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2018年 11月 18日

注目新刊:ティモシー・モートン『自然なきエコロジー』以文社、ほか

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★まず、まもなく発売となる新刊4点をご紹介します。

自然なきエコロジー――来たるべき環境哲学に向けて』ティモシー・モートン著、篠原雅武訳、以文社、2018年11月、本体4,600円、四六判上製464頁、ISBN978-4-7531-0350-8
わたしの服の見つけかた――クレア・マッカーデルのファッション哲学』クレア・マッカーデル著、矢田明美子訳、アダチプレス、2018年11月、本体1,800円、四六判並製288+8頁、ISBN978-4-908251-09-2
アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ』栗原康著、岩波新書、2018年11月、本体860円、240頁、ISBN978-4-00-431745-6
小林秀雄』大岡昇平著、中公文庫、2018年11月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206656-4

★『自然なきエコロジー』は『Ecology without Nature』(Harvard University Press, 2007)の訳書。モートン(Timothy Morton, 1968-)の単著が訳されるのはこれが初めてです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。メイヤスー(1967-)『有限性の後で』(人文書院、2016年)、ハーマン(1968-)『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』(人文書院、2017年)、ギャロウェイ(1974-)『プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』(人文書院、2017年)、ガブリエル(1980-)『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年1月)などに続いて、ここしばらく日本に輸入されてきた哲学の新潮流を体感する上で欠かせない新刊です。本書は「あまりにも多くの人が大切であると考えている「自然」の観念そのものが、人間社会が「エコロジカル」な状態になるなら消えることになると論じて」います(4頁)。

★篠原さんは訳者あとがきで次のように本書の立場を説明しています。「モートンが本書でこころみたのは、エコロジーの概念から「自然」を取り除くことであり、それにより、エコロジーの概念を新しく作り直そうとすることである。/つまりエコロジーを、自然環境という客体的な対象としてとらえるのではなく、「とりまくもの」としてとらえること、人間にかぎらないさまざまな「もの」をとりまき存在させる「とりまくもの」として概念化することが主要課題である」(449頁)。モートンは第三章「自然な気エコロジーを想像する」でこう書いています。「要するに、環境は理論である。問いへの答えとしての理論ではなく、取扱説明書としての理論でもなく、問いとしての、疑問符としての理論であり、問いの中にあるもの、問うというまさにそのこととしての理論である」(338~339頁)。「私たちには心があり、そしてこの心が、それが作り出した歴史の中から自分を思考しようとする戦いにおいて、自然についての幻想を形成しているということを認めてきた。〔…〕自然のあったところに。私たちはいることになる。〔…〕エコロジーは、もしそれが何事かを意味するのだとしたら、自然がないということを意味する。私たちが自然を、イデオロギー的な理解関係に対抗しつつ前方および中心へと引っ張り出すときには、それは私たちがみずからを没入させることのできる世界であることをやめるだろう」(394頁)。

★「皮肉にも、徹底的に環境にやさしい思想について徹底的に考えることは、自然の観念を手放すことである。すなわち、私たちと彼ら、私たちとそれ、私たちと「彼方にあるもの」のあいだの美的な距離を維持するものとしての自然の観念を手放すことである。〔…〕人間ならざるものと一緒になろうとあせるあまり距離をも早急に棄て去ろうとするならば、距離についての私たちの偏見、概念に、つまりは「彼ら」についての概念にとらわれて終わることになるだろう。おそらくは、距離においてとどまるのは、人間ならざるものへとかかわるもっともたしかなやり方である」(396頁)。「到来することになる、絶対的に未知のことへと心を開いておくこと、これが究極の合理性である」(396~397頁)。「私たちはこの毒された地面を選択する。私たちは、この意味のない現実性と等しくなるだろう。エコロジーは自然なきものになるだろう。だがそれは、私たちがいない、というのではない」(397頁)。この結語にはまるでコミック版の『風の谷のナウシカ』の結末とだぶるような印象を覚えます。

