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2010年 05月 30日 ( 2 )


2010年 05月 30日

ゼロ年代の編集者と書店員

ゼロ年代の出版社ゼロ年代/10年代の書き手、とここまで書いてきましたが、今回はゼロ年代の編集者について書こうと思います。ゼロ/10年代の書き手がいるということは、ゼロ年代の編集者がいるということを意味してもいます。

皆さんは自分が読む本のあとがきなどで「この編集者の名前はよく見かけるな」という経験はありませんか。そういう出会いを経て「この編集者の手がけた本なら何でも読んでみよう」というふうに発展していったことはないですか。私はあります。私にとってはたとえば哲学書房の中野幹隆(1943-2007)さんはそういう存在でした。中野さんは日本読書新聞→竹内書店→青土社→朝日出版社というふうに勤められた後、哲学書房を立ち上げられ、のちにセーマ出版も同時に運営されていましたので、それぞれの版元での中野さんのお仕事を再発見していくのは非常に楽しく、知的興奮に満ちた体験でした。

以下ではここ最近の新刊や先般のエントリーで言及した本の担当編集者氏の名前をピックアップしていきます。

ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇
東浩紀(1971-)+濱野智史(1980-) 編
河出書房新社 10年5月 本体2,800円 A5判並製カバー装484頁 ISBN978-4-309-24442-6

◆帯文より:氾濫する〈情報〉についての根源的思考。人文的知性によって分析されるネットワーク・公共性・匿名性――圧倒的ヴォリュームで語られる、現在性の精髄!「新時代の情報社会のアーキテクトは、いつか必ずや現実の情報空間のただなかから立ち上がるだろう」(濱野智史「まえがき」より)。

ised 情報社会の倫理と設計 設計篇
東浩紀+濱野智史編
河出書房新社 10年5月 本体2,800円 A5判並製カバー装494頁 ISBN978-4-309-24443-3

◆アーキテクチャが想像する〈社会〉とは何か。工学的知性によって描かれる自由・多様性・民主主義――来たるべき社会を構築するためのヴィジョンがここに!「情報社会は夢の苗床である。多くのひとが情報社会に夢を託す。isedは、そんな人々のさまざまな夢が、衝突しすれ違った文学的な場でもあった」(東浩紀「あとがき」より)。

★一週間ほど前にニコニコ生放送で配信された「朝までニコニコ生激論」(テーマ「民主主義2.1(夏)~代議制の拡張可能性について~」)において、パネラーの皆さんの前に置かれていた本こそ、この2冊です。

★「ised(アイエスイーディー)」というのは「Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)」の略号で、国際大学GLOCOMではこの「ised」名義で2004年から2005年にかけて全14回の共同討議が行われました。今回の新刊2点はこの共同討議を完全収録したもので、各巻の巻末には「ポストised、変化したことは何か」と題して、東・濱野両氏のほか、鈴木健、津田大介、藤村龍至の合計5氏による座談会が新たに追加されています。

★この2巻本の編集を担当されたのは吉住唯(1977-)さんです。某書評紙、某人文系雑誌の編集部を経て現在は河出書房新社に勤務されています。お気づきの方もおられるかもしれませんが、弊社より出版した高柳昌行『汎音楽論集』や大谷能生『貧しい音楽』の編集協力者でもあります。

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貧困の放置は罪なのか―グローバルな正義とコスモポリタニズム
伊藤恭彦(1961-)著
人文書院 10年5月 本体3,200円 四六判上製カバー装300頁 ISBN978-4-409-24089-2

◆帯文より:富裕国から貧困国へ、所得の2%移転は義務である。グローバリゼーションの影で過酷さを増す世界の貧困と格差。その解消のために、富裕国に住む我々にはいかなる義務があるのか。拡がりを見せるグローバル・ジャスティスの議論から丹念に説き起こす、比類なき熱き思考。著者渾身の一作。「本書が主張してきたグローバルな正義をまとめておこう。第一原理、全ての人が貧困死から解放される状態に至るまで地球上の富を再分割すべきである。第二原理、貧困死が除去されたとしても、残る格差が暴力的な力を発揮するならば、その暴力的作用がなくなる地点まで地球上の富を再分割すべきである。第三原理、暴力が除去されても残る格差は、格差構造の底辺にいる人々の潜在的可能性が高まるように作用してくてはならない」(本書より)。

★本書の担当編集者は松岡隆浩(1977-)さんです。松岡さんは某美術系版元を経て、現在は人文書院に所属されています。今週発売予定の次の本も松岡さんが担当されたものです。クリスティアン・マラッツィ『資本と言語』(柱本元彦訳、水嶋一憲監修、人文書院、10年6月、四六判上製200頁、本体予価2,800円)。

