4月6日の「
自費出版業界は飽和段階に突入か」というエントリーと、4月8日の「
ブログ出版が「自費出版」を身近なものに変える?」というエントリーのあいだに、私自身の思いの振幅が表れているのを見抜かれたのでしょうか、「
新・秋嶋書店員日記」の秋嶋さんが次のような興味深い発言をされていました。
「今は、様々な価値観やライフスタイルが乱立しているので、「公」というものがひとつではなくなっている。いわば「それ以外には閉じた公」とでもいうものができてきていると思うのです。」
まったくその通りです。私が言わんとしていたところの要点のひとつはそこなのです。それ自身以外には閉じた公(おおやけ)が多数乱立している社会、それが現代社会だと私は思います。「それ自身以外には閉じた公」を私はサブパブリックと呼びたいと思います。それはいわゆるパブリックではないのですが、それぞれの場の内部で通用する符牒や価値観、交換可能な「擬似貨幣」や言語がある。
サブパブリックはパブリックを形成する諸要素として作用します。それは時として創造的かつ政治的にパブリックを誘導しますが、時としてパブリックを破壊する威力を発揮することもある。私たちが注目しなければならないのはこのパブリックの下層構造としてのサブパブリックなのです。
インターネットの普及とともに、サブパブリックは新しい交流空間を獲得しています。サブパブリックの乱立とそのダイナミズムは、果てしなく膨張を続けていく電脳的郊外を作り出しています。もはや中心が何であるのかは明確ではなく、価値論的枢軸を失った巨大な郊外、メガサバーブが広がっているのです。
サブパブリックの多面的変容によって不規則に拡張し続けるメガサバーブにおいては、テレビニュースの50字に満たないインデックスの群れのみが、大衆の共通認識という名のパブリックの指標になります。しかし実際のところ民主主義的な意味でのパブリックはもはや存在せず、複数のサブパブリックの上昇下降運動が、首から上のない巨人のように群集心理として機能しているのです。衆愚制が達成されているのです。