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2019年 07月 28日

注目新刊:バーマン『世界の再魔術化』新版として再刊、ほか

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デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化』モリス・バーマン著、柴田元幸訳、文藝春秋、2019年7月、本体3,800円、A5判並製456頁、ISBN978-4-16-391021-5
真昼の盗人のように――ポストヒューマニティ時代の権力』スラヴォイ・ジジェク著、中山徹訳、青土社、2019年7月、本体2,600円、四六判並製375+iii頁、ISBN978-4-7917-7183-7
ロジェ・カイヨワ『戦争論』――内なる禍々しきもの』西谷修著、NHKテキスト、2019年8月、A5判並製133頁、ISBN978-4-14-223101-7
戦争の記憶――コロンビア大学特別講義:学生との対話』キャロル・グラック著、講談社現代新書、2019年7月、本体840円、新書判200頁、ISBN978-4-06-515430-4
人口論』マルサス著、永井義雄訳、中公文庫、2019年7月、本体900円、文庫判296頁、ISBN978-4-12-206762-2
小林秀雄 江藤淳 全対話 小林秀雄/江藤淳著、中公文庫、2019年7月、本体840円、文庫判256頁、ISBN978-4-12-206753-0

★『デカルトからベイトソンへ』は国文社より1989年に刊行されたものの再刊です。原著『Reenchantment of the World』は1981年刊。「新版のための訳者あとがき(のようなもの)」によれば、「復刊にあたって訳文に若干手を入れた。大きな変更はないが、「~のである」「~なのだ」ふうの断定的口調を全体に少し和らげた。注に挙げられた書物のうち、その後邦訳が刊行された書物については情報を追加した」とのことです。あらたに巻末に、ドミニク・チェンさんによる「精神のプロクロニズムと情感の演算規則〔アルゴリズム〕」が付されています。目次は以下の通りです。

紹介|佐藤良明
謝辞
序章 近代のランドスケープ
第1章 近代の科学意識の誕生
第2章 近代初期ヨーロッパの意識と社会
第3章 世界の魔法が解けていく(1)
第4章 世界の魔法が解けていく(2)
第5章 未来の形而上学へ向けて
第6章 エロスふたたび
第7章 明日の形而上学(1)
第8章 明日の形而上学(2)
第9章 意識の政治学
原注
用語解説
訳者あとがき|柴田元幸
新版のための訳者あとがき(のようなもの)|柴田元幸
復刊に寄せて 精神のプロクロニズムと情感の演算規則|ドミニク・チェン
索引

★「今日、どうすればふたたび精神と社会の安定を取り戻せるのか。その答えはかなり漠然としたものにならざるをえない。いずれにせよ、科学的世界観は、その本質からして必然的に、世界を生の魔法から解き醒ますものであったのであり、したがって近代という時代は、発生当時から大きな不安を内在させていたのであって、数世紀以上その安定を維持することは、もともときわめて困難だった。これは本書の大前提のひとつである。人間の歴史の99%以上にわたって、世界は魔法にかかっていた。人間は自らをその世界の欠かせない一部として見ていたのだ。わずか400年余りで、こうした認識がすっかり覆され、その結果、人間的経験の連続性、人間精神の全体性が破壊されてしまったのである。そればかりか、地球そのものがいまや破壊の一歩手前まで来てしまった。ふたたび魔法を蘇らせることにしか、世界の再生はないように感じられる」(23~24頁)。

★「ここに近代のディレンマの核がある。我々はもういまや錬金術やアニミズムには戻れない。だがもう一方の道はと言えば、原子炉とコンピューターと遺伝子工学がすべてを牛耳る、陰惨な、すべてが管理された、科学至上主義の世界である。その世界はもうほとんど実現しかけている。そんな世界に吸い込まれつつある我々が、何とか種としての生存を保とうとするなら、何らかの形での全体論的意識――すなわち「参加する意識」――を育み、その新しい意識によって社会・政治形態を新しく組み直していかねばならない」(24頁)。「ロバート・ハイルブローナーが思い描いたように、200年後の人びとは、ウォール街やヒューストンのコンピューター・センターを消滅した文明の興味深い遺跡として訪れるのかもしれない。だがそれまでに、何が本当にリアルなのかということの認識が劇的に変革されていなくてはならない」(同)。

★帯文には落合陽一さんによる推薦文が印刷されています。「読了後、20代の僕の認識は決定的に変容した。その熱量はセカイへのシニカルな嘲笑を乗り越えさせ、『魔法の世紀』と『デジタルネイチャー』を僕に書かせた。計算機の魔術性を突破し、主体性を回復するための必読書」。