★なお、松岡さんとは別の編集者の方が担当されていますが、人文書院ではサルトル『嘔吐』の新訳が今夏刊行予定とのことです。訳者は鈴木道彦先生。同社のtwitterによれば「訳注がすごい」とか。プルースト『失われた時を求めて』(集英社文庫)を完訳されている鈴木先生は68年5月革命におけるブランショの素顔を知る貴重な証人であると同時に、サルトルを長年研究し続けてこられた仏文学者です。

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***

★このほか、先日「「10年代の書き手」とは誰か」で取り上げた最近の本の編集者の方々を見ていきますと、まず、福嶋亮大(1981-)さんの『神話が考える――ネットワーク社会の文化論』青土社、10年4月)のもととなった月刊誌「ユリイカ」での連載を担当されたのが山本充(1973-)さんです。昨日行われた福嶋さんのトークイベントで司会を務められた講談社の編集者、太田克史(1972-)さんと年齢が近いですね。

★来月(10年6月)20日に紀伊國屋書店新宿本店で催されるトークイベント「物質(マテリアリズム)と生(バイオ)――2010年代の思想情況はどう展開するのか?」で対談される白井聡(1977-)さんと矢部史郎(1971-)さんの本について言えば、白井さんの『「物質」の蜂起をめざして――レーニン、〈力〉の思想』(作品社、10年5月)を手掛けられたのが福田隆雄(1975-)さんで、矢部さんの『原子力都市』(以文社、10年3月)を担当されたのが前瀬宗祐(1976-)さんです。福田さんは某社会系雑誌を経て現在作品社編集部。前瀬さんは某評論系雑誌や某人文系雑誌を経て現在は以文社編集部所属、『VOL』などを手掛けておられます。

★こうして見てみると、ゼロ年代に活躍している編集者には雑誌出身の方が多いようです。それぞれ人脈も広く、優秀な方ばかりです。雑誌ということで言えば、昨日第3号が発売されたばかりの『SITE ZERO/ZERO SITE』を手がけるメディア・デザイン研究所の飯尾次郎(1971-)さんも70年代生まれですね。

***

★続いてぜひとも書いておかねばならないことがあります。ゼロ年代の書き手がいて、ゼロ年代の編集者がいて、ゼロ年代の出版社があるということは、ゼロ年代の書店員がいて、ゼロ年代の読者がいることを必然的に意味しています。ゼロ年代の書店員はなかなか表舞台には出ていらっしゃいませんが、当然のことながら、版元営業マンは誰がキーパーソンなのかを知っています。お一人ずつ実名と生年を挙げることは今は控えますけれども、すでにネット上でも有名な方を何名か挙げたいと思います。

★まず、さきほどの福嶋さんの新刊に連動してブックフェア「批評家の《思考》」を開催されている、ジュンク堂書店新宿店人文書担当の阪根正行(1975-)さんです。同フェアの紹介ページでは阪根さんと福嶋さんとのあいだで交わされた選書についての「やりとり」が公開されています。

★阪根さんはブログ「阪根タイガース」を公開なさっていますが、このほかにもウェブ上では以下を読むことができます。西山雄二(1971-)さんの署名記事「UTCP2008年度の活動終了――人文学にとってEvent(出来事)とは何か」(「UTCP」09年3月31日)、文芸誌『界遊』編集発行人の武田俊(1986-)さんとの対談「閉塞した出版業界の中で、掟破りのインディーズ・レーベルが勃興する!」(「日刊サイゾー」09年12月15日)、STUDIOVOICE ONLINE×界遊「ジュンク堂書店のカリスマ書店員に聞いた!」(「ミニコミ2.0~「誰でもメディア」時代の雑誌」)。阪根さんは書店員になる前は建築系のお仕事をされていて、インスタレーションをお作りになったりもしました。多彩な才能をお持ちですね。そう言えば私が初めて阪根さんとお会いした時、たしかカッチャーリやタフーリと建築について雑談をした記憶があります。

