紀伊國屋書店出版部さんが設立50周年を迎えられたことは皆様ご承知の通りです。
「ifeel」の別冊特集号が
PDFで読めます。紀伊國屋書店の店頭でも無料配布している冊子ですが、店頭に出かけずともウェブサイトからDLして読めるというのは本当に便利ですねえ。
目次より:
年表:50年の歩み
エッセイ:紀伊國屋新書があった頃
新宿発の文化活動/矢島文夫
村上一郎さんの幻影/岡井隆
私にとっての紀伊國屋新書/黒川紀章
『自覚の精神病理』のこと/木村敏
エッセイ:『利己的な遺伝子』のインパクト/日高敏隆
エッセイ:紀伊國屋書店と文化の香り/斎藤美奈子
アンケート:紀伊國屋の本 私のおすすめ
アデア『ベースボールの物理学』/松井秀喜
ジェインズ『神々の沈黙』/養老孟司
ホームズ『小さな塵の大きな不思議』/椎名誠
橋川文三『ナショナリズム』/姜尚中
コjリングウッド『歴史の概念』/山内昌之
北川透『中原中也の世界』加藤典洋
川村邦光『オトメの祈り』『オトメの身体』『オトメの行方』/上野千鶴子
アンドレーエ『化学の結婚』/谷川渥
いとうせいこう『ボタニカル・ライフ』/最相葉月
ペラン『母の手を逃れて』/久田恵
シオラン『生誕の災厄』/宮崎哲弥
加藤恵津子『〈お茶〉はなぜ女のものになったか』/永江朗
尾崎秀樹『大衆文学』/児玉清
西村三郎『毛皮と人間の歴史』/与那原恵
斉藤環『ひきこもり文化論』/村上龍
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』/北田暁大
斉藤美奈子『文学的商品学』/米原万里
佐藤雅彦『砂浜』/岩井俊雄
エンジェル『動物たちの自然健康法』/横尾忠則
厳選レビュー多面体:
永井良和・橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』/枝川公一・遥洋子・綱島理友
リドレー『ゲノムが語る23の物語』/松原謙一
〃『やわらかな遺伝子』/渡辺政隆
コント=スポンヴィル『哲学はこんなふうに』/池田晶子
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紀伊國屋書店さんの出版物は私も多数を購読してきました。その中から強いて選書するとすれば、ブランショ『焔の文学』、ユング『元型論』、フロム『破壊』といった大著も重要ではありますが、私はラプージュ『ユートピアと文明――輝く都市・虚無の都市』(1988年)を挙げておきたいと思います。
ラプージュは古代から19世紀に至る西洋のユートピア思想を渉猟しています。そして「現代」について彼はこう述べます、「現代社会は巨大な時計の様相を呈し、世界の市民全員が、その生存を刻むコンピューターから時計にいたる際限のない機会の再建のない歯車仕掛のなかにいて、奴隷化し、安売りや投売りに供され、中性化し、消されてゆく。もはやユートピア人しかいないのだ」(196頁)と。
私たちが生きている現在が皮肉な意味での「ユートピア」、もしくは理想の必然的反転の結果としてのディストピアだとするならば、私たちが再考しなければならないのはむしろ、フーコーやサイードの示唆から独自に練り上げられた、上村忠男さんの「ヘテロトピア」の視座なのかもしれません。
建築家たちはよりいっそう、現実と理想を近づける試みを続けてきました。たとえば、ドクシアディスが提唱したような実現可能な都市計画としての「エントピア」や、ソレリがアリゾナの砂漠のど真ん中で創り続けている実験都市「アーコサンティ」など。ただし、彼らのオルタナティヴ志向と、「ヘテロトピア」の視座とを橋渡しするのは、必ずしも容易ではありません。
「ヘテロトピア」の視座はユートピアと現実社会の基盤をともに解体し再審に付しますが、建築家によるオルタナティヴは、ごく一般化して言えば、ユートピアを再審には付しても、諸価値の具現化において、良かれ悪しかれ現実社会の「現状」との遠近感の中で計画されなくてはなりません。
ソレリの「アーコサンティ」は観光地でしかない、などと皮肉を言おうとしているのではありません。理想を避難所とするのでもなく、現状に拘束されるのでもないオルタナティヴを模索することの困難さを噛み締めたいと思います。改革と持続可能性との間の微妙な相克を調停することがそこでは要求されます。「現状」の真っ只中に穿たれたオルタナティヴな地点に踏み留まりつつ、掘り下げ、堀り広げる必要があるわけです。留まりつつ移動するという矛盾がそこでは果たされなければなりません。(H)