★『真昼の盗人のように』は『Like a Thief in Broad Daylight: Power in the Era of Post-Human Capitalism』(Allen Lane, 2018)の全訳。訳者の中山さんは本書を『絶望する勇気――-グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』(中山徹/鈴木英明訳、青土社、2018年)の続篇としての側面をもっている、と「訳者あとがき」で指摘しています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「われわれの文明を文明化するためには根本的な社会変革――革命――が必要であるという結論は、避けられない。新たな戦争が新たな革命をもたらすという希望をもつ余裕は、われわれにはない。新たな戦争が起これば、それは革命ではなく、おそらくそれ以上に、既存の文明の終わりを意味するからだ。そのとき生き残るのは(いれば、のはなしだが)、小さな権威主義者たちの集団だけであろう。しかしながら、この文明を文明化するプロセスをさまたげる主な障害は、宗教セクトによる原理主義的暴力ではなく、むしろ、それとはいっけん対立するもの、シニカルな無関心である」(331頁)。



★なおジジェクとラクラウ、ジュディス・バトラーらの共著『偶発性・ヘゲモニー・普遍性――新しい対抗政治への対話』(竹村和子/村山敏勝訳、青土社、2019年7月)が今月新装版として復刊されています。この新装版には新たに山本圭さんの解説が付されていると聞き及んでいます。

★『ロジェ・カイヨワ『戦争論』』は8月にEテレで放送される「100分de名著」のテキスト。カイヨワの『戦争論――われわれの内にひそむ女神ベローナ』(秋枝茂夫訳、法政大学出版局、1974年;新装版、2013年)を題材に、全4回で構成されます。以下に目次を掲げます。

はじめに 人間にとって戦争とは何か
第1回 近代的戦争の誕生(8月5日放送、7日再放送)
第2回 戦争の新たな次元「全体戦争」(12日放送、14日再放送)
第3回 内的体験としての戦争(19日放送、21日再放送)
第4回 戦争への傾きとストッパー(26日放送、28日再放送)

★「「人権」の理念こそが、戦争の苦悶と悲嘆の中から「女神ベローナ」が生み出したもう一つの「聖なるもの」だといってもいいでしょう。この「人権」を、わたしたち自身のものとして、すべての人びとのものとして、粘り強く現実化していくことが、たとえそれがハイテク化された世界の中では愚鈍なふるまいに見えるとしても、避けがたく露わな「戦争への傾き」に対する最も基本的な「堰き止め」になるのではないでしょうか。だからこそ、いまわたしたちが『戦争論』を読む意味もあるのです」(132頁)。

★『戦争の記憶』は、2017年11月から2018年2月にかけて、ニューヨークのコロンビア大学にて全4回で行なわれた、学生との対話の記録です。『ニューズウィーク日本版』に全4回の特集「コロンビア大学特別講義」として掲載されたもの(第1回「戦争の物語」2017年12月12日号;第2回「戦争の記憶」2018年3月20日号;第3回「「慰安婦」の記憶」2018年3月27日号;第4回「歴史への責任」2018年4月3日号)をまとめたもので、「はじめに」と「おわりに」や3本のコラム(「パールハーバー」「慰安婦が世界にもたらしたもの」「原爆~その原因と結果」)が併載されています。関連する記事は『ニューズウィーク日本版』のウェブサイトで読むことができます。著者は「はじめに」でこう書いています。「過去の戦争についてのそれぞれの国民の物語がぶつかり合い、現在において政治的かつ感情的な敵対心が生まれている。こうした「記憶の政治」にうまく対応するための一つの方法は、他国の「記憶」を尊重しつつ、それぞれの記憶に「歴史」をもっと加えていくことだ」(4頁)。

★またこうも述べています。「私たちは戦争の記憶について意見を交換し合い、自分だけの見方にともなう限界や、複数の見方に触れることで得られる利点について、お互いから学び合った。全4回を通じて、学生たちは過去(歴史)についてより多くの知識を得ることや、多様な見方(記憶)を尊重すること、そして過去と未来の両方(歴史と記憶の両方)に責任を持つことの必要性を語っていた。/学生たちが対話を通して明らかにしたように、私たちに変える責任があるのは過去ではない。未来なのだ」(8頁)。

