2018年 06月 03日
『ゲンロン8 特集:ゲームの時代』ゲンロン、2018年5月、本体2,400円、A5判並製342頁、ISBN978-4-907188-25-2 『未明 02』未明編集室編、イニュイック発行、2018年5月、本体2,700円、A5判変型上製500頁、ISBN978-4-9909902-1-3 『窮理 第9号』窮理舎、2018年3月、本体650円、A5判並製64頁、ISBN 978-4-908941-06-1 『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』筒井康隆著、河出書房新社、2018年5月、本体1,200円、46変形判上製140頁、ISBN978-4-309-24865-3 『東方教会の精髄 人間の神化論攷――聖なるヘシュカストたちのための弁護』G・パラマス著、大森正樹訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年5月、本体6,200円、新書判上製576頁、ISBN978-4-86285-275-5 『数と易の中国思想史――術数学とは何か』川原秀城著、勉誠出版、2018年5月、本体7,000円、A5判上製256頁、ISBN978-4-585-21045-0 『平等主義基本論文集』ジョン・ロールズ/リチャード・アーネソン/エリザベス・アンダーソン/デレク・パーフィット/ロジャー・クリスプ著、広瀬巌編・監訳、勁草書房、2018年5月、本体3,200円、四六判上製260頁、ISBN978-4-326-15453-1 『依存的な理性的動物――ヒトにはなぜ徳が必要か』アラスデア・マッキンタイア著、 高島 和哉訳、法政大学出版局、2018年5月、本体3,300円、四六判上製288頁、ISBN978-4-588-01076-7 『アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』ロジェ・カイヨワ著、金井裕訳、法政大学出版局、2018年4月、本体3,400円、四六判上製234頁、ISBN978-4-588-01078-1 ★『ゲンロン8 特集:ゲームの時代』は書店での一般発売開始が6月7日(木)からの予定。版元ウェブサイトでの紹介文によれば、「ゲームという新しい技術あるいはメディアは、いかに21世紀を生きるわたしたちの生と認識を規定しているのか。 その連関を探る、ゲンロン史上最大の大型特集!」と。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。東浩紀さんによる巻頭言「二一世紀の『侍女たち』を探して」には次のように書かれています。 ★「フーコーが行なったのは〔…〕ベラスケスが『侍女たち』に潜ませたある仕掛けが、画家本人も意識しないままに同時代人の世界観や学問観を反映してしまう、その連動を明らかにすることでヨーロッパの思想史全体に対して新しい視点をもちこむという試みだった。〔…〕このようにしてはじめてフーコーは、芸術と政治を、同じ表象史の表裏として統合する枠組みを手に入れることができたのである。そこでは作品の分析は矛盾なく歴史につながり、テクストの解釈は矛盾なくメディアの研究につながり、批評は矛盾なく社会学につながることになる。/ぼくは20年前、表象文化論からこのような理想を受け取った。その理想はいまもぼくのなかに生きている。/だからぼくは、いつも第二の『侍女たち』を探している。作品を分析することが、そのまま時代を分析することに、とりわけ同時代人の思想や世界観を分析することにつながる特異点を探している」(9頁)。 ★「ぼくは批評家や哲学者を名乗ることが多いが〔…〕けっして純粋な批評家や哲学者ではない。あくまでも、表象文化論出身の批評家であり、哲学者である。/ぼくは繰り返し、その原点に立ち戻っている。〔…〕ぼくは哲学と社会学のあいだで引き裂かれている。だからぼくはときおり両者をつなごうと試みている。そしてそのときは必ず表象の問題に取り組んでいる」(10頁)。「ぼくはまだ、ぼくたちの時代の新しい政治と新しい実存をともに可能にするはずの新しいエピステーメーについて、説得力のある議論を提案できていない。/だからぼくは、今号でゲームについて考えることにした。ゲームの分析を通じて、もういちど新しいエピステーメーの分析に挑戦することにした。政治のゲーム化と実存のゲーム化をともに引き起こしている、ぼくたちの時代の新しい記号の条件について考えることにした。