2022年 05月 22日
![]() 『アメリカ紀行』千葉雅也著、文春文庫、2022年5月、本体670円、文庫判並製208頁、ISBN978-4-16-791880-4 ★2019年5月に刊行された他行本(当ブログでの紹介はこちら)の文庫化。巻末解説は佐藤良明さんが書かれています。「ドゥルーズ的な視線をめぐらしながら、同時に私小説であることを厭わない『アメリカ紀行』の、その不均衡ぶり(あるいは一周巡っての合致の妙)が面白い」(192頁)。「一瞬を写し取った像をもとに、そこから断片的な思考を伸ばすという書き方は、話を大きくしない。前時代的な饒舌さ、厚顔の自己といったものを呼び寄せない。そうなってしまう前に話をへし折る。ある意味、不具にする〔クリップル〕。そのことで、接続過剰な時代の「不自由」を生きる人たちとの対面の仕方を調節する。ここにあるのは「切断の倫理」だ」(192~193頁)。 ★個人的な感想を述べると、マルクス・ガブリエルさんやレイ・ブラシエさんとの滑らかに見えるやりとりよりも、意見、立場、表現が異なるように思えるキース・ヴィンセントさんとのやりとりの方が興味深く感じます。ヴィンセントさんの言う「社会」とは何なのか、もう少し二人の議論の続きを聞きたくなりました。また、ところどころで表出される、千葉さんの「分身」論にも惹かれます。佐藤さんが指摘される通り、くどくどしく語られないがゆえに、それは読者の胸中に投げ込まれたサイコロのように、何かしらの合図を残します。 ★「僕が『動きすぎてはいけない』で批判した、「潜在的に世界中の誰もが関係している、接続されている」という全体論〔ホーリズム〕とは、存在論的なレベルでの健常性を押しつけるものだ、という意味で批判されるべきなのではないか」(115頁)。「境遇が異なる人への共感ではなく、入れ替わってしまうような感覚について考えている。共感とは無関係な、無関係性における入れ替わり。分身。/僕は以前から分身のことばかりを考えている。/いたるところで無関係性の結晶が燦〔きら〕めいている状況を、人は仮に「共感」と呼んでいるのではないだろうか」(155頁)。 ★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。 『魔法の指輪――ある騎士物語(上・下)』フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー著、和泉雅人/池中愛海/鈴木優訳、幻戯書房、2022年5月、上:本体3600円/下:本体4800円、四六変型判上製上巻384頁/下巻496頁、ISBN上巻978-4-86488-247-7/下巻978-4-86488-248-4 『弱者に仕掛けた戦争――アメリカ優生学運動の歴史』エドウィン・ブラック著、貴堂嘉之監訳、西川美樹訳、人文書院、2022年4月、本体8,000円、A5判上製706頁、ISBN978-4-409-51092-6 『新自由主義の廃墟で――真実の終わりと民主主義の未来』ウェンディ・ブラウン著、河野真太郎訳、人文書院、2022年5月、本体3,400円、4-6判上製272頁、ISBN978-4-409-03114-8 『動物倫理の最前線――批判的動物研究とは何か』井上太一著、2022年5月、本体4,500円、4-6判上製360頁、ISBN978-4-409-03115-5 ★『魔法の指輪』は、小沼宏之さんによる装幀が美しい「ルリユール叢書」の第23回配本(31、32冊目)。後期ロマン派の作家、フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー(Friedrich Heinrich Karl de la Motte Fouqué, 1777–1843)の長編小説『Der Zauberring. Ein Ritterroman』(1812年)の全訳にして本邦初訳です。フケーもしくはフーケーは日本ではもっぱら『水妖記(ウンディーネ)』(柴田治三郎訳、岩波文庫、1938年、改訳版1978年;『水の精ウンディーネ』角英祐訳、世界文庫〔弘文堂〕1948年;『水の精(ウンディーネ)』識名章喜訳、光文社古典新訳文庫、2016年)が有名ですが、『魔法の指輪』は「『指輪物語』『ナルニア国物語』などの先駆となった冒険ファンタジー小説の原像」(帯文より)とのこと。訳者三氏による懇切な解題は必読です。 ★「1812年に創造されたこの小説世界は、それまでドイツ文学に未知であった冒険ファンタジー小説というジャンルの原像を示している。フケーはドイツのどの作家や研究者よりも早く、北欧や古ドイツの伝説を利用して、空想に彩られた冒険に次ぐ冒険を描き、ときには大胆に幻想的世界を読者に提示した。〔…〕ナポレオンの侵略を前にして、ドイツ国民としての意識を多くの教養層に目覚めさせ、彼らの志操、精神的遺産を一つの物語へと作り上げたのはフケーであった」(下巻、解題、423~424頁)。