★中公文庫7月新刊より2点。『人口論』は1973年9月刊の文庫の改版(新組)で、中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊。巻末の「編集部付記」によれば、「訳注のうち、地名の表記については、編集部の判断で新たな情報に改めた箇所がある」とのことです。改版にあたり、新たに藤原辰史さんによる解説「人間の不完全性」が付されています。「制御できない欲望を抱え込み、欲望の広がりを認め、疲労と共存する人間の不完全性と、人間が掘り起こせる自然の力の限界を前提にしつつ、それでも貧困が少なくなり、市場からはじかれた人間の生存を共同でフォローできる社会を構想することは難しいだろうか。/感嘆であれば、今頃世界はこんなに暗くはなかっただろう。だが、不可能であれば、今頃世界はもっと暗かったに違いない。計画と放任のあいだ。自然と人工のあいだ。理想と現実のあいだ。『人口論』が図式化したこの二項対立は現代社会でも生きている」(290~291頁)と藤原さんは本書の意義を認めておられます。なお、藤原さんは先月二冊の新刊を上梓されています。一冊は自著『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社)であり、話題書となっています。もう一冊は編書で『歴史書の愉悦』(ナカシニヤ出版)です。

★『小林秀雄 江藤淳 全対話』は文庫オリジナル編集で、2氏の全対談5篇が発表年代順に並び、関連作品が併録したたもの。目次は以下の通り。


美について
孤独を競う才能
歴史と文学
歴史について
伝統回復あせる(江藤淳)
三島君のこと(小林秀雄)
『本居宣長』をめぐって
小林秀雄氏の『本居宣長』(江藤淳)

第九回新潮社文学賞選後感(小林秀雄)
江藤淳「漱石とその時代」(小林秀雄)
言葉と小林秀雄(江藤淳)
絶対的少数派(江藤淳)
解説 三島由紀夫氏の死をめぐる小林秀雄と江藤淳(平山周吉)

★1970年11月26日の日経新聞に掲載さっれた江藤さんの談話「伝統回復あせる」より引きます。「もとより国外に出て戦争を始めるというわけにはいかない。イラ立ちは必然的に、同胞のなかに敵を探す行動に移る。「仲間のうちで悪いヤツは誰なのだ!」――その問いがイラ立ちをまぎらせる逃げ道となる。/私たちは戦争中の戦後の極度の食糧欠乏に耐えてきた。占領軍がパンパンを小わきに街を闊歩する屈辱にも耐えてきた。しかし、目に見えぬこのイラ立ちには、耐えられないというのだろうか。/私は、現在の「日本人が日本の運命をしっかり握れぬ時代」はなお続くと考えている。待ちきれぬ人はまだ今後も形を変えて過激な行動に出ることだろう。待ちきれずに異常な行動に走るのは、一言でいえば「普通の日本人との連帯」を信じきれなくなった悲しい人たちである」(167頁)。この評言より半世紀経とうという今でも、現代人はその分析内容に立ち帰る必要があるように思われます。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

ヒップホップ・レザレクション――ラップ・ミュージックとキリスト教』山下壮起著、新教出版社、2019年7月、本体3,200円、A5判変型264頁、ISBN978-4-400-31090-7
「差別はいけない」とみんないうけれど。』綿野恵太著、平凡社、2019年7月、本体2,200円、4-6判並製320頁、ISBN978-4-582-82489-6
心の病気ってなんだろう?』松本卓也著、平凡社、2019年7月、本体1,400円、4-6判並製288頁、ISBN978-4-582-83809-1
世界戦争の世紀――20世紀知識人群像』桜井哲夫著、平凡社、2019年7月、本体6,400円、A5判上製848頁、ISBN978-4-582-70361-0
移動する民――「国境」に満ちた世界で』ミシェル・アジエ著、吉田裕訳、藤原書店、2019年7月、本体2,200円、四六変型上製168頁、ISBN978-4-86578-232-5
詩情のスケッチ――批評の即興』新保祐司著、藤原書店、2019年7月、本体2,500円、四六判上製288頁、ISBN978-4-86578-233-2
ヒロシマの『河』――劇作家・土屋清の青春群像劇』土屋時子・八木良広編、藤原書店、2019年7月、本体3,200円、A5判並製360+カラー口絵12頁、ISBN978-4-86578-231-8
後藤新平と五人の実業家――渋沢栄一・益田孝・安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎』後藤新平研究会編著、藤原書店、2019年7月、本体2,700円、A判5並製240頁、ISBN978-4-86578-236-3