★『わたしの服の見つけかた』は『What Shall I Wear?: The What, Where, When and How Much of Fashion』(Simon & Schuster, 1956)の訳書。著者のクレア・マッカーデル(Claire McCardell, 1905-1958)は1940~50年代のアメリカで活躍したファッションデザイナー。本書の目次や著者の似顔絵が表紙を飾った『TIME』誌の書影などは書名のリンク先でご覧いただけます。また、立ち読みもリンク先で可能です。「気まぐれで、おめでたくて、素晴らしくて、予測不可能なもの、それがファッションだと思っていてください。あなたらしく素敵になることが大切なのです。決してファッションの奴隷にならないように」(188頁)。これは「最新ファッションに身を包んでいないとだめ」と思い込んでいる人に対して書かれた言葉です。パーフェクトすぎてファッショナブルではないことや、人としての晴れやかさに欠けることに対してマッカーデルは「価値観がずれている」(同頁)とはっきり告げます。非常に興味深い本です。

★『アナキズム』は栗原さんにとって2016年3月の『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』に続く、岩波書店で2冊目となる書き下ろし。『村に火をつけ』は岩波としては破格な本でしたが、今回の新刊も歴史ある岩波新書としては規格外です。少しはマジメに書くのだろうかと思いきや(本当は思ってなどいませんが)、まったくそんなことはありません。書き出しはこうです。「チャンチャンチャチャーン、チャンチャチャチャチャチャーーーン♪ チャーンチャーンチャチャーン、チャーチャチャチャチャチャーーーン♪」(3頁)。もはや言葉ですらなく、音楽が鳴り響きます。3年前に『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書、2015年)を上梓した栗原さんは、今度は「だれにもなんにも、国家にも資本にも、左翼にも右翼にもしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない力」(7頁)をめぐり、歴史と文献を紐解きつつ歌いまくります。「仕事も、自分の命も、革命の大義も、そんなもんはどうでもいい。ぜんぶかなぐり捨てちまって、いまこの場で遊びたい、おどりたい、うたいたい。そうさせてやまない力がある。だいじなのは、その力にふれることだ。だれにもなんにもしばられない力を手にするってことだ」(216~217頁)。本書『アナキズム』は音読していい本です。栗原さん自身が『大杉栄全集』を歌うように音読して味わったように。

★『小林秀雄』は、大岡昇平さんが書いた、7歳年上の友人である小林秀雄をめぐる批評や書評、エッセイ、追悼文や弔辞など22篇をまとめたもの。大岡=小林対談もさらに2篇(「現代文学とは何か」1951年、「文学の四十年」1965年)、併録しています。巻末には山城むつみさんによる解説「アランを補助線として」が収められています。帯文はこうです。「親交55年、批評家の詩と真実をつづった全文集」。言うまでもありませんが「詩と真実」というのはゲーテの自叙伝の書名です。「小林さんは、自分一人の道を歩いた人だった」(223頁)と1983年に大岡さんは語っています。この場合の「自分一人の道」とは社会からひきこもった隠遁者のそれではないでしょう。山城さんの解説の末尾には、どこに矛先が向いているのか分かる人には分かる一文があります。同時代の刻印とも言えます。

★続いて発売済の今月新刊で最近出会った書目を3点ほどご紹介します。

非戦へ――物語平和論』藤井貞和著、編集室水平線、2018年11月、本体1,800円、四六判並製256頁、ISBN978-4-909291-03-5
オウムと死刑』河出書房新社編集部編、河出書房新社、2018年11月、本体1,550円、A5判並製208頁、ISBN978-4-309-24886-8
周作人読書雑記5』周作人著、中島長文訳注、東洋文庫:平凡社、2018年11月、本体3,300円、B6変判上製函入426頁、ISBN978-4-582-80892-6

