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2005年 06月 04日
某作家さんが、ある出版社の若い編集者から次のようにはっぱをかけられたことがあるそうです。「―年一冊なんて悠長過ぎますよ。年四冊。それが最低限です。でないと読者に忘れられてしまいます」。つまり、作家たるもの、年四冊新刊を刊行しなければならない、という「一定水準」があるんですよ、と(表向きでは)言っているのです。 私なりにこの編集者氏の言葉の背景を自分の経験に照らし合わせて想像しながら、少しだけ注釈してみようと思います。ポイントは「読者に忘れられてしまう」というくだり。 そもそも、出版・書店業界でもっともやっかいなディスコミュニケーションと論争を生む言葉のひとつが、「読者」です。「読者」っていったい何? 誰のこと? 語り手によってさまざまな意味づけをされる「読者」という存在は、たいてい具体的な人相を持っていません。具体的な話をしなければならないときに「読者」という言葉が出てくる場合、その裏には各自の自己主張やら立場表明が秘められているものです。 この編集者氏の文脈における「読者」はある意味で、じっさいは、具体的人格を持った「読者」ではないと言えます。言い換えるとすれば、この「読者」とは「市場=マーケット」をも含意しています。作家の著書を愛好する特定の読者、を必ずしも意味していないのです。「読者に忘れられてしまう」は、ひとつの慣用句と見なさねばなりません。 結論から言えば、つまりこの慣用句は次のように翻訳できます。やや詳しく補足してあります。 「市場では続々と次の新刊本が発売されます。よっぽどの好評を博さない限り、ひとつずつの新刊はたちまち後続の新刊の群れに押し出されて、早ければひと月もしないうちに返品されてしまいます。数日、いえ、即日返品になる場合だってある。本屋さんの棚に見当たらない本はたちまち〈存在しない本〉に等しいものになって、忘れ去られやすくなります。多少売れて長く棚に残ったとしても、4ヵ月後には委託精算のために在庫を縮小されて、返品されるのがたいていです。市場から本が消えていく速度と、執筆するための時間を考慮して、最低3ヶ月に1冊、新刊を出してください。少なくとも、作家であるあなたの名前を、本屋さんはわりあい頻繁に目にしている〈かのように感じる〉かもしれませんから」。 「市場から忘却されないための最低の刊行ペース」が、3ヶ月に1冊の新刊発売である、というわけです。忘却されないために、と書きましたが、むしろこれはまず「間違いなく忘却される」のだ、「忘れられても仕方がない」のだ、ということを前提視した上での話です。 これはいわゆる「数打ちゃあたる」方式なのでしょうか。違います。あたればいいには決まっていますが、まずは、マーケットにおける作家のプレゼンス(存在感)を保持しておく方法のひとつとして、生産機械に徹する「生き方」を勧めているのです。販売の現場である小売店と、販売促進の媒体であるマスメディアとに対して、ともに生産性をアピールしなければなりません。 私は編集者氏や作家さんに対する悪口や皮肉を書いているのではありません。そもそも私も同じ穴のムジナなのですから。「読者から忘れられてしまう」のを回避するのに、現在の市場速度の中では、一人の作家につき「年4回の新刊刊行」という戦略は「有効」と言いうるでしょう。現実に追いつくために、有効なのです。しかしこの速度が「人間的に」正しい速さなのかは疑問です。 「―年一冊なんて悠長過ぎますよ」というのは、「プレゼンスをあげていきましょう」という励ましであるとともに、「一年に一冊だけでは儲けになりません。作家さんも生活できないでしょうし、編集者も仕事になりません」という懇願でもあります。 ここまで書いて、息が切れました。まだ書くべきことはたくさんあるのですが、ネガティヴな現実(あるいは単なるマイナス思考)が胸に迫ってテンションが著しく下がってきたので、今晩はこの辺で。(H)
by urag
| 2005-06-04 23:26
| 雑談
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Comments(3)
うーん、とても興味深く拝読させていただきました。作家さんになるのも大変ですね・・・・。でも、ただただ量産されて流れてゆくような本をみるのも、読む方としては、なんだか虚しくて、悲しい気がします。最近本屋にいくといつもそんなことを感じるのですが、どのような本でも、店頭に置いてあるということがすでに、その現実の渦中にある、ということなのですね・・・。たとえば「年4回の新刊刊行」、それだけが目的化されるようになるとしたら、なんだかネガティブな気分になりますが、そうでなければ「作家」であり続けられないならば、その現実は受け入れるしかないですね。でも、そういった現実があるからこそ、ある面ではポジティブなこともあるんですよね!?たぶん。
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こんにちは。ライトノベルを書いている知人がおりますが、読者が小学生から高校生が多いので、一学期に一冊=年3・4冊がやはり出版ペースの基準だそうです。読者であるこどもたちの生活リズム、わくわくして次の本を待つスパンが、そのくらいが適切なのでしょうね。それ以上になると、おこずかいで買えないとか、それ以下だと待ちくたびれちゃうとか、やはりあるようです。
ところで「4ヵ月後には委託精算」とありますが、それは一般的な期間なんでしょうか?
コメントをありがとうございます。
chiba_ktrさん、年4冊というペースはやはり過酷なんだろうと思います。そのペースを守ろうとしている作家さんは当然ポジティブにとらえないと、やってられないだろうと思います。 mashcoさん、「4ヵ月後」というのは、書店から取次に返品する期限が委託の場合は4ヶ月ていどだということです。出版社は取次からの返品を6ヵ月後にしめて請求書を出し、納品高-返品高-諸手数料=売上の入金は7ヵ月後から8ヵ月後になります。大手や既得権のある古参版元をのぞいて、中小出版社はおおよそどこもそうだろうと思います。 |
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