★『ヒップホップ・レザレクション』は帯文に曰く「異色の歴史神学にしてヒップホップ研究の新たなクラシック」と。序章には「本書の目的はヒップホップをアフリカ系アメリカ人の宗教的伝統に位置づけることをとおして、ヒッポホップがアフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代に対して果たす救済的機能を明らかにすることである」(2頁)。「ヒップホップが示すのは、ヒップホップ世代の若者は協会やキリスト教といった宗教に批判的であるだけでなく、新しい宗教性を構築しているということである。そのような、いっけん宗教とは無縁に見えるヒップホップの宗教性が示す、インナーシティに生きる人々の生の豊かさを、本書をとおして感じ取っていただけると幸いである」(12~13頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。印象的な造本設計は宗利淳一さんによるもの。

★平凡社さんの7月新刊より3点。『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は批評家・綿野恵太(わたの・けいた:1988-)さんの単独著第一作。「セクハラやヘイトスピーチが跡を絶たないのは、「差別はいけない」と叫ぶだけでは解決できない問題がその背景にあるからである。本書は、彼/彼女らの反発を手がかりにして、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫っていきたい」(8頁)。「本書は、みんなが差別を批判できる時代は望ましいという立場をとるが、スケープゴートというかたちで、差別批判が「炎上」として消費されることには抵抗したい、本書はその抵抗のための手がかりになりたい、と考えている」(17頁)。「経済と差別というふたつの領域で平等を求める闘いをすべきだ」(314頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。同書は発売と同時に重版が決まったそうです。同書の書評をご執筆予定の千葉雅也さんは「『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は、『欲望会議』と一緒に読んで欲しい本」とツイートされています。

★『心の病気ってなんだろう?』はシリーズ「中学生の質問箱」の第12弾。「はじめに」に曰く「この本では、最初に心の病気について全般的なことを話したあとで、心の病気をひとつひとつとりあげて、心の病気を「わかる」ための手がかりを提供したいと思います」(7頁)。「心の病気ってどういうもの?」「心の病気の人はどんなふうに困っているの?」「心の病気でもくらしやすい社会ってつくれるの?」の3章立て。ご自身の診察された経験だけでなく、ヤスパース、クルト・シュナイダー、テレンバッハ、フロイト、ラカン、中井久夫、木村敏、信田さよ子さんらの臨床も参照しているとのことです。「「心の病気というのはそもそも回復しやすい(直りやすい)ものだ」と考えることが必要です」(273頁)。「「回復する」ということは、前の状態とは違う形の生き方を手に入れられるようになることです」(274頁)。

★『世界戦争の世紀』は「二つの世界戦争という政治現象を柱にしつつ、その流れのなかに翻弄され続けたヨーロッパ知識人の思想と行動をからめながら、二十世紀の歴史と思想を跡づけようとする」試み(24頁)。「第一次世界大戦と精神の危機」「戦間期の政治運動と知識人たち」「収容所と亡命の時代」の三部構成。『戦争の世紀』(1999年)とその2つの続編『戦間期の思想家たち』(2004年)、『占領下パリの思想家たち』(2007年)を基盤にした新規の書き下ろしである、と「あとがき」にあります。A5判で800頁を超える大冊です。

★本書に登場する人物たちが帯に列記されているので、転記しておきます。複数出てくる同姓は索引を参照しカッコ内に名を補足します。「アラゴン、アーレント、アロン、ウィルソン(ウッドロー/エドマンド)、ヴェイユ(アンドレ/アントワーヌ/シモーヌ:1909-43/シモーヌ:1927-2015、ベルナール)、エリュアール(ガラ/ポール)、カミュ、ガリマール(ガストン/ミシェル)、カンギレム、ケインズ、ゲッベルス、サルトル、サン=テグジュペリ(アントワーヌ・ド/コンスエロ)、ジッド(アンドレ/シャルル)、ジノヴィエフ、スヴァーリン、スターリン、ダラディエ、チャーチル、デア、デリダ、ド・ゴール、ド・マン(アンリ/ポール)、ドリュ=ラ=ロシェル、トロツキー、ニザン、ハイデガー(エルフリーデ/マルティン)、バタイユ(ジョルジュ/ロランス)、ヒトラー、フーコー、フリードマン、ブルトン(アンドレ/ジャクリーヌ)、ブルム、フロイト(アンナ/エヴァ/オリヴァー/ジグムント)、ブロック、ペタン、ホー・チ・ミン、ボーヴォワール、マルロー(クララ/アンドレ/ロラン=フェルナン=ジョルジュ)、ムッソリーニ、モース、ユンガー、ラヴァル、ルフェーヴル(アンリ/レイモン)、ル=ロワ=ラデュリ、レヴィ=ストロース(クロード/レイモン)、レーニン、レリス、ロスメル。

