2019年 02月 11日
『クリオ――歴史と異教的魂の対話』シャルル・ペギー著、宮林寛訳、河出書房新社、2019年2月、本体3,200円、46変形判上製436頁、ISBN978-4-309-61996-5 ★『クリオ』は池澤夏樹さん監修のシリーズ「須賀敦子の本棚」の第6弾。フランスの作家ペギー(Charles Péguy, 1873-1914)の死後出版『Clio, dialogue de l'Histoire et de l'âme Païenne』(Gallimard, 1932)の全訳。凡例によればプレイヤッド版『ペギー散文全集』第3巻(1992年)を適宜参照したとのことです。巻末に監修者の池澤さんによる「解説、あるいはペギー君の「試論」の勝手な読み」が付されています。同著には抄訳本(『歴史との対話――『クリオ』』山崎庸一郎訳、中央出版社、1977年)がありますが、今回の新訳は初めての全訳です。 ★旧訳のカヴァー表4に記載された紹介文と新訳の帯文を見比べてみます。 中央出版社版 「神が人間を歴史家としてつくったことは、神の最大の恩寵であり、最大の慈悲である……」。人間は、老いるとき、過去と和解し、出来事の歴史家となり、形骸化のなかに安住する。だが、歴史として客観的な記載の対象となることを拒否する真の出来事とは何か。本書においてペギーは、イエス事件というテキストの解説、ドレフュス事件というテキストの解説を通じて、真の神秘観の復興、神秘的宗教としてのキリスト教の意義を説く。/『われらの青春』についで、ここに見られるのは、40歳という年齢を通過したペギー、ベロニカがその手巾にイエスの顔を写し取ったように、出来事の刻印である弾痕をその顔に受けて地に伏す直前のペギーの、現代世界に対する悲痛なる糾弾であり、その病患の摘出であり、彼のかけがえのない遺著である」。 河出書房新社版 歴史の女神クリオが語る、老いとは何か、歴史とは何か――。ドゥルーズ、ゴダール、ベンヤミンらが深く愛した究極の名著、初完訳! カトリック左派の中心的な思想家として知られ、須賀敦子も敬愛したペギーが、モネの「睡蓮」やヴィクトル・ユゴーの作品を主軸に、その思索を結実させた傑作。 ★『クリオ』の成立過程については今回の新訳の、宮林さんによる「訳者あとがき」に説明があります。「1909年から翌10年にかけて、ペギーは長大な歴史論に取り組んでいる。残された草稿は423枚。研究者のあいだで『クリオⅠ』と呼びならわされ、一時期ペギーが『歴史と肉的魂の対話』と呼んでいた未完の作品だ。時が流れて1912年6月、いったん中断した対話の改稿に着手したペギーは『クリオⅠ』の冒頭部分だけを残し(本書76ページの「ヴィシュヌ神が早急のロチュスに座することはもはやない」まで)、残りはすべて放棄したうえで、984枚にもおよぶ展開を書き加えることになった。こうして成立したのが本書『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(通称『クリオⅡ』である」(422頁)。 ★これに続き宮林さんは、中央出版社版の紹介文中にあったベロニカ(ヴェロニカ)について次のように説明されています。「1913年6月の時点でペギーはまだ『クリオⅡ』を執筆中だったことが書簡等の資料から明らかになっている。正確な時期はわからないが、『クリオⅠ』から『クリオⅡ』に移る過程でペギーが第二の対話を構想し、「記載」に終始する不毛な歴史と、年代記作者の態度で出来事を捉える「記憶」の働きを、それぞれクリオと聖女ヴェロニカに託そうとしたこともわかっている。十字架を背負ってゴルゴタの丘へと向かうイエス・キリストの通り道にたまたま居合わせ、その顔をぬぐうことでイエスの面貌を手巾に写し取った聖女ヴェロニカは、無際限によみがえる記憶を体現した人物として登場するはずだった。対話篇同士の対話を想定した、実に興味深い作品構想ではあるのだが、ヴェロニカの存在は『クリオ』で一度暗示されたきりで(本書298頁)、聖女の名を題名に含む対話篇は書かれずじまいになった。対話篇同士の対話が実現すれば、ペギーの資質と思索の在り方を、これ以上なく純粋な形で表現する作品になっていただろう」(422~423頁)。 ★ペギーはクリオにこう語らせます。「老いるとは、年齢が変わったことではなく、年齢が変わりつつある、というよりもむしろ、同じ年齢に固執し、長くとどまりすぎたことを言う」(336頁)。「老いとは、まさしく人間そのものなのだ」(338頁)。「老いはその本質からして〔…〕回顧と、哀惜の活動にほかならない」(同頁)。「哀惜ほど崇高で、美しいものはどこにもないし、最も美しい詩は哀惜の詩だ」(339頁)。「老いはその本質からして記憶の活動にほかならない〔…〕。それに記憶の働きがあるからこそ、人間にはあれだけの奥行きが生まれた。(ベルクソンはそう考えている〔…〕。今でもまだベルクソンの著作を引用することが許されるなら、『物質と記憶』と、『意識の直接与件についての試論〔時間と自由〕』を読んでごらんなさい。)」(同頁)。「記憶ほど歴史に逆行し、歴史とかけはなれたものはない。また歴史ほど記憶に逆行し、記憶とかけはなれたものはない。そして老いは記憶の側にあり、記載は歴史の側にある」(同頁)。 ★「記載と想起は直角をなす〔…〕。つまり記載が水平の線だとしたら、それに接する想起の勾配は90度になる。歴史はその本質からして縦走的であり、記憶はその本質からして鉛直である。歴史はその本質からして出来事に沿って進むことで成り立つ。記憶はその本質からして出来事の中にあり、まずは絶対外に出ないことによって、内側にとどまることによって、それから出来事の中を遡ることによって成り立つ。