2009年 04月 20日
先月、注目新刊の紹介を人文書古典篇、芸術書篇、本の本篇、とやってきましたが、現代思想篇を予告したにもかかわらずやっておりませんでしたね。この先いったいいつやるのか分かったもんじゃないので、ざっと呟いておこうと思います。 ◎人文書現代思想篇 まず、インタビュー本で本作りが対極的な二冊。 スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』(山形浩生+守岡桜訳、NTT出版、09年3月、本体2200円)がとても面白いです。「意識」を科学したり哲学したりしている学者たちに鋭い質問を浴びせかけた、やりとりが小気味良いインタビュー集です。訳が冴えていてリズムがあり、読みやすいし、お値段も手頃。本文レイアウトや造本もとっつきやすくて良いです(学術書然とした見た目の原書より良い出来では)。さいきん「脳」関連の話題をTVでも良く見ますし、茂木健一郎さんがひっぱりだこですが、「脳」に興味のある人なら「意識」の話は面白いはず。「脳」に興味のない人もおすすめです。現代科学思想の最前線を垣間見れます。登場する研究者は、ネッド・ブロック、デイヴィッド・チャーマーズ、パトリシア&ポール・チャーチランド、フランシス・クリック、ダニエル・デネット、スーザン・グリーンフィールド、リチャード・グレゴリー、スチュワート・ハメロフ、クリストフ・コッホ、スティーブン・ラバージ、ケヴィン・オレーガン、ロジャー・ペンローズ、ヴィラヤヌル・ラマチャンドラン、ジョン・サール、フランシスコ・ヴァレラ、ダニエル・ウェグナー。原書は2005年刊。このほか、原書では登場するけれど訳書からは割愛された四人(バーナード・バーズ〔オランダ生まれのアメリカの認知科学者Bernard Baarsのことで、フランスの哲学者ベルナール・バースBernard Baasとは別人〕、トマス・メッツィンガー、ペトラ・シュテリッヒ、マックス・ヴェルマンス)のインタビューについては、NTT出版のウェブサイトで公開中。とは言っても、訳書に記載されているIDとパスワードがなければ読めません。 デイヴィッド・コーエン『心理学者、心理学を語る』(子安増生+三宅真希子訳、新曜社、08年11月、本体4800円)は、著名な心理学者たち13人の学問的姿勢のみならず人生にも踏み込んだインタビュー集。これまた面白い本。なのに、高定価と素っ気ない組版の上製本で、いまひとつ一般読者には届きにくくなっている気がしないでもないです。この手のインタビュー本はやはり上述本なみに廉価で、並製本のほうが読者には嬉しい気がします。などと生意気なことを書くと旧知の営業マンに怒られそうです。比べるのは安易ですね、出版社にはそれぞれ持ち味とポリシーがあるのですから。中身で勝負。登場する学者は、サンドラ・ベム、ノーム・チョムスキー、アントニオ・ダマシオ、ハンス・アイゼンク、ジョン・フレイヴル、ヴィクトール・フランクル、ダニエル・カーネマン、R・D・レイン、ハーバート・サイモン、バラス・スキナー、デボラ・タネン、ニコ・ティンバーゲン、フィリップ・ジンバルド。原書は2004年刊。 次に、弊社に近い領域の新刊。 サミュエル・ウェーバー『フロイトの伝説』(前田悠希訳、法政大学出版局、09年3月、本体4200円)は、弊社刊『破壊と拡散』に続くウェーバーの訳書第二弾。ドイツ語版Freud-Legende初版が1979年、英語版The Legend of Freud初版が1982年、ドイツ語の全面改訂増補版が1989年、英語の増補版が2000年と、常に手を入れられてきた彼の主著の待望の日本語訳です。カバーソデには、弊社本の著者近影よりなんだかずいぶんこわもてな感じの写真が。それはともかく、本書の解題は、ウェーバーさんと訳者の前田さん(そして港道隆さん)の間で交わされた往復書簡となっていて、本書の理解の助けになります。私も『破壊と拡散』の企画段階から発売後の書評の報告まで、ウェーバーさんとやりとりさせていただきましたが、とても親切な方です。