2019年 05月 20日
『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ著、二階宗人訳、みすず書房、2019年5月、本体6,400円、A5判上製416頁、ISBN978-4-622-08703-8 『現代「液状化社会」を俯瞰する――〈狂気の知者〉の饗宴への誘い』ウンベルト・エコ著、谷口伊兵衛/G・ピアッザ訳、而立書房、2019年5月、本体2,400円、A5判上製224頁、ISBN978-4-88059-413-2 『理性の病理――批判理論の歴史と現在』アクセル・ホネット著、出口剛司/宮本真也/日暮雅夫/片上平二郎/長澤麻子訳、法政大学出版局、2019年5月、本体3,800円、四六判上製326頁、ISBN978-4-588-01093-4 『インフラグラム――映像文明の新世紀』港千尋著、講談社選書メチエ、2019年5月、本体1,700円、四六判並製256頁、ISBN978-4-06-516217-0 ★『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』は『Matters of Testimony: Interpreting the Scrolls of Auschwitz』(Berghahn Books, 2016)の全訳。「本書は、ビルケナウ強制収容所の死体焼却施設の作業に従事したゾンダーコマンド〔特別作業班〕の班員たちが、70年以上前に書き記した一連の手書き文書を取り上げたものである。これらの文書は一般に「アウシュヴィッツの巻物」と呼ばれ、書かれた後、いつの日か堀り出されて日の目を見ることを願って、灰や土の下に入念に埋めて隠された。死体焼却施設〔クレマトリウム〕の敷地はその結果、ほかに類をみない蛮行の記録を保存する最初の現場となった」(まえがきより)。 ★「こうした文書を書くことはたんなる一個人の仕事ではなかった。それが書かれるために必要なさまざまな文具、すなわち紙、ペン、インクは、強制収容所内での物々交換や取引のネットワークを通じたいわゆる組織化によって入手しなければならなかった。同時に、埋めた文書を保存する容器、すなわちここで言及されている広口瓶や箱を見つけてくるのは共有された仕事であった」(131~132頁)。ゾンダーコマンドの一人、ザルマン・グラドフスキはこう綴っています。「われわれは自分たちの感受性を麻痺させ、あらゆる悲痛な思いを鈍らせなければならない。われわれは体のいたるところを吹き抜ける暴風のような恐怖心を強い意志で克服しなければならない。われわれはなにも見ず、なにも感じず、なにも理解しないロボットと化さなければならない」(121頁)。2019年に刊行された本の中でももっとも重要な一冊となる予感がします。 ★『現代「液状化社会」を俯瞰する』はエコ(エーコとも)の「最後の遺著」(訳者あとがき)である『Pape Satàn Aleppe. Cronache di una società liquida』(La nave di Teseo, 2016)の抄訳。原書は週刊『エスプレッソ』誌の連載コラム「ミネルヴァの知恵袋」をまとめたもので、抄訳では50篇強が収められています。過去に同コラムをまとめた書籍の訳書としては『歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア』(リッカルド・アマデイ訳、岩波書店、2013年)がありました。今回の訳書では、『開かれた作品』(篠原資明/和田忠彦訳、青土社、1984年;新新装版2011年)では訳出されていなかった「禅と西欧――アラン・W・ワッツ『禅の精神』への注記」が付論として掲載されており、さらにエコ研究の第一人者トマス・シュタウダーさんによる解説「燦然たる輝き――現代版農学者の独創的な思考実験」が付されています。 ★『理性の病理』は『Pathologien der Vernunft: Geschichte und Gegenwart der Kritischen Theorie』(Suhrkamp, 2007)の全訳。巻頭に「日本語版への序文」が置かれています。「フランクフルト学派のアプローチにとって固有なものが、他の理論との差異においていったいどの点にあったのかを、より深い地点から掘り起こし、より正確に詳らかにすること〔…〕このことの探究の成果が、この本に収められている論文の数々なのです。