ダークウェブ・アンダーグラウンド――社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』木澤佐登志著、イースト・プレス、2019年1月、本体1,850円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7816-1741-1
『侵略者は誰か?――外来種・国境・排外主義』ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス編、井上太一訳、以文社、2019年1月、本体3,400円、四六判上製320頁、ISBN978-4-7531-0351-5
天然知能』郡司ペギオ幸夫著、講談社選書メチエ、2019年1月、本体1,700円、四六判並製256頁、ISBN978-4-06-514513-5

★『ダークウェブ・アンダーグラウンド』はブロガーで文筆家の木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さんによる注目のデビュー作。個人的にとても楽しみにしていた一冊です。目次詳細が掲出されているアマゾン・ジャパンの単品頁では新人への洗礼と言うべきかすでに辛口の評言がいくつか寄せられています。指摘の一々はおそらくご本人も承知の上でしょう。アカデミックでもなく、サブカルでもなく、そのあわいを素早く一瞥する最初の身振りが本書であろうと感じます。その一瞥にもセンスが問われるわけで、私は書店員さんに本書を推したいです。読者が不足に思う部分は本書の参考文献を一助として自身で探査する自由がある。どこかに腰を据えて深く掘り下げる行為には、その場の磁力に絡めとられる不都合が伴うわけで、少なくとも人文書にコミットせざるをえない私としては、内容といい造本といい、書名にせよ帯文にせよ、人文書にありがちなルートからは外れていて「良かった」と思えます。木澤さんが拓いた回路は新たなルートへと発展するはずです。ちなみに分類コードは0036つまり「社会」です。ネットカルチャーを論じている以上それは常道なのですが、もちろん文芸書売場の「ノンフィクション」に置かれてもいいし、人文書売場の「現代思想」に置かれてもいいのでは、と。

★序章「もう一つの別の世界」から引用すると、本書の構成は以下の通り。「第1章〔暗号通信という「思想」〕は、ダークウェブの土台を成す暗号技術に焦点を合わせ、カウンターカルチャーが「暗号」をどのように取り扱ってきたのかを確認する。私たちはそこで、暗号空間としてのダークウェブに、かつてのサイバースペースの夢があたかも回帰するかのような事態を見るだろう。/続く第2章〔ブラックマーケットの光と闇〕、第3章〔回遊する都市伝説〕、第4章〔ペドファイルたちのコミュニティ〕は、ダークウェブという舞台に表れた様々なサイトや人物たちと、そこで起こったドラマの数々を見ていくことを通してダークウェブの光と闇を考察する。/第5章〔新反動主義の台頭〕は、新反動主義と呼ばれる、インターネット上のコミュニティを震源とする思想を扱う。新反動主義がどのようにオルタナ右翼に影響を与え、現在のインターネットの「空気」を醸成しているのかを説明する。/終章となる第6章〔近代国家を超越する〕では、インターネットの未来を考えるためにブロックチェーンを例に取り上げて論じる。思想とインターネット技術が絡み合うことで、私たちの現実社会すら根本から書き換えていくさまを幻視しようと思う。/補論では本省で取り上げきれなかったトピックを扱う。補論1〔思想をもたない日本のインターネット〕では日本におけるダークウェブの実態と日本とインターネット思想の関係を、続く補論2〔現実を侵食するフィクション〕ではインターネット・ミームという観点からフィクションと現実の関係を再考する」。関連記事に「欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感――「反リベラル」の言論人ネットワーク」(現代ビジネス、2019年1月17日付)があります。

★『侵略者は誰か?』は『The Ethics and Rhetoric of Invasion Ecology』(Lexington Books, 2016)の訳書。帯文に曰く「外来種を侵略者と読み替える「国境」の論理――それが生み出す、人間と人外の動物への「排外主義」とは何か。本書は、「人新世」や「多元的存在論」など、人間と自然の関係を再検討する諸概念・研究を手がかりに、既存の外来種論の見直しを図る人文社会科学からの応答である」。章立てと執筆者を以下に転記しておきます。

序章 種が侵略者となるとき |ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス
第一章 いと(わ)しい存在の管理を超えて |マシュー・カラーコ
第二章 外来種生態学〔エイリアン・エコロジー〕、あるいは、存在多元論の探究 |ジェームズ・スタネスク
第三章 客か厄か賊か――種に印づけられた倫理と植民地主義による「侵略的他者」の理解 |レベカ・シンクレア/アンナ・プリングル
第四章 ユダの豚――サンタクルス島の「野生化」豚殺し、生政治、ポスト商品物神 |バシレ・スタネスク
第五章 帰属の大活劇――多種世界における市民権の非登録化 |バヌ・スブラマニアム
第六章 よそ者を迎えて――繁殖の脅威論と侵略種 |ケルシー・カミングス/ケビン・カミングス
第七章 楽園と戦争――アルド・レオポルドと復元生態学におけるレトリックの起源 |ケイシー・R・シュミット
第八章 根無し草の根を育てる――ピーター・ケアリーの『異星の快楽』にみられる侵略種と不気味な生態系 |マイカ・ヒルトン
原注
参考文献
訳者あとがき

★「人新世とは、人間活動が初めて生態系に傷跡を残した頃から続く時代を指す。人新世が進むにつれ、傷跡は指数級数的に規模を広げ、地球には消し去ることのできない損傷が加えられた。仮に、人びとが分かっているとしよう。集団、衆人、または個人として、意識的に、あるいは、もしかすると無意識的に、人間が自分たちのもたらしてきた過去と現在の損害を認知しているとする。となれば、自分たちの最悪の習性をまとめて他の非在来動物の身に着せるのは、どれほど気楽な話だろう。ましてそう前提することで私たちが救い主の役柄を演じられるのであればなおさらである。/非在来種に対する管理戦略が、社会の片隅で暮らす移民その他の人びとに対する警備戦略に重なるものだとすると、周縁部に生きる全ての者を結束させる、肥沃な連合の基盤が広がっているはずである。思想と学問の脱植民地化論は、おもにローラン・セザリ、フランツ・ファノン、エドゥアール・グリッサン、シルビア・ウィンターらの著作を通して形成された。脱植民地化論の中核には帝国主義への批判がある。ヨーロッパ思想の遺産を受け入れ、先住民の征服を讃えるのではなしに、脱植民地化論はワルテル・ミニョーロのいう「認識論的不服従」に関わる。米・『サイエンティスト』誌に載った2011年の特集「侵略種の思想」の中で、研究者のマシュー・チューとスコット・キャロルは記した。「認めがたいのは、深く広く根を下ろした『非在来種』という概念上の分類群を相手に、終わりも望みもない戦争を続ける頑なな態度である。それは、今となっては移入種が重要な役割を担う生態系を絶えず搔き乱す紛争となる」。この永続的な戦争を求め続ける声に対抗し、本書の各章は認識論的不服従を呼びかける」(13~14頁)。本書が注目に値する理由がこの序章の言葉にはっきりと表れていると感じます。