★また、阪根さんはここしばらく、「書店のハブ機能」について発言を続けてこれらています。昨年末(09年12月10日)には、西山雄二さんが担当教員を務められた東京大学全学自由研究ゼミナール「いま、知の現場はどこにあるのか――大学、批評、出版」の第10回「人文書を販売することの喜びと苦しみ」で、「ハブ型書店の可能性」と題した発表を行っておられますし、「週刊読書人」10年4月16日号に「2010年リアル書店の旅」と題したエッセイを寄稿しておられます。私も大いに共感するところです。阪根さんが出席された東大ゼミ第10回では、東大生協本郷書籍部の辻谷寛太郎(1968-)さんや早稲田大学生協コーププラザブックセンターの永田淳(1973-)さんも発表されています。お二人とも人文業界では有名な書店員さんです。永田さんは『VOL』同人も務められています。

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★阪根さんが寄稿されている「週刊読書人」10年4月16日号でトップインタビューを飾っているのは、ブックディレクターの幅允孝(1976-)さんです。幅さんは今や業界内外を問わず有名人ですからあえて私が紹介するまでもありませんが、インタビュー記事「ブックディレクションと本の可能性」の冒頭に付された編集部のリードが端的に幅さんのご活躍をまとめておられるので、引用しておきます。曰く「「本屋に人が来ないなら、人のいる場所に本を届けよう」。書店員だった経歴をもつ幅允孝氏は現在、ミュージアムショップ、飛行場、予備校など方々に〈本の居場所〉をつくっている」と。幅さんは青山ブックセンター、編集プロダクションJIを経て、05年10月にBACHを設立されました。そのご活躍はTV番組「情熱大陸」(08年10月19日放送)で紹介された通りです。

★私は一昨年の秋(08年10月24日)に行われた人文会40周年記念東京合同研修会「人文書の可能性を探る」において、「本をつくることばかりが編集なのではない」ということについて話しました。そこで、本を通じて本の外を編集する選書業の仕事について言及しました。本屋ではない場所に本棚をつくる選書業のモットーは、「生活のあらゆる場所に本を」です。そうした選書業はゼロ年代に花開いたもので、キーパーソンには幅さんのほかにも、洋書部門ではメメックス/ハックネットの安岡洋一(1967-)さん、和洋両方の新刊と古書を扱うユトレヒトの江口宏志(1972-)さん、選書と芸術活動をクロスさせようとするnumabooksの内沼晋太郎(1980-)さんらがいます。

★一方では書店で、他方では書店の外で活躍しておられるゼロ年代の書店員/ブック・コーディネーターの方々は、このほかにも全国にいらっしゃいます。私は本を売ることの醍醐味は、アメリカの書店人ローバート・ヘイルが書いた次の言葉において表現されているように思います。

★「本の真の実質は、思想にある。書店が売るものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりあいである。本を売ることは、永久に伝わる一連の波紋を起こすことである。最初の波は本を読んだ人に伝わる。読者は本の内容を楽しんだり、利用したりする。ついで波は、真面目な議論や愉快な話として、ほかの人々に伝わっていく。本の真の実質は、読者に対する人生上の影響にあるのである。/書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる。歴史小説は、読者を真実の探検に送りこみ、読書による体験をあたえる。旅行書は、実際にそこへ行く以上に場所の感覚を盛りこんでいる。詩は深いものの見方と洞察を人にあたえる。書店人は、人々を日々の抑圧から解き放し、楽しみ、希望、知識を人々に贈るのである。書店人が、特別の人間でなくてなにあろう」(ロバート・D・ヘイル「書店人とは?」、『書籍販売の手引――アメリカ書店界のバイブル』(米国書店組合連合会編、豊島宗七訳)所収、日貿出版社、1982年、xix頁)。

★ゼロ年代/10年代の出版界を語る上で、私はもうひとつ、「ゼロ年代から10年代へ:人文系小規模出版社」には書かなかった出版人について書かなければなりません。ISBNコードを取得しなくても、取次口座を開設できなくても出版活動はできるのだ、ということを証明している独立系出版社の紹介です。遠からず、書く機会があるといいのですが。

★あれこれ書いている筆者は何年生まれなのか、というお尋ねがありそうなので、書き添えます。小林浩(1968-)です。最後に今回のエントリーでご紹介した方々をもう一度まとめておきます。敬称略にて御免下さい。

◆ゼロ年代の編集者
飯尾次郎(1971-):メディア・デザイン研究所
太田克史(1972-):講談社BOX
山本充(1973-):青土社「ユリイカ」
福田隆雄(1975-):作品社
前瀬宗祐(1976-):以文社
吉住唯(1977-):河出書房新社
松岡隆浩(1977-):人文書院

◆ゼロ年代の書店員〈店売系〉
辻谷寛太郎(1968-):東京大学生協本郷書籍部
永田淳(1973-):早稲田大学生協コーププラザブックセンター
阪根正行(1975-):ジュンク堂書店新宿店

