2005年 11月 19日
![]() 全体性と無限(上)――外部性をめぐる試論 レヴィナス著 熊野純彦(1958-)訳 岩波文庫(岩波書店) 05年11月 本体940円 文庫判462頁 ISBN4-00-336911-4 ■カバー紹介文より:第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者の主著。フッサールとハイデガーに学んだレヴィナス(1906-1995)は、西欧哲学を支配する「全体性」の概念を拒否し、「全体性」にけっして包み込まれることのない「無限」を思考した。暴力の時代のただなかで、その超克の可能性を探り続けた哲学的探求は、現象学の新たな展開を告げるものとなる。(全2冊) 原書が刊行されたのは1961年。合田正人(1957-)さんによる同書の翻訳『全体性と無限――外部性についての試論』が国文社から刊行されたのが1989年でした。爾来ロングセラーを続けている本書ですが、このたび新訳の文庫が出て、私がリブロ池袋店で発売日翌日に購入した時には、うずたかく積まれている文庫新刊の平台の中でたった2冊しか残っていない状況でした。隣に積んである同岩波文庫の新刊、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』がまだたくさん残っていました。 難解をもって鳴るレヴィナスの著書ですから、もとより覚悟しなければなりませんが、もし文庫だけを買おうという方がいらっしゃいましたら、国文社版も同時に購入されることをお奨めします。どちらかの翻訳で意味がよく分からない箇所があったら、他方を読んでみるのです。 それでも分からない場合は原書や他言語訳(たとえばアルフォンソ・リンギスによる英訳)を参照するとよいのですが、当面は二つの翻訳を読み比べながら、それらを統合して自分にとってのベストの翻訳を脳裏に思い浮かべるのも、一興です。 ご参考までに、序文の冒頭を比較してみましょう。 熊野訳: 私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか。それを知ることこそがもっとも重要であることについては、たやすく同意がえられることだろう。 聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見てとるところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙づりにされてしまう。戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎとられ、かくて無条件な命法すら暫定的に無効となるのである。 合田訳: 何よりも重要なのは、道徳の詐術にわれわれが欺かれていないかどうか、それを知ることである。こう言えば、誰もがためらうことなく同意するであろう。だが、なぜ道徳はかくも軽んじられているのか。その理由を考えてみよう。 真実に対して精神が眼を塞がないこと、それが明晰さであるとするなら、いつ起こるかもしれない戦争の可能性を見て取ることがかかる明晰さの本義であろう。戦争状態は道徳を一時中断する。戦争状態は永続的なものと思われていた諸制度や責務からその永遠性を剥ぎ取り、それによって、数々の絶対的な責務を一時的に無効ならしめる。 こうして読み比べてみると、原文や他言語訳がどうなっているのか、気になりませんか。紀伊國屋書店やジュンク堂書店、丸善など、人文系の洋書の扱いがある書店では、原書が廉価なペーパーバック版で手に入りますから、どうぞこの機会に。リンギスの英訳本のペーパーバックは、アマゾン・ジャパンなどでも購入できます。 文庫本、単行本、洋書は、売場が通常異なっていますから、三つの売場を渡り歩いてこれらを捜さなければなりません。これらをすべて並べて販売している、という書店さんがいらっしゃいましたら、どうぞお知らせください(売場の「証拠写真」などあるとうれしいです)。宣伝させていただきます。なお書店員さんの自家撮りではなく、一読者の方が売場を撮影される場合は、お店側の許可が必要になりますから、どうぞご注意ください。 来月には、西谷修(1950-)さん訳の『実存から実存者へ』が、ちくま学芸文庫から発売される予定だそうです。本書はつい最近まで講談社学術文庫に収録されていましたが、このたびお引越しのようで。筑摩書房さんにはこの際、ぜひ合田正人さんの『レヴィナス――存在の革命へ向けて 』(ちくま学芸文庫)を重版していただきたいものです。 レヴィナスはたしかに難解ですが、学者さんのみが親しんでいるわけではありません。たとえば内田樹さんは『観念に到来する神について』(国文社、1997年)の「訳者あとがき」で次のように書かれています。 どういう人たちがレヴィナスの本を買い、どういう個人的課題とのかかわりでレヴィナスを読んでいるのか、私はほとんど知るところがない。しかしまれに「市井のレヴィナシアン」と出会うことがある。そういう人たちと話していると、レヴィナスの思想が私たちの時代の、私たちの生き方に切実なかかわりをもっていることが実感できる。