★『天然知能』はひょっとすると郡司さんの著作の中でもっとも親しみやすい本となるかもしれない画期的な一書。目次詳細と巻頭の「ダサカッコワルイ宣言」は書名のリンク先にある「試し読み」で見ることができます。「おしゃれなかっこよさは、自分に都合の悪いものは排除し、自分のコントロールできる範囲で、自分の世界に事物を配置することで実現されます。かっこいいは、そういった独我論的世界観、一人称的世界観に裏付けられています。かっこいい者にとって、外部なんて存在しないのです」(12頁)。「一・五人称的知性としての天然知能は、「わたし」と無関係な、それ自体として存在する「わたしの外部の実在」を問題とします。「わたし」と関係のある、「わたし」に有用なものだけで構想される、そういった世界の、外部に目を向けます。/それは最近話題の、新しい実在論や、外部の実在を構想する思弁的実在論と、密接な関係にあることが予想されるでしょう。ところがむしろ、新しい実在論の延長線上に、天然知能が位置することが示されるのです。つまり先にあるということです」(13頁)。「本書では、知覚できないが存在する、という存在様式を認める知性について、一つの理論を提案します」(同頁)。ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』が選書メチエで刊行されたのがちょうど一年前でした。再びいま私たちは新たなステージの知的刺激を本書から受け取るることになるのではないでしょうか。「世界の見方を変えてくれます」(養老孟司)、「AIみたいな人間と人間みたいなAIにあふれる社会への挑戦状」(吉川浩満)というお二人の推薦文はけっして大げさではないでしょう。

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★続いて、最近出会った新刊を列記します。

フーコーの言説――〈自分自身〉であり続けないために』慎改康之著、筑摩選書、2018年1月、本体1,600円、四六判並製272頁、ISBN978-4-480-01674-4
天皇組合』火野葦平著、河出書房新社、2019年1月、本体1,700円、46判並製256頁、ISBN978-4-309-02773-9
リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』渡辺靖著、中公新書、2019年1月、本体800円、新書判並製224頁、ISBN978-4-12-102522-7
硫黄島――国策に翻弄された130年』石原俊著、中公新書、2019年1月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102525-8
風土記と古代の神々――もうひとつの日本神話』瀧音能之著、平凡社、2019年1月、本体2,400円、4-6判並製246頁、ISBN978-4-582-46912-7
大清律・刑律1――伝統中国の法的思考』谷井俊仁/谷井陽子訳解、東洋文庫893、2019年1月、本体3,600円、B6変判上製函入500頁、ISBN978-4-582-80893-3

★『フーコーの言説』はフーコーの講義録や著書の数々を翻訳し新訳してきた慎改康之(しんかい・やすゆき:1966-、明治学院大学教授)さんの初の単独著。50年代のテクストから最晩年の絶筆『性の歴史(4)肉の告白』に至るまでの思考の足取りを読み解くものです。主要目次はアマゾン・ジャパンの単品頁で確認することができます。「フーコーの言説のうちに、主体性の支えや倫理的原則を期待しても無駄である。彼の歴史研究が我々に与えてくれるのは、特定の思考や行動のための処方ではなく、「思考をそれがひそかに思考しているものから解放し、別の仕方で思考することを可能にする」ための道具である。その道具をどのように使用するのか、そしてそれによって実際に自分自身からの離脱へと導かれるかどうかは、我々一人ひとりの選択、我々一人ひとりの努力に委ねられているのだ」(258頁)。「一方では、自分自身から身を引き離すことによって、主体と真理との関係を新たなやり方で考える可能性が開かれるということ。そして他方では、人間、主体、真理をめぐる問題を、さまざまな領域、さまざまな軸のもとで扱うことによって、自分自身からのさらなる離脱へと導かれるということ。主体性をめぐる問題を、以前の自分自身とは異なるやり方で思考するにはどのようにすればよいか。自分自身からの新たなる脱出のために、主体と真理との関係をどのように問い直せばよいか。こうした二重の問いこそ、フーコーの言説全体を特徴づけることのできる優れてフーコー的な問いなのだ」(266~267頁)。

★『天皇組合』は、芥川賞作家の火野葦平(ひの・あしへい:1907-1960)さんが1950年に中央公論社より上梓した小説を、評論家の陣野俊史さんと高沼利樹さんによる解説を付して再刊したもの。帯文はこうです。「戦後の混乱期、われこそ真の天皇と名乗り出るものが続々と出現。そのひとり、虎沼天通の一かは現天皇の体位をもとめる天皇の組合結成を思い立った。戦後の風俗を背景に個性あふれる人物たちが右往左往するユーモアあふれるドタバタ劇」。本文からひとつだけ引きます。「この「君が代」は、誰のための歌か? 誰のために、自分は歌うのか? 通軒はちぐはぐな気持ちで、ただ機械のように、口だけ動かしていたが、やがて、いつの日にか、自分のために歌われる日が来る、その日のための練習をみんながやっているのだ、と考えることによって、わずかに、勇気をとりもどした。(自分のために、歌うのだ)と自得して、少し声が大きくなった。そして、天皇組合を早く結成して、所期の大目的を怱急に達成せねばならぬと、焦燥の思いが一段と強まるのである」(140頁)。

★中公新書の1月新刊から2点。『リバタリアニズム』は「中央公論」誌の連載「リバタリアン・アメリカ」(2018年4月号~2019年1月号、全10回)に加筆したもの。トランプ政権誕生後のアメリカ各地を取材し、若い世代に拡がりつつあるというリバタリアニズム(自由至上主義)の実情に迫っています。さまざまな活動家や団体が紹介されていますが、そのひとつ、ピーター・ティールから資金援助を得て設立されたNPO「シースティング研究所」が興味深いです。「人類を政治家から解放すること」を目指すという同研究所は、かのミルトン・フリードマンの孫でグーグル出身のエンジニア、パトリ・フリードマン(1976-)が会長を務めています。彼は「バーニングマン」に霊感を得て、公海上に洋上自治都市を多数つくろうとしています。「自国から自由になりたい人は大勢います。そうした人びとの受け皿になりたい」(29頁)と。「シリコン・バレーには世界や人類を本気で変えてやろうと思っている人が多くいます。「議論は止めろ、作ってしまえ」という雰囲気も好きです。ピーター(・ティール)と知り合えたのもここならでは」(29~30頁)。彼の父親はデヴィッド・フリードマン(1945-)。無政府資本主義の理論家で、『自由のためのメカニズム――アナルコ・キャピタリズムへの道案内』(勁草書房、2003年)などの著書があります。

★もう1点、『硫黄島』は「忘れられてきた硫黄列島の近現代史を再構成するとともに硫黄列島民の視点から、日本とアジア太平洋の戦前・戦争・戦後を問い直す作業である」と(vii頁)。本書には二つの目的があると言います。「一つは、硫黄列島の歴史を従来の「地上戦」一辺倒の言説から解放し、島民とその社会を軸とする近現代史として描き直すこと」(vi頁)、そして「もう一つは、日本帝国の典型的な「南洋」植民地として発達し、日米の総力戦の最前線として利用され、冷戦下で米国の軍事利用に差し出された硫黄列島の経験を、現在の日本の国境内部にとどまらないアジア太平洋の近現代史に、きちんと位置づけることである」(同頁)。「硫黄列島民が近現代の日本とアジア太平洋世界のなかで強いられてきた、激動と苦難に満ちた130年間は、「帝国」「戦争」「冷戦」の世紀であった20世紀が何であったかを、その最前線の地点から鮮烈に照らし出すことになるだろう」(vii頁)と。「軍事利用のために約75年にわたって島民全体が帰郷できない」(v頁)という現実を、国民のどれくらいが知っているでしょうか。