1940年生まれでいらっしゃるので、来日していただくなら、今のうちですよね。ご高齢になると飛行機が辛くなる場合が多いようですから。 クリスティアン・マラッツィ『現代経済の大転換――コミュニケーションが仕事になるとき』(多賀健太郎訳、酒井隆史解説、青土社、09年2月、本体2400円)は、酒井さんが高く評価されている『ソックスの場所――経済の言語論的転回とその政治的帰結』(1999年)の日本語訳です。訳題がだいぶ変わってしまいましたが、書店の仕分けで誤解されて趣味実用書売場に回されるのも怖いし、との理由だそうで、その気持ちはわからないでもないです。弊社の『ブラジルのホモ・ルーデンス――サッカー批評原論』も今福龍太さんの本なのに(しかも人文書売場から事前注文をもらったのに)、趣味実用書、スポーツ関連の売場に回ることもあって、そういう場合はたいてい即返されてしまうのでした。それはともかく、イタリア現代思想は昨今日本にどんどん紹介されてきています。30年代生まれのトロンティ★、エーコ、ネグリ、ヴァッティモ★、40年代生まれのペルニオーラ、アガンベン、カッチャーリ、BIFO★、カヴァレロ★、50年代生まれのエスポジト、マラッツィ、ヴィルノ、ラッツァラート、フェラーリス★というように(★は単行本未訳ですが重要人物)、今後ますます翻訳されていくことと思います。なお先月、上村忠男さんの『クリオの手鏡――二十世紀イタリアの思想家たち』の増補新版が『現代イタリアの思想をよむ』と改題されて、平凡社ライブラリーの一冊として刊行されました。89年の旧版では、クローチェ、モスカ、デ・マルティーノ、ギンズブルグなどが扱われていましたが、今回の増補新版では、加えて、グラムシ、パーチ、ボッビオ、アガンベン、カッチャーリ、ネグリが扱われています。イタリア現代思想の入門書には、岡田温司『イタリア現代思想への招待』(講談社選書メチエ、08年6月、本体1500円)がありますが、併せて読むと理解に奥行きが出てくると思います。 さらに注目書を何点か。 ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』(大窪一志+四茂野修訳、同時代社、09年3月、本体3000円)は、アイルランド生まれの社会思想家である著者の初の日本語訳になります。かれこれ6年前の03年1月のこと、ホロウェイさんから突然メールをいただいて、まさにこの本を日本で出版しないかと提案をいただいたことがありました。私はネグリ関連の海外のメーリング・リストに日本の一出版人として投稿したことがあったので、たぶんそこで私のアドレスを知られたのだろうと思います。興味があるので本を送ってくれ、と返事を書いたら、すぐにも手配するよ、本が着いたら連絡をくれ、と返してくれたのですが、そういえばそれから本が届くことはなく、私もこの件を放っておいてしまいました。ホロウェイさんは反G8の活動で08年6月に来日し、本書の訳者あとがきによれば、その時に訳者の方の提案で翻訳が決まったそうです。私は来日時のイベントにも行けませんでしたが、とにかく訳書が突然出て、びっくりするやら嬉しいやらでした。今回の訳書は「ですます」調で訳されていて親しみが持てます。発行者の川上徹さんは訳者あとがきに代えた鼎談の中で、「僕の感想としては「です・ます」調で訳したのは冒険だったけどよかったと思う。(…)この本は専門書とも言えるけれど、内容的には社会運動や労働運動にかかわっている現場の人たちに読んで欲しい本です。(…)ホロウェイ氏はそういう現場の人たちに語っているような気がしたからです。(…)「です・ます」調は本書の雰囲気に合っていると思った」(527頁)と述べておられますが、共感します。帯文で紹介されていますが、アレックス・カリニコスさんは「本書はA・ネグリとM・ハートによる『〈帝国〉』と並んで〈自治運動〉マルクス主義にとって鍵となる著作である」と評し、引き合いに出されたハートさんは「本書は、世界中で行動を起こしている新しい世代にインスピレーションをあたえてきました。