すなわち、私はそこで、フランクフルトのメンバーたちをある考え方が束ねていた、というテーゼを素描しようとしたのです。つまり、歴史が展開していった結果、資本主義的な経済関係が確立するとともに、社会のあり様全体に目をやれば「理性の社会的病理」と言えるような、そうした状態に陥っているという考え方です」(iv頁)。「この社会形式は、ただ道具的な合理性だけ、あるいは機能的合理性だけしか許さないがために、私たちの理性の能力の「病理」を蔓延させてしまうのです」(同頁)。「合理性のこの新しい」形式はただ、私たちの理性を不完全なかたちでのみ、つまり制限された状態でのみ発揮することしか許さない」(v頁)。批判理論の「可能性としてのアクチュアリティ」(序言、1頁)に迫る好著。 ★『インフラグラム』は講談社選書メチエの702番。「本書は地球を覆うにいたった映像の文明を眼差しの歴史として考える試みである」(はじめに、4頁)。「扱う範囲は、およそ写真が発明された19世紀前半から今日までになるが、特に社会の情報化が進みデジタルメディアが日常生活を大きく変えてゆく、1990年代以降に焦点を当てている。2010年代に始まるスマートフォンの爆発的な成長と、映像やメッセージの拡散と共有文化の拡大は、コミュニケーションのありかたを変えてきたが、そこで映像の生産と消費は区別できないほど一体化している。私たちの生活は、かつてアルビン・トフラーが予見した「生産消費者」のそれに近い。/その生活に欠かせないのがカメラである。〔…〕いまや地球全体が無数の「瞬かない眼」に見つめられていると言ってもいい」(同頁)。「情報化社会のインフラとなった写真や映像を、わたしは「インフラグラム」と呼ぶ。〔…〕インフラ化とはすなわちブラックボックス化である。インフラグラムは映像のブラックボックス化を伴う」(70頁)。『映像論』(NHK出版、1998年)から20年、昨年上梓された『風景論――変貌する地球と日本の記憶』(中央公論新社、2018年)とともにひもときたい1冊です。とりわけ出版人や書店人はインフラグラムの時代における書籍編集、書籍販売とは何か、読書とは何か、を考えるために、時代背景を本書から学んでおくべきかと思われます。 ★続いて最近の注目新刊を列記します。 『パイドン』プラトン著、納富信留訳、光文社古典新訳文庫、2019年5月、本体920円、文庫判330頁、ISBN978-4-334-75402-0 『千霊一霊物語』アレクサンドル・デュマ著、前山悠訳、光文社古典新訳文庫、2019年5月、本体1,020円、文庫判404頁、ISBN978-4-334-75400-6 『法水麟太郎全短篇』小栗虫太郎著、日下三蔵編、河出文庫、2019年5月、本体1,100円、文庫判456頁、ISBN978-4-309-41672-4 『まちの本屋――知を編み、血を継ぎ、地を耕す』田口幹人著、ポプラ文庫、2019年5月、本体660円、文庫判207頁、ISBN978-4-591-16300-9 『ファウスト 悲劇第一部』ゲーテ著、手塚富雄訳、中公文庫、2019年5月、本体1,400円、文庫判472頁、ISBN978-4-12-206741-7 『ファウスト 悲劇第二部』ゲーテ著、手塚富雄訳、中公文庫、2019年5月、本体1,600円、文庫判640頁、ISBN978-4-12-206742-4 『戦後と私・神話の克服』江藤淳著、中公文庫、2019年5月、本体1,000円、文庫判320頁、ISBN978-4-12-206732-5 ★まず光文社古典新訳文庫より2点。『パイドン』は古典新訳文庫でのプラトン新訳の6点目。「ソクラテス最期の日、獄中で弟子たちと対話する、プラトン中期の代表作」(カバー表4紹介文より)。ソクラテスが魂の不死について訪問者たちと縦横に語り合い、最後に従容として毒杯を仰いで死ぬという胸打つ場面までを、若い弟子のパイドンが思い出して語るという形式で描かれた、名編です。訳者による側注と補注を合わせると470項目もあり、さらには50頁を超える巻末解説が付されています。文庫で入手可能な『パイドン』の既訳には岩田靖夫訳(岩波文庫、1998年、在庫僅少)があります。 ★『千霊一霊物語』は1849年の『Les Mille et Un Fantômes』の初訳。