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2020年 03月 12日

本日発売:上村忠男『アガンベン《ホモ・サケル》の思想』講談社選書メチエ、ほか

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★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳書:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
本日発売の講談社選書メチエ3月新刊の1冊として、アガンベンの主著「ホモ・サケル」シリーズの「全容を平明に解説した」(カバー表4紹介文より)一書を上梓されました。全8章をプロローグとエピローグが挟んでいます。プロローグと第V章「オイコノミア」、第VI章「誓言と任務」、さらに巻頭と巻末の「まえがき」「あとがき」が書き下ろしです。「既発表の文章にも多かれ少なかれ補正を施してある」とのことです。巻頭の「まえがき」が書名のリンク先で立ち読みできます。目次も同様にご確認いただけます。

講談社選書メチエ 2020年3月 本体1,500円 四六判並製192頁 ISBN978-4-06-518756-2
帯文より:20年をかけて完結した全4巻計9冊から成る壮大なシリーズ――聖なる人間〔ホモ・サケル〕の全容を第一人者が解き明かす!

まえがきより:「〔アガンベンは《ホモ・サケル》プロジェクトにおいて〕古代ギリシア・ローマから中世の神学、さらには近代の哲学にいたるまで、精緻かつ豊富な文献学的知知識をいかんなく活用しながら、「脱構成的可能態(potenza destituente)」、すなわち、アリストテレスの『形而上学』におけるように現実態へと構成されることがなく、どこまでも可能態のままとどまり続ける可能態――アリストテレスが「アデュナミス(adynamis)」と呼んでいるもの――の理論の構築に向けて問題を深化させていったのである。射程は「生政治」から「政治神学」、さらには「共同体」にまで及んでおり、まことに壮観と呼ぶにふさわしいプロジェクトである」(7頁)。


★カール・ヤスパースさん(著書:『ニーチェ』)
ヤスパースが死去する5年前の1964年に、バイエルン放送の求めに応じ、3か月間合計13回行なったテレビ講義をまとめた『Kleine Schule des philosophischen Denkens』(Piper, 1965)の新訳が久しぶりに刊行されました。松浪信三郎(まつなみ・しんざぶろう、1913-1989)さんによる訳書『哲学の学校』(河出書房新社、1966年;改訂版、1971年;新装版、1980年;改訂版新装、1996年)は幾度となく再刊され親しまれてきましたが、ここしばらく品切でしたので、時宜を得た新訳ではないかと思います。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。カバー装で、帯はありません。訳者の松代和郎(まつしろ・かずお、1931-)さんは、兵庫県立大学(神戸商科大学)や大阪国際大学の名誉教授でいらっしゃいます。マックス・ウェーバー関連の著者と訳書をこれまでに刊行されています。巻末の「訳者後語」では、アーレント宛のヤスパースの手紙(1964年4月)が紹介されています。「この講義はやってみたかったのですが――本質的な論点をもって、大衆のなかの個人々々をつかまえる試み。哲学が秘教的な学問のままでは未来はないし、現在の人びとの真剣さに応えることもできない」(大島かおり訳『アーレント=ヤスパース往復書簡 1926-1969(3)』みすず書房、2004年、105頁)。

カール・ヤスパース[著] 松代和郎[訳]
昭和堂 2020年3月 本体3,500円 4-6判上製308頁 ISBN978-4-8122-1917-1
版元紹介文より:ヤスパースによる13講からなる哲学入門。現代人が向き合わねばならいテーマについて、自分で思考し決断するための古典的入門書。

第XIII講「世界の中の哲学」第3節より:「決定的に重要なことは、哲学は全的な真理を欲するが、世界はそれを欲しない、ということである。哲学は平和攪乱者、すなわち邪魔者なのである。/しかし真理とは何なのか、そのこと自身が問題となる。哲学は、包括者の諸様式における真実存在の多様な意味において真理を確認する。それは一なる真理の意味と内容とを探求するが、それを所有してはいない。何故なら真理はわれわれにとって不動の相在ではなく、閉鎖されえない無限の運動だからである」(253頁)。

第XIII講「世界の中の哲学」第9節より:「そこで哲学は何を為すべきか。/それは少なくとも自己欺瞞に陥らないようにすることを教える。いかなる事実もいかなる可能性も、それは無視しない。それはありうべき禍いを直視することを教える。それは世界の中での安心を妨げる。しかし、それは禍いを不可避と考える無分別をも妨げるのである。何故なら、何が生ずるかは、なおわれわれの責任でもあるからである」(267頁)。

ご参考までに松浪訳の上記引用の該当箇所をそれぞれ引用しておきます。

第XIII講「世界における哲学」第3節より:「決定的なことは、こういうことである。哲学は、全真理を欲するが、世界はかかる全真理を欲していない。哲学は平和をみだすものである。/けれども、真理とは何であるかということが、それ自身問いになる。哲学は、包括者のありかたによる真理存在の多様な意味において、真理を確かめる。哲学は、一つの真理と意味と内容を求めるが、それをもっているわけではない。なぜなら、真理は、われわれにとって不動の本質存在ではなく、完結されえない無限の運動であるからである」(291~292頁)。

第XIII講「世界における哲学」第9節より:「しからば、哲学とは何であるべきか?/哲学は、少なくとも、あざむかれてはならないことを教える。哲学はいかなる事実、いかなる可能性をも、傍らへおしのけることを許さない。哲学は一見禍いと見えるものを平然と直視することを教える。哲学は世界のなかの平穏をみだす。けれども、哲学はまた、禍いを不可避なものとみなすような無分別を拒む。なぜなら、われわれにとって問題なのは、何が生じるかということであるからである」(308頁)。

ヤスパースのこの最晩年の講義はいまなお読者を震撼させる鋭さと深さを有しています。

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by urag | 2020-03-12 18:37 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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