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2020年 06月 14日

注目新刊:エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局、ほか

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★大型書店に出向けず、ネット書店も在庫や調達日数に難がある状態が続いている昨今、専門書の購入にはいまだに難儀しています。同様の困難を感じておられる読者がどれほどいらっしゃるのか分かりませんが、みずからの経験と実感を通じて、本作ることと売ることをめぐって色々と考える機会になっていることは確かです。

カオス・領土・芸術――ドゥルーズと大地のフレーミング』エリザベス・グロス著、檜垣立哉監訳、小倉拓也/佐古仁志/瀧本裕美子訳、法政大学出版局、2020年5月、本体2,600円、四六判上製212頁、ISBN978-4-588-01113-9
中世の言語と読者――ラテン語から民衆語へ【新装版】』エーリヒ・アウエルバッハ著/小竹澄栄訳、八坂書房、2020年4月、本体4,800円、A5判上製400頁、ISBN978-4-89694-272-9

★『カオス・領土・芸術』は『Chaos, Territory, Art』(Columbia University Press, 2008)の全訳で、カリフォルニア大学アーバイン校の批評理論研究所で2007年5月に開催された、ウェレク・ライブラリー講義を書籍化したものです。第一章「カオス──コスモス・領土・建築」、第二章「振動──動物・性・音楽」、第三章「感覚──大地・民衆・芸術」の全3章。私個人としても出版を待ち望んでいた注目作でした。著者のエリザベス・グロス(Elizabeth Grosz, 1952-)はオーストラリアの哲学者で近年は米国で教鞭を執っています。著書としては今回の訳書が初めての日本語訳となります。訳者あとがきで監訳者の檜垣さんは本書を「ドゥルーズとガタリの議論を軸としながら芸術について論じたもの」と紹介し、次のように評価されておられます。

★「グロスは、フェミニズムと精神分析という領域から仕事を開始しながらも、社会構築主義的に解釈されるセクシャリティの位相を越えたより深い身体の自然性を、ダーウィン的な生物進化をひきうけつつ考え、同時に芸術や政治といったもののあり方をとらえなおしていく。まさにドゥルーズとガタリが提示した、カオス的な自然と、そこから生み出された産物である身体を救いだし、それを芸術という方向から考察することがなされていくのである。これは、現今の哲学思想のさまざまな場面で語られる新唯物論的な、また芸術をそもそも人間の固有性に回収しないという意味で脱人間主義的な、あるいは一種の自然主義的な傾向を強くそなえた思考であるといえる。とりわけフェミニズムにおいて、身体性やその生物性の問題は重要な鍵であるはずであり、イリガライ由来のフランス現代思想からはじまり、ダーウィニズムを通過させていくグロスの戦略は、多くの分野で有効性をもつとおもわれる」(188~189頁)。

★第二章「振動」からいくつか印象的な文章を引きます。「もっとも原始的な生き物においてさえ、振動には、楽しませたり強度化したりする情熱を産出し、器官を高ぶらせ、より大きな力やエネルギーを運動へと備給する何かがある」(56頁)。「振動、波動、変動、共振は、どんな高次の目的のためにでもなく、ただ快感のためだけに、生ける身体を触発する。生ける存在は、振動的存在である。振動は、差異化の様式であり、生物が大地そのものの力を高めたり楽しんだりする方法である。音楽は魅了するものである。だからこそ音楽は生き残ってきたのだし、これほどまでに文化的に普遍的なのである」(57頁)。

★「芸術とは、さまざまな水準にある異質な要素をカップリングすることであり、領土の組織化と身体の力を結びつけることである。あらゆる芸術は動物とともにはじまるのであり、それというのも、機械でも心でも主体でもなく、動物こそが領土と身体を同時に形づくるからである。心や機械や主体は、それ自体が、このような身体と環境のカップリングの芸術的な生産物なのである。芸術とは、心的に捉えられようが精神的に捉えられようが、「高次の」存在の達成ではなく、古い動物的先史時代のもっとも原始的で基本的な断片の精緻化である」(60頁)。

★「音楽が生き残ってきたのは、それが日々の生活において有用なものや実践的に価値があるものへと還元できるからではなく、まさに音楽が有用ではなく、誘発的な強度化や快感という、より曖昧な目標に奉仕するからである。音楽が発展し生き残るのは、音楽が私たちに、つまり音楽を奏でる者や聞く者に、何らかの直接的な利点をさずけてくれるからではなく、音楽が楽しませるものだからであり、他者たちを私たちへ、そして私たちを他者たちへ誘引することに奉仕するからである」(60~61頁)。