〔…〕そのアプローチは、哲学のものでも社会学のものでもない。表象文化論のものである。/けれどその学問の方法はいまだ確立していない。だから理解されない。〔…〕しかし、だからこそ、今号の野望は、いままでの号のなかでもっとも大きく深い」(10~11頁)。 ★なおゲンロンさんでは7月以降に単行本シリーズ「ゲンロン叢書」の刊行を開始するとのことです。第1弾は第8号に広告が出ており、いわき市のアクティヴィスト小松理虔(こまつ・りけん:1979-)さんの『新復興論』になるそうです。『ゲンロンβ』での好評連載に大幅加筆を施したもの。広告では同シリーズについて「ゲンロンが送り出す、いまもっともアクチュアルでもっとも反時代的な新時代の人文書シリーズ」と紹介されており、何人かの著者の名前が挙がっています。これは楽しみです。また9月刊行予定の「ゲンロン」誌第9号は第1期最終号として「第1期のあらゆる伏線を回収し、第2紀の飛躍を準備する人文知の本当の再起動」と次号予告に謳われています。 ★「ポエジィとアートを連絡する叢書」を謳う『未明』は2017年3月に創刊。先月発売となった02号は、01号にも増して、美しい造本に美しいレイアウト、美しい装画や写真の数々に美しい言葉たちが心地よい、買って損はない一冊。とにかく現物の中身を実見することを強くお薦めします。その意味ではリアル書店にとって実にありがたい存在だと思います。一方、『窮理』は「物理系の科学者が中心になって書いた随筆や評論、歴史譚などを集めた、読み物を主とした雑誌」で2015年7月に創刊。スリムな飾らないたたずまいが手に取りやすい、良質な科学読物です。最新号は今年3月に発売された第9号。電子版もありますが、紙媒体は部数限定のため、取扱書店でぜひご覧になって下さい。 ★『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』は奥付前の特記によれば、1990年5月14日に池袋西武スタジオ200において行なわれた筒井さんの講演「誰にもわかるハイデガー」を録音した「新潮カセット」(1990年10月刊)の内容をもとにして書籍として再構成したもの。第一講が「なぜハイデガーか」「「現存在」ってどんな存在?」「実存とは人間の可能性のこと」の全三節で、第二講は「死を忘れるための空談(おしゃべり)」「「時間」とは何か?」「現代に生きるハイデガー」の全三節。解説として、大澤真幸さんによる「「誰にもわかるハイデガー」への、わかる人にだけわかる補遺」が付されています。 ★この講義のそもそものきっかけであるメタフィクション『文学部唯野教授』(1990年、岩波書店;2000年、岩波現代文庫)は、講義スタイルで印象批評からポスト構造主義までの文学理論を軽妙かつ簡潔に解説しつつ、一方で大学の学内政治と人間模様をユーモアと皮肉たっぷりに描いた問題作で、岩波現代文庫は昨年末で23刷を数えるロングセラーとなっています。その後、『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文藝春秋、1990年;文春文庫、1993年、品切)や、『文学部唯野教授の女性問答』(中央公論社、1992年;中公文庫、1997年、品切)などのスピンオフを生み出したことは周知の通りです。 ★『誰にもわかるハイデガー』は筒井さんのパートはかれこれ30年近く前になる講演にもかかわらず、帯文にある通りハイデガーの主著『存在と時間』の「超入門」となっており、その平易さたるや大澤さんをして「これ以上わかりやすく解説することは不可能だ」(95頁)と書かしめています。確かに、大げさな表現になることを承知のうえで言うなら、今なお空前絶後ではあります。作家のセンスをもってすれば、ここまでできるのだと感動するばかりです。『文学部唯野教授のサブ・テキスト』に収録されている大橋洋一さんとの対談で筒井さんはこんなことを発言されていました。「結局、現存在というのは人間のことだし、どんどんやさしく書いていって、終いには童話にしてしまって、たとえば「ハイデガー坊や」なんてタイトルで、「人間はなぜ死ぬのだろう。人間は自分が死ぬことを知っていながら生きているんだなあ」とか、もちろんその調子で書いていったら、膨大なものになってしまうけど、できないことではないと思ったんですね。/これは面白いなと思って、小説を書いた後なんですけれども、小説〔『文学部唯野教授』第五講「解釈学」〕よりももう少しやさしくして、もう少し詳しく、講演でやっているんですよ。