昨日は投稿しなかったのに、アクセス数が341で、ここ半年では一番のご来客数でした。な、なんでだろう(グーグル検索等で推測したところ、おそらく「
しったかぶり週報」さんから飛んできた方が多かったのだろうと思われます)。
夏風邪により臥せっておりました。今日はなんとか起き上がりましたが、万全ではありません。自営業の場合、自分が休むと仕事が止まります。サラリーマンの頃は自分が休んでも仕事は進みましたが、独立するとそうはいかないのが苦しいところです。
先日、『レヴィナスとブランショ』(上田和彦著、水声社)がI駅周辺の書店「L」にはなかったことを書き、書店・取次・版元のそれぞれに事情と現実があることを少し述べました。今日、ちょうど「L」のスタッフさんからの情報で、当該書籍の新刊配本が極小部数だったこと、現在は人文書で在庫していることを教えられました。
小部数配本の場合、以下のような現状が時としてあるのではないかと私は思います。
・版元にしてみれば「取次は然るべき書店に配本して欲しい」と思い、
・取次にしてみれば「書店は配本が欲しいなら事前発注して欲しい」と思い、
・書店にしてみれば「版元は事前に案内をして欲しい」と思っているのではないか、
――という、一種の循環です。
こうした循環はしかし、購読者の利便性には繋がりません。こうした「不便」はほかにも例がたくさんあります。私は「[本]のメルマガ」という媒体で、その様々な例を追いかけてきました。例えば「
公開討論『絶版論争:なぜ再刊できないか/いかに再刊するか」がそれです。さいきんでは隣接した問題意識にたって、万引問題にアプローチしようとしています。
絶版にせよ、万引にせよ、それぞれ決して小さくはないテーマですが、関係者の「本音」が漏らすことは実はそれほど多くありません。そこには、公開しにくい様々な事情と現実があるからです。
著者、版元、取次、書店、読者――それぞれに言い分と主張があるのは当たり前であり、議論に温度差が生じるのは当然だというのが私の立場です。そうした「当然」の前に屈しようというのでもなければ、言い訳をいえばそれで済むとも思っていませんが、あたかもそこに係争がないかのように振舞うのは欺瞞に思えます。利害関係に基づく奇妙なしがらみは、結局とのころ、読者を利することがありません。
ですから、先日の記事に対するEさんの反応のようにヴィヴィッドなご意見を皆さんからどしどし頂戴し、議論を深めていければいいと私は思っています。(H)