★『風土記と古代の神々』は日本古代史がご専門の駒沢大学教授、瀧音能之(たきおと・よしゆき:1953-)さんの最新著。「風土記から見た「記・紀」神話」と「地域の神々の神話」の二部構成。「中央政府によってまとめられた『古事記』『日本書紀』に対して、地方の国単位で編纂された『風土記』という対峙を重視し」(8頁)、「「記・紀」神話の体系を可能な限り、諸国の『風土記』の内容でカバー」し「「記・紀」神話と『風土記』の神話との間に新しい関係性を見出す」(9頁)とともに、「「記・紀」ではあまりとりあげられていない地域の神や神社について、主に『風土記』を用いて、その実像を追いかけ」(同頁)たもの。第二部の主要目次を列記しておくと、「地域の大神」「出雲の四大神と二大社」「目ひとつの鬼」「荒ぶる神――半ばを生かし、半ばを殺しき…」「カラクニイタテ神社と新羅」「古四王神社の由来」。

★『大清律・刑律――伝統中国の法的思考』は全2巻予定で、まず第1巻が発売。帯文はこうです。「前近代中国の成文法を代表する法典『大清律』のうち刑罰を定めた「刑律」を全文訳し、当時の最も優れた注釈書に基づいて解説を加えた書。中国の伝統的な法的思考がよくわかる」。第1巻では「賊盗篇」「人命篇」「闘殴篇」「罵詈篇」「訴訟篇」を収録。「闘殴篇」の「殴受業師」では「およそ教えを受けた師を暴行したならば、一般人に二等を加える。死なせたならば、斬」(306頁)と記されます。二等とは絞首刑のこと。斬は斬首刑。

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by urag | 2019-01-20 23:57 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 15日

ブックツリー「哲学読書室」に鈴木智之さんの選書リストが追加されました

オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、モーリス・アルヴァックス『記憶の社会的枠組み』(青弓社、2018年11月)の訳者、鈴木智之さんによるコメント付き選書リスト「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」が追加されました。以下のリンク先一覧からご覧になれます。


◎哲学読書室

1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る
27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する
29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体
30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊

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by urag | 2019-01-15 19:22 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 14日

注目新刊:ラトゥール『社会的なものを組み直す』法政大学出版局、ほか

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社会的なものを組み直す――アクターネットワーク理論入門』ブリュノ・ラトゥール著、 伊藤嘉高訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,400円、四六判上製588頁、ISBN978-4-588-01090-3
アドルノ音楽論集――幻想曲風に』Th・W・アドルノ著、岡田暁生/藤井俊之訳、法政大学出版局、2018年12月、本体4,000円、四六判上製470頁、ISBN978-4-588-01088-0
死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』守屋彰夫/上村静訳、ぷねうま舎、2018年12月、本体5,300円、A5判上製364頁、ISBN978-4-906791-87-3
精神分析における生と死』ジャン・ラプランシュ著、十川幸司/堀川聡司/佐藤朋子訳、金剛出版、2018年12月、本体4,800円、A5判上製300頁、ISBN978-4-7724-1666-5
ヴァーチャル社会の〈哲学〉――ビットコイン・VR・ポストトゥルース』大黒岳彦著、青土社、2018年12月、本体3,600円、四六判上製383+50頁、ISBN978-4-7917-7126-4

★『社会的なものを組み直す』は『Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory』(Oxford University Press, 2005)の全訳。訳出にあたり、いくつかの誤記と誤植が訂正された2007年のペーパーバック版と、2006年の仏語版を参照したとのことです。目次詳細は書名のリンク先に掲出されています。

★アクターネットワーク理論(ANT: actor-network-theory)というのは、訳者あとがきの言葉を借りると「「自然」も「社会」も前提にせず、エージェンシー(行為を生み出す力)をもたらす万物の連関を「アクター自身にしたがって」丹念にたどろうとする」もの。ラトゥールは序章でこう書いています。「本書では、社会的という概念をその原義に立ち帰って定義し直し、社会科学者には思いもよらなかった諸要素の結びつきをたどり直せるようにしたい」(8頁)。「社会学を、「社会的なものの科学」と定義するのではなく、つながりをたどることと定義し直すことで、社会科学の本来の直観に忠実であり続けることができる」(15頁)。ラトゥールはこうも書いています。「以前は、アクター-ネットワーク-理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン-リゾーム存在論〔actant-rhizome ontology〕」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかった」(23頁)。「アクター-ネットワークという表現における「アクター」とは、行為の源ではなく、無数の事物が群がってくる動的な標的である」(88頁)。

★「本書は、諸々の社会的な結びつきを組み直すためにANTをどう活用すればよいのかを扱うものであり、以下の三部で構成される。各部は、社会的なものの社会学が一緒くたにしてきた社会学の三つの務めに対応しており、もはや一緒くたにすることは正当化されない。つまり、/・社会的なものをあらかじめ特定の領域に限定してしまうことなく、つながりをめぐる数々の論争をどのように展開させるのか。/・そうした数々の論争をアクターが安定化できるようにする手段をどのように記録するのか。/・どのような手続きであれば、社会でなく集合体のかたちで社会的なものを組み直せるのか」(36~37頁)。「いくつかの点で、本書は旅行ガイドに似ている。本書で案内されるのは、まったくありふれた地域である――私たちが見慣れている社会的世界そのものである――と同時に、まったく見慣れない地域である――いちいちゆっくりと進むやり方を学ばなければならなくなる」(38頁)。

★「紙に何かを記録するという単純な行為は、それだけで途方もない変換を起こしており、その行為には、風景を描いたり、複雑な生化学反応を起こしたりするのと同じくらいの力量が求められ、まったく同じ巧みさが求められる。研究者たる者は、ひたすら記述することを屈辱に感じるべきではない。それどころか、ひたすら記述することは、類い稀なるこの上ない偉業である」(258頁)。本書のインパクトは欧米でそうだったように、日本でもおそらく今後書評や参考文献などのかたちで人文社会書にとどまらず様々な分野で隠然と現れていくことになるのではないかと思います。

★『アドルノ音楽論集――幻想曲風に』は『Musikalische Schriften II: Quasi una fantasia』(Suhrkamp, 1963)の訳書です。生前に刊行された『音楽著作集』2巻本のうちの第2巻です。第1巻『響きの形象』1959年は未訳。第2巻『幻想曲風に』は「ベートーヴェンからシュトックハウゼンに至るまでを哲学/社会学理論と縦横無尽に絡めながら論じ〔…〕まさにアドルノの音楽哲学の核心部分に位置すると言える」と訳者あとがきにあります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の岡田さんは「本書の翻訳を通して私が何より魅了されたのは、〔…〕アドルノのエッセイスト的な才知である」とお書きになっています。