★「振動とは変動であり、差異であり、行ったり来たりの収縮と膨張の運動である。それらは、空間的運動や空間的プロセスが時間的なものへと生成することであり、現在のリズムと規則性をモデルにしていくつかの仕方で形づくられる未来の約束である」(94頁)。「いかにして芸術作品は感覚をひき起こすのだろうか。私たちが知っていて認識しているものの感覚ではなく、いまだ知られておらず経験されたことがないものの感覚を。過去の痕跡ではなく、未来の軌跡を。人間的なものや、その認識されている特徴の痕跡ではなく、非人間的なものの軌跡を」(104頁)。「芸術はまさに、身体や、集団や、大地それ自体に対する、振動的な力の創造的で破壊的な衝撃を解放し、強度化し、祝福する。芸術は生を守り、高めていく。そしてその生は、来たるべき生であると同時に、来たるべき生を告げ知らせるのである」(同頁)。小著ながら芸術哲学としての本書の魅力と論点は長く参照され続けるのではないかと思います。

★『中世の言語と読者』は2006年に刊行されたものの久しぶりの新装版。『Literatursprache und Publikum in der lateinischen Spätantike und im Mittelalter』(Francke Verlag, 1958)の全訳です。訳者あとがきに新装版刊行にあたっての追記は特にありません。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「本書は、著者自身の言によれば、『ミメーシス』〔上下巻、篠田一士/川村二郎訳、ちくま学芸文庫、1994年〕の補完として著されたものである。詳しくいえば、『ミメーシス』第三章〔ペトルス・ウァルウォレメスの逮捕〕と第五章〔ロランがフランク勢の殿軍に推挙された次第〕のあいだの間隙を埋めるためにもくろまれた試みということである」と小竹さんは訳者あとがきで説明しておられます。

★「『ミメーシス』では、第三章が後期古代のアンミアーヌスやヒエロニュムスの修辞的レアリスムに一線を画すアウグスティーヌスの文体を「謙抑体」として初めて提示したのに対して、五章以下にはシャンソン・ド・ジェストと宮廷叙事詩という中世盛期の精華が論じられ、それがキリスト教教訓文学と中世演劇世界を経て、ダンテへボッカッチョへと引き継がれてゆくのであるが、その後期古代と中世盛期のあいだ、つまり600年から1100年に至る500年刊をここで再度見直し新たに論ずるために記されたのが本書の一〔第Ⅰ章:謙抑体 (sermo humilis)〕、二章〔第Ⅱ章:初期中世のラテン語散文〕ということになる。さらに第三章〔カミラ――あるいは崇高なるものの再生について〕では、古代の荘重体が中世盛期の叙事詩を経て後に、はたしてどこに新たな形でよみがえったか――それはいうまでもなくダンテに集約されるのであるが――が取り上げられる」(訳者あとがきより)。

★「これに対して第四章〔西欧の読者とその言語〕の「読者論」は、後期古代から中世へと至るユーロッパの文学受容史であり、同時に言語文化史概論として読むこともできる。「読者」という訳語を用いるのはこの時代にふさわしいかどうか、読む人よりもむしろ聞く人の方が圧倒的多数であったと思われる時代ではある」(同)。現在ちくま学芸文庫版『ミメーシス』は品切ですが、本書と同様に基本書なので、新たな読者のために重版されるといいなと思います。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

イタリア絵画史』ロベルト・ロンギ著、和田忠彦/丹生谷貴志/柱本元彦訳、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,500円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-09990-7
最初の礼砲――アメリカ独立をめぐる世界戦争』バーバラ・W・タックマン著、大社淑子訳、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,700円、文庫判576頁、ISBN978-4-480-09991-4
古伊万里図鑑』秦秀雄著、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,400円、文庫判304頁、ISBN978-4-480-09994-5
オリンピア――遺跡・祭典・競技』村川堅太郎著、ちくま学芸文庫、2020年6月、本体1,000円、文庫判256頁、ISBN978-4-480-09988-4
モロトフ・カクテルをガンディーと――平和主義者のための暴力論』マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、ころから、2020年6月、本体1,500円、A6変型判並製416頁、ISBN978-4-907239-49-7
すべて内なるものは』エドウィージ・ダンティカ著、佐川愛子訳、作品社、2020年6月、本体2,400円、46判上製279頁、ISBN978-4-86182-815-7

★ちくま学芸文庫の6月新刊は4点。『イタリア絵画史』は97年に筑摩書房より刊行された単行本の文庫化。原著は『Breve ma veridica storia della pittura italiana』(Sansoni, 1980)です。再刊にあたり、共訳者の和田忠彦さんによる親本での解説「ロベルト・ロンギのスタイル――絵画と文学」はそのまま残され、新たに、和田さんによる「文庫版のための短いあとがき」と、岡田温司さんによる文庫版解説「ボローニャのヤヌスたち――ロンギ、モランディ、パゾリーニ」が加えられています。和田さんのあとがきによれば「訳文の微調整、図版の調整」などを行ったとのことです。

