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URGT-B(ウラゲツブログ)

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2015年 07月 22日

雑談(5)

◆7月22日午後18時現在。

栗田「新提案」への回答リミットが近づいています。難しい判断を短時間で下さねばならない不条理に直面している出版界の切迫した《いま》を捉えるために、ネットの声に耳を傾けてみます。リンクは張りません。

秋田の版元さん曰く「業界4位の取次店栗田が倒産、その債務処理を巡って問題は深刻化している。私たちのような零細出版社にも何らかの形で影響はあるが、それよりも暑さと比例するようにピタリと本が動かなくなった。全国紙に広告を出しても本は動かない。これまでに経験したことのない危機感を覚えている」(7月16日)。「取次の栗田の倒産の影響だろうか、注文だけでなく出版関連の世界がこの数週間微妙な静けさの中に沈んでいる。やはり大きな影を落としているのだろう。ずっと取次や書店に依存しない出版経営は可能だろうか、と考え続けてきた。→」「→いずれ本のプラットフォームはアマゾンやアップルが取って代る、と言われて久しいのだが、そことも違う「もう一つの道」もあるのではないか。そこへいたる細くてヤブだらけの道を歩むためには、歩く側の装備や体力、予備知識の有無が重要になる。→」「→極力少人数で、産直インフラを整備し、経済を担保する副業を持つ……。副業というのは本の売り上げだけに頼らない力というかタレントのこと。「稼げる編集力」といってもいい。いやぁ、難しい「道」を登り続けることになりそうだ」(以上7月21日)。

→これまでに経験したことのない危機感、というのは多くの出版人が感じているものではないかと思います。そして、今後も悪い予感しかしない、という方もきっといらっしゃるでしょう。それでもなお「編集力」はどんな時代にも求められる技術です。外山滋比古(とやま・しげひこ:1923-)さんはこうお書きになっています。「文化が結ぶ作用で生れることはほとんど疑いがない。あまりにも結合が強すぎると、凝り固まって血の通わない形骸化した様式で社会が窒息しそうになる。そのとき切る作用が健全なものとして歓迎され、全体をばらすこと自体が創造的であるとされる。〔…〕歴史のコンテクストは「切る」と「結ぶ」の二つの原理によって、解体と新生を無限にくりかえす。〔…〕人間のあるところ、つねに広義のエディターシップがあると言ってよい。比喩としての編集論が必要となるゆえんである。〔…〕ものごとが理解できるというのも、心の目で関係を認めて、既存の秩序と結びつけたときの現象である。こういうことに注意するならば、人間の営みは何ひとつとしてエディターシップによらないものはないように思われる。人間文化はエディターシップ的文化以外の何ものでもない。/われわれはすべて、自覚しないエディターである」(「編集人間」、『エディターシップ』所収、みすず書房、1975年、187-190頁。※旧版より引用。末尾の太字の一文は新版(『新エディターシップ』みすず書房、2009年、183頁)では「人間はすべて、自覚しないが、エディターである」)。

長野の版元編集者さん曰く「Twitterを機につながった出版社の方々の仲間に入れていただき、栗田の新提案も早々に入手できた。が、ほっといたらウチみたいな地方の出版社に、ファクスさえホントに届くのだろうか」(7月14日)。「栗田出版新提案。微々たる1ヵ月分のツケを返してもらうだけの内容だが、これを受けることはいわゆる「二次卸スキーム」全体を受諾することになる。例の質問書の回答も大きな判断材料。来週は慌ただしい」(以上7月18日)。「栗田出版問題、帳合の書店は「返品早い者勝ち」の動きになっているとの説。大阪屋経由の二次卸スキームを多くの版元が拒否すれば大阪屋からも戻され、栗田は再生どころか、返品を受ける体力すらなくなってしまう。そうなることを書店が警戒しているらしい」(7月20日)。「うちの会社は、有志の質問状に賛同して参加している。回答は出ているはずで、明日は説明会。大阪屋経由の引き取りを拒否した場合の扱いもだけど、そうしても「今後大阪屋が不利益を与えない」という点には、特に明確な言質がほしいところ」「栗田問題。食料品などの一方通行の買い取り商品なら、債権届を出してわずかでも弁済を待つしかない。返品が絡むから出版は面倒。いずれにせよ、ツケはまともに返ってこない訳で、それを必死に取り返すために損をする発想にはどうしてもなれないのだが…。多くの版元さんはどう判断されるのだろう」「だけど再生スキームを受け入れる版元さんの論理を知りたい」「栗田問題。有志出版社の質問状説明会の資料を送ってもらった。予想はしていたが、酷さきわまりない。説明会以降、何も考えていないし、何の誠意もない」(以上7月22日)。

