2006年 07月 14日
敵ガルズオルムの新兵器によって恋人を戦闘で失った主人公が、戦闘の発端である「世界が滅びたそもそもの理由」を突き止めようと図書館で調べ物を続けるうち、彼は「T・ナーガ」なる人物の書いた一連の著書を見つけます。 蔵書検索画面に出ていた書名は『ヒトの悪意はどこからくるのか?』、『量子演算による無限進化』、『環境改変における適応力』、『セブンディズ・プログラム』、『Initium Art Laboratory』、『データー保存のススメ』(現物は『データ保存のススメ』と表紙に記載)、『人類の滅びた理由』、『ハイゼンベルクの不確定性原理』、『現代の箱舟』(方舟が正しい表記と思われる)などです。このほかに『無限進化への誘い』という(おそらくは)書名が口頭で語られ、さらに『オルムウイルスの脅威』という本を主人公は閲覧していました。 第14話では、同僚のルーシェンが主人公のキョウに世界が滅びた理由を説明します。「発端はナーガという一人の研究者が量子コンピュータを実用化させたことにある。IAL社。情報企業として設立され、のちに様々な産業、特に生命工学や軍事産業なども取り込んで、コングリマリット化した、世界的超巨大企業。そのCEOがナーガだ。彼の創造した量子コンピュータのスペックは単体で、全世界のコンピュータすべてを合わせた能力に匹敵した。仮想空間に街や人の記憶、知識までもが丸ごと収容できるほどのものだ。ナーガはその量子サーバー内での人間の無限進化を提唱した。永遠の歳月を生きられる幻体となり、加速した時のなかで、果てない進化の探究を行う。それが人間にとっての幸福であると。」 その後、致死率98%というオルムウイルスが世界的に流行します。病死者に加え、ウイルスが生物兵器ではないかと疑った国々による戦争により、人類は短期間で激減。思想的・信条的に幻体化を望まない人々を除いて、人間は量子コンピュータのなかで生きることを余儀なくされたわけです。このウイルスを発明しばら撒いた張本人がナーガだとされています。人類を量子サーバー内に取り込み実験材料に仕立てるため、無限進化の理想郷を実現するためです。 データ化された人類のうちで反乱分子として目覚めた者がセレブラントたち、すなわちセレブラムです。彼らは戦います、「自分の意志で生きる」ために。……しかしこうした目覚めもまた、ナーガによるプログラムだとしたらどうなるのでしょう。「自由意志」は本当に存在するのでしょうか。それともすべてが予定されていたことなのでしょうか。これは西洋文明が問い続けてきた哲学的難問でもあります。物語は視聴者のこれらの疑問に今はまだ答えてはくれません。ただ、ルーシェンがふと漏らした「彼(シマ司令:セレブラムのリーダーの一人)の存在も疑問だ」という一言が、何を意味するのか、ひょっとすると、と視聴者に思わせます。 *** さて、『ゼーガペイン』には「蛇」にまつわる名前がよく出てきます。人類を滅ぼした敵「ガルズオルム」は北欧神話の「ミドガルズオルム」から採られたものと思われます。ミドガルズオルムあるいはヨルムンガンドとは天と地のはざまの人間世界であるミズガルズを取り囲む大蛇、つまり地中海文明に古くから存在する象徴、ウロボロスです。オルムは北欧の古い言語において「蛇」を意味します。 ナーガの著書『オルムウイルスの脅威』の表紙には、自分の尾を口から離したと思しきウロボロスの図像が掲げられていました。蛇が覚醒し自らの尻尾を離すとき、それは世界という円環の崩壊を意味します。北欧神話において、世界最終戦争であるラグナロクの開始は、この蛇の覚醒とともにあるのです。ウロボロスの円環は、無限大を意味する記号∞のモデルになっているとも言います。 そもそもナーガという名はインド神話における水の神で蛇身を有します。また、ナーガがCEOを務めていたIAL(Initium Art Laboratory※)社の社章は、螺旋状にうねる蛇が林檎を食らおうとする文様があしらわれていますが、この林檎はおそらくエデンにおけいてアダムとエヴァが蛇の誘惑により食らった智恵の木の実であると同時に、彼らが口にしなかった生命の木の実であることでしょう。生命の実を食らった者は、永遠のいのちを得ます※※。 ※Initiumとはラテン語で「開始、加入、元素、基礎、秘儀、祓い清め」などを意味します。Artはこの場合、芸術ではなく、技術・技法一般を指すでしょう。Initium Artとは、祓い清めのわざを示唆しているのかもしれません。そうしたわざを探究するラボ(研究所)ということですね。 ※※生命の木の実を食らい、永遠のいのちを得るという着想を物語にした作品群のなかで、私は漫画家の諸星大二郎さんの「生命の木」に強い印象を持っています。この短篇は『諸星大二郎自選短編集:汝、神になれ鬼になれ』(集英社文庫)で読むことができます。 