2006年 10月 26日
「[本]のメルマガ」06年10月25日号に寄稿した拙稿を転載します。 *** ◎ロバート・D・ヘイルの書店人論 「書店人は書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる」。この言葉をもし45歳以下の読書人が知っているとしたら、その人はヴィレッジ・ヴァンガードのファンであるか、熱心な書店経験者であるか、どちらかかもしれない。 「本の真の実質は、思想にある。書店が売るものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりである。本を売ることは、永久に伝わる一連の波紋を起こすことである。書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる。書店人は、人々を日々の抑圧から解き放し、楽しみ、希望、知識を人々に贈るのである。書店人が、特別の人間でなくてなんであろう」。 ヴィレッジ・ヴァンガードの創業者である菊地敬一さんの著書『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』(新風舎文庫) でこの一節に出会い、この言葉の主であるロバート・D・ヘイルの名を胸に刻んだ人が多いのではないかと思うが、出典がそもそもなんであるかについてはあまり周知されているようでもない。 この一節は、1982年に日貿出版社から刊行された『書籍販売の手引――アメリカ書店界のバイブル』(米国書店組合連合会編、豊島宗七訳)の「序」として収録されている「書店人とは?」と題されたヘイルの文章の冒頭付近に見いだすことができる。出版当時は業界では広く認知された本なのだろうと推察するが、現在は絶版。古書市場ではまだまだ見かける本だ。 上記の引用はヘイルの文章を圧縮しているし、言葉遣いがほんのわずかだが異なる。少し長くなるけれど、省略されている部分を含めて以下に引用してみよう。スラッシュ記号「/」は改行を表している。 「本の真の実質は、思想にある。書店が売るものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりあいである。本を売ることは、永久に伝わる一連の波紋を起こすことである。最初の波は本を読んだ人に伝わる。読者は本の内容を楽しんだり、利用したりする。ついで波は、真面目な議論や愉快な話として、ほかの人々に伝わっていく。本の真の実質は、読者に対する人生上の影響にあるのである。/書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる。歴史小説は、読者を真実の探検に送りこみ、読書による体験をあたえる。旅行書は、実際にそこへ行く以上に場所の感覚を盛りこんでいる。詩は深いものの見方と洞察を人にあたえる。書店人は、人々を日々の抑圧から解き放し、楽しみ、希望、知識を人々に贈るのである。書店人が、特別の人間でなくてなにあろう」(上記書、xix頁)。 『書籍販売の手引』では、ヘイルは「序」のほかに、「専門店化」「ブック・フェア」「私はなぜ本屋になったか」などの項目も執筆している。『手引』は、開店に必要な準備全般についての説明から始まり、雇用と教育、会計と経営実務、注文と仕入、本の様々な販売方法、顧客サービス、広告と販売促進など、58項目もの細やかなテキストで埋め尽くされており、約四半世紀前の翻訳書ではあるけれども、書店業務の「本質」を考える上では今なお啓発的な基本書と言っていい。 『手引』の底本は、"A Manual on Bookselling: How to Open & Run Your Own Bookstore"の第三版 Third Editionで、1980年にニューヨークのHarmony Booksから刊行されている。ヘイルのくだんの「書店人とは?」はこの第三版で読むことができるけれども、1987年に同版元から刊行された第四版ではヘイルの序文はあらたに書き直されていて、読めない。第三版も第四版も今では古書市場で探すしかないが、広く読まれた本なので、オンラインの古書店で見つけるのは難しくない。 ロバート・D・ヘイルとはどんな人物なのだろう。『手引』巻末の執筆者紹介と原書第四版を参考にして書くと以下のようになる。ヘイルは1987年当時は「マサチューセッツ州ダックスベリーの「ウェストウィンズ・ブックショップ」のオーナーで、77年から83年にかけて、ABA(American Booksellers Association: 米国書店組合連合会)の常務理事をつとめ、それに先立つ2年間は連合会の会長もつとめた。長年にわたり、連合会の書籍販売学校の理事であり、学長でもあった。さらに彼は、マサチューセッツ州ウェールズリーの「ハサウェイ・ハウス・ブックショップ」の社長兼店長を7年間務め、それ以前の8年間は、コネチカット州ニューロンドンの「コネチカット・カレッジ・ブックショップ」の店長だった。 ちなみに「ウェストウィンズ・ブックショップ」は海のそばの一軒家で、いわゆる独立系の本屋だ。http://www.westwindsbookshop.com/ ヘイルについて書くべきことはまだあって、彼の作家活動についても一言述べるべきだが、今回はまず上記の引用文の「原文」を味わっていただくのが先決だろう。 "The real book is ideas. What the bookseller retails is information, inspiration, and involvement. Selling a book begins a series of ripples that can go on forever. The first is the book's effect on the reader ― on his use and enjoyment of the ideas it contains. Other ripples follow as the book is discussed and enjoyed in serious conversation or humorous anecdote. The real book is tangible because it influences the readers life. / Booksellers have the means to enchant or enrage on their shelves. An historical novel can send readers to explore the truth of an occurrence after vicariously experiencing the event in their reading. A travel book can provide a greater awareness of the essence of a place than an actual visit can. Poetry offers vision and insight. Booksellers can release us from the pressures of the day and provide entertainment, hope, and knowledge. Booksellers are special." Robert D. Hale, "Preface. Booksellers: What Are We?" in "A Manual on Bookselling" Third edition, New York: Harmony Books, 1980, p.xv. いかがだろうか。きちんと韻を踏んでいる様が原文だとよくわかるだろう。日本語訳版で「書店員とは?」と訳されていた題名は、原題に忠実に訳し直すならば、「書店員――私たちは何者なのか」だった。ヘイルは学者然とした定義を客観的に試みたのではない。自分たちは何者なのか、何が出来るのか、それを体験の上から語ったのだ。「書店人は書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる」、この言葉はたとえではなくて、彼の絶対的な経験だったわけである。これほど人を勇気づける言葉があるだろうか。
by urag
| 2006-10-26 00:04
| 雑談
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