→「再生スキームを受け入れる版元さんの論理」というのは、確かに興味をそそります。利害が一致しているはずの版元同士でも違った答えを出すところもあるでしょう。スキームを受け入れがたいと感じている版元にとってはその本音の細やかな機微までは伝わってきません。おそらく今夜もどこかで議論したり意見交換したりしている人たちはいるでしょう。24日までには間に合わないかもしれませんが、栗田事案の関係者の突発OFF会や情報交換会、討論会がリアルな場であれオンラインであれ、今こそ必要なのかもしれません。

版元代表さん曰く「【伏せます】流通センターの【伏せます】君に栗田の常備精算の件につき、確認のうえ、栗田にtel。~常備精算は未請求であれば、請求書を送って支払いするとのこと。常備関係は債権には加えないことを確認。回答書には返品相当額を承認して返送することに」(7月22日)。

→新提案を承認される方向性ということかと拝察します。この版元さんの取引条件を知っている方は、こうした決断もありえただろうと想像できるかもしれません。

版元さん曰く「「栗田出版販売民事再生債権者有志出版社説明会」に来た」。「結局、出版社の情報差も激しい」。「栗田債権者有志会のあと、栗田に訪問。話を聞く限り、返品拒否し続けても意味ないかもな」。「栗田は「公平性」を声高に主張するが、1ヵ月の返品を受け入れる代わりに2次スキームの新提案を受け入れた出版社と拒否した出版社とで差が生まれる。これは「公平性」と言えるのだろうか?」(以上7月22日)。

→返品を拒否し続けた場合、その商品を結局どう扱うかという問題に、遅くとも来年早々あたりには決着をつけなければならなくなると思われます。栗田および代理人がその際どうするかということについては「処分したり売ったりすることもありえる」と債権者集会で述べるに留めていますね。あるいはほかの選択肢もありえますが、先方が明示していない以上、今はこちらも明かさないでおきます。

版元さん曰く「どうしても思考がマイナス気味で、この本屋が閉店したら、全部返品されるのだろうかと思ってしまう。6/26に起きたことから、何かプラスの学びを得たいものだと思う」(7月16日)。「不道徳で分かりづらい表現かもしれないけど、栗田の民事再生の申請が出た後の一連の流れは、私にとって小規模3.11並みの衝撃でした。彼らが出してきた提案よりも、この事態をなんで見抜けなかったか、先回りできなかったかを悔いている」(7月22日)。

→先廻りできていたら、岐路が分かっていたら。確かにその通りです。こんな私たち出版人を馬鹿にする人たちも世間ではいることでしょう。前兆はあったのです。警告もありました。自分自身もまったく気づいていなかったわけじゃない。周囲と熱心に話しあったこともある。けれど変えることも変わることもできず今があります。だからこそ「もう繰り返さない」ことが重要なはずなのですが、システムを維持しようとする人々がいます。システムと太いチューブで繋がれていて、それを外せば自らの生存状態も不安定になる方々です。それにもう付き合う必要なんかないと、ある方は書いています。まったくその通りです。ただ、彼らがチューブを外すとき、巻き添えを食って死ぬ人々も私たちの中にいるかもしれない。一蓮托生とまで大げさには言わなくても、そういう関係性の中でこの業界が存続してきたことは否定しようがありません。変化はいずれ必ず訪れるでしょう。転換はおそらくまず自分自身から始めるしかないのかもしれません。

