2019年 09月 16日
『「私」は脳ではない――21世紀のための精神の哲学』マルクス・ガブリエル著、姫田多佳子訳、講談社選書メチエ、2019年9月、本体2,100円、四六判並製392頁、ISBN978-4-06-517079-3 『開かれた対話と未来――今この瞬間に他者を思いやる』ヤーコ・セイックラ/トム・アーンキル著、斎藤環監訳、医学書院、2019年9月、本体2,700円、A5判並製376頁、ISBN978-4-260-03956-7 『植物の生の哲学――混合の形而上学』エマヌエーレ・コッチャ著、嶋崎正樹訳、山内志朗解説、勁草書房、2019年8月、本体3,200円、四六判上製228頁、ISBN978-4-326-15461-6 『神経美学――美と芸術の脳科学』石津智大著、共立出版、2019年8月、本体2,000円、B6判並製198頁、ISBN978-4-320-00930-1 ★『「私」は脳ではない』はドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980-)による『Ich ist nicht Gehirn: Philosophie des Geistes fuer das 21. Jahrhundert』(Ullstein, 2017)の全訳。世界的なベストセラー『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年1月;『Warum es die Welt nicht gibt』Ullstein, 2013)に続く、待望の単独著翻訳第2弾です。版元紹介文に曰く「『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「3部作」の第2巻」と。3作目は『思考の意味』(『Der Sinn des Denkens』Ullstein, 2018)で、これもいずれ翻訳されるようです。 ★著者による「日本語版の出版に寄せて」にはこう書いてあります。「本書のテーマになっているのは、人間を一つの総体として、すなわち自らの自己決定において自由な、精神をもつ生き物として認識することです。〔…〕本書で名を明示し、その克服に努めることになる病とは、神経中心主義です。神経中心主義とは、私たちの精神生活は脳と同一視することができ、したがって人間を神経ネットワークに置き換えることができる、という考え方のことです。これは根本的に誤った考え方です。神経中心主義は人間をおかしくします。なぜなら、神経中心主義に侵されると、もはや私たちは自分自身を認識できなるなるからです。/本書のクライマックスは、自己決定という精神の自由を擁護することです。これはフランス革命に始まった近代民主主義の基本であり、これからもそうであり続けます」(11~12頁)。 ★「人間にとって最も危険な敵は、自分自身や他者について誤ったイメージを作り上げる人間であることを、私たちは認識しなければなりません。今日広まっている危険なイデオロギーは、実は私たちとは同一視できないものを私たちと同一視することで、人間を自己決定のレベルで台無しにしています」(12頁)。「人間を機械とみなすようなイメージから私たちを解き放ち、啓蒙の精神を再び鼓舞するため、私たち皆が――生まれた土地や文化に関係なく――分かち合い、共同で活用できるような、人間の精神の自由の防衛策が今や必要です。どれほど文化の違いがあっても、私たちには共有するものがあるのです」(13頁)。 ★「『「私」は脳ではない』では自由の理論が展開されます。私たちは世界から――すべてを内包する決定論的な地平線から――解放されています。つまり、徹底的に自由なのです。ですから、私たちは人間についての自然科学的研究と精神科学的研究のあいだの対話を新たなレベルに高める必要があります。なぜなら精神科学はテクノロジーや自然科学の進歩で代替できる、という誤った考えは直接的または間接的にサイバー独裁制をもたらすからです。人間が自分は何者であるかを知らないかぎり、技術をその人間のために使う理由はないからです。これを研究するのは、ですから、英語圏で言うところのヒューマニティーズ〔人文科学〕の仕事です。ヒューマニズム〔人文主義〕を攻撃する者は、人間たる自分自身を攻撃しているのです」(14~15頁)。 ★ガブリエルの議論と分析は、その表題に表れているように一見するとトリッキーな部分がありますが、その内実は衒学的細部へのこだわりではなく、常識(コモンセンス)に立脚しており、それゆえに説得的です。本書の詳細目次と巻頭部分の閲覧は、書名のリンク先の「試し読み」でできるようになっています。 ★『開かれた対話と未来』は、フィンランドの臨床心理士ヤーコ・セイックラ(Jaakko Seikkula)とトム・エーリク・アーンキル(Tom Erik Arnkil)による共著『Open Dialogues and Anticipations: Respecting Otherness in the Present Moment』(National Institute for Health and Welfare, 2014)の訳書です。巻頭には斎藤環さんによる「日本語版解説」が置かれ、巻末には付録として、ODNJP(オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン)作成による「オープンダイアローグ 対話実践のガイドライン」が収められています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。著者による「はじめに――本書のテーマと目指すもの」もリンク先で読むことができます。帯文には「オープンダイアローグ、これが決定版! フィンランドの創始者ふたりによるガイド、待望の翻訳」と謳われています。 ★「本書ではこれから、対話について、「対話性」について、ポリフォニー(多声性)について、間主観性について、そして社交ネットワーク〔=人間関係のネットワークのこと〕について検討しようと思います。対話性とは、技法のことではありません。それはある種の立場や態度、あるいは人間関係のあり方を指す言葉です。その核心にあるのは、「他者性」というものとの根源的な関係です」(36頁)。「本書の目的は、対人援助における「対話性」の地位を高めることです。そうすることで、心理療法、精神医学、ソーシャルワーク、教育、保育、経営管理、その他多くの関連分野に、なんらかの変革がもたらされることになるでしょう」(38頁)。 ★セイックラとアーンキルの共著書の訳書には、『オープンダイアローグ』(高木俊介/岡田愛訳、日本評論社、2016年3月;『Dialogical Meetings in Social Networks』Karnac Books, 2006)があるほか、共著論文や関連書なども翻訳され、人気を博しています。今後ますます読者層が広がっていく機運を感じます。 ★『植物の生の哲学』は、ジョルジョ・アガンベンの弟子筋にあたるイタリアの哲学者で現在はフランスで活躍するエマヌエーレ・コッチャ(Emanuele Coccia, 1976-)による『La vie des plantes : Une métaphysique du mélange』(Rivage, 2016)の全訳です。2001年に早逝した双子の兄弟マッテオに捧げられた本書は、「植物の本性、文化と称されるものへの植物の沈黙、そのあからさまな無関心について考察しつづけたその5年間〔14歳から19歳までイタリア中部の農業高校に在籍した時期〕に生まれた思想を、よみがえらせようという試みである」(vii頁)とのこと。帯文(表4)に曰く「動物の哲学も存在論的転回もやすやすと超えて、植物の在り方から存在論を問い直す哲学エッセイ」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。 ★山内志朗さんは巻末解説で本書から引用しつつこう評価を記されています。「植物の存在においては、世界に在るとは、必然的に〈世界を創り上げる〉ことを意味する(55頁、第7章「空気のただ中で──大気の存在論」)。そして、「植物が世界に在ること、それは空気を(再)創造する能力のうちに見いだされる」(65頁、第7章)。/「世界のうちに存在するとは、アイデンティティを共有するのでなく、常に同じ〈息吹〉(プネウマ)を共有することだ」(74頁、第7章)。〈息吹としての世界〉というイメージが現れている。「身を浸す体験」(immersion)こそ、世界に存在する実存形式なのである。私はここに、この『植物の生の哲学』の核心を見出した」(209~210頁)。 ★『神経美学』は共立出版さんのシリーズ「共立スマートセレクション」の第30弾。著者の石津智大(いしづ・ともひろ)さんはロンドン大学ユニバーシティ校シニアリサーチフェロー。単独著は本書が初めてのものです。「神経美学〔neuroaesthetics〕とは、認知神経科学の新しい一分野であり、脳のはたらきと美学的経験(美醜、感動、崇高など)との関係や、認知プロセスや脳機能と芸術的活動(作品の知覚・認知、芸術的創造性、美術批評など)との関係を研究する学問です。神経科学者や心理学者だけでなく、哲学者、芸術家、美術史学者などが参画する学際領域です」(まえがき、v頁)。 ★「神経美学の誕生から今日までのおよそ20年弱の成果をまとめ」た入門書である本書は、おそらく本屋さんでは理工書売場に並べられるでしょうけれど、人文書でも併売されると刺激的だと思います。