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2006年 11月 25日
本日配信の「[本]のメルマガ」06年11月25日号に掲載した拙連載原稿を転載します。 ---------------------------------------------------------------------- ■「ユートピアの探求」/ 五月 ---------------------------------------------------------------------- ◎岩波書店不採用の零細出版人が、親世代の元社長の書いた回想録を読む 『理想の出版を求めて―― 一編集者の回想 1963-2003』 大塚信一(おおつか・のぶかず):著 トランスビュー:刊 定価2,940円 06年11月刊 46判上製カバー装381+21頁 ISBN4-901510-42-8 私は昔から本が好きで、大学を卒業したら本をつくる現場で働きたかった。第一志望は平凡社で第二志望が岩波書店。硬派な人文系出版社に憧れて、採用試験を受けたけれど、両社とも筆記試験をパスできなかった。あれから約15年。いま私は零細出版社の共同経営者だ。採用されなかったおかげで、約10年間は複数の小出版社での苦労を経験することができ、独立してから5年間の辛酸を味わった。 そんな自分からしてみると、岩波書店の元社長である大塚信一さんがこのたび上梓した回想録『理想の出版を求めて』は、別世界の出来事を書いた本のように思えなくもない。嫌味ではなく、私がすごしてきた現実とは環境的にも経済的にも違うものがそこにはある。 よく考えてみるとそれも仕方ないことなのかもしれない。大塚さんは1939年生まれ。私の両親と5歳ほど違うだけの世代で、私が生まれる5年前には岩波書店に入社している。「思想」誌や新書の編集部を経て、84年には「へるめす」誌を創刊。日本経済がバブル崩壊を迎えるまでのあいだ、岩波の新時代を牽引してきた方だ。いっぽう私はと言えば、大学を卒業した時にはすでにバブル崩壊が始まっており、どんどん悪くなる景気のなかで、80年代文化の残照を享受できたのはわずか数年というのが実感だった。 だから回想録を構成する8章のうち、私は最後の第8章(1989年~2003年)に対してしか同時代的な感覚がない。本書の圧巻は間違いなく、季刊誌「へるめす」を中心に記述される5~7章である。編集同人であった人々、すなわち、山口昌男、大江健三郎、磯崎新、武満徹、中村雄二郎、大岡信といった各氏の当時の活躍に象徴されるような、多彩な知的文化的星座のただなかにあって、大塚さんの熱い交流劇は、後進の者にはまぶしく映る。大塚さんご本人は岩波において反主流派を意識されていたそうだが、歴史を知らない息子世代の私にしてみれば、大塚さんの実績は岩波のイメージから逸脱するものではない。 それもそのはず、大塚さんは90年代にはいよいよ、「岩波書店というブランドを、この困難な時代に守り抜くか」(373頁)を考えねばならない立場にあったのであり、私が同時代的に知っている岩波はその時期にあたるからだ。 大塚さんは「あとがき」で、「本書を、次代を担う若い世代の編集者たちに捧げたい。ひとつの反面教師としてでも読んでいただけるなら、それに優る喜びはない」と述べておられる。私の自意識はさておくとして、たぶん「若い世代」には私自身も含まれるだろう。とすれば、同時代感覚に乏しく、歴史にも今ひとつ疎い私のような若輩者は、ただただ大塚さんの眩しい足跡を、まるで他人事のようにして読むしかないのだろうか。 二つの流儀がある。他人事のように読む流儀と、時代を超えて何かを受け取ろうとする流儀が。後者は陳腐かもしれないが、決して戯事ではない。 確かに若い世代にとっては、大塚さんが紹介する様々なエピソードは、当時の記憶、つまり同時代感覚がないだけに、豊かに読み解くことはなかなか難しい。400頁近いヴォリュームだけれど、大塚さんが体験してきた出来事のほんの一部分を読者は見ているに過ぎないだろう。 本書を読むだけでなく、大塚さんが手がけられた数々の本や、当時の新聞・雑誌などまでもひもとくならば、回想録の背後にある膨大な情報の起伏が仄見えるかもしれない。