版元さん曰く「栗田出版から1か月分だけ返品相殺してあげるなんて提案が来たけど、大阪屋の二次卸スキームに合意することが前提なのでうちは乗れないかなぁ。独自に債権申出日までの返品について相殺の申し立てするのが良さそう」。「栗田出版の件、大阪屋を通して返品が返ってくると堂々と言われるとそりゃ受けられませんと思う版元がほとんどだろうけど、栗田が民事再生でなく破産した場合、書店が帳合変更してどの道どっかの取次から返品は返ってきてしまうのよね」(以上7月17日)。「栗田から版元にどんどん返品が送られてくるけど、多くの版元は入帳を拒否していて栗田に現金は入らない。一方で栗田は書店には返金している訳で、そのキャッシュフローはどこからきてるんだろう?」。「版元には返品相殺しない一方で、書店からの返品は受けいれて書店に現金をばら撒くのはかなり不公平でないか」(以上7月21日)。

→どのみちどこかの取次から返品が返ってくる可能性がある、確かにそうですね。栗田役員は「今のところ(書店さんからの)返品パニックは起こっていない」と仰っていますが、本当にそうなのかどうかは分かりません。少なくとも、返品を急がれている書店さんのお話しは耳にすることがあります。1ヶ月分の返品相当額の還元程度でいったいどれほどの版元が今後の返品買上を決断できるのか。還元額の数倍になる旧商品の返品をこの先半年で買い上げねばならなくなるであろう版元もままいるわけで、そうした不安を払拭できないまま新提案を飲んでくれと言っている栗田の強引な話は、今後たとえ一応の決着を見たとしても、版元の心に深い傷を残すでしょう。その傷を残す片棒を担いでいるのが大阪屋なのに、その大阪屋からは初期段階の漠然とした声明のほかには版元に何ももたらされていない。大阪屋さんはいい加減そろそろ、自分たちが残そうとしているとんでもない禍根と向きあうべきです。笑顔で今日も仕入窓口を訪れている版元の目が本当に笑っているかどうか、直視すべきです。本当は分かっているくせに、この「放置プレイ」はあとあと高くつきますよ。

上記のような版元さんたちのお声のほか、書店員さんと思しい方がこんなことをつぶやいておられました。「栗田の倒産の件を今検索していたら、「いよいよ出版流通業界はその全面崩壊まで、残すところあと首の皮一枚半というあたり」という文章を見つけて、何年ゾンビやってんだよ、みたいな気持ちになる。ゾンビでいることと死んでいることとあんまり区別がつかないよな」。この「死体と区別がつかないゾンビ」というのは実にうまいたとえです。この業界にはいわば「ゾンビ・システム」というべきものが作動しています。それが何を意味しているかは皆さんのご想像にお任せします。

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◆7月23日午前0時現在。

ある方曰く「大幅な減収、6期連続経常赤字、資金繰り悪化、債務超過…という会社が、民事再生手続開始で新しい会社になったとして、この先どうやって黒字になるのかまったくわからない。彼らは自分たちの何を信じているんだろう」。それぞれの持ち場で真摯に働いている方たちはともかく、役員たちが何を自任しているのかについてはストレートに尋ねてみたくなりますね。某団体主催の説明会で、納品も返品も通常処理しているという版元さんが代理人弁護士さんに今後の見通しが本当にあるのかどうか、直球で尋ねておられました。これといった明示的な答えはありませんでした。どちらかと言えば協力的である版元にとってすら、信じるのが難しい未来。果たしてそれを未来と言っていいのでしょうか。役員は社員にどう説明しているのでしょうか。

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◆7月23日午前1時現在。

「サイゾーpremium」7月18日付記事「取次倒産で小学館は被害額約6億円 崩壊止まらぬ出版界とカドカワの豪腕ビジネス」は有料記事ですが、無料閲覧できる分の末尾にはこんな気になるくだりがあります。「「小学館では、栗田の倒産が報じられたその日に、同社の再建を支援するという記載込みで全社メールが回ってきたそうです」(大手出版社社員)」。いわゆる「一ツ橋グループ」に属する版元は、小学館、集英社、祥伝社、白泉社、集英社クリエイティブ、ホーム社、照林社、プレジデント社など。

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◆7月23日正午現在。

新提案の還元額+噂の弁済率30%で、今後の未精算分の委託返品想定額および注文返品想定額(新提案を呑めば買上となり大阪屋の売上から引かれる)がカヴァーできるのかどうか、シミュレーションを繰り返しています。弊社の取引条件と支払いサイトを勘案すると、たぶんカヴァーはされません。ということは、弊社の取引規模では新提案を呑んでもあまり旨味はない。積み上がっていく旧商品の返品をどうするかという問題は残りますが、新提案を丸呑みして下駄を相手に預けるよりかは、真摯に栗田と話し合う余地が生まれる、と。まあ難しいところです。

