2019年 02月 06日
弊社出版物でお世話になっている訳者の方の最近のご活躍をご紹介します。 ★松葉祥一さん(共訳:ロゴザンスキー『我と肉』) 2点の共訳書を立て続けに上梓されました。メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の『Notes de cours 1959-61』(Gallimard, 1996)の訳書と、ランシエール(Jacques Rancière, 1940-)の『Le Philosophe et ses pauvres』, (Fayard, 1983 ; réédition, livre de poche, Flammarion, 2007)の訳書です。それぞれの目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。 コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961 モーリス・メルロ=ポンティ著 ステファニー・メナセ編 松葉祥一/廣瀬浩司/加國尚志訳 みすず書房 2019年1月 本体7,800円 A5判上製544頁 ISBN978-4-622-08763-2 帯文より:「今日の哲学」「デカルト的存在論と今日の存在論」「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」の3編を軸に、非‐哲学のなかでの哲学の再発見、肉の存在論など、哲学者の晩年の構想を思索を十全に伝える待望作。 松葉さんのご担当は、クロード・ルフォールによる「序文」、メルロ=ポンティの「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」と「1960-1961年講義への補遺」、訳者あとがき、です。「講義草稿というテクストの性格から文意を読み取りにくい部分があることは確かだが、一般に開かれた講義ということもあって、わかりやすい説明を行っている部分も多い。また、これまで研究ノートや講義要録などでしか知ることのできなかったメルロ=ポンティの最晩年の思想を知ることができるだけでなく、彼の思想全体を知るための手がかりとしても本書は役立つだろう。『知覚の現象学』における知覚理論がどのように「表現」論につながり、絵画や文学に重要な役割が与えられるようになるのか、また『弁証法の冒険』などにおける弁証法理解がどのような深まりをみせるようになったのか、そしてこれらの議論がどのように『見えるものと見えないもの』における存在論や〈自然〉についての思索につながることになるのか。これらを知るために、本書は多くの手がかりを与えてくれるだろう」(507頁)と松葉さんは「訳者あとがき」で解説されています。 ルフォールの「序文」にはこんな言葉があります。「現在とは、考えられることなく進行する重大な二者択一が突然生じるような、歴史から切り離された瞬間などではない。現在には厚みがあり、暗い。私たちが現在を名ざすことができるのは、それがまさに非‐哲学の旗印の下で指し示されるからである。しかしながら、非‐哲学をたんに哲学の破棄だと理解すべきではない。それは、哲学とは異質なさまざまなかたちの活動と認識を同時に含んでおり、制度化された哲学の領野の外で新たな思考の制度を保証し、哲学の必要を失わせるどころか、ふたたび活性化してくれるものなのである。こうして、現代の文学、絵画、音楽は、与えられている問題を私たちが測定することを助けてくれる」(5頁)。「哲学か非‐哲学か。講義全体を通してメルロ=ポンティは私たちに、両者を切り離すことも混同することもできないと説く」(26頁)。 メルロ=ポンティは「1960年10月の執筆の下書き」でこう書いています。「哲学が欲すること、それはこの見えるもの、名づけうるもの、思考しうるものの火山帯に身を置くことであり、そこでは現在において見ること、語ること、思考することが、これまで存在してきたし、いつか存在しうるであろうすべての視覚や言葉や思考と交わる」(456頁)。「世界を再び‐語ること、思考を再び‐思考すること、それはそれらを解体すること、布地のように縫い直すことではなく、それらに直接態として密着することでもなく、それらを造り上げ、それらに形と凝集性を与えてくれるような、からっぽの鋳型を再発見することであり、手袋を反転させて裏側を見せることであり、身体において見る者と見えるものの癒着と回路を暴くこと、言葉において話し手と聞き手の癒着を、思考することにおいて、思考行為とその痕跡、その航跡、その登記を暴くこと、したがってこうしたすべての思考の背後に、その真理であるような反‐思考を見きわめることなのである」(457頁)。 哲学者とその貧者たち ジャック・ランシエール著、松葉祥一/上尾真道/澤田哲生/箱田徹訳 航思社 2019年1月 本体4,000円 四六判上製416頁 ISBN978-4-906738-36-6 帯文より:政治/哲学ができるのは誰か。プラトンの哲人王、マルクスの革命論、ブルデューの社会学(そしてサルトルの哲学)……。かれらの社会科学をつらぬく支配原理を白日のもとにさらし、労働者=民衆を解放する、世界の出発点としての「知性と感性の平等」へ。 松葉さんは訳文全体の見直しと訳者あとがきの執筆を担当されています。「35年前に書かれた本書は、けっして古びていない。むしろ本書が提起している問題は、とりわけ現在の日本にとってますます重要性を増している。深刻化する貧困化と階層化のなかで、本書はわれわれが何を起点にしてこの状況を考えるべきかについて指針を示してくれる。とくに日本社会は現在、否応なく移民社会へ移行しようとしている。〔…〕必要なのは、本書が提起する「知性と感性の平等」という起点から社会を、政治を作り直すことである」(412~413頁)と松葉さんは「訳者あとがき」でお書きになっておられます。 ランシエールは「序文」でこう述べています。「言説史のしかじかの瞬間に、ある状況下でしかじかの立場にあるとき、人は何を考えうるのかと問うこと――の背後に、私が見分けるべきもっと根源的な問いがあることに気づいたのだ。考えることはいかに許されうるのか、考えることを仕事にしない人々は考える主体として自らをどのように構成するのかという問いだ」(13~14頁)。「哲学の古い狡知と非哲学の近代的な狡知とのあいだに、まっすぐな線が引けそうに感じられた。哲学者を織工に変えることで、靴職人を首尾よく非哲学の地獄に送るプラトンの論理から出発して、民衆の徳に対する畏敬の念へと、また学者や指導者の近代的な言説をあいまいに擁護するイデオロギー的なうぬぼれに対する非難へと至る線である。マルクスはプラトンの描くイデアの王国を破壊した。しかしその一方でプロレタリアートに真理を与えつつ、学者の専売特許とされる学問からは首尾よく排除することで、当人が転倒したと主張するものを生きながらえさせているだろうことだけは、少なくとも示しておきたかった」(14~15頁)。 「私は、学生だったときに幅を利かせていた黄金律、著者が立てた問い以外の問いを絶対に著者に投げかけてはならないという決まりには、どうしても心から賛同できなかった。そうした慎み深さは、何らかの思い上がりをはらんでいるのではないかといつも気になっていた。そして私は経験から次のことを学んだように思える。思考の力とは、むしろそれが移動させられる可能性に由来しており、それは楽曲の力が別の楽器でも演奏される可能性におそらく由来するのと似ているということである。反対意見と、各人に自分の仕事をせよと命じる警察とを結ぶつながりについては、くどくど述べるに及ばない」(16頁)。「私は個人的につねに倫理原則に従おうと努めてきた。自分が話す相手については、それが床張り職人であれ大学教授であれ、愚か者と見なさないという決まりである」(17頁)。 +++
by urag
| 2019-02-06 00:39
| 本のコンシェルジュ
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