もちろんその人たちは哲学の専門家でもないし、難しいフランス語も読めないし、レヴィナスについての知識を知的威信のカードとして使う機会もない。ある種の内的な渇望が彼らをレヴィナスに向かわせている。本書はそのような読者のための訳書であることをこころがけた。 内田さんによる抄訳で1985年9月に国文社から出版された『困難な自由――ユダヤ教についての試論』の改訳版が準備されていることは皆さんご承知の通りです。今回は抄訳ではなく全訳と聞きます。長らく古書市場でもめったに見かけず高額になっていますから、若い読者は待ち望んでいることでしょう。(H) 追記:11月21日 当ブログの読者の方から「内田訳の出版計画は中絶したのではなかったか」とのご指摘がありました。たしかに、内田さんご本人の04年5月12日の日記(「内田樹の研究室」)にはこう書いてあります。 【引用開始】 家にもどってから、『困難な自由』のことを考える。 訳稿はできあがったのだが、翻訳権を取り損なってしまったのである。 翻訳権がないんじゃ、本は出せない。 ふつうは訳者にオッファーするときに翻訳権も取得するのであるが、訳者が私のようにでれでれ何年も訳稿を遅らせると、その間のライツの更新料も些少ではないので、あまり財政的に余裕のない出版社の場合は、ぎりぎりまで翻訳権を取得しないということがある。 今回はそれが裏目に出て、いざ出版という段になって、翻訳権がよその出版社にいっていたことがわかったのである。 七年越しの仕事が反古になりそうでだが、まあ、世の中そういうこともある。 レヴィナスの翻訳はそれ自体が私にとっては勉学と愉悦の経験であるから、それが最終的に本のかたちにならなくても、別によいのである。 ただ、ウチダ訳『困難な自由』を期待していた全国29人のファンの方には申し訳ないことをした。 ウチダ私訳をぜひ読みたいという人には、ファイルを個人的にお送りするという手もある。 有料頒布ではないのだから、べつにコピーライツには抵触しないと思うけれど、正規の翻訳権をとっていま翻訳をしている方にたいしてはある種の営業妨害でもある。 出版の「仁義」を考慮すると、やはり誰にも見せずに、このまま闇から闇へ葬り去られるのが、わが訳稿の宿命なのかもしれない。 なんだか気の毒だけれど、しかたがない。 【引用終了】 たしかにこの約一年半前の日記を拝見すると、訳稿はできあがったのに、某社では出版できなくなった、ということになっています。しかし、内田訳が今後も絶対に出版されなくなったわけではないと私は思っています。たとえば単行本の契約を他社が取得していたとしても、文庫化する契約は別途に結べるはずなのです(単行本の版権契約と文庫本の版権契約は別)。 とすると、読者の待望する声が高まれば、どこか別の版元が文庫化に踏み切るかもしれない。内田さんの昨今の人気を考えると、そうしたことがいつの日か実現しないとも限りません。残念ながら月曜社は文庫をつくっていませんから名乗り出たくても現在は無理なのですが、たとえばあんな版元やこんな版元の名前が浮かびます。 ですから、正確には改訳版が準備されて「いる」ではなく、「いた」と書くべきでしたけれども、私にはまだすべてが終わったようには思えないのです。 ちなみに他社から出版されるらしい新訳・全訳については詳細は私は知りません。(H)
by urag
| 2005-11-19 15:54
| 本のコンシェルジュ
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Comments(4)
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こんにちは。「成功する人は読んでいる!」というブログを書いておりますJoyと申します。文庫・単行本・洋書……そうですね、そういった書店があれば、ぜひ利用したいものです。
また、原書がある場合には原書も読むべきだろうと思います。特に哲学書などというものは、訳者の解釈によってずいぶん違ってきますし、世界には、日本語に訳されていない素晴らしい本が星の数ほどありますからね。
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リンギス「異邦の身体」でも度々レヴィナスが引用されていて気になっていました。なかなか洋書まで揃えているところは無いですよね。見つけたらまた書き込みします。
毎日ウラゲツで勉強させていただいてます。「多島海」楽しみです!
Joyさんこんにちは。先日はTBをありがとうございました。日本語訳がない素晴らしい本はたくさんあるとのこと、仰る通りです。翻訳されるのを待っているよりも、辞書を片手に原書に挑戦してみるのもいいものですよね。
苦学生さんこんにちは。さすがにリンギスの英訳本まで置いてある和書フロアは稀有でしょうね。ジュンク堂池袋店とか、東大駒場、京大ルネBCとかにはあるのかなあ。「多島海」はお待たせしてすみません! 遠からず必ず刊行いたします。
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