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2014年 02月 09日

注目新刊:市田良彦『存在論的政治』航思社、ほか

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存在論的政治――反乱・主体化・階級闘争
市田良彦著
航思社 2014年2月 本体4,200円 四六判上製572頁 ISBN978-4-906738-06-9

帯文より:21世紀の革命的唯物論のために。ネグリ、ランシエール、フーコーなど現代思想の最前線で、そして9.11、リーマンショック、世界各地の反乱、3.11などが生起するただなかで、生の最深部、〈下部構造〉からつむがれる政治哲学。『闘争の思考』以後20年にわたる闘争の軌跡。フランスの雑誌『マルチチュード』掲載の主要論文も所収。

★2月7日取次搬入済の新刊です。1998年から今日に至るまで各紙誌等で発表されてきた論考34編に新規の原稿「まえがき」を加えてまとめたものです。『マルチチュード(ミュルティテュード)』誌に寄稿した主要論文も1編ずつ当時の状況についての付記を添えて著者みずから翻訳されています(翻訳にあたっての加筆はなし)。書き下ろし作であるランシエール論やアルチュセール論や新書(革命論)を除いて、論文をまとめた既刊書はこれまで『闘争の思考』(平凡社、1993年)のみでしたから、今回の新刊でゼロ年代以後の市田さんの執筆活動のほぼ全幅を一望することが叶いました。

★書名に掲げられている「存在論的政治」について、市田さんはまえがきで次のように説明されています。「存在論的政治。すなわち、我々の生のあり方全般を深く拘束すると同時に、種別的にひとつの政治であることを手放さない政治」(1頁)。「存在論的政治は、万人の救済と転生を信じる一個の狂気である」(6頁)。本書の言う「存在論的」という語は、ハイデガーのそれや形而上学のそれではありません。ネグリやランシエール、バディウ、アルチューセールらを参照する唯物論的系譜のそれであり、マルクス-スピノザ主義の遺産を受け継ぐものです。

★同じくまえがきで市田さんはこう書かれています。「政治はドゥルーズの言い方を借用すれば、「愚か者たち idiots/bêtes」の領分である。愚かでなければ入っていけない領域としても、政治は存在論的に決定されている。(・・・)私には、存在論的政治とは愚かな凡庸化に抵抗してドゥルーズやフーコーに革命的潜勢力を回復させる哲学だ、とはまったく思えない。自分は愚かさから逃げることができると考える知者は愚かで浅はかだ、と彼らの哲学を含む存在論的政治が教えているように思えてならない。(・・・)スピノザにとっては、人間が愚かでなければ、理性的であれば、国家など生まれなかったし、必要ないのである」(5-6頁)。本書の第I部は「ネグリのほうへ」と題された卓抜なネグリ論集でもあり、140頁近いボリュームがあります。昨年末には青土社さんから廣瀬純さんの『アントニオ・ネグリ――革命の哲学』が刊行されています。立て続けに意欲的なネグリ論が出たわけですが、これは昨年特に新刊が多かったドゥルーズ論の「傍流」ではないことを強調したいと思います。


加入礼・儀式・秘密結社:神秘の誕生──加入礼の型についての試論
ミルチャ・エリアーデ著 前野佳彦訳
法政大学出版局 2014年1月 本体4,800円 四六判上製414頁 ISBN978-4-588-01006-4

帯文より:古来、人はいかに造られたか。母親との別離、孤独裡の隠棲、肉体的責苦と試練、冥府への下降と天上への上昇、そして死と再生――〈人格を造る〉加入礼儀式とその文化の意味を、諸大陸の事例に基づき探究。とくに未開-東洋の〈内面性〉ある加入礼文化の消滅を問い、成熟システムの欠如を逆照射する。

版元紹介文より:エリアーデ最大のライフ・ワーク――死と加入礼の内的連関の解明。本書は、その未完の研究の核心をなす、未開社会の社会構成における加入礼の基本構造・形態・本質の宗教史的探究である。とくに、未開‐東洋の〈内面性〉を顕在化させた加入礼的文化は、歴史時代には弱まり、今日ではほぼ消滅したことも、本書が提起する重要な問題であり、現代社会の〈成熟〉システムの欠如が逆照射される。