ガルズオルムの新兵器は、セレブラム側から「アンチゼーガ・コアトリクエ」というコードネームを与えられています。コアトリクエというのは、アステカ神話における大地母神でやはり蛇身を有しています。大地母神は生命を産み、育み、またその生命が還っていくところの象徴です。これらの蛇の象徴が今後どう物語のフレームに関わりあっていくのか興味深いところです。 神話系を参照し、物語のグリッドとして埋め込んでいくという手法はアニメやゲームの世界ではよく知られた常套手段です。視聴者を象徴体系の森に誘うことによって、物語世界はそこで描かれている以上の奥行きがあるように見られ、謎を探求する空間がいわば与えられ、様々に物語を解釈することが可能になります。 10年前に「新世紀エヴァンゲリオン」がヒットした際には、天使やカバラ、グノーシスの世界観が用いられ、エヴァンゲリオンのフィルムブックやコミックの脇に『死海文書の謎』(柏書房)を置くと学術的な高価本にもかかわらず飛ぶように売れるという現象が起きました。エヴァンゲリオンというのはそもそも、ギリシア語では「福音」を意味する言葉です。エヴァンゲリオンでは「人類補完計画」として、不完全な群体としての人類を完全な単体に「進化」させるという設定がありました。「ゼーガペイン」とは異なりますが、ここにも進化思想への憧憬と懐疑が物語の根底にあります。 また、5年前からコミック誌への連載が開始され、アニメや映画で話題になっている「鋼の錬金術師」のブームにおいては、やはりコミック売場で『錬金術大全』(東洋書林)がよく売れました。昨年だったか、私の甥や姪が私の書斎を覗いた時、もっともよく反応していたのが錬金術関係の本に対してでした。人知を超えるものに対しての憧憬と懐疑がこの物語にも見られますね。 「ゼーガペイン」の場合はどうでしょうか。各種の神話については例えば青土社がたくさん関連書を出していますから、さして参照は難しくないでしょう。「蛇」あるいは「龍」をめぐっては、各文明の神話大系とは別に、海外においても日本においてもうんざりするほど多くの物語が今なお再生産され続けているため、そのひとつひとつを追いかけるのは面倒です。 しかし先日注目新刊でピックアップした記憶がある堤邦彦さんの『女人蛇体――偏愛の江戸怪談史』(角川叢書:角川学芸出版)などのような研究書をひもとくのは楽しい読書になることでしょう。ジブリの新作映画『ゲド戦記』においても龍が出てきます。作家ル=グインにおける龍の形象というのは非常に興味深いものがあるのですが、これを語るにはまた別稿が必要でしょう。 蛇をめぐる内容でここ十数年で出版されたものの中では以下の本が参考になります。 松谷みよ子さん『現代民話考(9)木霊・蛇・木の精霊・戦争と木』(ちくま文庫) 後藤明『 「物言う魚」たち――鰻・蛇の南島神話』(小学館) 笹間良彦『蛇物語――その神秘と伝説』(第一書房) 南條竹則『蛇女の伝説――「白蛇伝」を追って東へ西へ』(平凡新書:平凡社) 堤邦彦『女人蛇体――偏愛の江戸怪談史』(角川叢書:角川学芸出版) 小柳伸一『蛇になる女――古今東西蛇物語』(近代文芸社) ジャン・マルカル『メリュジーヌ――蛇女=両性具有の神話』(大修館書店) エレーヌ・H・ペイゲルス 『アダムとエバと蛇――「楽園神話」解釈の変遷』(ヨルダン社) 大庭祐輔『竜神信仰――諏訪神のルーツをさぐる』(論創社) 篠田知和基『竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち』(人文書院) アジア民族造形文化研究所『アジアの龍蛇――造形と象徴』(雄山閣出版) ちょっと脱線していいなら、ハーヴァード大の人類学者ウェイド・デイヴィスによるヴードゥー研究の名著『蛇と虹――ゾンビの謎に挑む』(草思社)という本もあります。龍についてはさらに書誌が増えるので、ここでは言及しないでおきます。 *** 「ゼーガペイン」において注目しておきたい設定は、「蛇」よりもむしろ「量子コンピュータ」や「量子力学」をめぐる諸項かもしれません。近年のアニメ作品では「ノエイン」のような、多世界解釈に的を絞った例もありました。「ゼーガペイン」で描かれている量子テレポーテーションのリスクは、ポピュラーな近似例では、映画「ザ・フライ」などにおける転送中の失敗などを思い起こさせます。「量子コンピュータ」関連の入門書や専門書はそう多くないので、オンライン書店で検索すれば、おおかた見渡せます。 「ゼーガ」第6話で語られたような量子力学と哲学の議論が重なる領域については、この先の物語の展開でさらに謎かけがあるかどうかは分かりませんけれど、これは物理学と哲学の長い歴史をひもとくことになり、興味はつきません。