内田樹さんが、ブログ「内田樹の研究室」
6月7日のエントリーで、小社刊の『ブランショ政治論集』ならびに昨今の日本における「ブランショ再評価の動き」について言及してくださっています。内田先生、ありがとうございます!
「翻訳というのはアカデミズムの世界では相対的に評価の低い仕事で、学界的な査定基準では、10年かかって仕上げた1000頁の翻訳よりも一月で書き上げた10頁のペーパーの方が評価ポイントが高い。でも、専門家しか(専門家でさえ)読まないようなペーパーを書いて評価ポイントを稼ぐことよりも、海外のすぐれた作家や思想家の業績を、誰でも読めるかたちで提供する仕事の方が、学問的な「贈り物」としてはずっと上質のものではないのだろうか。残念ながら、そのような「雪かき仕事」に打ち込む学者はほんとうに少ない(柴田先生のような方は例外中の例外である)。それゆえ、私は谷口くんや安原さんたちの労を多とするのである。みなさんも訳書買って、翻訳者の「雪かき」の応援をしてくださいね。ブランショはいいですよ」。
一般読者にはあまり知られていないことかもしれませんが、たしかに「翻訳」は、大学においては、業績として評価されることはほとんどない、と複数の当事者から私もこれまで何度も聞いてきました。かつて、私の尊敬する編集者の大先輩が、「翻訳」は立派な業績であり、論文を執筆する以上に評価されうる、と強調していたことは忘れられません。
内田さんは同時に、こうも書いていらっしゃいます。
「何度も書くけれど、私はブランショの『終わりなき対話』(Entretien infini, 1969)の全訳が20世紀のあいだに出せなかったことを日本の仏文学者の犯した最大の失敗のひとつだと思っている。あの本が1970年代に日本語で読めるようになっていたら、おそらく現代の日本人の知性はコンマ何ポイントが上がっていただろう。それだけの知的なインパクトのある書物というものが存在するのである」。
かれこれ20年位前の話になりますが、筑摩書房さんが、粟津則雄さんによる『踏みはずし』の新訳を1987年8月に刊行し(初訳は神戸仁彦さんの翻訳による村松書館版で1978年刊)、続けて、同氏による『来るべき書物』の改訳新版を1989年5月に刊行した(初版は同氏による現代思潮社版で1968年刊)際に、ブランショの後期4作の続刊予定を確かに公開していました。上記写真がその予告です。
『終わりなき対話』粟津則雄・清水徹・豊崎光一訳
『友愛』粟津則雄・清水徹・豊崎光一訳
『彼方へ一歩も』豊崎光一訳
『堕星のエクリチュール(災厄のエクリチュール)』豊崎光一訳
これは、左が『踏みはずし』の投げ込みリーフレットで、右が『来るべき書物』の投げ込みリーフレットです。前者には清水徹さんによるエッセイ「賛嘆すべき歩み、モーリス・ブランショ」が掲載されており、後者には豊崎光一さんによるエッセイ「来るべきブランショのために」が掲載されていました。
豊崎光一さん(1935-1989)はこの予告が出た直後、89年6月に若くして亡くなりました。もしも豊崎さんが生きておられたら、と想像します。ブランショ翻訳の流れはひょっとするとここから、今日に至るそれへと変わっていったのかもしれません。付言しておきますと、周知の通り、ジャック・デリダの『アポリア』(人文書院)は、豊崎光一さんの思い出に捧げられています。
『終わりなき対話』はその後、翻訳がさらに進捗していると聞いています。いつの日か、手に取れるのでしょう。ブランショ生誕百年である2007年までには読みたいものです。(H)