★『最初の礼砲』は、1991年に朝日新聞社より刊行された単行本の文庫化。原著は『The First Salute: A View of the American Revolution』(Knopf, 1988)です。米国の作家で歴史家のタックマン(Barbara W. Tuchman, 1912-1989)の最後の著書。文庫化にあたり「文庫版訳者あとがき」が付されています。訳文改訂についての言及はなし。タックマンの訳書の文庫化は、『八月の砲声』(上下巻、山室まりや訳、ちくま学芸文庫、2004年)、『決定的瞬間――暗号が世界を変えた』(町野武訳、ちくま学芸文庫、2008年)、『愚行の世界史――トロイアからベトナムまで』(上下巻、大社俶子訳、中公文庫、2009年)に続いて4点目です。

★『古伊万里図鑑』は、1972年に5000部限定で大門出版美術出版部より刊行された『改訂増補新版 古伊万里図鑑』を文庫化したもの。巻頭の特記によれば「文庫化にあたって、表記を新字・新かなに改め」、「図版のレイアウトは元本を踏襲したが、判型の都合上、一部変更した」とのことです。帯文に曰く「幻の名著を文庫化、愛好家垂涎の340点を収録した究極の図録」。約300頁のうち、半分強が図版です。文庫化に際し、著者のご子息の秦笑一さんによるエッセイ「箸と古伊万里」、さらに、古美術店店主でTV番組「開運なんでも鑑定団」の鑑定士でもある勝見充男さんによる解説「秦秀雄と“初皆事伊万里”」が巻末に加えられています。

★『オリンピア』は、1963年に中公新書の一冊として刊行されたものの文庫化。巻末特記によれば再刊にあたり、「明らかな誤りは正し、ルビも増やした。また、図版を大幅に差し替えた」とのことです。巻末に橋場弦さんによる解説「驚くことから歴史学は始まる」が付されています。「本書は、日本におけるギリシア・ローマ史研究の基礎を築いた村川堅太郎が、古代オリンピックについて一般向けに書き下ろした教養書である。1964年の東京オリンピック前年に上梓され、1988年までに版を重ねること14度、平明かつ自由闊達な筆致で書かれた名著として知られてきた」。全5章立てで、最終章が「施設の完備と精神の喪失」と題されています。「著者から見れば、ヘレニズム・ローマ時代に都市国家の減速が崩れ、ポリスの代表であったアマチュア選手が姿を消して、競技がプロ化・興行化したことは、いかに施設や建造物が美しく飾られようとも、「根本の精神の喪失」であった。だから、「オリンピアの尊厳」が低下した「この時代に多くのページを割く必要を認めない」」と著者は書いた、と橋場さんは説明して下さっています。現代のオリンピックを再考する上でも必須の一書ではないでしょうか。

★『モロトフ・カクテルをガンディーと』は『Drinking Molotov Cocktails with Gandhi』(New Society Publishers, 2015)の翻訳で、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊國屋書店、2011年)、『無銭経済宣言』(紀伊國屋書店、2017年)に続く、フリーエコノミー運動の旗手マーク・ボイル(Mark Boyle, 1979-)の3点目の訳書となります(訳者はいずれも吉田奈緒子さん)。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。序章「3Rをアップグレードせよ」で著者はこう述べます。「以下のページで探求していく〈野生の平和〉は、文明化した都会人のいだく「暴力」「非暴力」「平和主義」といった概念にはしばられない」(9頁)。3Rをアップグレードするというのは、従来のリデュース(ゴミの減量)、リユース(再利用)、リサイクル(再生)を、レジスト(抵抗)、レボルト(反逆)、リワイルド(野生の回復)へと進化させること。論争的で挑戦的な一書です。

★『すべて内なるものは』は『Everything Inside』(Knopf, 2019)の全訳。8篇の短篇小説が収録されています。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。巻頭に付された書き下ろしの「日本の読者への手紙」にはこうあります。「ここにあるのは八つの――願わくは読者の方々にとって魅力的な――短編小説です。ハイチ人であるというのは――国内にいる場合でも海外にいる場合でも――どういうことかについての。そして、そのパワフルで、ときに中傷され貶されるアイデンティティを、自分の行くところどこへでも身につけて持ち歩くというのは――〔…〕「永遠のディアスポラ」の一員として地球を歩くというのは――どういうことかについての」(8~9頁)。本作は今年、全米批評家協会賞の小説部門を受賞したとのことです。

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by urag | 2020-06-14 22:42 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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