★アドルノは巻頭の「音楽と言語についての断章」でこう書きます。「音楽は意味言語とはまったく別のタイプの言語である。この言語の中には何か神学的なものが潜んでいる。それが語るものは、輝きつつ現象するものとして定義されると同時に、まさにそれ故に隠されている。その理念は神の名という形をしている。それは現実世界に影響を及ぼす魔術から解放された、脱神話化された祈りであって、どれほど虚しいことであろうとも意味伝達ではなく名そのものを目指そうとする、極めて人間的な試みなのである」(3頁)。「意味言語は媒介を経た形で絶対者を語ろうとするが、絶対者は個々のあらゆる意図において言語の手をすり抜けていき、あらゆる意図を有限なものとして背後に置き去りにする。音楽は絶対者を媒介なしに言い当てるが、しかしまさにその瞬間に、まるで強すぎる光が目を眩ませ、十分に目に見えることすらもはや見えなくしてしまうのと同じく、絶対者は暗闇の中に消えていく。/究極のところ音楽は、意味言語と同じ難破した言語として、不可能なものを手元に持ち帰るべく、無限の媒介という彷徨を運命づけられている」(6頁)。

★アドルノは1969年に死去。その後原書では1978年に、アドルノ全集第16巻で第3巻までを合本して刊行(アドルノの当初の構想では全3巻だったそうです)。さらに全集第17巻が『楽興の時』(三光長治/川村二郎訳、白水社、1969/1979/1994年)を含む『音楽著作集』第4巻として1978年に、続いて1984年に全集第18巻と第19巻がそれぞれ第5巻と第6巻として出版されています。アドルノの音楽論は今後も翻訳されていくでしょうか。期待したいところです。

★『死海文書 Ⅵ 聖書の再話1』は全12巻中の第3回配本。帯文に曰く「創世神話の翻案と変奏。世界創成の物語を語り直す。正典の何を増幅し、また何に触れずに済ませたか。秘儀の伝授のために」。目次を以下に転記しておきます。

創世記アポクリュフォン|守屋彰夫訳
エノシュの祈り|上村静訳
洪水に基づく説諭|上村静訳
物語と詩的作品|上村静訳
ラヘルとヨセフに関するテキスト|上村静訳
ヤコブの遺訓(?)|上村静訳
ユダの遺訓|上村静訳
レビの遺訓|守屋彰夫訳
ナフタリ|上村静訳
ヨセフの遺訓|上村静訳
族長たちについて|上村静訳
ケハトの遺訓|守屋彰夫訳
アムラムの幻|守屋彰夫訳
モーセの言葉|上村静訳
創世記―出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
出エジプト記パラフレイズ|上村静訳
五書アポクリュフォン|上村静訳
出エジプトについての講話/征服伝承|上村静訳
ナラティヴ|上村静訳

★「ナラティヴ」末尾の「ヤコブの光」テキスト全文は次の通りです。「[…][…]ヤコブの光[…][…]異民族たちはイスラエルに[…]彼らは言うだろう、「どこに[…]」」。ヤコブの光とは、直訳では「ヤコブのための光」ないし「ヤコブにとっての光」とのことです。「これは、聖書にもそれ以外のユダヤ教文献からも知られていない」と解説されています。

★『精神分析における生と死』は『Vie et mort en psychanalyse』(Flammarion, 1970)の全訳。目次は書名のリンク先をご覧ください。共訳者の十川幸司さんは訳者解題で本書を次のように評価されています。「ジャック・ラカンの『エクリ』刊行の四年後に出版された本書は、ラカンとは別の「フロイトへの回帰」を提唱したジャン・ラプランシュ〔Jean Laplanche, 1924-2012〕の始まりの書物である。本書の主題は、フロイトの読解である。ラカンが、独自の切り口でフロイトのテクストを斬新に読み換えていくのに対し、ラプランシュはフロイトのコーパスの内部に留まり、テクスト相互の矛盾点や絡み合った問題群を解きほぐして、フロイト理論の更新を試みる。およそあらゆる始まりの書物がそうであるように、この書物のなかにはラプランシュのその後の思想的展開がすべて散りばめられている。本書のもとになった連続講演は、68年にケベックで行われたもの」(241頁)。

★ラプランシュは序論でこう述べます。「生命が人間の水準で象徴化される際に〈別のものになること〉を、私たちは三つの動きのなかに追っていく。すなわち、セクシュアリティの問題群、自我の問題群、死の欲動の問題群を準に検討することになるだろう」(19頁)。再び十川さんの解説に帰ると、「本書はラプランシュの代表作であると同時に、彼の最も可能性を秘めた著作である。この書物の最大の魅力のひとつは〔…〕ラカンが、言語、他者といった概念で、フロイトを超越論的に読み替えたのに対し、ラプランシュは、本書で生命、動きといった観点から、フロイトを内在的に解読した点にある」(266頁)。十川さんは本書の通奏低音を「ラプランシュ独自の欲動論」だとし、「私たちの生を規定しているのが欲動であり、欲動のありかたを言葉によってどのように変えることができるかということが精神分析臨床の課題であるとすれば、欲動論は精神分析理論の中心に位置する問題なのである」(265頁)と述べておられます。

★『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』は2017年から2018年にかけて「現代思想」誌などに発表してきた論考5本に書き下ろしとなる2本を加え、序論である書き下ろしの「はじめに」を添えて一冊としたもの。目次は書名のリンク先をご覧ください。書き下ろしとなる第二章「「モード」の終焉と記号の変容」と第六章「VR革命とリアリティの〈展相〉」は学会での講演や大学での講義がもとになっているとのことです。「本書は、2010年代に入ってから猛烈な勢いで自己組織化を遂げつつある情報社会の問題構造を体系的に炙り出す試みである。〔…〕本書が事とするのは、文化現象の表層的な考察ではない。本書の目的は、飽くまでも、情報社会の表面には現れない不可視の“深層”構造を、問題系すなわち、或る地平を共有する問題群のネットワーク、として泛(う)かび上がらせることにある」(3頁)。巻末の後記では本書は『情報社会の〈哲学〉――グーグル・ビッグデータ・人工知能』(勁草書房、2016年)の続編という位置づけです。

★特に業界人として気になるのは第一章「アマゾン・ロジスティックス革命と「物流」の終焉」(初出:「現代思想」2018年3月号特集「物流スタディーズ」)でしょうか。「第一章ではAmazon社が仕掛ける「ロジスティックス革命」の本義を尋ねる。Amazonが社是として掲げる「顧客第一主義」とは、単なるサービスポリシーや顧客に対するポーズではない。それは、これまでの〈生産〉が主導する「物流」概念を解体し、〈情報〉が主導する〈兵站体制〔ロジスティックス〕〉の編制によって商品経済そのものを〈流通〉を軸として再編する遠大な企図の指針なのである。それは「商品」というモノの存在性格をすら変えてゆかざるを得ない」(22~23頁)。「他ならぬアマゾンによって先導的に開拓されたこの〈流通〉の新たな地平」(28頁)をめぐる考察は、業界人にとっては生の条件として立ち現われざるをえません。