★人文書院さんの既刊1点と、まもなく発売(26日取次搬入)となる2点。先月発売の既刊書『弱者に仕掛けた戦争』は、米国の調査ジャーナリストで米国史家のエドウィン・ブラック(Edwin Black, 1950-)の著書『War Against the Weak: Eugenics and America's Campaign to Create a Master Race』(Dialog Press, 2003; Expanded edition, 2012)の全訳。アメリカ優生学運動の通史であり、原著副題は直訳すると「優生学および支配自人種を想像するためのアメリカの作戦」です。 ★著者は「はじめに」でこう書いています。「本書のページをめくるうちに、読者はアウシュヴィッツの医師らを殺人に駆り立てた科学的根拠が、もとはロングアイランドのコールド・スプリング・ハーバーにあるカーネギー協会の優生学事業がでっちあげたものだという、悲しい事実を知ることになる。さらに、ヒトラーが政権を握ってから第二次大戦が始まるまでのあいだ、コールド・スプリング・ハーバーの組織を介してカーネギー協会がナチ政権のために熱心に宣伝活動を行い、ナチ党の反ユダヤ映画をアメリカのハイスクールに配給すらしていたことも知るだろう。また、ロックフェラー財団の多額の助成金が、メンゲレがアウシュヴィッツで完遂することとなった優生学実験をそもそも始めたドイツの科学者の重鎮たちに流れていたことも知ることになる」(17頁)。 ★「また本書を読めば、ヨーロッパで何百万人もの人間が、存在する価値のない劣ったものとのレッテルを貼られたがために雑害されたことがわかるだろう――その分類方法は、カーネギー協会の出版物や学術研究施設で生み出され、ロックフェラー財団の研究助成金によって確かめられ、その正当性をアイビーリーグの名門大学の押しも押されぬ教授たちによって保証され、さらに鉄道王ハリマンの遺産から特別なはからいで資金提供を受けていた。優生学とは、企業の慈善行為が暴走したものにほかならなかったのだ。/今日、私たちは優生学的な差別に再び戻りかねない状況にある。ただし、こんどは国旗のもとでも政治的信条のもとでもない、ヒトゲノム科学や企業のグローバル化がもたらす差別である」(18頁)。 ★ブラックの既訳書には『IBMとホロコースト――ナチスと手を結んだ大企業』(原著2001年;宇京頼三監修、小川京子訳、柏書房、2001年、品切重版未定)があります。今回訳された『弱者に仕掛けた戦争』はこれに続いて執筆されたものです。前作も重版されるといいですね。 ★『新自由主義の廃墟で』は、米国の政治哲学者でプリンストン高等研究所教授のウェンディ・ブラウン(Wendy Brown, 1955-)の著書『In the Ruins of Neoliberalism: The Rise of Anti-Democratic Politics in the West』(Columbia University Press, 2019)の全訳。「本書はネオ・マルクス主義とフーコー主義両方の新自由主義へのアプローチを採用し、同時に両者を拡張して、それらが新自由主義プロジェクトの道徳的側面を相互に無視していることに修正を加えるものである」(序論、28頁)。「新自由主義的合理性の諸要素やさまざまな効果を再考し、その合理性についての私たちの理解を拡張して、それによる民主主義への多面的な攻撃と、それが法制化された社会的公正のかわりに伝統的な道徳を起動させることを理解の範疇に入れることを主題とする」(同、29頁)。 ★『動物倫理の最前線』は、「人間中心主義を超える倫理を発展させるべく、関連する海外文献の紹介に従事」されておられる翻訳家で執筆家の井上太一(いのうえ・たいち, 1984-)さんの初の単独著です。「動物愛護は今や、人間の徳や純性を高めるためではなく、暴力被害の当事者である動物たち自身のために行われる。それは様々な点で私たちと異なりながらも、幸不幸の只中に生きるという根本的次元で私たちと同じである動物たちを、人の手による謂れなき加害から解き放つ運動である。動物解放、動物の権利の両哲学は、精緻な理論を通してこの主張を明確化し、現代動物倫理学の基調をなすに至った」(序論、13頁)。「他の社会正義や解放理論から有用な成果を取り入れた動物倫理学は、狭義の倫理学、狭義の動物擁護の枠を超え、包括的正義をめざす実践理論、批判的動物研究(Critical Animal Studies)を形づくるに至った。これが本書の扱う領域である」(同頁)。
by urag
| 2022-05-22 23:26
| ENCOUNTER(本のコンシェルジュ)
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