今春刊行された雑誌『思想 2016年4月号:神経系人文学――イメージ研究の挑戦』(岩波書店、2019年3月)や、アンソロジー『イメージ学の現在――ヴァールブルクから神経系イメージ学へ』(東京大学出版会、2019年4月)には、石津さんの論文「神経美学の功績――神経美学はニューロトラッシュか」が収録、再録されています。『神経美学』の目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では本書の「まえがき」などもPDFで閲覧することができます。 ★また、最近では以下の新刊との出会いが出会いがありました。 『吉本隆明全集20[1983-1986]』吉本隆明著、晶文社、2019年9月、本体6,800円、A5判変型上製660頁、ISBN978-4-7949-7120-3 『戦争と資本――グローバルな内戦と統合された世界資本主義』エリック・アリエズ/マウリツィオ・ラッツァラート著、杉村昌昭/信友建志訳、作品社、2019年8月、本体3,800円、46判上製428頁、ISBN978-4-86182-772-3 『戦下の淡き光』マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳、作品社、2019年9月、本体2,600円、46判上製294頁、ISBN978-4-86182-770-9 『モーガン夫人の秘密』リディアン・ブルック著、下隆全訳、作品社、2019年9月、本体3,200円、46判上製402頁、ISBN978-4-86182-686-3 ★『吉本隆明全集20[1983-1986]』は第21回配本。1983年から1986年という時期はニューアカデミズムの流行期と重なっており、戦後日本の資本主義社会がもっとも特異な輝きを見せていたかもしれない時節でした。吉本も、中沢新一、フーコー、ドゥルーズ/ガタリ、坂本龍一、ビートたけし、糸井重里、高橋留美子、コム・デ・ギャルソン、原子力エネルギーといった同時代文化のシンボルたちと本書収録の諸テクストで向き合っています。第20巻には単行本未収録が32篇もあるとのことです。その中でも、出版人として特に興味深いのは、1986年の「編集者としての安原顯」(481~492頁;初出は安原顯『まだ死ねずにいる文学のために』筑摩書房、綴じ込み栞)です。ここでは、物書きと編集者との間の緊張関係についてかなり率直な見解が述べられていますし、編集者の器量や優秀な編集者のタイプについてもはっきりと書かれています。編集者という人種がよく分からないと感じる物書きの方には、このエッセイが理解の一助となるかもしれません。 ★月報21は、中島岳志さんの「「和讃」について」、岩阪恵子さんの「書く習慣」、ハルノ宵子さんの「'96夏・狂想曲」を収録。次回配本についての記載は今回は何もありませんでした。 ★『戦争と資本』は、フランスの哲学者エリック・アリエズ(Éric Alliez, 1957-)と、イタリア出身でパリで活躍する社会学者マウリツィオ・ラッツァラート(Maurizio Lazzarato, 1955-)の共著『Guerres et Capital』(Éditions Amsterdam, 2016)の全訳です。主要目次は以下の通りです。 謝辞 序文 統合された世界資本主義とグローバルな内戦――われわれの敵たちへ 第1章 国家、戦争機械、通貨 第2章 本源的蓄積は続いている 第3章 戦争機械の領有化 第4章 フランス革命の二つの歴史 第5章 恒常的内戦の生政治 第6章 新たな植民地戦争 第7章 フーコーのリベラリズムの限界 第8章 シュミットからレーニンに至る収奪の優先性 第9章 総力戦 第10章 冷戦の戦略ゲーム 第11章 クラウゼヴィッツと六八年の思想 第12章 資本のフラクタル戦争 訳者あとがき 「戦争と平和」ではなく「戦争と資本」という認識への転換――資本主義とは、資本が民衆に対して永久戦争を仕掛ける体制運動である。 ★序文には30項目にわたり本書の主張が先どりされており、その主文は書名のリンク先で確認することができます。そこからいくつか拾ってみます。「現在、金融資本主義が、“グローバルな内戦”を引き起こしている。経済とは、戦争の目的を別の手段により追求することである。資本主義のすべての岐路には「創造的破壊」ではなく“内戦”がある。「総力戦」体制によって、社会とその生産力の戦争経済への全面的従属が始まった。「戦争」と「平和」は、いかなる相違もなくなった。技術革新はすべて、冷戦-総力戦の「破壊のための生産」から/のなかで生まれた。民衆のなかの民衆に対する戦争は、ネオリベラリズムと負債経済のもとに開始された。資本は構造やシステムではなく“戦争機械”であり、経済・政治・技術などすべてが含まれる。資本は「エコロジー危機」を利用して、地球全体の商品化を完遂しようとしている。