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★続いて注目の文庫新刊を列記します。

中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社ライブラリー、2019年1月、本体2,400円、B6変判並製640頁、ISBN978-4-582-76877-0
テアイテトス』プラトン著、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫、2019年1月、本体1,120円、495頁、ISBN:978-4-334-75393-1
言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』J・L・オースティン著、飯野勝己訳、講談社学術文庫、2019年1月、本体1,180円、312頁、ISBN978-4-06-514313-1
老子 全訳注』池田知久訳注、講談社学術文庫、2019年1月、本体960円、240頁、ISBN978-4-06-513159-6
一日一文――英知のことば』木田元編、岩波文庫(別冊24)、2018年12月、本体1,100円、416頁、ISBN978-4-00-350027-9
天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』平田篤胤著、今井秀和訳解説、角川ソフィア文庫、2018年12月、本体880円、256頁、ISBN978-4-04-400426-2
異端の統計学 ベイズ』シャロン・バーチュ・マグレイン著、冨永星訳、草思社文庫、2018年12月、本体1,600円、656頁、ISBN978-4-7942-2364-7

★『中世思想原典集成 精選2 ラテン教父の系譜』は「精選」シリーズ全7巻の第2回配本。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。親本である『中世思想原典集成』の第4巻「初期ラテン教父」と第5巻「後期ラテン教父」から13作品が収録されています。巻頭の佐藤直子さんによる解説と、各収録先の解題、そして岡田温司さんによる巻末エッセイ「初期キリスト教時代はなぜかくも面白いのか」が新たに加えられています。岡田さんはこう記しておられます。「わたしにとって初期キリスト教時代が面白いのは、そこに異質なもの――とりわけ異教的なものや後に異端とされるもの――がさまざまなかたちで流れ込んでいて、混沌としてはいるものの一段と豊かな様相を呈しているように思われるからである」(613頁)。

★『テアイテトス』は古典新訳文庫のプラトン新訳本で5点目となる一冊。文庫で読める既訳には田中美知太郎訳(岩波文庫、1966年/改版2014年)があります。もう一点は今回の古典新訳文庫版の訳者である渡辺邦夫さんが2004年に上梓したちくま学芸文庫版。それを大幅改訂したのが今回の新刊です。「解説」は実に100頁以上あります(350~479頁)。この対話篇のテーマは「知識」すなわちエピステーメーです。それは「組織的理解を重んじるものであり、善と諸価値への積極的荷担を含むものであるという二つの特色を持ちます。〔…プラトンは〕事柄が要求するような説明ができる程度に深い「理解」こそ、「エピステーメー」という知識である考えました」と解説にあります。つまり単に見聞きして知っているかどうかというレベルではないわけです。学ぶこと、そして知恵(ソフィア)ある者になることの大切さは現代人にとっても相変わらず重要です。あらためてプラトンの偉大さを思います。

★『言語と行為』は文庫オリジナルの新訳。原書は『How to Do Things with Words: The William James Lectures delivered at Harvard University in 1955』(Harvard University Press, 1962)です。副題にある通り、イギリスの言語哲学者オースティン(John Langshaw Austin, 1911-1960)が1955年に行なったハーヴァード大学のウィリアム・ジェイムズ講義の原稿をいわば再現的にまとめたもの。再現的にというのは死後刊行であるために、講義原稿において断片的な箇所をオースティン自身の覚書や受講者のノート、関連する別の講義の音声記録などを比較参照して編者のJ・O・アームソン(James Opie Urmson, 1915-2012)が補ったためです。著者自身による決定稿ではないものの、主著として高名です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。凡例によれば「若干の誤記修正と変更・加筆が施された第二版(1975年)が刊行された。これがいまのところの最新版である。こちらも合わせて参照し、あきらかな誤記・誤字修正のたぐいは特に断りなく採り入れるとともに、変更や加筆については訳注で言及・引用した」とのことです。先行訳(初訳)に、ロングセラーとなっている坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)があります。聴講者の一人だったカヴェル(Stanley Cavell, 1926-2018)の自伝(2010年)によると当初100人いた聴講生は最後は5人以下になったようですが、こんにちにいたる本書の影響力を考えると目撃証人の少なさに驚きます。

★ちなみに坂本百大訳『言語と行為』(大修館書店、1978年)は2014年9月に16刷に達しています。底本情報について訳者あとがきの説明を引用しておきます。「翻訳書は、第一版を底本として企てられたものであったが、訳業途中にして、マリナ・スビサ博士の協力を得たアームソンによる第二版が刊行された。第二版は同博士の努力によってオースティンの原ノートとの対照の結果第一版よりも読みやすく、かつ、理解しやすいものとなっており、また、以前は未収録であった欄外書き込みが必要に応じて付録に追加されているが、論点に重大にかかわる修正はほとんどない。さらに、今まで言語行為がもっぱら1960年刊行の第一版に基づいて展開されているという現状を考え併せ底本は一応第一版のままとし、第二版における改良、追加箇所の中、主要なものは訳者注の形式をとって指摘することとした。この結果、読者は、第一版の構成に従いつつ、第二版の内容をも同時に知り得ることになった」(360~361頁)。

★『老子 全訳注』は巻末の特記によれば、講談社学術文庫より「2017年3月に刊行された『老子――その思想を読み尽くす』の巻末に収録された「『老子』 原文・読み下し・現代語訳」をもとに新たに【解説】を付したもの」とのこと。解説というのは『老子』全体に対するものではなく、各章に付された書き下ろしの説明文です。章ごとに現代語訳、読み下し、原文、解説、という構成になっています。親本刊行から1年も経っていませんが、訳者がご高齢であることを鑑みると、版元としても実現したかった企画なのでしょう。新たに付された「後書き」によれば、「「現代語訳」と【読み下し】については多少の修正を加える以外はほぼそのまま前著を活かすこととし、【原文】については異体字・仮借字などの表記方法を変更したために、やや大きな修正を施すこととなった。ただし【原文】の実際の内容には前著と本書の間で何の変更もない」とあります。

★『一日一文』は2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。巻頭の「例言」によれば「典拠のうち、岩波文庫で読めるものは一部差し替えてある」とのことです。書名から分かる通り、366日分の名言が選ばれています。その日に生まれたり死んだりした先哲たちの言葉です。二色刷で美しく印刷されています。先哲たちの略歴と写真も掲出されているので、自分の誕生日に縁のある人が誰なのかを知る楽しみもあります。