〔…〕これは面白いですよ」(82~83頁)。 ★ちなみに筒井さん自身は講義の最後でこう発言されています。「しかしながら今日、私がこれをお話ししたことでけっして、何度も申しますけれども、マスターしたとは思われないで、このもとの本をもう一度読んでいただきたい。そしてハイデガーをもっと深く理解していただきたいと思います」(92頁)。近年の『存在と時間』新訳ブームよりはるか昔に発表された講義録が今なお新鮮なのは、ハイデガー哲学が古びないことの証左でもあります。創文社版『ハイデガー全集』は同社が2年後に解散することによって未完結のまま途絶する危機に見舞われていますが、翻訳自体は今後も続いてほしいです。 ★『東方教会の精髄 人間の神化論攷』は「知泉学術叢書」の第2弾。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)後期におけるテサロニケの大主教グレゴリオス・パラマス(c.1296-1359)の主著『聖なるヘシュカストたちのための弁護』三部作の全訳です。解説に曰く「パラマスが弁護した「ヘシュカスム」とは、祈りの実践体系ともいうべきもので、一種の霊的運動でもある。〔…〕一心に祈りの中に深く入り込んで、雑念を払って神にのみ心・注意を向けるので、静寂(ヘーシュキア)を重要視するところから、ヘシュカスムという名称がつくことになったとされる」(491~492頁)。西方イタリア出身のバルラアムがこのヘシュカスムを異端視し告訴したことに対する反論が本書の内容です。「看過されてきた東方教会の霊性や神学や哲学的思想の精髄や伝統ともいうべきもの、またそのような領域にかかわる西方的理解と東方的理解の相克の場に出合う」ことにより、読者は「これまで閉ざされてきた世界の開陳に遭遇することになるだろう」と訳者は説明しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。 ★川原秀城『数と易の中国思想史』は、中国の数術である暦算(主に天文学や数学)や占術などの術数学の研究書。巻頭の「前言」に曰く特に注力したのは、「暦算や占術の個々の技法・理論を逐一分析し、暦算と占術の不可分な関係を包括的に論じながら」、邵雍『皇極経世書』など、『四庫全書総目提要』の術数類数学属に注目して重点的に分析したこと、とあります。カヴァー紹介文に曰く「「数」により世界を理解する術数学の諸相を総体的に捉えることで、中国思想史の基底をなす学問の体系を明らかにする」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。 ★『平等主義基本論文集』は、『平等主義の哲学――ロールズから健康の分配まで』(齊藤拓訳、勁草書房、2016年8月)の著者である、カナダ・マギル大学准教授・広瀬巌(ひろせ・いわお:1970-)さんの編・監訳によるアンソロジー集。分配的正義に関する最重要論文を一冊にまとめたもの。格差原理(difference principle;ロールズ)、運平等主義(luck egalitarianism;アーネソン)、民主的平等(democratic equality;アンダーソン)、優先主義(prioritarianism;パーフィット)、十分主義(sufficientarianism;クリスプ)といった「平等」を議論する上で代表的な論文を収録、と。この5つの主張は廣瀬さんの『平等主義の哲学』で概説されていたものです。 ★収録先は以下の通り。ジョン・ロールズ「アレクサンダーとマスグレイヴへの返答」(原著1974年;石田京子訳)、リチャード・アーネソン「平等と厚生機会の平等」(原著1989年;米村幸太郎訳)、エリザベス・アンダーソン「平等の要点とは何か(抄訳)」(原著1999年;森悠一郎訳)、デレク・パーフィット「平等か優先か」(原著2000年;堀田義太郎訳)、ロジャー・クリスプ「平等・優先性・同情」(原著2003年;保田幸子訳)。編者あとがきによれば、これらに以下の2篇の併読が進められています。ロナルド・ドゥウォーキン「資源の平等」(『平等とは何か』第2章、木鐸社、2002年)、トマス・ネーゲル「平等」(『コウモリであるとはどのようなことか』第8章、勁草書房、1989年)。 ★『依存的な理性的動物』は、『美徳なき時代』(篠崎榮訳、みすず書房、1993年)以来となる、アメリカの哲学者マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-)の著書の、久しぶりの訳書。