2013年 12月 15日
![]() 10月から12月のここ3ヶ月間で発売された注目の文庫新刊について版元別にチェックします。取り上げる点数の多い順番にご紹介しますが、分量が多いため、今回はちくま学芸文庫と講談社学術文庫について書きます。次回は平凡社ライブラリー、岩波文庫、角川ソフィア文庫、文春学藝ライブラリー、文春ジブリ文庫、河出文庫について取り上げる予定です。 ◎ちくま学芸文庫:8点10冊(上下巻は1点としてカウント) 2013年10月『歴史 上』トゥキュディデス著、小西晴雄訳、本体1,600円 2013年10月『歴史 下』トゥキュディデス著、小西晴雄訳、本体1,500円 2013年10月『空海コレクション3 秘密曼荼羅十住心論〈上〉』福田亮成校訂・訳、本体1,800円 2013年11月『空海コレクション4 秘密曼荼羅十住心論〈下〉』福田亮成校訂・訳、本体1,800円 2013年11月『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著、西谷修監修・解説、山上浩嗣訳、本体1,200円 2013年11月『幾何学』ルネ・デカルト著、原亨吉訳、本体1,100円 2013年11月『幾何学の基礎をなす仮説について』ベルンハルト・リーマン著、菅原正巳訳、本体1,000円 2013年12月『ノイマン・コレクション 数理物理学の方法』ジョン・フォン・ノイマン著、伊東恵一編訳、新井朝雄・一瀬孝・岡本久・高橋広治・山田道夫訳、本体1,500円 2013年12月『私たちはどう生きるべきか』ピーター・シンガー著、山内友三郎監訳、本体1,500円 2013年12月『自然権と歴史』レオ・シュトラウス著、塚崎智・石崎嘉彦訳、本体1,500円 チェックした点数が最も多かったのはちくま学芸文庫でした。だいたい毎月「これはぜひ」と思う新刊が複数あって、この3ヶ月でも、空海『秘密曼荼羅十住心論』上下巻、トゥキュディデス『歴史』上下巻、そして『ノイマン・コレクション』の開始と、重量級が続きました。『秘密曼荼羅十住心論』は文庫オリジナル。全十巻を、各巻概要、訓み下し文、語釈、現代語訳という構成で読者に提示しています。新たな校訂版が単行本を飛ばしてただちに文庫で読めるというこの贅沢。 『歴史』は、筑摩書房版『世界古典文学全集11』(1971年)の文庫化。「文庫版訳者あとがき」から推察するに、文庫化に際して訳文に手を入れた御様子なので、これが小西さん訳の決定版ということになるのだと思われます。下巻のカバー裏紹介文には「いまなお国際政治学の教科書として参照されている」とありますが、それは特に欧米では大げさではなく本当のことです。一方の訳書である久保正彰訳『戦史』岩波文庫全三巻はたまにしか復刊されない現状でしたが、ありがたいことに今月、中公クラシックスの新刊として全一冊本がまもなく発売となるようです。 『ノイマン・コレクション』は全三巻予定のはずですが、今般の新刊『数理物理学の方法』には、特に巻数はついていませんし、訳者解説でも言及されていませんが、原典となるノイマンの論文全集全6巻から精選されている本なので、やはり続刊はあるものと思います。まあ過去にもフッサール『間主観性の現象学』第一弾には巻数はついていなかったですし。『数理物理学の方法』では量子力学や統計力学など物理学の重要論文四篇(「量子力学の数学的基礎づけ」「量子力学におけるエルゴード定理とH‐定理の証明」「星のランダムな分布から生じる重力場の統計」「最近の乱流理論」)を収めており、すべて本邦初訳です。 上記以外の書目についてざっと見ておきますと、デカルト『幾何学』は白水社の『増補版 デカルト著作集1』所収のものの文庫化で、長文の文庫版解説「デカルト『幾何学』の数学史的意義」(190-225頁)を佐々木力さんがお書きになっておられます。リーマン『幾何学の基礎をなす仮説について』は、良く知られたリーマンの講演録で、ヘルマン・ワイルが序文・解説を寄せています。訳書ではミンコフスキーの講演論文「空間と時間」を併録し、1942年に弘文堂書房の「科学古典叢書」の一冊として刊行されました。のちに版元は清水弘文堂書房と名を変え、1970年に再刊。この版が文庫化の親本となっています。この再刊時の「重版序」によれば改訳は行っていないようです。 シンガー『私たちはどう生きるべきか』は、1999年刊の法律文化社の単行本が親本。文庫化にあたって監訳者の山内さんが「文庫版あとがき」をお書きになっており、その文面から推察する限りでは、校正はされたものの改訳まではされていない御様子です。シュトラウス『自然権と歴史』の親本は1988年に昭和堂より刊行。