★『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』は文庫オリジナル。昨年大増刷した岩波文庫版『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は2000年に発売され、その後2011年秋に「一括重版」枠で再刊されてから(この時点では5刷)しばらく動きのなかったところへ2018年2月以降に大増刷。校注を担当した子安宣邦さんへのインタヴュー「謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?――岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり」によれば4月末現在で一気に9刷まで延ばし、8700部の増刷をしたことになっています。その後、店頭に置いてある当該書目の刷数を確認したことはないのですが、読売新聞2018年7月24日付記事「「異界」描いた岩波文庫、ベストセラーの「怪」」では「ツイッターの書き込みをきっかけにして、今年2月、約6年ぶりに“復刊”したところ、ブレイク。3か月の間に約1万2000部を増刷し、現在10刷、累計3万部に達している」と報じられていました。

★この岩波文庫版はなにせ古文のままなので決して読みやすくはないのですが、その後、八幡書店の現代語訳(山本博校訂訳、1993年)が廉価版として再刊されしました。今回の角川ソフィア文庫の新刊は、文庫版としては抄訳ながら初めての現代語訳です。帯文には「Twitterで話題の奇書、唯一の現代語訳文庫」と手書きの文字で書かれています。岩波文庫版の帯も重版では手書きのものだったので、前例に倣ったのでしょうか。書店員さんのPOPのような温かみがあります。岩波文庫版を読みこなせなかった読者でも、今回の現代語訳版なら親しみやすいだろうと思います。異界を旅した少年「寅吉」は篤胤の質問に対してすべて答えるというよりは、知らないことは知らないと答えるので、その辺が巧みです。内容的には幻想と説話的教訓が入り混じった味わいがあります。篤胤が色んなことを根掘り葉掘り聞いてくれたおかげで現代人も寅吉の話を楽しむことができるわけです。

★『異端の統計学 ベイズ』は2013年に草思社より刊行された単行本の文庫化。原書は『The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy』です。18世紀イギリスの統計学者で長老派の牧師トーマス・ベイズ(Thomas Bayes, 1702-1761)の業績への評価をめぐる歴史的変遷を丁寧に紹介しています。「ベイズの法則は、一見ごく単純な定理である。曰く、「何かに関する最初の考えを新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なるより質の高い意見が得られる」。この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに表現したものなのだ」(13頁)。

★「ベイズの法則は、決して科学の歴史に埋もれた地味な論戦の種ではなく、我々すべてに影響を及ぼしている。それは、実生活の広い範囲――絶対的な真実とまったくの不確かさに挟まれた灰色の領域――で推論を行うための論理なのだ。知りたいことに関する情報はほんの少ししか手に入らないことが多く、それでもわたしたちは、過去の経験に基づいて何らかの予想を立てたいと思う。そして新たな情報が手に入れば、それに基づいてそれまでの考えを修正する。長い間激しい嘲りの的だったベイズ統計が、ついに身の回りの世界について合理的に考える手段を提供するようになったのだ。/ではこれから、この驚くべき変化がどのようにして起きたのか、その顛末を見ていこう」(18頁)。目次詳細はアマゾンの単品頁に掲出されています。

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★最後にここ最近の注目雑誌を3点。

ニューQ Issue01 新しい問い号』セオ商事、2018年12月、本体1,500円、B5判並製100頁、ISBN978-4-9910610-0-4
『アレ Vol.5 特集:Workを捉えなおす』アレ★Club、2018年11月、本体1,380円、A5判並製256頁、ISDN278-4-572741-05-6
午前四時のブルー Ⅱ 夜、その明るさ』小林康夫責任編集、水声社、2019年1月、本体1,500円、A5判並製120頁、ISBN978-4-8010-0243-2

★『ニューQ』はセオ商事が創刊した新雑誌。「創刊によせて」の言葉を借りると「新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン」で「答えより問いの方が面白いでしょ?」と問いかけています。巻頭特集は、小説家の平野啓一郎さんへのインタビュー「物語で問うということ」です。4コママンガやSF作品もあります。従来の哲学系雑誌に比べると写真やイラストなどヴィジュアルの要素がふんだんで、誌面に明るさを感じます。目次詳細は版元さんの2018年12月20日付のブログ記事「哲学カルチャーマガジン「ニューQ」を創刊しました。本日より全国書店にて順次発売!」にてご確認いただけます。セオ商事さんは「「企画とエンジニアリングの総合商社」をテーマに企画、UI設計、デザイン、開発を通して様々なモノ作りのお手伝いを」しているという会社。「企業のブランディングキャンペーンやプロダクトのUI/UX設計、モバイルアプリからデジタルデバイスの開発まで幅広くご依頼を承っております」とのことです。次号は今春刊行予定の「エレガンス号」だそうです。

★出版社ではない会社が紙媒体を出版したりする例のほかにも、青山ブックセンターが今年出版社を立ち上げる予定だとかいう話を耳にします。出版社だけが紙媒体を作る時代はとうに終わってはいましたが、今後はいよいよ様々な新規参入者が増えていく予感がします。一方で物流や小売の現場は疲弊しており、紙媒体の現物と出会える場はこれからも減っていく可能性があります。終わりと始まりが常に重なっているのが「現在」の姿なのでしょう。

★『アレ』はアレ★clubが発行する「ジャンル不定カルチャー誌」。最新号となる第5号の特集は「Workを捉えなおす」と題されています。昨年11月25日に開催された第27回「文学フリマ東京」で初売りされ、現在では大阪、京都、東京、静岡、愛知、福岡、静岡などの複数の書店で展開中。目次詳細はこちらでご確認いただけます。アラン・バディウと小泉義之さんからの特別寄稿は特筆すべきかと思われます。バディウ「新石器時代、資本主義、共産主義」(小泉義之訳、18~20頁)と、小泉さんの「最後のダーク・ツーリズム――『少女終末旅行』を読む」(6~16頁)です。いずれも著者自身の申し出による寄稿というのがすごいところ。バディウにオリジナル原稿を寄せてもらった雑誌というのは日本で恐らく初めてではないでしょうか。このバディウの論考は長くはありませんが非常に力強いもので、バディウ自身による「共産主義者宣言」とも言うべき内容となっています。必読です。ちなみにバディウと小泉さんは2018年5月に発行された第4号にも寄稿されています。

★ちなみに『アレ』誌の表紙表4に付されているISDNコードというのは、International Standard Dojin Numbering(国際標準同人誌番号)のこと。ちなみに一部出版社のスリップに記載されていた10桁のBBBNというのも業界にはあって、こちらは「元々ISBNが10桁だったものが、13桁にコード体系を移行したときに、受発注の処理の関係で10桁のままの番号が必要な会社達が、移行措置として当面の間残したモノです。/十数社はいるようです。/BBBNには意味はありません。ISBNと入れると、OCRで不都合が生じるので、意味のない文字列の組み合わせにしたとのことです」とこちらのサイトに寄せられたコメントのひとつにあります。

★『午前四時のブルー』は昨春創刊された、哲学者の小林康夫さんが責任編集をつとめる雑誌。目次は誌名のリンク先をご覧ください。創刊記念で昨年6月に神楽坂モノガタリで開催された小林さんと國分功一郎さんとの対談イベントの抄録「モノガタリの夜――信じること・愛すること」のほか、國分さんの『中動態の世界』に続く新著への予告ともなるエッセイ「哲学とあの世――ソクラテス、プラトン、死」などが掲載されています。ちなみに國分さんが昨年9月に東大で行われたシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」で行った基調講演「中動態/意志/責任をめぐって」が、斎藤環さんの講演「臨床で使える中動態」とともに『精神看護 2019年 1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界』(医学書院、2018年12月)に掲載されています。併せて読んでおきたいです。

