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2022年 03月 27日

注目新刊:ニック・ランド『絶滅への渇望』河出書房新社、ほか

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絶滅への渇望――ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』ニック・ランド著、五井健太郎訳、河出書房新社、2022年3月、本体3,400円、46変形判上製416頁、ISBN978-4-309-23111-2
失われた未来を求めて』木澤佐登志著、大和書房、2022年1月、本体2,000円、4-6判並製344頁、ISBN978-4-479-39381-8
メトロの民族学者』マルク・オジェ著、藤岡俊博訳、水声社、2022年2月、本体2,000円、四六判上製147頁、ISBN978-4-8010-0632-4

★『絶滅への渇望』は、英国出身の哲学者ニック・ランド(Nick Land, 1962-)の第一作『The Thirst for Annihilation: Georges Bataille and Virulent Nihilism』(Routledge, 1992)の全訳。訳者は一昨年にランドの問題作『暗黒の啓蒙書』(講談社、2020年5月)を訳した五井健太郎(ごい・けんたろう, 1984-)さん。本書は帯文に曰く「バタイユ読解を通じて、ニヒリズム/ペシミズムとしての〈哲学史〉を再構築し、資本主義や人間が廃絶した先の世界を立ち上げる究極の無神論」と。目次は以下の通りです。

第1章 「健全な哲学の死」
第2章 太陽の呪い
第3章 侵犯
第4章 復活祭〔イースター〕
第5章 死せる神
第6章 妬みぶかい時間の激怒
第7章 牙を剝くヌーメノン(サイクロンの情熱=受難〔パッション〕)
第8章 流動的身体(ミラーにかんする脱線)
第9章 人類の中絶=出来損ない〔アボーション〕
第10章 迷宮
第11章 結論なき交感
原注
文献一覧
「死を味わう」者たちのために――訳者あとがき

★「繊細さが神経をすり減らしていく一方で、しかしすべては、計り知れない粗雑さによって駆動していく。なかでも死は、われわれの激情を駆りたてる。死に至る前から、私はずっと死にたいする渇望に責め苛まれてきた。自分の症状がいくつかの点で異常だということは認めるが、しかし私をゼロの上に磔にしているのは、真実と切り離すことができない異常性なのだ。死にたいする愛のなかで出し惜しみをしているかぎり、死を理解することはできない」(序、28頁)。

★「神聖さに値する者たちはみな、この地球の上で、これまでずっとその身を引きつらせてきた。自分よりもずっと神々しいところのある一人の放浪者に伴われ、虫の湧いた卑しい犬のようにして私は、こそこそと地獄のなかへと入っていった。シク教によれば、人間とは天使と悪魔の仮面なのだとされるが、私自身に備わった地獄の容貌は、ほとんど曖昧なところがない(どこであれ私の向かう先は、影が濃くなっていく)。写真のなかのバタイユの目をじっと見つめていると、私は燃えさかる窯の共同体のなかで彼の非存在と接続する。私は微笑む」(同頁)。

★「本書においてランドは、〔…〕過剰なものに接触し感染することで、個体的で人称的なものとしての〈私〉が破綻し、わけのわからないものになっていく状態を無数にいいかえていく。たとえばそれは、もはや「笑い」をもってしか対応できないような惨状であり、役に立たずただそのまま分解されていくだけの「排泄物」となることであり、あるいは端的に「死」だとされる。死に対する親密さは、本書全体を流れる通奏低音となっている」(訳者あとがき、392頁)。この暗さ、闇への否応ない傾斜において、ランドの思想は現代人の生の苦痛そのものを表現しているように思えます。

★『失われた未来を求めて』は、2019年7月から2021年8月まで、大和書房ウェブサイトで発表されてきた木澤佐登志(きざわ・さとし, 1988-)さんの連載「失われた未来を求めて」全12回を書籍化したもの。連載分は「資本主義リアリズムと失われた未来」「アシッド・コミュニズム――再魔術化と反脱魔術化」「変性する世界」の3章全12節にまとめられ、書き下ろしの第4章「共同体と陶酔――反脱魔術化の身体に星が降るとき」、「はじめに」、「わが複数の人生――あとがきに代えて」が加えられています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。

