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2009年 02月 14日

ブックフェア「世界恐慌の中で生きる――ゼロ年代の思想」@ジュンク堂書店藤沢店

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昨年末(08年12月10日)、藤沢駅前ビックカメラの7階と8階にオープンしたジュンク堂書店藤沢店の、7階下りエスカレーター前の柱まわりの平台にて、2月5日から「世界恐慌の中で生きる――ゼロ年代の思想」フェアが開催されています。3月中旬まで開催の予定。フェアのご担当者Kさんから店頭風景の写真をいただきましたので、掲載します。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』をはじめ、若手の批評家、作家、アーティストの本を中心に、そうした若手ないし若い読者に影響を及ぼしたり再評価されているような本など(『蟹工船』とか『堕落論』とか)も集めておられます。陳列されている本の中には、宮崎誉子『日々の泡』、福満しげゆき『僕の小規模な失敗』、荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』、坂口恭平『0円ハウス』、そして弊社のアガンベン/メルヴィル『バートルビー』などもあります。同書は、09年2月13日発売の「週刊金曜日」738号で開始された廣瀬純さんの連載「生の最小回路」の第一回記事「『蟹工船』よりも「バートルビー」を」において取り上げられています。廣瀬さんはバートルビーの「非-労働への意志」にある種の積極性を読み込んでおられます。
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2000年以降つまり「ゼロ年代」にデビューした作家、批評家、アーティストを私は勝手に「ゼロ世代」と呼んでいますが、マスコミで言う「団塊ジュニア」「ロスジェネ」とも世代が重なります。東浩紀さんが講談社BOXと一緒にプロデュースしておられる新人批評家養成プログラムに「ゼロアカ道場」というのがありますが、「ゼロアカ」というのは世間では「ゼロ年代の新しいアカデミズム」という意味で受け止められているようです。東さんが北田暁大さんと組んで編集されている雑誌『思想地図』の帯文には、「これぞ〈知〉の最前線! ゼロ年代のアカデミズム、NHKブックス別巻として登場!」(第一号)、「お待たせしました! ゼロ年代の知を牽引するNHKブックス別巻第2弾!」(第二号)と謳われています。

ちなみに東さんは、今月発売された月刊『中央公論』09年3月号の特集「日本語は滅びるのか」に掲載されたインタビュー「中途半端な規模こそ問題だ――日本のネット空間と文学産業の現在」で、ゼロ年代以降の若手にとっての知的情況について言及されています。同特集では蓮実重彦さんのインタビュー「『反=日本語論』の余白に」も掲載されており、伝説的なフランス語教科書『フランス語の余白に』(朝日出版社、1981年)の序文に書かれた「われわれが外国語を学ぶ唯一の目的は、日本語を母語とはしていない人々と喧嘩することである。大学生たるもの、国際親善などという美辞麗句に、間違ってもだまされてはならぬ」という有名な一節の真意についてもお話されています。これは私個人にとっては20年ぶりの回答を得た、という思いでした。ブックフェア「世界恐慌の中で生きる――ゼロ年代の思想」@ジュンク堂書店藤沢店_a0018105_2121915.jpg

その思いは、大学生だった頃の自分には理解できなかったから、というよりは、ご本人の口から真意を聞けたという安心感のようなものです。『フランス語の余白に』は89年に3刷が刊行され、私が購入したのはこの時です。教科書とは思えない瀟洒な造本と、挑発的な序文に強い印象を受けました。後年、とある知り合いから貸してくれと言われて貸したことがあり、その時に初めて、若い世代にとってこの本は入手困難な本なのだと気づきました。まあ年齢を重ねて唯一、若い世代より得していることがあるとすれば、古書でしか流通していない本を同時代的に買っている、ということぐらいでしょうかね。その時は快く貸し出し、後日返却されましたが、よく考えてみると、貸した本というのは必ずしも無事に手元に戻ってくるものではありません。

貸したはいいが返ってこないのが全巻一揃えのものだったりすると困りますよね。『風の谷のナウシカ』とか『AKIRA』とか、貸した相手がいつの間にか古本屋へ売っていたりして、唖然としたことがあります。『ナウシカ』はもう一度新本を買いましたが、『AKIRA』は買い直してない。面倒くさくなってしまうんですね。

余談を最後にもう一つ。私の手元にある『フランス語の余白に』は3刷で、おそらくこれが最終重版だったろうと思います。私自身は、初版本を集める趣味はありません。小説や写真集でないかぎり、特に学術専門書は初版より重版を買うほうがいいに決まっています。なぜなら誤植が直されている(はずだ)からです。たまに専門書でも「初版本が欲しい」というお客様がいらっしゃいますが、重版本が入手可能なら絶対にそちらをおすすめします。重版されるかどうかわからない専門書はたいていやむなく初版の時点で買いますが、その後重版されたりすると、内心は心穏やかではないです。本によってはもう一度買って中身を確認しなければなりません。文庫本の復刊や重版ならまだしも、単行本は値段的に買い直すのが厳しい。しかしそれでも買わざるをえません。初版より重版の方が部数が少ないのが通例ですから、レア度も高まります。古書店では初版本の方が高くなりがちですが、本当に貴重なのは、小部数の重版本です。

そんなわけで私自身は一読者としても一出版人としてもある種の「初版本恐怖症」なのです。そんな私はある時、編集出版組織体アセテートさんが「正誤票」について次のように書いているのを読んで、心癒される思いがしました。曰く「誤記とは、書物にとって癒しえぬ傷。初版購入者という勇者のみに降りかかる災難」。名言だと思います。

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当ブログでは、「ゼロ年代」の棚をつくったり、ブックフェアやイベントを開催されている書店さんを応援しています。これまでも、ブックフェア「ここから新しい想像力が始まる」@ブックファースト京都店、「ゼロ年代」棚@紀伊國屋書店札幌店、トークイベント&ブックフェア「若手批評家サミット2008/更新される批評を目指して」@三省堂書店神保町本店、などをご紹介してきました。これからも積極的にご紹介しますので、情報をお待ちしています。

by urag | 2009-02-14 19:37 | Comments(0)


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