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by urag | 2019-01-14 23:36 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 06日

注目新刊:『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019:ポスト・ヒューマニティーズ』ほか

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現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019:ポスト・ヒューマニティーズ』青土社、2018年12月、本体1,700円、A5判並製310頁、ISBN978-4-7917-1375-2
欲望会議――「超」ポリコレ宣言』千葉雅也/二村ヒトシ/柴田英里著、角川書店、2018年12月、四六判並製272頁、ISBN978-4-04-400212-1
人文学の論理――五つの論考』エルンスト・カッシーラー著、齊藤伸訳、知泉書館、2018年12月、本体3,200円、4-6判上製246頁、ISBN978-4-86825-287-8

★「現代思想」誌は近年では創刊40周年となる2013年1月号に「特集=現代思想の総展望」を年頭に組み、その後、2014年1月号「特集=現代思想の転回2014:ポスト・ポスト構造主義へ」、2015年1月号「特集=現代思想の新展開2015:思弁的実在論と新しい唯物論」、2016年1月号「特集=ポスト現代思想」、2017年1月号「特集=トランプ以後の世界」、2018年1月号「特集=現代思想の総展望2018」、2019年1月号「特集=現代思想の総展望2019:ポスト・ヒューマニティーズ」と続いています。「現代思想の総展望」は創刊号である1973年1月号の特集名でもあり、1974年1月号「全頁特集=現代思想の総展望'74」、1979年12月号「特集=現代思想の総展望」、1983年1月号「特集=現代思想の総展望'83」と受け継がれていきます。

★2013年以降の1月特集号はいわば年末年始のまとめであり、版元営業マンにせよ書店員にせよ司書にせよ読者にせよ最低限この号だけはチェックしておくべきものです。最新版である「ポスト・ヒューマニティーズ」は同名のブックフェアが大型書店で開催されている通り、人文書なかんずく哲学思想書の最前線を書棚において視覚化する試みに資するものとなっています。特に飯盛元章さんによる「ポスト・ヒューマニティーズの思想地図と小事典」はキーワード、キーパーソンに加え人物相関図が付されており、分類や棚編集に関わっている人々にとって参考になるはずです。

★巻頭の討議、小泉義之/千葉雅也/仲山ひふみ「思弁的実在論「以後」とトランプ時代の諸問題」は、同じく千葉さんが参加しておられる鼎談本、千葉雅也/二村ヒトシ/柴田英里『欲望会議――「超」ポリコレ宣言』とともにひもとくのが良いかと思います。共通点は千葉さんの上着や司会者としての立場という以上に、次の発言に表れていると感じます。「旧来的な人文主義を引き継ぐということに対して、何か齟齬を来すような理論的方向性が出てきている。それは現状ではアカデミズムとぶつかるかもしれないが、今後のアカデミズムはそういうものをむしろ養分にしていくのかもしれない」(26頁)。

★いっぽう『欲望会議』の最後の方で千葉さんは、文化におけるそうした齟齬の消極的な側面を次のように分析しています。「20世紀を通して、ありとあらゆるジャンルでほとんどのパターンが出尽くしてしまい、もはや新しいものを作れなくなっている。すでにあるもののアレンジにしかならない状況になって、その中で育ってきている人たちは、新しいものをつくるという意識がほとんどないというか、昔の素材をシャッフルしてどうにかなるみたいな感じになっていると思うんですよね」(266頁)。「その状況と、身体の境界をつくりだせないということは、たぶんつながっているんです。あらゆる文化ネタが、もう出尽くしてしまったということと、みんなが共感の時代になっているということは、たぶんイコールだと思う。要するに、未知がないわけですよ。新しいコンテンツがないというのもそうだし、「他者」という新しいコンテンツもないんですよ」(267頁)。

★「現代人は、かつての、つまり20世紀までの人間から、何か深いレベルでの変化を遂げつつあるのではないか」(序、7頁)という千葉さんの仮説は、千葉さん以前にも様々な論者が主張してきたことです。しかし、だからと言ってその内容が凡庸であるわけではありません。人間の変容にはそれだけ長い時間がかかるし、人間はそもそも変化し続けているということを意味しているでしょう。書店や図書館ではいかなる新刊も従来の分類に立て分けようとせざるをえないわけですが、そこからはみだしていくコンテンツによって分類は定義し直されなければならないし、必要とあれば暫定的な新しいラベルを作成することも重要です。新たな人間像が、従来の人間像を見る視点からは捉えられないものなのかどうかについては、人間どうしの様々な差異や、人間と動物、人間と機械の境界が少しずつ書き換えられつつある「非人間化」の現在においては、困難な問いであることでしょう。

★その点、カッシーラーが示唆した文化学(もしくは人間学)としての人文学は、人間の変化を見とどける長距離の射程を意識しているように思われます。1942年に公刊された『Zur Logik der Kulturwissenschaften. Fünf Studien』の新訳『人文学の論理』においてカッシーラーはこう述べています。「或る主観が――そこで問題となるものが或る個人であれ、或る時代の全体であれ――他の主観のなかへと解消され、それにまったく献身すべく我を忘れる用意ができているときにはいつも、新たな、いっそう深い意味で自分自身を発見するのである」(173~174頁)。『人文学の論理』はかつて『人文科学の論理――五つの試論』(中村正雄訳、創文社、1976年)として日本でも親しまれてきました。カッシーラーの「シンボル形式の哲学」が提示する総合的な人間理解がその真価を問われるのはむしろ21世紀においてなのかもしれないと感じます。

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★続いて、まもなく発売となるちくま学芸文庫5点をご紹介します。

『インドの思想』川崎信定著、ちくま学芸文庫、2019年1月、本体1,000円、240頁、ISBN978-4-480-09872-6
『増補 死者の救済史――供養と憑依の宗教学』池上良正著、ちくま学芸文庫、2019年1月、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09899-3
『ラーメンの誕生』岡田哲著、ちくま学芸文庫、2019年1月、本体1,000円、256頁、ISBN978-4-480-09900-6
『現代の初等幾何学』赤攝也著、ちくま学芸文庫、2019年1月、本体1,000円、192頁、ISBN978-4-480-09897-9
『不思議な数eの物語』E・マオール著、伊理由美訳、ちくま学芸文庫、2019年1月、本体1,500円、400頁、ISBN978-4-480-09908-2

★『インドの思想』は1993年に放送大学教育振興会より刊行された単行本の再刊。巻末に文庫版あとがきが加えられています。「長い歴史を持ち、多くの異なった民族からなり、異なった伝統文化を併存させる国インドでは、日本人には想像できないほど、人々の考え方の振幅も大きいのです。そしてそれだけにインドは、豊かな精神的伝統を持った国でもあるのです」(3~4頁)。