そして社会変革の可能性について実りある議論を、いまも生み出しつづけています」と評しています。アナキスト人類学者のデヴィッド・グレーバーさんも、高祖岩三郎さんによるインタビューでホロウェイさんのことを高く評価しています(『資本主義後の世界のために』以文社、09年4月、167-172頁)。そこでグレーバーさんはホロウェイさんが現在『資本主義をつくるのをやめる』と題した本を書いていることを紹介しています。この本もいずれ日本語訳される機会がくるような気がします。 ジョヴァンニ・アリギ『長い20世紀――資本、権力、そして現代の系譜』(土佐弘之監訳、作品社、09年2月、5200円)は、イタリア生まれでアメリカ在住の社会学者アリギの単独著の初の日本語訳です。帯文の言葉を借りれば「20世紀資本主義の〈世界システム〉の対等と展開を壮大なスケールで分析した」本で、94年に英語版が刊行されて以来、7ヶ国語に訳されています。分厚い本なのでひるむ読者もいるかもしれませんが、日本語版序文はズバリ、ネグリ/ハートによる批判に真っ向から答えることから書き起こしているので、思わず引き込まれると思います。アリギの本はこれからも訳される予定のようで、来日の予定もあるそうです。今後の動向から目が離せません。 ジャン=リュック・ナンシー『脱閉域――キリスト教の脱構築1』(大西雅一郎訳、現代企画室、09年4月、本体3300円)は、後期ナンシーの代表作の待望の日本語訳です。原書は2005年刊で、第2巻はまだ刊行されていません。ハイデガーとデリダの対決を引き継いだというか、対決の問題圏に果敢に介入する一冊です。ナンシーの著者の多くは日本語訳されていますが、初期の頃の、単独著やラクー=ラバルトとの共著が翻訳されていません。残念です。 五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、09年3月、1600円)は、間違いなく09年上半期でもっとも面白い本の一冊ですし、日本独自のカルチュラル・スタディーズにおいても画期を成す会心作です。帯文には「オタク論にはもう飽きた」という挑戦的なキャッチコピーが踊ります。都築響一さんはインタビューのドあたまで「今回の執筆者のなかには、元々ヤンキーの人はたぶんいないですよね」とスバリ指摘していてさすが。それでも本書はよく出来ていると思います。巻末にある、故ナンシー関氏の「ヤンキーコラム傑作選」や、飯田豊さんによる「ヤンキー文献ガイド50」もいい。ヤンキー棚をつくる書店員さんが出てきてもいいくらいです。お遊びではなく本気でお奨めします。 菱川晶子『狼の民俗学――人獣交渉史の研究』(東京大学出版会、09年3月、7200円)は、著者の博士学位申請論文を大幅に書き改めたものということで、本書が初の単行本となるわけですが、非常に魅力的な若手の民俗学者だと思います。かつて吉野裕子さんは「蛇」をテーマに民俗学の本を書かれました。私の愛読書です。菱川さんの本は確かに硬質な学術書ですけれども、テーマの選び方から綿密な調査まで好感が持てます。たとえば「送り狼」の話など、現代人でも興味が沸くのではないかと思います。現代人の語彙においては「送り狼」は、女性に下心を抱く男性の紳士ぶった仮面を髣髴とさせるわけですが、その昔は女性だけが狙われたわけではなかった。路上で実際に、道往く人々が狼(山犬)につけ狙われていて、人里にたどりつくまで狼はあとをついてきたのです。昔の人はそれを「道中に身を危害から守ってもらった」と捉え、狼に握り飯や塩を与えたりお礼を述べたりしたそうです。あるいは地域によっては呪いの言葉を吐きかけたりもした。それはそうでしょうね、だって行き倒れれば食われてしまったでしょうから。狼の次は何をテーマに選ぶのか、菱川さんの次回作が楽しみです。 *** このほかにも取り上げるべき本は多々あるのですが、ひとまずはこの辺でいったん中断します。
by urag
| 2009-04-20 04:50
| 本のコンシェルジュ
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