文庫化にあたって共訳者の石崎さんが新たに解説「レオ・シュトラウスの政治哲学――文庫版訳者あとがきに代えて」をお書きになっておられ、「改めて原文に目を通して、旧版にある程度手を加えた」と明かされています。シンガーもシュトラウスも文庫化は今回初めてで、それぞれ80年代から訳書が出てきた歴史を思うと非常に感慨深いものがあります。 最後に なお、東京外国語大学では来たる週末に以下のシンポジウムが行われます。 ◎ラウンドテーブル「自発的隷従を撃つ」 日時:12月21日(土) 13:30-17:30 場所:東京外国語大学・研究講義棟115教室 ※入場無料・予約不要 第Ⅰ部:エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』を読む 報告と討議=西谷修/真島一郎/土佐弘之(神戸大学)/中山智香子 第Ⅱ部:自発的隷従と日本の現在 報告と討議=小森陽一(東京大学)/七沢潔(NHK放送文化研究所)/仲里効(批評家) 司会・進行=西谷修/中山智香子 総合討論 特別企画:「エッジの水底から」朗読=川満信一(詩人) ◎講談社学術文庫:6点6冊 2013年10月『記号論II』ウンベルト・エーコ著、池上嘉彦訳、本体1,350円 2013年10月『ウィトゲンシュタインの講義――ケンブリッジ1932-1935年』アリス・アンブローズ編、野矢茂樹訳、本体1,500円 2013年11月『吉田松陰著作選――留魂録・幽囚録・回顧録』奈良本辰也著、本体1,300円 2013年11月『役人の生理学』オノレ・ド・バルザック著、鹿島茂訳、840円 2013年12月『斜線――方法としての対角線の科学』ロジェ・カイヨワ著、中原好文訳、本体880円 2013年12月『岩波茂雄と出版文化――近代日本の教養主義』村上一郎著、竹内洋解説、本体720円 エーコ『記号論』は岩波書店の親本通り2分冊で、第I巻は9月、第II巻は10月に刊行。「「学術文庫」版のためのあとがき」によれば、「訂正、補筆をその妥当性が間違いないと判断できる限りにおいて、翻訳者の責任において取り込」んだとのことです。『ウィトゲンシュタインの講義――ケンブリッジ1932-1935年』の親本は、1991年に勁草書房より刊行。「文庫版あとがき」によれば、「誤訳を含め、いくつもの間違いを訂正」したとのことです。ちなみに親本は『ウィトゲンシュタインの講義II』としてまだ在庫があります。『ウィトゲンシュタインの講義I――ケンブリッジ1930-1932年』(D・リー編、山田友幸・千葉恵訳、勁草書房、1996年)は第II巻のあとに刊行され、訳者も異なるので、文庫化されるかどうかは不明です。なお、光文社古典新訳文庫の丘沢静也訳『論理哲学論考』はいよいよ来月(2014年1月)刊行となるようです。 『吉田松陰著作選――留魂録・幽囚録・回顧録』の親本は、1969年に刊行された筑摩書房版『日本の思想(19)吉田松陰集』です。ただし文庫化にあたり「講孟余話(抄)」は割愛されています。巻頭に解説「松陰の人と思想」を置き、松陰の著作は、原文と現代語訳で構成され、適宜「語釈」を挟みます。収録作品は「留魂録」「要駕策主意」「幽囚録」「対策一道・愚論・続愚論」「回顧録」「急務四条」「書簡」です。「書簡」は17通で、語釈のみ。なお、講談社学術文庫では既刊書に、古川薫全訳注『吉田松陰 留魂録』、近藤啓吾全訳注『講孟箚記』上下巻があります。『講孟余話』(『講孟箚記』を後年改題)は周知の通り、獄中の松陰が囚人を相手に孟子を講義したものが元になっています。 バルザック『役人の生理学』は、新評論版単行本(1987年)、ちくま文庫(1997年)を経ての再文庫化です。巻頭に訳者による「学術文庫版まえがき」が置かれており、続いて『役人の生理学』、そして付録として「役人文学アンソロジー」と題した三篇、バルザック『役人』(概要と抜粋)、フロベール『博物学の一講義・書記属』、モーパッサン『役人』が収録されています。『役人の生理学』の刊行は1841年で、170年以上前の話なのですが、描写されるメンタリティたるや、恐ろしいまでに「現代的」です。つまり、科学や技術がどんなに発展発達しようと、人間の中身は変わっていないということなのですね。先ほど言及したトゥキュディデス『歴史』で描かれる激しい争いの渦中にある人々を思う時、200年どころか、2000年経っても、人間のさがは相変わらず進歩していないとすら言えそうです。 付録のバルザックの『役人』は、ラブルダンという真面目な役人に仮託して行政改革プランを披露した作品だそうで、長篇小説のため今回は概要と抜粋を収めています。