★『増補 死者の救済史』は、2003年に刊行された角川選書版の増補文庫化。親本に対する書評への応答として発表された「靖国信仰の個人性」(2006年/2008年)が改稿されて補論として巻末に収められ、さらに文庫版あとがきが追加されています。「祭神への「つつしみ」や「敬意」とは、決してそれを一括して「殉国の英雄」として褒め称えることでも、「侵略戦争の犠牲者」として同情することでもない。〔…〕246万の英霊というとき、そこには246万通りの死があり、246万の生の軌跡があり、246万組の遺族がいたのだ。この当たり前の事実に冷静に立ち返ることが、今こそ重要になっていると思う」(補論、334頁)。

★『ラーメンの誕生』は2002年刊のちくま新書からのスイッチ。「ラーメンは、いつ頃、どこで、誰が創作したものなのか。たくさんの資料を収集し調べてみたが、万民が認めるようなルーツの特定はできない。なかなかの難問なのである。札幌説・東京説・横浜説など、ご当地をルーツとするさまざまなエピソードがある。〔…〕このことは、例えば、そば切りの起源に、信濃説・甲州説・塩尻説などがあり、決定的な資料が発掘されない限り、優劣がつけにくいのに似ている」(20頁)。

★『現代の初等幾何学』は1988年に日本評論社から刊行された単行本の再刊。巻頭に「文庫化に際して」、巻末に「文庫版付記」が追加されています。「本書は初頭幾何への入門書であると同時に教科書でもある。これまでの幾何の本の多くは、率直にいえば問題集であって、数学書とは言えない。/それに反し、本書は問題が解けるようになるまでを懇切に説明している」(3頁)。「数学の本質は有限論理主義なのである」(186頁)。

★『不思議な数eの物語』は1999年に岩波書店より刊行された単行本の再刊。原書は『e:The Story of a Number』(Princeton University Press, 1994)で、底本は若干の追補と変更が施された1998年版です。訳者は2013年に逝去されており、新たな訳者あとがきや解説は付されていません。「ネーピア〔John Napier, 1550-1617〕および自然対数の底eを主役にしたまとまった解説書としては、1994年刊行の本書が世界最初のものであろう」と訳者あとがきに帰されています。

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★最後に最近出会った新刊を列記します。

ナーブルスィー神秘哲学集成』アブドゥルガニー・ナーブルスィー著、山本直輝訳、中田考監訳、作品社、2018年12月、本体4,800円、A5判上製336頁、ISBN978-4-86182-730-3
アメリカ侵略全史――第2次大戦後の米軍・CIAによる軍事介入・政治工作・テロ・暗殺』ウィリアム・ブルム著、益岡賢/大矢健/いけだよしこ訳、作品社、2018年11月、本体3,800円、A5判並製726頁、ISBN978-4-86182-689-4
ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』スーザン・ソンタグ著、管啓次郎/波戸岡景太訳、河出書房新社、2018年12月、本体3,000円、46変形判並製368頁、ISBN978-4-309-20762-9
すべての、白いものたちの』ハン・ガン著、斎藤真理子訳、河出書房新社、2018年12月、本体2,000円、46変形判上製192頁、ISBN978-4-309-20760-5

★『ナーブルスィー神秘哲学集成』は、18世紀オスマン朝シリアのスーフィー思想家アブドゥルガニー・ナーブルスィー(1641-1731)の神秘哲学にかんする著作2点、「存在の唯一性の意味の指示対象の解明」と「イスラームの本質とその秘儀」全7章の日本語訳を収めた、本邦初訳の貴重な一冊。巻頭に監訳者による序「末法の神学――存在一性論とは?」、巻末に訳者解説「ナーブルスィーとその思想」を配しています。

★『アメリカ侵略全史』は『Killing Hope: U.S. Military and C.I.A. Interventions since World War II』(Zed Books, 2014)の全訳。原著初版は『CIA:忘れられた歴史』という書名で刊行され、その後大幅な増補改訂版が1995年に刊行。さらに2000年、2003年と改訂版が上梓され、2014年には最新版(アップデート版)が出版されています。「米国が第二次世界大戦後に世界中で行った政治的・軍事的介入の包括的な記録」(訳者あとがき、708頁)であり、大著ながら世界10か国で翻訳されているとのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。日本に関する記述は本文にはありませんが、益岡賢さんによる訳者あとがき「世界と日本の「本当の戦後史」を知るために」では言及があります。ちなみに著者の既訳書『アメリカの国家犯罪全書』(作品社、2003年)第18章「選挙操作」ではCIAが1958年から70年代にわたって国政選挙において自民党に資金援助してきたことが暴かれています。なお著者ブルム(William Blum, 1933-2018)は先月亡くなっています。閑却しえない重要書です。

★『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』は、川口喬一訳『ラディカルな意志のスタイル』(晶文社、1974年)以来の新訳。原著『Styles of Radical Will』は1969年刊。共訳者の波戸岡さんのブログ記事によれば「[完全版]と銘打っているのは、日本では分冊となっていた「ハノイへの旅」(『ハノイで考えたこと』〔邦高忠二訳、晶文社、1969年〕)と、いずれの訳書にも未収録の「アメリカで起こっていること」が、原書通りの位置〔第Ⅲ部〕に収まっていることに由来します」。管さんの訳者あとがきによれば、旧訳『ラディカルな意志のスタイル』が収めている第Ⅰ部と第Ⅱ部の新訳を管さんが担当し、第Ⅲ部の2篇を波戸岡さんが担当されたとのことです。目次を以下に転記しておきます。


沈黙の美学
ポルノグラフィ的想像力
みずからに抗って考えること――シオランをめぐって

演劇と映画
ベルイマンの『仮面/ペルソナ』
ゴダール

アメリカで起こっていること
ハノイへの旅
訳者解説「解釈者から訪問者へ――ソンタグ・リポートの使用法」(波戸岡景太)
訳者あとがき(管啓次郎)

★『すべての、白いものたちの』は、2016年に上梓された『흰(The White Book)』の訳書。著者のハン・ガン(韓江、Han Kang:1970-)は韓国の作家で、これまでにブッカー賞受賞作の『菜食主義者』(きむふな訳、クオン、2011年)を含む4点の訳書があります。今回の新刊が5点目。書き出しはこうです。「白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。/おくるみ/うぶぎ/しお/ゆき/こおり/つき/こめ/なみ/はくもくれん/しろいとり/しろくわらう/はくし/しろいいぬ/はくはつ/壽衣」(7~8頁)。ページの白さに変化があることに気づいて目を凝らしてみると、本文が5種類の白い紙に刷られていることが分かりました。驚くべき繊細な美しさ。「汚されても、汚れてもなお、白いものを。/ただ白くあるだけのものを、あなたに託す」(48頁)。装幀は佐々木暁さんによるものです(ソンタグの新刊も佐々木さんによるもので、こちらも白を基調としてデザインが際立っています)。イ・ランさんによる本書への書評「友達に代わっての生活」が明日発売となる『文藝 2019年春季号』に掲載されています。

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by urag | 2019-01-06 23:08 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)