あくまでも遡行的ではあるけれど、大塚さんが体験してきたアクチュアリティの痕跡を探そうと試みることは不可能ではないし、あるいは大塚さんご自身が今後詳細なエピソードを明かされることを期待してもいいかもしれない。 他人事のように思えるのは見かけに過ぎないとも言える。そもそも若い世代がいま拠って立っているのは、大塚さんら先達が丹念に耕してきた大地である。大塚さんが手がけた本をたとえ一冊も読んでいなくても、私たちは先達の恩恵に与っているのだ。幸い私は大塚さんの編集した本をいくつか読んでいるが、それらから受け取った以上の影響を、社会に還元された大塚さんの「文化力」とでもいうべき何かしらのアトモスフィアから、同時代的に蒙っていることだろう。 大塚さんが生きた時代と文化を再検証することは後進のつとめである。例えば、東京大学出版会の元編集者で現在は研究者である長谷川一さんの『出版と知のメディア論』(みすず書房、2003年)は、若い世代が書いたもののなかで読まれるべきものの一つだろう。特に第4章「「人文書」空間の生成と崩壊――近代日本における知・出版・教養主義」は、60年代生まれにとっては共感できる前提を有しているように見える(しかしこの件は別稿を立てねばなるまい)。 時代を超えて大塚さんの回想録から何かを受け取ろうとするならば、まず本書の題名に帰らねばならない。『理想の出版を求めて』とあるが、大塚さんの理想とは果たして何だろうか。本書では明快にその理想が告白されているわけではないが、いくつかの言葉からそれを推察することができる。 そのうちでもっとも注目すべきは、「日本文化の水準を維持する」(374頁)という言葉だろう。私の理解では、大塚さんは岩波書店での出版活動を通じて、その「水準」を維持すべく、高い志を掲げて邁進してきた。維持するためには常に、以前より高い場所を目指して努力し続けることが重要である。「もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している」(『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)というマックス・ウェーバーの言葉は時代を超越した真理に思える。 「私の編集者としての四十年間は、“ユートピア探し”の四十年だった、と言えるかもしれない」(370頁)と大塚さんは書いている。「“ユートピア”とは、それが現実にはあり得ないからこそ、“ユートピア”なのではないだろうか。“どこにもない場所”というのが、“ユートピア”の意味なのだから。したがって、逆説的な言い方になるが、現実にはあり得ないからこそ、私は四十年間“ユートピア”を探し続けてきたのだ、ともいえると思う」(同頁)。 ユートピアの探求とは夢物語を現実の外に追いかけることではない。現実社会の瘴気の中に身を曝しながら、自らの命を燃やして時代の暗路を照らそうとすることだ。「社長業をしていた最後の七年間は、自分でもはっきり認識せざるを得なかったのだが、常時頭のテッペンから足の先まで、緊張していた」(373頁)。 「活字離れが進み、学生の学力低下が言われ」、本の売れ行きが「急カーブを描いて下って」いくのを目の当たりにしながら、大塚さんは読書が「日本人の思考力」を活性化することを信じて、国内外の識者に会い続け、本を作り続けた。大塚さんは「真のアカデミズム」という言葉を幾度か書き留めている。それは有識者の有難いご高説を妄信することではないだろう。書物が読者の生に影響を及ぼすものである以上、生半可な知識ではなく、苦労して獲得された知の裏付けをもって時代の岩盤から一冊ずつ削り出されなければならない。押し付けがましい記述は一切ないが、大塚さんが本作りに込めた情熱は、本書の様々なエピソードから汲み取れるだろう。 理想というものは往々にして陳腐に見えやすい。馬鹿にする人も大勢いるだろう。大塚さんの回想録を煌びやかな論壇交遊録として読む人はしかし、決定的に何かが欠けている。馬鹿にされようが灯台は海を照らすのである。たとえどんなに小さくとも、書物は誰かを照らす光になることができる。 ◎五月(ごがつ):1968年生まれ。月曜社取締役。本誌25日号編集同人。
by urag
| 2006-11-25 20:25
| 雑談
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