
本日07年9月22日は、フランスの批評家モーリス・ブランショの生誕百周年にあたります。日本では、7月に岩波書店の月刊誌『思想』07年7月号がブランショの特集(「死」と政治――モーリス・ブランショ生誕100年)を組み、9月には西山雄二さんによる渾身のブランショ論『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(写真左)が御茶の水書房より刊行されました。また、弊社でもブランショの難解なエッセイ『書物の不在』を翻訳出版いたしました。発売からまだ日にちが浅いのですが、望外のご好評をいただき、版元在庫が僅少になってしまいました。書店さんの店頭にはまだまだあると思いますので、皆様のお目に留まれば幸いです。
海外でも様々な本が出ていますが、私がもっとも注目したのは、今月バーゼルの
ウルス・エンゲラー出版社から刊行された、ドイツの比較文学者ハンス=ヨスト・フライ(Hans-Jost Frey 1933-)によるブランショ論"
Maurice Blanchot: Das Ende der Sprache schreiben"(ISBN978-3-938767-33-7 写真右)です。フライはまだ日本では訳書がありませんが、カール=ハインツ・ボーラー(1935-)やヴェルナー・ハーマッハー(1948-)、ヴィンフリート・メニングハウス(1952-)らと同様に、20世紀後半以後のドイツにおける比較文学研究に大きな貢献をなした研究者であると私は考えています。彼のすぐれたブランショ論がそのうち日本語で読めるようになればと思っています。独仏語に堪能で、ドイツ観念論やフランス現代思想に詳しい方のご協力を、心ひそかにお待ちしております。