◆ゼロ年代の書店員〈選書業系〉
安岡洋一(1967-):メメックス/ハックネット
江口宏志(1972-):ユトレヒト
幅允孝(1976-):バッハ
内沼晋太郎(1980-):ヌマブックス

by urag | 2010-05-30 23:25 | 雑談 | Trackback | Comments(4)
2010年 05月 30日

『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3「特集=ヴァナキュラー・イメージの人類学」、ついに刊行

『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3「特集=ヴァナキュラー・イメージの人類学」
- 責任編集:田中純(東京大学大学院総合文化研究科教授)
- 特集企画:門林岳史(関西大学文学部総合人文学科映像文化専修助教)
- 装丁・本文デザイン|秋山伸[schtucco]w/optexture
- 編集・制作・発行|メディア・デザイン研究所
- B6変形/全392頁
- 2,200円(送料・消費税込)
- ISBN 978-4-9903206-3-8 C0330

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◆目次構成

[特集主旨]
門林岳史|ヴァナキュラー・イメージの人類学
[インタヴュー]
ジェフリー・バッチェン|「ヴァナキュラー・イメージの人類学」をめぐる問い
[論考]
唄邦弘|バタイユにおける人類学的イメージ
増田展大|写真的身体鍛錬術──世紀転換期の身体表象について
浜野志保|カレンベルクの写真ダウジング
畠山宗明|アニメーションの詩学──セルゲイ・エイゼンシュテインと映画のヴァナキュラー
石谷治寛|キャラ・ウォーカーの芸術と近代文化の黒い影
長谷正人|「ヴァナキュラー・イメージ」と「メディア文化」──シミュラークルとしての「ルー大柴」をめぐって
田中純|建てる主体の無意識──建築におけるヴァナキュラー
佐藤守弘|〈転地〉としての考現学採集
[インタヴュー]
中沢新一|イメージの起源、再帰するヴァナキュラーの力
[論考]
門林岳史|イメージの2つの起源──認知考古学から出発して
[鼎談]
岡田温司×前川修×門林岳史|「ヴァナキュラー」という複数性の回路──「イメージ-身体-ディア」スキームを超えて
[翻訳]
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン(訳|滝浪佑紀)|感覚の大量生産──ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映画
マリ=ジョゼ・モンザン(訳|長友文史)|われわれ人間を誕生させるイメージ
─ ─
[投稿]
山本圭|現代民主主義理論におけるアゴニズムの隘路──シャンタル・ムフにおける敵対性なき闘技をめぐって
[連載]
南後由和|都市リテラシーの構築技法)|| コンスタントのニューバビロン×建築界(3)
榑沼範久|知覚と生(4)|| 建築の生態学(1)
田中純|セイレーンの誘惑──南イタリア、神話の呪縛圏(1)


***
◆『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3は同誌ウェブサイトの「注文フォーム」より購入できます。
◆No.0「エステティクスの臨界」、No.1「〈病〉の思想/思想の〈病〉」、No.2「情報生態論──いきるためのメディア」はすべて完売品切。
◆『SITE ZERO/ZERO SITE』は発行部数が少なく、なおかつ発売後一年以内で売り切れてしまいますから、レア度の高い雑誌です。本屋さんで見つけたら迷わず購入されることをお勧めします。

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追加情報10年6月21日

◎『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3_トーク・イヴェント

イメージ人類学とヴァナキュラー文化論の交点をめぐって写真─映画─絵画─メディア─建築─考現学─人類学─認知考古学等からのアプローチを行なった「ヴァナキュラー・イメージの人類学」特集号の刊行を記念し、特集企画者の門林岳史、気鋭の写真批評家ジェフリー・バッチェンの仕事を紹介する前川修・佐藤守弘・岩城覚久の4氏が、新たな写真論による芸術理解のパースペクティヴの大きな変革をめぐって語る。

日時:2010年6月27日(日)15 : 00-17 : 00
会場:MEDIA SHOP(京都市中京区大黒町44VOXビル1F TEL: 075-255-0783)
入場料:500円

ゲスト:
門林岳史(関西大学准教授、特集企画者)、
前川修(神戸大学准教授、ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』[青弓社より近刊]翻訳者)
佐藤守弘(京都精華大学准教授、同翻訳者)
岩城覚久(関西大学大学院、同翻訳者)

※ 約30~40名様にお入りいただける会場が満席となり次第、ご入場を打ち切りとさせていただきますことをご了承ください。

by urag | 2010-05-30 10:35 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)