2007年 08月 25日
「[本]のメルマガ」07年8月25日号に寄稿した拙文を転載します。 先日、とある地方チェーン書店の店長を勤める若い男性が上京された折に、人文書売場の棚構成について意見交換をする機会があった。書籍がどのような分類のもとに現在並べられており、どのように並べ直せばよりいっそうの増売を図れるのか、売場の棚構成表を前に、コーヒーを片手に長時間話し合った。 出版営業の仕事は、自社の本を販促することだけではない。書店の店頭ではそもそも自社の本だけが販売されるのではない。膨大な他社本の森の中の一冊として自社の本がある。平積みの注文をせっせと取ってくるのが営業マンの仕事のすべてなのではなく、他社本との組み合わせの中で売場全体の売上増加を図る知恵を、書店員さんと一緒に絞ってみることも重要なのだ。 棚構成をいかに進化させていくか。書棚は、絶えず手をかけてやらなければ枯れてしまう花壇に似ている。本と本の組み合わせは無限通り存在するけれども、どんな組み合わせでも良いわけではない。売場違いの本は棚から外さなければならないし、なかなか売れてくれない本は返品せざるを得ないだろう。 売れ残ったのはつまらない本だから、と即断するのはある意味簡単だ。本が面白いかつまらないか、売れるか売れないか、見ただけでピンとくる嗅覚や直感というものが現場には実在する。その存在を否定しているのではないけれども、即断の積み重ねは仕事をあまり面白くしてはくれない。どうすれば売れるのか、販売方法をさらに試行錯誤してみる面白さというものがある。 棚構成というものを柔軟に、そして根本的に考える上で非常に参考になる本がある。「記憶術」にかんする本だ。私はここ数ヶ月、リナ・ボルツォーニの『記憶の部屋――印刷時代の文学的‐図像学的モデル』(ありな書房)を読んでいる。記憶術というのは、脳裏に「場とイメージを刻み込む技術を通してものを憶えこもうとする技」(フランセス・イエイツ)である。 書物という「外部記憶装置」が知を蓄える器として誕生し、印刷技術の発展によって万民に廉価で提供されるようになるより前の時代には、記憶術は学問においては非常に重要な技術だった。こうした記憶術の必要性から解放されてしまった現代人にとっては、少数の卓越した記憶の持ち主における例外を除いて、ほとんど失われてしまった技術である。 記憶の持ち主、と書いたが、彼らはもともとそれを持っていたわけではない。憶えたのである。彼らの憶え方は特殊技能と目されることが多いけれど、その技術は実は万民に開かれている。習得することも可能なのだ。この記憶術がなぜ棚構成と関係しているというのか。それは記憶術が洗練された分類技術と編集術を含んでいるからである。 記憶術によって知識が蓄えられた頭脳は、いわば「理想的な図書館としての、すなわち物理的世界の磨耗や支障を逃れた内面的な空間」であり、「その中に知恵は保存され、秩序立てて目録化され、再利用に備えている」(『記憶の部屋』361頁参照)。この内なる図書館に装備されているのは知識の羅列ではなく生きた知恵であり、知識を自己生成していくための諸道具である。 「それらは、テクストの「解剖学」によってとりだされたさまざまな要素を配列するために順序/秩序立てられた図式であり、また同時に、他の者が書いた書物の中に進入するための鍵、他の著述家がわれわれに伝えた言葉の森を案内してくれる地図でもある」(同書114頁参照)。 記憶術は系統や図式や表を用いた整理方法を特徴としており、知識を丸暗記するというよりは、有機的で相関的な大系として自らの内面に刻み込ませる。記憶術によって鍛えられた頭脳は優れたガイド機能やチャート機能を発揮し、自らの知識を明瞭に可視化して把握しており、論理立ててそれらを説明(出力)することも可能である。 「われわれは図書館の中に入り、われわれが所蔵するあらゆる書物を用いて、提示された素材に役立つあらゆる概念を、あたかも森に散在する小枝を拾い集めるように、並べなおす」(同書137頁参照)こともできるのである。 記憶術全盛時代と異なり、こんにちに生きる私たちは、脳裏に知恵を体系的に刻むことにも、外部の書物を活用することにも疎くなって、映像やインターネットに依存しつつあるように思える。そんな時代に生きる人間においては、整理や分類や編集の力が衰えていくのだろうし、様々な視点から世界を眺めなおすイメージの力も欠けてくるのかもしれない。 直感的に言えば、書物がもしも衰退するとしたら、それは電脳技術が発達するからではなく、記憶と想像力が後退するからであり、未来が書物を消滅させるのではなく、過去を忘却することが書物を終わらせるのだ。 過去の忘却に抗うこと、実際のところ、出版業や書店業が加担しているのはそうした抵抗であり、失われゆくものを眼前に留めておこうとする郷愁である。この郷愁ははかないものの名残を惜しむことはあっても、単なる嘆きに陥ることは拒絶する意思のかたちである。過去に帰ることは誰にもできないが、未来に生きるために過去から学ぶことはできる。出版業と書店業はこうした、行く手へと開かれたノスタルジアを自らの基点としているのだ。 記憶術をめぐる様々な歴史研究書が照らし出すのは、読み手自身が抱える現代社会の危機である。人間が個々人の可能性に無関心になっていき、集団や国家に飲み込まれていくとき、「自ら考えること」や「他なるものを想像すること」は必ずしも重要ではなくなってしまう。本を作ったり売ったりする仕事は、本質的にはそういう退行から脱出するための契機をつくるという、否応のない宿命のもとにあるのではないかと私は思う。 ※参考文献 リナ・ボルツォーニ『記憶の部屋』ありな書房、2007年。 フランセス・イエイツ『記憶術』水声社、1993年。 メアリー・カラザース『記憶術と書物』工作舎、1997年。 パオロ・ロッシ『普遍の鍵』国書刊行会、1984年。
by urag
| 2007-08-25 23:31
| 雑談
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Comments(2)
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「記憶術全盛時代と異なり、こんにちに生きる私たちは、脳裏に知恵を体系的に刻むことにも、外部の書物を活用することにも疎くなって、映像やインターネットに依存しつつあるように思える。そんな時代に生きる人間においては、整理や分類や編集の力が衰えていくのだろうし、様々な視点から世界を眺めなおすイメージの力も欠けてくるのかもしれない。
直感的に言えば、書物がもしも衰退するとしたら、それは電脳技術が発達するからではなく、記憶と想像力が後退するからであり、未来が書物を消滅させるのではなく、過去を忘却することが書物を終わらせるのだ。」 ↑非常に共感。今の世の中、まさにそうした状況にある。同時に人々の生活の仕方、人間関係も同じことが言える。もはやこのことに自覚的でないと、人間性が希薄になり、そのために精神的に病む人が発している警鐘にさえ気づかない。せめて新たなネットワークを手作りで行わないと抗うことすらできない。棚作りで長時間話し合われたことの向こうに見えるのは、砂漠の中でオアシスをつなぐ道のありかを探る光景だ。
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原さんこんにちは。過分のお言葉を頂戴し、恐縮しています。「人々の生活の仕方、人間関係も同じことが言える」というのは、まったくその通りだと思います。出版・書店業界も社会の縮図のひとつなのですね。
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