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原書は、Initiation, rites, société secrètes: Naissances mystiques: Essai sur quelques types d'initiation(Gallimard, 1976)です。つまり、1959年に刊行された仏語版の改題第二版です。仏語版の前年に刊行された同書の英語版Birth and Rebirth(Harper, 1958)には既訳があります。堀一郎訳『生と再生――イニシエーションの宗教的意義』(東京大学出版会、1971年)です。英語版と仏語版の違いですが、今回の新刊の巻末に付された長文の訳者解説「〈ディオニュソス的なもの〉と加入礼」によれば、仏語第二版までで「増補改訂された部分は全体の一割程度であり、内容の本質的な変更ではなく、研究の自然な進展に伴うオーソドックスな意味での増補と考えて良い」とのことです。ただし本書は、もともとの講演から英語版、仏語版、仏語第二版へと至るその都度に表題が変更されており、こうした変遷があるのはこの加入礼研究のみだそうです。

★「「加入礼」はすべての真正な人間実存と共存関係にある。その理由は二つある。まず一方では、すべての真正な人間的生は、深層の危機、試練の数々、苦悶、事故の喪失と再獲得を、つまり「死と復活」を内包しているからである。そしてまた他方では、いかに充実した生存においても、すべての実存は、ある瞬間には失敗した実存としての相貌を露呈するものだからである。その際、彼がみずからの過去に対して下す道徳的な判断は問題とならない。むしろそこにあるのは、自己の天職を等閑〔なおざり〕にしてしまった、彼自身の内なる最良の者を裏切ってしまった、という混乱した感情である。こうした全体的な危機の瞬間には、ただ一つの希望のみが救いをもたらしてくれるように思える。もう一度人生を始めからやり直すことができるのだ、という希望のみが。これは要するに、新しい実存、蘇った、完全な、意義深い実存が夢見られる、ということを意味している。これはすべての人間の魂の基底に隠されている茫然たる欲望、宇宙の更新というモデルに従って自分を周期的に更新したいという欲望のことを言っているのではない。この全面的な危機の瞬間に人が夢見、希望することは、一つの決定的かつ全体的な更新を実現することであり、つまりは実存を変容させることのできる「革新〔レノヴァチオ〕」を成就することなのである。そしてすべての真正なる宗教的回心というものはこうした「革新」へと至る」(261-262頁)。

★確かに現代人の多くは宗教的なイニシエーション(加入礼)から縁遠くなっているのかもしれませんが、挫折と立ち直りの繰り返しが人生であるとするならば、エリアーデの研究はとても身近なものに感じられもするのではないでしょうか。なぜならば、人間は今なお、そしてこれからも、そもそも何かしらのイニシエーション(通過儀礼)を人生の節目でその都度必要としているはずだからです。エリアーデの宗教学的アプローチによる儀礼の個別研究は、一昨年文庫化されたアルノルト・ファン・ヘネップの概論『通過儀礼』(岩波文庫、2012年)での人類学的アプローチと併せて、人生に奥行きを与えるものの本質について教えてくれているような気がします。


ポルトガル日記1941-1945
ミルチャ・エリアーデ著 奥山倫明/木下登/宮下克子訳
作品社 2014年1月 本体4,200円 ISBN978-4-86182-464-7

帯文より:戦況の推移によってめまぐるしく変転する故国の運命、最愛の妻の病と死、学問的野心と溢れ出る創作意欲、性的生活の懊悩――。 第二次世界大戦という激動の時代に、歴史の大波に翻弄された東欧の小国ルーマニア、その不世出の一知識人が残した、精神と情念の彷徨の記録。

目次:
エリアーデ『ポルトガル日記』の時代背景(奥山倫明)
ポルトガル日記
 1941年
 1942年
 1943年
 1944年
 1945年
補遺
 I ポルトガルの印象
 II 先王カロル二世のリスボン滞在に関する覚え書き
 III 『サラザールとポルトガル革命』のための序文
 IV コルドバ日記(1944年10月)
あとがき――陶酔と絶望から転生へ(奥山倫明)