原書は『Dependent Rational Animals: Why Human Beings Need the Virtues』(Open Court, 1999)です。序文によれば本書は「1997年にアメリカ哲学協会の太平洋部門会議において3回にわたっておこなわれたケーラス講座の内容に加筆修正を施したもの」で、二つの主要な問いをめぐる思索が綴られています。それらの問いとは、「ヒトとヒト以外の知的な動物の種のメンバーが共通に備えている特徴に注意を払い、それらを理解することは私たちにとってなぜ重要なことなのか」。そして「人間の傷つきやすさ〔ヴァルネラビリティ〕と障碍〔ディサビリティ:能力の阻害〕に注目することは、道徳哲学者たちにとってなぜ重要なのか」というものです。「本書は、『美徳なき時代』や『誰の正義? どの合理性?』〔1988年〕や『道徳的探究の競合する三形態』〔1990年〕における私の初期の探究のいくつかの継続であるばかりでなく、それらの修正でもある」(iv頁)。目次詳細は書名のリンク先をご参照ください。 ★訳者解説では著者の主張を次のように端的にまとめています。「私たちヒトが幸福な人生を送るうえで、自立した合理的行為者であることが重要な意義をもつとはいえ、そのような存在へと私たちが成長するうえで、またそういう存在であり続けるうえで、私たちは根源的かつ持続的なしかたで特定の他者たちに依存せざるをえない(つまり、彼らからさまざまな施しを受ける必要がある)。それゆえ、そのような特定の他者たちとの間の互酬的な関係性のネットワークとしてのコミュニティへの参加が、私たちには不可欠であり、翻って、そのようなコミュニティの維持と繁栄のためには、私たち一人ひとりが、自立した合理的行為者としての諸徳と、他者への依存の承認にかかわる諸徳の双方を身につけ発揮することが求められる。また、同じコミュニティのメンバーは――深刻な障碍を抱えているために合理的行為者として自立できないメンバーも含めて――お互いがお互いにとって、彼らの共通善と彼や彼女の個人的な善の双方について大事なことを伝えあい教えあう潜在的な可能性を有する存在であって、そのような存在としてつねに敬意をもって遇される必要がある」(250頁)。 ★そして本書を次のように評価されています。「〈どのような思想や哲学にもとづき、どのようなコミュニティを創造すべきか〉という問題〔…〕本書は、この問題をさらに深く掘り下げて考えようとするすべての人々に有益な示唆を与えてくれるであろう」(253頁)。 ★カイヨワ『アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』は、金井裕さんによる訳書『旅路の果てに――アルペイオスの流れ』(法政大学出版局、1982年)の、カイヨワ没後40年記念改訳版。原書は『Le Fleuve Alphée』(Gallimard, 1978)です。 カイヨワの思想的自伝(訳者あとがき)であり、プルースト賞やヴェイヨン財団のヨーロッパ・エッセイ賞を受賞しています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。第Ⅰ部第七章「石についての要約」では、ラブラドル長石とモルフォ蝶の翅の偏光による青色に、カイヨワの言う「対角線の科学」の一例を見たくだりが書かれていて、その何たるかが端的に表現されています。「私の考えでは、対角線の科学は、類似してはいるが自然のなかに分散していて、当該の個々の学問からは無視されている現象を組織的に照合することで成り立つはずであった。事実、こういう現象は個々ばらばらに取り上げられれば、学問の内部でわずかな関心しかよばない珍奇なものにすぎない」。「偏光色の現象は私に擬態と仮面に関する〈斜めの〉研究を推し進め、さらに後年には、反対称に関する調査を始めるように促したのである」(136~137頁)。カイヨワ再読・再発見のきっかけとするにふさわしい一冊です。 +++
by urag
| 2018-06-03 21:32
| 本のコンシェルジュ
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Comments(2)
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