人気ブログランキング |

ウラゲツ☆ブログ

urag.exblog.jp
ブログトップ

2012年 12月 10日 ( 2 )


2012年 12月 10日

月曜社は2012年12月7日で創業満12周年を迎えました

弊社は4日前の、2012年12月7日で創業満12周年を迎え、13年目の営業へと突入いたしました。皆様の温かいご愛顧に深く御礼申し上げます。

毎年のことですが、創業記念日のことはまったく忘れており、先週の金曜日と言えば、弊社社員にとって強く印象的だったのは夕方の大きめの地震でした。その後も、この地震が3・11の余震ではなく来たるべき大地震の前震だったらどうしよう、という不安に捕らわれていただけで、創業記念日がとっくに過ぎていたことを今日まで忘れていました。ご挨拶が遅れまして、失礼いたしました。そういえば先日、H堂のIさんから「このご時世に12年もよく頑張ってるよ」と激励していただいたのがとても嬉しかったことを思い出しました。

お知らせです。『間章著作集』の第一回配本についての情報詳細の公開が若干遅れておりますが、いましばらくお時間を下さい。お待たせして申し訳ございません。

by urag | 2012-12-10 12:31 | ご挨拶 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 10日

近日公開:ルソー「化学教程」ウェブ連載第5回

『化学教程』第一部 第一編 第二章 物体の混合と構成について

1 [A:26, F:35, C:81]ベッヒャーの考えに従って、私たちは物体の物質的な原質ないし物質的な要素を説明してきた。そして、今やその物質の構成compositionを検討せねばならない。すなわち、どのように諸々の原質は、自然的物体を形成するために、一定の比率と組み合わせをもって結合しているのか、ということを検討せねばならない。

2 あるペリパトス学派〔アリストテレス学派〕のひとに物体の混合に関するあなたの学説とはどのようなものか、と尋ねれば、彼はまずこう答えるだろう。物体は、その特性tempéramentおよび固有な諸性質を各物体に与える要素同士の何らかの協働の結果として生じる、と。[A:27]さらに彼を問い詰めて、例えばこう聞いてみよう。なぜ、鉛に結合する錫は銀とは結合しないのか。その理由を彼はいとも簡単に説明するだろう。錫と銀は〔互いに〕反対物質substances contrairesであり、異なる性質températureのものであるからだ、と。あるデカルト主義者は、間隙poreといった形象や粒子といった形象、そして様々な運動によってあらゆる難問を解決するだろう。さらには、未知の性質と遭遇すると、彼はそれらを新たな運動と形象によって説明するだろう。あるニュートン主義者は、ペンを片手に結合力の度合いと引力を計算するだろう。上に挙げた彼らの回答によって、私たちは物体の構成についてより明るくなるだろうか? そのようなことはまったくない。哲学者の様々な体系のあいだを一生右往左往するよりも、化学者の実験室の中でしばらく過ごすほうが、物体の構成についてあなたはより得るものが多いであろう。したがって、確固たる実験によって物体の真の構成constitutionおよびそれらの混合、組み合わせを示すことは、ただ錬金術の学science spagyrique(1)にこそ求められるのだ。この知恵とは深遠かつ興味深い研究であり、[F:36]私たちはこのような研究を哲学者たちの書物に見出すことはまずない。抽象的な体系と観念で頭がいっぱいなので、彼ら哲学者たちは言葉〔遊び〕にばかり夢中になっている。彼らが一体どれほど無学なのかを彼ら自身が知らないのは、ただただおめでたいことである。物体の生成やそれを構成する原質やその混合が形成される仕方を何も知らずに、物体の本性について哲学しようとすることは、あたかも箱の中に入っているものを知るためにその箱をあれこれとひっくり返したり戻したりすることで満足し、また箱の中身を確認する骨折りをせずに、箱の寸法を正確に測ることだけで満足するようなものである。

(1)スパジリックという語については『アカデミー・フランセーズ辞典』(1762年)の次の項目を参照。すなわち「SPAGYRIQUEないしSPAGIRIQUE。形容詞、もしくは女性名詞。金属を分析し賢者の石について探求することを専門とする化学のことを言う。金属化学ないし金属学と同じものである」(Dictionnaire de l’Académie française, art. « Spagyrique », t. II, p. 757 b)。また、spagyriqueが錬金術alchimieないし化学chimieと同義で使われている例としてはゲオルク・エルンスト・シュタールの『理論化学および演習化学の基礎Fundamenta chymiæ dogmaticæ et experimentalis』(1723年)の序言を参照(Stahl, Georg Ernst, Fundamenta chymiæ dogmaticæ et experimentalis, Norimbergæ : Sumptibus Wolfgangi Mauritii, 1723, Proemium, § 1, p. 1)。シュタールによれば、「化学chymiaあるいは錬金術alchymiaないしスパギリカspagiricaとは、混合状態、構成状態あるいは凝集状態にある物体をその原質へと分解するため、あるいはそういった物体を諸々の原質から構成するための技術である」。

