2006年 02月 25日
「[本]のメルマガ」2月25日付241号に寄せた拙稿を転載します。5点ほど補足し、参考までに原書の画像をアップしておきます。 --------------------------------------------------------------------- ■「ユートピアの探求」/五月 --------------------------------------------------------------------- 【メモランダム:『マルチチュード』以後のネグリ】 旧連載「現代思想の最前線」を覚えておいでの読者は、私がイタリアの哲学者アントニオ・ネグリの新刊についてその都度紹介していたのを覚えていらっしゃるかもしれない。方向性を転換したつもりの新連載では取り上げてはいなかったのだけれど、今回はごく簡単なメモとして、『マルチチュード』以後のネグリの著書を列記し、皆さんと共有できる備忘録としたいと思う。 マイケル・ハートとの共著『帝国』の大ヒット以降、ネグリの旺盛な執筆活動には目を瞠るばかりだ。出獄したことも大きな要因ではあるけれど、彼は今フランスに移っていて、昨年11月末から今年3月にかけては国際哲学学院で「マルチチュードとメトロポリス」という一連の講義を友人たちとともに行っている最中だ。 日本では昨年10月に『帝国』に続くハートとの共著第二弾『マルチチュード』がNHKブックスで翻訳刊行された。上下巻合計で税込2646円という驚異的なコストパフォーマンスだが、どれくらい売れているのだろうか。同時期に、青土社の月刊誌『現代思想』(05年11月号)がマルチチュード特集を組んだ。マルチチュードという術語が一気に巷間に浸透していった気がする。 『マルチチュード』英米語版が2004年の8月にペンギン・プレスから刊行される約半年前の2月、ネグリは1977年の旧著『戦略の工場――レーニンについての33の講義』の新版を新しい序文つきでマニフェストリブリから刊行した。新版では副題のみが書名となっている。 "Trentatre lezioni su Lenin" 2004, Manifestolibri, ISBN88-7285-337-0 『マルチチュード』が刊行されてから英米語圏ではネグリの旧著の翻訳や再刊が勢い良く続いている。日本では『帝国』(『〈帝国〉』以文社)の刊行後、翻訳がテンポよく続いたが、今は落ち着いている。翻訳が進行中のものもあるけれど、これからは多少落ち着いてネグリの本を読めるようになるだろう。 2005年3月、久しぶりにネグリは新著をローマの新興版元ノッテテンポから刊行した。『イタリア的差異』という論文一篇を収録した、30頁に満たない小さな本だ。「久しぶりに」と言っても、実際ネグリはあちこちの媒体に寄稿し、あちこちで講演していたから、彼が何かを温存していたというわけではない。 "La differenza italiana" 2005, nottetempo, ISBN88-7452-049-2 この論文が「小石」というシリーズの一冊として刊行されているところを見ると、ひょっとすると、将来的にノッテテンポからこの論文を含めた新刊が出るのかもしれない。アガンベンの『涜神』(月曜社)は実際そんな経過を経て出版されていた。 翌月(2005年4月)、ネグリは1990年の旧著『芸術とマルチチュード』の増補版をフランスのEPELから刊行した。EPELというのは1990年に設立された出版社で正式名称はLes Éditions et Publications de l'École Lacanienne という。ラカン派の出版社でネグリ。なんとも興味深い取り合わせである。*1 "Art et Multitude: Neuf lettres sur l'art", 2005, EPEL, ISBN2-908855-88-7 友人への手紙という親しみやすい形式を取っている本書は、ミラノの版元ジャンカルロ・ポリティ(現在は廃業)から刊行された初版本では、1988年12月に執筆されたとされる7通の手紙で構成されていた。その後、一通の手紙を追加して99年にスペイン語訳版が刊行された。さらに2005年にもう一通の手紙と序文を追加し、フランス語訳版が出版。日本語訳は月曜社より近刊予定である。 ネグリの著書の書名に「マルチチュード」という言葉が使われたのは本書が初めてである。二度目に使われるのは10年後、2000年にマニフェストリブリから刊行され、本年再刊された『カイロス、アルマ・ウェヌス、マルチチュード』においてである。*2 "Kairòs, Alma Venus, Multitudo: Nove lezioni impartite a me stesso", 2000/2006, Manifestolibri, ISBN88-7285-450-4 旧著の再刊はさらに続く。2005年9月にマニフェストリブリは『世紀の終わり』の新版を新たな序文とともに刊行。本書は1988年にミラノのSugarCo(現在は廃業*3、正確な読み方は未詳)から初版が刊行された。その際の副題は、「社会化された労働者のための宣言」だったが、新版では「20世紀の解明」になっている。 翌89年に英訳版がポリティ・プレス(先のポリティとは全く別の会社)から出る。書名が『転覆の政治学――21世紀へ向けての宣言』に変更され、収録論文も9篇からさらに5篇が追加され、さらにはヤン・ムーリエ(・ブータン)による解説が付されている。小倉利丸氏による日本語訳が現代企画室から2000年に刊行された。 "Fine secolo: Un'interpretazione del Novecento", 2005, Manifestolibri, ISBN88-7285-458-X ※2005年のこの新版の序文は、2000年の日本語訳版には当然のことながら含まれていないので、ご注意ください。 ちなみにSugarCoというのは、フランス亡命期(1983-1997)のネグリの著書をイタリア出版界において例外的に刊行していた注目すべき版元で、『世紀の終わり』の前後には以下の書目も刊行していた。