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2006年 01月 25日
「[本]のメルマガ」1月25日付238号に寄せた拙稿を転載します。 --------------------------------------------------------------------- ■「ユートピアの探求」/五月 --------------------------------------------------------------------- 【2005年を振り返りつつ、下半期のベスト新刊10点を挙げる(下)】 かつて都内のとある中堅書店の人文書売場にNさんという定年間近の女性社員の方がいた。何年か前に惜しまれつつ引退されたけれども、Nさんは版元営業マンを常に刺激してくださる素晴らしい書店人だった。 とにかく好奇心旺盛。広い人脈と情報網をつかって、いつも新しい話題を仕入れていた。営業マンの扱いも上手くて、いつのまにかNさんに「課題」を与えられる。営業マンのルーティンワークに「プラスアルファ」の工夫を積極的に求める方で、こちらがボヤボヤしていると「もっとしっかり勉強なさい!」とたしなめられたものだ。 売場に活用できそうな自分なりの本のネタを常時更新しておき、書店さんに提供することに喜びを覚える性分の私は幸い、「勉強しなさい」と一喝されたことはなかったが、自分自身の母親より年上のNさんの「書店員魂」には多くのことを学んだ。 店内リニューアルに伴い、人文書棚が減らされるかもしれない危機にも、Nさんは粘り強く自分の売場を守り抜いた。ある時Nさんはこう言った、「人文書棚からは時代が良く見えるのよね」と。 流行の移り変わりの激しいビジネス書や実用書よりも、時代の深層に届くまなざしを人文書は提供してくれる。そうNさんは見ていたのだった。日々移り変わりゆく様々な社会現象にも、歴史や文化の背景がある。時間の堆積層に分け入っていこうとするまなざしがある本たちを、Nさんは人文書売場の最大の武器と考えていた。 ニュース番組の短い時間の中ではとうてい説明しきれない、文化の諸相における複雑で長期的な利害関係の生成に迫る鍵を、人文書棚で読者に提供する。時代を見抜く目を養おう。売場から時代と本を眺め続けてきた経験豊かなNさんならではの勘が、そこには働いていたはずだ。 私は2005年下半期で印象に残った本をピックアップしていきながら、自分が拾っていく本が、そうした時間の堆積層を掘り下げていく強靭な知性によって書かれたものが多いことに気づいて、Nさんのことを思い出していた。 知覚の宙吊り――注意、スペクタクル、近代文化 ジョナサン・クレーリー著 岡田温司監訳 石谷治寛+大木美智子+橋本梓訳 平凡社 05年8月 本体7,200円 A5判554頁 ISBN4-582-70257-0 ティツィアーノの諸問題――純粋絵画とイコノロジーへの眺望 エルヴィン・パノフスキー著 織田春樹訳 言叢社 05年8月 本体7,600円 A5判316+131+29頁 ISBN4-86209-003-6 美の歴史 ウンベルト・エーコ編著 植松靖夫監訳 川野美也子訳 東洋書林 05年11月 本体価格8,000円 A4変形判439頁 ISBN4-88721-704-8 自然の占有――ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化 ポーラ・フィンドレン著 伊藤博明+石井朗訳 ありな書房 05年11月 本体8,800円 A5判782頁 ISBN4-7566-0588-5 世界の読解可能性 ハンス・ブルーメンベルク著 山本尤+伊藤秀一訳 法政大学出版局 05年11月 本体5,500円 46判449+44頁 ISBN4-588-00831-5 残存するイメージ――アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 竹内孝宏+水野千依訳 人文書院 05年12月 本体9,800円 A5判770頁 ISBN4-409-10020-3 こうして見ると、美術史や文化史、思想史といった分野で今年は収穫が多かったのかなと思う。上半期でも、やはりこの分野が目立っていた。シャーマ『風景と記憶』河出書房新社、『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、ザクスル+ウィトカウアー『英国美術と地中海世界』勉誠出版、『ディドロ「百科全書」産業・技術図版集』朝倉書店、などである。 いずれも素晴らしい書籍で、おおかた高額書ではあるけれども、購読して損はない。強いてこの中からさらに絞り込むと、ヴィジュアルを楽しみたい読者は『美の歴史』がお奨めである。古代から現代までの「美」のかたちの変遷を、大判の全頁フルカラーで見せてくれる。時代ごとの古典的テキストの膨大な引用も楽しい。これで8,000円というのは驚異的なコストパフォーマンスだ。 活字中心で楽しむ読者には、『自然の占有』をお奨めしたい。本書では、西欧文明において、全世界をくまなく理解し支配したいという人間の飽くなき欲望が博物学や博物館を誕生させ、どのように成長させていったかを追っている。本書の舞台となる16世紀後半からの百年間における、アルドロヴァンディやキルヒャーのような一種過剰な知の探究者らの驚異的な著書群からの図版が多数収録されていて、人間の想像力の逞しさに圧倒される。 本書に触発されて様々なことに思いが及んだ。世界を掌握したいという欲望は時代とともに変異し肥大し続けて怪物化し、それによって今やこの星が衰滅しようとさえしている。けれどもその怪物も当時は自然の脅威に打ち勝ちつつある人間の誇らしげな探究心から生まれたものだったのだろう。 探究の喜びと快活さと冒険心がやがて自らを滅ぼしかねない怪物となる。つづめて言うと詰まらない警句にしかならないが、それは別にフィンドレンの教えではない。ただ、こうした豊穣な歴史書を読む際には、過去がこうであったのだろうと示唆しているのだな、とだけ読むのでは足りない。 怪物にもまた、誕生時の希望の痕跡が残っており、歴史をひもとくことは、世界が別様でもありうるかもしれない可能性の源泉を検証することにほかならないのだ。私たちはタイムマシンがなくとも、過去を眼光鋭く省みることによって現在を変えることができる。 書店員のNさんはひょっとするとそうしたすべを知っていたのかもしれない。知識の森(あるいは海)に分け入り、過ぎ去った物事のうちにも未来を変えうるヒントがあることを、読者とともに分かち合いたかったのかもしれない。 過ぎ去ったことはすべてもう現在に関係のないことで、だから過去に固執しても仕方がない――もちろん、そんなわけはない。むしろ、私たちはあまりにも過去に学ばないまま、何度も同じ過ちを繰り返しながら過ごしているのではないだろうか。 書物は過去のものではない。頁が開かれ文字が読まれ、文章が読み手の意識に流れ込んでくる時、書物は常に新しい現在を獲得する。それが今しがた書かれたものであれ、千年前に書かれたものであれ、書物は個々の読者において常に真新しい存在として生まれ変わる。…… 先月の記事で3点の本を掲げ、今回はここまで6点を挙げた。最後の1点は次の書物である。 センス・オブ・ウォールデン スタンリー・カベル(1926-)著 斎藤直子訳 法政大学出版局 05年10月 本体2,800円 46判244頁 ISBN4-588-00833-1 『ウォールデン』とは言うまでもなく、ソローの名著『森の生活』のことである。カベルが上記書でソローやエマソンに言及するとき、そこには懐かしくも新しい二人の死者がたえず雄弁に語りかけ、ふいに沈黙を置いて去る。読むことにおける注意深さについて、カベルは大胆かつ繊細である。こう読まねばならないというのではない。ただ、無数の道がある中にも光と影があり、読むことは読む者の生きざまそのものなのだ。 ◎五月(ごがつ):本誌25日号編集同人。http://urag.exblog.jp
by urag
| 2006-01-25 23:45
| 本のコンシェルジュ
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