2020年 06月 07日
他人の痛みを感受できる者にとってこの世界は一分一秒たりとも生きながらえることを選択しえない地獄である。過去にさいなまれ、未来が見えない状況下で周囲に引きずられて生きることの辛苦がある。この先もそれを甘受するか、そこから解放されるべく脱出するか。脱出するとして、私たちはどこまで単独者たりうるか。 A「重要なことは離脱をうながすあらゆる共同体の運動が、現代のような資本主義のなかでは、きまってアナクロニズムやナルシシズムにおちいってしまう可能性をかかえこんでいるということだ。資本主義のほうが、欲望する身体を、多様な方向に錯乱させ、分散させようとしているからだ。しかも、その錯乱や分散が、けっして自由闊達であっても、奔放であってもいけないと命じているのも、じつはこの資本主義という運動体なのである。それは、内側から、家族や学校やさまざまな人間どうしのつながりをむしばみ、解体の淵においこんでいこうとしている。そして、それと同時に、ミクロなサイズの検閲の場としての、家族や学校や会社の存続をも、必要としているのだ、だから、いまある家族や学校や会社などから離脱して、新しい集団をつくろうとしても、この解体-再編成のダイナミックなウェーブのなかにあっては、どうしても臆病で閉じた、アナクロニズムの小島ができあがっていくようなやりきれなさに、おそわれることになる」(SN, 1986)。 小さな島はいかにも理想への希求から形成されるが、作り込めば作り込むほど、大きくなればなるほど、元の世界の似姿に近づいていく惧れはないだろうか。乗り越えを目論み、否定し拒絶したはずのそれ、つまり「親」に。 書店=取次=出版社はたったひとつの世界観のもとにあるのではなく、実際のところかなりバラバラな断片がかろうじて併存しているにすぎない。それは現実社会の似姿ではある。三者はバラバラな言葉を喋っている。バベルの混乱から脱するためには、混乱をきたしているいまここに留まるのではなく、ここを棄てて、ただひとつの条理をともに目指すべきなのだろうか。 B「いつのまにか内側から崩壊してしまったり、気がつくとより大きな組織の「器官」になっていた、などという事態をまねきよせることなく、制度の外側、捕獲網の外側にむかって、ぶじ離脱をはたし、しかも、そこからさきけっして難破してしまうことのない、すぐれた漂流船を設計するためには、その船はいくつかの条件をそなえていなければならないだろう」(SN, 1986)。 先人たちは(そして私たちも)常に条件を提示するにとどまる。あらゆる実現は陳腐化である。ただし、ひとつの教訓として、小さなままに留まり、小さな他のものを尊び、小さな関係を日々紡ぎ直していくことに、何度でも注意を払う必要がある。 C「もちろん、制度や掟の外側に離脱していくといっても、たんに空間的に遠くまで、人目につかないところに逃走していくことを、いうのではない。外部に離脱するとは、もっと別の意味をもっているのだ。それは、制度や掟の内部では、あまりに弱く、あまりに繊細であるために、大ざっぱでずさんなできあがりをしているファロス=知性=権力の眼にはまったくとらえることができず、そればかりか、ファロス的な乱暴な身ごなしが、知らず知らずのうちに押しつぶしてしまったり、息もたえだえに苦しめてきたものを、ヴィヴィッドに感じとり、理解できる能力を身につけることを言うのである」(SN, 1986)。 自分以外の存在の痛みに共感しうる者にとっては、この世界は、一分たりとも生き延びることが苦痛な場所である。人はたいていの場合、諸存在(それは人間や動物ばかりではない)の痛みに耳目をふさぎ、共感を閉ざすことによって、わずかながらの安らぎのひとときを得るものだ。それは端的に、欺瞞である。 生まれたことが罪なのではない。闇に蝕まれながらもそれを無視して生きることが欺瞞なのだ(しかし欺瞞は生き延びるすべですらある)。なぜなら人はたった一人で生きる存在ではないのだから。他人に生かされ、他人を生かして生きる存在なのだから(しかし痛みへの共感に浸食されては人は生きていけない)。すべての存在の痛みを漏らさず感受できた人間はおそらくいない。多くの存在の痛みを感受して、受け止め切った者もおそらくは稀である。 象徴としてのファロスではなく、自然としての陽物については考え直す必要がある。去勢することが唯一の未来ではないのであれば。それともうひとつ言わねばならない。資本主義の外部がこの世界にはないわけではない。資本主義はすべての場所を繋ぎうるのではない。 D「小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の闇をひろげて、夜がはじまる。/大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。しゃらしゃらと、たよりない音をたてて鳴る南方十字星〔サウザン・クロス〕が、こわれおちそうになって、燦めいている。海と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を痛めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終ったりしている。/諸君、人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。/大汽船は、浅洲と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな船は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかかわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれてゆくことを、暮れてゆくことを、人類世界の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想〔イデア〕とよび、無何有郷〔ユートピア〕となづけているのではあるまいか」(MK, 1940)。 E「「え? レンムも死んだんですか?」とラヴレーツキィは尋ねた。/「そうです」と若いカリーチンがいった。「あの人はここからオデッサへ行きましたよ。誰かがおびき出したって話です。そこであの人は死んだわけなんで」/「あの男の作曲が何か残っていなかったか、ご存知ありませんか?」/「知りません、どうもそんなものはないらしいですね」」(IT, 1858)。 消滅する存在者(媒介者)のさだめとして、関係の網目の中で忘れ去られることはどうというほどのものではない。名前を得たものが名前を失っていくことは必然なのだ。署名に執着する必要はない。 人は常に過去にさいなまれ、未来におびえている。過去にさいなまれ、未来が見えない状況下で周囲に引きずられて生きることの辛苦がある。この先もそれを甘受するか、そこから解放されるべく脱出するか。脱出口を見出せないまま闇に沈んでいく者がいる。脱出口から向こう側へ出たと思いこんだまま偽の光によって盲目となる者もいる。 懐疑と苦痛とに包囲され、それでも生きながらえる者。人間を嫌悪し、世界を嫌悪し、それでも孤独からその外側へ手を伸ばそうとする者。出版論はそこから出発しなければならない。 出版は人間関係に始まり、人間関係に終わる(それは人間にとって宿命的なリレーだ)。すべてを受け止めることの不可能性から出版は始まり、すべてを投げ出すことの不可能性に終わる。誰かが声にならない声を上げる時、それも出版なのだ。孤独の内に立ち消えてしまうもののただなかで、出版はかろうじて過去と未来を繋ごうとする、一本の糸であり、波である。 +++ A――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、264~265頁。 B――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、265頁。 C――中沢新一「離脱の漂白船」より。『野ウサギの走り』中公文庫、1989年、266頁。 D――金子光晴「爪哇」より。『マレー蘭印紀行』中公文庫、1978年、143~144頁。 E――ツルゲーネフ『貴族の巣』米川正夫訳、角川文庫、1951年/改版三版1970年、275頁。
by urag
| 2020-06-07 23:54
| 雑談
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