★『非戦へ』は長崎の新しい出版社「編集室水平線」の書籍第3弾。詩人で日本文学研究者の藤井貞和(ふじい・さだかず:1942-)さんによる『湾岸戦争論――詩と現代』(河出書房新社、1994年)、『言葉と戦争』(大月書店、2007年)、『水素よ、炉心露出の詩――三月十一日のために』(大月書店、2013年)に続く「戦争論の完結編」(カバー表4紹介文より)です。主要目次は書名のリンク先をご覧ください。「〈戦争の起源〉〈戦争の本性〉――いわば未完の戦争学――への断片めく解決が、ようやく見えてきたという思いに駆られる」(61頁)と書く著者は、戦争学の始まりとして、虐殺・凌辱・略奪の「三点セット」が人類の初期からあった、という認識をしるします。本書には書き下ろしだけでなく1974年に発表した論考も収めていますが、著者にとって「戦争学」が長い間主題となっていたことを感じさせます。本書には「雨晴(あまはらし)」というPR誌の第1号が挟み込まれていました。「本は小さくて、遅いメディアです」と編集後記で西浩孝さんは書かれています。私もそう思います。

★『オウムと死刑』はオウム真理教の13人の死刑執行を受けて編まれたもの。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。帯文にある「あの七月以降、僕たちはもう、全員オウムの信者だ」というのは、作家の古川日出男さんの寄稿文の題名であり、末尾に出てくる一文です。オウム真理教が省庁制を敷いて国家を模したことを受け、古川さんはこう書きます。「彼らが侵した罪の根幹は〔…〕「国家(なるもの)」が持ちうる罪なのではないか?〔…〕僕たちは結局、この死刑の大量執行を(おおむね)容認することで、オウム真理教になった」(9頁)。この後にその一文が続きます。死刑制度を、そしてオウムを考える上で不可欠となるだろう一冊です。

★『周作人読書雑記5』は東洋文庫の第892巻。全5巻の完結です。最終巻となる第5巻では、『五雑組』などを含む「筆記」と、『水滸伝』などを含む「旧小説」に分類される75篇を収めています。巻末には全5巻の書名索引と全437篇の総目次が付されています。訳者の中島さんは巻末に長編論考「言えば俗になるか」を記しています。対日協力に走った周作人の「抗日戦争以後の「不弁解」主義」にポイントを絞って考察したものです。東洋文庫の次回配本は来年1月刊、『大清律・刑律1』とのことです。

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★先月から今月にかけての新刊で注目している書目を掲げます。

中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』上智大学中世思想研究所 編訳監修、平凡社ライブラリー、2018年11月、本体2,400円、B6変判並製664頁、ISBN978-4-582-76874-9
神とは何か――『24人の哲学者の書』』クルト・フラッシュ著、中山善樹訳、知泉書館、2018年10月、本体2,300円、4-6判上製188頁、ISBN978-4-86285-284-7
神――スピノザをめぐる対話 第一版・第二版』J・G・ヘルダー著、吉田達訳、法政大学出版局、本体4,400円、四六判上製468頁、ISBN978-4-588-01087-3
『モムス――あるいは君主論』レオン・バッティスタ・アルベルティ著、福田晴虔訳、建築史塾あるきすと、2018年10月、本体1,500円、A5判並製304頁、ISBN978-4-9908068-1-1
世界史の哲学講義――ベルリン 1822/23年(下)』G・W・F・ヘーゲル著、伊坂青司訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体1,260円、344頁、ISBN978-4-06-513469-6
新校訂 全訳注 葉隠(下)』菅野覚明/栗原剛/木澤景/菅原令子訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体2,260円、744頁、ISBN978-4-06-513802-1
全文現代語訳 浄土三部経』大角修訳解説、角川ソフィア文庫、2018年10月、本体1,080円、384頁、ISBN978-4-04-400420-0
悪魔全書 復刻版』佐藤有文著、復刊ドットコム、2018年11月、本体3,700円、B6判上製192頁、ISBN978-4-8354-5616-4
秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』J・ウォーリー・ヒギンズ著、光文社新書、2018年10月、本体1,500円、456頁、ISBN978-4-334-04375-9
退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』ジグムント・バウマン著、伊藤茂訳、青土社、2018年10月、本体2000円、46判並製214+vi頁、ISBN978-4-7917-7113-4