★藤原書店さんの7月新刊より4冊。まず『移動する民』は、『Les migrants et nous : comprendre Babel』(Paris : CNRS, 2016)の全訳に、日本語版のために寄せられた論文「ヨーロッパにおける歓待とコスモポリット性、その今日と明日」を加えた一冊。原注によれば、追加テクストは、2018年9月26日にマルセイユのヨーロッパ・地中海文明博物館でなされた講演を元にしたものであり、著書『到来する外国人』(未訳、2018年)で展開された議論の一部を再収録しているとのこと。著者のミシェル・アジェ(Michel Agier, 1953-)は民族学者・人類学者。パリの社会科学高等研究院EHESSの研究指導教授。

★「彼ら〔移動民〕が明らかにする事実、私たちは地域的つまり国家的という活動領域を越え出る世界の中にいるという事実は、必然的に、強く実感され、痛みを伴い、危険をはらむ経験となる。しかし、この事実は、同じくらいに、自分自身の住み処にいつことから遠く離れた未来に向けての、つまり事実上の複層をなす地域性の中で構築される未来に向けての、期待と希望と企てに満ちてもいる。それは実践的なコスモポリティスムであって、世界に関するこの経験の現実性を証明するためにグローバル主義者の言説を必要としない。それはすでに事実の常態にある。つまり私たちは現実に、数々の境界に満ちた世界の中に存在しており、そして自分の日々の生活を組織することのうちで、また社会の中での自分の位置を決めることのうちで、世界との関係を整えなければならない」(114~115頁)。

★『詩情のスケッチ』は文芸批評家の新保祐司(しんぽ・ゆうじ:1953-)さんの評論集。「見るべき程の事は見つ――平知盛」「北の国のスケッチ」「楽興の詩情」の3部構成。あとがきによれば、第Ⅰ部は隔月刊誌「表現者」での連載「終末時計の針の下に」(平成19~22年、全17回)を改題したもので、第Ⅱ部は隔月刊誌「北の発言」での連載「北の国のスケッチ」(平成15~17年)の「大半」を収めたものとのこと。第Ⅲ部は月刊誌「音楽現代」に折々に掲載された批評文(平成5~20年)をまとめたもの。冒頭の「序」は書き下ろしです。その序で著者はこう書いています。「私が、水平化の世界に生きつつ、いつも願っていたものは、「上よりの垂直線」を招来することに他ならなかった。そこに「見るべき程の事」は、「不意の出現」をし、そこから詩情が生まれるからだ。そして、人間に出来ることは、それをスケッチすることだけである」(16頁)。

★『ヒロシマの『河』』は「昭和5年に生まれ、戦争と政治に翻弄され十代の青春期を九州で暮らし、昭和30年から亡くなる昭和62年まで、広島の地で「演劇」に人生をかけた「土屋清」の生き方と、半世紀以上経っても色あせずに残っている名作『河』の軌跡を追うものである」(「まえがき」より)。「土屋清とはどのような人物か」「『河』とはなにか」「土屋清の語り部たち――『河』を再生・生成すること」「『河』上演台本(2017年)」の4部構成。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「『河』は、原爆投下後の廃墟から奇跡的な復興を遂げた広島の、「炎の時代」を描いた物語であり、「原爆詩人」峠三吉(1917-1953)がその仲間と共に、理想とする社会の実現に向けて葛藤しながら、時代を駆け抜けていった「青春群像劇」」(同前)。

★『後藤新平と五人の実業家』は副題にも記載されている5人、渋沢栄一・益田孝・安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎が「後藤新平としばしば協力・支援・理想を共にしている。だが過去において、これら実業家と後藤新平との関係をとりまとめた学界内外での研究は、見当たらない」(6頁)ことから編まれたもの、「本書はこの点に焦点をおいて調査した結果の修正である。最初の試みとして各実業家の出生から経歴と企業活動をひととおり記し、そのなかで後藤新平とのかかわりも考察することとしている」(由井常彦「序にかえて」6頁)。「後藤が、最晩年に遺した言葉に、「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」「一に人、二に人、三に人」とある。〔…〕この社会を作るのは人。肌の色も、言葉も生活習慣・・・も違う人びとが、お互い認め合い敬愛して生きていく道はないものか」(藤原良雄「あとがき」175頁)。

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by urag | 2019-07-28 23:22 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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