★「〈未来〉は失われている。〈未来〉は私たちの手からこぼれ落ちている。〔…〕コロナ禍は、こうした世界を覆う閉塞感に拍車をかけた。〔…〕人々は、この出口の見えない鬱屈とした閉塞感の中で、疲弊し、精神を病んでいく。/「世界の終わり」は今や単なるレトリックを超えて、切迫したリアリティを伴っている。そうした時代において、〈未来〉を思考=志向することは果たして可能なのだろうか。可能だとして、私たちにはどのような方策が、道筋が、〈未来〉に対して残されているのだろうか」(はじめに、10頁)。

★「過去の記憶の――あるいは存在しない記憶の亡霊が私たちを呼んでいる。だがその顔は見えない。かくして、私たちは正体のわからない亡霊にいざなわれて、マーク・フィッシャーとルイス・キャロルを導きの糸としながら、記憶のジャンクヤードへと赴く。堆積した歴史と記憶と夢の残骸、その中から断片を慎重に拾い上げる作業。それらを再配置することで、記憶の諸断片が新たな星座=布置〔コンステレーション〕を描き出す。願わくば、そこに失われた〈未来〉の痕跡が見出されんことを」(14頁)。

★「たしかに〈未来〉はすでに死んでいる。〈未来〉は私たちの手から失われているように思える。20世紀は「未来の世紀」であった。しかし今や私たちのそこを去り、ノー・フューチャーな不安定性の中で時と事物とがはてもなく流動する世紀を生きている」(第4章第4節「それでも未来派長く続く」、304~305頁)。私利私欲のために惑星規模で自らの生きる場所を壊し続けてきたニンゲン自身の愚かさによって、獲得される前に失われてしまった、理想の未来。そうした未来ではない別様のリミナルな通路を、歴史の閉鎖空間(バックルーム)において見出そうとする試みに共感を覚えます。袋小路に偽装された脱出口の先にあるのは、バッドエンドだけとは限らないはずだからです。No future but noclip. Disengagement and bailout to the outside (not to that labyrinth inside) will sometimes save our everyday lives.

★『メトロの民族学者』は、フランスの人類学者マルク・オジェ(Marc Augé, 1935-)による『Un ethnologue dans le métro』(Hachette, 1986; Pluriel, 2013)の全訳です。パリの地下鉄(メトロ)の空間とそこに行き交う人々、そしてその記憶を人類学的に読み解くもの。「個々の人々は日常的に、通らないわけにはいかない経路を言わば借用していて、習慣から生まれる思い出や、ときに習慣を覆す思い出に縛られながら、他者の歴史と隣り合いつつもそれを知らず、しかしときにはそれを予感し、たまにしか、それも遠くからしか感じられない、平凡なものと化した集合的記憶の標識が設置された道を通っているのだ」(54~55頁)。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

「いろは」の十九世紀――文字と教育の文化史』岡田一祐著、平凡社、2022年3月、本体1,000円、A5判並製108頁、ISBN978-4-582-36466-8
妖怪たちの秘密基地――つくもがみの時空』齋藤真麻理著、平凡社、2022年3月、本体1,000円、A5判並製120頁、ISBN978-4-582-36467-5

★上記2点は、平凡社さんのシリーズ「ブックレット〈書物をひらく〉」の最新刊です。それぞれのカバーソデ紹介文を参照すると、第26巻『「いろは」の十九世紀』は、50音図以前の文字学習の起点だった「いろは」の時代における文字教育のありようを「外国人の東洋語理解や出版の変化も絡めながら多角的に描き出」したもの。第27巻『妖怪たちの秘密基地』は、「室町物語異類物の一つ」である『付喪神絵巻』に描かれた妖怪たちの物語を、「都市空間、教養、ことば、の三視角から読み解く」もの。付喪神(つくもがみ)とは「打ち捨てられ、深く人間を恨む古い器物たちが妖怪に変化し」たもの。著者の齋藤さんがあとがきに書いた「先達の弛まぬ営為への敬意と感謝を忘れず、その驥尾に付して、人文知の宝庫である書物群を時代へと繋ぎたいと願う」という言葉は、このシリーズを象徴するものであるように思います。

★巻末に掲載されているシリーズの「発刊の辞」の出だしはこうです。「書物は、開かれるのを待っている。書物とは過去知の宝蔵である。古い書物は、現代に生きる読者が、その宝蔵を押し開いて、あらためてその宝を発見し、取り出し、活用するのを待っている。過去の知であるだけではなく、いかを生きるものの知恵として開かれることを待っているのである。そのための手引きをひろく読者に届けたい。手引きをしてくれるのは、古い書物を研究する人々である」。


by urag | 2022-03-27 23:59 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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