★『中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』は、平凡社ライブラリー版『中世思想原典集成 精選』全7巻の、第1巻。目次詳細はhontoなどで公開されています。単行本版の第1巻「初期ギリシア教父」、第2巻「盛期ギリシア教父」、第3巻「後期ギリシア教父・ビザンティン思想」から16篇を再録(凡例には17篇と記載)し、新たに巻頭に佐藤直子さんによる「解説」が、そして収録作のそれぞれの冒頭には新たな「解題」が、さらに巻末には森元庸介さんによるエッセイ「解釈、ひとつの技術値、またその極端な帰結――ピエール・ルジャンドルに即して」が加えられています。訳文に修正が入っているのかどうかは凡例からは読み取れません。投げ込みの同シリーズ紹介カタログによれば今回の『精選』の各巻予定は以下の通り。隔月刊とのことです。単行本版全20巻は現在品切が多いですが、こちらはこちらで何とか絶版にならないでほしいですし、再刊して欲しいと切に願うばかりです。

1)ギリシア教父・ビザンティン思想
2)ラテン教父の系譜
3)ラテン中世の興隆1
4)ラテン中世の興隆2
5)大学の世紀1
6)大学の世紀2
7)中世後期の神秘思想

★『神とは何か』は、12世紀に成立したというラテン語の『24人の哲学の書』のフラッシュによるドイツ語訳と説明を中心に、『24人の哲学の書』をめぐるフラッシュの研究論文数本をまとめた『Was ist Gott?, Das Buch der 24 Philosophen』(Beck, 2011)を訳出したもの。神をめぐる24通りの定義と注釈に、フラッシュが説明と考察を加えています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。24の定義はエックハルト、クザーヌス、ブルーノ、ライプニッツらに影響を与えたとされており、簡潔ながら非常に暗示的で興味深いです。たとえば定義1はこうです。「神はモナドであり、そのモナドはモナドを生み出し、そのモナドを自分のうちへと反射する唯一の灼熱した息としてあるのである」(24頁)。このほかにも積極的な意味で不可解かつ神秘的な定義が続きます。時空を超えて人のイマジネーションを内なる彼方へと誘う一冊です。

★ヘルダー『神』は『Gott. Einige Gespraeche』の第一版(1789年)と増補改訂版である第二版(1800年)の全訳。底本はズプハン版全集第16巻(1887年)。スピノザ哲学をめぐるいわゆる「汎神論論争」における重要書で、「論争のさなか、スピノザ哲学への肯定的な評価をはじめて明確に語ったのがヘルダーの『神』である。この対話篇は汎神論論争の新たな段階の開始を告げるものであり、ヘーゲルやシェリングといったひとつ下の世代における肯定的なスピノザ評価の先駆と言ってよい」と訳者解説にあります。今春は論争の火種となったヤコービの『スピノザの学説に関する書簡』(田中光訳、知泉書館、2018年4月)が刊行されましたし、来月にはNHK(Eテレ)の著名なTV番組「100分de名著」で國分功一郎さんがスピノザの『エチカ』について講じられる予定と聞きます。『シェリング著作集』も文屋秋栄より刊行が再スタートしましたし、工作舎版『ライプニッツ著作集』第Ⅰ期の新装復刊が始まり、先述の通り『中世思想原典集成 精選』や『神とは何か』が発売開始となりました。名著をひもとく読書の秋(立冬は過ぎましたが)となりそうです。

★『モムス』は、初期ルネサンス期イタリアにおける人文主義者で建築家のアルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404-1472)による長編諷刺譚『Momus fabula』のラテン語原典からの翻訳。訳者解題によれば「おそらく1440年半ばから書き始められ、1450年頃には一応できあがり、写本のかたちで当時の少数の知識層に読まれていたとみられる。アルベルティはかなり後までこれに手を加え続けていたようで、数種類の異稿がある。〔…〕生前には印刷刊行されることがなく、最初の刊行は1520年になってからのことである」とあります。本書は「主としてSarah Knight版(2003年)とMartelli版(2007年に依りながらRino Consolo版(1986年)とも照合しつつ進めたもの」であり、「「のちのマキァヴェッリの『君主論』やエラスムスの『痴愚神礼讃』、アリオストの『狂えるオルランド』、あるいはトマス・モアの『ユートピア』、ラブレーの『ガルガンチュア』などのルネサンス諷刺文学の先駆とすべきものである」と訳者の福田さんは評価しておられます。