ナーガのようなマッド・サイエンティストではありませんが、ケン・ウィルバーの本を読むと、私たちの文明的伝統がどのような未来へ向けて「進化」しつつあるのか、そしてその「進化」が現代社会におけるビジネス群とどう関わり合ってくるのか、大きめの地図が見えてくるかもしれません(例えば『万物の理論――ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで』トランスビュー)。 「エヴァンゲリオン」で語られたような「不完全な群体から完全な単体へ」という人類進化の理想は、個人主義や民族主義によって分断された現代人の憧憬を反映するものであると同時に、再来しつつある全体主義や帝国主義への懐疑と危機感を表すものであったのではないかと思います。 「ゼーガ」においては「不完全な群体から完全な〈幻体〉へ」という狂った理想が設定されており、それに対立するセレブラントはいわば――昨今の政治用語を用いれば――全体主義や〈帝国〉に抗する群衆と目されている集団だと言うこともあるいは可能でしょう。この群衆は烏合の衆ではなく、衆愚制に堕する勢力でもなく、〈帝国〉を組み換える「構成する権力(構成的権力)」、マルチチュードとして希望と絶望を託されます。 マルチチュードとは、多数多様性であるとともに特異性(シンギュラリティ=かけがえのなさ)であることを自覚している存在です。彼らは巨大な怪物としての国家=リヴァイアサンとその運動としてのグローバリゼーションに屈服しつつ抵抗もしうる勢力であり、得体の知れない無名の群衆です。彼らセレブラントたちは、セレブという現代における幻想的特権意識とは別の、現実に切り刻まれた生を生きます。 今はまだ幻体たちは全員が戦闘へと「総動員」されているわけではありません。総動員と戦争の美学は例えばドイツの作家ユンガーの「忘れえぬ人々」「総動員」「平和」といった作品群(『追悼の政治』月曜社)に見いだすことができます。ユンガーが描いた過去はひょっとすると私たちの未来かもしれない。ユンガーの描いた「ヘリオポリス」(『ヘリオーポリス』全2巻、国書刊行会)というのは、まさにユートピアとディストピアが重なっているような都市でした。 結局のところ、「ゼーガ」において彼らセレブラムがどう勝利し、あるいは敗北するのか、そこに製作者たちの意図を超えた、現代人の無意識的な欲望と展望を見ることができるのではないかと私は思っています。 *** なぜこう長々と月曜社のブログで「ゼーガペイン」のことを書くのかと不思議に思われる人もいるかもしれません。私にとってはこれはれっきとした「仕事場の公開」です。本作りはこうした同時代の文化的事象や出来事と無縁であるはずがなく、私の編集した本は同時代の空気の中で醸成されたものです。私たちは時代とともに生き、時代とともに死ぬのです。 私は「ゼーガペイン」の感想を書いているのではありません。「ゼーガ」に見いだせるような波紋がどこから来てどこへ行くのか、その波紋に連なるであろうこれまでの書物たちと、まだ見ぬこれから生まれる書物たちに呼びかけるために、こうしたメモを公開しています。 「ゼーガ」はまだ「エヴァンゲリオン」のように成功する感じはしませんし、現時点では「ノエイン」のレベルにも達していないように思います。しかし、「ノエイン」は地方枠の深夜放送で、「ゼーガ」は「エヴァ」同様、平日の夕方の放送です(東京では)。ポピュラリティを獲得するためには放送時間帯は重要ではないでしょうか。 マルチチュードとゼーガをつなげるなんてと眉をひそめられる方々もいらっしゃるかもしれません。私はネグリの言った通りのことに忠実であろうとは思っていません。俗流、亜流、おおいに結構。本を作るということはズレを生み出すことです。編集術の醍醐味とはこのズレ=差異をどう扱うかということではないかと思っています。 ですから可能な限りズレ続けること、差異とその運動から色彩を生み出すこと、勘違いを奨励し、勘違いの欲望を肯定すること、一本の糸から複数の糸を作ること、故郷でない場所に自分の居場所を作ること、隔たりを認めつつも遠くにあるものを近くに引き寄せ、高みにあるものを手元へと引き摺り下ろすこと、応用するとなれば大胆に裏切ること、裏切りつつも寄り添うこと、分断されていたものたちを繋げること、区別しつつも分かち合うこと、権力による言葉の簒奪に抗い、言葉を与えること、言葉を分かち合うこと、こうしたことが、単体への進化ではなく群体として生き残り続けるためのサバイバル術としての編集技術だと思っている次第です。そしてその実践をブログではやっているつもりなのです。 以前のエントリー 第9話「ウエットダメージ」より【ネタバレ注意】 第6話「幻体」より【ネタバレ注意】
by urag
| 2006-07-14 22:37
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