フロベールの作品は彼が若干15歳の折に書いた戯文とのこと。帯文にある「役人とは生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外になんの能力もない人間」という一文は、『役人の生理学』冒頭の第一章「定義」に出てくる言葉です。時として爆笑を誘いつつもまったく笑えないという恐ろしい本です。 カイヨワ『斜線』は、1978年に思索社より刊行され単行本の文庫化。訳者はすでに8年前にお亡くなりになっているため、奥付前の注記には「編集部で注を追加した」と書かれています。講談社学術文庫ではかつてカイヨワの『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫訳、1990年)を刊行しているとはいえ、約四半世紀ぶりの文庫新刊で驚きを禁じえません。思索社(現在は新思索社)さんではかつて『斜線』のほかに『反対称』『イメージと人間』『メドゥーサと仲間たち』『本能』などのカイヨワ作品を刊行されていましたが、現在はいずれも版元品切のようです。カイヨワ独特の「対角線の科学」は『斜線』のほかに『反対称』『イメージと人間』などが数えられ、そのものずばりの「対角線の科学」という題名をもつエッセイも『メドゥーサと仲間たち』に収録されてきましたから、一連のシリーズとしてこの先も文庫化が続くことを願ってやみません。 村上一郎『岩波茂雄と出版文化』は、村上一郎著『岩波茂雄――成らざりしカルテと若干の付箋』(砂子屋書房、1979年刊)の文庫化で、新たに竹内洋さんによる「学術文庫版イントロ 村上一郎と『岩波茂雄』」と「解説 岩波茂雄・岩波文化・教養主義」が追加されています。奥付前の注記によれば、「新たに編集部でルビと注を追加し、一部表記をあらためました」とのことです。村上さんの岩波茂雄論は没後に原稿が見つかったもので、未刊に終わったアンソロジー『明治大正出版社史』に寄稿するために執筆されたものだったそうです。本書がなぜ今、講談社から出るのか、という理由についてははっきり書かれてはいませんが、竹内さんが村上さんの著作の中でもっとも愛する作品だからということと、本書の中に岩波文化vs講談社文化のくだりがあるから、というあたりが理由のひとつとしてありそうです。親本がもう手に入らないということや、出版文化の変容(電子書籍やウェブ文化の発達)のさなかで旧文化の象徴(これは決して悪い意味ではなく)を振り返っておく重要性も、理由に挙がると思います。いずれにせよ作品としては非常に珍しいタイプの文庫本で、単行本にも新書にもなりにくいゆえに文庫になってくれたのかもしれません。 講談社学術文庫ではこのほかにも、10月には中村元『往生要集を読む』(旧題『往生要集』岩波文庫、1983年;同時代ライブラリー、1996年)や、パット・バー『イザベラ・バード――旅に生きた英国夫人』(小野崎晶裕訳;親本『ある女性の奇妙な人生――異色な旅行家イザベラ・バードの物語 』上下巻、赤札堂、2006-2007年)、11月には「日米安保条約」を新たに収録して再刊された学術文庫編集部編『日本国憲法 新装版』、12月には小此木啓吾さんと河合隼雄さんの対話編『フロイトとユング』(思索社、1978年;レグルス文庫、1989年)、野家啓一『科学の解釈学』(新曜社、1993年;増補版、ちくま学芸文庫、2007年)、舟田詠子『パンの文化史』(朝日新聞社、1998年)など印象的な新刊が続きました。
by urag
| 2013-12-15 23:38
| 本のコンシェルジュ
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Comments(4)
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『自発的隷従』は、筑摩世界文学大系のルネサンス文学集に翻訳があったような気がします。
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無関係者さんこんにちは。仰る通りです。訂正し、追記しました。ご指摘ありがとうございます。
中公クラシックスの『戦史』は、抄訳版です。ちくまは全訳版なので、そちらを買った方がよかったかな・・・。
まろさんこんにちは。そうなんですよ。この当時は久保正彰さん訳は岩波文庫の三巻本全訳が品切になっていたのであるいは、と期待したのですが、「世界の名著」版を踏襲して抄録でしたね。その後、岩波文庫版は再度復刊されましたね。
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