資本の論理とは、無限の価値化のロジスティクスであり、経済にとどまらない権力を蓄積していく。資本の権力の第一の機能は、“内戦”の存在をその記憶にまで遡って否定することである。本書の目的は、多数多様な形で進行中の本当の戦争の「うなり声」を聞かせることである。対抗しうるのは「抵抗」という現象でしかありえない」。 ★「この本の目的は、経済と「民主主義」のもとで、そしてテクノロジー革命と“一般知性”という「大衆的知性」の背後において、多数多様なかたちで進行中の本当の戦争の「うなり声」を聞かせることにほかならない」(29頁)。訳者あとがきによれば「本書は、「本源的蓄積」(マルクス)、「生政治」(フーコー)、「戦争機械」(ドゥルーズ=ガタリ)といったキイ概念に依拠しながら、リベラリズムと結びついた資本が、いかに世界を「植民地化」し続け、“ネオリベラリズム”と呼ばれる現在の姿に至っているかを、豊富な文献資料を援用しながら解明した一種の「唯物論的歴史哲学」の書であると言えるだろう」(421頁)。日本では一昨年に佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんによる『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチエ、2017年12月)というすばらしい本が出ていますが、アリエズとラッツァラートの『戦争と資本』は、フランスにおけるドゥルーズ=ガタリの思想的後継者たちによる成果と言えるのではないかと思います。 ★本書に続き、原書では第二巻『資本と戦争(仮)』が続刊予定であり、そこでは「68年の奇妙な革命ならびにその革命のその後についての調査をするつもりだ」(31頁)とのことです。そこでは加速主義や思弁的実在論などの「「症候的読解」を大胆に試みることになるだろう」と予告されています。この続篇はまだ未刊ですが、関連書としてラッツァラートは今春『資本はすべての人びとを嫌悪する――ファシズムか革命か』(Le Capital déteste tout le monde: Fascisme ou Révolution, Éditions Amsterdam, 2019)という新著を上梓していることが訳者あとがきの追記で言及されています。 ★『戦下の淡き光』はスリランカ生まれのカナダの作家マイケル・オンダーチェ(Michael Ondaatje, 1943-)の長編小説『Warlight』(Jonathan Cape, 2018)の全訳。前作『名もなき人たちのテーブル』(田栗美奈子訳、作品社、2013年;『The Cat's Table』2011年)より原書では7年ぶり、訳書では6年ぶりの新刊です。出だしはこうです。「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」(6頁)。「そのころ僕は14歳、レイチェル〔主人公「僕」の姉〕はもうじき16歳だった。休暇のあいだは、母が後見人と呼ぶ人物が面倒を見てくれるという。両親による同僚だそうだ。僕らもすでに面識があった――“蛾”という名前を思いつき、そう呼んでいた。うちの家族にはあだ名をつける習慣があって、それはつまり隠しごとの多い家庭ということでもあった。すでにレイチェルは彼が犯罪者ではないかと疑い、僕にもそんなふうに話していた」(7頁)。目次は以下の通りです。 第一部 見知らぬ人だらけのテーブル 第二部 受け継ぐこと 母との暮らし 屋根の上の少年 堀に囲まれた庭 謝辞 訳者あとがき ★「原題のwarlightは、戦時中の灯火管制の際、緊急車両が安全に走行できるように灯された薄明かりを指している。この物語全体もまた、そうしたほのかな明かりに照らされるかのように、真実がおぼろにかすみ、なかなか姿を現さない。登場人物の多くがニックネームで呼ばれ、それぞれに謎を秘めて、意外な役割を担っていたりする。主人公は、自分にとってもっとも難解な謎である母の秘密を突きとめようとするが、淡く射す光のなかを手探りで進むしかない。/著者の話によると、本書の執筆を始めたときは、冒頭の一行しか頭になかったそうだ」(訳者あとがき、293頁)。 ★『モーガン夫人の秘密』はイギリスの作家リディアン・ブルック(Rhidian Brook, 1964-)の小説『The Aftermath』(Random House, 2013)の全訳。帯文に曰く「リドリー・スコット製作総指揮、キーラ・ナイトレイ主演、映画原作小説! 1946年、破壊された街、ハンブルク。男と女の、少年と少女の、そして失われた家族の、真実の愛への物語」。 +++
by urag
| 2019-09-16 19:47
| 本のコンシェルジュ
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