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◆7月23日13時現在。

新提案の合意書には相手方に栗田と大阪屋の名前があります。二次卸スキームなのだから大阪屋の名前があるのは自然だとしても、大阪屋が出版社に対して6月26日付のコメント以降にはまったく公式声明なり説明なりを出していないのは極めて不自然です。栗田の件で大阪屋に出向いても返品については栗田と話してくれという対応をされた版元もいます。片務的売買契約といい、今後の二次卸スキームにも影響が出てくることなのに、大阪屋のダンマリやいなしにはひどいものがあります。まるで「あくまでも栗田の代行であって、大阪屋の意見ではない」と言いたいかのようです。合併しようというパートナーなのに、委託や返品に関する栗田の法的解釈を共有できない、と言ってもマズいし、共有している、と言ってもマズいわけです。どちらの場合も取引に影響が出るから。見逃してやる、という態度を取っている版元もいますが、見逃したままでずっとやっていける問題でもないことは明らかです。空恐ろしいうやむや感へと突入しつつある人々と道を共にするべきかどうか、読者の皆さんが失望しかねないような選択をこの業界がしてしまうのかどうか。

今回気づいたことがあります。当たり前と言えば当たり前なのですが、出版社が刊行している本が表現している思想と、その出版社自体が持っているビジネス・スタンスに表れる思想は必ずしも一致しないということです。カッコいいことを書いている本を出している版元が、今回の栗田の件にどう対応したか。栗田の横暴と業界の不平等にどう対峙したか。版元それぞれに言い分はあるのでしょうけれど、売ってる本と取ってる態度に論理的な齟齬があるというのは、出版社の仕事があくまでもビジネスであることの証左になっていると思います。

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◆7月23日14時現在。

公平性を言うならば、取引条件と支払いサイトに応じた還元額にしないと所詮は「栗田だけ」にとっての公平性に過ぎないということになります。取引相手に対して自分の基準だけで物事を押しつけようというのは、そもそも実態に即していないし、出版社との取引自体や相互信頼を毀損する行為になってしまいます。実際にすでに相互信頼は有名無実に等しくなっていますし、版元の心は深く傷ついています。出版社からの対案にいっさい応じようとしない栗田とそれでもなお取引しようという悲劇。

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◆7月23日15時現在。

栗田から再び請求書が届きました。今度は郵送ではなくFAXです。7月25日付の、返品運賃(所沢・書籍分)ということは、5月26日から6月25日分の返品分の運賃(要するにSKR=出版共同流通の手間賃)の請求書かと思います。債権は凍結されても、運賃の請求は来るという・・・。債権から相殺する旨の「相殺通知書」を7月31日(金)までに栗田にFAXにて提出せよとのこと。まったく・・・。

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by urag | 2015-07-22 21:50 | 雑談 | Comments(5)
Commented at 2015-07-22 23:11
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by urag at 2015-07-22 23:25
コメント主さん、こんにちは。了解しました。今後ともよろしくお願いいたします。
Commented at 2015-07-22 23:25
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 版元営業J at 2015-07-23 21:17
こんにちは。
版元営業です。
以前より興味深く拝見しております。
うちは債権額が小さかったこともあり、栗田の提案に同意しました。6月26日以降の返品も少なく、返品相当額の方が上回る見込みです。
素朴な疑問なのですが、実際どれくらいの版元が返品の受け取りを拒否してるんですか?
うちのように納返品とも通常運転している版元が多いのかなと思っていたのですが。
また、今回の栗田からの新提案を飲まない版元は、どういった解決を望んでいるんでしょう?
着地点が見えないのですが。
Commented by urag at 2015-07-23 23:05
版元営業Jさんこんにちは。返品受取拒否ないし保留を選んでいる版元の実数がどれくらいかを答えられるのは取次だけでしょうね。私の周囲の話で言えば「思ったより多い」印象です。新提案に同意しない版元がどんな解決を望んでいるのかというのもそれぞれ異なるようですよ。色んな着地点があって、自社にとってそぐわしいポイントを見極めたいと誰もが模索しているということでしょう。


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