3 [C:82]物体の中には、万人がまずもって目にする様々な〔視覚的〕性質がある。しかしそれらの性質は、様々な光〔知識〕lumièresに助けを求めなければ、物体の本性を発見するためにはなんの役にも立たない。たとえば、〔ワインを知らない〕あるラップ人にワインを差し出せば、彼はそれが発泡酒か否か、白か赤かを一瞬にして知るだろう、そしてそれを飲めば酔うということにもすぐに気づくだろう。しかし、[A:28]このようにワインの性質を瞬時に知ったからといって、彼がブドウやブドウ畑を一度も見たことがないならば、彼はワインの本性を知っていることに果たしてなるだろうか? また、ブドウやブドウ畑を見た彼にとって、ワインとはブドウから作られるものでしかないならば、彼は「ワインはこれこれの仕方で作られ、ブドウの育成にはこれこれの物が有効であり、反対にこれこれのものが害であると、私は思う」ということ以上の何かを同郷人に伝えることが果たしてできるであろうか? しかし、ラップ人がそう言ったからといって彼がワインの本性を知っているということにはまずならないだろう。またブドウの酸味のある果汁が、どのようにして心地良く甘い汁になるのかということを知っていることにはまずならないだろう。なぜブドウの汁は発酵するのか、どのようにしてその汁はワインの性質を獲得するのか、そしてこのワイン自体はどのようにしてブランデーの性質や酒石tartreの性質、澱の性質、ビネガーの性質を獲得するのだろうか? ブドウの樹の各部分の姿かたちを記述することは植物学者の役目である。自然学者は仮説によってブドウの樹の植生法則のいくつかを説明するように努める。そして、化学者は両学者が扱わなかったことについて語るのである。化学者の様々な研究はあまりにも不可欠であるのだが、同時にそれは残念ながらこのうえなく困難なものでもあるのだ。なぜ困難なものであるかというと、それは主として三つの理由による。[F:37]第一の理由は、あらゆる自然的混合物を知るために理解せねばならない組み合わせが無数に存在するということである。この地を覆い、その内部を充たしている並外れた数の様々な物体を見よ。確かに原質とは様々な種類の物体を構成するものであり、物体はその素材となる一次ないし二次的な原質の多様な混合物に過ぎない。しかしながら、この地を覆う物体の並外れた多様性について〔少しでも〕考えを抱こうとするのであれば、数の組み合わせを想像するのが一番よい。その組み合わせは、八つの物体だけでも四万通り以上にものぼってしまうのである(1)。第二の理由としては次のとおりである。すなわち、有名な著者〔フォントネル〕が言ったように事実に基づいて本性を把握することが、またその本性を混合物の生成段階のうちに見出すことが、不可能であるとは言わないまでも、大変難しいからである。[C:83]この困難さゆえに、私たちは錬金術の技術にまずもって助けを求めざるを得なくなるのである。というのも、その技術は私たちに混合物をその構成部分へと分解することを教えてくれるからである。ついで、この分解された構成部分を再び組み合わせ、こうすることによって類似の混合物を再び生み出そうとする際に、錬金術の技術は自然の操作を模倣し再現することに役立つ。[A:29]ちなみに金属の原質やその他、〔物体を構成するのに〕必要なものを揃えて金属の混合〔という操作〕を行ったとしても、そのような金属の混合からは、〔分解される前の金属と〕同種の金属をこの世に生み出すことはできない。というのも、金属の構成部分を知っていたとしても、その構成部分がどのように結合されているかを知らなければ、私たちは最も重要な点を知らないことになるからである。無知な人が、このような金属の混合〔という操作〕について良く理解していると厚かましくも自慢することを、かのベッヒャーはよしとしない。最後に、三番目の理由は、私たちの器官の不十分さである。私たちの器官は、凝集形式une forme agrégativeのもとでしか原質も混合物も目にすることができない。このことをあなた方に納得してもらうために、例として、半ドラクマ(2)の良質な銀を十分な量の硝酸液eau forteの中で溶かしてみよう。そして、純粋かつ新鮮な5パントないし6パント(3)の雨水の中にこの溶液を混ぜてみよう。すると、視覚を使っても味覚でも嗅覚でも、この液体が水以外のものを含んでいるということをあなた方が見破るのは不可能になるだろう。とはいえ、水の一つひとつの粒子に銀という別の粒子が付着していることは確かである。[F:38]というのも、この水〔硝酸銀溶液〕をただの一滴でも、ありきたりの澄んだ食塩水の中にたらしてみたならば、この一滴の水は乳白色になり、少量の粉末状の銀を容器の底に沈殿させるからだ。その微細な銀の粒子一つひとつは以前にはまったく知覚されえなかったものである。この先、本書において私たちは多くの似たような観察をすることもあるだろう。

(1)実際に8の階乗は40320である。この数値は、ベッヒャーの化学書『地下の自然学』でも例として用いられている。Becher, Johann Joachim, Physica Subterranea, Lipsiæ : Joh. Ludov. Gleditschium, 1703, lib. I, cap. 2, § 4, p. 187.
(2)1ドラクマは、約3.24グラムである。
(3)1パントは、約0.93リットルである。

続きは近日中にこちらで全文公開いたします。

+++

追記:2012年12月12日、全文公開開始いたしました。

by urag | 2012-12-10 10:39 | ウェブ限定コンテンツ | Trackback | Comments(0)