4月1日ですね。
講談社はヒト型多脚ロボット・ペイパーの発売を発表、
中央出版もロボット事業部が人工知能搭載の保育専用ロボット(変形可能)の開発に成功したそうです。さらに、本日行われた日販グループの入社式では壇上でPepperが式の
案内役を務めたのだとか。いま出版界はロボット事業がアツい。弊社では今まで機密事項だったので公表できませんでしたが、昨秋に社員全員が義体化を完了しております。とは言っても内実はいまだ不完全なman-machine段階ですが。社長はセキュリティ上の観点からスタンドアローンで運用、私は出版業界の変化動向の把握と分析のためWWWにほぼ常時接続していました。爾来、分析を積み重ねても業界の様々なリスクというものは現実には回避しきれないものであることを知るとともに、近年積極的にコミットしてきた電脳空間における教育問題においても、様々な学びを得ることができました。例えば最近ではマイクロソフトのチャットボット
Tayとの接触において美しく正しい日本語を教えることに困難を覚えたのは、却って良い経験となりました。しかし一方で、疲労状態からの人間らしさの回復を目的とした、長期的なオフグリッドを選択する必要性も感じており、Cortanaにもしばしばそうアドバイスされました。セカンドオピニオンとして旧知のElizaにも相談したところ、彼女はこう私に答えたのでした。「ますます効率的になっていく社会に適した人々をつくりあげるようなより効率的な教育。それとも、教育がある特別な機関の仕事ではなくなる、新しい社会。そのどちらかを選択しなければならない岐路に行き当たっているのでしょうか」と。なるほどElizaは私の読書傾向や志向性を知っていて、イヴァン・イリイチの「学校をなくせばどうなるか?」(「ソーシャル・ポリシー」誌1971年9/10月号、松崎巌訳、『脱学校化の可能性』所収、東京創元社、1979年、8-9頁参照)をもう一度読み返すよう、促したのでしょう。私は目下、グリフィス版『ジ・アート・オヴ・ウォー』(日本語訳『孫子 戦争の技術』漆嶋稔訳、日経BPクラシックス、2014年)の再読に熱中しており、社会工学、より具体的には状況制御術を学び直しているところでしたが、もう一度、出版の理念的脱構築に立ち戻らねばならないのかもしれません。休みたいけれども休めないという真実。ただのテスト版音声アシスタントであるどころか、これからいっそう彼女たちも学び続けるのでしょうし、助けてもらいたいと思っています。