★続いて文庫新刊を3点ほど。講談社学術文庫11月新刊のヘーゲル『世界史の哲学講義(下)』は、本論第二部「ギリシア世界」、第三部「ローマ世界」、第四部「ゲルマン世界」までを収録。巻末に訳者解説あり。全2巻完結です。『葉隠(下)』は聞書第八から第十一までを収録。巻末に木澤景さんによる「『葉隠』諸写本における天保本の位置――新たな分類説の試み」と、菅野覚明さんによる「あとがき」が配されています。全3巻完結。角川ソフィア文庫10月新刊の『全文現代語訳 浄土三部経』は、『阿弥陀仏と極楽浄土の物語――[全訳]浄土三部経』(勉誠出版、2013年)を大幅に加筆修正し、改題文庫化したもの。目次を以下に列記しておきます(参考までに親本の目次はこちら)。

はじめに くりかえされる言葉
本書の構成
第一部 阿弥陀経:極楽の荘厳
第二部 観無量寿経:阿弥陀仏と観音・勢至の観法
第三部 無量寿経 巻上:阿弥陀仏の四十八の本願
第四部 無量寿経 巻下:菩薩の戒めと励まし
日本の浄土教と文化
浄土教の小事典
おわりに 極楽浄土を信じられるか
参考・引用文献
索引

★最後に、ノスタルジーを掻き立てる2冊と、現代人が抱くノスタルジーを分析した社会学者バウマンの遺著について。『悪魔全書』は復刊ドットコムで初めての、講談社「ドラゴンブックス」からの復刻。初版は1974年刊。主な収録内容やサンプル画像は書名のリンク先をご確認ください。佐藤有文さんが手掛けた著書で復刊ドットコムより復刻されているのは、このほかに「ジャガーバックス」シリーズの『世界妖怪図鑑』と『日本妖怪図鑑』があります。子供向けの本としては今日なら諸事情で自己規制するほかない強烈な内容ですが、もちろん復刻版ではノーカットで、昭和をまざまざと思い出させてくれます。一方、『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』は帯文に曰く「元祖、カラー「撮り鉄」ヒギンズ氏がつぶさに記録した昭和30年代」。ただただ美しく懐かしい風景の数々に魅了されます。私自身まだ生まれていない時代の風景ですが、心惹かれるのは不思議です。タイムマシンに乗って見てきたかのような鮮やかな色彩のせいでしょうか。

★バウマン『退行の時代を生きる』は『Retrotopia』(Polity Press, 2017)の全訳。レトロトピアとは「未来=進歩のイメージを基にしているユートピアとは逆に未来への不安や恐怖心に根ざすものであり、ユートピア的な楽園に対する願望を過去に求めるものと言える」と訳者は説明しています。本書ではレトロトピアへと向かう四つの回帰が分析されます。ホッブズの言う「自然状態」(万人の万人に対する戦争)への回帰、排他的な同族主義への回帰、不平等や格差や分断への回帰、そして最後が子宮への回帰です。訳者によれば、子宮が意味するのは、閉ざされた自己への退行現象の極限としての「自らを脅かす他者が存在せず、自他の区別すらない完全な自己充足状態」です。バウマンはこれらの回帰への流れをせき止められるような特効薬は存在しないとしつつ、「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」(196頁)という人類の課題について強調しています。切迫した戦慄が胸に押し寄せてくる、危機の書です。

★ただし、回帰願望とは別に、過去への親密な接近には別の効用もあるようです。バウマンが言う「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」ことのヒントもまた、未来にではなく、歴史の中に隠されているように思います。なぜなら歴史とは単なる過去ではなく、今なお私が生き続けている繋がりであるからです。この繋がりのなかに分断や忘却もあります。この今の瞬間の中に過去も未来も折りたたまれています。ゆえに過去に学ぶことが未来を知ることにもつながるわけです。モートンが示した「絶対的に未知なこと」への開かれもまた、過去と距離感を保ちつつ学ぶことによっていっそうその因果からの離脱が図れるのだと言えるでしょうか。

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by urag | 2018-11-18 23:58 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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