もともとは「コンスティテュショネル」紙での連載で、かの『千夜一夜物語』に倣い、語り手であるデュマによって奇譚の数々が披露されます。語りの中の語り手の語り、さらにその語りの中の語り手の語り、というような入れ子構造が見られるのも『千夜一夜物語』に似ています。そもそも『千夜一夜物語』は幼少期のデュマの愛読書だったそうです。 ★『法水麟太郎全短篇』は河出文庫での小栗虫太郎本の5点目。かの『黒死館殺人事件』『二十世紀鉄仮面』(河出文庫でそれぞれ2008年、2017年に刊行済)の名探偵、法水麟太郎(のりみず・りんたろう)が登場する短篇8作をまとめたもの。収録作は以下の通り。「後光殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」「夢殿殺人事件」「失楽園殺人事件」「オフェリヤ殺し」「潜航艇「鷹の城」」「人魚謎お岩殺し」「国なき人々」。巻末の編者解説によれば、河出書房新社のシリーズ「レトロ図書館」より『小栗虫太郎エッセイ集成(仮)』が刊行予定とのことです。 ★『まちの本屋』はポプラ社より2015年に刊行された単行本を加筆修正して文庫化したもの。主要目次は以下の通り。 文庫版はじめに 第1章 僕はまちから本屋を消した 第2章 本屋はどこも同じじゃない 第3章 一度やると本屋はもうやめられない 第4章 本屋には、まだまだできることがある 第5章 まちの本屋はどこへ向かうべきなのか その後の『まちの本屋』 文庫版あとがき ★「その後の『まちの本屋』」が新規の書き下ろし。「これから僕は、書店が書店として存在し続けられる「仕組み」をつくる仕事をしていきたいと思っています」(201頁)と書いた田口さんは現在、某取次にお勤めです。3月の某「ホワイエ」のツイートにご登場。文庫版あとがきにはこう書かれています。「個人書店がつぶれるのは大型書店やネット書店のせいなどと、誰かのせいにしていても何の解決にもならない。〔…〕それぞれの会社や店の軸がどこにあるのか。〔…〕本の未来に寄り添い続ける、強い本屋がつくりたい」(204頁)。 ★『ファウスト』第一部、第二部は、中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊でまもなく発売。旧版(全3分冊、1974~1975年、第一部全1巻、第二部は全2巻)はしばらく第二部が品切になっていましたが、今般第二部上下巻を合本して、第一部と第二部で全2巻本として新組で再刊されます。第一部には訳者の手塚さんによる「解説――一つの読み方」のほかに、巻末エッセイとして、河盛好蔵さんによる「渾然たる美しい日本語」と、福田宏年さんによる「自然に胸にしみいる翻訳」を新たに掲載。これは親本である1971年の『ファウスト 悲劇(全)』の月報から採ったもの。第二部には巻末エッセイとして中村光夫さんによる「『ファウスト』をめぐって」が収められています。こちらは筑摩書房版『中村光夫全集』第10巻から採ったもの。現在も入手可能な文庫で読めるゲーテ『ファウスト』には、相良守峯訳全2巻(岩波文庫、1958年)、 高橋義孝訳全2巻(新潮文庫、1967年)、柴田翔訳全2巻(講談社文芸文庫、2003年)、池内紀訳全2巻(集英社文庫ヘリテージ、2004年)などがあります。 ★『戦後と私・神話の克服』はまもなく発売。没後20年の文庫オリジナル編集で、3部構成に11篇を収めた批評・随筆集です。目次は以下の通り。 Ⅰ 文学と私 戦後と私 場所と私 文反古と分別ざかり 批評家のノート Ⅱ 伊藤静雄『反響』 三島由紀夫の家 大江健三郎の問題 神話の克服 Ⅲ 現代と漱石と私 小林秀雄と私 解説 江藤淳と「私」(平山周吉) ★「批評家のノート」は、自選著作集『新編 江藤淳文学集成』(全5巻、河出書房新社、1984~85年)の各巻のあとがきである「著者のノート」を改題して同文庫で初めてまとめたもの。中公文庫での江藤さんの単独著は今回が初めての刊行となります。 ★なお中公文庫の来月新刊ではマラパルテの『クーデターの技術』(手塚和彰/鈴木純訳、中公選書、2015年)が「註釈を増やして」文庫化される模様です。 +++
by urag
| 2019-05-20 01:52
| 本のコンシェルジュ
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