『遅咲きのエニシダ――ジャコモ・レオパルディの存在論についての試論』(1987年)、『ヨブの労働――人間的労働の寓話としての聖書の高名なテクスト』(1990年)*4、『構成的権力――近代のオルタナティヴにかんする試論』(1992年)*5などである。ミラノに所在する出版社だったが、92年当時は、より北西のカルナーゴに移転していたようだ。 上記3点はいずれも新たな序文つきで他社から再刊されている。 "Lenta ginestra: Saggio sull'ontologia di Giacomo Leopardi", 2001, Mimesis, ISBN88-8483-030-3 "Il lavoro di Giobbe", 2002, Manifestolibri, ISBN88-7285-307-9 "Il potere costituente: Saggio sulle alternative del moderno", 2002, Manifestolibri, ISBN88-7285-263-3 さて最後に最新著である。先月(2006年1月)、ミラノの版元ラファエロ・コルティーナから、ネグリの最近の論文36本を集成した『帝国におけるムーヴメント――通路と眺望』が刊行された。コルティーナは日本語訳が出ている『〈帝国〉をめぐる五つの講義』(小原耕一+吉澤明訳、青土社、2004年)のイタリア語原書を刊行した版元でもある。 "Movimenti nell'Impero: Passaggi e paesaggi" 2006, Raffaello Cortina, ISBNISBN88-7078-995-0 また、最近の再刊では、ローマの運動系出版社デリーヴェ・アップローディが1998年11月に刊行した『スピノザ』の第二版を刊行している。これはネグリのスピノザ論を集成したもので、『野生の異例性』と『転覆的スピノザ』、そして論文「スピノザにおける民主制と永遠性」が収録されており、最後に短いあとがき「しめくくりとして:スピノザとポストモダン」が付されている。 "Spinoza", 2 ed., 2006, DeriveApprodi, ISBN88-88738-86-X 私は初版本しか持っていないので、推測に過ぎないが、版元やオンライン書店のデータを見る限り、ページが第二版では若干増えているので、ひょっとすると、新しいテクストが加わったかもしれない。 論文「スピノザにおける民主制と永遠性」については、フランス語版からの水嶋一憲氏による日本語訳が『現代思想』96年11月臨時増刊号(総特集=スピノザ)に掲載されている。『野生の異例性』についてはすでに10年前から近刊予告が水声社から出ているが、果たされていない。 ついでに書いておくと、以前から予告が出てはいるがまだ刊行されていない本には、ハートとの共作第一弾『ディオニュソスの労働』(人文書院)がある。これ以上は同業者として天に唾するようなものだから何も書くまい。 *** *1――仕掛け人は同書(『芸術とマルチチュード』)が属するシリーズ「アトリエ」の編者であるMarie-Magdeleine Lessanaである。同書で追加された新しい手紙は「マリー=マグドレーヌへ。生政治について」と題されている。彼女は精神分析家であるとともに小説家でもあるようだ。マリリン・モンローについて昨年一書を上梓していたりして、特異な書き手に見える。 *2――蛇足的情報だが、ネグリの著書の書名に「マルチチュード」という言葉が三度目に使われたのは、『〈帝国〉をめぐる五つの講義』に収録された諸論文を除いた講義部分だけを収録した異本『マルチチュードと帝国をめぐる五つの入門的講義』(ルッベッティーノ、2003年)で、四度目がハートとの共著『マルチチュード』になる。 *3――SugarCoが廃業というのは私の思い込みだったようで、グーグルを検索すると最近の出版物が出てくる。どうやらまだ存在しているらしい。 *4――書き忘れていたが、本書のフランス語訳版(Judith Revelの翻訳による"Job, la force de l'esclave", 2002, Bayard)からの日本語訳が、2004年12月に世界書院から刊行されている。仲正昌樹訳『ヨブ 奴隷の力』がそれであり、ネグリによる日本語版への序文も付されている。イタリア語原書から訳されたものでないことは若干残念だが、ネグリ氏本人は重訳だからといって気にするような人ではないようだ。ネグリにとって、書物というのは意味と趣旨が伝わればいいのであって、本来的に他国語には移しえない文体や文彩の「保存」といったことについては拘泥していないのではないかと思える。『構成的権力』(松籟社)も、フランス語訳版からの重訳だったのだ。私はそれをいい加減な態度だとは思わない。ネグリのおおらかさはむしろ美徳ですらあると思う。その美徳は、私にはネグリの「活動家」と「亡命者」としてのキャリアに由来するものなのではないか。コミュニケーションや言語の壁を乗り越えていく逞しさ。 *5――日本語訳は、『構成的権力――近代のオルタナティブ』(杉村昌昭+斉藤悦則訳、松籟社、1999年)である。本書は2002年のイタリア語新版を底本とするものではなく、著者自身の指示のもと、1997年にPUF(フランス大学出版)から刊行されたエティエンヌ・バリバールとフランソワ・マトゥロンによるフランス語訳"Le pouvoir costituant"を底本としている。したがって、2002年のイタリア語新版に収録されている新しい序文は訳されていない。ちなみに、フランス語訳版の版権がPUFではなくミネソタ大学出版に帰属している(日本語版刊行当時)のは、非常に興味深いことではあった。
by urag
| 2006-02-25 22:53
| 本のコンシェルジュ
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