/記憶と歴史は直角を形成する」(342頁)。「出来事は決して均質ではなく、たぶん有機的な組成をもつ〔…〕。緊張と弛緩、安定期と激動期を繰り返し、振動の幅と、隆起点と、臨界点もあらわれ、暗い平原が開けたかと思えば突如として中断符で終わる」(392頁)。ここから「何も起こりはしなかった。それなのに世界は相貌を変え、人間の悲惨も変わった」(393頁)に至る記述には圧倒的な迫力があります。 ★「40歳の男は、今まさに青春から抜け出したという感覚があるだけでなく、自分の内面を覗いて、失った青春に目を凝らす。だから40歳の男には老いるとはどういうことであり、老いとはそもそもなんであるのかということが、ちゃんとわかっている」(368頁)。「40歳の男は、20歳の男が詩人であるのと同様、年代記作者であり、回想録作家であることをその本分とする。ところが20歳を過ぎた人間はもはや詩人ではなく、40歳を過ぎた人間はもはや回想録作家ではない」(369頁)。「40歳の男は〔…〕これから自分は歴史家になると感じ」る(369~370頁)。この書物は年齢に限らず「老い」を感じている読者こそが味わえるものなのかもしれません。 +++ ★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。 『インポッシブル・アーキテクチャー』五十嵐太郎監修、埼玉県立近代美術館/新潟市美術館/広島市現代美術館/国立国際美術館編、平凡社、2019年2月、本体2,700円、A4判並製252頁、ISBN978-4-582-20715-6 『中国ドキュメンタリー映画論』佐藤賢著、平凡社、2019年2月、本体5,000円、A5判上製344頁、ISBN978-4-582-28265-8 『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』安東量子著、みすず書房、2019年2月、本体2,700円、四六変型判上製296頁、ISBN978-4-622-08782-3 ★『インポッシブル・アーキテクチャー』は同名の巡回展の公式図録。20世紀以降の国内外のアンビルト建築を紹介するもので、建築されなかった/できなかったものたちの群れは、ひょっとしたらありえたかもしれないもうひとつの世界を想像させ、見る者に豊かな霊感をもたらします。正式な書名(展覧会名)は、インポッシブルに取り消し線が引かれています。図録は論考や作品図版とともに年表を掲載しており、たいへん充実した保存版です。展覧会の図録でなければ倍の値段はするであろう内容と造本で、最初から最後までワクワクさせてくれる素晴らしい一冊。 ★『中国ドキュメンタリー映画論』は「1980年代末から90年代初めにかけて始まった中国における独立制作によるドキュメンタリーを取り上げ、およそ2000年代までの展開を素描し、中国独立ドキュメンタリーの「独立」とは何であるかについて、中国の社会・文化的文脈の中で考察するもの」(「はじめに」より)。「中国独立ドキュメンタリーの出現」「テレビ体制と独立ドキュメンタリー」「デジタルビデオと個人映画」「映画を見る運動」「中国独立ドキュメンタリーの現在」の全5章。中国ドキュメンタリー映画の関係年表や主要作品リストも付されています。 ★『海を撃つ』は植木屋を夫と営むかたわらボランティア団体「福島のエートス」を主宰する安東量子(あんどう・りょうこ:1976-)さんの単独著第一弾。震災後の福島をめぐる淡々とした筆致の中にも強い思いを感じさせるエッセイ集です。書名の由来は表題作である最終章で明かされていますがこれはネタバレしない方がいいかと思います。 ★胸に残る一節。「失われたかつての暮らしを、退屈な日常を、私たちが失ったものを、失わなくてはならなかった理由を、私たちを巻き込んだ得体のしれない巨大なものの正体を、本当は語りたい。けれど私たちは、それを語る共有の言葉をいまだ持たない」(244頁)。「私たちが本当に語りたいことはなんなのだろうか。それを語る共通の言葉を得るまで、私たちは、唯一語り得ると信じる放射線の健康影響について、たどたどしく語り続けるのを止めないだろう。私たちの本当に語りたいことではないかもしれないのに。この出来事はどこからやってきて、私たちになにをもたらしたのか、もたらそうとしているのか。私たちはなにを失ったのか。本当の影響はなんだったのか。この先長い時間をかけて、私たちは語り得る共通の言葉を探していかなくてはならない」(245頁)。 ★そしてもっとも胸を揺さぶられた一節。「しかし、私たちは全員知っていたではないか。避難指示が解除される見込みさえなく、放置されている人びとがいることを。成功者が賞賛を浴びれば浴びるほど、彼らへの注目は薄れ、万事滞りなく進んでいるとの空気は強まった。脚光を集めた者に当たる光はますます強く、一方で、陰に落ちた人びとはより暗がりに沈み、その姿は見えなくなった。やがて破綻することはわかっていた。彼は姿を見せた。私たちが気づきながら見ようとしてこなかった陰は、確かにあるのだと伝えるために。彼の来訪は予期されていたものだった。彼は来るべくして、ここに来たのだ。私たちの浴びている光が、本当にそれに値するものなのかを問うために」(261頁)。この「彼」が誰のことなのかについてはぜひ店頭で本書を手に取って確かめていただければ幸いです。一読者として、私にとって本書の中心はこの「彼」でした。彼でしかありえないと感じたのでした。 +++
by urag
| 2019-02-11 18:41
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