★発売済。今月は上述の『加入礼・儀式・秘密結社』と『聖と俗〈新装版〉』(ともに法政大学出版局)のほかに、エリアーデの新刊がもう一冊出ています。それが本書です。エリアーデの日記本としては周知の通りそのものズバリの『エリアーデ日記――旅と思索と人』(上下巻、石井忠厚訳、未來社、1984/1986年)が有名で、1945年9月から1969年2月までの日記を収めています。エリアーデの内省や時評、交友関係をありのままに記してあり、無類に面白いこともまた有名です。今回の『ポルトガル日記』はまさに未來社版『日記』の直前までの戦乱期の出来事を記したもので、まさに待望の出版です。この時期の体験は『エリアーデ回想(下)1937-1960年の回想:冬至の収穫』(石井忠厚訳、未來社、1990年)でも垣間見ることができますが、ディテールにせよ、息遣いにせよ、今回の『ポルトガル日記』はやはり別格のものです。エリアーデが戦争を、故国ルーマニアを、ロシアの脅威をどう見ていたのか、興味深い彼の本音を知ることができます。日本への原爆投下についても書いています。世界史年表と脇に置きながら読むといっそう味わいが増すかもしれません。美麗な造本装丁はミルキィ・イソベさんと林千穂さんによるものです。


文語訳 新約聖書  詩篇付
岩波文庫 2014年1月 本体1,512円 文庫判786頁 ISBN978-4-00-338033-8

カバーソデ紹介文より:「求(もと)めよ、然(さ)らば与(あた)へられん」「狭(せま)き門(もん)より入(い)れ」「太初(はじめ)に言(ことば)あり」…….聖典としての品格、簡潔にしてリズムのある文体で、日本のキリスト教界のみならず、思想、文学などの諸分野にも大きな影響を与えた、日本の聖書翻訳史上、最高の名訳。(解説=鈴木範久)

★発売済。文語訳新約聖書(1917年「大正改訳」版)と、詩篇(1888年明治訳)を併収したものです。総ルビなので、音読もしやすいです。昔から需要はあったはずなのにようやく今になって出てくれた、という印象があるのは、日本聖書協会が発行する小型版(=文庫サイズ)の『文語訳小型新約聖書詩篇附』があるにはあったものの、新刊書店では文庫売場で売られているわけではなかったからでしょうか。宗教書売場のキリスト教書棚よりはいっそう広いであろう雑多な客層が通過する文庫売場で様々な読者との新たな出会いが生まれているに違いありません。ちなみに「共同訳」の新約聖書は講談社学術文庫から1981年に刊行され版を重ねていましたけれど、1987年に「新共同訳」が完成していることもあってか、昨今では店頭で見かけにくくなっている気がします。


統辞構造論――付『言語理論の論理構造』序論
ノーム・チョムスキー著 福井直樹/辻子美保子訳
岩波文庫 2014年1月 本体1,140円 文庫判434頁 ISBN978-4-00-336951-7

カバー紹介文より:生成文法による言語研究の「革命」開始を告げる記念碑的著作。句構造や変換構造などの抽象的な言語学的レベル、言語の一般形式に関する理論、文法の単純性の概念などが、人間言語に対する深く透徹した洞察を与えることを立証する。併録の論考および訳者解説では本書の知的背景を詳細に説明し、その後の展開も概観する。

★発売済。チョムスキーの文庫本は、『生成文法の企て』(福井直樹/辻子美保子訳、岩波現代文庫、2011年8月)に続いてようやく二冊目です。1957年にオランダの出版社から刊行されたSyntactic Structuresの新訳です。底本には2002年の第二版を使用しています(初版と第二版の間に内容上の違いはないとのことです)が、ライトフットによる序論は省略されています。代わりに、『言語理論の論理構造 Logical Structure of Linguistic Theory』(1955年)の序論(1975年)の翻訳と、100頁近い長篇の訳者解説「「生成文法の企て」の原点――『統辞構造論』とその周辺」が収録されています。Syntactic Structuresには既訳書(勇康雄訳『文法の構造』研究社出版、1963年)がありますけれども、今となっては探しにくい古書だっただけに、ありがたいです。『言語理論の論理構造』序論は、本書の共訳者である福井直樹さんによる編訳書『チョムスキー 言語基礎論集』(岩波書店、2012年)にも収録されており、今回の文庫への収録にあたって訳文に「多少の改訂を加えた」とのことです。訳者あとがきには「『統辞構造論』とこの2つの論考〔序論と訳者解説〕を併せて読めば、現代生成文法誕生の事情はほぼ十全に把握することが出来ると思う」と本書の意義について書かれています。

by urag | 2014-02-09 22:52 | 本のコンシェルジュ | Comments(0)


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